長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-230.混乱の今帰仁(改訂決定稿)

 今帰仁(なきじん)でお祭り(うまちー)が最高潮の頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクではトゥイ(先代山南王妃)の母親ウニョン(先々代中山王妃)を偲ぶと称して、家族たちが集まっていた。トゥイの夢枕に母が出て来て、急遽、家族を呼び集めたのだった。その中には保栄茂按司(ぶいむあじ)夫婦と子供たちもいて、保栄茂按司の家族は保栄茂グスクに帰る事なく、そのまま島尻大里グスクで暮らす事になる。
 島尻大里の城下の屋敷で暮らしていた仲尾大主(なこーうふぬし)は島添大里(しましいうふざとぅ)のミーグスクにいるヤンバル(琉球北部)の長老たちに呼ばれて、妻と娘を連れてミーグスクに行った。我部祖河(がぶしか)の長老は仲尾大主の叔父で、喜如嘉(きざは)の長老は妻の叔父だった。ミーグスクは以前に暮らしていた所なので気楽な気持ちで出掛けたが、仲尾大主は中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の山北王(さんほくおう)(攀安知)攻めを知らされ、羽地(はにじ)、名護(なぐ)、国頭(くんじゃん)も中山王に従うと聞いて、驚きのあまり腰が抜けたようになった。仲尾大主の家族はそのまま、ミーグスクに滞在した。この時点で、ミーグスクの主(あるじ)のチューマチとマナビー(攀安知の次女)はまだ何も知らない。マナビーにはマチルギが直接知らせるというので、長老たちも内緒にしていた。


 お祭りの翌日、後片付けを済ませた旅芸人たちは、油屋のユラと喜如嘉の長老の孫娘のサラを連れて、今帰仁をあとにした。旅芸人たちはサラも連れて帰る予定でいたが、ユラに頼む前にサラの方から、マナビーに会いたいので島添大里に行きたいと言い出していた。喜如嘉の長老が南部にいるので、両親も許してくれた。
 山北王の側室のクンはクミたちと一緒に国頭に帰った。最近、父親の具合がよくないと言って、クミはクンの帰郷を促していた。
 武芸試合に参加した者たちも、サムレーに取り立てる者たちには改めて知らせると言われ、皆、引き上げて行った。優勝したウシャは腰にヤマトゥの刀を差し、馬に乗って得意顔でクミたちと一緒に帰って行った。
 湧川大主(わくがーうふぬし)も側室のメイとハビーと子供たちを連れて運天泊(うんてぃんどぅまい)に帰った。山北王の攀安知(はんあんち)は城下の屋敷でクーイの若ヌルと仲良くやっていた。
 お祭りに来た人たちが皆、帰った昼過ぎ、静けさを取り戻した今帰仁の城下に、中山王の大軍が攻めて来るという噂がどこからともなく流れてきた。
 羽地、名護、国頭の按司たちが、中山王の今帰仁攻めとヤンバルの按司たちも中山王に従う事を家臣たちに知らせ、それぞれの城下の人たちにも公表した。家臣たちも城下の人たちも驚いたが、今までの山北王の仕打ちを考えたら、それも当然だと納得する者が多かった。
 各按司たちは今帰仁に住んでいる同郷の人たちを呼び戻すために配下の者を送り、山北王の兵が攻めて来た時に城下の人たちをグスク内に収容するための準備と、中山王の兵たちを迎え入れるための準備も始めた。
 今帰仁の城下は大混乱に陥った。中山王が攻めて来るだけでなく、羽地、名護、国頭、恩納(うんな)、金武(きん)の按司たちが皆、裏切って、中山王と一緒に攻めて来るという。
 二十五年前の中山王(察度)の今帰仁攻めを知っている人たちは当時の事を思い出して慌てた。城下は焼かれて、グスクは敵兵の大軍に囲まれ、九日間もの籠城の末、按司と若按司が殺された。当時、グスク内に避難した人たちは、恐ろしくて夜も眠れなかったと言った。早く城下から逃げた方がいいと人々は荷物をまとめて逃げる準備を始めた。
