長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-214.ファイテとジルーク(改訂決定稿)

 十二月七日に奥間(うくま)のサタルーと一緒にヤンバル(琉球北部)に行ったハルたちは、十四日に無事に帰って来た。知らせを受けて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)が安須森(あしむい)ヌルの屋敷に行くと、シジマを囲んで、みんなが騒いでいた。
按司様(あじぬめー)、シジマさんが神人(かみんちゅ)になったのよ」とハルがサハチに言った。
「何だと?」とサハチはシジマを見た。
 確かにシジマは変わっていた。旅に出る前と顔付きも変わり、神々しい光に包まれているように見えた。
「一体、何があったんだ?」とサハチは驚いた顔をして安須森ヌル(先代佐敷ヌル)に聞いた。
「シジマはアキシノ様の子孫だったのよ」と安須森ヌルが信じられない事を言った。
「子孫と言ってもただの子孫じゃないのよ。アキシノ様の娘から娘へとずっと続いていって、シジマが生まれたのよ」
 サハチはもう一度、シジマを見た。シジ(霊力)の高いヌルだけが持っている独特の雰囲気が感じられた。
「そんなシジマが、どうして、ここにいるんだ?」
 安須森ヌルはシジマから聞いた話をサハチに話した。
「すると、お爺(サミガー大主)が『屋嘉比(やはび)のお婆』に頼まれて、シジマをキラマ(慶良間)の島に連れて行ったのか」
「そうだったみたい」
「お爺は俺たちの知らない所で色々な事をしていたようだな」
「そうよ。あたしたち、亡くなってからもお爺にいっぱい助けられているわ」
「あのう、按司様もアキシノ様を御存じなのですか」とシジマが不思議そうに聞いた。
「アキシノ様は安須森ヌルたちと一緒に南の島(ふぇーぬしま)を探しに行ってくれたんだよ。今はササと一緒にヤマトゥ(日本)に行っている」
「兄も神人なのよ」と安須森ヌルが言った。
「ええっ!」とシジマだけでなく、ハルとシビー、油屋のユラ、ウニタル(ウニタキの長男)とマチルー(サハチの次女)、女子(いなぐ)サムレーたちも驚いた顔をしてサハチを見た。
「俺なんかまだ駆け出しだよ」とサハチは笑った。
「それで、シジマは志慶真(しじま)ヌルになるのか」
 シジマは首を傾げた。
「ウトゥタル様は志慶真ヌルを継ぎなさいって言ったけど、志慶真ヌル様はちゃんといらっしゃるし、わたしは絶対に志慶真村に近づいてはいけないって言われました」
「まもなく、アキシノ様もヤマトゥから帰って来るだろう。アキシノ様に聞いたら、お前がこれからやるべき事もわかるだろう。しかし、アキシノ様の血を継いでいるヌルが、屋嘉比のお婆とその娘の屋嘉比ヌルと若ヌル、そして、シジマしかいないなんて驚いたな」
按司が中心の世の中になってしまって、按司の娘がヌルを継ぐようになってしまったから、アキシノ様の血を継いでいるヌルが絶えてしまったのよ」と安須森ヌルは言った。
「それに、昔みたいに男が女のもとに通って、母親が中心の世の中だったら、もっと子孫が残せたと思うわ」
「神様の事はお前に任せるよ」とサハチは安須森ヌルに言って、「新しいお芝居は書けそうか」とハルとシビーに聞いた。
「大丈夫よ。任せておいて」とハルは笑って、シビーとうなづき合った。
「ユラもいいお芝居が書けたのよ」
 サハチがユラを見ると、
「旅に出て本当によかったです」とユラは満足そうな顔をして笑った。
「新しい弟子ができたな」とサハチは安須森ヌルに言って、ウニタルと一緒にいる知らない男を見た。
「恩納岳(うんなだき)の木地屋(きじやー)のゲンです」と男は自己紹介をした。
「タキチの配下か。みんなを送って来てくれてありがとう」
