長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-134.玻名グスク(改訂決定稿)

 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの包囲陣が壊滅したあと、戦(いくさ)は膠着(こうちゃく)状態に入っていた。他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)は島尻大里グスクを攻める事をやめて、糸満(いちまん)の港を守るために、照屋(てぃら)グスクと国吉(くにし)グスクの間に杭を打って、防壁を築き始めた。さらに、国吉グスクから海岸までも防壁を築いて、摩文仁(まぶい)(島尻大里の山南王)の兵が糸満の港に入れないようにしていた。
 摩文仁は大(うふ)グスクと真栄里(めーざとぅ)グスクに兵を送って、防壁造りの邪魔をしているが、防壁は日を追う毎に完成に近づいていった。
 総攻撃に参加しなかった李仲(りーぢょん)の若按司を退治しようと、摩文仁は次男の摩文仁按司に攻撃させた。李仲グスクはもぬけの殻になっていて誰もいなかった。城下の村(しま)には家臣の家族たちが暮らしていたのに誰もいない。いつの間に全員が消えたのか、まったくわからなかった。
 摩文仁グスクがまだ完成していないので、本拠地のない摩文仁按司は李仲グスクに入って、そこを本拠地とした。
 島尻大里の城下は閑散としていた。前回、攻撃を受けた時、摩文仁は御門(うじょう)を開かず、逃げて来た城下の人たちを受け入れなかった。城下の人たちは摩文仁を見捨てて、豊見(とぅゆみ)グスクや首里(すい)、島添大里(しましいうふざとぅ)に逃げて行った。城下にあった『よろずや』も店を閉めて豊見グスクの城下に移り、『まるずや』は、すでに豊見グスクの城下にあるので、八重瀬(えーじ)の城下に移っていた。
 八重瀬按司になったマタルーは家族と家臣たちを引き連れて、与那原(ゆなばる)グスクから八重瀬グスクに引っ越しをした。焼け落ちた屋敷の残骸を片付けて、再建をしなければならないので大変だった。
 妻のマカミーは焼け落ちた屋敷を見て呆然と立ち尽くした。生まれ育ったグスクに戻って来られたのは嬉しいが、思い出がたっぷりと残っていた屋敷はもうない。長兄のエータルーは戦死して、父と若ヌルとチヌムイは久米島(くみじま)に行ってしまった。いつの日か、父たちが戻って来られる日まで、このグスクを守り通さなければならなかった。気持ちを入れ替えて、マタルーと一緒に素晴らしい屋敷を築こうとマカミーは決心した。
 サグルーは妻と子とヤールーを連れて島添大里グスクから与那原グスクに移り、首里からジルムイ(島添大里之子)とマウシ(山田之子)が家族を連れて、シラー(久良波之子)がウハ(久志之子)を連れてやって来た。ウハは一緒に連れて行ってくれと頼み、シラーの副隊長を務める事に決まっていた。
 ヤマトゥ(日本)から帰って来て、浦添(うらしい)グスクの伊祖(いーじゅ)ヌルの神様とセーファウタキ(斎場御嶽)の豊玉姫(とよたまひめ)の神様に挨拶に行ったササ、シンシン(杏杏)、ナナの三人も与那原グスクに引っ越しをした。
 女子(いなぐ)サムレーの隊長として、首里からウラマチー、島添大里(しましいうふざとぅ)からニシンジニー、佐敷からイリカーが与那原に異動になって、キラマ(慶良間)から来る娘たちを鍛える事になる。
 サグルーを助ける重臣として、島添大里の重臣だった屋比久大親(やびくうふや)がついてきた。倅に跡を継がせて、若い者ばかりの与那原にやって来たのだった。
