長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-146.若按司の死(改訂決定稿)

 山南王(さんなんおう)に就任した他魯毎(たるむい)は豊見(とぅゆみ)グスクから島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに引っ越しを始めた。すぐ下の弟、兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)が豊見グスクに移って、豊見グスク按司を名乗り、四男のシルムイが阿波根(あーぐん)グスクに入って、阿波根按司(あーぐんあじ)を名乗った。今まで阿波根グスクの当主は兼グスク按司を名乗っていたが、ンマムイも兼グスク按司を名乗っていて、紛らわしいので阿波根按司を名乗る事にしたのだった。
 先代王妃のトゥイは島尻大里グスクに戻りたくはなかったが、王妃のマチルーに頼まれて、マチルーが王妃の職務に慣れるまで島尻大里グスクにいる事にした。家臣やその家族たちも引っ越しをするので、豊見グスクと島尻大里を結ぶ街道は行き来する人々で溢れていた。
 避難していた城下の人たちも戻って来て、長い戦が終わった事を喜び合って、以前のごとく、城下は賑わいを取り戻していた。豊見グスクの城下に避難していた『よろずや』も戻ったが、八重瀬(えーじ)の城下に避難していた『まるずや』は戻らず、そのまま八重瀬の城下に店を開いていた。


 山グスクの大岩の上で、サハチ(中山王世子、島添大里按司)から『ミャーク(宮古島)』の事を聞いたササ(馬天若ヌル)たちは泊(とぅまい)に行って、『ミャーク』の事を調べた。泊の黄金森(くがにむい)にミャークの人たちが利用していた屋敷が残っていて、近所の老人に聞くと、二十年くらい前まで、ミャークの人たちが夏に来て、冬まで滞在していたが、その後、来なくなって、今は物置になっているという。
 大将はミャークの大戦(うふいくさ)で活躍したサムレーで、その戦で大怪我を負って、あの世へ行って舞い戻って来た。背中に大きな刀傷があって、よく生き返ったものだと老人は感心したという。大将の妹のヌルは色白の美人で、神々しいヌルだった。タカマサリという歌のうまい人がいて、海を見ながら歌っていたのを今でも思い出す、と老人は海を眺めながら言った。
「ミャークの人で、琉球で亡くなった人はいませんか」とササが聞くと、老人は少し考えてから、
「そう言えば、船頭(しんどぅー)さんが亡くなった事がありました」と言った。
「お酒を飲んでいて、突然倒れて、そのまま亡くなったそうです。皆、悲しんでおりました。ヌル様がミャークが見える南の地に葬りましょうと言って、南部の喜屋武(きゃん)の方に葬ったって聞きました」
 ササたちはその話を聞いてうなづき合った。山グスクの南の海辺の崖の上にあったウタキ(御嶽)に違いなかった。
 ササたちは老人にお礼を言って、首里(すい)に向かった。首里グスクの北の御殿(にしぬうどぅん)に行って、交易担当の安謝大親(あじゃうふや)と会った。安謝大親に『ミャーク』の人たちの事を聞くとよく覚えていた。
 安謝大親が担当になって、ミャークの人たちの世話をしたという。大将は与那覇勢頭(ゆなぱしず)という武将で、およそ五十人を連れてやって来た。言葉が通じないので、泊に屋敷を建てて滞在して、言葉を覚えてから中山王(ちゅうさんおう)の察度(さとぅ)と会って、交易をして帰って行った。その翌年、近くにあるという八重山(やいま)と呼ばれる島々から、その首長たちを連れてやって来た。それからは一年おきに来ていたが、察度が亡くなって、武寧(ぶねい)(先代中山王)の代になると来なくなってしまったという。
「ミャークの近くにも島があるのですか」とササは安謝大親に聞いた。
「いくつも島があるようじゃな」と言って、安謝大親は絵図を広げて見せてくれた。
「与那覇勢頭から聞いて、わしが書き加えたんじゃよ」
