長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

3-09.海の『まるずや』(第二稿)

 越山(くしやま)のウタキ(御嶽)で神様の話を聞いた翌日、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)の事を聞こうとサスカサたちはサミガー親方(うやかた)に会いに行った。永良部按司(いらぶあじ)になったサミガー親方だったが、仕事の引き継ぎをしなければならないと言って知名(じんにゃ)の屋敷に帰っていた。
 知名の浜に大勢の人が集まっていたので、何事かと行ってみると浜辺に市が開かれていた。近くにいたおかみさんに聞いたら、「『まるずや』さんが来たのですよ」と嬉しそうに言った。
「まるずや?」とサスカサたちは顔を見合わせた。
 よく見ると『まるずや』と書かれた旗がいくつも立っていて、沖に浮かんでいる船にも下手くそな字で『まるずや』と書いてある。
 『まるずや』の船がこんな所まで来ていたのかとサスカサたちは驚いた。
 『まるずや』さんはよく来るのですかと聞いたら、毎年、年に二回やって来ると言う。
「何でもトカラの島まで行くようで、行く時に寄って、帰りにまた寄るのですよ」と言って、おかみさんは人混みの中に入って行った。
 琉球にある『まるずや』と同じように娘たちの売り子が古着や雑貨類を売っている。朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)を広げて、その上に商品が山積みにされていた。
「あっ!」と志慶真(しじま)ヌルが叫んで、店主らしい男の所に駈けて行った。
「サンダラじゃないの?」と志慶真ヌルが言った。
 男は驚いた顔で志慶真ヌルを見て、「ミナか」と聞いた。
 志慶真ヌルはうなづいた。
「ミナがどうして、こんな所にいるんだ?」
「あなたこそ、どうして、こんな所にいるのよ」
「俺は毎年、今頃になるとこの島に来ているんだよ」
「あたしはサスカサさんと一緒に中山王(ちゅうざんおう)のお船に乗って、この島に来たのよ」
「そうか。志慶真ヌルとして、サスカサさんと一緒に来たんだな」
「どうして、あたしがヌルになった事を知っているの?」
「『まるずや』にいると色々と情報が入るんだよ。サスカサさんがヌルたちを連れて奄美攻めに行ったのは聞いているけど、お前まで一緒に来ているとは知らなかった。今帰仁(なきじん)の城下の再建で忙しいと思っていたよ」
「あたしも奥方様(うなぢゃら)(マチルギ)を助けるつもりだったのよ。でも、この島にアキシノ様の子孫がいるから会って来なさいって奥方様に言われてやって来たのよ」
「アキシノ様の子孫?」
 そう言ってサンダラは首を傾げた。
「誰なの?」とサスカサが志慶真ヌルに聞いた。
「キラマ(慶良間)の島で一緒に修行をした人なのです。こんな所で再会するなんて思ってもいなかったわ」
「もしかして、胸が熱くなった人?」とタマ(東松田の若ヌル)が聞いた。
「いやだー」と言って志慶真ヌルは照れた。
 サスカサたちはサンダラを誘って、サミガー親方の作業場の近くにあるウミンチュ(漁師)たちの休憩小屋に行き、サンダラから話を聞いた。
 中山王が首里(すい)グスクを奪い取る前、サンダラはキラマの島を離れて、『三星党(みちぶしとう)』に入った。ウニタキに従って浦添(うらしい)グスクを炎上させた後、イーカチの配下になり、マチルギの護衛としてヤマトゥ(日本)にも行った。イーカチが絵師になった後はシチルーの配下になって、東方(あがりかた)(琉球南部の東方)の按司たちの様子を探っていた。中山王が山北王(さんほくおう)と同盟した後、ウニタキに命じられて、クユー一族を調べるために奄美大島(あまみうふしま)に行った。奄美大島から帰って、ウニタキに海の『まるずや』を提案して許され、海の『まるずや』の主人になった。三年前の事で、毎年、夏になると商品を積んだ船に乗って、トカラの宝島まで行き、冬になると帰ってきていた。
「どうして、海の『まるずや』の主人になろうとしたの?」と志慶真ヌルがサンダラに聞いた。
「俺の故郷(うまりじま)はヤンバル(琉球北部)の塩屋湾に面した村(しま)なんだけど、『まるずや』のような店があったら便利だろうなって、いつも思っていたんだ。だけど、あんな田舎に店が出せるわけないって諦めていたんだよ。奄美大島まで行った時、子供たちが粗末な着物を着ているのを見て、『まるずや』があれば安い古着が買えるのにって思ったんだ。そこでひらめいたんだよ。船に古着を積んで売り歩けばいいんだってね。お頭に相談したら、それはいい考えだって賛成してくれたんだ。『まるずや』として奄美の島々を巡れば、情報も集められるから、お前がやってみろって言ったんだよ。そして、いつも最初に故郷に寄ってから、伊是名島(いぢぃなじま)、伊平屋島(いひゃじま)、与論島(ゆんぬじま)に寄って、この島に来るんだ」
「あなたはどこかのサムレーになっているって、ずっと思っていたわ。島添大里(しましいうふざとぅ)、佐敷、平田、首里にはいないから、中グスクか越来(ぐいく)か勝連(かちりん)にいるんだろうって思っていたのよ。まさか、こんな所で会うなんて‥‥‥」
「縁があったのですよ」とタマが言った。
「この島の次は徳之島(とぅくぬしま)に行くのですね」とサスカサが聞いた。
「はい。徳之島に行きますが、その前に鳥島に寄ってから行きます」
「えっ、鳥島に行くの?」と志慶真ヌルが驚いてサスカサを見た。
「あの島には銭(じに)を持った人たちが大勢いるのです。硫黄(いおう)掘りの手間賃が銭で支払われるのですが、その銭の使い道は博奕(ばくち)しかないんです。行くと女たちが大喜びをして、気前よく買ってくれるんですよ」
「えっ、あの島に女たちがいるのですか」とナナが驚いて聞いた。
 玻名(はな)グスクの捕虜が人足(にんそく)として送られたと聞いているので、人足しかいない島だと思い込んでいた。そんな島にヌルが行ったというので、余程強いヌルなんだろうと思っていた。
「女もいますよ。子供たちもいます。守備兵もいるので、どちらかと言えば男の方が多いですけどね」
「女たちも硫黄を掘っているのですか」
「畑仕事をしている人もいますが、土が悪いので大した物は作れません。硫黄掘りをやれば飯は食えるし、銭ももらえるので、女たちもやっています」
「その女の人たちも何か悪い事をして鳥島に送られたのですか」とサスカサが聞いた。
「以前はそういう女もいたようですが、中山王が変わってからはいません。ほとんどの人は夫婦で移住してきた者たちです。一年働けば結構稼げるので、故郷に帰って、それを元手に商売を始める者も多いようです」
「島の出入りも自由なのですか」
「自由です。ただ、小舟(さぶに)であの島から出るのは難しいでしょう。西(いり)に流されたら遭難してしまいます。定期的に来る中山王の船に乗って帰るか、俺たちの船に乗って、この島に来る者もいます」
「わたしたちを鳥島に連れて行って下さい」とサスカサはサンダラに頼んだ。
「いいですよ。あの島にいるヌルのカリーはシンシンさんの弟子ですから、再会を喜ぶと思いますよ」
「えっ、あたしの弟子?」とシンシンが驚いた。
「馬天浜(ばてぃんはま)の娘で佐敷グスクに通って、ササさんとシンシンさんから剣術と武当拳(ウーダンけん)を習ったって言っていましたよ。馬天ヌル様の勧めで首里のヌルになって、三年前に鳥島に来ました」
「ああ、あの娘(こ)か」とシンシンは思い出した。
「あの娘が鳥島にいたなんて驚いたわ。確か、キラマの島に行ったジニーと同期で、ヂャン師匠(張三豊)のもとで一か月の修行もしているわ」
「あたしも会った事あるかしら?」とナナがシンシンに聞いた。
「ナナが来た時はもう首里に行っていたわ。でも、久高島参詣(くだかじまさんけい)の時に会ったかもしれないわね」
 今晩、玉グスクで一緒にお酒を飲む約束をして、サンダラは浜辺に戻った。
 サンダラの後ろ姿を見送ると、「サンダラさんには奥さんがいるの?」とサスカサが志慶真ヌルに聞いた。
 志慶真ヌルは首を傾げた。
「五月に浮島(那覇)を出て、奄美の島々を巡って二月頃に帰るんでしょう。琉球にいるのは二月しかないわ。奥さんがいるわけないわよ」とナナが言った。
「それじゃあ、奥さんも一緒に来ているのかしら?」とタマが言った。
「奥さんがいても大丈夫よ。あたしのマレビト神は奥さんがいるもの」とナナが言った。
「まだ、マレビト神だって決まってないわよ」と志慶真ヌルは手を振った。
「でも、再会した時、胸が熱くなったんでしょ」とタマが聞いた。
 志慶真ヌルは胸を触ってうなづいた。
「サンダラさんはミナ姉(ねえ)のマレビト神に違いないわ」とタマは決めつけた。
 サンダラが鳥島に連れて行ってくれるので、サミガー親方に頼む必要がなくなり、サミガー親方の屋敷に行くのはやめて浜辺に戻った。
 先ほどよりも大勢のお客がいて、『まるずや』は繁盛していた。人手が足らなそうなので、サスカサたちも手伝った。
 午後には与和の浜(ゆわぬはま)に移動して店を開き、ここでも大繁盛だった。夕方、店仕舞いをして、サンダラたちを連れて玉グスクに帰った。
 サグルーたちも『まるずや』の船が奄美の島々を回っている事に驚き、ウニタキから聞いた島々の情報を調べたのがサンダラだった事に驚いた。サグルーの護衛のヤールーとサンダラはキラマの島で一緒に修行した仲で、久し振りの再会を喜んでいた。
 サンダラの配下は六人いて、他に船乗りたちがいるが、彼らは『三星党』ではなく、雇われたウミンチュだった。マギーとイシタキは男で、ナカチルー、サフー、イチナビ、クンマチは売り子の娘たちだった。
 サフーは島添大里のサムレーの娘で、女子(いなぐ)サムレーだったミナから剣術を習っていて、ミナとの再会を喜んだ。サスカサと同い年だが、サフーが島添大里グスクに通い始めた年に、サスカサはヌルになっていたので近寄りがたく、剣術の腕も雲泥の差があって一緒に稽古をしてはいなかった。三年間、島添大里グスクに通い、さらに強くなるためキラマの島で修行して、『三星党』に入った。首里の『まるずや』で売り子をした後、サンダラの配下になっていた。
 一緒にお酒を飲んで、サンダラに奥さんがいない事がわかって、ミナは喜んだ。キラマの島での思い出を懐かしそうに話していたサンダラは酔うにつれて、ミナの事をずっと見守っていたと言った。イーカチの配下だったので、東方の様子を探っていて、島添大里グスクにいるミナを陰ながら見ていたと言った。
「海の『まるずや』の主人になってからも帰って来ると必ず、ミナの姿を見に行ったんだ。今年の二月、旅から帰って島添大里グスクに行ったら、ミナがヌルの修行をしていたので驚いた。ミナがササさんたちと一緒にヤンバルに行った時も陰の護衛を務めたんだよ。その後はずっと今帰仁にいて、戦(いくさ)が終わると浮島に行って、旅の準備をして、この島に来たんだ。ミナがこの島に来ていたなんて本当に驚いたよ」
