長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-202.八倉姫と大冝津姫(改訂決定稿)

 高橋殿と御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)のお陰で、『浜の南宮』の秘宝である『宝珠』をササたちは拝むことができた。
神功皇后(じんぐうこうごう)様が豊浦(とゆら)の津(下関市長府)で海中より得られた如意宝珠(にょいほうじゅ)でございます。神功皇后様はこの宝珠のお陰で、危険な目に遭っても、それを乗り越えて、戦(いくさ)にも勝ち続けたのでございます。三韓征伐(さんかんせいばつ)から凱旋(がいせん)なされた時、『広田神社』を創建なされて、大切な宝珠を奉納されました。それからずっと、広田神社の秘宝としてお守りしております」
 宮司(ぐうじ)はそう説明した。一千年余りもの間、守り通したなんて凄い事だとササは思った。
 宝珠は直径二寸(約六センチ)弱の球形で、真ん中に一寸程の剣のような物が見えた。宮司の説明によると、『剣珠(けんじゅ)』とも呼ばれていて、古くから歌や詩にも詠まれているという。
 ササたちはお祈りをして、宮司にお礼を言って、浜の南宮をあとにした。
 兵庫の港にはまだ琉球の船はなかった。細川家の船に乗って、ササたちは阿波(あわ)の国(徳島県)に向かった。
 淡路島の東側を通って、四国の島に着くと吉野川を遡(さかのぼ)って、賑やかな船着き場から上陸した。
「ここが阿波の国の都、『勝瑞(しょうずい)(藍住町)』です」と細川右馬助(うまのすけ)が自慢そうな顔で、ササたちに言った。
「阿波の守護所は秋月郷(阿波市)にあったんだけど、右馬助の伯父さんが五十年前に、ここに移したのよ」と高橋殿が言った。
 人々が行き交う大通りの両脇には家々が建ち並んで、まるで京都のように栄えていた。大通りの突き当たりに、堀と土塁に囲まれた守護所があった。
 櫓門(やぐらもん)には武装した門番がいて、右馬助の顔を見ると驚いた顔をして、「若様」と言った。右馬助が高橋殿を紹介すると、さらに驚いた。別の門番が慌てて、どこかに走って行った。
 ササたちは守護所に入った。そこは塀に囲まれた広い庭で、厩(うまや)と侍(さむらい)の屋敷らしい建物が建っていた。右馬助に従って塀にある門を抜けると、そこには大きな屋敷がいくつも建っていた。
 守護所を守っている守護代の武田修理亮(しゅりのすけ)が現れて、ササたちは歓迎された。武田修理亮はササの噂を聞いていて、琉球のお姫様がやって来たと大喜びしたが、一緒にいるのが御台所様だと知ると、驚きのあまりに固まってしまった。
「お忍びだから内緒にしてね」と御台所様に言われて、武田修理亮は、「ははあ」と言って頭を下げた。
 ササたちは立派な客殿に案内されて、くつろいだ。
「先代の将軍様がここに来た時に利用した客殿よ」と高橋殿は言った。
「右馬助の伯父さんの細川常久(じょうきゅう)様(頼之)は、四国の四つの国の守護を務めていて、先代の将軍様が幼かった頃から管領(かんれい)という補佐役を務めて来た人なの。わたしが側室になった年に亡くなってしまったけど、北山殿(足利義満)から常久様の話はよく聞いたわ。北山殿が最も信頼していた人だったのよ」
 その夜、歓迎の宴(うたげ)が開かれて、豪華な料理を御馳走になった。新鮮な海産物はとてもおいしかった。若ヌルたちも高橋殿のお陰でお酒に慣れたとみえて、ニコニコしながらお酒を飲んで、おいしいと言いながら魚の刺身を食べていた。
 歓迎の宴に参加していた重臣たちの中に、三好筑前守(みよしちくぜんのかみ)という武将がいた。父の事を聞きたかったがササは黙っていた。
 高橋殿が調べた所によると、南北朝(なんぼくちょう)の戦の時、南朝方の阿波守護だった小笠原氏の守護代として『三好日向守(ひゅうがのかみ)』という武将がいて活躍していたという。五十年前に讃岐(さぬき)の国(香川県)で白峰(しらみね)合戦という大きな戦があって、三好日向守は戦死した。
