長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-186.二つの婚礼(改訂決定稿)

 山北王(さんほくおう)(攀安知)の使者たちを乗せた中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の進貢船(しんくんしん)が船出した翌日、ようやく、ヤマトゥ(日本)に行った交易船が帰って来た。同じ日に、シンゴ(早田新五郎)、マグサ(孫三郎)、ルクルジルー(早田六郎次郎)の船も馬天浜(ばてぃんはま)に来たので忙しかった。
 交易船の出迎えはマチルギ(サハチの妻)に任せて、前回の進貢船が帰国した時と同じように、浮島(那覇)から首里(すい)まで行進させた。総責任者の手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使の黒瀬大親(くるしうふや)(クルシ)が馬に乗って先頭を行き、小旗を振る民衆たちに歓迎された。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は馬天浜に行って、シンゴたちを出迎えて、そのまま、『対馬館(つしまかん)』での歓迎の宴(うたげ)に加わった。佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)の次男のヤキチ、中グスク按司(ムタ)の長男のマジルー、シビーの兄のクレーも無事に帰って来て、いい旅だったと満足そうに言った。
 佐敷大親が妻のキクと一緒に来ていて、ヤキチの無事の帰国を喜んだ。
 サハチはクレーからヤマトゥの戦(いくさ)の事を聞いた。
将軍様足利義持)が伊勢の神宮参詣から帰って来てから京都に兵が集まって来ました。凄かったです。京都は兵たちで埋まりました。噂では五万人の兵が集まったと言っていました」
「なに、五万人の兵?」
 サハチには五万人の兵がどれだけなのか想像もできなかった。
「今にも戦が始まる状況でした。戦が始まったら帰れなくなってしまうかもしれないので、俺たちは『一文字屋(いちもんじや)』の船に乗って京都を離れました。十月の半ば頃です。その後は対馬にいたので、京都の事はわかりませんが、交易船が博多に来たのは十二月の半ばを過ぎた頃でした。無事に京都を出られてよかったとホッとしました。結局、戦は起こらなかったようです」
「本当に凄かったです。あの兵たちを見られただけでもヤマトゥに行ってきてよかったと思います」とマジルーは目を輝かせて言った。
 サハチはシンゴたちの所に行って、クレーたちがお世話になったお礼を言った。
「京都の戦の原因は何なんだ?」とサハチはシンゴに聞いた。
南北朝(なんぼくちょう)の戦のけりがまだついていないんだよ。天皇家南朝北朝に分かれて戦ったのが、南北朝の戦なんだ。将軍家は北朝方として戦って、南朝勢力を滅ぼしていき、南朝が支配していた九州は壊滅した。しかし、まだ南朝方の武将は生きている。その代表が伊勢の北畠(きたばたけ)なんだよ。南北朝の戦が終わる時、南朝北朝が交互に天皇になるという約束をしたんだ。でも、北朝天皇南朝天皇に譲る事なく、北朝天皇に跡を継がせたんだ。約束を破ったと言って北畠は怒ったんだよ」
「どうして約束を破ったんだ?」
「将軍家にとって、もはや、天皇は飾り物に過ぎない存在なんだよ。南朝方は天皇を中心とした政治をやりたがっているようだ。将軍家としては天皇が力を持っては困るんだよ」
南朝天皇になると、北畠が将軍になるのか」
「その可能性はあるな。将軍を任命するのは天皇だからな」
「それで、将軍様天皇の座を南朝に譲らないのか」
「このままでは終わるまい。将軍様にしろ、北畠にしろ、けりをつけなければならない。もしかしたら、今頃、戦が始まっているかもしれない」
「今年、送る交易船も戦に巻き込まれそうだな」