 サグルー、ジルムイ、マウシ、シラーがお互いの顔を見て喜んだのは勿論だが、サグルーの妻のマカトゥダル、ジルムイの妻のユミ、マウシの妻のマカマドゥもササたちと一緒になれたと喜んでいた。


 マタルーとサグルーが引っ越しをしていた頃、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は東方(あがりかた)の按司たちを率いて玻名(はな)グスクを攻めていた。
 玻名グスクは具志頭(ぐしちゃん)グスクの西、四丁(ちょう)(約四四〇メートル)程の所にあり、東西に細長く、具志頭側の東は崖に囲まれていて、城下の村(しま)がある西側からしか攻められなかった。サハチは率いて来た七百人の兵をグスクの西側に展開した。
 城下の人たちはすでにグスク内に避難したとみえて、誰もいなかった。
 高い石垣が少しくぼんだ所に大御門(うふうじょー)(正門)があって、門の上の櫓(やぐら)から弓を構えた兵が五人、サハチを狙っていた。石垣の上にも弓を構えた兵が何人もいた。見渡した所、守りは万全で、百人以上の兵がいるようだった。
 サハチは城下にある重臣の屋敷を本陣にして、按司たちを集めて戦評定(いくさひょうじょう)を開いた。集まったのは玉グスク按司、知念若按司(ちにんわかあじ)、垣花按司(かきぬはなあじ)、糸数按司(いちかじあじ)、大(うふ)グスク按司、新(あら)グスク按司、佐敷大親(さしきうふや)、平田大親、手登根大親(てぃりくんうふや)だった。手登根大親はヤマトゥから帰って来たばかりなのに出陣して来た。ミーグスク大親のチューマチは明国(みんこく)に行っているので初陣(ういじん)を飾る事はできなかった。
 サハチはウニタキ(三星大親)が描いたグスク内の見取り図を広げた。まだ、守りが厳重でない時に忍び込んで調べたのだった。詳細な見取り図を見て、按司たちは驚いた。内部の様子がこれだけわかれば、グスクを落とすのも可能だろうと思えた。
 大御門の先には広い三の曲輪(くるわ)があって、その東に二の曲輪がある。二の曲輪の北側に一の曲輪があって、一の曲輪内に按司の屋敷と御内原(うーちばる)もあった。グスクへの出入り口は西側にある大御門の他に、三の曲輪の南側と二の曲輪の南側に二か所あり、一の曲輪から直接、外には出られなかった。
 三つの御門(うじょう)を重点的に見張ると共に、後方から攻めて来る敵にも注意を払わなければならなかった。皆、世代が変わってしまって、島添大里グスクを攻めた時に参戦したのはサハチだけだった。サハチは当時の陣地造りを皆に教えて、昼夜交替で守りを固めるように頼んだ。
 按司たちが出て行くと入れ替わるように奥間大親(うくまうふや)とサタルーが現れた。
「うまく行ったか」とサハチは奥間大親に聞いた。
「上出来です。グスク内に十七人が入っています」
「なに、十七人も入っているのか」
「玻名グスクは以前はかなり栄えていました。山南王(さんなんおう)が最初に明国に送った正使は玻名グスク按司の息子だったのです」
「なに、ここの倅が正使として明国に行ったのか」
「はい。シラーという名で、四回、正使を務めました。それ以前にも、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様(泰期)の従者として何度も明国に行っております」
「ほう、そんな男がいたのか」
「シラーのお陰で玻名グスクは栄えて、奥間の鍛冶屋(かんじゃー)も多く住み着いて、木地屋(きじやー)も店を出しています。鍛冶屋が十人と木地屋が七人、入っています。それと三か月ほど前に贈られた奥間の側室も御内原にいます」
「中座大主(なかざうふぬし)(先代玻名グスク按司)が隠居したあとに贈られたんだな。すると、米須(くみし)にも贈ったのか」
「はい。米須グスクにも入っています」