 三好家も南朝北朝に別れて争っていて、細川家の家臣になっている三好氏は、三好日向守を倒した三好氏だから、三好日向の名前は口にしない方がいいと言われた。それと、白峰合戦から十数年後、『三好日向』を名乗る天狗のような男が現れて、南朝方の山伏たちを率いて、北朝方の細川氏を悩ませていたらしい。その三好日向は五年くらい活躍していたが、忽然(こつぜん)と姿を消してしまったという。天狗のような三好日向は、父に違いないとササは思った。
 翌日、一宮(いちのみや)城主の一宮長門守(ながとのかみ)の息子、又五郎の案内で、ササたちは『八倉比売(やくらひめ)神社』に向かった。
 昨夜、又五郎から一宮城の近くにある八倉比売神社に豊玉姫(とよたまひめ)様が祀られていると聞いたからだった。どうして、四国に豊玉姫様が祀られているのだろうと不思議に思ったが、ユンヌ姫に聞いたら、玉依姫(たまよりひめ)の娘の二代目豊玉姫だと教えてくれた。
「お祖母(ばあ)様(豊玉姫)が亡くなって、伯母様の次女が二代目の豊玉姫を名乗ったのよ。それまでは『アイラ姫』って呼ばれていたわ。アイラ姫は弓矢の名人で、鉄の鏃(やじり)の付いた矢を阿波の国に持って来たのよ。ウミンチュ(漁師)たちやヤマンチュ(猟師)たちに喜ばれたわ。ウミンチュたちは鉄の鏃をトゥジャ(モリ)に付けて魚(いゆ)を捕って、ヤマンチュたちは鉄の弓矢で獲物を仕留めたのよ。アイラ姫は亡くなったあと矢の神山に祀られて、やがて、お山の中腹に移されて、八倉比売神社になったのよ」
「八倉姫って、矢の倉の事ですか」
「そうよ。アイラ姫のお屋敷に矢の倉があって、矢が欲しい人たちが、海の幸や山の幸を持ってやって来ていたのよ。アイラ姫自身も弓矢を持って、お山の中を駆け回っていたわ。剣山(つるぎざん)にも登って、山頂にお祖父(じい)様(スサノオ)とお祖母様を祀ったわ。お父様のサルヒコは大麻山(おおあさやま)に祀ったのよ」
大麻山ってどこにあるの?」
「守護所の北に見えるお山よ」
「お母様の玉依姫様はどこに祀ったの?」
「お母様は長生きしたから祀れなかったのよ。お母様が亡くなった二年後に、アイラ姫は亡くなったわ。八倉比売神社でアイラ姫が待っているわよ」
「アイラ姫様はあたしのお父さんの事を知っているかしら?」
「さあ、どうかしら?」とユンヌ姫は頼りない返事をした。
 守護代の武田修理亮が警護の兵を付けてくれたので、大げさな一行になっていた。吉野川を渡し舟で渡って、鮎喰川(あくいがわ)を左に見ながら一時(いっとき)(二時間)余り歩くと八倉比売神社に着いた。この辺りは国府と呼ばれる古い都があった所で、古いお寺や神社がいくつも建っていた。
 『八倉比売神社』はいくつもの鳥居をくぐって坂道を登り、さらに石段を登った上にあった。神気の漂う森の中に古い神社が建っていた。侍たちと一緒に、腰に刀を差した女たちがぞろぞろとやって来たので、何事かと神官やら巫女(みこ)やら山伏やらが驚いた顔をして、ササたち一行を見ていた。
 宮司も顔を出して、一宮又五郎を迎えた。宮司は女性で、六十歳を過ぎた老婆だった。琉球のお姫様が参拝に来られたと又五郎が伝えたら、驚いた顔をしてササたちを見た。
 宮司の案内で拝殿から参拝したが、アイラ姫の声は聞こえなかった。
「この神社に奥の宮はありますか」とササは宮司に聞いた。
「奥の宮は気延山(きのべやま)の山頂にございます。古くはこの神社も山頂にありましたが、七百年程前にお山の麓(ふもと)に国府ができて、都として栄えた頃、山頂からこの地に遷座(せんざ)なさいました。当時は『矢の神山』と申しておりましたが、源義経(みなもとのよしつね)公が平家攻めの時に矢の神山に登って、一休みなさいましたので、『気延山』と呼ばれるようになったのでございます。そして、この神社は八倉姫様のお墓の上に建っているのでございます」
「えっ、お墓の上?」と言って若ヌルたちが騒いだ。
「古墳と呼ばれる古いお墓でございます。この辺りにはいくつもの古墳がございます。八倉姫様の御子孫たちの古墳でございましょう」
 ササたちは山伏の案内で、気延山に登った。四半時(しはんとき)(三十分)も掛からず、山頂に着いた。山頂には祭壇のような岩座(いわくら)があって、その近くに石の祠(ほこら)が祀ってあった。
 ササたちは祭壇の前に跪(ひざまず)いてお祈りをした。
「あなたがササなのね」と神様の声が聞こえた。
「噂は聞いているわ。よく来てくれたわね。歓迎するわよ」
「『アイラ姫様』ですか」とササは聞いた。