「いえ、玻名(はな)グスクに行く用があったので丁度よかったのです。一人で行くより楽しい旅になりました」
 娘たちの剣術の稽古が始まったので、女子サムレーたちが出て行った。サハチはハルから、今帰仁按司(なきじんあじ)の『千代松(ちゅーまち)』と『志慶真のウトゥタル』の事を聞いた。志慶真ヌルだったウトゥタルが千代松の味方をして、千代松が志慶真曲輪(しじまくるわ)から攻め登って、今帰仁グスクを攻め落としたという話は興味深かった。
 ウニタキ(三星大親)がヤンバルから帰って来たのは、その翌日だった。
「面白い事になってきたぞ」と言って、ウニタキはニヤニヤした。
「湧川大主(わくがーうふぬし)は帰って来たのか」
 ウニタキはうなづいた。
「それで、湧川大主は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)を攻め取ったのか」
「まあ、落ち着け。順を追って話す」と言ってウニタキはお茶を口にしてから話し始めた。
「俺は今帰仁の『まるずや』で待っていたんだが、奴はなかなか帰って来ない。待ちくたびれた頃、ハルとシビーが名護(なぐ)に来たと聞いて驚いた。国頭(くんじゃん)まで行くというので、俺も国頭まで行ったんだ。ハルたちが奥間に向かったんで俺は今帰仁に帰った。羽地(はにじ)まで来た時、湧川大主が運天泊(うんてぃんどぅまい)に帰って来たという知らせが入った。どうして、運天泊に来たのかわからなかったが、運天泊に行く途中で、羽地に帰る兵たちを見た。皆、暗い顔付きで疲れ切っているようだった。凱旋(がいせん)しないで帰るという事は負け戦(いくさ)に違いないと確信したよ」
「負け戦か」とサハチはニヤッと笑ってから、
「四百の兵でも攻め落とせなかったのか」と不思議に思った。
今帰仁に行ったら、湧川大主の負け戦はすでに噂になっていた。本当かどうかは知らんが、湧川大主は山北王(さんほくおう)になぐられて、前歯が吹き飛んだと噂されていたよ」
「負け戦か‥‥‥」とサハチはもう一度言ってから、
「戦死者は多いのか」と聞いた。
「各地の噂によると、百人は戦死しているだろう。そして、台風にやられて三隻の船が座礁(ざしょう)したようだ。そのお陰で、全員が帰る事ができずに、国頭の兵は奄美大島(あまみうふしま)に残された。もしかしたら、国頭の兵は全滅したのかもしれん」
 サハチは腕を組んで、考えを巡らせた。
「各地の反応はどうなんだ?」
「湧川大主がそれなりの戦後処理をしたからな、今すぐに離反するという所までは行っていない。あともう一つ何かが必要だ」
「そうか‥‥‥」とサハチはお茶を飲んで、少し考えてから、「噂を流したらどうだ?」と言った。
「噂? 何の噂だ?」
「山北王とクーイの若ヌルの事は城下の人たちは知っているのか」
「いや、知らんだろう。城下の人たちにとって、山北王は雲の上の存在だからな、側室の事までは知らないだろう。去年のお祭り(うまちー)の時、踊りの指導をしたウクとミサの事は知っているだろうが、クーイの若ヌルの事は知らないはずだ」
「山北王がクーイの若ヌルに夢中になって、沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)に若ヌルのために豪華な御殿(うどぅん)を建てて、毎晩、贅沢な宴(うたげ)を催していると噂を流すんだ」
「そんな噂を流したら、山北王は怒って、噂を流した奴を捕まえろと言うぞ」
「奥間の鍛冶屋(かんじゃー)に頼むわけにはいかんな。お前の配下が沖の郡島のウミンチュ(漁師)に扮して流せばいい」
「俺の配下は捕まる事はないが、本物のウミンチュが捕まるぞ。どうせ捕まるならサムレーの方がいいんじゃないのか」
「そうだな。御殿を造った普請奉行(ふしんぶぎょう)の仕業にすればいい」