 絵図を見ると、琉球の南西にミャーク(宮古島)があり、その西にイラウ(伊良部島)、タラマ多良間島)、イシャナギ(石垣島)、クンジマ(西表島)、ドゥナン(与那国島)、小琉球(台湾)とあって、小琉球の隣りに明国(みんこく)の大陸があった。イシャナギとクンジマの間にも小さな島がいくつもあった。
 ササは絵図を見ながら、行ってみたいと思っていた。
「アマンの国はないの?」とササは聞いた。
「アマンの国?」と安謝大親は首を傾げた。
アマミキヨ様の国です。アマミキヨ様は南の島(ふぇーぬしま)からやって来られました」
「この絵図には描いてないが、小琉球の南にもいくつも島があるらしい。その中の島が、昔、アマンと呼ばれていたのかもしれんな」
 小琉球の下の方に、ジャワの島と旧港(ジゥガン)(パレンバン)がある島が描いてあった。スヒターたちとシーハイイェン(施海燕)たちは元気でいるかしらと思いながら、視線を上げて、ミャークを見た。
「ミャークまで、どのくらいで行けるのですか」
「風に恵まれれば、一昼夜で来られるようじゃ。ただ、途中に島は一つもない。方向を間違えば遭難してしまう危険があるという」
「ミャークの人たちはどうやって琉球に来たのですか」
「昼は『サシバ』が行く方角を目指して、夜になったら星を見て方角を確認したと言っておったのう」
「成程、『サシバ』か。サシバは九月に南の島に行って、四月に琉球を通ってヤマトゥ(日本)の方まで行くのね」
「ミャークに行くつもりなのですか」と安謝大親は聞いたが、ササは答えず、
「どうして、ミャークの人たちは来なくなったのですか」と聞いた。
「先代の王様(うしゅがなしめー)(武寧)が彼らを怒らせてしまったのじゃよ。先々代の王様(察度)は、遠くからよくやって来てくれたと歓迎したんじゃが、先代は船乗りの気持ちなどわからず、貝殻しか持って来ないのなら、わざわざ来る必要もないと酔った勢いで言ってしまったんじゃ。十五夜(じゅうぐや)の宴(うたげ)の時で、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)様から小言を言われた腹いせに、そんな事を言ってしまったんじゃろう。わしは気にするなと言ったんじゃが、それ以来、来なくなってしまったんじゃよ」
「そうだったの。貝殻ってシビグァー(タカラガイ)の事?」
「そうじゃ」
「朝鮮(チョソン)に持っていけば売れるのに。朝鮮の娘たちの間でシビグァーが流行っているのよ」
「そうなのですか。シビグァーは明国でも喜んで取り引きしてくれます。何でも、シャム(タイ)という国ではシビグァーが銭(じに)の代わりに使われているようじゃ」
「えっ、シビグァーが銭なの?」とササたちは驚いた。
「シャムの国ではシビグァーは採れないらしくてのう、市場ではシビグァーを使って物の売り買いをしているようじゃ」
「へえ、そんな国があるんだ。シャムの国にシビグァーを持って行けば稼げるわね。シャムの国ってどこにあるの?」
 安謝大親が示した所を見ると、明国の南に飛び出した半島があって、その付け根の辺りにシャムの国があった。旧港の北の方にあるので、シーハイイェンなら詳しい事を知っていそうだった。
 ササたちは安謝大親と一緒に書庫(しょこ)に行って、ミャークに関する記録を見せてもらった。
 安謝大親が去ったあと、
「ねえ、ササ、ミャークに行くつもりなの?」とナナが聞いた。
「行かなければならないような気がするの」
アマミキヨ様がミャークから来たの?」とシンシン(杏杏)が聞いた。
「それは行ってみないとわからないわ」
お船はどうするの。王様(うしゅがなしめー)に出してもらうの?」とナナが聞いた。
「シビグァーのために王様がお船を出してはくれないわよ。愛洲(あいす)のジルーに頼んでみるわ」
「でも、ミャークに行くとしたら九月なんでしょ。ジルーは五月に帰ってしまうんじゃないの?」
「何とか、引き留めなくちゃね」