「助け出さなくてはならんな」と言ってから、
「十七人もいれば大丈夫だろう」とサハチは満足そうにうなづいた。
「ウニタキ殿の配下の者も島尻大里から避難して来たと言って城下にいたのですが、よそ者は入れてもらえませんでした。それと、辰阿弥(しんあみ)もいましたが、入れてもらえませんでした」
「なに、辰阿弥もいたのか」
「辰阿弥は戦で亡くなった者たちを供養していたようです。島尻大里から玻名グスクにやって来て、念仏踊りをやって、城下の人たちに喜ばれていたようです」
「そうか。辰阿弥が戦死した者たちを供養していたのか」
「弟子も二人できたようです」
「そうか。それで、敵の兵力は何人だ?」
「二百人前後です。玻名グスク按司が中にいます。弟の中座按司(なかざあじ)と父親の中座大主は島尻大里グスクにいます」
「二百人もいるのか。兵糧(ひょうろう)はどれだけあるかわかるか」
「二百人の兵と五十人前後の女子衆(いなぐしゅう)、家臣たちの家族が二百人余り、それに城下の者も二百人余り入っていますので、三か月は持たないでしょう。二か月持つかどうかだと思います」
 サハチはうなづいてサタルーを見ると、「サンルーはどこに行った?」と聞いた。
「ウニタキさんと一緒に先に行っています。今頃は山グスク辺りだと思います。米須グスクの城下には鍛冶屋も木地屋もいますけど、山グスクにはいませんから、グスク内に潜入する策を考えているのだと思います」
「山グスクか‥‥‥そこまで行くのはいつの事になるやら、今の状況ではわからんな」
「島尻大里グスクに抜け穴があったなんて驚きましたな」と奥間大親がサハチに言った。
「予定では按司たちが皆、島尻大里グスクに閉じ込められて、留守兵五十人ばかりのグスクを攻めると思っていたんだがな、やはり、思った通りにはいかんようだ。玻名グスクを助けるために大軍が攻めて来るかもしれん。なるべく、犠牲者は出さないようにしないとな」
「キンタが按司たちの動きを探っています。こちらに向かって来るようなら、すぐに知らせが来るはずです」
「そうか」とサハチはうなづいて、「頼むぞ」と奥間大親に言った。
 奥間大親が出て行ったあと、サタルーはサハチを見てニヤニヤ笑って、「ちょっと、佐敷に行ってもいいですか」と聞いた。
 サハチはサタルーを睨んだが、「気になって仕事も手に付かんのだろう。ナナは今、与那原にいる。会って来い」と笑った。
「ありがとうございます」と頭を下げるとサタルーは嬉しそうに走って行った。
 サハチはクルー(手登根大親)と新グスク按司を連れて、グスクの周辺を調べた。クルーと新グスク按司は同い年で、兵を率いている大将の中で最も若かった。
「まず、戦場(いくさば)となる地をよく知る事が大事だ。敵の立場に立って、どこから攻めるかをよく考えるんだ」とサハチは二人に言った。
 玻名グスクは小高い丘の上にあって、南側は急斜面になっていて、その下は海だった。
「あそこから上陸できそうですよ」とクルーが海辺を見下ろしながら言った。
 砂浜が続いているのが見えた。
「上陸したとして、ここまで登れるかだな」とサハチは言った。
 サハチたちは砂浜に下りる道を探した。道はなかったが何とか砂浜まで下りる事ができた。
「俺ならここから上陸して、包囲陣を背後から攻めますよ」とクルーがグスクを見上げながら言った。
 サハチはうなづいて、「ここに伏兵(ふくへい)を置こう」と辺りを見回した。
 クルーも周りを眺めて、「俺に任せてください」と言った。
「よし、手登根の兵に任せよう」
 サハチたちは急斜面を登って上に戻ると、さらに周辺を歩いて、敵が攻めて来そうな場所を調べた。
 夕方には楯(たて)をずらりと並べた陣地もほぼ完成して、高い櫓も二つできあがり、櫓の上からグスク内の様子がよく見えた。