「博多は大丈夫だよ。博多で様子を見てから京都に行けばいい。話は変わるが、宗讃岐守(そうさぬきのかみ)の使者が朝鮮(チョソン)の塩浦(ヨンポ)(蔚山)で騒ぎを起こしたようだ」
「塩浦とはどこだ?」
「富山浦(プサンポ)(釜山)より少し北に行った港だ。詳しい事はわからんが、富山浦を叔父(五郎左衛門)が仕切っているので、塩浦に拠点を築こうと考えたのだろう。塩浦にも対馬の人たちが住んでいて、叔父の配下の者が仕切っているんだ。そこに割り込もうとして争いになったようだ。朝鮮の役人たちもやって来たが、叔父の味方をして、宗讃岐守の使者たちは追い返されたようだ」
「相変わらず、五郎左衛門殿も活躍しているな」
「活躍しているんだが、年齢(とし)には勝てんと言っていた。もう、六十の半ば過ぎだろう。そろそろ。隠居するかと言っていたよ」
「隠居したら琉球に来るように伝えてくれ。大歓迎するってな。ところで、サイムンタルー(早田左衛門太郎)殿はどうしている?」
「着実に勢力を広げているよ。琉球から持って帰る商品が威力を発揮して、うまく行っている。琉球の船が毎年、ヤマトゥに行くようになって明国の陶器が出回った。今まで明国の陶器なんて知らなかった者たちが欲しがるようになったんだ。対馬の者たちも明国の陶器を宝物のようにありがたがっているんだよ」
「そうか。そいつはよかった。旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワ(インドネシア)の船もやって来るようになったので、陶器はたっぷりとある。南蛮(なんばん)(東南アジア)の人たちが欲しがっているのは刀だ。これからも刀を頼むぞ」
「わかっている。そろそろ、今帰仁(なきじん)攻めだろう。今回は鎧(よろい)も積んで来た」
「そいつは助かる。ありがとう」
 サハチはルクルジルーから、イト、ユキ、ミナミ、三郎の事を聞いて、あとの事はマサンルーに任せて、暗くならないうちに首里に向かった。
 首里の会同館(かいどうかん)では帰国祝いの宴が始まっていた。サハチはマチルギと入れ替わって、使者たちをねぎらった。思紹(ししょう)も来ているので、マチルギは首里グスクに帰って行った。
「とんだ目に遭いましたね」とサハチが言うと、
「参ったよ」とジクー禅師は苦笑した。
「京都は武装した兵で埋まって、等持寺(とうじじ)を守る兵も増えて、わしらは外に出られなくなってしまったんじゃよ」
将軍様の力をまざまざと見せつけられたような気がする」とクルシは言った。
将軍様が一声掛けたら五万もの兵が集まってくる。あれだけの兵で攻めたら北畠も敗れるじゃろう」
「タミー(慶良間の島ヌル)ですが、高橋殿に頼まれて、京都に残してきました」とクルーは言った。
 サハチはうなづいて、ヂャンサンフォン(張三豊)が琉球から去った事を教えた。
「親父から聞きました。馬天浜で盛大な送別の宴をしたそうですね。俺も参加したかったですよ」
「ヂャン師匠はムラカ(マラッカ)に行くと言っていたから、今帰仁攻めが終わったらムラカに行く船を出そう」
「等持寺に閉じ込められた時、ヂャン師匠と親父と一緒に明国の険しい山々を走り回っていた事を思い出したんです。外に出られなくて退屈していたので、みんなに武当拳(ウーダンけん)を教えていましたよ」
「そうだったのか」とサハチはクルーを見て笑った。
 サハチはヌルたちの所に行った。馬天ヌルがヌルたちから旅の話を聞いていて、サハチの顔を見ると、「ねえ、『ギリムイ姫様』がヤマトゥに行ったの?」と聞いた。
「サスカサ(島添大里ヌル)がヤマトゥに行った人たちの無事をお祈りしたら、ギリムイ姫様がヤマトゥまで行って様子を見てきてくれたのです」
「あら、そうだったの。わたしも神様にお願いしたのよ。『真玉添(まだんすい)姫様』がヤマトゥまで行って来てくれたわ」
「なんだ、叔母さんもみんなの無事を知っていたのですか」