 ナナは笑って、「女子(いなぐ)サムレーのミーカナとアヤーも一緒に行くって言えば、ゲンザ(寺田源三郎)とマグジ(河合孫次郎)は一緒に行くわね」と言った。
「えっ、どうして?」とササが聞くと、
「ササは気づかないの?」とシンシンが笑った。
「ゲンザはミーカナが好きで、マグジはアヤーが好きなのよ。仲よく、お互いの言葉を教え合っているわ」
「そうだったの。それで、ジルーは誰なの?」
 ナナとシンシンは顔を見合わせて、「ササに決まっているじゃない」と言った。
「ジルーはササに負けてから、ササの態度が変わってしまったので、ササより強くなろうと右馬助(うまのすけ)様に師事して厳しい修行をしているのよ」とナナが言った。
「愛洲の人たちが修行しているのは知っているけど、ジルーはそんな修行をしていたの?」
「ジルーはササのマレビト神だと思うわ」とシンシンが言った。
「そうなのかしら?」とササはナナとシンシンを見た。
 二人ともササを見て、力強くうなづいた。


 下のグスクを奪い取った山グスクでは、上のグスクを攻め落とす準備が着々と進んでいた。
 ウニタキ(三星大親)が率いる『三星党(みちぶしとー)』と奥間(うくま)のサンルーが率いる『赤丸党(あかまるとー)』の者たちが、上のグスクへと続いている崖に鉄の杭を打って、足場を作って登り、一番上の杭に綱を縛り付けて下に垂らした。その綱を登って行けば兵たちも上に登れるようになっていた。
 下のグスクと上のグスクをつなぐ通路は崖の左側にあって、石段が続いていた。上のグスクへの入り口は厳重に警戒されて、近づけば弓矢が雨のように降って来た。下のグスクには井戸があるが、上のグスクには井戸はないので、今の状態のまま放っておいても、上のグスクは落城するが、のんびりと干上がるのを待ってもいられなかった。戦のけりを早く付けて、進貢船(しんくんしん)とヤマトゥへ行く交易船の準備を始めなければならなかった。
 下のグスクが落城してから三日後の十八日の早朝、総攻撃が行なわれた。
 北谷按司(ちゃたんあじ)の兵が下のグスクを守って、ンマムイ(兼グスク按司)の兵が崖をよじ登る。苗代大親(なーしるうふや)の兵と勝連(かちりん)若按司(ジルー)の兵は、上のグスクを包囲している外間親方(ふかまうやかた)、小谷之子(うくくぬしぃ)、浦添(うらしい)若按司(クサンルー)の兵と合流した。
 山グスクにいた兵はおよそ百人で、三十人は女子供を護衛して抜け穴から出ている。下のグスクで三十人が戦死しているので、上のグスクにいる兵は四十人だった。四十人の兵を倒すのに、何百もの兵が突入したら、返って味方の兵が邪魔になるので、突入するのは苗代大親の兵五十人と外間親方の兵五十人だけにした。残りの兵はグスクを包囲したまま待機していて、サハチの指示によってグスク内に突入する事になっていた。
 サハチは大御門(うふうじょー)(正門)の前に立つ櫓(やぐら)の上にいて、中の様子を見ながら兵たちを指揮した。サハチと一緒に馬天(ばてぃん)ヌルと安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、若ヌルのマユもいた。
「ようやく、戦も終わるわね」と馬天ヌルが言った。
「山グスク按司(真壁按司の弟)はどうして投降しないのかしら?」と安須森ヌルが兄のサハチに聞いた。
「親父と兄貴は殺された。自分も殺されると思っているんだろう。どうせ死ぬのならサムレーらしく戦って死のうと思ったのに違いない。それに、中座按司(玻名グスク按司の弟)も一緒にいる。中座按司も親父と兄貴は死んでいるし、奴には帰る場所もない。中座按司が山グスク按司を道連れにしたのかもしれんな」
 東の海が明るくなってきた。マユがひざまづいて、朝日に向かってお祈りを始めた。マユを見ながら安須森ヌルと馬天ヌルは笑って、一緒にお祈りをした。
 お祈りはヌルたちに任せて、サハチはグスク内を見つめた。