「いや、遊女屋(じゅりぬやー)でヤマトゥンチュ(日本人)たちに流そう。ヤマトゥンチュたちに広まって、そして、城下の人たちが知る頃には、誰が噂の張本人かわからなくなる。怒った山北王はヤマトゥンチュたちを接待したサムレーを罰するだろう」
「よし、それがいいな。今帰仁はそれでいいとして、名護、羽地、国頭はどうする?」
今帰仁の遊女屋に繰り出す者はどこにでもいるさ。噂にならなかったら、遊女屋で聞いた話だと言って噂を流せばいい。だが、その噂だけでうまく行くかな」
「鬼界島で戦死した兵の家族たちは騒ぐだろう。鬼界島で戦をしていた時に、山北王はクーイの若ヌルと一緒に御殿でお楽しみだったんだからな」
「その家族たちを煽(あお)る者が必要だな。真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)を使おうと思うんだが、どう思う?」
「真喜屋之子に今帰仁を攻める事を教えるのか」
「教えても大丈夫のような気がするんだ」
「そういえば、鬼界島に行った弟が帰って来たんだったな」
「仲尾之子(なこーぬしぃ)だ。親父が暮らしていた屋敷にいる。奴の妻は諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)の妹だった」
「だから兄貴がへまをしても助かったんだな。諸喜田大主の義弟じゃ寝返る事はないな。諸喜田大主の妻は誰なんだ?」
「志慶真大主(しじまうふぬし)の妹だ。今の志慶真大主は、亡くなった長老の孫なんだよ。息子は長老よりも先に亡くなったんだ。マカーミといって、ンマムイ(兼グスク按司)の妻のマハニの幼馴染みのようだ」
「志慶真大主の妹か‥‥‥ハルとシビーの次の新作は今帰仁按司だった千代松の話だ。千代松を知っているか」
 ウニタキはうなづいた。
「以前、志慶真の長老から聞いた事がある。英祖(えいそ)の次男の『湧川按司(わくが-あじ)』が今帰仁グスクを攻め落として、今帰仁按司になった。湧川按司の晩年に生まれたのが『千代松』だ。湧川按司の婿(むこ)だった『本部大主(むとぅぶうふぬし)』が反乱を起こして、幼い千代松を追い出して、今帰仁按司になったんだ。成長した千代松は本部大主を攻め滅ぼして、今帰仁按司になったと聞いている。千代松は英祖の孫だからな、味方する按司も多かったのだろう」
「ハルとシビーが国頭の長老から聞いてきた話だと、本部大主はどうしようもない色ぼけ按司で、志慶真ヌルは千代松の味方をしたらしい。千代松は志慶真曲輪から攻め登って、今帰仁グスクを落としたんだ」
「志慶真曲輪か‥‥‥千代松の頃と今ではグスクの規模が違うからな、志慶真曲輪を奪い取ったとしても、今帰仁グスクを攻め落とすのは難しい」
「それでも、志慶真村を寝返らせれば、志慶真曲輪は手に入る。外曲輪(ふかくるわ)を攻め取るのは容易な事ではないだろう。搦(から)め手の志慶真曲輪を手に入れれば、かなり前進する」
「志慶真村か‥‥‥志慶真大主の妻は国頭按司の妹だと聞いている。奄美大島に残された根謝銘大主(いんじゃみうふぬし)の妹でもある。兄の一名代大主(てぃんなすうふぬし)は戦死しているし、山北王を恨んでいるかもしれんな」
「女子サムレーのシジマを知っているだろう」
「ああ、昔話がうまい娘だろう」
「シジマも今回、ハルたちと一緒にヤンバルに行ったんだ。そして、神人になって帰って来た」
「何だと?」
 サハチはシジマの事をウニタキに話した。
「シジマが本物の志慶真ヌルだったのか。そいつは驚いた。ササの仲間が増えたな」
「確かにな。ササたちが帰って来たら、きっと一緒にヤンバルに行くだろう。志慶真村には志慶真大主の姉の志慶真ヌルがいる。そのヌルがいる限り、シジマは志慶真ヌルにはなれない。もし、シジマが志慶真ヌルになれれば、志慶真村は寝返るだろう」