「あたしの近くまで来ても、声を掛けてくれなかったのね」
「『三星党』は陰なんだよ。表に出てはいけないんだ」
「でも、表の顔は海の『まるずや』の主人でしょ。海の『まるずや』の主人としてなら会えるはずよ。来年は塩屋湾の故郷に寄る前に志慶真村に寄って、あたしに会いに来てね」
「いや、二月に帰った時、浮島に行く前に志慶真村に寄るよ」
「必ずよ。待っているわ」
 翌朝、サンダラとミナは消えていた。
 鳥島に行く予定だったのに延期となった。
「三日は帰って来ないわね」とシンシンとナナが言った。
「あの二人はどこに行ったの?」とサスカサは聞いたが、誰も答えなかった。
 二人が帰ってくるまで、サスカサたちは『まるずや』を手伝った。
 その日の午後、ヤマトゥに行く中山王の交易船が与和の浜にやって来た。シンゴ(早田新五郎)とマグサ、ルクルジルー(早田六郎次郎)と愛洲(あいす)ジルーの船、朝鮮(チョソン)に帰る李芸(イイエ)の船と勝連(かちりん)の船も一緒だった。
 何隻もの船が近づいて来るのを知った永良部按司も知名から戻って来て、ウミンチュたちに命じて小舟を送り、サグルーたちと一緒に出迎えた。
 『まるずや』のお客も減って閑散としていた浜辺に、また人々が集まってきた。
 小舟に乗って最初に上陸したのは総責任者のクルー(手登根大親)とジクー禅師とクルシ、覚林坊と福寿坊、もう一人の坊主頭の山伏の顔を見て、サスカサたちは目を疑った。中山王の思紹(ししょう)だった。
 驚いたサスカサは思紹のもとへ駆け寄った。
「お祖父(じい)様、どうして、こんな所にいるの?」
「戦も終わったし、ヤマトゥ旅に行く事にしたんじゃよ」
「何ですって!」
 話を聞いていたシンシンとナナ、サグルーたちも唖然とした顔で思紹を見ていた。
「お父さんがよく許しましたね」
「あいつはムラカ(マラッカ)に行くと言い出してな、行っても構わんが、その前にわしをヤマトゥに行かせろと言ったんじゃ。あいつもしぶしぶ承諾したというわけじゃ」
「お母さんが今帰仁で頑張っているというのに、お祖父様もお父さんも旅の相談をしていたのですか」
「わしが中山王だという事は内緒だぞ。好きに動けなくなるからな。わしは山伏の東行坊(とうぎょうぼう)じゃ。わかったな」
 思紹たちは永良部按司と一緒にグスクへと向かった。
 愛洲ジルーが下りてきたのでササの事を聞いたら嬉しそうな顔をして、五月十五日に無事に女の子を産んだと言った。
「ササによく似た可愛い娘で、俺の母の名前をもらってヤエと名付けたんだ。馬天ヌル様も喜んだけど、王様が一番喜んで、毎日、ヤエの顔を見に来ていたよ」
「よかったわ」とサスカサたちは喜んだ。
 その晩、玉グスクでササの出産祝いとヤマトゥや朝鮮に行く人たちの送別の宴(うたげ)を開いた。
 ササの代わりにタミー(須久名森ヌル)がいたので、御台所様(みだいどころさま)と高橋殿によろしく伝えてくれと頼んだ。李芸の船に山北王の側室だったパクと娘のカリンが乗っていて、今帰仁若ヌルだったカリンはサスカサとの再会を喜んだ。カリンはヌルをやめて母の故郷に帰るという。
「言葉がわからないので不安だけど、武当拳を身に付けたので母を守って何とか生きていこうと思います」と言ってカリンは笑った。
 翌日、思紹を乗せた交易船は六隻の船を引き連れてヤマトゥへと旅立っていった。サスカサたちは『まるずや』を手伝って、和の浜(わーぬはま)(和泊)、湾門浜(わんじょはま)、沖の浜(うきぬはま)(沖泊)、島尻浜(しまじーはま)(住吉浜)と商売をして、知名の浜に戻って来た夕暮れ時、サンダラとミナは現れた。
 仲良く寄り添った二人は幸せそうだった。三日前の晩、酔っているはずなのに眠れないミナは庭に降りて星を見上げていた。そこにサンダラが現れ、目が合った途端に頭の中が真っ白になって、気が付いたら大きなガマ(洞窟)の中にいたという。二人はみんなから祝福された。
 その夜はサミガー親方の屋敷に泊めてもらい、翌朝、鳥島を目指した。沖の浜で出会ったヒューガの武装船が島尻浜にいたので声を掛けたら、一緒に行く事になって、サンダラの船はヒューガの船に従った。ヒューガの配下の水軍が鳥島を守っているので、ヒューガが一緒だと心強かった。
 鳥島は思っていたよりも遠かった。風に恵まれれば半日で着くとサンダラは言ったが、生憎、風に恵まれず、未(ひつじ)の刻過ぎ(午後三時)にやっと到着した。
 高い断崖に囲まれた島で、山のあちこちから煙が上っていて、異様な臭いが鼻を突いた。島の東側に二隻の船が泊まっていて、その近くに船を泊めて、小舟に乗って砂浜に上陸した。
 石ころだらけの砂浜にヒューガの配下のグルータとシルーが待っていてヒューガを迎え、サスカサが来た事を知らせると驚いた顔をしてサスカサたちを迎えた。
「この島のヌルに会いに来ました」とサスカサが言うと、
「そうでしたか」とグルータとシルーは納得した。馬天ヌルから何かを頼まれたのだろうと二人は思い、シルーが案内してくれた。
 石がゴロゴロした険しい岩場を登って行くと断崖の上に出た。丸太作りの大きな家が建っていて、その先の広い草原の中に粗末な小屋がいくつも建ち並んでいた。右側に煙を上げている丘があり、さらに、その奥の方にも煙を上げている岩山があった。
「凄い所ね」とナナが言った。
「こんな所に人が住んでいるなんて‥‥‥」とミナが首を振った。
 キャーキャー言いながら登って来た若ヌルたちも目の前の景色を見て呆然となっていた。
「この島には何人の人が住んでいるのですか」とサスカサがシルーに聞いた。
「わしら守備兵を入れて、四百人余りといった所でしょう。二年前に玻名グスクの捕虜たちが来て、急に増えました」
「捕虜たちはどこかに閉じ込められているのですか」
「いいえ。各自で小屋掛けして暮らしていますよ。五十人余りの捕虜が来たのですが、皆、かみさんを連れて来たので、一気に百人以上も増えました。硫黄掘りをしている人たちには飯を食わせなければならないので、食糧の調達だけでも大変ですよ」
「どこから調達するのです?」
伊平屋島です。永良部島(いらぶじま)と徳之島(とぅくぬしま)が中山王の支配下になれば、その島から調達できるので大分、楽になります。この島には材木になる木もないので、材木や薪(たきぎ)も調達しなければならないのです」
 どこから出て来たのか、女たちが大勢現れて、『まるずや』が来たと言って、浜辺へと続く道へと向かって行った。子供たちも現れて、子供たちと一緒にいたのが島ヌルのカリーだった。カリーはシンシンを見て驚き、「お師匠!」と叫んだ。
「お師匠がどうして、この島へ?」
「カリーの顔を見に来たのよ。元気そうなので安心したわ」
「お客様を頼むぞ」とシルーはカリーに言って引き上げて行った。
 カリーが子供たちに、「今日はこれで終わりよ」と言うと子供たちはワーイと叫びながら浜辺の方に駈けていった。
 シンシンがカリーにサスカサたちを紹介した。
「この島の神様に会いに来ました」とサスカサがカリーに言った。
「トゥイヌル様ですね」とカリーは言った。
「トゥイヌル様の声が聞こえるの?」とシンシンがカリーに聞いた。
「それが不思議なのです。今朝、急に聞こえるようになって驚きました。神様は『お客様が来るわよ』とおっしゃいましたが、何の事かわかりませんでした。まさか、お師匠たちが来るなんて‥‥‥でも、ササ様は一緒ではないのですか」
「ササはおめでたなの。今月の半ばに首里で女の子を産んだのよ」
「そうだったのですか。ササ様が赤ちゃんを抱いている姿なんて想像もできませんけど、おめでとうございます」
 サスカサたちはカリーの案内で、トゥイヌルのウタキに向かった。島の中央にグスクと呼ばれている古い火口があり、ウタキはグスクの北側の小高い丘の上にあった。島の北には硫黄岳という火山があって、ウタキから硫黄岳の火口が見えた。白い池があって、白い岩肌から所々に煙を上げている黄色い硫黄が見えた。火口の近くで硫黄を採掘している大勢の人たちの姿があった。
「この島の守り神様なので、この島に来て以来、毎朝、お祈りを捧げていました。三年間、神様の声が聞こえず、まだまだ修行が足りないと、ヂャン師匠から教わった呼吸法を続けてきましたが、ようやく、聞こえるようになりました。でも、『お客様が来るわよ』と一言聞いただけなのです」
「大丈夫よ。一言聞こえれば、すべて聞こえるわ」とシンシンがカリーに言った。
 サスカサたちはウタキの前に跪(ひざまづ)いてお祈りを捧げた。
「驚いたわね。この島に六人ものヌルが来るなんて」と神様の声が聞こえた。
「しかも、曽祖母(アキシノ)の子孫のヌルが二人もいるのね」
 そう言われて、永良部ヌル(瀬利覚ヌル)も連れてくればよかったかしらとサスカサは思った。
「初代永良部ヌル様の娘のトゥイヌル様ですね」とサスカサは聞いた。
「そうよ。あたしがこの島に来て十六年目に硫黄の採掘は終わってしまったのよ。あたしたちは島から撤収して、永良部島に戻ったわ。あたしは永良部島で亡くなったけど、二代目を継いだ娘がこの島に来て、ここに祀ってくれたのよ。娘は二代目を継いだけど、硫黄採掘が再開される事もなく、跡継ぎにも恵まれず、トゥイヌルは二代で絶えてしまったわ。馬天ヌルに話したら、カリーを連れて来てくれたのよ。でも、カリーはあたしの声は聞こえないし、トゥイヌルを継いでくれるのかわからなくて、イラフ姫様と一緒に琉球に行って豊玉姫(とよたまひめ)様に相談したのよ。そしたら、カリーは垣花姫(かきぬはなひめ)様の子孫だってわかったわ。あたしはもっと詳しく知りたいと思ってイラフ姫様と一緒に佐敷に行って、カリーの母親の事を調べたのよ。母親は馬天浜のウミンチュに嫁いだんだけど、志喜屋(しちゃ)ヌルの娘だったの。志喜屋ヌルというのは元々は垣花ヌルだったのよ。按司の娘が垣花ヌルになるようになったので、垣花ヌルは志喜屋ヌルを名乗るようになったの。カリーは垣花姫様の血を引いたヌルだったのよ」
「わたしの祖母は志喜屋ヌルでした」とカリーが言った。
「でも、わたしが五歳の時に亡くなってしまったので、わたしは会った事がありません。志喜屋ヌルを継いだ伯母には何度か会いましたが、何となく近寄りがたい人でした。剣術を習うために佐敷グスクに通って、馬天若ヌルのササ様と出会って、こんなヌルもいるのかと驚いて、わたしはヌルに憧れました。両親はウミンチュなので、ヌルになるのは諦めようと思っていた時、馬天ヌル様に勧められてヌルになるための修行を始めました。修行を始めたのが遅かったので、神様の声は聞こえませんでしたが、離島に行って修行に専念すれば、やがて、聞こえるようになるだろうと言われて、この島に来ました。まさか、こんなに遠い島だとは思ってもいなくて、凄い所に来てしまったと後悔した事もありましたが、負けるものかと必死に修行に励みました。今朝、ようやく神様の声が聞こえて喜びました。たった一言だけだったので不安でしたが、サスカサ様とお話しする神様の声がはっきりと聞こえました。ずっと見守っていただき、ありがとうございます」
