長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-136.小渡ヌル(改訂決定稿)

 シタルー(先代山南王)が亡くなってから二か月近くが経っていた。
 タブチ(先々代八重瀬按司)はチヌムイを連れて琉球から去り、八重瀬(えーじ)グスクはタブチの娘婿のマタルー(中山王思紹の四男)が入って、八重瀬按司を継いだ。具志頭(ぐしちゃん)グスクにも娘婿のイハチ(サハチの三男)が入って、具志頭按司を継いだ。
 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでは摩文仁(まぶい)(先代米須按司)が山南王(さんなんおう)になって、豊見(とぅゆみ)グスクの他魯毎(たるむい)(シタルーの長男)と対抗している。
 他魯毎は明国(みんこく)から帰って来た進貢船(しんくんしん)を手に入れて、糸満(いちまん)の港も支配下に入れ、何と言っても山南王の『王印』を持っていた。どう見ても、他魯毎の方が圧倒的に有利なのだが、摩文仁は降参しなかった。
 摩文仁の山南王就任の儀式が行なわれた日、島尻大里グスクは他魯毎の兵に囲まれた。翌日の早朝、摩文仁他魯毎の陣地を攻めたが、逆に攻められて、グスクに逃げ込んだ。これで、摩文仁の兵はグスク内に閉じ込められたかと思われたが、翌朝、他魯毎の兵は摩文仁の兵に攻められて包囲陣は壊滅した。
 島尻大里グスクに抜け穴がある事を知った他魯毎は島尻大里グスクを攻めるのをやめて、糸満の港を守るために、照屋(てぃら)グスクと国吉(くにし)グスクをつなぐ長い防壁を築き始めた。摩文仁は防壁造りをやめさせるために何度も攻撃をしたが守りは堅く、防壁は完成してしまった。
 摩文仁は裏でも色々と動いていた。兼(かに)グスク按司(シタルーの次男)、保栄茂按司(ぶいむあじ)(シタルーの三男)、長嶺按司(ながんみあじ)(シタルーの娘婿)、本部(むとぅぶ)のテーラー(山北王の重臣、瀬底之子)を味方に引き入れようとしていて、保栄茂按司を保栄茂グスクに戻す事に成功していた。
 保栄茂按司の妻のマサキ(山北王の長女)は豊見グスクに来てから一月余りが過ぎて、王妃と一緒なので気疲れしていた。早く保栄茂グスクに帰って、ゆっくりしたいと思っていた。保栄茂按司の側近の前原之子(めーばるぬしぃ)も、ここにいると息が詰まると言ってマサキをそそのかした。前原之子は武術師範の真壁大主(まかびうふぬし)の次男で、摩文仁から保栄茂按司を保栄茂グスクに戻すように頼まれていたのだった。
 マサキは他魯毎に相談した。糸満の港を守るために八百の兵がいるのだから帰っても大丈夫だろうと他魯毎は許可を出した。マサキは喜んで、保栄茂按司テーラーを連れて保栄茂グスクに戻った。
 保栄茂按司が戻った事を知った王妃は怒った。摩文仁は保栄茂按司を狙っているから危険だと他魯毎を責めたが、他魯毎は大丈夫だと言って撤回はしなかった。山南王になったのに、すべての事を王妃が決めてしまうので、他魯毎は母親に反感を抱いていたのだった。
 保栄茂按司が保栄茂グスクに戻るのと同じ頃、摩文仁は甥のイシムイ(武寧の三男)に賀数(かかじ)グスクを攻めさせて、イシムイは見事に攻め落としていた。
 賀数大親の長男は摩文仁の兵の反撃に遭って戦死した。賀数大親糸満の港を守るために出陣していて、賀数グスクを守っていたのは次男だった。次男の妻のマニーは真栄里按司(めーざとぅあじ)の娘で、以前から離縁したいと願っていた。嫁いで五年になるが、どうしても相手が好きになれず、子供もいない。重臣同士の婚姻で世間体もあるので、父は許さなかった。そんな父が離縁を許すから内通しろと言ってきたのだった。