 サハチが櫓に登ると三の曲輪内の隅に建つ物見櫓から弓矢が何本も飛んで来たが、皆、楯によって防がれた。
 グスク内は島添大里グスクと同じくらいの広さがあって、三の曲輪には城下の避難民たちが、二の曲輪には家臣たちの家族がいるようだった。一の曲輪は少し高い所にあって、屋敷がいくつも建っているが、二階建てはないようだ。
 二の曲輪にも大きな屋敷が建っていた。山南王の正使を務めたシラーの屋敷だったのかもしれない。奧の方は狭くなっていて岩場があって、ウタキ(御嶽)のようだった。
 サハチは島添大里グスク攻めの時のように兵たちと一緒にいようと思っていたのに、サムレー大将の慶良間之子(きらまぬしぃ)に止められた。サハチがいると兵たちが気を使ってしまうので、本陣にいてくれという。サハチは以前と同じ気持ちでいても、中山王(ちゅうさんおう)の世子(せいし)であるサハチは雲の上の人だと兵たちは思っているようだった。仕方なく、サハチは本陣の屋敷にいる事にした。
 その夜、敵の奇襲があった。玻名グスク按司の弟の中座按司が五十人の兵を率いて背後から襲撃したが、まんまと罠(わな)にはまって逃げて行った。月のない夜に松明(たいまつ)も持たず、ただ東方の陣地の篝火(かがりび)を目当てに攻めて来て、足下(あしもと)も確認せずに落とし穴に落ちたのだった。落とし穴には尖った杭が何本も打ってあり、十数人の兵が串刺しにされた。味方の悲鳴に驚いて、敵は攻める事なく逃げ散った。
 そして、早朝、中座按司はまた攻めて来た。今度は海岸からだった。待ち構えていたクルーの兵に、二十人近くがやられて海へと逃げて行った。
 東方の按司たちは陣地造りに精を出すだけで、グスクを攻める事はなく、グスクからも攻撃はなかった。寒さも厳しくなり、雨も多くなるので、小屋をいくつも建てていた。島添大里グスク攻めの時とは違って、必要な資材は各地から八重瀬グスクに集められ、陣地まで運ばれて来た。丈夫な朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)は陣地造りに非常に役に立ち、兵たちに喜ばれた。
 二日目の夜は夜襲もなく、翌朝の攻撃もなかった。三日目に奥間大親の倅のキンタが来て、玻名グスクを救援するための準備をしている按司はいないと言って、各グスクの兵力を教えてくれた。
 米須グスクと真壁(まかび)グスクにそれぞれ二百人の兵がいた。それらの兵が攻めて来たら、挟み撃ちにされる可能性があった。
摩文仁は玻名グスクはしばらく放っておいて、何か別の事をたくらんでいるようです」とキンタは言った。
「何をたくらんでいるんだ?」
「離間策(りかんさく)ではないかと思います。摩文仁の倅の摩文仁按司が豊見グスクの侍女と頻繁に会っています。その侍女は間者(かんじゃ)だと思われます。豊見グスクには保栄茂按司(ぶいむあじ)がいます。保栄茂按司を味方に引き入れようとしているのか、あるいは本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)と何かをたくらんでいるのか、兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)を寝返らせようとしているのかわかりませんが、仲違(なかたが)いさせようとたくらんでいるようです」
「保栄茂按司も兼グスク按司も山南王妃の息子だ。母親を裏切る事はあるまい」
