長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-235.三の曲輪の激戦(改訂決定稿)

 外曲輪(ふかくるわ)を奪い取った翌日の朝、サハチ(中山王世子、尚巴志)はサグルー(山グスク大親)たちが志慶真曲輪(しじまくるわ)を攻め落としたとの知らせを受け、順調に行っていると満足そうにうなづいた。
 しかし、サハチにとってサム(勝連按司)の戦死は大きな衝撃だった。昨夜はサムの枕元に座ったまま一睡もしていなかった。伊波按司(いーふぁあじ)(チューマチ)、山田按司(トゥク)、安慶名按司(あぎなーあじ)(マイチ)の兄たちは、必ず、サムの敵(かたき)を討つと誓っていた。
 サハチは志慶真曲輪を奪い取った事を兵たちに知らせて士気を上げた。中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の孫たちの活躍に、按司たちも大したものだと喜んだ。
 朝食を済ませると総攻撃が始まった。外曲輪の中程に楯(たて)が並べられ、外曲輪攻めの時と同じように二段構えの陣だった。戦死者が多く出て半数以下になってしまった勝連(かちりん)の兵は伊波按司の指揮下に入り、越来(ぐいく)の兵は浦添按司(うらしいあじ)の指揮下に入った。
 鉄炮(てっぽう)(大砲)の音が響き渡って、鉄炮の玉が外曲輪を越えて飛んで行った。三の曲輪から石が飛んで来た。三の曲輪にも投石機があるようだ。敵から奪った投石機で、こちらからも三の曲輪に石を撃ち込んだ。
 『丸太車』が中御門(なかうじょう)に突入したが、また大石が落ちてきて潰れた。屋根は補強してあるが、何人かがやられて丸太車は動かなくなった。
 楯を持った兵に隠れて、梯子(はしご)を持った兵が三の曲輪の石垣の下に向かった。三の曲輪の石垣は三丈(約九メートル)近くもあるので、外曲輪攻めで使った梯子を二つつないでいた。弓矢と石つぶての攻撃が激しく、なかなか石垣の下まで行けなかった。何とか石垣の下まで行っても、上から石を落とされて、兵たちは倒れ込んだ。
 物見櫓(ものみやぐら)の上から戦況を見ていたサハチとファイチ(懐機)は、三の曲輪を攻め落とす難しさを改めて実感していた。
「まともな攻撃をしていたら負傷兵が増えるばかりです」とファイチが言った。
「そうだな」とサハチはうなづいて、「ウニタキ(三星大親)が『抜け穴』の出口を見つけてくれればいいが」と言って、飛んで行く鉄炮の玉を追った。
 一の曲輪の御殿(うどぅん)に当たったようだが、御殿はまだ壊れてはいないし、火の手が上がる事もなかった。
「夜襲でも仕掛けるか」とサハチは言った。
「火矢を撃って敵を眠らせないようにしましょう」とファイチが言って、サハチの顔を見た。
「サハチさん、眠っていないのでしょう。先はまだ長そうです。休んだ方がいいですよ」
 サハチはうなづいて、兵の指揮をファイチに任せて物見櫓から下りた。
 外曲輪から外に出たら、ヒューガ(日向大親)の配下のウーマが来て、鉄炮の玉が終わったと知らせた。
「なに、もう二百発を撃ったのか」
「七つの鉄炮で撃っていますから、一つの鉄炮につき三十発足らずしかありません」
「そうか。終わったか。二百発も撃てば、かなりの被害が出ているだろう。御苦労だった」
 ウーマと別れたサハチは焼け跡の中にある本陣の仮小屋に向かった。仮小屋の中で、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が横になっていた。安須森ヌルは昨夜、叔父の越来按司(ぐいくあじ)の所にいた。