 マニーは喜んで引き受けて、イシムイの兵をグスク内に誘い込んで賀数グスクは落城した。夫は殺されたが、悲しみの感情はわかず、ようやく解放された喜びが込み上げていた。イシムイは賀数グスクを本拠地にして、賀数按司を名乗った。
 賀数グスクを敵に奪われて、保栄茂グスクが危険だと感じたテーラーは李仲按司(りーぢょんあじ)と相談して、豊見グスクと保栄茂グスクの中程にある山の上にグスクを築き始めた。この山を敵に奪われたら豊見グスクと保栄茂グスクが分断される恐れがあった。
 テーラーはまだ摩文仁の誘いには乗っていなかった。今の状況では山北王(さんほくおう)の兵が来たとしても、摩文仁に勝ち目はないと思っていた。山北王の兵が海上から攻めて、糸満の港を奪い取れたとしても、糸満グスク、兼グスク、照屋グスクの三つのグスクを落とすのは難しい。豊見グスクを攻めたとしても、中山王(ちゅうさんおう)が介入して来るだろう。まずは、他魯毎を山南王にして、その後の様子を見て、保栄茂按司に挿(す)げ替えた方がいいだろうと思っていた。
 李仲按司テーラーの意見に賛成しながらも、保栄茂按司テーラーを切り離そうと考えていた。グスクが完成したら、テーラーと山北王の兵を新しいグスクに移して、保栄茂グスクには豊見グスクの兵を入れようと決めた。李仲按司は島尻大里グスクの抜け穴の出口を探していたが、見つける事はできなかった。
 テーラーが新しいグスクを築いている事を知ると、イシムイは摩文仁と相談して、賀数グスクの東にある當銘蔵森(てぃみぐらむい)と呼ばれている山にグスクを築き始めた。當銘蔵森は昔、舜天(しゅんてぃん)(初代浦添按司)の息子がグスクを築いたという伝説のある山だった。


 十二月も半ばになって、ヤマトゥ(日本)からの商人たちが続々とやって来た。浮島(那覇)は賑わい、首里(すい)の役人たちも忙しくなっていた。他魯毎の配下の役人たちも糸満の港と国場川(くくばがー)で、ヤマトゥの商人たちと取り引きを始めていた。久米村(くみむら)もヤマトゥの商人たちと取り引きをしているので、ファイチ(懐機)は久米村に帰っていた。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は思紹(ししょう)(中山王)と一緒に絵地図を見ながら、龍天閣(りゅうてぃんかく)で奥間大親(うくまうふや)の報告を聞いていた。
「イシムイもとうとう按司になったか」とサハチは苦笑した。
テーラーもグスクを持ちそうじゃな」と思紹は言った。
テーラーのグスクは石屋のテスが築いています。そして、當銘蔵森のグスクは親方のテサンです」と奥間大親が説明した。
「石屋を味方に組み込まなければなりませんね」とサハチは思紹に言った。
「そうじゃな。テスはそのまま他魯毎に仕えるじゃろうから、テサンの配下の石屋たちをクムンの配下にしなくてはならんな」
「テハは今、どこにいるんだ?」とサハチは奥間大親に聞いた。
「テハは豊見グスクの城下で、シタルーの側室だったマクムと暮らしております」
「マクムというのはウニタキ(三星大親)の配下じゃったな」と思紹がサハチに聞いた。
「そうです。テハを使って、石屋たちをクムンのもとへ連れて行けばいい」
「テハは使えそうか」と思紹は奥間大親に聞いた。
「使えるかもしれませんが、山南王妃に筒抜けになると思います」
「そうか。シタルーの配下だった石屋を取ろうとすれば気を悪くするな」