 今帰仁の城下には羽地、名護、国頭から移住した人たちも多かった。昨日、仲良くお祭りを楽しみ、共に酒を飲んでいた者たちが、「この裏切り者め!」とあちこちで殴り合いの喧嘩が始まった。城下の騒ぎを静めるサムレーたちの中にも羽地、名護、国頭出身の者たちはいて、噂の真実を確かめるために故郷へと向かった。
 城下にいた攀安知は噂に驚き、クーイの若ヌルを連れてグスクに戻った。グスク内でも、その噂に振り回されて大騒ぎしていた。攀安知がクーイの若ヌルを連れたまま一の曲輪(くるわ)の御殿(うどぅん)に行くと、義弟の愛宕之子(あたぐぬしぃ)が待っていた。クーイの若ヌルを別の部屋で待たせて、攀安知愛宕之子から話を聞いた。
「噂は本当のようです。羽地、名護、国頭の按司たちが送った者たちが、同郷の者たちに今帰仁を離れて帰るように説得して回っています。三人の按司たちは裏切ったようです」
「何だと!」と攀安知は真っ赤な顔をして怒鳴った。
「あの三人が寝返っただと? 一体、いつ、寝返ったんだ?」
「それはわかりませんが、長老たちが首里(すい)見物に出掛けたのは、それに関係があるのだと思います」
「お前は中山王には戦(いくさ)をする気配などまったくないと言ったが、あれは嘘だったのか」
「あの時点ではありませんでした。その後の話だと思います」
 山北王は悪態をついて怒りまくり、「重臣たちを集めろ」と命じた。
 城下にいたテーラー(瀬底大主)やサムレー大将たちも慌ててグスクにやって来ていた。二の曲輪の屋敷に集まった重臣たちは青ざめた顔を見合わせながら、「信じられん事じゃ」と言っていた。
 怒った顔の攀安知が現れると皆、黙って俯いた。
 攀安知重臣たちの顔を見回すと、「三人の按司たちが裏切ったそうだ。誰もその事に気づかなかったのか」と聞いた。
 答える者は誰もいなかった。
「中山王がいつ攻めて来るのかを調べて、それに備えて戦の準備をするのが肝要かと思います」とテーラーが言った。
「三人の按司たちを放っておいて、戦の準備をするというのか」
「一千人、あるいは二千人で攻めて来たとしても、このグスクを攻め落とす事は不可能です。前回、先代の中山王(武寧)が総大将になって攻めて来た時も、落とす事はできずに引き上げて行きました。今回もきっとそうなるでしょう。半月後には梅雨の季節になります。中山王が引き上げたあと、三人の按司たちを始末すればいいのです」
 攀安知テーラーをじっと見てから、うなづいた。確かにテーラーの言う通りだった。中山王の大軍が攻めて来ても、このグスクが落とせるわけがなかった。外曲輪(ふかくるわ)ができて、二十五年前の時よりグスクは強化されているし、兵糧(ひょうろう)の蓄えも充分にある。梅雨になれば中山王も諦めて引き上げるに違いない。
「中山王に一泡吹かせてやるか」と攀安知はニヤニヤと笑った。
 三人の按司たちが裏切ったと聞いて頭に来たが、冷静に考えてみれば、今帰仁グスクを守るのに三人の按司たちは何の兵力にもならなかった。裏切らなかったとしても、自分のグスクに籠もっているだけに違いない。中山王が今帰仁まで攻めて来てくれるのなら、痛い目に遭わせて追い返せば、今後の展開にいい結果を及ぼす事になるだろう。
 来るなら来い。待ち構えてやると攀安知は強気になっていた。
 サムレー大将たちに戦の準備をさせ、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)を奥間(うくま)から撤収させ、湧川大主を呼べと攀安知は命じた。
 志慶真(しじま)村でも噂を聞いて大騒ぎになっていた。志慶真大主は志慶真ヌルを問い詰めた。
「中山王が山北王を攻めるなんて、わたしは知りません。わたしは島添大里グスクで女子(いなぐ)サムレーを勤めていただけです。そんな重要な事を知る立場にはいませんでした」
「お前がここに来たのは戦とは関係ないと言うのだな」