「あなたたちにも知らせようと思ったんだけど、年末年始は忙しくて知らせられなかったわ。でも、新年の挨拶に来たあなたは知っていたから、誰かから聞いたんだろうと思っていたのよ」
「真玉添姫様も京都まで行ったのですか」
「いいえ。博多でユミーから話を聞いて帰って来たわ」
「そうでしたか。ギリムイ姫様は京都まで行って、タミーと会って来たようです」
「タミーさんは凄い人です」とハマ(越来ヌル)が言った。
「京都に着いてから、タミーさんは毎日、『船岡山(ふなおかやま)』に通っていました。ササ(運玉森ヌル)に言われて、スサノオの神様に御挨拶をするためです。スサノオの神様はいらっしゃいませんでしたが、雨の日も風の日も休まずに行って、色々な神様のお話を聞いていたようでした。わたしには神様の声は聞こえませんでしたが、毎日、タミーさんに付き合いました。一月くらい経って、わたしも神様の声が聞こえるようになりました。初めて聞いた神様の声は、恐ろしい事を言っていました。わたしは怖くなって、その場から逃げたいと思いましたが、タミーさんは少しも恐れずに話を聞いていました。神様の姿は見えませんが、恐ろしい声で、お前たちを殺すと言ったのです。わたしは神様が刀を振り上げている姿を想像して悲鳴を上げたくなりました。タミーさんは少しも動ぜず、神様の怒りを見事に静めていました。凄い人だと、わたしは尊敬しました」
「『ユンヌ姫様』から話を聞いたよ。ハマもスサノオの神様の声が聞こえるようになったって言っていた。よかったな」
 ハマは嬉しそうにうなづいた。
「そういえば、ササはユンヌ姫様と一緒に南の島(ふぇーぬしま)を探しに行ったのですか」
「ああ。無事にミャーク(宮古島)に着いて、近くにある島々を巡っているようだよ」
「そう」と言って、ハマは笑った。
「わたし、ササに追い着こうと必死でした。でも、ササはいつもわたしの先を行っています。毎日、船岡山に通っていて、わたし、わかったのです。ササはササの道を歩いている。わたしはわたしの道を歩かなければならないって。今のわたしにはまだ、自分の道はわからないけど、越来(ぐいく)ヌルとしてやるべき事をやろうと思いました。まずは越来周辺の古いウタキ(御嶽)を巡ってみようと思います」
「そうだな。ウタキ巡りはヌルの基本だ。古い神様と出会えば、やるべき事が見つかるだろう。ハマはタミーと一緒に高橋殿の屋敷にいたのか」
「そうです。わたしたちが等持寺から船岡山に通っているのを高橋殿が知って、高橋殿のお屋敷の方が近いと言って、移る事になりました。ササが滞在していたので遠慮はいらないと言われましたが、凄いお屋敷だったので、びっくりしました。そして、高橋殿に連れられて将軍様の御所にも行って、御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)に御挨拶をしました。御台所様はササの事を聞いて喜んでおりました。ササが将軍様の奥方様とあんなにも親しかったなんて驚きました」
「中山王と将軍様の取り引きがうまく行っているのも、ササと御台所様が仲がいいからなんだとも言えるんだよ」
 ハマはうなづいてから、「高橋殿のお酒好きには参りました」と言って笑った。
「高橋殿のお陰で、ササも安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)もサスカサもお酒好きになってしまった。困ったもんだよ」
「タミーさんもお酒好きで、高橋殿のお屋敷にはおいしいお酒があるって喜んでいました」
「なに、タミーもお酒好きだったのか」
「キラマ(慶良間)の島にいた時、師範たちとよく飲んでいたそうです」
「そうだったのか。それで、高橋殿と一緒に『伊勢の神宮』に行ったのか」
「はい。将軍様と大勢の兵も一緒でした。高橋殿はわたしたちと行動を共にしていましたが、高橋殿の配下の人たちがあちこちにいるみたいで、様々な格好をした人たちが高橋殿に報告に来ていました。そして、タミーさんはお城の近くを通ると、あそこで戦の準備をしていると高橋殿に告げていました」
