長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-155.大里ヌルの十五夜(改訂決定稿)

 ウニタキ(三星大親)が山北王(さんほくおう)(攀安知)の軍師、リュウイン(劉瑛)を首里(すい)に連れて来た。
 一緒に来たのはリュウインの弟子の伊野波之子(ぬふぁぬしぃ)と東江之子(あがりーぬしぃ)だった。二人とも三十歳前後の年齢で、リュウインが今帰仁(なきじん)に来た時に弟子入りして、今では武術道場の師範を務めていた。
 島添大里(しましいうふざとぅ)にいたサハチ(中山王世子、島添大里按司)も、久米村(くみむら)にいたファイチ(懐機)も呼ばれて、思紹(ししょう)(中山王)と一緒に龍天閣(りゅうてぃんかく)でリュウインと会った。
 ファイチはリュウインを知らなかったが、リュウインはファイチを思い出していた。二十歳で科挙(かきょ)に合格したファイチとヂュヤンジン(朱洋敬)の名前は噂となってリュウインの耳にも入り、リュウインは密かにファイチを見ていたという。
「ヂュヤンジン殿は洪武帝(こうぶてい)が亡くなったあと、宮廷を去ったと聞いています。ファイチ殿もその後、いなくなったと聞きましたが、まさか、琉球にいたとは驚きました」とリュウインは言った。
永楽帝(えいらくてい)が挙兵したあと、幼い頃の永楽帝の師匠だった父が殺されました。わたしは身の危険を感じて琉球に逃げて来たのです」
「そうだったのですか。わたしが逃げて来たのは永楽帝の挙兵の前でした。仕えていた湘王(ジィァンワン)(永楽帝の弟)が殺されて、わたしも危険を感じて逃げて来たのです」
「ヂュヤンジンは武当山(ウーダンシャン)にいましたが、永楽帝が皇帝になったあと、宮廷に戻って来て、今も永楽帝に仕えています」
「そうでしたか。それはよかった。ファイチ殿は戻らないのですか」
 ファイチは笑って、「明国(みんこく)の宮廷は恐ろしい所ですからね。琉球の方がわたしに合っています」と言った。
 リュウインの話を聞いて、思紹は材木や米の代価として、明国の商品を先に送る事を承諾した。その夜、遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』で歓迎の宴(うたげ)を開いて、浮島(那覇)からジォンダオウェン(鄭道文)とリュウジャジン(劉嘉景)を呼んだ。リュウインはジォンダオウェンとの再会を喜んだ。
「ヂャンルーチェン(三姉妹の父)が殺されたと聞いた時、あなたも殺されてしまったと思っていました。あのあと、ずっと琉球に来ていたなんて、まったく知りませんでした」とリュウインはジォンダオウェンに言った。
「明国に来られた按司様(あじぬめー)と出会って、中山王(ちゅうさんおう)と取り引きをするようになったのです」とジォンダオウェンは言って、サハチを見た。
リュウイン殿はヂャンルーチェン殿の知り合いだったのですか」とサハチは聞いた。
「直接に知っていたわけではありません。あの頃、湘王の兄弟たちが次々に捕まって、王という身分を剥奪されて監禁されていました。湘王も身の危険を感じて、兵力を強化するためにヤマトゥの刀を手に入れようと考えて、わたしを福州(ふくしゅう)に送ったのです。わたしが福州で武器商人と会っていた時、湘王は官軍に攻められて、城に火を放って自殺してしまいました。わたしも襲撃されて命を狙われました。武器商人を頼ったらヂャンルーチェン殿を紹介されたのです。ヂャンルーチェン殿は琉球に行く準備をしていました。わたしはその船に乗って琉球に来たのです」
「家族は連れて来なかったのですか」とファイチが聞いた。