「あなたが三年間、くじけずに修行を積んできたからよ」
「もしかしたら、あなたのお祖母(ばあ)さんは神人(かみんちゅ)だった志喜屋大主(しちゃうふぬし)様の娘さんなの?」とサスカサがカリーに聞いた。
「はい、そうです」
「志喜屋大主様はわたしの父が生まれた時に祝福してくれたのよ。そして、娘の志喜屋ヌル様はわたしの祖父に古いガーラダマを渡して、そのガーラダマは大叔母の馬天ヌルが今も身に付けているわ」
「そうだったのですか」とカリーは驚いた。
「あなたたちは縁があったようね。わたしの声が聞こえるようになったから教えるけど、親方(うやかた)の息子のサクラーはあたしの子孫なのよ」
「えっ!」とカリーはまた驚いた。
「初代永良部ヌル様から、トゥイヌル様の子孫は絶えたと聞きましたが」とサスカサが言った。
「二代目が娘に恵まれなかったのでヌルは絶えてしまったけど、息子は生まれたのよ。その息子の孫が、察度(さとぅ)が硫黄の採掘を始めたと聞いて、この島に来て硫黄掘りをして、やがて親方になるの。今の親方は二代目で、その息子がサクラーなのよ」
 サクラーからお嫁になってくれと何度も言われ、カリーもサクラーが好きだった。サクラーはマレビト神かしらと思ったが、一人前のヌルになってもいないのにマレビト神が現れるはずもないと思い、修行をしなければならないと言って断ってきた。
「あなたとサクラーはお似合いよ。二人が結ばれれば、あたしの血を引く娘が生まれるわ。そうなったら素敵ね」
 カリーは恥ずかしそうに俯いた。
「トゥイヌル様がこの島にいらした時と今では、この島は変わりましたか」とナナが聞いた。
「あたしがこの島に来たのは百年以上も前よ。当時は父(タケル)のために硫黄を採っていたから、みんな和気藹々(わきあいあい)としていたわ。永良部島から材木や食糧、水も運べたし、仕事が終われば毎晩、酒盛りをやっていたのよ。楽しかったわ。でも、九年後、浦添按司の英祖(えいそ)の弟のサンルーが妹のサチと結ばれて永良部按司になると、捕虜となった兵たちが人足として島に来て、島を守るための兵もやって来たわ。楽しかった島が一変してしまうのよ。捕虜たちを恐れて、若い娘たちはみんな島から出て行ったわ。子供たちもいなくなって、殺風景な島になってしまったのよ。島の人たちが減ったので、浦添から罪を犯した人たちが送られてくるようになって、この島は罪人の島になってしまったわ。それから七年後、ヤマトゥからのお船も来なくなって硫黄の採掘は終わり、みんな島から撤収したのよ」
「捕虜たちも撤収したのですか」とサスカサが聞いた。
「捕虜たちも七年間、働いたから解放したのよ。過酷な労働に耐えられなくて亡くなった人も多かったわ。無人島になったこの島は忘れ去られて、九十年後に、浦添按司の察度のサムレーが百人ほどの人たちを連れてやって来て、硫黄の採掘を再開するのよ。察度は元(げん)の国から琉球の浮島に来た商人から硫黄を頼まれたらしいわ。連れてきた人たちは罪人じゃなくて、若い夫婦が多かったわ。一年間働けばかなりの銭が稼げると言われてやってきたのよ。その話を聞いたあたしの子孫の親方も家族を連れて、この島にやって来たの。その頃の永良部島は今帰仁按司の帕尼芝(はにじ)の支配下にあったから、察度は徳之島から材木や食糧を運んでいたわ。察度は明国(みんこく)との交易を始めて、大量の硫黄が必要になって、さらに若い夫婦たちを連れて来て、島は賑やかになったわ。倭寇(わこう)に連れて来られた高麗人(こーれーんちゅ)の夫婦もいたわ。島に活気が戻って来て十年くらい経った頃、帕尼芝の兵が攻めて来て、察度の兵と戦って察度の兵を追い出してしまうの。鳥島今帰仁按司の領地だって主張したのよ。でも、察度はすぐに兵を送って取り戻したわ。察度は帕尼芝が邪魔しないように、帕尼芝と同盟を結んで、鳥島の領有権を得るのよ」
「帕尼芝はその見返りに何を要求したのですか」とナナが聞いた。
「帕尼芝は明国の海賊と密貿易をしていたの。海賊が欲しがるのはヤマトゥの商品よ。特にヤマトゥの刀ね。ヤマトゥから来る倭寇たちは明国の商品を欲しがって、みんな浮島に行っちゃうから帕尼芝の手に入らないのよ。それで、ヤマトゥの刀を察度に要求したの。そして、察度は帕尼芝の使者を明国に連れて行って、帕尼芝を山北王にさせてあげたのよ。明国の商品で倭寇と取り引きをして刀を手に入れられるようにね。五年後に帕尼芝は進貢船(しんくんしん)がもらえないからって怒って、またこの島を奪い取ったけど、察度に今帰仁を攻められて戦死してしまったわ」
「戦の時、島の人たちは大丈夫だったのですか」とサスカサが聞いた。
「硫黄岳の方に逃げたから大丈夫よ。帕尼芝が亡くなって今帰仁の兵は攻めて来なくなったけど、四年後に察度が亡くなると急に待遇が悪くなったのよ。徳之島からの物資の供給も滞るようになって、浦添から罪人が送られてくるようになったわ。前と同じように島から出て行く人たちが増えて、それを補充するために次々に罪人が送られてきたの。ヌルたちも送られてきたのよ」
「武寧(ぶねい)がヌルをこの島に送ったのですか」
「武寧が首里にグスクを築く時に反対したヌルたちがいたのよ。武寧は捕まえて、この島に送ったのよ。その頃は罪人の男ばかりだったから、ヌルたちは男たちの慰み者になってしまって可哀想だったわ。身投げして亡くなったヌルもいたのよ。その後も首里グスクの石垣が台風で壊れた時、手抜き工事をした者たちの家族が送られてきて、女たちは慰み者にされたわ。そんな状態の時に、武寧を倒した島添大里按司が水軍を率いてやって来て、武寧の兵たちを説得して、新しい中山王に仕える事になったのよ。その後、馬天ヌルがやって来て、あまりのひどさに驚いて、環境を改善させて、徳之島からの物資の供給も定期的に行なうように改めたのよ。その頃の馬天ヌルはあたしの声は聞こえなかったけど、ここに来て熱心にお祈りをしていたわ。二年後に徳之島が山北王に奪われると、物資の供給は伊平屋島からするようになるの。二度目に来た時、馬天ヌルはあたしの声が聞こえるようになっていて、この島の歴史を教えてあげたわ。そしたら、以前のような平和な島に戻すって約束してくれたのよ。馬天ヌルは親方と相談して、悪人たちは島から追い出したわ」
「その悪人たちはどこに行ったのですか」
伊平屋島から物資を運ぶお船の漕ぎ手にしたみたい。距離もあるからかなりきついみたいよ。悪人たちがいなくなって、新しい夫婦たちもやって来て、カリーもやって来て、昔のように笑い声が聞こえる島に戻ったのよ。永良部島と徳之島が中山王の支配下になって、行き来が自由になれば、この島はもっと住みやすくなるわ。よろしく頼むわね」
 島の人たちをお守り下さいと言って、サスカサたちはお祈りを終えた。ウタキから下りて、カリーの案内で硫黄採掘の現場を見てから集落に戻った。集落の外れに『喜羅摩(きらま)』と看板を掲げた遊女屋(じゅりぬやー)があったのには驚いた。二か月間滞在する守備兵のために、首里の『喜羅摩』の主人のサチョーの配下が六年前に開いたという。
 その夜、星空の下でサスカサたちとサンダラたちは島の人たちに囲まれて酒盛りを楽しんだ。途中からヒューガも加わり、父と一緒に初めてこの島に来た時の様子をサスカサは聞いた。
 志慶真ヌルとサンダラはまるで夫婦のように見え、カリーとサクラーは楽しそうに笑っていた。サスカサは羨ましそうにカリーとサクラーを見て、志慶真ヌルとサンダラを見て、あたしのマレビト神はどこにいるのだろうと星空を見上げた。
「ねえ、あの二人は三日間、どこに行くの?」とカリーとサクラーを見ながらナナがシンシンに聞いた。
「小舟に乗って海に出るんじゃないの」とシンシンが言った。
「海の上に三日間もいるの?」
「頭の中が真っ白になって、気が付いたら海の上にいるのよ」
「三日間も海の上をさまよっていたら帰って来られなくなるわよ」
「大丈夫よ。トゥイヌル様が見守っているわ」
「そうね」とナナは納得してサスカサを見ると、「今回の旅で、サスカサもマレビト神に出会うような気がするわ」と言った。
 サスカサはナナを見て微かに笑った。

 

 

日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット)

3-08.永良部ヌルと鳥島(第二稿)

 世の主(ゆぬぬし)(永良部按司)が以前に暮らしていた玉グスクは、新しいグスクの東、半里(約二キロ)ほどの小高い丘の上にあり、浦添(うらしい)グスクを小さくしたようなグスクだった。
 高い石垣はかなり古く、英祖(えいそ)の弟が永良部按司(いらぶあじ)になった時に築いたのだろうとサグルーは思った。大御門(うふうじょう)(正門)から中に入ると厩(うまや)とサムレー屋敷がある二の曲輪(くるわ)があり、中御門を抜けると按司の屋敷があった。屋敷には侍女(じじょ)や城女(ぐすくんちゅ)がいて、サグルーたちは歓迎された。
 侍女に聞くと、中山王(ちゅうざんおう)の船が知名の浜(じんにゃぬはま)に着いたと知らせがあった時、世の主に命じられて歓迎の準備を始めて待っていたという。侍女たちはまだ世の主が自害した事を知らないようだった。
 食事の用意もしてあったが、兵たちの分まではないので、与和の浜(ゆわぬはま)にいる船から食糧を運んで炊き出しを始め、兵たちを守備の配置につけた。サグルーたちは世の主が用意してくれた料理や酒を御馳走になりながら今後の対策を相談した。
 先代按司の妻のマティルマに長男夫婦と孫が自害した事を報告しないわけにはいかないので、グスクに呼んで知らせたら唖然となって泣き崩れた。娘のマハマドゥも信じられないと言った顔で呆然としていた。トゥイとマアミとナーサも驚いていたが、マティルマとマハマドゥを慰めた。
 どうしてこんな事になってしまったのか、マティルマは自分の運命を嘆いた。浦添から遙かに遠い永良部島に嫁ぎ、島の人たちに大歓迎されて、寂しかった気持ちも吹き飛んだ。初めて見る夫の真松千代(ままちちゅー)も思っていたよりも素敵な人で、賢くて、正しいと思った事はすぐに行動に移す人だった。夫と一緒に永良部島を住みやすい平和な島にしようと一生懸命に生きて来た。子供たちにも恵まれて、島の人たちもいい人ばかりで幸せだった。
 最初の不幸は十年前、兄の武寧(ぶねい)が島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)に殺されて、生まれ育った浦添グスクが焼け落ちた事だった。同じ年に今帰仁(なきじん)のサムレーに嫁いだ次女のマナビーが二十一の若さで病死した。そして、三年前には夫が急死してしまった。まだ五十六歳だというのに突然倒れて、そのまま逝ってしまった。悲しみに打ちひしがれ、ようやく立ち直って報告のために今帰仁に行ったら、義姉のマアミと再会した。亡くなったと思っていたのに生きていて、昔の事を語り合い、島には帰らず、マアミと一緒に暮らす事にした。二年前には琉球の南部に行った三男の知名大主(じんにゃうふぬし)が戦死したと聞いて悲しんだが、妹のトゥイが今帰仁に来て再会できたのは嬉しかった。