「そうよ。トヨウケ姫とホアカリの妹のアイラ姫よ。南の島に行って来た兄から、ササの事は色々と聞いたわ。瀬織津姫(せおりつひめ)様まで探し出したなんて凄いわね。鮎喰川を遡って山奥に入って行くと、『大粟山(おおあわやま)』というお山があるわ。そのお山に、『大粟姫様』という古い神様が祀ってあるの。剣山一帯に住んでいる人たちの御先祖様なんだけど、詳しい事はよくわからなかったのよ。今の地に八倉比売神社が建てられた頃、大粟山の中腹にも大粟神社が建てられて、『大冝津姫(おおげつひめ)様』が祀られたわ。大冝津姫様というのは大粟姫様の事なんだけど、詳しい事はよくわからなかったの。何度か、声は聞いた事があるんだけど、わたしの方から話しかけても返事はいただけなかったのよ。ササのお陰で、大粟姫様が瀬織津姫様の娘の『阿波津姫(あわつひめ)様』だってわかって、ようやく、謎が解けたわ。ありがとう」
「わたしが瀬織津姫様に出会えたのは、父と母が出会ったお陰なのです」とササは言った。
「わたしの祖母は大粟神社の巫女の娘だったのです。わたしと同じ、笹という名前です。御存じありませんか」
「残念ながら知らないわ。大粟神社で聞けばわかるんじゃないの?」
「はい。これから行こうと思っています。父の名は『三好日向(みよしひゅうが)』です」
「三好日向なら知っているわよ。小次郎の事でしょう」
「えっ、父を御存じなのですか」
 ササは驚いた。三好日向を名乗る前の父の名前は確かに小次郎だった。
「あなたのお父さんが小次郎だったなんて驚いたわね。小次郎ならよく知っているわ。初めて会ったのは十二、三の頃だったわ。妙蓮坊(みょうれんぼう)という剣山の山伏と一緒に来て、わたしを彫った像を奉納したのよ。荒削りな神像だったけど気に入ってね、その後の小次郎を見守る事にしたのよ」
「父が十二、三の時に彫った神像があるのですか」
「八倉比売神社の観音堂の中にあるわ。一尺ほどの像だからすぐにわかるわよ」
「帰りに見てみます。父が三好日向として活躍した事も御存じなのですね?」
「戦で家族を失った小次郎は伯母を頼って大粟神社に行ったのよ。家族の敵(かたき)を討つために妙蓮坊から武芸を習っていたわ。小次郎の敵は大西城の城主、三好孫二郎だったの。小次郎が十六歳の時、師匠の妙蓮坊が亡くなってしまって、小次郎は武者修行の旅に出たわ。当時、南朝(なんちょう)の国と言われていた九州を巡って、山伏たちがいる各地の修験(しゅげん)の山々を登って、熊野に行く途中で、慈恩禅師(じおんぜんじ)と出会うのよ。慈恩禅師と一緒に旅をしながら武芸の修行に励んで、阿波に帰って来たのは二十一歳の夏だったわ。五年間、留守にしていた間に、状況もすっかり変わってしまっていたの。阿波だけじゃなくて、讃岐も伊予(いよ)(愛媛県)も土佐(とさ)(高知県)も四国全土が細川氏によって平定されていたのよ。それでも、山奥には細川氏に反抗していた武士たちがいたの。小次郎はそんな武士たちと一緒に細川氏と戦っていたわ。その時、祖父が名乗っていた『日向』を名乗ったのよ。五年間、小次郎は細川氏と戦っていたけど、最後まで抵抗していた祖谷山(いややま)の菅生(すげおい)氏が細川氏に降参すると、小次郎も敵討ちを諦めて阿波から姿を消したのよ。対馬(つしま)に渡って、平和に暮らしていると思っていたけど、琉球に行ったのは知らなかったわ」
「父は敵討ちを諦めたのですか」
「慈恩禅師の教えがわかったのよ。慈恩禅師も若い頃、敵討ちをしたわ。敵討ちの虚しさを身をもって体験している慈恩禅師の気持ちがわかったんじゃないかしら。それに、敵だった三好孫二郎も小次郎が討つ前に亡くなってしまったしね」
「そうでしたか‥‥‥アイラ姫様がこの島にいらした時、この島はどんな風だったのですか」
「わたしが来た時、この島は東側が『粟(あわ)の国』、西側が『魚(いを)の国』と呼ばれていたわ。当時は海がこのお山の近くまで来ていて、わたしはここを拠点にして、兄がいた出雲(いづも)の国から鉄を手に入れていたのよ。粟と魚、それとお山で採れたカモシカや猪の肉や毛皮を鉄と交換していたの」
「阿波津姫様の御子孫の人たちが暮らしていたのですね」
「そうなのよ。当時、お山の事をムイ(森)って呼んでいたの。琉球と同じねって思ったんだけど、瀬織津姫様が琉球から来たんだったら当然だったのよね。その頃、そんな事にはまったく気づかなかったわ」