「村の人たちがシジマに従うというのか」
「初代のアキシノ様の流れを継いでいるヌルだからな、従うしかないだろう」
「志慶真村が重要だという事だな。志慶真村の事を詳しく調べてみよう。アキシノ様だが、今帰仁攻めに賛成してくれるのか。アキシノ様を敵に回したら神様たちも争う事になるぞ」
「神様の事は安須森ヌルとササに任せるしかない。俺たちはアキシノ様が賛成してくれる事を祈るしかない」
「そうだな。ところで、真喜屋之子はどうする?」
「山北王を倒すという話に乗ってくるかな」
「山北王と湧川大主がいる限り、隠れて暮らさなければならないんだ。乗ってくると思うがな。もし、乗って来なくても、山北王にばらす事はあるまい」
「国頭のクミは真喜屋之子の事をナコータルー(材木屋の主人)に言っただけなのか」
「今のところはな。ナコータルーに話したという事は真喜屋之子の味方だろう。山北王には言わないと思うがな」
 サハチはうなづいて、「お前に任せるよ」と言った。
裏目に出た時は、俺が責任を持って始末する」とウニタキは言った。
 二日後、侍女のマーミから、真喜屋之子がヤマトゥのサムレーに扮して、旅芸人の護衛としてヤンバルに向かったと知らされた。ウニタキは別行動で今帰仁に行ったという。真喜屋之子がうまくやってくれる事をサハチは祈った。
 その翌日、五月に送った進貢船(しんくんしん)が無事に帰って来たと知らせが届いた。留学していたファイテ(懐徳)とジルーク(浦添按司の三男)も帰って来たという。サハチはファイチの妻のヂャンウェイ(張唯)とミヨン、ウニタキの妻のチルー、シングルーの妻のファイリン(懐玲)、佐敷大親(さしきうふや)の妻のキク、平田大親の妻のウミチル、クグルーの妻のナビーとシタルーの妻のマジニを連れて、首里(すい)に向かった。
 サハチたちが着いた頃には、浮島(那覇)からの行列を終えて、皆が『会同館』の庭に集まっていた。
 正使の末吉大親(しーしうふや)、副使の桃原之子(とうばるぬしぃ)、クグルーとシタルー、サムレー大将の外間親方(ふかまうやかた)、勝連(かちりん)のサムレーたちを率いて行った屋慶名親方(やきなうやかた)にお礼を言って、唐旅(とーたび)から帰って来た若者たちの所に行った。佐敷大親の息子のシングルーとヤキチ、中グスク按司の息子のマジルー、平田大親の息子のサングルーは皆、目を輝かせて、素晴らしい旅だったと言った。シングルーは妻のファイリンとの再会を喜び、ヤキチは母のキクと、サングルーも母のウミチルと再会を喜んだ。マジルーも中グスクからやって来た母と姉の中グスクヌルとの再会を喜んでいた。
 旅の話をあとで聞かせてくれと言って、サハチは留学から帰って来たファイテとジルークの所に行った。
 ファイテとジルークはファイチ(懐機)、マチルギ、馬天(ばてぃん)ヌルと一緒にいた。五年間、明国(みんこく)にいた二人は見違えるほど大きくなっていた。旅立った時、十六歳だった二人は華奢(きゃしゃ)で頼りなかったが、武芸もやっていたのか、たくましい体つきになっていた。
「ただ今、帰りました」と二人は目を輝かせてサハチに言った。
 サハチは満足そうに二人にうなづいて、「長い間、御苦労だった」とねぎらった。
 ミヨンがじっとファイテを見つめていた。ファイテも気づいて、ミヨンを見つめた。皆が二人のために道をあけた。
 ミヨンの目から涙がこぼれた。
「会いたかった」とファイテが言った。
 ミヨンはファイテを見つめているだけで声が出なかった。
「これからはずっと一緒だ」とファイチが二人に言って、二人の肩をたたいた。
 ジルークはウニタキの妻のチルーと話をしていた。ジルークはチルーの甥だった。浦添(うらしい)からジルークの母と兄のクサンルーが来て、ジルークとの再会を涙を流して喜んだ。