「タミーは遠くの物が見えるのか」
「遠くの景色が頭の中に浮かんでくると言っていました」
「凄いシジ(霊力)だな」
「それで、京都に残る事になったのです。わたしも残りたかったけど、越来の事も心配だったので帰ってきました」
「タミーの事を調べたのよ」と馬天ヌルが言った。
「普通の娘じゃないような気がしてね。そしたら、タミーのお祖母(ばあ)さんが『須久名森(すくなむい)ヌル』だってわかったのよ」
「えっ、須久名森にヌルがいたのですか」
 サハチは昔、クマヌ(先代中グスク按司)と一緒に須久名森に登った事があるが、ウタキには気づかなかった。
「わたしも知らなかったのよ。タミーのお祖母さんは二十年も前に亡くなっていて、娘さんが跡を継いだんだけど、若くして亡くなってしまって、今は絶えてしまっているのよ。タミーのお母さんはヌルを継いだ娘と双子だったの。姉がヌルを継いで、妹は佐敷のウミンチュ(漁師)に嫁いで、タミーが生まれたの。お母さんもタミーが十歳の時に亡くなってしまったわ。タミーはお祖母さんもヌルを継いだ伯母さんも知らないけど、自分でも知らないうちに、須久名森ヌルを継ぐ道を歩み始めたんだと思うわ」
須久名森のウタキは古いのですか」
「多分ね。タミーが神様とお話をすればわかると思うわ」
 福寿坊(ふくじゅぼう)が知らない連中たちと一緒にいるので、サハチは行ってみた。
按司様(あじぬめー)、職人たちを連れてきましたよ」と福寿坊は口をもぐもぐさせながら言った。
「そうか、ありがとう」と言いながら、サハチは職人たちの顔触れを見た。
 皆、一癖ありそうで、頑固そうな顔をしていた。福寿坊がサハチを紹介すると急にかしこまって頭を下げた。福寿坊は一人づつ紹介した。鋳物師(いもじ)の三吉、紺屋(こうや)の五助、畳(たたみ)刺しの義介(ぎすけ)、桶(おけ)作りのタケ、革作りの重蔵(しげぞう)、酒造りの定吉(さだきち)、櫛(くし)作りの文吉(ぶんきち)、竹細工のトシの八人だった。
「よく琉球まで来てくれた。今晩は旅の疲れを取ってくれ。あとで技術を見せてもらう」
「鋳物師の三吉は梵鐘(ぼんしょう)も造れます。琉球のお寺に鐘楼(しょうろう)を造って、鐘を鳴らしたらいかがでしょう」と福寿坊は言った。
「鐘楼か。気がつかなかった。お寺には鐘楼が必要だったな。うむ、それはいい考えだ。鐘の音が響けば、都らしくなるな」
 サハチは満足そうな顔をして三吉を見て、「頼むぞ」と言った。
「まずは職人を育てなければなりません」と三吉は言った。
「わかっている。すぐに造れとは言わん。職人を育ててくれ」
 翌日、サハチは思紹と一緒に職人たちの腕を見た。皆、人並み外れた腕を持っていた。『職人奉行』という役職を新たに作って、職人たちを管理させ、彼らを親方として、弟子たちを育てる事を命じた。
 朝鮮に行っていた使者たちが勝連(かちりん)から帰って来た。朝鮮の様子を聞くと世子(せいし)のヤンニョンデグン(譲寧大君)の女遊びが宮廷で問題になっていて、そのうち、廃嫡されるかもしれないと噂されているという。その話は以前にも聞いた事があった。以前は妓女が相手だったが、最近は重臣の妾(めかけ)に手を出して大騒ぎになったという。
 サハチは武寧(ぶねい)(先代中山王)の側室だった高麗美人(こーれーちゅらー)を奪い取った山南王(さんなんおう)を思い出していた。その山南王も家臣の妻に手を出したと聞いている。結局は汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)に攻められて、王の座を奪われ、朝鮮に逃げて行った。その世子が王様になったら、朝鮮でも戦が起こって、王様が入れ替わるかもしれないと思った。