「アイラ姫様も琉球に行った事があるのですか」
「一度だけ、姉と一緒に行ったのよ。久し振りに行ってみようと思っているわ」
「歓迎いたします。是非、お越しになって下さい」
 ササはお祈りを終えて、アイラ姫と別れた。
 若ヌルたちもアイラ姫の声を聞く事ができたが、ウニチルとミワにはまだ聞こえなかった。二人は修行が足らないのねと悔しがっていた。
 ササたちは山を下りて八倉比売神社に戻って、観音堂にあるアイラ姫の神像を見た。
 父が彫ったという神像は荒削りで、一見しただけだと何だかよくわからない像だった。でも、じっと見ていると弓矢を構えている観音様のように見えた。
「わかりますか」と宮司がササに聞いた。
 ササはうなづいた。
「わたしにはこの像のよさがわかりませんでした。母にはわかったようです。ここに安置したのは母でした。今ではわたしにも、この像の素晴らしさはわかります。弓矢を構えている観音様なんて、ここにしかないでしょう」
 宮司はアイラ姫の神像を見ながら優しい笑みを浮かべていた。
 宮司と別れて、ササたちは『一宮城』に向かった。鮎喰川を渡し舟で渡って、一宮の城下に着いた。城は山の上にあって、普段暮らしている屋形(やかた)が山の麓(ふもと)にあった。若様が琉球のお姫様を連れて来たと大騒ぎになり、又五郎の父、一宮長門守に歓迎された。長門守は一宮城の城主で、武将でもあり、一宮神社の宮司も務めていた。一宮神社は『大粟神社』を勧請(かんじょう)した神社で、『大冝津姫』を祀っていた。
 ササたちは昼食を御馳走になって、一宮神社に参拝してから大粟神社に向かった。
 高橋殿が長門守から聞いた話によると、大粟神社の宮司長門守の弟の備前守(びぜんのかみ)が務めていて、以前の宮司は隠居させられてしまったという。備前守は巫女だった宮司の娘を妻に迎えて宮司になり、本当なら宮司を継ぐはずだった息子は神官として備前守に仕えている。先代の宮司は神社から追い出されて、悲嘆に暮れながら六年前に亡くなった。あとを追うように宮司の妻も亡くなっていた。
 ササは驚いた。父は自分を知っている者はいないだろうと言っていたが、まさか、大粟神社の宮司まで変えられてしまったなんて思ってもいなかった。
「どうするの? 大粟神社まで行っても、お祖母(ばあ)様の事はわからないかもしれないわよ」
「ここまで来たのだから行ってみます。お祖母様の事はわからなくても、『阿波津姫様』には会えると思います」
「そうね」と高橋殿はうなづいた。
 大粟神社は思っていたよりも遠かった。鮎喰川に沿った道をどんどんと山奥に入って行った。川に沿った道なので、それほど険しい場所はなく、天川(てんかわ)の弁才天社に行った一行にとっては何でもない道のりだったが、日暮れ近くになって、ようやく到着した。
 『大粟神社』は鮎喰川と上角谷川(うえつのだにがわ)に挟まれた位置にある大粟山の中腹にあった。鳥居をくぐって参道を登って行くと、強い霊気の漂った森の中に古い神社があった。
 守護の息子の細川右馬助と一宮城主の息子の一宮又五郎が、男装した女たちを連れて、ぞろぞろとやって来たので、村人たちが大勢集まって来た。
 又五郎が叔父の宮司にササの事を説明すると、驚いた顔をしてササを見た。
琉球のお姫様がこんな山奥までいらっしゃるとは驚きじゃ。どうして、大粟神社を訪ねて参ったのですか」
瀬織津姫様を御存じでしょうか」
 宮司は首を傾げた。
「古い神様です。その神様は琉球から日本に来ました。この神社に祀られている『大冝津姫様』は瀬織津姫様の娘さんです。それで挨拶に参ったのです」
「大冝津姫様が琉球に関係あるなんて初めて知りました。古い神様の事はよくわからんが、遠い所からよくいらしてくれました。歓迎いたします」
 細川右馬助が宮司に耳元で何かを言うと、宮司は驚いた顔をして御台所様を見て、それから高橋殿を見た。ササを見た時以上に驚いて、宮司は慌てて神官を呼ぶと何かを命じて、神官も驚いた顔をしてどこかに行った。
 ササたちは拝殿から神様を拝み、宮司の案内で山の裾野にある大通寺(だいつうじ)という大きなお寺に行った。大通寺には山伏たちが何人もいて、立派な袈裟(けさ)を着けた住職が挨拶に出て来て、ササたちは立派な宿坊に案内された。