「そうかもしれませんが、山南王の座というのは人を狂わせますから何とも言えません。保栄茂按司テーラーにおだてられたら山南王になろうと考えるかもしれません。それと、兼グスク按司ですが、妻は滅ぼされた中グスク按司の娘です。中山王を敵(かたき)だと思っています。摩文仁から保栄茂按司を山南王にして、山北王(さんほくおう)を味方に付けたら、中山王を倒すのも夢ではない。中山王を倒して、お前が中山王になればいいとでも言われたら、母親を裏切るかもしれません」
「皆、若いからな。おだてられて踊るかもしれんな。摩文仁も一筋縄ではいかん曲者(くせもの)だな」
「察度(さとぅ)(先々代中山王)の倅ですから、そう簡単には倒せないでしょう。それと、新垣按司(あらかきあじ)が長嶺按司(ながんみあじ)に接近しています」
「長嶺按司は高麗(こーれー)に逃げた山南王の弟だったな。お前が山南王になれとおだてられているのか」
「それもありますが、新垣按司が動いたのが不思議だったので調べてみたのです。島尻大里の城下に住んでいる鍛冶屋が理由を知っていました。長嶺按司は兄が高麗に逃げたあとも、母親と一緒に城下に住んでいました。その時、新垣按司も近所に住んでいて、長嶺按司は新垣按司の娘といい仲になったようです。誰もが二人は一緒になるものと思っていたのですが、山南王の命令で、娘婿になってしまい、その娘はその後、お嫁には行かずにヌルになったようです」
「ほう、好きだった女子(いなぐ)を捨てて、山南王の婿を選んだのか」
「そのようです。長嶺按司はまだその娘には未練があるようで、側室にしようとしたけど断られたようです」
「新垣按司はシタルーの娘なんか捨てて、自分の娘と一緒になれと言っているのか」
「そうかもしれません。そして、山南王になれとおだてているのかもしれません。自分の娘が王妃になれば、新垣按司の地位も上がりますから必死に口説いているのかもしれません」
「山南王の座か‥‥‥摩文仁と新垣按司が何をしようとしているのか、よく見張っていてくれ」とサハチはキンタに頼んだ。
 キンタが帰ったあと、陣地を見回っているとマウシとシラーが与那原の兵を率いてやって来た。
「キラマから来た兵か」とサハチが兵たちを見ながら聞くと、マウシはうなづいて、
「皆、張り切っています」と大将らしい顔付きをして言った。
 大将も若く、兵たちも若いが、マウシとシラーなら立派なサムレー大将になってくれるだろうとサハチは思った。
「ジルムイは留守番か」と聞くと、
「あいつはいつも籤運(くじうん)が悪いようです」とマウシとシラーは笑った。
 最後尾に見慣れないサムレーがいると思ったらササたちだった。ササとシンシンとナナが鎧(よろい)を着て、馬に乗っていた。そして、鎧を着ていないサタルーも一緒にいた。
「あたしたちが来たからには、この戦は必ず勝つわ」とササは自信たっぷりに言った。
「あたしもいるわ」と誰かが言った。
 サハチは空を見上げて、
「ユンヌ姫様も連れて来たのか」とササに聞いた。
 ササは笑って、「ユンヌ姫様の方が先に来ていたのよ。戦見物が好きみたい」と言った。
「ユンヌ姫様はいてもいいが、お前たちは引き上げろ。三人の美人(ちゅらー)が陣地内をうろうろしていたら兵たちの士気が乱れるからな」
「そんな、せっかく来たのに」
「戦が終わったらグスクのお清めを頼むよ」
 帰れと言っても素直に帰りそうもないので、陣地の事は佐敷大親に任せて、サハチはササたちを具志頭グスクに連れて行った。具志頭グスクに古いウタキがあると言ったら興味を持ったようだった。サタルーも付いて来たが、具志頭グスクを見ておくのも今後のためになるだろうと思って何も言わなかった。
 具志頭グスクは島添大里のサムレー大将、古堅之子(ふるぎんぬしぃ)が率いる百人の兵が守っていた。古堅之子は二番組の副大将だったが、大将の兼久之子(かにくぬしぃ)が父親の跡をついで首里のサムレー大将になったので、大将に昇進していた。サハチは古堅之子に話があると言って、ササたちを先に行かせた。