「妻は前年に亡くなりました。娘が二人いましたが、二人とも嫁ぎました。姉の方は洪武帝に仕えていた役人に嫁いだために、洪武帝が亡くなったあと殺されました。妹の方は湘王に仕えていた武将に嫁いだので、やはり、殺されてしまったでしょう」
「思い出させてしまってすみませんでした」とファイチは謝った。
「いいえ」とリュウインは笑った。
 思紹が父親の事を聞くと、リュウインは父親の活躍の事はほとんど知らないと言った。
 リュウインの母親は後妻で、リュウインが生まれた年に父は朱元璋(ジュユェンジャン)(洪武帝)に呼ばれて、朱元璋の軍師になった。リュウインが父に初めて会ったのは、父が宮廷を去って帰郷した十三歳の時だった。その時、父を訪ねて来たのがヂャンサンフォン(張三豊)の弟子の『フーシュ(胡旭)』だった。リュウインはフーシュの弟子になって武芸の修行に励んだ。フーシュはすでに七十歳を過ぎていて、髪も髭も真っ白な仙人のような人だった。リュウインにとってフーシュの印象は強く心に焼き付いていて、ヂャンサンフォンもそのような人だろうと思い込んでいたのだった。
 フーシュから武芸を習うと共に、父から様々な事を教わった。リュウインが十五歳の時、父は洪武帝に呼ばれて応天府(おうてんふ)(南京)に行き、半年後には帰って来たが、病に罹って一月後に亡くなってしまった。二十歳の時に腹違いの兄に呼ばれて、リュウインは応天府に行き、洪武帝に仕えた。二十七歳の時に湘王に仕える事になって、湘王に従って荊州(けいしゅう)(湖北省)に赴いた。そして、十四年後、湘王が殺されて、琉球に来たのだった。
琉球に来てから、もう十五年が経ちました」とリュウインはしみじみと言った。
「わたしは琉球に来た年に、『油屋』の船に乗って浮島に来ました。浮島に着いて、すぐに目についたのが首里の高台です。あの頃は樹木(きぎ)が鬱蒼(うっそう)と茂った山でしたが、そこがこのような立派な都になっていたなんて、噂には聞いていましたが、信じられない事です。首里のグスクも思っていた以上に立派だったので驚きました」
首里のグスクも都造りにもヤンバル(琉球北部)の材木が使われています。山北王が材木を送ってくれたお陰です」と思紹は言った。
「これからも寺院造りが続きます。材木はいくらあっても大歓迎です」とサハチは言った。
「そろそろ、綺麗所を呼びましょうね」と女将(おかみ)のナーサが言って、着飾った遊女(じゅり)たちが現れた。明国の言葉がしゃべれる遊女がいるので、リュウインは驚いて、明国の言葉で色々と聞いては笑っていた。
「お久し振り」とマユミがサハチの前に来て嬉しそうに笑った。
 前回、ここに来たのは慈恩寺(じおんじ)が完成した時で、二か月前だった。その時は確かに久し振りだった。今回はそれほどでもないだろうと思ったが、サハチは何も言わずに笑った。
「先代の山南(さんなん)の王妃様(うふぃー)が来ましたわよ」とマユミは言った。
「なに、ここに来たのか」
「今月の初めに昼間、訪ねて来たの。女将と会って、懐かしそうに昔のお話をして帰って行ったわ」
「そうか。王妃様は女将から色々と教わったと言っていた。王妃様も喜んでいただろう」
「女将が奥間(うくま)の話をしたら行ってみたいって言い出して、今度、一緒に行く事になったのよ」
「王妃様が奥間にか」
「旅をして色々な景色を見たいんですって」
「そうか。それで、いつ行くんだ?」
「まだはっきりと決まっていないけど、来月は十五夜(じゅうぐや)の宴があるし」
十五夜の宴? 首里グスクで行なう宴にお前たちも出るのか」
「そうじゃないわよ。それとは別に、安謝大親(あじゃうふや)様が旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワ(インドネシア)の使者たちをここに招待して宴を開くのよ」