「先代の将軍様もここまで来た事はないけど、阿波守護の細川常長(じょうちょう)(義之)様は時々、お参りに来ているみたい。その時、宿泊するのがこの宿坊らしいわ」と高橋殿が言った。
 ササは覚林坊(かくりんぼう)に、追い出された宮司の事を知っている者を探すように頼んだ。話を聞いていた飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)も一緒に行ってくれた。
 突然の事だったのに、御台所様のために奔走(ほんそう)したとみえて、宮司は山の幸の御馳走でもてなしてくれた。宮司と住職は御台所様と高橋殿の機嫌を取るのに夢中で、ササたちの事は後回しだった。お陰で、ササ、シンシン、ナナの三人は宴席を抜け出す事ができ、池のほとりにある弁才天堂の前で、覚林坊と修理亮が連れて来た老夫婦と会った。
 覚林坊が老夫婦にササを紹介すると、
「小次郎さんの娘さんなのですね」と老婦人が言った。
「父を知っているのですか」とササが聞くと、
「従姉(いとこ)です」と言った。
 ウメと名乗った老婦人は、隠居させられた宮司の姉だった。夫は三好日向と一緒に戦っていた久保孫七という男で、今は猟師をしていた。
「小次郎さんは八歳の時に妙蓮坊様という山伏に連れられて大粟神社にやって来ました。家族が皆、殺されたと聞いて、わたしは驚きました」とウメは言った。
「どうして、父だけが助かったのですか」
「妙蓮坊様と一緒に山の中で武芸の修行をしていたそうです。でも、あとで聞いたら、当時の小次郎さんはまだ八歳で、武芸よりも彫り物に興味があったようで、妙蓮坊様から彫り物を教わっていたようです。小次郎さんも夢中になってしまって、夕方になってお城に戻ると、敵に攻め取られてしまっていたのです」
「父はお城に住んでいたのですか」
「小次郎さんは田尾城(三好市山城町)という山の中のお城の城下で生まれました。四歳の時に小次郎さんのお祖父(じい)さんが大西城(三好市池田町)を奪い取って、大西城を任されたのです。細川氏が阿波に来る前は、小笠原氏が阿波の守護を務めていました。守護所は三好郷の岩倉城(美馬市)にあって、小次郎さんのお祖父さんは小笠原氏を助けて、守護代になったのです。南北朝の戦が始まって、北朝によって阿波守護に任命された細川氏が阿波に攻めて来ます。小笠原氏は細川氏に対抗するために南朝方となって細川氏と戦うのです。小笠原氏は守護所の岩倉城も奪われてしまって、山の中の田尾城を拠点にします。大西城には小笠原氏の一族がいましたが、細川氏に寝返ってしまいます。小次郎さんのお祖父さんは大西城を奪い取ったのですが、四年後に讃岐に出陣して、お祖父さんもお父さんも戦死してしまいます。その時に、北朝に寝返っていた三好孫二郎に大西城を攻められて、留守を守っていた人たちは皆、戦死してしまったのです。小次郎さんのお母さん、お兄さんとお姉さん、二人の妹も皆、亡くなってしまいます。妙蓮坊様と小次郎さんが山からお城に戻った時、お城は敵兵に囲まれていて、家族の安否はわかりませんでした。妙蓮坊様は小次郎さんを大粟神社に連れて来てから、家族を救い出すために大西城に戻ります。大西城の裏には吉野川が流れていて、その河原に戦死した人たちの遺体が捨ててあって、その中に小次郎さんの家族たちの遺体もあったのです。幼い子供たちも皆、無残に殺されていたそうです。妙蓮坊様は家族の遺体を舟に積んで運んで、途中で荼毘(だび)に付したそうです」
「父の母親の事は御存じですか」
 ウメは首を振った。
「叔母が嫁いだのはわたしが生まれる前で、わたしが十歳の時に、叔母は亡くなりました。わたしは一度も会っていないのです。母から聞いた話では、岩倉城を奪われて田尾城に移った小笠原氏が、剣山の山伏たちを味方に付けるために、大粟神社の巫女の娘を守護代の三好日向守の息子に嫁がせたと言っていました。大冝津姫様は剣山の山伏たちの神様だったのです。小次郎さんのお祖父さんとお父さんが戦死した讃岐の白峰合戦のあと、一宮神社の宮司で、一宮城の城主でもある一宮民部大輔(みんぶたいふ)(長宗)が寝返ってしまい、剣山の山伏たちも敵味方に分かれて争うようになってしまいます。小次郎さんが阿波に帰って来て、剣山の山伏たちを率いて反抗しますが、時の勢いには勝てず、皆、細川氏に降伏してしまいます。大粟神社も降伏して、領地は安堵されたのですが、小次郎さんが阿波から去って十一年後、突然、一宮の兵が攻めて来て、宮司だった弟は無理やり隠居させられたのです」
