長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-200.瀬織津姫(改訂決定稿)

 精進湖(しょうじこ)のほとりで焚き火を囲んで、ササ(運玉森ヌル)たちは『瀬織津姫(せおりつひめ)』に出会えた感謝の気持ちを込めて酒盛りを始めた。
 酒盛りの前に、ササは富士山の大噴火で犠牲になった人たち、森の中で暮らしていた生き物たちのために『鎮魂の曲』を吹いた。
 何もかもを優しく包み込んでしまうような美しい笛の調べは、満月に照らされた富士山麓を静かに流れて、山頂へと響き渡って行った。命ある物たちは快い調べに酔いしれて、霊となって彷徨(さまよ)っている物たちは、落ち着くべき場所が見つかったかのように穏やかな気持ちになっていた。
 誰もが目を閉じてシーンと聞き入っていて、誰もが意識せずに両手を合わせていた。初めてササの笛を聞いた喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)は、まるで神様が吹いているようだと感動していた。奥間(うくま)のミワは自分が生まれる前の遙か遠い記憶が蘇ったような気がして、自分も笛を習いたいと真剣に思っていた。
 曲が終わって横笛から口を離したササは月を見上げて、うまく吹けた事へのお礼をのべ、合掌をしているみんなを見て、「今回の旅の目的であった瀬織津姫様に会う事ができました。皆さんのお陰です。ありがとう」とお礼を言った。
「若ヌルたちは今回の旅で大変な思いをしたけど、きっと、あなたたちの役に立つ事でしょう。皆さん、御苦労様でした」
 持って来た肉の塩漬けや来る途中で集めた山菜を肴(さかな)に酒盛りが始まった。いつもは若ヌルたちにお酒は飲ませないが、今日は特別よと言って、皆で乾杯した。
「まさか、富士山までやって来るなんて思ってもいなかったわ」とナナが嬉しそうに言った。
対馬(つしま)にいた時、対馬に来た山伏から富士山の話を聞いて、ユキ(サハチの娘)と一緒に、いつか必ず富士山に行ってみたいわねって言っていたの。来られて本当によかったわ」
「あたしもいつか富士山を見たかったのよ」とシンシン(杏杏)も言った。
「ヂャン師匠(張三豊)から富士山の美しさは聞いていたわ」
「ヂャン師匠も富士山に来た事があったの?」とササはシンシンに聞いた。
「登ったって言っていたわよ。大昔、大陸に秦(チン)という国があって、『徐福(シュフー)』という仙人が大勢の子供たちを連れてやって来て、富士山の裾野に住み着いたって言っていたわ」
「どうして、子供たちを連れて来たの?」
「子孫を繁栄させるためでしょう。それに、色々な技術者も連れて来たらしいわ」
「そうだったの。瀬織津姫様もその仙人を知っているのかしら?」
「仙人だから、きっと、瀬織津姫様に会っているわよ」
「ねえ、富士山の神様なのに、どうして、『浅間大神(あさまのおおかみ)』なの?」とカナ(浦添ヌル)がササに聞いた。
「あたしもそれを聞きたかったんだけど、瀬織津姫様は急に黙り込んでしまったのよ」
「大噴火の悲劇を思い出してしまったんだわ」とナナが言った。
瀬織津姫様は未だに、子孫たちを助けられなかった事を悔やんでいるのよ」
「そうね」とササはうなづいた。
玉依姫(たまよりひめ)様が会いたがっていたのに声を掛けなかったのも、後悔の念が強すぎたからなのね」
「ありがとう。もう大丈夫よ」と瀬織津姫の声が聞こえた。
 声と同時に閃光(せんこう)が走った。まぶしい光に目を閉じて、恐る恐る目を開くと、古代の女神様と長い髭を伸ばした山伏の姿があった。
 瀬織津姫は白い絹の着物を着て、長い黒髪を垂らして、首に大きな勾玉(まがたま)を下げていた。美しい顔は偉大なる神様の尊厳さよりも、慈愛に満ちた優しさに溢れていた。
「そなたのお陰で、瀬織津姫様に会う事ができた。お礼を言うぞ」と山伏が言った。
役行者(えんのぎょうじゃ)様ですか」とササが聞くと、山伏は髭を撫でながら細い目をしてうなづいた。