 今年の三月、今帰仁のお祭りの翌日、中山王が攻めて来ると大騒ぎになって、その日の夜に城下が全焼した。グスク内は避難民で溢れ、義弟の屋我大主(やがうふぬし)(前与論按司)と屋我大主の息子に嫁いでいた三女のマハマドゥと一緒に名護(なぐ)に避難した。中山王の兵が攻めて来て山北王(さんほくおう)は滅び、夫の故郷もなくなった。浦添今帰仁を滅ぼした中山王を恨み、もう行く所は永良部島しかなかった。マアミと一緒に永良部島に行こうと相談していたら、中山王の船に乗ってトゥイが名護に来た。トゥイに説得されて、息子を助けるために中山王の船に乗って帰って来たのに、自害してしまうなんて、いくら泣いても泣ききれなかった。
 マハマドゥは久し振りの帰郷を楽しみにしていた。それなのにこんな事になるなんて‥‥‥悲しむ母を見ながら、マハマドゥも自分の運命を嘆いていた。隣り島の与論按司(ゆんぬあじ)の若按司に嫁ぎ、三人の子供に恵まれて幸せな日々を送っていた。突然、中山王の兵が攻めて来て捕まり、与論島は奪われなかったものの義父は与論按司を剥奪された。今帰仁に行って、義父は名誉を挽回するために鬼界島(ききゃじま)(喜界島)を攻めるが失敗して、夫は戦死してしまう。夫にはヌルになった姉と名護に嫁いだ妹がいるだけで、男の兄弟はなく、跡をつぐのはマハマドゥが産んだ息子しかいなかった。息子はまだ七歳で、一人前に育つまで今帰仁にいてくれと義父に頼まれ、永良部島に帰る事は諦めた。翌年、父が亡くなり、母が今帰仁に来た。母が島に帰らず、グスクの外曲輪(ふかくるわ)で暮らす事になったのは嬉しかった。城下が焼けてグスクに逃げ込み、母と一緒に名護に行き、中山王の船に乗って永良部島に帰ってきたのに、兄が自害してしまうなんて悪夢でも見ているようだった。
 マアミは幼い頃に兄の真松千代から聞いた永良部島に行くのが夢だった。真松千代は母親違いの兄で、マアミが三歳の時、永良部島から母親と一緒にやって来た。どうして、永良部島に兄がいるのかよくわからなかったが、二つ違いの兄はマアミを可愛がってくれた。十年後、真松千代は母と一緒に永良部島に帰って按司になった。真松千代と一緒に過ごした十年間はマアミの楽しい思い出だった。真松千代が去った三年後の冬、マアミは浦添に嫁いだ。夫は察度(さとぅ)の三男のフシムイで、フシムイの妹のマティルマと仲良くなった。マティルマは夏になったら真松千代に嫁ぐという。マアミはマティルマに真松千代の事を話し、いつか必ず永良部島に行くと約束した。フシムイが越来按司(ぐいくあじ)になって越来に移り、按司の奥方として頑張った。フシムイが何度も明国(みんこく)に行ったので、寂しい時もあったが、六人の子供に恵まれて幸せだった。十一年前、フシムイは何者かに殺された。その翌年、島添大里按司が攻めて来て越来グスクを奪われ、四人の息子たちは戦死した。若ヌルだったマチルーと一緒に越来を離れ、義兄の米須按司(くみしあじ)を頼って米須に行き、米須の近くの小渡(うる)(大度)で暮らした。マチルーが調べた所によると、フシムイを殺したのは島添大里按司ではなく、勝連按司(かちりんあじ)だったという。過去の事を忘れて、小渡でのんびり暮らしていたら戦が始まり、米須按司に頼まれて、マチルーと一緒に今帰仁に帰ってきた。三十八年振りの帰郷だった。真松千代が亡くなって、マティルマが今帰仁に来て一緒に暮らし、今帰仁も奪われて、ようやく永良部島に来たのに、真松千代とマティルマの長男が自害してしまうなんて慰めようもなかった。
 サグルーたちにとっても按司の自害は、まったく想定外の事だった。先に来ていたヤールーの配下が、与論按司(ゆんぬあじ)が中山王に忠誠を誓って、按司でいる事を許されたと噂を流していた。それを聞けば早まった事はしないはずだったのに、こんな事になってしまった。按司がいなくなった今、新しい按司を決めなければ、ここから先へは進めない。按司の身内に按司を継いでもらうか、さもなければ、ジルムイ、マウシ、シラーの誰かを按司の代理として残さなければならなかった。
 配下の者たちを使って永良部按司の事を調べていたヤールーから按司の身内の事を聞いた。
 先代の按司には八人の子供がいて、長男は自害した按司、次男は徳之島按司(とぅくぬしまあじ)になっている。三男は知名大主で、南部に嫁いだ山北王の娘マサキの護衛として保栄茂(ぶいむ)グスクに行ったが、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスク攻めの時に戦死していた。四男は畦布大主(あじふうふぬし)を名乗って湾門浜(わんじょはま)のグスクを守っていた。長女は永良部ヌル、次女は真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)に嫁いで十年前に亡くなっている。三女はマハマドゥで、三人の子供を連れて永良部島に帰って来ている。四女は志慶真大主(しじまうふぬし)の長男に嫁いで志慶真村にいた。
 按司の子供は五人いて、長男は自害した若按司、次男は末っ子でまだ十歳。長女は九歳で亡くなり、次女は若ヌル、三女は十三歳で、次男のマジルーと三女のマティルマは国頭(くんじゃい)ヤタルーと一緒にどこかに逃げていた。
「国頭ヤタルーというのは重臣なのか」とサグルーがヤールーに聞いた。
重臣です。永良部按司には四天王と呼ばれる四人の重臣がいます。知名の浜に来た北見国内兵衛佐(にしみくんちべーさ)と後蘭孫八(ぐらるまぐはち)、それと国頭ヤタルーと屋者(やーじゃ)マサバルーです」
 北目国内兵衛佐は瀬利覚(じっきょ)ヌルの兄で、父親はマティルマの護衛役として永良部島に来た察度の重臣の城間大親(ぐしくまうふや)だった。城間大親は瀬利覚ヌルの母と結ばれて、国内兵衛佐と瀬利覚ヌルを産んだ。城間大親の長男は父の跡を継いで浦添に残り、今は中山王の重臣になっていて、次男と三男は南風原(ふぇーばる)で戦死していた。永良部按司重臣となった父親は十四年前に亡くなり、国内兵衛佐が跡を継いでいた。
 後蘭孫八は奄美大島(あまみうふしま)の浦上(うらがん)を領する平家の子孫、孫六の弟で、家族を連れて島に来たのは六年前だった。後蘭の地にグスクを築いて本拠地とし、後蘭孫八と呼ばれている。先代の按司に築城の腕を見込まれて、越山(くしやま)の中腹に按司のグスクも築いていた。
 屋者マサバルーは先代の按司今帰仁から帰ってきた時に後見役として島に来た山川大主(やまかーうふぬし)の息子で、この島で生まれた。自害した按司と同い年だったので十歳まで一緒に育った。十歳の時に父と一緒に今帰仁に行き、今帰仁で学問や武芸に励んでサムレーになった。仲宗根大主(なかずにうふぬし)の娘を妻に迎えて子供も生まれたが、二十一歳の時に永良部島に残っていた長兄のマタルーが病死したため、永良部島に帰って長兄の跡を継いで重臣になっていた。
 国頭ヤタルーは初代の永良部按司に従ってきたサムレーの子孫で、世の中が変わったため代々、ウミンチュ(漁師)として暮らしていた。父親が武芸の素質があり、先代の按司と同い年だったので、山川大主の推挙で十五歳だった先代の按司に仕える事になった。父親は先代の按司と一緒に武芸の修行に励み、先代の按司が一人前になってからは側近の重臣として仕えた。先代の按司が亡くなった後、父親は隠居して、ヤタルーが今の按司重臣になった。
「ヤタルーは二人の子供を連れて徳之島に行ったに違いない」とマウシが言った。
「多分な」とサグルーはうなづいた。
「徳之島から連れ戻して按司にしたらどうでしょう」とシラーが言った。
「それもいいが、次男はまだ十歳だからな。後見役が必要だ」
「畦布大主を後見役にしたらどうです?」とジルムイが言った。
「畦布大主は何歳なんだ?」とサグルーがヤールーに聞いた。
「二十五、六歳だと思います。徳之島按司になった兄が畦布大主を名乗っていて、その跡を継いで湾門浜のグスクを守っています。そのグスクですが『ヤマトゥグスク』と呼ばれていて、以前は倭寇(わこう)の拠点だったそうです。帕尼芝(はにじ)が攻めて来た時に倭寇も追い出したようです。畦布大主の奥さんは屋者マサバルーの兄のマタルーの娘です」
「マサバルーの義理の甥というわけだな。四天王が補佐すれば、畦布大主の後見役で、次男のマジルーを按司にすれば大丈夫だろう」とサグルーが言って、皆が同意した。
「永良部ヌルはどうするの?」とサスカサが聞いた。
「マジルーが按司になるんだから、姉の若ヌルがなればいいんじゃないのか」
「できれば、瀬利覚ヌルが永良部ヌルに戻ってほしいわ」
「瀬利覚ヌルが永良部ヌルに戻るには、北見国内兵衛佐が按司になる事だが、他の重臣たちが許すまい」
 翌日、後蘭孫八と瀬利覚ヌルが玉グスクに来て、世の主が自害に至った経緯を説明した。
 中山王の船が知名の浜に着いた事を知った世の主は、北見国内兵衛佐と後蘭孫八を使者として送った。いつまで経っても知らせがないので、二人は殺されたと思い、中山王の船が与和の浜に向かってくる事を知ると覚悟を決めて、先代が眠るウファチジに行って、奥方様(うなぢゃら)と若按司を道連れに自害を遂げたという。
 自害を遂げた第一の原因は湧川大主(わくがーうふぬし)に脅された事だと思われる。山北王の一族は皆、殺されると言われて、按司はそれを信じ込んでしまった。
 第二の原因は今帰仁に送った使者の報告で、今帰仁の城下が跡形もなく全焼して、グスクも悲惨な姿となり、山北王の兵たちは皆殺しにされたと聞いて、島の人たちを守るには自分が自害するしかないのかと按司は思った。
 第三の原因は父親があまりにも立派過ぎたので、何をやっても父親と比べられ、父に負けない事をしなければならないと常に思っていて、死に様だけは立派にしたいと思った事。
 第四の原因はいつまで経っても旗が揚がらず、二人の使者は殺されてしまったと思い込んだ事。
 第五の原因は中山王の船が与和の浜に向かってきて、陸からも兵が攻めて来て、いよいよ城下が焼かれると思い込んだ事。
 第六の原因は叔母の大城(ふーぐすく)ヌルから、世の主ならば自分を犠牲にしてでも島の人たちを守らなければならないと言われて覚悟を決めたと思われる。
「第四の原因の旗とは何の事です?」とサグルーは孫八に聞いた。
「サミガー親方(うやかた)の屋敷にはウミンチュたちに危険を知らせたりするために、旗を揚げる高い棹(さお)が立っています。戦が回避されるようなら白い旗を揚げろと世の主から言われていたのですが、わしら二人ともすっかり忘れてしまったのです。先代の奥方様と会えるなんて思ってもいなかったので、会えたのが嬉しくて、わしらは酒を飲み過ぎてしまったようです。湧川大主殿から奥方様は殺されただろうと言われて、皆、嘆いておりました。それなのに元気なお姿で現れたので信じられなくて、本当に嬉しかったのです」
「旗を揚げていれば世の主の自害は防げたかもしれませんね」