「南蛮(なんばん)にも十五夜があるのか」
「お月様を見ながら丸いお餅を食べるんですって。旧港とジャワの人たちがいるうちは何かと忙しいから、送別の宴が終わってからじゃないかしら」
「すると十月か。まだまだ先の話だな」
 サハチがリュウインを見るとジォンダオウェンと明国の言葉で何かを話していた。リュウジャジンは明国の言葉がしゃべれる遊女と楽しそうに話していた。ウニタキとファイチは馴染みの遊女と笑っていて、思紹は女将から山南王妃の事を聞いていた。
 次の日、サハチとウニタキはリュウインを連れて山グスクに行った。下のグスクで岩登りをしている兵たちを見せるわけにはいかないので、直接、上のグスクに連れて行って、ヂャンサンフォンと会わせた。
 ヂャンサンフォンは以前、無精庵(ぶしょうあん)が滞在していた屋敷で、『山グスクヌル』になった運玉森(うんたまむい)ヌルと一緒に暮らしていた。縁側に座って待っているとヂャンサンフォンがやって来た。リュウインはヂャンサンフォンを見ても何の反応を示さなかったので、サハチはヂャンサンフォン殿ですと教えてやった。
「えっ!」と言ってリュウインは立ち上がって、ヂャンサンフォンを見た時の顔は驚きを通り越して呆然としていた。どう見ても、自分と同年配の男にしか見えないと思っているようだった。
「わたしの師匠は老胡(ラオフー)と呼ばれていたフーシュ殿でした」とリュウインが言うと、
「フーシュ‥‥‥懐かしい名前じゃ」と言って、ヂャンサンフォンは目を細めた。
 サハチたちは屋敷に上がって、ヂャンサンフォンの話を聞いた。
「わしが武当山山麓の『玉虚宮(ユーシュゴン)』で、新しい拳術を考えている時じゃった。フーシュが弟子入りしたんじゃよ。まだ二十歳の若者じゃった。わしはフーシュを稽古台にして『武当拳(ウーダンけん)』を編み出したんじゃよ。わしに打たれて傷だらけになりながらも、奴は逃げなかった。わしの最初の弟子がフーシュなんじゃよ。わしは十年後に武当山を離れるが、奴は残って、弟子たちに武当拳の指導をしていた。武当拳が広まったのも奴のお陰と言ってもいいじゃろう。ラオファン(リェンリーの父親)の師匠もフーシュなんじゃよ。白蓮教(びゃくれんきょう)の奴らが攻めて来た時、わしは弟子たちを説得して逃がした。フーシュも武当山から下りて旅に出たようじゃ。そして、そなたと出会って弟子にしたのじゃろう」
「わたしが師匠に出会ったのは十三歳の時でした、二十歳になった時、わたしは応天府に行きました。師匠も一緒に来てくれと頼んだのでしたが断られました。師匠は武当山に帰ると言っていました。その後、会ってはいません」
「フーシュは武当山に戻って来たよ。わしもその頃、武当山にいたんじゃ。若い者たちを鍛えておったが二年後に亡くなってしまったんじゃ」
「そうだったのですか。師匠からヂャンサンフォン殿の話はよく伺いました。神様のようなお方だと言っていました。亡くなる前にもう一度お会いしたいと言っていました。願いがかなったのですね」
わしが育てた弟子たちは皆、わしより先に亡くなってしまう。辛い事じゃよ」
 ヂャンサンフォンに会って感激したリュウインは浮島に行って、久米村の役人たちと進貢船(しんくんしん)の相談をして、二日後、明国の商品を山積みにした油屋の船に乗って帰って行った。
 リュウインを見送ったあと、
「ヂャンサンフォン殿に会えたのは嬉しいけど、困った事になったとリュウインは言っていました」とファイチがサハチに言った。
「山北王はいつの日か、中山王を倒すつもりでいるが、中山王がヂャンサンフォン殿の弟子なので、敵対する事ができなくなってしまった。その時は琉球を去らなくてはならないかもしれないと言っていました」