 宴の準備が整って、皆で会同館に入った。思紹(ししょう)(中山王)が来て挨拶をして、帰国祝いの宴は始まった。
 サハチはファイテの所に言って、ミヨンとヂャンウェイ、ファイチと一緒に五年間の明国での暮らしを聞いた。
「一年目は寂しかったけど、先輩の李傑(リージェ)(李仲按司の次男)さんが色々と教えてくれたので助かりました。サングルミー(与座大親)さん、クグルーさん、シタルーさんは毎年、来てくれて琉球の事を教えてくれました。五年間はあっという間でした。『国子監(こくしかん)』の書庫(しょこ)には驚くほど多くの書物があって、もう片っ端から読んで、そして、写しました。写した書物をいっぱい持って来たので、役に立てて下さい」
「そいつは助かる。お前が留守中に首里に四つのお寺(うてぃら)ができたんだ。会同館の隣りにある『大聖寺(だいしょうじ)』は首里の子供たちに読み書きを教えている。ソウゲン(宗玄)和尚がそこにいる」
「えっ、ソウゲン和尚さんが首里にいるのですか。真っ先に会いたいと思っていたのです」
「ここの隣りだ。そのうち、顔を出すだろう。そして、ちょっと離れた所にある『報恩寺(ほうおんじ)』は、明国の国子監のようなものだ。読み書きを覚えて、さらに学びたいという者たちが勉学に励んでいる。そこに書庫があるんだが、そこに保管して、みんなに読んでもらおう」
琉球の国子監ですか。それも造らなければならないと思っていたのです。王様(うしゅがなしめー)が造ってくれたのですね。あとの二つのお寺は何を学ぶのですか」
「『慈恩寺(じおんじ)』は武術道場だ。サムレー大将を養成する所だな。もう一つはまだできたばかりで、ジクー禅師殿が帰って来たら落慶供養(らっけいくよう)をやる事になっている。そこはヤマトゥとの交易に関する事をやるお寺だ。明国の事を久米村(くみむら)に任せているように、ヤマトゥの事は『ジクー寺』に任せようと思っているんだ」
「四つもお寺ができたなんて凄いですね」
「これからも建てるつもりだ。お前も色々な事を学んできただろうが、これから何をしようと思っているんだ?」
「やりたい事はいっぱいありますよ。石の橋を造って浮島と安里(あさとぅ)をつなげたいし、石畳を敷いた立派な道も造りたい。お酒も造りたいし、琉球にないおいしい果物(くだもの)も育てたい。とにかく、基本の知識はたっぷりと身に付けてきました。これからは、その知識を使って実践する番です。どうせやるのなら人の役に立つ事をしたいです。ジルークとも相談したんですが、まずは琉球を旅したいと思います。各地を旅して、何が必要なのかを考えて、これからやるべき事を見つけようと思います」
「なに、明国から帰って来て、また旅に出るのか」
「応天府(おうてんふ)(南京)は充分に知っていますが、琉球は島添大里(しましいうふざとぅ)の周辺しか知りませんから」
「旅に出るのはいいが、ミヨンを寂しがらせるなよ」とサハチが言ったら、
「大丈夫です」とミヨンは言った。
「あたしも一緒に行きます」
「なに、お前も行くのか。そういえば、ウニタル夫婦も旅をしたっけな」とサハチは笑った。
「お前たちは仲良く旅ができていいが、ジルークが可哀想だ。お嫁さんを探してやらなくちゃならんな」
「ジルークの帰りをずっと待っている人がいるのよ」とミヨンは言った。
「なに、ジルークにそんな娘がいたのか」
「連れて来ようと思ったんだけど、ジルークの気持ちがわからないからって来なかったの。ファイテはジルークから聞いていないの?」
「ミカの事だろう。ジルークはミカからもらった手拭い(てぃさーじ)をとても大切にしていたよ。もうお嫁に行ってしまっただろうって諦めているみたいだけどな」
「お嫁には行っていないわ。島添大里の女子サムレーになったのよ」
「何だって? ジルークの好きな娘は島添大里の女子サムレーなのか」とサハチは驚いていた。