「ウメさんは大丈夫だったのですか」
「わたしは司(つかさ)の巫女を務めていましたが、わたしも隠居させられました」
「司の巫女とは何ですか」
「大粟神社に限らず、ほとんどの神社は昔から巫女が中心になって神事をつかさどってきました。宮司は女性だったのです。戦の世の中になって、神社も領地を守るために武器を持った神人(じにん)を抱えるようになります。それらを指揮する指導者が必要になって、男の宮司が生まれるのです。司の巫女というのは、神事をつかさどる巫女の事です」
 話を聞いて、琉球按司とヌルの関係によく似ているとササは思った。
「当時、わたしは孫七さんと一緒に村に住んでいたので、弟夫婦を引き取ったのです。弟は小次郎さんと同い年でした。代々続いていた宮司職を奪われた衝撃で、五十五歳で亡くなってしまいました。小次郎さんはお元気なのでしょうか」
「父は今、琉球の中山王(ちゅうざんおう)の水軍の大将として活躍しています」
「小次郎さんが水軍の大将ですか‥‥‥まさか、小次郎さんの娘さんと会えるなんて、夢でも見ているような気分です。きっと、大冝津姫様が会わせてくれたのでしょう。本当にありがたい事です」
 ウメはササを見つめながら泣いていた。
 ササは孫七から父、三好日向の活躍を聞いた。
「日向殿はわしより一つ年下でしたが、凄い人でした。わしは日向殿の弟子になって武芸を学んで、共に細川を倒すために戦ったのです。敵の虚を突いて、敵の食糧や武器を奪ったりしていましたが、幕府を後ろ盾にした細川氏を倒すのは容易な事ではありません。日向殿が阿波に帰って来て四年目の事でした。以前に阿波、讃岐、伊予、土佐の守護を兼ねていて、幕府の管領(かんれい)を務めていた細川常久が幕府から追われて四国に逃げて来たのです。当時、阿波の守護は細川伊予守(いよのかみ)(正氏)でした。細川同士で戦を始めたのです。幕府を追われたとはいえ、常久に従う者は多く、伊予守は南朝方と手を結んで戦いました。わしらも常久相手に戦ったのですが、常久の勢いを止める事はできず、伊予守も祖谷山に逃げ込みました。祖谷山の武士たちも寝返る者が多くなって、日向殿の敵(かたき)だった三好孫二郎が岩倉城で亡くなってしまうと、日向殿も阿波の国を去る事になりました。わしは日向殿を見送ったあと、大粟神社に行って、ウメに日向殿が去った事を伝えました。わしは以前からウメの事が好きだったので、その事を打ち明けて、ウメもうなづいてくれたのです」
 いつの日か、ウメの子孫が大粟神社に戻れる事を祈って、ササたちは孫七とウメと別れた。
 翌朝、ササはウメと一緒に神宮寺(じんぐうじ)の裏にある祖母のお墓に行った。森の中に草が刈られた一画があって、石が置いてあるだけのお墓があった。大きな石が一つと小さな石が四つあった。
 石の前にしゃがむとウメは両手を合わせて、「小次郎さんの娘のササさんですよ」と言った。
「小次郎の娘?」と驚いたような神様の声が聞こえた。
琉球という南の島から来たのですよ。小次郎さんは琉球で元気で暮らしているらしいわ」
琉球? 小次郎は無事に生きているのね?」
「ササと申します。お祖母様ですね。父は元気です」とササは言った。
 ウメが驚いた顔をしてササを見て、「あなた、叔母の声が聞こえるの?」と聞いた。
 ササは笑ってうなづいた。
琉球にはヌルという巫女のような人たちがいます。わたしの母はヌルで、わたしもヌルなのです。神様の声を聞く事ができます」
「そうだったの。わたしは生前、叔母とは会っていませんが、神様になられた叔母とはよく話をしていたのです。でも、そんな事を言っても信じてはもらえないだろうと思って黙っていたのです。あなたが神様の声を聞く事ができるなんて驚いたわ」
「小次郎はどうして、琉球に行ったのですか」と祖母が聞いた。
「戦の世の中にうんざりして、平和な南の島に来たと言っていました。そこで、わたしの母と出会って、わたしは生まれました」
琉球は戦のない平和な島なのですね」
「いいえ。琉球にも戦はあります。父は中山王を助けて、戦で活躍しました。わたしの母は中山王の妹で、父は水軍の大将です」