 サハチに気づいて安須森ヌルは上体を起こした。
「お前も疲れただろう。眠った方がいい」
「一眠りしようとここに来たんだけど、戦場(いくさば)じゃ眠れないわ」
鉄炮の音に起こされたか」とサハチは笑った。
「もう鉄炮の玉は終わったよ」
「勝連按司(かちりんあじ)が亡くなってしまって、お姉さんが悲しむわね」
「サムはマチルギと一番仲がいい兄弟だったからな。昨夜(ゆうべ)、サムの顔を見ながら、色々と思い出していたよ。マチルギが嫁ぐ前、サムとマチルギと一緒に、ここに来た事があるんだ。サムもマチルギも祖父の敵討(かたきう)ちを誓っていたけど、今帰仁(なきじん)グスクを見た事はなかった。それで、ヒューガ殿に頼んで、一緒に来たんだよ。サムはグスクの石垣を見上げて、目を丸くして『すげえなあ』と言っていた。まさか、サムがここで戦死してしまうなんて、夢にも思わなかった」
「勝連は未だに呪われているのかもしれないわ」
 安須森ヌルはそう言うが、サムの戦死は呪いとは関係ないだろうとサハチは思った。越来按司も戦死しているし、越来按司の次男の美里之子(んざとぅぬしぃ)も戦死した。勝連の兵が三十四人戦死して、越来の兵は四十七人も戦死している。勝連よりも越来の方が被害が大きかった。
 眠気がさしてきてサハチは横になった。
 話し声で目を覚ましたサハチが声のする方を見ると、タマ(東松田若ヌル)とシンシン(杏杏)とナナが来ていて、安須森ヌルと話をしていた。
 目を覚ましたサハチに気づいたタマが、
按司様(あじぬめー)、ササ姉(ねえ)に相談してきます」と言った。
「なに、島添大里(しましいうふざとぅ)に帰るのか」とサハチは驚いて起き上がった。
 安須森ヌルの説明を聞いたあと、サハチはタマが見た場面を詳しく聞いた。
「山北王(さんほくおう)(攀安知)がウタキ(御嶽)にある霊石(れいせき)を刀で斬ったのか」
「そうなんです。あたしは山北王に会った事はありませんが、そのウタキは御内原(うーちばる)の中にあるそうです。御内原に入れる男は山北王だけだと思います。それに大将らしい鎧(よろい)を着ていたし、振り上げた刀も立派でした」
「ほかに何か見なかったか」
「雨が降っているようでした」
「雨か‥‥‥」とサハチはうなづいた。
 山北王がウタキにある霊石を斬ったという事は、山北王は負けを認めたという事だな‥‥‥今回の戦は勝てるとサハチは確信を持った。
「神様の事はお前たちに任せるが、お腹に子がいるササをここに連れて来るのは危険だぞ」とサハチは言った。
「わかっています。ササ姉なら『アキシノ様』を助ける方法を知っているはずです」
 タマはシンシンとナナを連れて、馬を走らせて島添大里に向かった。
「タマは重要な役目を担(にな)っているって、ササが言っていたけど、『アキシノ様』を助ける事だったのね」と安須森ヌルがサハチに言った。
「タマはシネリキヨなのに、アキシノ様の声が聞こえるのよ。不思議に思ってアキシノ様に聞いたら、アキシノ様の息子さんが旅をした時、タマの御先祖様の娘と出会って、結ばれたって言っていたわ」
「なに、タマもアキシノ様の子孫だったのか」
「お姉さんや志慶真ヌルと違って、母親が代々、アキシノ様の子孫じゃないけど、タマにもアキシノ様の血が流れていたのよ」
「タマのマレビト神が俺なのも何か理由があるのか」
「タマはシネリキヨの子孫を守りなさいって神様から言われたらしいわ。タマとお兄さんが結ばれて、生まれた娘がシネリキヨのヌルとして、シネリキヨの子孫たちを守るような気がするわ」