 その晩、朝鮮に行っていた者たちを遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』でねぎらった。
 二月になって浮島の『那覇館(なーふぁかん)』の拡張工事が始まった。『天使館』には冊封使(さっぷーし)たちが入るので、旧港とジャワの使者たちを『那覇館』に入れなければならない。今までの倍の規模に拡張しなければならなかった。首里でジクー寺を造っている一徹平郎(いってつへいろう)たちにも、ジクー寺を中断して手伝ってもらう事になっていた。
 九日には首里グスクのお祭りが行なわれ、ハルとシビーの新作のお芝居『ササと御台所様』が上演された。ササたちが交易船に乗ってヤマトゥに行き、御所に行って御台所様と再会する。高橋殿と御台所様と一緒に熊野に向かう珍道中が描かれていた。山賊退治で大暴れして、新宮(しんぐう)の神倉山(かみくらやま)ではスサノオの神様も現れた。まるで喜劇だった。観客たちはササのやる事に腹を抱えて笑っていた。面白いお芝居だったが、ササが観たら怒るような気もした。
 その頃からナツのお腹が大きくなってきた。ナツにとっては二人目の子供で、サハチにとっては十五人目の子供だった。本当は奥間(うくま)ヌルが産んだミワも入れると十六人目になる。我ながら随分と子供を作ったものだと驚いた。
 首里にいたユリたちが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに戻って来て、本格的に婚礼の準備が始まった。
 安須森ヌルがいないので、サスカサは一人で頑張るつもりでいたが、馬天ヌルが麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミー(アフリ若ヌル)を連れて手伝うと言い、佐敷ヌルと平田ヌルも将来のために婚礼の儀式を経験したいと言ってきた。ハルとシビーに手伝ってもらっても三人だけで舞うのは寂しいと思っていたサスカサは喜んで、ユリと一緒に儀式の時のヌルの舞を考えた。
 二月十五日、神様も祝福しているのか、朝からいい天気だった。南風原(ふぇーばる)の兼(かに)グスクからマウミ(ンマムイの長女)が乗ったお輿(こし)がヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)の先導で、島添大里グスクへと向かった。ヤタルー師匠は慈恩寺(じおんじ)にいたが、可愛いマウミの婚礼に参加したいと言って先導を務めていた。マウミが生まれた時から知っていて、幼いマウミに剣術の指導をしたのもヤタルー師匠だった。
 マウミは旗を振って見送ってくれる城下の人たちに手を振りながら、マグルー(サハチの五男)との出会いを思い出していた。
 新(あら)グスクから兼グスクに移った頃、マグルーは兼グスクにやって来た。当時、マウミに会いに按司たちの息子が何人も訪ねて来ていた。マグルーもその手の男だろうと弓矢の試合をして追い返した。その後、マウミはマグルーの事は忘れた。
 翌年、従姉(いとこ)のマナビーが今帰仁(なきじん)から島添大里に嫁いできた。マウミはマナビーがいるミーグスクに度々遊びに行った。ミーグスクには的場があって、マグルーがそこで弓矢の稽古に励んでいる事を知った。初めて試合をしてから二年後、マウミはマグルーと弓矢の試合をして負け、マグルーを好きになっている自分に気づいた。その後、マグルーはヤマトゥに行き、明国にも行って来た。そして、今、マグルーのもとへ嫁いで行く。マウミは幸せ一杯だった。
 佐敷グスクからはお輿に乗ったマチルー(サハチの次女)が、サグルーとジルムイの先導で島添大里グスクに向かっていた。マチルーは島添大里グスクで暮らしていたが、生まれたのは佐敷グスクだった。山グスクにいたサグルーとジルムイは、可愛い妹の婚礼のために先導を買って出ていた。マチルーの花嫁行列は小旗を振る人たちに見送られて島添大里グスクへと向かった。