 東曲輪(あがりくるわ)の大御門の上の櫓に二人、石垣の上に六人、曲輪内の中程にある岩の上に二人の兵がいた。中央の曲輪の石垣の上に五人、西曲輪(いりくるわ)の石垣の上に五人の兵がいた。合わせて二十人、あとの二十人は休んでいるのだろう。
 東曲輪の裏の石垣にいた敵兵二人が倒れた。ウニタキたちが崖を登って侵入したようだった。中程の岩の上にいた敵兵の一人が倒れて、もう一人が弓矢を構えて反撃をした。
 サハチは合図の旗を振った。苗代大親の兵と外間親方の兵が楯を構えながら大御門に近づいて行った。石垣の上の敵兵が弓矢を撃ち始めた。味方の兵も石垣の上の兵を狙って弓矢を撃った。敵兵が法螺貝を吹いて総攻撃を知らせた。東曲輪の中程にある岩の上に赤丸党の者が現れて敵を倒し、弓矢を構えて石垣の上の兵を狙った。赤丸党の者が屋敷の陰から現れて、大御門に向かった。一人が弓矢にやられて倒れたが、三人の者が大御門の所まで来た。屋敷の中から敵兵が現れて、赤丸党の者たちと戦闘が始まった。
 早く大御門を開けなければ赤丸党の者たちが危ないとサハチは気を揉んだ。ンマムイが率いる兵が現れて、乱戦となった。
 ようやく、大御門が開いた。味方の兵がグスク内になだれ込んだ。敵兵は次々に倒されていった。
 八重瀬(えーじ)グスクのように屋敷が炎上する事もなく、戦は終わった。サハチはヌルたちと一緒に櫓から下りて、グスク内に向かった。
「ジルー、大丈夫か!」と誰かが叫んでいた。
 サハチは不吉な予感がして駆け寄った。大御門のそばでジルーが倒れていて、クサンルーが、「しっかりしろ!」と叫んでいた。ジルーの首の下、鎧(よろい)の真上に弓矢が深く刺さっていた。
「ジルー!」とサハチは叫んで、ジルーの上体を起こしたが、すでにぐったりとしていて、息はなかった。
「どうしてこんな事になったんだ?」とサハチはクサンルーに聞いた。
「もう戦は終わったと思って、ジルーと一緒にここまで来たら、突然、弓矢が飛んできて、よける間もなかったんです。その敵は俺が倒しました。あの岩の上から狙ったんです」
 クサンルーは涙を拭いて、岩の上を指差した。
 ジルーはサハチの息子のイハチより一つ年下で、チューマチより一つ年上だった。姉のユミが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの東曲輪で剣術の稽古をしている時、一緒に付いてきて、稽古が終わるまでイハチたちと一緒に遊んでいた。父親のサムが勝連按司の後見役になって勝連に移り、ウニタキの姪のマーシを嫁に迎えて、去年、長男が生まれたばかりだった。死ぬにはあまりにも早すぎた。
 サハチは馬天ヌルと安須森ヌルにジルーの事を頼んで、警戒しながら岩に近づいて倒れている敵兵を見た。まだ十七、八の若者で、右目に深く弓矢が刺さって死んでいた。他に二人の敵兵も倒れているので、ここの守備兵ではなく、屋敷から出て来た兵のようだった。身に付けている立派な鎧から、もしかしたら山グスクの若按司かもしれなかった。
 サハチは屋敷の中に入って、山グスク按司と中座按司の遺体を確認した。二人とも血だらけになって無残な姿で死んでいた。
「二人ともなかなか手ごわい奴じゃった」と苗代大親は顔に付いた返り血を拭きながら言った。
 サハチはうなづいて、苗代大親に勝連若按司の死を伝えた。
 苗代大親は驚いた顔をして、「何じゃと?」と聞き返した。
 サハチは首を振って、「若按司を戦死させてしまって、サムに会わせる顔がない」と苦しそうに言った。
「何と言う事じゃ」
 苗代大親は辛そうな顔をして屋敷から出て行った。
「ジルーが戦死したのか」とウニタキが聞いた。
 サハチはうなづいて、「御苦労だったな」とウニタキをねぎらった。
「『赤丸党』の者が一人戦死した」とウニタキは言った。
「サタルーは無事か」と聞くと、
「俺は大丈夫ですよ」とサタルーの声がした。
 振り返るとサタルーとサンルーがいた。
「お前たちのお陰で、戦は終わった。御苦労だった」
「これで胸を張って玻名(はな)グスクに行けます」とサタルーは言った。