 ササが若ヌルたちを見ると、みんな、眠りに就いていた。愛洲(あいす)ジルーも阿蘇弥太郎も飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)も辰阿弥(しんあみ)も覚林坊(かくりんぼう)も天久之子(あみくぬしぃ)も村上あやもミーカナとアヤーも眠りに就いていた。喜屋武ヌルは神様の姿を目の前にして、両手を合わせて拝んでいた。
「あなたが吹いた笛の調べを聴いて、気持ちが急に楽になったわ。過ちは悔い改めなければならないけど、いつまでも、それを引きずっている事も過ちだって気づいたわ」と瀬織津姫は美しい声で言った。
「わしらも仲間に入れろ」とスサノオの声がしたと思ったら、また光って、スサノオ玉依姫、ホアカリ、トヨウケ姫、そして、ユンヌ姫、アキシノ、アカナ姫、メイヤ姫が現れた。
「みんなしてお前のあとを付いて来たんじゃよ」とスサノオはササに笑ってから、瀬織津姫に皆を紹介した。
 初めて見た玉依姫は思っていた通り、威厳のある女神様だった。『日巫女(ひみこ)』と呼ばれ、『アマテラス』とも呼ばれた玉依姫は神々しいほどに美しく、きらびやかな衣装も女王にふさわしい華麗なものだった。ホアカリは大王という貫禄があって、祖父のスサノオによく似ていた。
 二人の顔を見比べながら、ササはホアカリの父親で、玉依姫の夫になった『サルヒコ』に会っていない事に気づいた。『大物主(おおものぬし)』とも呼ばれた二代目のヤマトゥ(大和)の大王になったサルヒコはどこにいるのだろう?
 トヨウケ姫は意外だった。小俣(おまた)神社で話をした時の感じでは、優しくて、しとやかな神様だろうと思っていたのに、弓矢を背負って勇ましく、女子(いなぐ)サムレーの大将のような感じだった。いたずらっぽい目つきでササを見て笑い、ユンヌ姫と仲良くなりそうな気がした。
「あなたたちがいるので、わたしの出番はないと隠れていたのよ」と瀬織津姫スサノオに言った。
「伊勢に神宮ができて、『伊勢津姫様』は封印されてしまいました。申し訳ありません」と玉依姫瀬織津姫に謝った。
「あそこに神宮ができたのは、あなたのせいではありません。気にする事はないわ。伊勢津姫は長い眠りに就いているだけよ」
「封印が解けたら戦世(いくさゆ)になるのですか」とササが瀬織津姫に聞いた。
「そんな事はないわ。ただ目覚めるだけよ。あの子はそんなに執念深くはないわ。ただ、大きな地震が起きるかもしれないわね」
「えっ、大きな地震が起こるのですか」
「伊勢の地は地震を起こす気(エネルギー)が強いって、あの子は言っていたわ。それで、あの子はその気を抑えるために伊勢に行ったのよ。でも、あの子自身が大きな気を身に付けてしまったので、恐れられて封印されてしまったの。あの子が意識しなくても、目覚めた時に大きな地震が起こるかもしれないわ。でも、あの子がきっと抑えてくれるでしょう。心配しなくても大丈夫よ」
 ササたちは安心して、神様たちと祝杯を挙げた。
「ササのお陰で、瀬織津姫様にお会いする事ができた。凄い美人じゃのう。噂では『コノハナサクヤヒメ』と最初に呼ばれたのは瀬織津姫様だったと聞いたんじゃが、まさしく、桜の花のような麗しい美しさじゃ」とスサノオが言った。
「美しさなんてはかないものです。わたしは八十年余りも生きましたが、最後は腰の曲がったお婆さんでしたよ」
瀬織津姫様、お聞きしたい事があるのですが、富士山の神様なのに、どうして浅間大神様なのですか」とササは聞いた。
「大昔は富士山とは呼んでいなかったのよ。阿蘇山と同じように煙を上げて噴火していたから、『アソムイ』と呼んでいたの。『アソ』は南の島の言葉で火山を意味して、『ムイ』は盛り上がった所、お山を意味しているわ。阿蘇山は『ムイ』が『ヤマ』に変化して、『アソヤマ』になって『アソサン』になったのよ。富士山の方は『アソムイ』が『アサマ』に変化したの。『アソムイノカミ』が『アサマノカミ』になったのよ」
「もしかして、琉球の安須森(あしむい)も『アソムイ』だったのですか」