「関係ありません。志慶真ヌル様がお亡くなりになったあと、若ヌルを助けるために来たのです」
「そうか」と言って志慶真大主は納得したが、名護、羽地、国頭が寝返った今、志慶真村として、どうしたらいいのかわからなかった。志慶真大主の妻は国頭按司の妹だった。妹のマカーミは諸喜田大主の妻だった。次男のジルーは湧川大主の娘を妻に迎えて、湧川大主の配下になっていた。妻には悪いが、志慶真村を守るには、やはり山北王に従うしかないかと志慶真大主は思った。
 その頃、今帰仁の城下から親泊(うやどぅまい)(今泊)に向かうハンタ道は、荷物を担いで城下から逃げる人たちが列をなしていた。城下の人たちは外曲輪内に避難できるが、敵兵に囲まれたグスク内にいるのは恐怖感があった。親戚や知人を頼って、今帰仁から離れた方が安全だった。
 湧川大主の側室のマチも娘のチルーを連れて、人混みに押されながら運天泊を目指していた。油屋のユラの兄も家族を連れて、油の蔵がある本部(むとぅぶ)の渡久地(とぅぐち)を目指していた。『まるずや』も撤収し、商品を積んだ荷車を引いて、研ぎ師のミヌキチの家族を連れて、羽地に向かっていた。
 運天泊で噂を聞いた湧川大主は自分の耳を疑った。三人の按司たちが裏切って、中山王が攻めて来るなんて信じる事ができなかった。
 湧川大主は割目之子(わるみぬしぃ)を呼んで、
「一体、どうなっているんだ?」と聞いた。
 割目之子は目を丸くして首を振った。
「中山王が攻めて来るなんて信じられません。誰かがでまかせを流しているのではないかと‥‥‥」
「誰がそんな噂を流すんだ? それより、油屋の者たちからの報告で、何か異常はなかったのか」
「別に変わった事はありません。ただ、北谷(ちゃたん)と勝連(かちりん)からの報告がまだで、二、三日遅れる事もあるので、気にもしませんでしたが」
「北谷と勝連? 配下の者を送って、すぐに調べろ。もしかしたら、殺されたのかもしれん」
「えっ?」と驚いている割目之子に、「早く行け!」と湧川大主は追い出した。
 中山王が攻めて来れば、運天泊でも戦が起こる。ハビーと娘のトゥミは羽地に避難させた方がよさそうだと思った。いや、羽地に避難させたら、メイと一緒に捕まってしまう事も考えられた。
 日が暮れる頃、マチとチルーがやって来て、道がとても混んでいて疲れたと言って倒れ込んだ。同じ頃、山北王の使いもやって来て、至急、今帰仁グスクに来るようにと伝えた。湧川大主は、明日、行くと答えた。


 南部でも中山王の山北王攻めは、山南王(さんなんおう)と東方(あがりかた)の按司たちに知らされた。昼過ぎ、首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)に山南王の他魯毎(たるむい)、玻名(はな)グスク按司(ヤキチ)、八重瀬按司(えーじあじ)(マタルー)、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)(イハチ)、兼(かに)グスク按司(ンマムイ)、玉グスク按司、知念按司(ちにんあじ)、垣花按司(かきぬはなあじ)、糸数按司(いちかじあじ)、大(うふ)グスク按司、新(あら)グスク按司、米須按司(くみしあじ)(マルク)がお忍びで集まって、思紹(ししょう)(中山王)から詳しい説明を聞いた。
「南部にいる山北王の兵を抑えればいいのですね」と他魯毎が思紹に聞いた。
「よろしく頼む。テーラーは今、今帰仁にいるようだ。戻って来るかどうかはわからんが、テーラーグスク(平良グスク)と保栄茂グスクを包囲してくれ」
「俺たちはただ待機しているだけですか」とンマムイが不満顔で言った。
今帰仁グスク攻めは簡単な事ではない。梅雨になるまでの半月が勝負じゃ。もし落とせなかった場合、山北王が追撃して来る事も考えられるんじゃ。何事が起きても対処できるように待機していてくれ。それにお前には重要な任務がある。妻のマハニを説得してくれ」