「グスクを造っているなら、人足(にんそく)を送り込みましょう」とサハチは言った。
「クムンが今、中山王に仕えている事を教えて、クムンのもとに行きたいように仕向けたらどうです。グスクが完成したら、クムンのもとに送ります」
「そうじゃな。ウニタキはヤンバル(琉球北部)に行っているが大丈夫か」
「チュージに頼みます」
「そうか。頼むぞ」
 玻名(はな)グスクを包囲して半月が経つが、状況に変化はなかった。中座按司(なかざあじ)(玻名グスク按司の弟)も懲りたとみえて、攻めては来なかった。
 忘れ去られたウタキ(御嶽)を巡ったあと、ササたちは玉グスクヌルと一緒に、改めてウタキを綺麗にして、セーファウタキ(斎場御嶽)に行って豊玉姫(とよたまひめ)の神様の話を聞いた。
 どうして、そんな大事なウタキの事を教えてくれなかったのですかとササが聞くと、教えられた事はすぐに忘れてしまう。自分で気づく事が肝心なのよと言われたという。そして、忘れ去られた古いウタキを復活させるのも、あなたたちのお役目なのよと豊玉姫に言われて、ササたちはユンヌ姫と一緒に、古いウタキ探しに熱中しているようだった。
 思紹と別れて、サハチは城下の『まるずや』に向かい、店主のトゥミと会って、チュージを呼んでもらった。店の裏にある屋敷でチュージと会って、當銘蔵森のグスクに入れる人足の事を頼み、店に顔を出すと、五歳くらいの娘を連れた女とトゥミが話をしていた。
 女が言った『今帰仁(なきじん)』という言葉が気になって、サハチは密かに母子(おやこ)を観察した。見た感じはウミンチュ(漁師)の母子という感じだが、どことなく上品さが感じられ、ただ者ではないような気がした。トゥミが女に頭を下げて、サハチの所に来たので、誰だと聞いてみた。
「お得意さんですよ。小渡(うる)ヌル様です」とトゥミは言った。
 サハチは驚いて、改めて小渡ヌルを見た。
今帰仁に里帰りをしていて、今日、帰って来たばかりだそうです。お土産をいただきました」
 そう言ってトゥミは風呂敷包みをサハチに見せた。
「この店によく来ていたのか」
「お祭り(うまちー)の時には必ず、寄ってくれます。年に四、五回は来ていましたが、米須(くみし)に『まるずや』ができてからは、年に二、三回になりました。お祭りが好きで、島添大里(しましいうふざとぅ)や佐敷にも行くようです。お頭(かしら)から聞いて驚きましたが、山北王の従妹(いとこ)なんですってね。耳を疑いましたよ。本当に気さくで、とてもいい人です」
 サハチは小渡ヌルの買い物が終わるのを待って、一緒に店を出て、声を掛けた。
按司様(あじぬめー)」と言って小渡ヌルは笑った。
「俺を知っているのか」
「島添大里のお祭りで何度か、お見かけしました」
「そうか。今帰仁から帰って来たのか」
「はい。母の里帰りがようやくできました」
「お母さんは置いてきたのか」
「ええ。こっちに帰ったら、また伯父に利用されますから」
「そなたは大丈夫なのか」
「わたしの故郷(うまりじま)は今帰仁ではありません。越来(ぐいく)です」
「越来に帰りたいのか」
 小渡ヌルはサハチを見て笑って、首を振った。
「今では越来より小渡の海の方が故郷のようです。この子の故郷ですから」
 サハチが娘を見ると、娘は可愛い顔をして笑った。名前を聞いたら恥ずかしそうに、ユイと答えた。
「これから小渡に帰るのか」とサハチは小渡ヌルに聞いた。
「島添大里に行って、お師匠に挨拶しようと思っています。馬天(ばてぃん)ヌル様に会ってしまったので、お師匠もわたしの正体を知ってしまったでしょう。改めて、挨拶に参ります。それと、山北王の娘のマナビーが按司様の息子さんに嫁いだと聞きました。今帰仁でマナビーの話を聞いて会ってみたいと思いました」