「そうよ。当時は琉球って呼んでいなかったけど、あの島の目印があのお山だから『アソムイ』って、わたしが名付けたのよ。あのお山は火山じゃないけど、山頂に登れば神様に出会える聖なるお山だからね」
「いつから富士山と呼ばれるようになったのですか」
「わしが来た頃は富士山と呼ばれておった」と役行者が言った。
「『アサマ』から『フジ』になったのは、都で流行った『かぐや姫の物語』のお陰かもしれんのう。最後の場面で、不老不死の薬を山頂で焼いた事になっておるからのう。『不死の山』が、二つとない美しい山として、『不二の山』になったのじゃろう」
 『かぐや姫』の話が出て来るなんてササたちは驚いた。でも、琉球で演じられる『かぐや姫』は、かぐや姫が月に帰って終わりだった。富士山で不老不死の薬を燃やす場面は出て来なかった。
スサノオ様の頃は何と呼んでいたのですか」とササは聞いた。
「わしは富士山の事は知らなかったんじゃよ。伊勢より東には行った事はないんじゃ。噂では煙を上げている山があるとは聞いていたが、何と呼んでいたのか覚えておらんな。そんな事より、瀬織津姫様はどうして、こんな遠くまでやって来たのですか」
「どうしてかしらね。運命(さだめ)だったのかしら?」と瀬織津姫は首を傾げて笑った。
 うっとり見とれてしまうほど美しい笑顔だった。その笑顔を一目見たいと大勢の人たちが集まって来て、瀬織津姫様はみんなの神様として祀られたのだろうとササは思った。
「わたしは那智の滝が気に入って、そこを終焉の地にするつもりでいたのよ。でも、ある日、神津島(こうづしま)(伊豆諸島)の娘が訪ねて来たのよ。『矢の根石(やぬにーいし)(黒曜石)』と貝殻の交易がしたいと言って来たの。可愛い娘でね、自分の若い頃を思い出したわ。遠い那智まで来るのは大変だから、富士山の近くに拠点を造ってくれって言ったので、富士山まで行く事に決めたのよ。海の上から富士山を見て、わたしは一目で気に入ったわ。富士山こそが、わたしの終焉の地にふさわしいってね。沼津に交易の拠点を造って、都は富士山の北側に造ったの。富士山の上に昇る月が見られるから北側にしたのよ」
「ヤヌニーイシって何ですか」とササは聞いた。
「鉄が手に入る前、弓矢の鏃(やじり)は鋭い石を使ってたんじゃよ」とスサノオが説明した。
琉球では『黒石(くるいし)』と呼んでいて、魚を捕るモリの先にも付けていたんじゃ。琉球では手に入らん貴重な石だったんじゃよ。瀬織津姫様は矢の根石を求めてヤマトゥ(日本)に来たのですか」
「そうですよ。まだ、ヤマトゥとは呼ばれてはいなかったけどね。わたしは貝殻を積んで、百人の人たちを率いて、『矢の根石』と『翡翠(ひすい)』を求めてやって来たのよ。白川を遡(さかのぼ)って阿蘇山の麓(ふもと)に落ち着いたの。阿蘇山で矢の根石が採れたのよ。大量の貝殻を持って来たから、貝殻が欲しい人たちが大勢集まって来たわ。その中に『日向津彦(ひむかつひこ)』がいて、わたしは彼と結ばれたのよ。翡翠の産地のヌナカワ(糸魚川市の姫川)から来た人もいたわ。わたしはその人の案内でヌナカワまで行ったのよ。ヌナカワの首長の『ヌナカワ姫』と会って意気投合したわ。ヌナカワには翡翠を加工する工房があって、大勢の人たちが働いていたわ。わたしはそれを見倣って、琉球に貝殻の工房を造ったのよ。貝輪や首飾りを造らせて、ヤマトゥに運ばせたの。加工した方が運ぶのも楽だし、交易もうまくいったわ」
 ササが瀬織津姫の腕を見ると綺麗な貝輪をいくつも着けていた。玉依姫もトヨウケ姫も着けていて、今まで気づかなかったが、ユンヌ姫もアカナ姫もメイヤ姫も着けていた。貝輪はヌルの必需品だったのかもしれなかった。
瀬織津姫様はヤマトゥと琉球を行き来していたのですか」と玉依姫が聞いた。
「子供ができてしまったので、わたしはなかなか里帰りができなかったの。でも、一緒に来た人たちは毎年、冬に帰って夏に戻って来たわ。矢の根石と翡翠、絹や毛皮などを持って帰って、貝殻を運んでいたのよ。わたしが琉球に帰ったのは十年くらい経ってからだわ。子供たちを連れて帰ったのよ」