琉球を去らなくても、中山王に寝返ったらいいんじゃないのか」
「恩のある山北王を裏切る事はできないのでしょう」
「そうか。戦の間はどこかに避難していてもらおうか」とサハチが言うと、
「山北王もまた進貢船を送るようですから、使者として明国に行ってもらいますか」とファイチは言った。
「おう、それがいい。リュウインの留守中に山北王を倒してしまえばいい」とサハチは賛成した。
 その後、思紹は中山王の船に明国の商品を積んで今帰仁に送った。その船は冬になったら米を積んで帰って来る事になっていた。
 八月八日、与那原(ゆなばる)グスクのお祭り(うまちー)が行なわれて、シビーとハルの新作のお芝居『武当山の仙人(ウーダンシャンぬしんにん)』が、ササ(運玉森ヌル)たちと女子(いなぐ)サムレーたちによって演じられた。シーハイイェン(施海燕)たち、スヒターたち、リェンリー(怜麗)たちによる『瓜太郎(ういたるー)』も演じられた。
 ヂャンサンフォンが崑崙山(クンルンシャン)と呼ばれる険しい岩山の山頂に座り込んで修行をしている場面から『武当山の仙人』は始まった。ヂャンサンフォンを演じているのはササだった。西王母(シーワンムー)という仙女が出て来て、ヂャンサンフォンに、「何があっても座り続けなさい。立ち上がったら修行は終わり。山を下りて行きなさい」と言う。
 ヂャンサンフォンの修行を邪魔するために、妖艶な仙女たちが誘惑したり、鎧(よろい)を着た武将が出て来てヂャンサンフォンに斬りつけたりするが、ヂャンサンフォンは惑わされずに座り続ける。チャンオー(嫦娥)という美しい仙女が出て来て、夫が浮気をしたので、一緒に逃げてくれと言う。ヂャンサンフォンはチャンオーの涙に負けて立ち上がってしまう。
 チャンオーと一緒に山を下りるヂャンサンフォン。チャンオーの夫のフーイー(后羿)が二人を追って来て、ヂャンサンフォンはフーイーの弓矢にやられてしまう。チャンオーは西王母からもらった不老長寿の薬である小さな桃を二つ持っていて、一つをヂャンサンフォンに飲ませて、もう一つは自分で飲む。
 桃を飲んだ途端、チャンオーの体は宙に上がって月に吸い込まれてしまう。チャンオーを追いかけて行くフーイー。しばらくして、ヂャンサンフォンは生き返る。チャンオーを探すがどこにもいない。ヂャンサンフォンは武当山に行って厳しい修行を積む。フーイーが武当山にやって来て、決闘をしてヂャンサンフォンはフーイーを倒す。
 ヂャンサンフォンが満月を見上げていると、月からチャンオーが降りて来て、二人は再会を喜ぶ。ヂャンサンフォンの弟子たちが現れて、二人を祝福してお芝居は終わった。チャンオーを演じたのはシンシン(杏杏)で、フーイーを演じたのはナナだった。身の軽いシンシンは月に昇って行く場面も、月から下りて来る場面も見事に演じていた。月は高い櫓(やぐら)の上にあって、綱を伝わって、シンシンは上り下りしていた。
 一緒にお芝居を観ていたヂャンサンフォンに、「これは本当の話なのですか」とサハチが聞いたら、
「チャンオーとフーイーの話は、古くから伝わる伝説なんじゃよ。そこにわしを入れただけじゃ」と笑った。
「わしの長い人生をお芝居にした所で、面白くもないからのう」
 そんな事はないだろうと思ったが、サハチは何も言わずに笑った。
 シーハイイェンたちの『瓜太郎』は明国の言葉で演じられたが、充分に楽しく、子供たちが喜んでいた。
 与那原グスクのお祭りの六日後、サスカサ(島添大里ヌル)が久高島(くだかじま)から大里(うふざとぅ)ヌルを連れて来た。フカマヌルも若ヌルを連れてやって来た。
 大里ヌルを初めて見たサハチは、日に焼けた顔を見て驚いた。安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)から聞いた話では、透き通ったように真っ白な肌をしているはずだった。サハチの驚いている顔を見て、