 それが一番難しいとンマムイは思っていた。中山王が兄を倒すために出陣するなんて、マハニにはとても言えなかった。
「俺たちも戦に参加できないのですか」と娘婿(むすめむこ)の玉グスク按司が言って、同じく娘婿の知念按司も、「戦に参加させて下さい」と言った。
「前回、タブチ(先々代八重瀬按司)が騒ぎを起こした時、東方の按司たちは活躍した。今回は中部の按司たちに活躍の場を与えてやってくれ。島添大里按司のサハチは総大将として出陣するが、佐敷大親(さしきうふや)、平田大親たち兄弟は出陣しない。わしも首里に残る。もし、負け戦になったとしても、南部が盤石なら立て直しができる。今回はグスクを守って待機していてくれ」
「水軍の者たちを参加させて下さい」と他魯毎が言った。
「兵糧を運ぶのに船が足らなかったんじゃ。そうしてもらえると助かる」
小禄按司(うるくあじ)と瀬長按司(しながあじ)の水軍も参加させましょう」
「すまんな。よろしく頼む」
 山南王と東方の按司たちは守りを固めるために引き上げて行った。
 島添大里グスクでは佐敷大親(マサンルー)、平田大親(ヤグルー)、手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、ミーグスク大親(チューマチ)、与那原大親(ゆなばるうふや)(マウー)、上間大親(うぃーまうふや)が集まって、サハチから説明を聞いていた。
 マサンルーとヤグルーとクルーは自分たちが知らないうちに、そんな重要な事が決まっていた事に驚いた。
「どうして、俺たちに内緒にしていたのです?」とマサンルーが聞いた。
「お前たちを信じないわけではないが、今帰仁のお祭りが終わるまでは絶対に秘密にしなければならなかったんだ」
今帰仁のお祭り?」
「油屋の娘がお芝居の台本を書いて、そのお芝居が演じられる事になっていた。戦のあと、油屋を味方に引き入れるためには、どうしてもお芝居を成功してほしかったんだ」
「それにしたって、俺たちも作戦に加わりたかった」とマサンルーが悔しそうな顔をした。
「わかっている。すまなかったと思っている」
「俺たちは今帰仁攻めにも参加できないのですね?」とクルーが言った。
「お前たちには南部の事を頼む。今帰仁攻めは山北王を倒して、琉球を統一する事が目的だが、あの今帰仁グスクを攻め落とすのは容易な事ではない。もし、攻め落とせなかった場合、山北王は山南王と手を結ぶ事も考えられるんだ」
「えっ、義弟の他魯毎が裏切るというのですか」とヤタルーが驚いた顔で聞いた。
他魯毎は義弟には違いないが、シタルー(先代山南王)の息子だという事を忘れるな。中山王が不利だと思えば、山北王にそそのかされて、父親が築いた首里グスクを奪い取ろうと考えるかもしれない。玉グスク按司と知念按司他魯毎の義兄でもあるし、糸数按司は叔父だ。東方の按司たちが山南王の味方に付いたら、中山王は挟み撃ちにされて滅びる事も考えられる。そうならないように、按司たちをよく見張っていてくれ」
 六人の大親たちはサハチを見つめて、厳しい顔付きでうなづいた。
「マナビーの事だが」とサハチはチューマチに言った。
「今、マチルギがマナビーを説得している。中山王が父親を攻めるというのだから、簡単には納得しないだろう。父を助けに今帰仁に行くと言い出すかもしれない。どんな事があっても、マナビーをグスクから出すなよ」
 チューマチはマナビーに何と言ったらいいのか、ずっと悩んでいた。マナビーが別れると言い出すのが怖かった。母がうまく説得してくれればいいと願った。
 その頃、マナビーはマチルギの話を聞いて泣いていた。
「どうして、ヤンバルの按司たちは父を裏切ったのですか。みんな、親戚なのに信じられない」
「鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めで多くの人たちが戦死して、按司たちも戦だから仕方がないと諦めていたけど、山北王が奥間を焼き払った事で、按司たちも山北王を見限ったみたいだわ」
「父はどうして、奥間を焼き払ったのですか」
「奥間の人たちが中山王と親しくしていたからでしょう」
「わたしに武芸を教えてくれたのは奥間から来た父の側室でした。仲のよかったサラとマルと一緒に馬に乗って奥間まで行った事もあります。奥間を焼いてしまうなんて、父はどうかしてしまったのかしら」
 マナビーは涙を拭うとマチルギを見た。
「父と中山王がいつか戦う事はわかっていました。父はわたしが嫁ぐ時、琉球を統一したら、必ず、お前を助け出すと言いました。わたしは父の言葉を信じて、南部に嫁いで来ました。いやな事があったら馬に乗って逃げ出そうとも考えていたのです。でも、島添大里に来て、驚く事ばかりで、わたしは嫁いで来てよかったと思いました。今まで一度も逃げようなんて考えた事はありません。ここに来て四年になりますが、わたしは幸せでした。娘も生まれましたし、わたしはもう中山王の孫だと思って下さい」
「ありがとう。そう言ってもらえると本当に助かるわ。父親は無理でも、あなたの母親は必ず助け出すって、按司様(あじぬめー)は言っていたわ」
「えっ、母を助け出すのですか」とマナビーは信じられないと言った顔をした。
「あなたの母親は兼グスク按司の妹だし、山南王の従姉(いとこ)でもあるから助け出すわ。それに、女子(いなぐ)や子供は皆、助け出すはずよ」
 マナビーが聞き分けてくれてよかったとマチルギは胸を撫で下ろした。馬にまたがると女子サムレーたちを引き連れて、マハニを説得するために兼グスクに向かった。
 その日の午後、山南王の兵によって保栄茂グスクとテーラーグスクは包囲された。伊敷グスクはヤンバルの長老たちの知らせで、伊差川大主(いじゃしきゃうふぬし)と古我知大主(ふがちうふぬし)は中山王に従う事になっていた。
 伊差川大主は若按司のミンの重臣を務めていて、名護按司の叔父で、松堂の甥だった。古我知大主は羽地按司の弟でサムレー大将を務めていた。
 古我知大主が率いて来た百人の兵たちは羽地と名護の出身者で、一昨年の冬、ミンの護衛として南部にやって来た。夏になったら帰れるという約束だったのに、船は知らないうちに帰ってしまい、一年以上も伊敷グスクに置き去りにされていた。テーラーグスクのように、山北王が家族を送ってくれる事もなく、食糧も送ってはくれなかった。兵たちは農作業を手伝いながら、自らの食い扶持を稼いでいた。ヤンバルの按司たちが山北王から離反して、中山王と共に山北王を攻めると聞くと大喜びをして、わしらも山北王攻めに加わりたいと言ってきた。他魯毎から話を聞いた思紹は伊敷グスクの兵たちが加わる事を許した。


 昼間の喧噪が嘘だったかのように、夕暮れの今帰仁の城下は静まり返っていた。ヤマトゥ(日本)町の遊女屋(じゅりぬやー)の前の縁台に、三人のヤマトゥのサムレーが座って話し込んでいた。
「大戦(おおいくさ)が始まるとは驚いた。わしらはどこに逃げたらいいんじゃ?」
伊江島(いーじま)に逃げろと山北王からお触れが出たようじゃ」
伊江島か。戦に参加する奴はいないのか」
「山北王が勝とうが、中山王が勝とうが、わしらにはどうでもいい事じゃ」
「そうは行くまい。山北王がいなくなったら、わしらは取り引きができなくなるぞ」
「新しい山北王が南部から来るんじゃろう。そいつと取り引きをすればいいだけじゃ。それに、まだ山北王が負けたと決まったわけではない。今帰仁グスクはそう簡単には落とせん。中山王は諦めて引き上げるかもしれん」
「しかしのう、伊江島には遊女屋はあるまい。わしらが帰ってから、戦を始めてくれたらよかったのにのう」
「遊女屋も逃げるようじゃ。今晩が最後の夜となりそうじゃ」
「最後の夜か。それなら充分に楽しむとするか」