「その時、このガーラダマ(勾玉)を妹さんに贈ったのですね?」とササは首から下げたガーラダマを示しながら聞いた。
「そうよ。妹に垣花(かきぬはな)のヌル(首長)を継ぐように頼んだのよ」
「どうして、阿蘇から武庫山(むこやま)(六甲山)に移ったのですか」と玉依姫が聞いた。
「それは交易の範囲を広げるためよ。長女が十五歳になったので、阿蘇津姫の名前を譲って、阿蘇の事は長女と次女に任せたの。わたしは下の子供たちを連れて武庫山に移ったわ。武庫山にはヌナカワ姫の拠点があって、娘に跡を譲ったヌナカワ姫が武庫山にいたのよ。武庫山でも貝の交易はうまくいったわ。瀬戸内海沿岸の人たちは勿論の事、遠くの方からも山々を越えて、貝を求めてやって来たわ」
「武庫山から那智に移ったのも交易を広げるためですか」と玉依姫が聞いた。
那智に移ったのは交易のためじゃないわ。舟を造るための太い材木を探しに行って、那智の滝を見つけたの。ヌナカワ姫が亡くなってしまったので、わたしも死を予感して、終焉の地として那智を選んだのよ。でも、結局は富士山まで来てしまったわ」
瀬織津姫様の娘さんの『阿波津姫(あわつひめ)様』は、阿波の国(徳島県)の『大粟神社(おおあわじんじゃ)』にいらっしゃいますか」とササは聞いた。
「いると思うけど、阿波津姫がどうかしたの?」
「わたしの祖母は大粟神社の巫女の娘だったそうです」
「あら、もしかしたら、あなたのお祖母(ばあ)様は阿波津姫の子孫なの?」
「多分、そうだと思います」
「成程ね。それで、そのガーラダマを身に着ける事ができたのね」
「『大冝津姫(おおげつひめ)様』は阿波津姫様の事ですか」
「そうよ。阿波津姫はわたしたちの食糧を確保するために阿波の島(四国)に渡ったの。あそこは粟(あわ)の産地だったのよ。大冝津姫とも呼ばれたわ。オオゲツの『ゲ』は食物を意味していて、食物をつかさどる大いなる神様という意味なのよ」
瀬織津姫様にお尋ねいたします。秦から来られた『徐福』という仙人を御存じですか」とシンシンが聞いた。
「知っているわ。わたしが亡くなってから三十年くらい経って、大きな船でやって来たわ。徐福たちは河口湖のほとりで暮らしていたのよ。徐福は最新の技術を持って来たから、わたしの子孫たちも色々と教わったのよ。特に養蚕の技術はありがたかったわ。絹はわたしたちの都の特産になったのよ」
瀬織津姫様がお召しになっている絹もその都で造ったものなのですね」とササが聞いたら瀬織津姫は首を振った。
「これはヌナカワ姫が燕(イェン)の国と交易して手に入れた物なのよ。燕の国は秦に滅ぼされてしまうけど、あの頃は栄えていたのよ」
「ヌナカワ姫様の翡翠は燕という国まで行ったのですか」
「そうなのよ。ヌナカワ姫の配下の人たちは筑紫(つくし)の島(九州)の北にある弁韓(べんかん)(韓国南部)という所に渡って交易をしていたの。そこから、さらに北へと行って燕の国とも交易をしていたのよ。ヌナカワ姫は尊敬すべき凄い人だったわ」
「その凄いヌナカワ姫様よりも瀬織津姫様が有名なのはどうしてなのですか。何か凄い奇跡を起こしたのですか」
「そんなの起こしませんよ」と瀬織津姫は笑ったが、
「わしは知っておるぞ」と役行者が言った。
阿蘇津姫だった頃、阿蘇山の噴火を鎮めて有名になったんじゃよ」
「あの時は阿蘇に来て三年目で、わたしも若かったし、必死だったのよ。死ぬ覚悟で阿蘇山に登って、お祈りを捧げたら、阿蘇山の神様がわたしのお願いを聞いてくれたのよ。それ以後、わたしは阿蘇津姫と呼ばれるようになったのよ」
「武庫山では雨乞いのお祈りをして雨を降らせて、人々を喜ばせたんじゃ。雨乞いをした山は女神山(目神山)と呼ばれるようになった。武庫津姫様が住んでおられた屋敷跡には『広田神社』が建てられて、武庫津姫様をお祀りしておるんじゃよ」