 サハチにはよくわからなかった。
 安須森ヌルは志慶真(しじま)村に帰って、サハチは外曲輪内の本陣に向かった。
 戦は中断していた。芝居小屋の本陣に行くと、サグルーが来ていて、ファイチと話をしていた。
「親父、サム伯父さんが戦死したなんて‥‥‥」
「会って来たか」
「ええ、ジルムイ(サムの娘婿)が泣いていましたよ」
「そうか‥‥‥サムの敵を討ったら思い切り泣けと伝えてくれ」
「サグルーから志慶真曲輪攻めで使った松明(たいまつ)のおとり作戦を聞きました」とファイチがサハチに言った。
「マウシ(山田之子)が考えて、うまく敵の目を欺いたようです。今晩、それを使いましょう」
 サハチとファイチは作戦を考えて、そのための準備を兵たちに命じた。
 その夜、篝火(かがりび)が炊かれた外曲輪では、松明を持った兵が交代で石垣を目指していた。幸いに月が雲に隠れていたので、竹の棒に付けた松明は敵に気づかれる事なく、敵は松明を目掛けて弓矢を射続けた。松明のおとり作戦は夜が明けるまで続いて、敵を眠らせなかった。
 松明のおとり作戦は二の曲輪の石垣の下でも、シラーとタクの兵によって行なわれ、御内原(うーちばる)の石垣の下でも、サタルーとマウシの兵によって行なわれていた。
 三日目の夜が明けた。
 サハチが物見櫓に登って朝日を眺めているとウニタキがやって来た。
「サムが戦死するとはな」とウニタキは言った。
「勝連按司を継ぐ者がいなくなってしまった。いよいよ、お前の出番だ」とサハチは言った。
「いや、まだ早い。お前と南蛮(なんばん)(東南アジア)の旅に出なくてはならんからな」
「勝連按司はどうするんだ?」
「サムの娘婿がいるだろう」
「ジルムイか」
「お前の倅だ。勝連の者たちも喜んで迎え入れるだろう」
「ジルムイはサグルーが中山王になった時、苗代大親(なーしるうふや)のようなサムレーたちの総大将になるのが夢だった」
「義父が戦死したんだ。考えを変えるだろう。ユミのためにも勝連按司になった方がいい」
 サハチは朝日を見ているウニタキの横顔を見ながら、勝連按司は朝鮮(チョソン)との交易船を出さなくてはならないが、ジルムイに任せてみるかと考えていた。
「抜け穴は見つかりそうか」とサハチは聞いた。
「ずっと探し回っているんだが見つからん。もしかしたら、出口は志慶真川ではないのかもしれん」
 ウニタキは右側の山を見て、「クボーヌムイ(クボー御嶽)の中にあるのかもしれんな」と言った。
「クボーヌムイなら安須森ヌルに頼めばいい。ヌルたちが探してくれるだろう」
 ウニタキはうなづくと物見櫓から下りて行った。
 負傷者が多く出るので、その日の攻撃は石垣を目指して突撃はしなかった。投石機での石の撃ち合いと、石垣の上の敵を弓矢で狙うために、時々、楯を持った兵がおとりとして進み出るだけにした。
 正午(ひる)頃、突然、中御門が開いて敵が攻めて来た。二騎の騎馬武者に率いられた兵たちは、並べられた楯を突破して、伊波按司と山田按司の兵の間に攻め込んで、喚声(かんせい)を上げながら、そのまま、開かれたままの外曲輪の大御門(うふうじょう)を抜けて城下へと飛び出した。後陣にいた浦添按司があとを追おうとしたら、馬から下りた二人の武将は武器を捨てて跪(ひざまづ)いた。兵たちも武器を捨てて跪いた。苗代大親が味方の兵たちを止めた。
 本陣から出て来たサハチとファイチは跪いている敵兵を見た。