「太陽が拝めるようになってから、嬉しくて、久高ヌルさんと一緒に小舟(さぶに)に乗って遊んでいたら、日に焼けてしまったらしいわ」とサスカサが笑った。
 大里ヌルとフカマヌルは安須森ヌルと会って、十五夜の儀式の準備を始めた。
 夕方、大里ヌルの歓迎の宴を開くというので、サハチが安須森ヌルの屋敷に顔を出すと、女たちが集まっていて賑やかだった。ササたちもシーハイイェンたちもスヒターたちもリェンリーたちも与那原グスクのお祭りのあと、ここに来ていて十五夜の宴の準備をしていた。平田グスクのお祭りの準備に行っていたユリ、ハル、シビーも戻っていた。
「与那原グスクのお芝居に出ていたチャンオーは月の神様なのよ。唐人(とーんちゅ)は月にチャンオーが住んでいると信じているらしいわ」とササがサハチに言った。
「チャンオーは唐のかぐや姫というわけだな」
「そうなのよ。それで、明日の夜、ハルのかぐや姫とシンシンのチャンオーが共演するのよ。楽しみにしていてね」
「ほう、そいつは面白そうだな」
 大里ヌルはサスカサと一緒に楽しそうに酒を飲んでいた。
「大里ヌルは四年に一度、ここに来てウタキ(御嶽)を拝んでいたのか」とサハチは大里ヌルを見ながらササに聞いた。
「そうなのよ。でも、このグスクが汪英紫(おーえーじ)に奪われてからは来られなくなってしまったのよ」
「その時、先代のサスカサ(山グスクヌル)が久高島のフボーヌムイに籠もったんだったな」
「そうよ。でも、その時はまだ、大里ヌルは生まれていなかったわ。あれから三十四年振りのお参りのなるのよ」
「三十四年振りか。俺が島添大里按司になったあとなら来ても大丈夫だったのにな」
「そうなのよ。でも、あたしは大里ヌルの事を知らなかったし、お母さんは先代の大里ヌルに会った事があるんだけど、ここのウタキ参りの事は聞かなかったのよ。フカマヌルも大里ヌルと一緒に儀式をする事はあっても、親しく話をした事はなかったみたい。太陽が拝めるようになってから大里ヌルはすっかり変わったってフカマヌルが言っていたわ。以前は必要な事以外はしゃべらなくて、暗い性格だったけど、すっかり明るい性格になったって。久高ヌルのお陰よ。大里ヌルとフカマヌルは年齢が離れすぎているので親しくなれなかったけど、久高ヌルは丁度、二人の中間の年齢だから、三人がうまくいっているみたい」
「そうか。今回、久高ヌルは留守番なのか」
「フカマヌルのお母さんが平田から帰って来ているから大丈夫よ」
「そうか。ヌルを引退したのか」
「そうみたい。『根神(にーがん)様』と呼ばれているらしいわ。根人(にっちゅ)を守るウナイ神よ」
今帰仁攻めが終わったら、根人(マニウシ)も久高島に帰るだろう」
 翌日、日が暮れると厳かな儀式が始まった。去年と同じように二の曲輪(くるわ)を囲む石垣に赤い幕を垂らして、石垣の上に灯籠(ドンロン)を並べ、コの字形に茣蓙(ござ)を敷いた。サハチはナツとハルと一緒に西側の中央に座った。マチルギは今回も首里の宴に参加していた。佐敷大親(さしきうふや)夫婦、平田大親夫婦、手登根大親(てぃりくんうふや)の妻のウミトゥク、ミーグスク大親夫婦、ウニタキ夫婦とファイチの妻のヂャンウェイ(張唯)と嫁のミヨン、ンマムイ(兼グスク按司)夫婦と娘のマウミが並んだ。ファイチも首里の宴に参加していた。今年もサングルミー(与座大親)がいないので、思紹はファイチのヘグム(奚琴)を楽しみにしているらしい。首里に移った慈恩禅師(じおんぜんじ)夫婦も首里の宴に参加していた。