「わしらの失態です。悔やんでも悔やみきれません」
「原因は六つもあります。旗だけが原因ではないでしょう」とサグルーは言って、「世の主は湧川大主と親しかったのですか」と孫八に聞いた。
「湧川大主殿は鬼界島攻めの行き帰りにこの島に寄っています。世の主は湧川大主殿を歓迎して、楽しそうに酒を飲み交わしておりました。先月の半ばに来た時はこのグスクに七日間、滞在して徳之島に向かいました」
 サグルーはうなづいて、「死んでしまったものは仕方がない。今後の事を考えなくてはならないが、次の世の主は誰にしたらいいと思いますか」と聞いた。
「その事ですが、わしらの考えでは、サミガー親方がよいのではないかと思います」
 意外な答えにサグルーたちは驚いた。
「サミガー親方は世の主の身内だったのですか」とサグルーは聞いた。
「身内ではありません」と瀬利覚ヌルが言った。
「実はわたしの従兄(いとこ)なのです。帕尼芝に滅ぼされた世の主の三男の息子なのです」
「帕尼芝に滅ぼされた世の主は、今帰仁按司だった千代松(ちゅーまち)様の次男でしたよね」とサスカサが聞いた。
「そうです。世の主と長男と次男は戦死しましたが、十三歳だった三男とわたしの母は祖母に連れられて逃げました。祖母は永良部ヌルから瀬利覚ヌルになってグスクから遠ざけられましたが殺されずに済みました。三男は島から逃げたように見せかけて、ガマ(洞窟)の中に隠れていました。帕尼芝の兵が引き上げた後、ウミンチュと一緒に馬天浜(ばてぃんはま)に行ったのです」
「という事はサミガー親方は千代松様の曽孫(ひまご)という事ですね」
「そうです。山北王が滅んだ今、山北王がこの島を攻める前に戻して、千代松様の曽孫のサミガー親方が世の主になればいいと思います」
「先代のサミガー親方が生き残った三男だと帕尼芝は気づかなかったのですか」ジルムイが瀬利覚ヌルに聞いた。
「帕尼芝はこの島に来ていませんので、先代のサミガー親方には会っていません。でも、山川大主が気づいて帕尼芝に知らせたのかもしれません。先代の世の主様から聞きましたが、帕尼芝は義父だった千代松様を尊敬していたようです。千代松様が亡くなった後、跡を継いだ義兄が余りにも頼りなくて、自分が按司を継ぐべきだと思って、義兄を倒して今帰仁按司になったようです。そして、義兄だった永良部按司も倒したのです。後になって後悔して、罪滅ぼしのつもりでサミガー親方を許して、立派な屋敷も建てたのかもしれません」
「サミガー親方様が世の主を継ぐ事に、重臣の方々は賛成なのですか」とサスカサが聞いた。
「サミガー親方がわたしの従兄だという事は隠していました。知っているのはサミガー親方とわたしだけだったのです。兄の国内兵衛佐も驚いていました。マサバルー様も驚きましたが、山北王が滅んだ今、山北王の身内が継ぐより、サミガー親方が継いだ方がいいだろうと言いました。兄も孫八も賛成しました」
「サミガー親方も引き受けると言ったのですね」
「これから説得します」と瀬利覚ヌルが言った。
「千代松様の曽孫がこの島の按司になってくれれば、きっとうまくいくと思います。わたしたちの母も千代松様の曽孫なのです」
 サスカサがそう言うと、「えっ!」と瀬利覚ヌルが驚いた。
 イラフ姫からサスカサがアキシノの子孫だと聞いた時、アキシノの子孫で南部に行った人がいたのだろうと思っていた。まさか、千代松の玄孫(やしゃご)だったなんて思いもしなかった。
「わたしの母は伊波按司(いーふぁあじ)の娘なのです。伊波按司は帕尼芝に滅ぼされた千代松様の若按司の次男なのです。母は幼い頃から敵討ちをしなければならないと言って武芸の修行に励みました。そして、父と出会って馬天浜のある佐敷に嫁ぎ、娘たちを鍛えて女子(いなぐ)サムレーを作りました。母から剣術を習った娘たちは相当な数になります。ヌルたちも皆、武芸を嗜み、出掛ける時は女子サムレーの格好をしている事が多いのです。母の願いはかなって山北王は滅びました。今、母は今帰仁の城下の再建をしています。千代松様の曽孫のわたしがしなければならないと言って頑張っています。城下が再建されたら、わたしの弟のチューマチが今帰仁に行って今帰仁按司になります」
「弟さんのお名前はチューマチというのですか」
「そうです。千代松様の名前をもらったのです」
「チューマチ様が今帰仁按司に‥‥‥」
 そう言って瀬利覚ヌルは涙をこぼした。
 意外な展開になったが、サグルーたちもサミガー親方が永良部按司になる事に賛成した。
 瀬利覚ヌルと孫八がサミガー親方を説得に行き、サミガー親方はグスクに入って、サグルーたちが立ち合い、永良部按司に就任した。
 按司になったサミガー親方は先代の按司と奥方、若按司の葬儀を執り行ない、子供のいないサミガー親方は先代の遺児、マジルーとマティルマを養子として迎えると言って、徳之島に逃げたであろう二人をを連れ戻すように命じた。
 先代按司の弟の畦布大主は中山王に忠誠を誓って、以前のごとくヤマトゥグスクを守り、按司の自害を止められなかった永良部ヌルと大城ヌルはグスクから追放された。
 永良部ヌルは畦布ヌルとなり、若ヌルを連れて弟の所に行き、大城ヌルは御殿(うどぅん)から追い出されて北目(にしみ)に戻り、瀬利覚ヌルが永良部ヌルに復帰した。
 大城(ふーぐすく)と呼ばれている御殿は、先代の世の主の母親が永良部ヌルを娘に譲って引退した時、世の主が母親の隠居屋敷として建てた御殿だった。立派な御殿だったので、いつしか大城と呼ばれるようになり、母親が亡くなった後、娘が入って大城ヌルを名乗っていた。
 御殿に入った瀬利覚ヌルは驚いた。豪華な衣装や装飾品、銭の詰まった木箱がいくつもあった。娘の北目ヌルに聞いたら、とぼけていたが、母親が追放された事を知ると渋々白状した。
 母の代からサミガー親方が作った鮫皮(さみがー)の取り引きの仲介をしていて、上前をはねていたという。さらに、大城ヌルはサミガー親方からブラ(法螺貝)を安く仕入れて、湧川大主に高く売っていた。ブラはヤマトゥンチュも明国の海賊も欲しがっていたので高く売れる商品だが、サミガー親方はそんな事は知らなかった。この島だけでなく、琉球の島ならどこでも捕れるので、身を食べた後の貝殻を大城ヌルに安く売っていたのだった。
 大城ヌルが溜め込んだ財産は島の人たちのために使うために没収された。
 徳之島に行ったのは孫八と瀬利覚ヌル、マティルマとマハマドゥで、国頭ヤタルーを説得して、マジルーとマティルマを連れてきた。
 亡くなった按司は長女に母の名前をもらってマティルマと名付けたが、長女は九歳で亡くなってしまった。その年に三女が生まれたので、長女の生まれ変わりだと言って、マティルマと名付けたのだった。
 マジルーとマティルマは両親と長兄が亡くなった事を悲しみ、両親と長兄のいないグスクに入ろうとはしなかった。姉の若ヌルがいる畦布のグスクに行くと言って、祖母のマティルマと叔母のマハマドゥを連れて畦布のグスクに行った。
 四天王たちは考えて、マジルー姉弟と先代の奥方様のために新しいグスクを築く事に決め、孫八は張り切ってグスクを建てる場所を探し始めた。
 新しい按司も決まって一段落したので、サスカサたちは永良部ヌルになった瀬利覚ヌルの案内で越山に登った。大山と違って山頂からの眺めがよく、四方が見渡せた。
「ここには二つのウタキ(御嶽)があります」と永良部ヌルが言った。
「一つは初代永良部ヌル様のウタキで、もう一つの古いウタキは最近までわかりませんでしたが、ワー姫様のウタキだとわかりました。この山に初代永良部ヌル様のウタキがあったので、この山の中腹に世の主のグスクを築くように孫八に勧めたのです」
 サスカサたちは最初に初代永良部ヌルに挨拶をした。
「永良部ヌルが若ヌルを連れて、ここでお祈りをしていたけど、お祈りは通じなかったようね」と神様の声が聞こえた。
「アキシノ様の孫の初代永良部ヌル様ですね」とサスカサは聞いた。
「そうよ。二代目今帰仁ヌルの娘の永良部ヌルよ」
「神様にも世の主の自害は止められなかったのですか」
「それは無理よ。世の主の叔母の大城ヌルも世の主の妹の永良部ヌルもわたしの声は聞こえないもの」
「大城ヌルは神様の子孫なのに聞こえないのですか」
「大城ヌルの母親はヌルとは名ばかりで、ろくに修行もしないで我欲の強い女だったのよ。今帰仁に行って帕尼芝を誘惑して真松千代を産んで、姉から永良部ヌルの名を奪ったけど、自分の欲を満たす事しか考えなかったわ。そんな母を見て育った大城ヌルも自分の事しか考えない女なのよ。マティルマがいた時はマティルマに従っていたけど、マティルマが今帰仁に行ってからはもうやりたい放題よ。世の主の銭を勝手に持ち出して、マティルマに島の様子を報告に行くと言って今帰仁に行き、『まるずや』で欲しい物を大量に買い込んできたわ」
「大城ヌルは『まるずや』のお得意さんだったのですか」とナナが聞いた。
「そうなのよ。本部(むとぅぶ)のテーラー奄美大島を平定して帰って来た時、お祝いのために今帰仁に行ったのが始まりよ。その年に山北王と中山王が同盟して、今帰仁に『まるずや』ができたのよ。大城ヌルは欲しい物が何でも手に入る『まるずや』が気に入って、毎年、行くようになったわ。今年は腰が痛いとか言って行かなかったけど、行っていたら今帰仁城下の火事で死んでいたかもしれないわね」
「世の主が自害する前、大城ヌルと一緒にいたようですけど、大城ヌルは自害を止める事はできなかったのですか」とサスカサは聞いた。
「止めるどころか、大城ヌルは自害する事を望んでいたのよ。何だかんだ言って、世の主を自害に追い込んだのよ。世の主が中山王に忠誠を誓って按司のままでいられたとしても、色々と調べられたら自分の悪事がばれてしまい、溜め込んだ財産を失う事を恐れたのよ」
「世の主が自害したら、自分は安全だと思ったのですか」
「悲しんだ振りをして、逃がしたマジルーを按司にして、その後見役を勤めるつもりだったのよ。中山王はこの島の事は何も知らないし、中山王のヌルがこの島の神様の声が聞こえるはずはないと思って、何とかごまかせると思っていたのよ。サスカサがサチ(瀬利覚ヌル)と会った事も知らないしね」
「調子に乗りすぎたのよ」とサチが言った。
 初代永良部ヌルは笑って、「この島で、祖母の血を引くサチとサスカサ、志慶真ヌルの三人が出会うなんて不思議ね」と言った。
「神様はアキシノ様に言われてこの島に来たのですか」とサスカサが聞いた。
「あたしは祖母から弓矢を教わったけど、あたしが九歳の時に亡くなってしまったわ。あたしは神様のお導きで、この島に来たのよ。叔父が二十五年前に来て永良部按司になっていて、もうヤマトゥから追っ手が来る心配もなかったんだけど、あたしは神様に呼ばれたのよ。あなたがやるべき事があるから待っていなさいって言われたの。何を待つのかわからなかったけど、狩りをしたり、馬を育てたりしていたら、四年後の冬にマレビト神がやって来たのよ」
「えっ、マレビト神に会うためにこの島に呼ばれたのですか」