「そなたならマナビーと気が合いそうだな。俺もこれから帰る所だ。一緒に行こう。歓迎するよ」
 小渡ヌルは娘と一緒に喜んだ。サハチたちは馬に乗って島添大里に向かった。
 佐敷ヌルはサスカサ(島添大里ヌル)の屋敷で、お芝居『豊玉姫』の台本を書いていた。セーファウタキに通って豊玉姫の神様から当時の様子を詳しく聞いて、楽しいお芝居を作ると張り切っていた。サハチが連れて来た小渡ヌルを見ると驚いて、「あら、小渡ヌルじゃない。お久し振りね」と笑った。
「覚えていてくれたのですね」と小渡ヌルは嬉しそうな顔をして言った。
「勿論、覚えているわよ。住み込みでお稽古に励んだのはあなたしかいないもの。あなたがマユの面倒を見てくれたので、随分と助かったのよ。あなたがいなくなったあと、マユはしばらく、しょんぼりしていたわ」
「マユちゃん、お元気ですか。もう随分と大きくなったでしょうね」
「今年からヌルになるための修行を始めたのよ」
「そうなんですか」と小渡ヌルは驚いていた。
「あのあと、ヂャンサンフォン(張三豊)様のもとでも修行を積んだんですってね」
「はい。八重瀬の若ヌルからヂャンサンフォン様のお話を聞いて、わたしも修行させていただきました」
「わたしも按司様もヂャンサンフォン様の弟子なのよ。あなたを歓迎するわ」
 佐敷ヌルの屋敷に行って、小渡ヌルはユリとハルとシビーと会った。三人はお芝居に使う音楽を明国の楽譜を真似して、楽譜に移していた。今まではユリが笛を吹いて皆に教えていたが、お芝居が増えて、ユリもどれがどれだかわからなくなってきていた。主要な節(ふし)を楽譜にして書き留めておけばわかるので、お芝居の台本に楽譜を書いて、整理をしていた。
 佐敷ヌルが小渡ヌルを紹介すると三人は作業をやめて、小渡ヌルを歓迎した。マユもサスカサと一緒に来て、小渡ヌルとの再会を喜んだ。小渡ヌルを知っている女子(いなぐ)サムレーたちも集まって来て、懐かしそうに話をした。ミーグスクからマナビーもやって来た。小渡ヌルとマナビーは初対面だったが、今帰仁の様子や山北王の事を話すと、マナビーは親戚が近くにいた事を喜んだ。
 夕方になって娘たちの稽古が始まると小渡ヌルも一緒に参加した。
 娘たちの稽古が終わると小渡ヌルを囲んで酒盛りが始まった。小渡ヌルもお酒が好きなようで、楽しそうに飲んでいた。娘のユイはナツが一の曲輪(くるわ)の屋敷に連れて行って、サハチの子供たちと遊ばせた。
 ギリムイヌル(先代越来ヌル)が来て、懐かしそうに小渡ヌルと昔話に花を咲かせていたが、
按司様に聞きたい事があったのです」と小渡ヌルが急にサハチに言った。
「わたしの父(先々代越来按司)の事です。父は病死と公表されましたが、実は何者かに殺されたのです。父の兄の中山王(武寧)に報告したら、病死という事にしろと言われて、そのようにしましたが、結局、誰に殺されたのかわからないままなのです。もしかしたら、按司様はその事について、何か知っているのではありませんか」
「まさか、俺を疑っているのか」とサハチは聞いた。
「父が殺される一か月前、中グスク按司が殺されています。中グスク按司と山南王(シタルー)が同盟して、その婚礼の日に殺されました。中グスク按司の死と父の死はつながっているような気がします。そして、今、中グスクも越来も、按司様の身内の方が按司になっています」
 佐敷ヌルが驚いた顔をして小渡ヌルを見て、「それを調べるために、わたしに近づいて来たの?」と聞いた。