「志慶真村のサムレー大将の前原之子(めーばるぬしぃ)と上原之子(ういばるぬしぃ)でございます。志慶真曲輪が陥落したので、投降いたします」
 投降した兵は七十六人いた。浦添按司に見張りを頼んで、サハチは前原之子と上原之子を本陣に呼んで話を聞いた。
 外曲輪を守っていた二人は、一昨日(おととい)の戦で二十人余りの戦死者を出して、その後、三の曲輪を守っていた。戦が膠着(こうちゃく)状態になったので、戦死した者たちの敵を討ちたいと言って、三の曲輪の総大将の具志堅大主(ぐしきんうふぬし)の許しを得て、外曲輪に攻めて来た。志慶真曲輪が落ちてしまったので、これ以上戦う意味はないので投降したと言った。
「志慶真大主(しじまうふぬし)様と志慶真ヌル様は御無事でしょうか」と前原之子が聞いた。
 サハチが無事だと言うと二人は安心したようにうなづき合った。
 ファイチが三の曲輪の様子を聞いた。
 三の曲輪内には岩場が多く、鉄炮の玉が当たって岩が砕け、その破片に当たって怪我をした兵がかなりいる。戦死者も多く、守っている兵は二百人前後だと言った。
「三の曲輪にある屋敷は鉄炮でやられたのか」とサハチは聞いた。
「その屋敷は本陣になっていたのですが、鉄炮の玉にやられて屋根は穴だらけです。負傷兵を収容していましたが、鉄炮の玉が負傷兵の上に落ちてきて、悲惨な状況となって、今はもう使用していません」と前原之子は言った。
「ほかの曲輪の屋敷はどうだ?」
「三の曲輪から出ていないので、二の曲輪と一の曲輪の様子はわかりませんが、屋敷はかなり破壊されていると思います。中御門から二の曲輪に行く途中に客殿があるのですが、そこで負傷兵の治療をしています。その客殿もかなり破壊されていました」
「山北王は三の曲輪にいるのですか」とファイチが聞いた。
「外曲輪が奪われる前は三の曲輪にある物見櫓の上から指揮を執っていましたが、今は御内原にいるようです。毎朝、三の曲輪にある的場で弓矢の稽古はしています」
「戦の最中なのに、毎朝、かかさずに稽古をしているのか」とサハチが聞いた。
「はい。今朝もしていました」
 前原之子と上原之子を下がらせたあと、サハチは投降兵の処置をファイチと苗代大親と相談した。志慶真曲輪から送られてきた十四人の投降兵は見張らせているが、八十人もの兵を見張るには百人の兵を割かなくてはならなかった。
 ファイチは奥間大親(うくまうふや)に渡して、負傷兵の治療を手伝ってもらえばいいと言った。苗代大親は負傷兵の補充に使えばいいと言った。投降したと言っても本心はわからなかった。投降した振りをして、陣地の撹乱(かくらん)をたくらんでいるのかもしれなかった。
 どうしようか考えている時、陣地が騒がしくなった。本陣の小屋から外に出てみると、敵の騎馬武者が中御門から次々に出て来た。十騎の騎馬武者が横に並んで兵たちを睨み、武器を振り上げると一斉に攻めて来た。皆、かなりの使い手で馬に近づく兵は次々に倒されていった。
「総大将は動くな」と言って苗代大親が敵の一人に立ち向かって行った。
 強敵と見たのか、敵は馬から下りて苗代大親と戦った。
「総大将は動かないで下さい」とファイチが言って敵に向かって行った。
 兵たちがやられるのを見てはいられないと、サハチも行こうとしたら国頭按司(くんじゃんあじ)に止められた。
「総大将が動いたら負け戦になります」
 苗代大親が見事に敵を倒した。ファイチも倒していた。
「引け!」と誰かが叫んで、敵は撤収していった。
 敵が中御門に逃げ込んだあと、開いている門の中に安慶名按司(あぎなーあじ)が突っ込もうとしたが、