 一の曲輪の屋敷でイハチを見たササは、
「お前が具志頭按司になったとは驚いた」と言って笑った。
「ササ姉(ねえ)、ヤマトゥから帰って来たのですね。お帰りなさい」とイハチは笑ったあと、「その格好はどうしたのです。戦に行くのですか」と聞いた。
「戦に来たんだけどね、美人は駄目だって言われたのよ」
「誰なの?」とナカーがイハチに聞いた。
「馬天ヌルの娘のササです」とイハチはササを紹介した。
「えっ、ササちゃんなの?」とナカーは驚いた顔をしてササを見ていた。
 ササちゃんと呼ばれても、ササには誰だかわからなかった。
「あなたが赤ん坊だった時、わたしは具志頭に嫁いで来たのよ。嫁いだと言ってもここじゃないわ。城下に住んでいたサムレーのもとに嫁いだのよ」
「佐敷の人なんですか」
 ナカーはうなづいて、「佐敷グスクで、あなたのお母さんと一緒に奥方様(うなじゃら)から剣術を習っていたのよ」
「そうだったのですか」
「チミーからあなたの噂は聞いていて、立派なヌルだって事は知っていたけど、まさか、鎧姿で現れるなんて思わなかったわ。あなたのお母さんも型破りなヌルだったけど、あなたも相当なものね」
 ナカーはササを見ながら楽しそうに笑った。
 ササはシンシンとナナを紹介した。
 女たちが楽しそうに話しているのを聞いて、長老の寄立大主(ゆったちうふぬし)が顔を出した。長老の顔を見て、ササの脳裏に、祖父のサミガー大主と長老が楽しそうに酒を飲んでいる場面が映し出された。
「お爺があなたに贈ったヤマトゥの刀を覚えていますか」とササは長老に聞いた。
「お爺とは誰じゃ?」と長老は聞いた。
「サミガー大主様のお孫さんのササさんです」とナカーが言った。
「サミガー大主の孫?」
「馬天ヌル様の娘さんです」
「ほう、そうじゃったのか。勇ましい姿じゃのう」と長老はササを見て笑ってから、「サミガー大主からもらった刀はわしの守り刀として大事にしておるよ」と言った。
「しかし、あれはかなり前の事じゃ。そなたがどうしてそんな事を知っているんじゃ?」
 ササは笑って、「長老様の顔を見た途端、お爺が長老様に刀を贈った場面が見えたのです」と言った。
「ほう」と言って、長老はササを見つめた。
「大事にしていただき、お爺に代わってお礼を申します」
 ササはそう言って、ヤマトゥ旅の話の続きを話し始めた。
 ササたちは具志頭ヌルの案内で、グスク内のウタキを拝むと帰って行った。
 寄立大主はササがどうして、刀の話をしたのか気になって、刀掛けに飾ってある刀を改めてよく見た。時々、手入れはしているが、実戦に使っていないので、研ぎには出していなかった。
 もしや、茎(なかご)に何か隠されているのかと思って、目釘を抜いて柄(つか)をはずすと、小さな紙が茎に巻いてあった。紙を開いてみると、サミガー大主の字で、『いつの日か、倅か、孫がそなたのお世話になるかもしれない。その時はよろしくお願い申す』と書いてあった。
 寄立大主は懐かしいサミガー大主の字を見ながら目が潤んでいた。
 この刀をもらったのは、サミガー大主の息子が佐敷按司になったお祝いに行った時だった。大した物を贈ったわけでもないのに、立派な刀をお返しにくれた。喜んで受け取ったが、この刀にはこういう意味があったのかと、今、ようやくわかった。倅でも孫でもなく、曽孫(ひまご)が具志頭にやって来るなんて、サミガー大主もあの世で驚いている事だろう。
 寄立大主は紙を元に戻して目釘を打つと、刀を刀掛けに置いて、両手を合わせた。

 

 

 

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