「ずっと剣術のお稽古に通っていて、去年の正月、やっと女子サムレーになったのよ。ミカのお父さんは島添大里グスクに勤めている役人なの。ジルークは浦添按司(うらしいあじ)の息子よ。釣り合いが取れないから諦めろとお父さんに言われて、旅立つジルークに手拭いを渡すのが、ミカにできた精一杯の事だったの。ジルークが明国に行ったあと、縁談はいくつもあったんだけど、ミカはみんな断って剣術の修行に励んでいたわ。女子サムレーになってからは両親も諦めて、お嫁に行けとは言わなくなったみたい」
「二人の気持ちが今も続いているのなら、一緒にさせてやろう」とサハチは言って、ジルークの所に行った。
 ジルークは母と兄のクサンルーと叔母のチルーに明国の話をしていた。サハチの顔を見ると頭を下げて、「お陰様で、思い切り勉学に励めました」と言った。
「明国の言葉はすぐに覚えたのか」とサハチは聞いた。
「いえ、それが一番難しかったのですよ」とジルークは笑いながら言った。
「読む事はできても、話したり聞いたりするのは難しいです。ファイテがいたから何とか話せるようになりました。でも、書物を読むのは楽しかったです。知らない事を色々と学びました。やはり、明国は凄い国です。明国はまだ、それほどの歴史はありませんが、元(げん)の国だった頃の書物や、その前の宋(そう)の国だった頃の書物、その前の唐(とう)の書物まであるのです。皆、漢字で書かれているので意味はわかります。歴史書儒教(じゅきょう)、仏教、道教漢詩、天文、地誌、医術、武芸、もう手当たり次第に読みまくりました」
「武芸の書物もあるのか」
「絵も描いてあって面白かったです。その書物のお陰で武芸に興味を持って、四川(スーチャン)から来た官生(かんしょう)で『峨眉拳(エーメイけん)』の名人がいたので、ファイテと一緒に稽古に励みましたよ」
「四川とはどこなんだ?」
「明国の西の方で山ばかりの所らしいです。『雲南(ユンナン)』という山の中から来た官生もいて、雲南ではシビグァー(タカラガイ)が銭(じに)の代わりとして使われていると聞いて驚きましたよ」
 その話はファイチから聞いた事があった。
「ところで、そろそろ、お嫁さんをもらった方がいいんじゃないのか」とサハチが言うと、
「わたしもその事を言ったんですよ」とチルーが言った。
「そしたら、明国に行く前に好きな娘がいて、その娘がお嫁に行って幸せだったら考えるなんて言うのよ。五年前に好きだった娘の事を今頃言ったってどうしようもないでしょうって言っていたのよ」
「明国に行く時、ジルークはその娘から手拭いをもらって、今でも大事に持っているそうだ。なあ、そうだろう」
 ジルークは照れくさそうな顔をしてうなづいた。
「その娘はお前を待っているぞ」とサハチは言った。
「えっ!」とジルークは驚いた。
「ミヨンがここに来るように誘ったんだが、仕事を抜けるわけにはいかないって言ったそうだ。お前が行くのを待っている」
「誰なの、その娘って?」とチルーが聞いた。
「ミカという娘だ」
「えっ、ミカちゃんだったの?」と言って、チルーはジルークを見ていた。
「知っているのか」とサハチはチルーに聞いた。
「知っているわよ。ミヨンの幼馴染みだもの。そうだったの。全然、気づかなかったわ。ミカちゃんがお嫁に行かないで女子サムレーになったから、ずっと女子サムレーに憧れていたんだと思っていたわ。あなたを待つために女子サムレーになったのね」
「ミカは女子サムレーになったのですか」
「島添大里グスクにいる。明日、一番に飛んで行け」
 ジルークは嬉しそうにうなづいた。その目が潤んでいるように見えた。

 

 

 

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