「罠(わな)だ、行くな!」と苗代大親が叫んで、安慶名按司は突撃をやめた。
 中御門は閉じられた。
 与那原大親(ゆなばるうふや)とンマムイ(兼グスク按司)も敵を倒していた。
 十人の敵を相手に、十三人が戦死して、三十人余りの負傷者が出ていた。
 サハチは投降した志慶真の兵たちに負傷兵の看護を命じた。前原之子に聞いた所、あの十人はリュウイン(劉瑛)の弟子たちで、武術道場の師範だという。リュウインが明国(みんこく)に行ったあと、弟子たちを山北王から切り離しておくべきだったとサハチは後悔した。
 陣を立て直して、石垣の上の敵兵を倒すために、焼け跡の中に立てた三つの物見櫓を外曲輪内に移動していた時、ウニタキが本陣にやって来た。その顔付きを見て、サハチは抜け穴の出口を見つけた事がわかった。
「使えそうか」とサハチは聞いた。
 ウニタキは笑って、「その前に苦労話を聞け」と言った。
 ファイチは物見櫓の位置を決めるために、兵たちを指図しているのでいなかった。サハチはウニタキから話を聞いた。
「石垣の下にある急斜面の密林の中をくまなく探したんだが見つからなかった。もしかしたら、川の下をくぐって向こう側にあるのかと思って、反対側も探させたが見つからなかった。一体、どこにあるんだと対岸を歩きながら川の流れを見ていたら、川の中にガマ(洞窟)らしいものが見えたんだ。この前の大雨で川が増水していた時は隠れていたようだ。入り口の半分近くが川の中にあって、そこを抜けると中は広いガマになっていた。ガマの中に細い川が流れていて、大雨のあとはガマの中に貯まった水が志慶真川に流れ込むようだ。松明を持って進んで行くと、上からかすかな光がこぼれている所に出た。そこに登れるように石段もできていたので、そこに間違いないと思った」
「上に出たのか」
「いや、石段を登って上まで行ったら兵たちの声が聞こえた。今、出たら敵に見つかると思ったのでやめたよ。出口は石の板で塞がれてあったようだが、鉄炮の玉が当たって割れたようだ。太い木の根がいくつもあるので、木の根を切って、割れた石の板をどけないと外には出られない。その時の音が敵に気づかれる恐れがある」
鉄炮を撃とう」とサハチは言った。
 ウニタキはうなづいた。
鉄炮の音を合図に、入り口を開けて飛び出せばいい」
「だが、味方の兵が抜け穴から出た事がわからないと鉄炮を止められないぞ。物見櫓から三の曲輪の中まで見えない」
「そうだな。何かうまい方法はないか」
 二人が考えているとファイチが戻って来た。
 サハチは抜け穴の事をファイチに話した。
「抜け穴の出口がどこにあるのかわかりませんが、三の曲輪の前に立てた物見櫓から三の曲輪内の半分が見えます。三の曲輪の半分より向こうに三つ巴の旗を立てればわかると思います」
「よし、それで行こう」
 サハチは側近の兵に運天泊(うんてぃんどぅまい)に行って、鉄炮の玉を五十発運ぶように命じて、ウニタキと一緒に抜け穴の確認に行った。
 その夜、苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)と安慶名按司が兵を率いて城下の外れの志慶真川の近くまで移動して野営をした。夜が明けると共に志慶真川に下りて、ウニタキの案内で抜け穴へと入って行った。
 夜明けから半時(はんとき)(一時間)ほど過ぎた頃、鉄炮の音が響き渡った。鉄炮の玉は運天泊から昨日のうちに運び込まれていた。