「そうだったよ。あたしも驚いたわ。マレビト神は博多から来たタケルっていうサムレーで、宋(そう)の国から来た商人のために働いていたの。貝殻を求めて琉球に行く途中で、徳之島の山の上から西(いり)の方を見たら、煙を上げている島が見えたって言うのよ。その島に行こうとしたんだけど、徳之島にはその島に行ったウミンチュがいなくて、この島にいるらしいって聞いて、やって来たのよ。あたしたちはウミンチュを探して、その島に行ったわ。断崖に囲まれた島で、煙を上げていたのよ。物凄い臭いが漂っていて、ウミンチュは恐ろしがって島には上がらずに帰っちゃったけど、あたしたちは砂浜から上陸して岩をよじ登って、崖の上まで行ったのよ。誰も住んでいなくて、あっちこっちから煙が出ていて、凄い所だったわ。思った通り、硫黄(いおう)が採れるってタケルは大喜びしていたわ。あたしは硫黄なんて知らなかったけど、宋の国との取り引きに使えるってタケルは言っていた。海辺にお湯が沸いている所があって、お湯に浸かったら気持ちよかったわ。あたしたちはその島で結ばれたのよ」
「その島は鳥島(とぅいしま)ですね」とサスカサが聞いた。
「そうよ。タケルがあたしの名前を付けてくれたのよ」
「えっ、神様のお名前はトゥイなのですか」
「そうよ。タケルが『トゥイぬ島』って名付けて、『勝手に硫黄を取ってはいけません、永良部ヌル』っていう石碑を建ててくれたのよ。今は『ぬ』が抜けてトゥイ島って呼ばれているけど、あたしの名前なのよ。あたしたちは一旦、この島に戻って来て、島の力自慢を連れてトゥイ島に行って硫黄を採って、タケルは翌年の夏に帰って行ったわ。その年の冬、タケルは硫黄掘りの職人を連れて来て、本格的に硫黄採掘を始めて、トゥイ島に村ができたのよ。タケルは毎年、冬になるとやって来て、夏に帰って行ったわ。わたしは三人の子供を産んで、長女はトゥイ島に行ってトゥイヌルになって、あの島の人たちを守ったわ。長男はこの島で牧場をやって、次女が永良部ヌルを継いだのよ」
「硫黄が採れる島は薩摩(さつま)(鹿児島県)の近くにもあるのに、タケルさんはどうして、トゥイ島を探したのですか」とナナが聞いた。
「薩摩の近くの硫黄島は島津氏が支配していて、タケルは入れないって言っていたわ。博多の商人たちは島津氏から硫黄を買っていたんだけど、タケルがトゥイ島を見つけたので、博多の商人たちはとても喜んだって言っていたわ。宋の国が硫黄を欲しがっていて、トゥイ島の硫黄が大量の銭や絹や壺(つぼ)などと交換されたらしいわ。長女がトゥイヌルになって六年後、浦添按司になった英祖の弟のサンルーが硫黄を求めてトゥイ島にやって来たのよ。トゥイヌルは、永良部島に行って、あたしと相談しろって言ったわ。この島に来たサンルーはトゥイ島の硫黄を譲ってくれって言ったけど、わたしは永良部按司と相談して断ったの。タケルのお船は毎年、やって来て硫黄を運んで行ったし、硫黄のお陰で、この島は豊かになったわ。タケルを裏切れないし、今帰仁按司もトゥイ島は絶対に守れって言っていたのよ。サンルーは諦めて帰って行ったけど、それで終わりにはならなかったわ。二年後、永良部按司が亡くなると、その翌年、サンルーはこの島に攻めて来て、按司を殺して永良部按司になったのよ。その時、驚いた事が起こったわ。わたしの次女のマレビト神がサンルーだったのよ。わたしは驚いて、イラフ姫様に相談したわ。そしたら、島を守るために英祖に従いなさいと言ったのよ。わたしはイラフ姫様に従って、次女とサンルーを祝福して、永良部ヌルを次女に譲ったわ。その年もタケルのお船はやって来て、サンルーは例年通りに取り引きをしたわ。翌年の夏、怒った今帰仁按司が攻めて来たけど、サンルーは追い返したわ。英祖は宋の国から来る商人と取り引きするために永良部島とトゥイ島を奪い取ったけど、七年後には宋の国は滅んでしまったの。タケルのお船も来なくなってしまって、硫黄採掘も終わってしまったわ。宋の国を滅ぼした元(げん)の国は大きな国で、国内で硫黄が採れるので硫黄を必要としなかったのよ。今帰仁按司も英祖の次男の湧川按司に倒されてしまって、永良部島は今帰仁按司支配下になったけど、トゥイ島の硫黄は必要とされなくなって島に住んでいた人たちも引き上げたわ。島を守っていたトゥイヌルは二代で絶えてしまったのよ」
「でも、トゥイ島は復活したのでしょう」とサスカサが聞いた。
「復活したのは百年近く経ってからよ。浦添按司の察度が明国に進貢(しんくん)を始めて硫黄が必要になったのよ。察度はトゥイ島に行って硫黄を採掘したわ。当時は無人島になっていたから勝手に採っていたの。それを知った今帰仁按司の帕尼芝が怒ってトゥイ島に行って、察度が送り込んだ兵たちを追い返したのよ。それで、察度は帕尼芝と同盟を結ぶ事にして、察度の娘のマティルマが永良部按司に嫁いで、帕尼芝の娘のマアミが越来按司に嫁いだのよ。その後のトゥイ島は中山王の支配下になってしまったわ」
「永良部島が今の中山王の支配下になれば、トゥイ島は永良部ヌルに返す事ができると思います」とサスカサは言った。
「そうなってくれれば、トゥイヌルも喜ぶと思うわ。トゥイ島にはトゥイヌルのウタキがあって、あの島で硫黄を掘っている人たちの神様になっているの。トゥイヌルが絶えた後、ヌルはいなかったんだけど、馬天ヌルのお陰でヌルもやって来て、島の人たちを守っているわ」
「えっ、大叔母はトゥイ島に行ったのですか」とサスカサは驚いた。
「あなたのお祖父さんが中山王になった時、ヒューガの船に乗って行ったのよ。島の悲惨な状況を見て驚いて、改善させたわ」
「そんなにひどい状況だったのですか」
「中山王にとって硫黄は必要な物だったから、察度は島の人たちのためにできるだけの事をしてやっていたけど、察度が亡くなると、跡を継いだ武寧は島の人たちのために何もやらなかったのよ。あの島は水がないし、作物も育ちにくいから、食べる物にも困るのよ。海産物は採れるけど、それだけでは体が持たないわ。飢え死にした人たちも大勢いたのよ。その時の馬天ヌルはトゥイヌルの声は聞こえなかったけど、七年後に来た時はトゥイヌルの声が聞こえるようになっていて、あの島の事を色々と聞いたみたいね。トゥイヌルのウタキを守るためにヌルを送り込んで、島の人たちを励ましているわ」
 馬天ヌルから鳥島の事を聞いてはいないが、鳥島まで行っていたなんて、大叔母の行動力に今さらながらも驚いた。できれば、行ってみたいとサスカサは思った。
「今もこの島から鳥島に行けるウミンチュはいますか」
「いるわ。カマンタ(エイ)を捕るために鳥島の近くまで行くウミンチュがいるわよ」
「サミガー親方の所のウミンチュですね」
「そうよ。サミガー親方も行った事があるんじゃないかしら」
 サスカサたちはお礼を言って、初代永良部ヌルと別れた。
「ねえ、サスカサ、鳥島に行く気なの?」とシンシンが聞いた。
 サスカサはうなづいた。
 シンシンは笑って、「ササに似てきたわね」と言って、ナナを見ると、「あたしも行ってみたいと思っていたの」とナナは笑って、「ヒューガさんに連れて行ってもらえばいいのよ」と言った。
「でも、今、どこにいるのかわからないわ」と志慶真ヌルが言った。
 ヒューガは永良部島の様子を調べるために武装船に乗って、島の周りを回っていた。
「サミガー親方の所のウミンチュを連れて、ウムンさんのお船で行けばいいわ」とシンシンが言った。
 それがいいとみんなで賛成して、ワー姫のウタキに向かった。
 薄暗い森の中にある古いウタキは霊気が漂い、瀬利覚ヌルが近寄りがたいと言った意味がよく理解できた。初代永良部ヌルよりも一千年以上も昔の神様だという事を改めて認識して、サスカサたちはお祈りを捧げた。
「この島にも瀬織津姫(せおりつひめ)様がスサノオと一緒に来たのよ」と神様の声が聞こえた。
「ユン姫様のお孫さんのワー姫様ですね」とサスカサが聞いた。
「そうよ。この島はワーヌ島だったのに、イラフ姫に取られてしまったわ」とワー姫は笑った。
「でも、いいのよ。和の浜(わーぬはま)として残っているし、叔母の名前も与和の浜として残っているわ。叔母がこの島に残っていたら、わたしはこの島に来なかったわね。わたしがこの島に来て十五年くらい経った頃、ヤマトゥとの交易は終わってしまって、静かな島になったのよ。平和だったけど退屈だったわ。それから四百年近く経って、スサノオ琉球に来て貝殻の交易が再開されたわ。そして、この島にイラフ姫が来たのよ。二人の娘を連れて来て、この島で三人目を産んだわ。三人のマレビト神に出会うなんて驚いたわ。行動的な娘でね、わたしもあの娘のあとを追って行って南の島(ふぇーぬしま)に行ったり、ヤマトゥの近くにある永良部島に行ったりして楽しかったのよ。どこに行ってもあの娘は歓迎されて、人気者だったわ。島に名前を残したいってみんなが思うのよ。あの娘のマレビト神がいる島はみんなイラフ島になってしまったのよ」
「ワー姫様のマレビト神はどんな人だったのですか」とサスカサが聞いた。
「わたしはたった一人よ。しかも、半年間、一緒にいただけで、その後は会えなかったのよ」
「ヤマトゥから来た人なのですね?」
「そうなのよ。会った時は知らなかったけど、一緒に垣花(かきぬはな)の都に行って、垣花姫様と一緒にお話を聞いたら、瀬織津姫様の子孫で富士山の裾野にある瀬織津姫様が作った都からやって来た事がわかったの」
「樹海の下にあった都から来たんだわ」とシンシンが言った。
「そうなのよ。アスマツヒコは四代目のアスマツ姫様の息子さんだったのよ」
「アスマツ姫?」とナナが言った。
「初代のアスマツ姫は瀬織津姫様よ。瀬織津姫様はアスマツウフカミ様として祀られていたわ。後に浅間大神(あさまぬうふかみ)様って呼ばれるけど、当時は富士山をアスムイって呼んでいて、都の名前はアスマだったのよ」
「知念姫(ちにんひめ)様の子孫と瀬織津姫様の子孫が結ばれたのですね」とサスカサが言ったら、
「あなたの両親と一緒ね」とワー姫は笑った。
「神様になってからも会っていないのですか」とナナが聞いた。
瀬織津姫様がスサノオと一緒に、この島にいらした後、わたしもヤマトゥに行けるようになって会いに行ってきたわ。富士山は本当に綺麗な山だったわ。アスマツヒコにも会えて、昔の事を懐かしく話して、その後の事も色々と聞いたわ。アスマツヒコが暮らしていた都は樹海の下に埋まってしまったけど、それは仕方のない事ね。垣花の都も森の中に埋もれてしまったものね。瀬織津姫様が帰って来たお陰で、あなたたちともお話ができるようになってよかったわ。永良部ヌルに復帰したサチも気楽に相談しに来ていいのよ」
「ありがとうございます。これからもこの島をお守り下さい」とサチは両手を合わせた。
 サスカサたちもお礼を言ってワー姫と別れ、森から出て西の方を眺めたが、鳥島はよく見えなかった。

 

3-07.永良部島騒動(第二稿)

 武装船を先頭に中山王(ちゅうざんおう)の船は永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に向かっていた。