 マチルーがウニタル(ウニタキの長男)と婚約している事を知ったのは十三歳の時だった。島添大里グスクのお祭りの時、ウニタルが姉のミヨンと三弦(サンシェン)を弾いて歌を歌った。うまいわねとマチルーが褒めると、お前の婚約者だと父は言った。マチルーは驚いて、どうして今まで黙っていたのと父を責めた。お嫁に行くのはまだ先の事だし、お前がいやなら断ってもいいと父は言った。
 お嫁に行く事なんて考えてもいなかったマチルーは、断るなら早い方がいいだろうと思って、兄のマグルーからウニタルの事を聞いた。ウニタルはマグルーより一つ年上なので、あまり話はした事はないが、三弦がうまいだけでなく、剣術も強いと言った。親父の片腕とも言える三星大親(みちぶしうふや)の息子なら、お嫁に行ってもいいんじゃないのかと兄は笑った。
 島添大里グスクのお祭りから二か月後、兄のイハチが婚礼を挙げて、具志頭(ぐしちゃん)からチミーが嫁いできた。弓矢の名人のチミーに憧れて、マチルーは弓矢の稽古に励んだ。翌年には兄のチューマチのもとへ今帰仁からマナビーが嫁いできた。マナビーも武芸の達人だった。マチルーは武芸の稽古に夢中になって、ウニタルの事は忘れた。その年の五月、ウニタルがヤマトゥ旅に出る前、マチルーはファイリン(懐機の娘)に誘われて、佐敷グスクに行った。
 ファイリンはマチルーより二つ年上で、島添大里グスクの娘たちの剣術の稽古に通っていて、チミーの弟子でもあった。ヤマトゥに行くウニタルがマチルーに会いたがっていると言われて、マチルーはウニタルに会って、親が決めた縁談なんて、やめにしようとはっきり言おうと思った。
 佐敷グスクの裏にある的場で、シングルー(佐敷大親の長男)とウニタルが待っていた。ウニタルから弓矢の試合をしようと言われて、試合をしてマチルーは負けた。勝ったら縁談を断ろうと思っていたのに、断る事はできなかった。その後、的場にある小屋の中で世間話をして、シングルーがファイリンにヤマトゥ旅から帰ってくるまで待っていてくれと言って、ファイリンはうなづいた。ウニタルはマチルーに待っていてくれと言った。うなづくつもりはなかったのに、ウニタルに見つめられて胸が熱くなって、うなづいてしまった。ウニタルは喜んだ。シングルーとファイリンもよかったねと喜んでいた。
 ウニタルとシングルーがヤマトゥ旅に出たあと、マチルーはファイリンと一緒に二人の無事を祈った。ファイリンとウニタルは幼なじみだった。ファイリンからウニタルの事を色々と聞いて、マチルーは少しづつウニタルが好きになっていった。
 ヤマトゥ旅から無事に帰ってきたウニタルからお土産をもらって、ヤマトゥの話を聞いた。旅から帰ってきたウニタルは頼もしくなっているように感じた。シングルーはファイリンと一緒になり、ウニタルは兄のマグルーと一緒に明国に行った。マチルーはマウミと一緒に二人の無事を祈った。十七歳になったマチルーは、ウニタルとの事は親が決めた縁談ではないと思っていた。自分で決めた縁談で、神様のお導きによって、ウニタルと一緒になるのだと思っていた。マチルーも幸せ一杯だった。
 大勢の見物人を引き連れてきたマチルーの花嫁行列は島添大里グスクの東曲輪(あがりくるわ)に入った。東曲輪は開放されて、見物人たちも入って来た。マチルーは安須森ヌルの屋敷に入って休憩した。しばらくするとマウミの花嫁行列もやって来て、東曲輪は見物人たちで埋まった。
 マウミが安須森ヌルの屋敷に入って四半時(しはんとき)(三十分)後、法螺貝が鳴り響いて、二人の花嫁が出てきた。二人ともヤマトゥ風の美しい着物を着ていた。サムレーたちが通路を開けて、馬天ヌルとサスカサに先導された二人の花嫁は二の曲輪に入って行った。