「ヌルとして佐敷ヌル様に憧れたのは本当です。でも、剣術を身に付けたのは敵討ちのためでもあります。ここに住み込めば、色々な事がわかるだろうと思ったのです」
「それで、何かわかったの?」
 小渡ヌルは首を振った。
按司様の評判はよくて、父を殺すような人ではないとわかりました。でも、完全に疑いは晴れないのです。父はなぜ、死ななくてはならなかったのか。越来按司(ぐいくあじ)を継いだ弟は南風原(ふぇーばる)で戦死して、その下の弟たちは仲宗根大親(なかずにうふや)に殺されました。残っているのはわたしと北谷按司(ちゃたんあじ)に嫁いだ末の妹だけです。何としても真相が知りたいのです」
「『まるずや』の主人のウニタキを知っているだろう」とサハチは小渡ヌルに言った。
「はい、存じております。『まるずや』の御主人というのは表の顔で、裏の顔もあるような気がします」
 サハチは笑った。
「それで、山北王の書状をウニタキに託したのか」
 小渡ヌルはうなづいた。
「『望月党(もちづきとー)』というのを知っているか」
 小渡ヌルは首を振った。
「『望月党』というのは勝連(かちりん)の裏の組織だ。敵の情報を集めたりするだけでなく、数多くの暗殺もやって来た恐ろしい集団なんだ。ウニタキは勝連按司の三男で、妻は先代の中山王の娘だった。ウニタキは今帰仁の合戦の時に水軍として活躍して、その名が知れ渡った。二人の兄はウニタキの活躍を妬んで、望月党に暗殺を頼んだんだ。望月党は山賊を装ってウニタキを襲撃した。ウニタキは何とか逃げる事ができたが、妻と娘は殺された。ウニタキは佐敷に逃げて来て、自分は死んだ事にして妻と娘の敵討ちを誓ったんだ。ウニタキがいなくなって、今度は長男の勝連按司と次男の江洲按司(いーしあじ)が争いを始めた。望月党も分裂して、兄と弟が対立したんだ。勝連按司の妻の父親は中グスク按司だった。江洲按司は望月党に命じて中グスク按司を殺させた。江洲按司の妻の父親は越来按司だった。今度は、勝連按司が望月党に命じて、越来按司を殺させたというわけだ。ウニタキは妻と娘の敵を討つために、じっと機会が来るのを待っていた。望月党が分裂して争いを始めて、勢力が弱まった所に総攻撃を掛けて、望月党を壊滅したんだよ」
「勝連だったのですか‥‥‥確か、父が殺されたあと勝連按司も亡くなっていますが、それも望月党の仕業だったのですか」
「そうだ。江洲按司に付いた望月党に殺されたんだよ」
「ウニタキさんが父の敵を討ってくれたのですね?」
 サハチはうなづいた。
「ありがとうございます」と言いながら、小渡ヌルは涙を流していた。
「あなたも苦労して来たのね」と佐敷ヌルが小渡ヌルに言った。
「これからは一人で悩んでいないで、わたしたちに相談してね」
「お師匠‥‥‥」と小渡ヌルは言ったが、佐敷ヌルは首を振って、「あたしたちのお師匠はヂャンサンフォン様よ。あたしたちは同門の弟子なのよ」と笑った。
 ササたちが賑やかに現れた。
按司様、何でこんな所でお酒を飲んでいるのよ。みんな、寒い中、戦をしているのに」とササは言って、サハチの酒を取り上げると、「喉が渇いたわ」と言って一息に飲み干した。
 小渡ヌルが驚いた顔をしてササを見ていた。
「馬天ヌルの娘のササだよ」とサハチはササを紹介した。
「丸太引きのお祭りで拝見しております」と小渡ヌルは言った。
「佐敷のお祭りの「瓜太郎(ういたるー)」も観ました。凄い人だと思っていました。近くで見ると、やっぱり凄いですね」
「ああ、凄い飲みっぷりだよ」とサハチは笑った。
 ササは小渡ヌルを見て、「どこかで会ったような気がするんだけど」と首を傾げた。