「小次郎が大将ですか‥‥‥会いたいわ」
「あたしが連れて行くわ」とユンヌ姫の声がした。
「今のは誰?」とウメがササに聞いた。
琉球から一緒に来たユンヌ姫様です」
「あなた、神様と一緒なの?」とウメは驚いていた。
「お祖母様を連れて行けるの?」とササはユンヌ姫に聞いた。
「阿波津姫様の子孫なら、瀬織津姫様の子孫でしょ。瀬織津姫様の子孫という事は、あたしたちと同族よ。お祖父様が造った道を通れるはずよ」
 ササにはよくわからないが、「それじゃあ、お願いするわ。父に会わせて、そして、また、こちらに戻してね」と頼んだ。
「任せてちょうだい」
「お祖母様、ユンヌ姫様と一緒に琉球に行って下さい」とササは言った。
「子供たちも連れて行ってもいいかしら?」
「大丈夫です」
「ありがとう」
「行ってくるわ」とユンヌ姫の声が聞こえた。
 ウメが叔母に語り掛けたが返事はなかった。
「叔母さん、琉球に行ったみたい」と言ってウメは笑った。
 ウメは祖母から聞いた話をササに話してくれた。
 ササの祖母の笹は、ウメの母親である姉のツタと一緒に巫女になるために育てられた。十八の春、田尾城にいた阿波の守護代、三好日向守から縁談があった。両親はあんな遠くに嫁ぐのは反対したが、笹は大冝津姫様の声を聞いて、嫁ぐ決心をした。笹は剣山の山伏たちに守られて、二日掛かりで山道を通って田尾城に嫁いだ。
 嫁いだその日に戦があって、笹は連れて来た山伏たちを指揮して戦った。敵を追い散らして戦に勝利して、笹は田尾城の城主、阿波守護の小笠原宮内大輔(くないたいふ)(頼清)に歓迎されて、三好日向守の長男、太郎に嫁いだ。初めて見る太郎は大冝津姫様から聞いた通り、好感の持てる男で、笹は嫁いで来てよかったと大冝津姫様に感謝した。
 翌年、長男の小太郎が生まれ、二年後に長女が生まれ、その二年後には次男の小次郎が生まれた。戦は頻繁にあったが、笹は幸せな日々を送っていた。
 嫁いで八年目、義父と夫の活躍で、大西城を奪い取って、義父は大西城主になった。笹は家族を連れて大西城に移った。
 大西城は百年以上前に、阿波守護に任命された小笠原氏が阿波に来て最初に築いた城だった。守護所が岩倉城に移ったあと、小笠原一族が守っていたが、南北朝の戦が始まってから、大西城の小笠原阿波守(義盛)は北朝に寝返ってしまう。
 敵対していた小笠原阿波守が亡くなり、息子の代になった所を襲撃して、大西城を奪い取ったのだった。大西城を奪い取った事で南朝方の士気も上がった。そして四年後、義父と夫が讃岐に出陣した留守を狙われて、岩倉城を守っていた三好孫二郎の奇襲に遭う。内通した者がいたらしく、敵はあっという間になだれ込んできた。笹も必死に戦うが、子供たちは殺され、笹も戦死した。
「内通した者はわかったのですか」とササはウメに聞いた。
「留守を任されていた貞光丹波守(さだみつたんばのかみ)らしいわ」
「えっ、留守を守っていた武将が裏切ったのですか」
「貞光氏も兄弟が敵味方になって戦っていたの。弟は小笠原阿波守に仕えていて、阿波守と一緒に北朝方になったわ。弟は戦で活躍して、細川氏に仕えるようになって、城を任されるようになったらしいの。弟の出世をうらやんで寝返ったのかも知れないわね。でも、戦死したみたい。敵に斬られたのか、裏切り者として味方に斬られたのかわからないけど」
「そうですか‥‥‥ところで、祖父のお墓はここにはないのですか」
「讃岐で戦死したから遺体の回収はできなかったのよ。ひどい負け戦で、あのあと、一宮城の小笠原民部大輔も細川氏に降参したわ。戦死したあなたの祖父と曽祖父のお墓は田尾城にあるらしいわ」
「田尾城というのは阿波の国の西の方にあるのですね?」
「そうよ。伊予との国境の近くの山の中よ。小笠原宮内大輔は讃岐の合戦で戦死しないで、田尾城に戻って来たけど、多くの戦死者を出して、戦う気力もなくなって細川氏に降参したらしいわ。今は孫の代になっていると思うけど、詳しい事はわからないわ」
 ウメと別れて大通寺に戻り、朝食を御馳走になったあと、宮司備前守の娘で巫女を務めているフサの案内で、ササたちは奥の宮がある大粟山の山頂に登った。
 樹木に覆われた山頂には、苔(こけ)むした石の祠と祭壇のような岩座があった。
 ササたちはお祈りをした。