 山グスクにいた愛洲(あいす)ジルーたちもやって来ていた。珍しく二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)も一緒だった。ヂャンサンフォン夫婦は首里に行ったという。
「どうして、右馬助がいるんだ?」とウニタキが不思議そうな顔をしてサハチに聞いた。
「また壁にでもぶつかって、気分転換のつもりで来たんじゃないのか」とサハチは言った。
「奴はいくつの壁をぶち破れば気が済むんだ?」
「知らんよ。ヂャンサンフォン殿や慈恩禅師殿のように自分の剣術を作りたいんだろう」
「『二階堂流』か」と言ってウニタキは笑った。
 静かに笛の調べが流れて来た。一の曲輪内のウタキで儀式が始まったようだった。
 東の空に満月が顔を出した。サハチたちは月に向かって両手を合わせてお祈りを捧げた。
 ウタキでのお祈りは去年よりも長かった。大里ヌルが、ここに来れなかった三十四年分のお祈りをしているのだろう。大里ヌルの母親は若ヌルだった時に一度だけ来ている。今の大里ヌルは初めてここに来たのだった。三十四年間の思いを月の神様に告げているのかもしれなかった。
 神歌(かみうた)が聞こえてきた。ヌルたちが神歌を歌いながら二の曲輪に現れた。大里ヌルが中央に座って満月にお祈りを捧げて、その周りをヌルたちがゆっくりと回っていた。サスカサ、ササ、シンシン、ナナ、佐敷ヌル、平田ヌル、フカマヌルと若ヌル、安須森若ヌル、ササの四人の弟子たち、玻名(はな)グスクヌルもいた。
 玻名グスクヌルは『安須森参詣』から帰って来て変わった。個人的な敵討ちをやめて、琉球のために安須森ヌルを助けようと決めたようだった。
 笛の調べが変わって、ヌルたちが華麗に舞い始めた。若ヌルたちも頑張っていた。大里ヌルが立ち上がって舞い始めた。久高島で稽古を積んでいたのか見事な舞だった。
「麗(うるわ)しいのう」と声が聞こえた。
 サハチは驚いて空を見上げた。
 ササ、シンシン、ナナ、サスカサ、フカマヌル、玻名グスクヌルが一瞬、立ち止まって空を見上げた。
「続けてくれ」と声がして、ヌルたちはまた舞い始めた。
 スサノオの声だったが、笛の音を聞いてやって来たのだろうか。その後、声は聞こえなかった。
 儀式が終わって宴が始まった。笛を吹いていた安須森ヌルとユリ、ヌルたちも宴に加わった。
 子供たちの笛の合奏から始まって、リェンリー、ユンロン(芸蓉)、スーヨン(思永)、ソンウェイ(松尾)の妻のリンシァ(林霞)による明国の歌と舞、シーハイイェンとツァイシーヤオ(蔡希瑶)の旧港の舞、スヒター、シャニー、ラーマのジャワの舞が披露された。女子サムレーたちの笛と舞も披露された。
「おい、あれを見てみろ」とウニタキがサハチに言って、示す方を見ると大里ヌルと右馬助がいた。
 でれっとした顔の右馬助が大里ヌルが注いでくれた酒を嬉しそうに飲んでいる。大里ヌルも楽しそうだった。
「奴もやはり、男だったようだ」とウニタキは笑って、
「奴は大里ヌルに会いに来たのか」とサハチは聞いた。
「山グスクにいた奴が大里ヌルの事など知るまい。しかし、不思議な力に引かれて、ここに来たのかもしれんな」
 琉球に来てから女に見向きもしなかった右馬助が、大里ヌルに出会った途端にあんな姿になるなんて思ってもいない事だった。ササたちも気づいて、「右馬助は大里ヌルのマレビト神だわ」と言っていた。
 ハルの『かぐや姫』とシンシンの『チャンオー』の共演が始まった。ヤマトゥの月の神様と唐の月の神様の共演だった。琉球の月の神様はどんな姿なんだろうと、ふとサハチは思った。
 安須森ヌルが吹く幻想的な調べに合わせて、かぐや姫とチャンオーは満月の下で優雅に舞っていた。

 

 

 

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