 永良部島にはアキシノ様の子孫のヌルがいるという。母(マチルギ)から聞いた話では初代の永良部ヌルはアキシノ様の孫で、代々続いて来たが、永良部按司の娘が永良部ヌルになる事になって、今は瀬利覚(じっきょ)ヌルを名乗っているらしい。
 瀬利覚ヌルは母のような人なのだろうか‥‥‥早く会いたいと遠くに見える永良部島を眺めながらサスカサは思っていた。
 島内の様子を調べるために与論島(ゆんぬじま)には十日間、滞在した。麦屋(いんじゃ)ヌルとクンとクミ、シラーの副大将を務めているユーザが五十人の兵を率いて与論島に残り、人質として与論按司の娘の若ヌル(マユイ)を連れて来た。マユイは幼い頃から弓矢の名人の父から武芸を習っていて、中山王のヌルたちが皆、武芸の達人だと知ると、武芸を学ぶために喜んで付いてきた。
 与論島に滞在中、ヤマトゥ(日本)に帰って行く船が次々に北へと向かって行った。中山王の船がアガサ泊(どぅまい)(茶花)に泊まっていたので、与論島に立ち寄る船はなく、皆、素通りして行った。
 赤名姫とメイヤ姫が現れて、ミャーク(宮古島)の船が今年も琉球に来た事を教えてくれた。シンシンとナナは誰が来たのか聞いていて、会えない事を残念がった。今年も来たというミッチェとサユイは、サスカサも仲良くなっていたので会いたかったと思った。
 五月十六日、与論島を船出した中山王の船団は風に恵まれて、正午(ひる)頃に永良部島の南部、知名の浜(じんにゃぬはま)に着いた。浜辺に娘を連れた瀬利覚ヌルの姿が見えた。数人のウミンチュ(漁師)たちもいて小舟(さぶに)に乗り込むと、こちらに向かって漕ぎ出した。兵たちの姿は見当たらなかった。
 永良部按司のグスクは越山(くしやま)の中腹にあるので与和の浜(ゆわぬはま)の方が近いのだが、知名の浜で瀬利覚ヌルが待っているとユンヌ姫が言うので、按司よりも先に神様に挨拶をしようと知名の浜から上陸する事にした。
 小舟に乗って上陸したのはヌルたちとサグルー、ジルムイ、マウシ、シラー、ヤールーで、兵たちは船の上で待機した。
 瀬利覚ヌルは三十代半ばの年頃で、雰囲気はちょっと母に似ているかなとサスカサは思った。でも、母のように武芸の達人ではなさそうだ。
「アキシノ様の子孫のサスカサ様ですね。神様からお聞きしました。サムレーの格好をして来ると聞いて驚きましたが、本当だったのですね」
「サスカサです」と言って、サスカサは今帰仁(なきじん)ヌル(シンシン)、クーイヌル(ナナ)、志慶真(しじま)ヌル(ミナ)、東松田(あがりまちだ)の若ヌル(タマ)、瀬底(しーく)の若ヌル(マナミー)、与論の若ヌルを紹介して、「志慶真ヌルもアキシノ様の子孫です」と言った。
 瀬利覚ヌルは志慶真ヌルを見て、「神様から伺いました」と言って、うなづいた。
「神様とはワー姫様の事ですか」とサスカサは聞いた。
「ワー姫様ではございません。ワー姫様は恐れ多いというか、つい最近になって知ったばかりの古い神様ですので、気軽に相談はできません。イラフ姫様から聞いたのです」
「イラフ姫様?」
「あたしの孫娘なのよ」とユンヌ姫の声がした。
「あら、ユンヌ姫様、お久し振りですね」と瀬利覚ヌルが言った。
「ここには来ていないけど、ササっていう面白いヌルがいてね。一緒にあっちこっち行っていたのよ」
「ササ様の事はイラフ姫様から聞いております。玉依姫(たまよりひめ)様にスサノオ様、それに瀬織津姫(せおりつひめ)様を琉球にお連れしてきた偉大なるヌルだと聞いております」
「大したヌルよ。今、お腹が大きくてね、ここには来られなかったのよ」
「ユンヌ姫様、この島の名前はイラフ姫様の名前から取ったのですか」とナナが聞いた。
「イラフがイラブになったけどね。ミャークの近くに伊良部島(いらうじま)があったでしょ。あれもそうなのよ」
「えっ!」とナナとシンシンが驚いた。
「あたしも知らなくて南の島(ふぇーぬしま)から帰って来て、イラフ姫に聞いたら、伊良部島にしばらく住んでいたって言ったわ。旅好きな娘でね、あっちこっちに行っていたのよ。美人(ちゅらー)で人柄もいいから、みんなから好かれて、島の名前に残ったみたいね。大山(うふやま)の山頂で待っているから、詳しい事は本人から聞いて」
 瀬利覚ヌルの案内でサスカサたちは大山に向かった。
 ヤールーは先に来ている配下たちに会いに行った。
 グスクがある越山の方を見ながら、「永良部按司の使者が来るかもしれないから、俺はここに残る」とジルムイが言った。
 サグルーもグスクの方を見てうなづき、「使者が来たら、うまい酒でも飲ませて待たせておけ」と言ってヌルたちの後を追った。
 大山は永良部島で一番高い山だが、大して高い山ではないので、森の中の細い道を歩いて半時(はんとき)(一時間)ほどで着いた。
 山頂は樹木に覆われていて眺めはよくなかった。大きな岩の所に古いウタキ(御嶽)があった。
 サスカサたちは瀬利覚ヌルと一緒にお祈りをした。サグルーたちは回りに気を配りながらウタキの外で見守った。
「また、戦(いくさ)が始まりそうね」と神様の声が聞こえた。
「イラフ姫様ですか」とサスカサが聞いた。
「ユンヌ姫の孫のイラフ姫よ。この島は今帰仁按司が変わる度に戦が起こって大勢の人が亡くなっているのよ」
「この島の事を教えて下さい」
「平和だったこの島に按司が最初に来たのは二百年前頃だったわ。ヤマトゥから来た平家が今帰仁按司になって、ヤマトゥからの追っ手を見張るために、今帰仁按司の次男が永良部按司としてやって来たのよ。それから二十年くらい経って、初代今帰仁ヌルのアキシノの孫娘が永良部ヌルとしてやって来たわ。弓矢の名人で弓矢を持って山の中を走り回っていたのよ。面白い娘だったわ。馬の飼育も始めて牧場も作ったわ」
「この島に牧場があるのですか」とサスカサは驚いて聞いた。
「初代永良部ヌルの息子が跡を継いで、今でも続いているわよ。三代目の永良部按司の時、義本(ぎふん)を滅ぼして浦添按司(うらしいあじ)になった英祖(えいそ)の兵が攻めて来たわ。三代目の永良部按司は殺されて、英祖の弟が四代目の永良部按司になったのよ。二代目の永良部ヌルは英祖の弟と結ばれて、三代目永良部ヌルを産むわ。英祖の弟が亡くなって五代目の時、今帰仁按司になった本部大主(むとぅぶうふぬし)が攻めて来て、五代目も若按司も殺されて、本部大主の次男が六代目の永良部按司になるのよ。三代目の永良部ヌルは殺されずに、本部大主の娘を永良部ヌルに育てて、瀬利覚に隠棲して瀬利覚ヌルを名乗ったの。二十年後、本部大主を倒して今帰仁按司になった千代松(ちゅーまち)の兵が攻めて来て、六代目の永良部按司と若按司は殺され、娘の永良部ヌルは国頭(くんじゃい)に追放されて、瀬利覚ヌルは永良部ヌルに復帰するのよ。千代松にはまだ男の子がいなかったので、千代松の武将が島に残って按司の代理を務めたの。それから十五年くらい経って、まだ十二歳だった千代松の次男が来て七代目の永良部按司になったのよ。千代松の次男は五年後に六代目の永良部ヌルを妻に迎えたわ。六代目の永良部ヌルは今の瀬利覚ヌルのお祖母(ばあ)ちゃんなのよ。千代松が亡くなって、羽地按司(はにじあじ)だった帕尼芝(はにじ)が今帰仁按司になると、帕尼芝の弟が兵を率いて攻めてきて、七代目の永良部按司を殺して、帕尼芝の息子の五歳だった真松千代(ままちちゅー)を八代目の永良部按司にするわ。真松千代の母親は六代目永良部ヌルの妹の北目(にしみ)ヌルだったの。その時より六年前に北目ヌルは今帰仁に行って、帕尼芝と出会って結ばれたのよ。北目ヌルは一年半、今帰仁で暮らして、大きなお腹で帰って来たわ。帕尼芝の奥さんは千代松の娘だったから、帕尼芝は奥さんに知られる前に島に帰したのよ。北目ヌルは無事に男の子を産んで、姉の永良部ヌルも祝福したわ。その時は誰も、帕尼芝が今帰仁按司になるなんて思ってもいなかったわ。でも、帕尼芝は義兄だった二代目千代松を殺して、今帰仁按司になったのよ。そして、実弟に永良部島を攻めさせて、義兄だった七代目の永良部按司も殺して、真松千代を永良部按司にしたのよ。六代目永良部ヌルは遠ざけられて、三代目と同じように瀬利覚に隠棲して瀬利覚ヌルになって、真松千代の母親の北目ヌルが永良部ヌルになったのよ。今までずっと姉に頭が上がらなかった北目ヌルは大喜びしたわ。帕尼芝の弟が永良部按司の代理を務めて島に残り、永良部ヌルは真松千代を連れて今帰仁に行って、翌年、娘を産んだのよ。永良部ヌルと真松千代は十年間、今帰仁にいて、真松千代は按司としての教育を受け、武芸も身に付けて戻って来たわ。本当はもう一年いるはずだったけど、按司の代理だった帕尼芝の弟が病死してしまったのよ。真松千代は十五歳だったけど、島の人たちのためになる事は何でもやったわ。いいお嫁さんももらって、真松千代とマティルマは島の人たちに慕われて理想の按司だったのよ。真松千代が亡くなるとマティルマは島を離れてしまったわ。若按司はもう一人前だし、若按司の奥さんも頑張っていたので、身を引いたのよ。そしたら、真松千代の妹が按司の叔母として権力を握って、好き勝手な事をし出したのよ。母親もそうだけど、ヌルとしては半人前で、わたしの声は聞こえないのよ。今は大城(ふーぐすく)ヌルを名乗って立派な御殿(うどぅん)で暮らしているわ。あんなのは追い出して、瀬利覚ヌルを永良部ヌルに戻してやってね」
按司を倒せという事ですか」とサスカサは聞いた。
按司を倒すために攻めて来たんでしょう」
「違います。按司が中山王に従うと誓えば無理に攻めません。戦になれば、島の人たちが迷惑しますから」
「あら、そうだったの。でも、山北王(さんほくおう)の一族を生かしておくのは危険だわよ。いつの日か、今帰仁グスクを奪い返そうとする者が現れるわ」
 そう言われてサスカサは考えた。祖父がキラマ(慶良間)の島でやったように、この島で兵を鍛えて、今帰仁に攻めて来る事も考えられるとサスカサは思った。
「イラフ姫様は南の島のミャークの近くにある伊良部島に行ったとユンヌ姫様から聞きましたけど本当なのですか」とシンシンが聞いた。
「わたしは二代目ユンヌ姫の長女に生まれて、三代目を継ぐように育てられたの。与論島は綺麗な島だし、それもいいと思っていたのよ。十九歳の時だったわ。祖母と一緒に久米島(くみじま)に行ったの。ウムトゥ姫とクミ姫の姉妹を連れて行ったのよ。クミ姫はわたしと同い年で、すぐに仲良しになったわ。それから二年後、クミ姫に会いたくなって久米島に行ったの。そしたら、ウムトゥ姫が南の島に行ったと聞いて驚いたわ。その時、ウムトゥ姫が送ったお舟がシビグァー(タカラガイ)を満載にして久米島に来ていたの。わたしは迷わず、そのお舟に乗り込んで南の島に行ったのよ。池間島(いきゃま)でウムトゥ姫と一緒にシビグァー捕りをして、ミャークに行ったり、西島(いりま)(伊良部島)に行ったりして、西島でマレビト神と出会ったのよ。西島で娘を産んで、五年余り暮らしていたわ。娘を連れて与論島に帰ったんだけど、すぐに旅に出たくなってヤマトゥに行ったのよ。六歳の娘を連れていたので奈良の都までは行けなかったけど、九州はあちこち行って来たわ。そして、帰りに屋久島の西にある火山島に寄った時、二人目のマレビト神と出会ったのよ。火山島で次女を産んで、火山を鎮めるお祈りもしたわ。その島には三年いて、与論島に帰る途中、ワーヌ島と呼ばれていたこの島に寄って、三人目のマレビト神と出会ったのよ」