「母が突然、現れたので驚いたわよ」と神様の声が聞こえた。
「『阿波津姫様』ですね」とササは聞いた。
「その名前で呼ばれるのは久し振りだわ。伊予の国では『伊予津姫』と呼ばれたし、御島(みしま)(大三島)では『御島津姫』って呼ばれたわ。やがて、『大冝津姫』と呼ばれるようになって、今では阿波津姫と呼ぶのは母だけだわ。長い間、富士山に籠もっていた母を外に出してくれたのは、あなただったのね。母を動かすなんて凄いわ。母がスサノオと一緒に現れて、あなたの事を楽しそうに話してくれたわ。母の笑顔を見たのは本当に久し振りだったわ」
「わたしが瀬織津姫様に出会えたのは、父と母が出会ったお陰なのです」とササはアイラ姫に言った事と同じ事を阿波津姫にも言った。
「わたしの祖母は大粟神社の巫女の娘だったのです。わたしと同じ、笹という名前です。御存じありませんか」
琉球から来た子孫だって、あなたの事を母が言っていたけど、わたしにはよく理解できなかったのよ。どうして、琉球にわたしたちの子孫がいるのだろうって不思議に思ったわ。母の生まれ島だから、わたしも琉球に行った事はあるけど、わたしたちの子孫が琉球に行って、子孫を増やしたのかしらって思っていたの。そうだったの。あなたのお婆さんがわたしの子孫だったのね。でも、笹という名前だけではわからないわ」
「わたしの父は小次郎という名前で、『三好日向』と名乗って、剣山の山伏たちと一緒に細川氏と戦っていたそうです」
「三好日向‥‥‥思い出したわ。三好日向のお母さんが笹だったのね。お嫁に行く時に、わたしに相談した娘だわ。阿波の守護代だった三好日向守の息子に嫁いで、大西城で家族と一緒に戦死してしまったのよね。息子の小次郎だけが助かって、大粟神社に来たわ。敵を討つんだって言って、剣術の修行に励んでいたわ。彫り物も上手で、わたしの像も彫ってくれたのよ。神宮寺にあるわよ」
「えっ、ここにも父が彫った神像があるのですか」
「わたしが剣を振り上げている姿よ。わたしたちの時代に剣なんてなかったけど、雰囲気がわたしによく似ていて気に入っているのよ」
「阿波津姫様も戦なんてしたのですか」
琉球から運んできた貝殻は貴重品だったから、それを奪おうとする悪人はいたわ。戦というほどではないけど、わたしも悪人たちと戦って追い払ったのよ」
「どうして、こんな山の中を拠点にしたのですか」
「最初は吉野川のほとりに拠点を造ったんだけど、あの川は暴れ川で、どうしようもなかったわ。それで鮎喰川に移したのよ。お山で採れた木の実や藻塩(もしお)漬けの肉や毛皮をここに集めて舟に乗せて、途中で集めた粟も乗せて海に出て、淡路島に沿って北上して、姉がいる武庫山(むこやま)(六甲山)まで運んだのよ。拠点はここだけじゃないのよ。南部の和奈佐(わなさ)(海陽町)という港も拠点にして、琉球に行く舟を出していたのよ」
「そこから琉球に行ったのですか」
「そうよ。瀬戸内海にある御島(みしま)も拠点にして、瀬戸内海の島々と貝の交易をしたのよ。御島は神様の島になって、わたしの娘の『伊予津姫』が祀られているわ」
「御島というのは大三島の事ですか」
「今はそう呼ばれているわ」
 村上あやから聞いた事があったのをササは思い出した。厳島(いつくしま)神社のある島から鞆(とも)の浦に向かう途中、いくつもある島の中の一つだった。帰りに寄る事ができるかもしれないと思った。
「伊予津姫様は瀬戸内海の島々と貝の交易をしていたのですね」
「そうよ。わたしの跡を立派に継いでくれたわ。弓矢が得意で、賢い娘なんだけど、お酒好きが玉に瑕(きず)だったわ」
「伊予津姫様はお酒好きだったのですか」
「可愛いから誰も文句は言わなかったけど、『酔ひ(えい)姫』って呼ばれていたのよ」
 ササは笑った。お酒好きと聞いて、仲良くなれそうな気がした。帰りに大三島に寄って行こうと決めた。
大三島の何という神社に行けば、伊予津姫様に会えますか」
「『大山積神社(おおやまつみじんじゃ)』よ。『大三島明神(おおみしまみょうじん)』とも呼ばれているわ。その奥にある『女神山』に祀られているんだけど、その山には誰も入れないわ。女神山の裾野に『入り日の滝』があるわ。そこに行けば会えるわよ」
 神様の声を聞いた事がない巫女のフサは目を丸くして、大冝津姫と話をしているササをじっと見つめていた。