 二の曲輪では家臣たちと新郎新婦の兄弟たちが並んでいた。正面にある舞台の上に、サハチとマチルギとナツを中央に、左側にウニタキ(三星大親)とチルーの夫婦、右側にンマムイ(兼グスク按司)とマハニの夫婦が、ヤマトゥ風の礼服を着て座っている。舞台の下にある椅子に座っていた二人の花婿、マグルーとウニタルが立ち上がって花嫁を迎えた。馬天ヌルに導かれたマチルーと、サスカサに導かれたマウミは、それぞれ花婿の所に行って、花婿の隣りに腰を下ろした。
 法螺貝が鳴り響いて、一の曲輪から女子(いなぐ)サムレーたちが現れて、整列すると掛け声を合わせて、武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)を演じた。白い着物に白い袴を着けて、赤い明国風の上着を着た女子サムレーたちは一糸乱れずに見事に演じた。套路が終わると女子サムレーたちは脇に控え、幻想的な笛の音が響き渡って、ヌルたちが現れた。
 ヌルたちは袖の大きな白い着物を着ていて、両手を広げて、まるで白鳥が飛んでいるような舞を披露した。馬天ヌル、サスカサ、麦屋ヌル、若ヌルのカミー、佐敷ヌル、平田ヌル、そして、ハルとシビー、八羽の白鳥が華麗に飛び回って、二組の新郎新婦を祝福した。
「おめでとう」という『ギリムイ姫』の声をサハチは聞いた。馬天ヌルとサスカサも聞いたらしく、一瞬、舞が止まったように思えた。サハチはギリムイ姫に感謝した。
 ヌルたちの舞が終わると、馬天ヌルとサスカサによって、二組の新郎新婦は固めの杯(さかずき)を交わした。杯を交わす時もユリが吹く笛の音が流れていて、見ている者たちを感動させた。
 サハチもマチルギも、マグルーとマチルーが生まれた時の事を思い出していた。マグルーとマチルーは一つ違いだった。
 マグルーが生まれたのは大きな台風が来て、首里天閣(すいてぃんかく)が倒れた三日後だった。その年には宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様(泰期)と明国の洪武帝(こうぶてい)が亡くなっていた。翌年は密貿易船が続々とやって来て、毎年恒例の旅で浮島に行ったサハチたちは、泊まる宿がなくて松尾山で野宿をした。ウニタキに頼んで、浮島に『よろずや』を開いたのが、その年だった。ウニタキの配下のトゥミが島添大里按司だったヤフスの側室になったのも、その年の七月で、八月には八重瀬按司(えーじあじ)のタブチから使者が来て、マタルーの縁談が決まった。そして、十一月にマチルーが生まれたのだった。
 マグルーはサハチが知らないうちに、南部一の美人と言われていたマウミに惚れて、弓矢の修行に励んで、マウミの心をつかむ事に成功した。マグルーがヤマトゥ旅から帰って来て、二人の婚約は決まった。
 マチルーはマチルギが産んだ七番目の子供で次女だった。長女のミチ(サスカサ)が生まれたあと、マチルギは女の子を望んでいたが、男の子ばかりが続いて、ようやく生まれた女の子だった。ミチがヌルになるための修行を始めてからは、お姉さんとして弟や妹の面倒をよく見てくれた。ナツともうまくやっていた。幼い頃からウニタルと婚約していたが、お嫁に行くなんて、もっと先の事だと思っていた。いつの間にか、マチルーは十七歳になっていた。
 幼い頃のマチルーを思い出していたら目が潤んできた。サハチはごまかすためにマチルギを見て笑った。マチルギも笑って、あれを見てというように、ンマムイの方を示した。サハチがンマムイを見たら、くしゃくしゃな顔をして涙を拭いていた。みっともない奴だと思いながらも、素直に泣いているンマムイがうらやましかった。サハチはこぼれる涙をそっと指で拭いた。
 固めの杯が終わると拍手が沸き起こって、新郎新婦たちは東曲輪に退場した。
 東曲輪では酒と餅が配られて、新郎新婦たちは集まった人たちに祝福された。二の曲輪にいた家族と家臣たちは一の曲輪の大広間に移って、お祝いの宴が開かれた。

 

 

 

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