 サハチとファイチは三の曲輪の正面に立てられた物見櫓に登って、三の曲輪内を見ていた。敵の弓矢が物見櫓を目掛けて飛んで来たが、楯に囲まれている櫓の上は安全だった。石も飛んで来たが、物見櫓には当たらなかった。鉄炮の玉が続けざまに三の曲輪に落ちて、敵兵たちが逃げ回っていた。
 鉄炮の音が聞こえると抜け穴の中にいたウニタキは、兵たちに命じて邪魔な木の根を切らせて、出口を塞いでいる石の板を割って下に落とした。
 出口が開くと安慶名按司が穴から顔を出して周りを見た。鉄炮の玉が近くに落ちて来て土煙を上げた。兵の姿は見当たらなかった。抜け穴の出口は三の曲輪の中程にあって、すぐ上にはガジュマルの大きな木があった。
 安慶名按司は穴から出ると身を伏せた。石垣の近くに敵兵が集まっているのが見えた。安慶名按司が合図をすると、兵たちが次々に出て来た。旗を持った兵は鉄炮が落ちて来る中を走って後方まで行き、三つ巴の旗を振った。
 鉄炮の攻撃が止まった。抜け穴から出て来た兵が石垣の陰に隠れている敵兵に向かって行った。
 鉄炮がやんでホッとしていた所に、突然、敵兵が現れたので、三の曲輪の兵たちは混乱した。石垣を守っていた兵たちも、目の前に現れた敵を倒すために石垣から離れた。
 外曲輪では総攻撃が開始されて、梯子を持った兵たちが三の曲輪の石垣に取り付いて、次々に登って行った。石垣を乗り越えた兵たちは敵兵に突撃して、三の曲輪内は乱戦となった。
 先陣にいた伊波按司、山田按司浦添按司、ンマムイの兵が三の曲輪に突入した。敵の三倍の兵力なので、あっという間に三の曲輪を占領した。
 サハチとファイチと苗代大親が梯子を登って三の曲輪に入ると敵兵の死骸があちこちに転がっていた。倒れている味方の兵もかなりいた。味方の兵たちは疲れ切った顔で思い思いの所で休んでいた。三の曲輪の奥の急斜面の上に二の曲輪の高い石垣があった。石垣の上に敵兵の姿が見えたが、三の曲輪を奪われて気落ちしたのか、攻撃はしてこなかった。
 ウニタキがサハチに近づいて来た。
「お前も戦ったのか」とサハチが聞くと、ウニタキは笑って首を振った。
「俺は穴の中に隠れていたよ。三つ巴の鎧を着ていないからな。乱戦になったら敵と間違えられて味方に斬られてしまう」
 サハチたちはウニタキの案内で抜け穴の入り口に行った。大きなガジュマルの根元に穴が開いていた。
「山北王はこの穴が見つからなかったのか」とサハチが聞いた。
「穴の上に石の板があって、その上にガジュマルの根が張っていたんだ。鉄炮の玉が石の板を割ってくれたので、開ける事ができた。石が割れなければ、開けられなかっただろう」
「そうか。鉄炮の玉のお陰か」
 急斜面の下にあるサムレー屋敷は鉄炮にやられて、ぼろぼろになっていた。屋敷の中を覗くと負傷兵が寝かされていたが、動けない負傷兵の上に鉄炮の玉が落ちて、内臓(はらわた)が飛び散って血だらけになっていた。
 サハチたちは西側にある三の曲輪の御門(うじょう)に向かった。途中で浦添按司と出会った。浦添按司は血だらけの若按司を抱いていた。
「クサンルーじゃないか。大丈夫か」とサハチが聞くと浦添按司は首を振った。
 クサンルーはサハチたちと一緒にヤマトゥ(日本)に行っていた。ウニタキもファイチもクサンルーの死を悲しんでいた。
 越来の兵たちに囲まれて、若按司のサンルーがいた。サンルーも戦死していた。外曲輪の戦で、越来按司と次男の美里之子が戦死して、今、若按司までが戦死した。越来按司は跡継ぎを失ってしまった。越来ヌルのハマの悲しむ顔がサハチの脳裏に浮かんだ。

 

 

 

モモト別冊 今帰仁城跡