「あの時もきっと、武庫山の神様がわたしのお願いを聞いてくれたのよ。武庫山には古くから人々が暮らしていて、その人たちは山の中のあちこちに神様を祀っていたわ。その人たちの神様が助けてくれたのよ」
「広田神社を創建したのは、わたしの跡を継いだ『豊姫』なのよ」と玉依姫が言った。
「豊姫が新羅(シルラ)を攻めて帰って来た時、戦(いくさ)に勝てたお礼として瀬織津姫様が住んでおられた地に広田神社を建てたのよ」
「シルラってどこですか」とササは玉依姫に聞いた。
「昔、朝鮮(チョソン)にあった国よ」
「豊姫様は朝鮮まで戦をしに行ったのですか」
「当時、朝鮮の南部には『倭人(わじん)』たちが住んでいて、小さな国を造っていたの。それを助けに行ったのよ」
「その時、豊姫は対馬(つしま)の『木坂の八幡宮(海神神社)』も建てたんじゃよ」とスサノオが言った。
「えっ、そうなのですか。もしかして、豊姫様は『神功皇后(じんぐうこうごう)様』なのですか」
「のちの世になって、そう呼ばれるようになったようじゃ」
 ササが神功皇后を知ったのは初めて対馬に行った時、ヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に対馬一周の旅で木坂の八幡宮に行った時だった。神功皇后というヤマトゥの王妃が朝鮮まで戦に行ったと神様から聞いて驚き、ユキの母親のイトが女船頭として活躍しているのも納得できたのだった。
 スサノオ玉依姫の話を聞いていた役行者が、「スサノオの神様とヤマトの国の女王様、卑弥呼(ひみこ)殿(玉依姫)と一緒に酒が飲めるなんて思ってもいなかった」と嬉しそうに笑った。
「これも皆、瀬織津姫様のお陰じゃな。改めて感謝いたそう」
 皆で乾杯したあと、ササは話を戻して、「那智でも瀬織津姫様は奇跡を起こしたのですか」と役行者に聞いた。
那智ではのう、真冬の大雪の降る中、瀬織津姫様は滝に打たれておったんじゃよ」
 瀬織津姫は手を振りながら笑った。
「そんな事はしていませんよ。誰かが幻を見たのでしょう」
那智では瀬織津姫様は如意輪観音(にょいりんかんのん)様として祀られておった。わしも如意輪観音様がふさわしいと思っていたんじゃが、天竺(てんじく)(インド)から来た法道仙人(ほうどうせんにん)から弁才天(べんざいてん)様の事を聞いて、瀬織津姫様は弁才天様じゃと思ったんじゃ。それで、天川(てんかわ)に弁才天社を造ったんじゃよ」
 那智の如意輪堂で如意輪観音像を見たが、やはり、天川の弁才天像の方が瀬織津姫様にふさわしいとササも思った。
 その夜は夜明け近くまで楽しくお酒を飲んでいた。神様たちと一緒にお酒を飲むと、いくら飲んでもお酒がなくならないので安心だった。
 翌日は精進湖でのんびりと過ごして、五ヶ所浦に帰ったのは八月十八日だった。二日後、愛洲のお屋形様が兵たちを引き連れて戦から帰って来た。
 戦に参加できなくて不機嫌だったお屋形様は、ジルーが帰って来た事を知ると、ジルーを城に呼び出した。ジルーが持って来た明国の陶器、南蛮(なんばん)(東南アジア)の珍しい品々、そして、トンドの砂金を見ると、急に機嫌がよくなった。
「帰りが遅いので心配していたが、南蛮まで行って来たとは恐れ入った。今宵は帰国祝いの宴(うたげ)を開いて、旅の話をゆっくりと聞こう」
 お屋形様はニコニコしながらジルーを褒めていた。
 ササたちも帰国祝いの宴に参加して、琉球の話をして喜ばれた。お屋形様の話によると、伊勢の戦は終わって、将軍様の兵も皆、撤収したという。
 翌日、ササたちはジルーたち、村上水軍のあやと別れて、覚林坊の案内で京都に向かった。
「戦は終わっても、戦のあとは残党どもや山賊どもが出て来て悪さをする。充分に気を付けてくれ」と覚林坊は言った。
 ササはヤマトゥ言葉がわからない若ヌルたちに注意を与えた。若ヌルたちは真面目な顔付きになって、うなづいた。