「米須(くみし)の近くの小渡(大度)のヌルだよ。ヂャンサンフォン殿と旅をした時、小渡にも行ったんじゃないのか」
「あの時、具志頭(ぐしちゃん)、玻名グスク、そして、米須に行ったんだけど、その時は会っていないわ」
「そこの物見櫓(ものみやぐら)です」と小渡ヌルが言った。
「ササ様が物見櫓の上で景色を眺めていました。わたしが登ってもいいですかと聞いたら、いらっしゃいとおっしゃって、わたしも登って景色を楽しみました。ササ様は西の方を眺めながら、時々、明国に行った按司様の姿が見えるとおっしゃいました。わたしはまさかと思いましたが、ササ様は按司様が仙人と出会って、凄い岩山に登っているとおっしゃいました。その仙人がヂャンサンフォン様の事だとあとになってわかりました」
 ササは思い出したらしく、「あの時の居候(いそうろう)の人だったのですね」と笑った。
「古いウタキは見つかったのか」とサハチはササに聞いた。
「そう簡単には見つからないわよ。玉グスク、垣花(かきぬはな)、知念(ちにん)、あの辺りのウタキを巡っていたのよ。ウタキ巡りをしてみて、やっと、お母さんがウタキを巡っている意味がわかったわ。あたしは今まで、偉大な神様ばかりを追っていたけど、名もない神様がいっぱいいる事に気づいたの。戦によって滅ぼされた一族もいっぱいいて、忘れ去られたウタキもいっぱいあるわ。今でもヌルたちがお祈りをしているけど、どんな神様だかわからないウタキも多いのよ。神様のお話を聞いても、いつの頃のお話なのか、よくわからない。あたしももっと学ばなければならない事が多いって実感したわ」
「二千年の歴史があるからな。いつの頃の神様なのかを見つけるのは大変だろう」
「二千年?」と小渡ヌルが聞いた。
琉球の御先祖様のアマミキヨ様が南の国(ふぇーぬくに)からやって来たのが二千年前の事らしい」
「二千年ですか」と小渡ヌルは驚いて、「わたしもウタキ巡りに連れて行って下さい」とササに頼んだ。
「一緒に行きましょう」とササは笑って、小渡ヌルと乾杯をした。


 その頃、鬼界島(ききゃじま)(喜界島)ではヤマトゥに行った船がなかなか帰って来ないと湧川大主(わくがーうふぬし)が気をもんでいた。
 奄美按司の報告だとヤマトゥの船は続々やって来ていて、琉球に向かっているという。もしかしたら、仲間の知らせで待ち伏せを知って、鬼界島に寄らずに、そのまま琉球まで行ったのかもしれなかった。琉球まで行ったら、夏になるまで帰っては来られない。
 湧川大主はあとの事を鬼界按司になった一名代大主(てぃんなすうふぬし)に任せて、引き上げる事にした。百人の兵を残し、島の若い者たち百人も鍛えてあるので大丈夫だろう。すでに、浦添(うらしい)ヌルのマジニは奄美大島(あまみうふしま)の赤木名(はっきな)に送ってあった。
 マジニと過ごした日々は楽しかった。マジニは何度もウタキに籠もって、生まれ変わったかのように明るくなっていった。別れるのは辛かった。一緒に連れて帰りたかったが、二年間で若ヌルを立派なヌルに育てて、運天泊(うんてぃんどぅまい)に帰るから待っていてとマジニは言った。
「二年は長すぎる。一年にならないか」と湧川大主は言った。
「一年じゃ無理よ」とマジニは言ったが、浦添のヌルと違って、島のヌルなら一年でも大丈夫かなと思い、「早く終わったら、早く帰るわ」と言った。
 湧川大主はうなづいて、マジニを強く抱きしめて別れた。
 ヤマトゥに行った船が帰って来た時の手筈を改めて確認して、湧川大主は鬼界按司と別れて、今帰仁へと帰った。

 

 

 

草津温泉膝栗毛 冗談しっこなし