 敵は全滅して、味方の兵の八人が戦死して、十一人が負傷した。戦には勝ったが、勝連若按司の戦死は非常に痛かった。


 二日後、勝連グスクで若按司の葬儀が行なわれた。突然の若按司の戦死に、城下の人たちも悲しんでいた。
 父親のサムは若按司の死にひどい衝撃を受けて呆然として、母親のマチルーは泣き崩れた。妻のマーシは悲しみのあまり寝込んでしまった。姉のユミもジルムイと一緒に来て、弟が戦死するなんて信じられないと泣き続けた。
 サハチとマチルギはみんなを慰める言葉を見つける事ができなかった。
 馬天ヌルは勝連の呪いはまだ解けていないのかもしれないと思って、翌日、安須森ヌルとササとサスカサ(島添大里ヌル)を呼んで、マジムン(悪霊)退治を行なったが、やはり、マジムンはいないようだった。
 若按司の息子はまだ二歳だった。サムの次男のサンルータを若按司にしようという意見も出たが、サムと同じ名前の孫には勝連按司の血が流れているので、重臣たちに推されて若按司となった。孫のためにも悲しみを乗り越えて、孫のサムが一人前になるまで頑張らなければならないとサムは言った。
 勝連で葬儀が行なわれた日、首里は丸太引きのお祭りで賑わった。長かった戦も終わって人々は陽気にお祭りを楽しんだ。
 安須森ヌルとユリを手伝って小渡(うる)ヌルもいた。小渡ヌルは娘のユイの父親だった摩文仁按司(まぶいあじ)を亡くしていて、ユイには父親はお船に乗って遠い所に行ったと説明していた。
 佐敷はナナに代わって佐敷ヌル(マチ)が出場した。佐敷ヌルは猛特訓を積んで丸太の上で華麗に飛び跳ねて頑張ったが、優勝したのはササの首里で、五年振りの優勝だった。この時、安須森ヌル、ユリ、小渡ヌルの三人は旧港のシーハイイェンから贈られた立派な馬に乗っていた。琉球の馬よりも大きく、観客たちは驚いて、それを見事に乗りこなしている三人に喝采を送った。
 山グスクは苗代大親今帰仁(なきじん)攻めのあと、山グスク按司になる事に決まって、それまでは首里の兵が交替で守る事になった。
 サハチは山グスクを遊ばせておくのは勿体ないので、今帰仁攻めのために特別な兵を編成して、山グスクで特訓させればいいと思紹(ししょう)(中山王)に言った。
 戦死した兵たちの葬儀を大聖寺(だいしょうじ)で行なったあと、サハチは思紹を連れて山グスクに行った。思紹は山グスクが気に入って、まさしく、ここはいい修行場になるとサハチの意見に賛成した。
 思紹は鉄の杭で作った足場を伝わって大岩に登った。その姿を見ながら、親父は若いなとサハチは笑って、思紹のあとを追った。
「先代の山田按司今帰仁グスク攻めの時、険しい崖をよじ登ってグスク内に潜入したと聞いている。ここで兵たちに崖をよじ登る訓練をさせよう」
 思紹は岩だらけの景色を眺めながら、そう言った。
「キラマ(慶良間)の島から身の軽い者たちを集めますか」とサハチが言うと、思紹は首を振って、
「与那原(ゆなばる)の者たちをそっくりここに移そう」と言った。
「えっ、サグルーたちをですか」とサハチは驚いた。
「そうじゃ。サグルーが『山グスク大親』になり、ジルムイ、マウシ、シラーの三人のサムレー大将が兵たちを鍛えるんじゃよ。ヂャンサンフォン(張三豊)殿にも手伝ってもらおう」
「お師匠もここが気に入ると思いますよ」
「そうじゃな。ここは明国の修行の山に似ているからのう」
「サグルーがここに来たら、与那原はどうします?」
「そうじゃのう。わしの一存では決められんが、伊是名(いぢぃな)のマウーはどうじゃろう。奴がグスク持ちになれば、伊是名の者たちもわしらに仕えてくれるじゃろう」
 伊平屋島(いひゃじま)は祖父のサミガー大主(うふぬし)の故郷なので、首里の城下に住み着いている者も多いが、伊是名島の者たちは遠慮をしているのか、あまり多くはなかった。マウーが与那原大親になれば、伊是名島の人たちも与那原の城下にやって来るかもしれなかった。
「伊是名親方なら安心して与那原を任せられます」とサハチは思紹の意見に同意した。