 その日は伊勢の外宮(げくう)の近くにある世義寺(せぎでら)まで行った。広い境内に僧坊が建ち並び、大勢の山伏たちがいた。覚林坊は山伏たちから情報を集めた。ササたちは宿坊に泊まって、翌朝、全員が山伏の格好に着替えて、宮川を渡って西へと向かった。街道は危険だというので山道を通って行き、着いた所は役行者が開いたという飯福田寺(いふたじ)(松阪市)だった。次の日は伊賀の霊山寺(れいざんじ)、その次の日は近江(おうみ)の飯道山(はんどうさん)と山伏の拠点に寄りながら、五日目に無事に京都に着いて、高橋殿の屋敷を訪ねた。
 覚林坊も高橋殿の噂は知っていた。先代の将軍様足利義満)の側室で、今の将軍様にも顔が利いて、高橋殿の機嫌を損ねると官位を剥奪されて左遷させられると言われるほど力を持っている。美人だが恐ろしい女だと聞いていると言った。
「とても優しい人ですよ」とササが言うと信じられないと言って覚林坊は首を振った。
 高橋殿は屋敷にいて、山伏姿のササたちを見て驚いた。
「博多に行っていた奈美から、今年もササは来ないって聞いたわよ」
「南の島に行っていて、みんなのあとを追って来たのです」
「そうだったの。御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)が喜ぶわ」
 ササたちは高橋殿の屋敷に入って、山伏姿からいつもの格好に着替えて、タミー(慶良間の島ヌル)とハマ(越来ヌル)とクルーに再会した。
「活躍は色々と聞いたわ」とササがタミーに言うと、
「活躍だなんて‥‥‥」とタミーは首を振った。
「ササ様の代わりを立派に務めなければならないと思っただけです。ササ様が来るなんて驚きました。愛洲様の船でいらしたのですね?」
「そうよ。色々と調べる事があってね。富士山まで行って来たのよ」
「えっ!」とタミーたちは驚いた。
 高橋殿も驚いて、「今度は何を調べているの?」と聞いた。
瀬織津姫様の事です。御存じですか」
瀬織津姫様なら西宮(にしのみや)と呼ばれている『広田神社』でしょ」
「広田神社に行った事があるのですか」
「先代の将軍様と一緒に行った事もあるし、その後も何度かお参りをしたわ」
 ササは嬉しそうな顔をして、「連れて行って下さい」と頼んだ。
 高橋殿が一緒ならどこに行っても怖い物なしだった。
「そうねえ。御台所様を誘って行きましょうか。御台所様もどこかに行きたくてしょうがないのよ。広田神社なら遠くもないし手頃だわね」
 ササたちは手を打って喜んだ。
「できれば、そのあと四国の『大粟神社』にも行きたいのですけど」とササは遠慮がちに言った。
「大粟神社?」
「阿波の国です。わたしの祖母がその神社の巫女の娘だったのです」
「えっ、あなたのお祖母様って、阿波の国の人だったの?」
 ササはうなづいた。
「祖母はもう亡くなってしまったんですけど、その神社には瀬織津姫様の娘さんの『阿波津姫様』がいらっしゃるので行ってみたいのです」
「阿波の国か‥‥‥いいわ。船を出して行きましょう」
 ササは頭を下げてお礼を言って、シンシン、ナナ、カナと顔を見合わせて喜んだ。
「ところで、あの子たちは何なの?」と高橋殿は若ヌルたちを見て聞いた。
「みんな、ササの弟子なんです」とナナが言った。
 高橋殿はササを見て笑った。
「八人も弟子がいるなんて大したものね。ずっと、あの子たちを連れて旅をしていたの?」
「そうなんです。阿波の国にも連れて行って下さい」
「賑やかな旅になりそうね」
 その夜、高橋殿は歓迎の宴を開いてくれた。豪華な料理を見て、若ヌルたちは目を丸くして驚いていた。中条(ちゅうじょう)奈美と対御方(たいのおんかた)と平方蓉(ひらかたよう)もやって来て、ササたちを歓迎した。
 ササたちが南の島の話をしていたら、御台所様がお忍びで現れた。
「明日まで待ちきれなかったわ」と御台所様はササのもとに駆け寄って、再会を喜んだ。
 覚林坊と辰阿弥、阿蘇弥太郎と喜屋武ヌル、天久之子、玻名グスクヌル、ミーカナとアヤーは唖然とした顔で、ササと御台所様の仲のいい様子を見守っていた。

 

 

 

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