 三人のサムレーが立ち上がった時、東の方がやけに明るいように感じた。
「あれは何じゃ?」とサムレーが行った時、誰かが「火事だ! 火事だ!」と叫んでいた。
 サタルーとサンルーが率いる『赤丸党』の者たちが、奥間の敵討ちだと、油屋が残して行った油を撒きながら空き家に火を付けていた。
 天も味方をしたのか、突然、強風が吹いてきて、火は見る見る大きくなって、家々を飲み込んでいった。まだ、城下に残っていた人たちは悲鳴を上げながら逃げ惑った。グスクからサムレーたちが出て来て、消火活動をしたが火の勢いは強く、消す事はできなかった。ヤマトゥ町や唐人町(とーんちゅまち)にも延焼して、逃げ惑う人々は開放された外曲輪へと逃げ込んだ。


 翌日、久し振りにサムレー姿になった湧川大主が供を連れて馬に乗り、今帰仁を目指していた。馬に揺られながら、中山王を追い返す作戦を練っていた。
 城下に着いて愕然となった。辺り一面、焼け野原になっていた。まだ燃えている所もあった。黒焦げに焼けた柱があちこちに倒れている大通りを通ってグスクに行くと、大御門(うふうじょう)が開いていて、外曲輪には焼け出された大勢の避難民たちがいた。
 城女(ぐすくんちゅ)たちが炊き出しをしていて、怪我人たちの手当てをしている城女もいた。
 湧川大主は連れて来た供の者たちに避難民たちの世話を命じて、中御門(なかうじょう)に向かった。
 二の曲輪の屋敷に行くと疲れ切った顔付きの重臣たちがいた。テーラーがいたので、湧川大主は何があったのかを聞いた。
「奥間の奴らが仕返しをしたようじゃ」
「なに、奥間の奴らが火を付けたのか」
「そういう噂じゃ。本当の所はわからん」
「それにしたって、城下が全焼するなんてありえるのか」
「火の勢いが強すぎて、止める事はできなかったんじゃ」
「戦が始まれば、どうせ焼かれてしまう。それが少し早すぎたと諦めるしかないな」と湧川大主は苦笑した。
「ハーン(攀安知)が待っている」とテーラーは一の曲輪の方を指差した。
 湧川大主はうなづいて、一の曲輪の御殿に向かった。
 攀安知はうなだれていた。湧川大主を見ると、「久し振りだな」と言って軽く笑った。
「親父が苦労して造った城下が一晩で燃えちまった」
 そう言って攀安知は溜め息をついた。
「中山王の出陣は四月一日のようだ」と湧川大主は言った。
 顔を上げた攀安知は指折り数えて、「あと五日か」と言った。
今帰仁に着くのは三日か四日だろう。それまでに、罠(わな)を仕掛けておいた方がいい」
「そうだな」と攀安知はうなづいた。
「お前を呼んだのは、戦で活躍してもらうのは勿論だが、武装船に積んである鉄炮(てっぽう)(大砲)の事で呼んだんだ。敵を一泡吹かせるには鉄炮が必要だ。船から降ろして、グスクに運び入れてくれ」
「いくつはずすんだ?」
「勿論、全部だ」
「全部はずしたら、海戦ができなくなる」
「海戦などいい。敵の兵糧を奪い取ったとしても、羽地が寝返っているんだ。羽地按司が送るだろう。船など放っておいて、ここでの勝負に重点を置くんだ。かなわんと言って、敵が逃げるようにな。時間がない。早く鉄炮を持って来て、罠を作らなければならんぞ」
 湧川大主はうなづいて、引き下がった。
 外曲輪に来て、この避難民たちはどうするつもりなのだろうと思った。見た所、五、六百人はいそうだった。兵糧に余裕があるとしても、こんなにも避難民がいたら、兵糧は見る見る減って行くだろう。それよりも、武装船の鉄炮をすべてはずして持って来るかどうか、湧川大主は悩んでいた。兄貴は海戦は必要ないと言うが、戦もせずに運天泊を敵に奪われるのは癪(しゃく)に障った。
 湧川大主は供のサムレーたちを呼ぶと、馬にまたがって今帰仁をあとにした。
 その頃、奥間では諸喜田大主が兵を引き連れて撤収したので、辺土名(ふぃんとぅな)に避難していた奥間の人たちが村に戻って、歓声を上げていた。