「えっ、三人目ですか」と思わずサスカサは言っていた。
「そうなのよ。わたしも信じられなかったけど、マレビト神だったのよ。この島で三女を産んだわたしは、この島で暮らす事に決めて、三代目ユンヌ姫は妹に継がせたわ。長女が十八歳になった時、わたしは娘たちを連れて、夫のお舟に乗って西島に行ったのよ。そしたら、島の名前が伊良部島になっていたので驚いたわ。島の人たちに大歓迎されて、わたしは長女を残して帰って来たのよ」
屋久島の近くの火山島は永良部島(口永良部島)の事ですね」とナナが聞いた。
「そうなのよ。わたしが去ってから火山が治まったらしくて、わたしの名前を付けたようだわ」
「この島もワーヌ島からイラフ島になったのですか」
「それはわたしが亡くなってからなのよ」
「イラフ姫様がこの島に落ち着いた理由は何だったのですか」とサスカサが聞いた。
「何だったのかしら? この島は妹が来る予定だったのよ。若い頃、妹と一緒にこの島に来て、わたしはこの島のよさがわからなくて、あなたに合っているわって妹に言ったのよ。でも、あちこち行ってみて、わたしが永住の地に選んだのはこの島だったの。近すぎて、よさがわかるのに時間が掛かったのね」
 サスカサたちはイラフ姫にお礼を言って別れた。
 ウタキから離れて山を下りようとした時、「ちょっと待って」とナナが言った。
「今、気が付いたんだけど、瀬利覚ヌルはアキシノ様の子孫でしょ。アキシノ様は瀬織津姫様の子孫よね。どうして、知念姫(ちにんひめ)様の子孫のイラフ姫様の声が聞こえるのかしら?」
 サスカサもシンシンも首を傾げていると、
「アキシノがクボーヌムイヌルを継いでいるからよ」とユンヌ姫の声がした
「クボーヌムイ姫はあたしの姉の安須森姫(あしむいひめ)の娘だから、アキシノの子孫はあたしの孫のイラフ姫の声も聞こえるのよ。ただし、それなりの修行を積んだヌルに限るけどね」
「ユンヌ姫様、イラフ姫様とお話ししたのですか」とナナが聞いた。
「あの娘(こ)とはお話しなくても大丈夫なのよ。元気そうね、元気でやってるわ、それで終わりよ。何となく、ササに似ている子だわ」
「三つの島の名前に残るなんて、凄い美人だったのでしょうね」
「凄い美人とは言えないわね。あの娘自身、自分が美人だなんて思っていないわ。ただ、あの娘の笑顔は美しいと言えるわね。興味がある事には周りの事なんて考えずにズカズカと入って行って、島の人たちを驚かせるわ。でも、自分が正しいと思った事は必ず実行するから、島の人たちもあの子を慕うんだと思うわ。あの子の笑顔が忘れられなくて、島の名前にして残したのよ」
 昼食の用意がしてあるのでサミガー親方(うやかた)の屋敷に連れて行くと瀬利覚ヌルが言った。この島にもサミガー親方がいた事にサスカサたちは驚いた。
 山道を下りながらイラフ姫から聞いた永良部島の歴史をサスカサたちはサグルーたちに話した。今帰仁按司が代わる度に、この島で戦が起こって永良部按司が何人も殺されたと聞いてサグルーたちは驚いていた。
 大山から下りて浜辺に行くと、大勢のウミンチュたちが集まっていて、中山王の船を見ていた。娘を連れた瀬利覚ヌルが見慣れないサムレーや刀を腰に差した女たちを連れて現れたので、ウミンチュたちは一斉に振り返った。
「ヌル様、戦が始まるのですか」とウミンチュの一人が心配そうに聞いた。
「大丈夫よ。話し合いで何とかなるわ」と瀬利覚ヌルは言った。
「みんなが騒ぐと大げさな事になるから静かに見守っていて」
 ヌル様に任せようと言って、ウミンチュたちは引き上げて行った。 
 ヤールーが待っていて、永良部按司の使者が来て、ジルムイと一緒にサミガー親方の屋敷で待っているとサグルーに告げた。
「やはり、使者が来たか」
「もう一時(いっとき)(二時間)近く経ちますから、いい気分になっている頃でしょう。マティルマ様も船から降りてきて、トゥイ様たちも一緒にいます」
「なに、マティルマ様も一緒にいるのか」
「使者は北見国内兵衛佐(にしみくんちべーさ)と後蘭孫八(ぐらるまぐはち)で、マティルマ様との再会を喜んでいました。そしたら、サミガー親方がやって来て、みんなを屋敷に連れて行ったのです」
「使者たちは兵を連れては来なかったのだな」
「従者のサムレーを一人づつ連れて来ただけです」
「わかった」とうなづいて、サグルーたちは瀬利覚ヌルの案内でサミガー親方の屋敷に向かった。
 作業場は浜辺の西の方にあって、ウミンチュたちが働いていた。屋敷は浜辺から少し離れた所にあり、思っていたよりも立派で大きな屋敷だったので、サグルーたちは驚いた。
 庭に四頭の馬がいて、使者の従者のサムレー二人が木陰の縁台に腰掛けていた。三人の子供が遊んでいて、縁側にマティルマの娘のマハマドゥがいた。縁側に面した部屋から話し声が聞こえ、マティルマたちの姿が見えた。
 マハマドゥはマティルマの三女で、三人の子供を連れてマティルマと一緒に生まれ島に帰って来ていた。
 ジルムイが四十代半ばの日に焼けた男と一緒に縁側に現れ、庭に降りてきて、サミガー親方を紹介した。
 瀬利覚ヌルがサミガー親方に、サグルーとサスカサを中山王の孫だと紹介した。
「えっ?」とサミガー親方は驚き、「サチがどうして、中山王のお孫さんを知っているんだ?」と聞いた。
「神様が呼んでくれたのよ」と瀬利覚ヌルは言ったが、サミガー親方はわけがわからないと言った顔をしてから、「島へようこそ」とサグルーたちに言った。
「世の主(ゆぬぬし)様(永良部按司)の使者たちが待っていますが、すぐに会いますか」とサミガー親方がサグルーに聞いた。
「使者たちは昼食を食べたの?」と瀬利覚ヌルがサミガー親方に聞いた。
「お酒を飲んで、昼食も食べて、先代の奥方様(うなぢゃら)(マティルマ)たちと一緒に楽しそうに話をしています」
「わたしたちもお腹が減ったわ。昼食を食べてから会えばいいんじゃないの」と瀬利覚ヌルがサグルーに言った。
 サグルーはサスカサを見て、さっきから腹が減ったと言っていたマウシを見て笑うと、「そうしよう」と言った。
 サグルーたちはサミガー親方に連れられて、使者たちとは別の部屋に入った。ジルムイは使者たちの所に戻った。
 ウミンチュのおかみさんたちが用意してくれた昼食を食べながら、「親方も馬天浜(ばてぃんはま)で修行したのですか」とサスカサがサミガー親方に聞いた。
「馬天浜を御存じなのですか」
「馬天浜で鮫皮(さみがー)作りを始めたのは、わたしたちの曽祖父なんです」
「サミガー大主(うふぬし)様が曽祖父?」
「中山王の父親がサミガー大主なのです」
「えっ!」とサミガー親方は口をポカンと開けたままサスカサを見ていたが、「馬天浜で修行したのは父なのです」と言って話を始めた。
 サミガー親方の父親は十四歳の時に馬天浜に行き、十年間も馬天浜で暮らしていたという。父親は馬天浜のウミンチュの娘を嫁にもらって島に帰ってきて、親方はこの島で生まれた。
 親方の父親は中山王の思紹(ししょう)よりも四つ年上で、サグルーと呼ばれていた思紹が弓矢の稽古や剣術の稽古に励み、ヤマトゥ旅に行った事や、サグルーの長男が生まれて神人(かみんちゅ)から祝福された事を親方は父親から聞いていた。
「兄と同じ名前のサグルーが祖父の中山王で、神人に祝福された赤ん坊がわたしたちの父親の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)です」とサスカサが言うと親方は驚いていた。
「この島から馬天浜に行った人がいたなんて驚きました」とサグルーが言った。
「この島からも馬天浜に稼ぎに行っていたウミンチュがいたようです。父はカマンタ(エイ)捕りだけでなく、鮫皮作りのすべて身に付けて帰って来ました。初めのうちは作った鮫皮は馬天浜に運んでいましたが、先代の奥方様が鮫皮の事を先代の世の主様に話して、世の主様が今帰仁按司様(帕尼芝)に話したら、今帰仁按司様は大層喜んで、鮫皮を買い取ってくれました。それだけでなく、この立派な屋敷も建ててくれたのです。奥方様は中山王の娘なのに気さくな人で、ウミンチュたちの面倒をよく見てくれました。女たちを集めて、読み書きも教えていたのです。今帰仁に行ったまま帰って来なかったので、みんなが寂しがっておりました。今帰仁の城下は全焼して、グスクも鉄炮(てっぽう)(大砲)でやられて、ひどい有様だと聞きました。奥方様は今帰仁グスクで暮らしていると聞いておりましたので、亡くなってしまったに違いないと思っていたのです。中山王の船に乗って来られたので驚きましたが、無事のお姿が見られて、皆、喜んでおります」
「今、焼け野原になってしまった今帰仁の城下の再建が始まっています。城下が再建されたら、新しい今帰仁按司首里(すい)からやって来ます。この島も中山王の領内となり、中山王に従う事になります。親方の鮫皮は中山王が買い取る事になるでしょう」とサスカサは言った。
「よかったわね」と瀬利覚ヌルが笑って、「でも、あなたの跡継ぎがいないのが残念ね」と言った。
「跡継ぎがいないのですか」とサスカサが聞いた。
「奥さんが出産に失敗して亡くなった後、奥さんの事が忘れられないって言って、後妻をもらわないんですよ。奥さんが亡くなったのはもう二十年も前なのに」
「縁がないんですよ」と親方は笑った。
 屋敷の中に広間があるので、そこで使者たちと会う事にして、瀬利覚ヌルの案内で、サグルー、マウシ、シラー、サスカサ、シンシン、ナナが広間に移って使者たちを待った。
 瀬利覚ヌルは、中山王が攻めて来たら味方となり、後蘭孫八と兄の北目国内兵衛佐と一緒に世の主を倒そうと思っていた。中山王が世の主を倒す気がない事を知って、神様も敵討(かたきう)ちを望んでいないに違いないと諦めていた。
 アキシノ様から代々続いていた永良部ヌルを大叔母の北目ヌルに奪われてから五十年余りが経っていた。七年前、母は無念の思いのまま亡くなった。永良部ヌルに戻れなかっただけでなく、瀬利覚ヌルに跡継ぎがいなかった事を嘆いていた。瀬利覚ヌルとしてもアキシノ様の血を絶やしたくはなかったが、マレビト神に出会えなかった。
 母が亡くなった翌年、跡継ぎの事を半ば諦めていた瀬利覚ヌルの前に孫八が現れた。出会った途端にマレビト神だとわかり、孫八と結ばれた瀬利覚ヌルは翌年、跡継ぎの娘を産んだ。孫八も家族を連れて奄美大島(あまみうふしま)から移ってきた。
 孫八はグスク造りの名人で、後蘭にグスクを築き、世の主のグスクも築いた。そのグスクには抜け穴もあり、中山王の兵が攻めれば、簡単に落とす事ができるのに、今回は諦めなければならなかった。山北王はいなくなったし、いつか必ず永良部ヌルに戻れる日が来る事を信じて待とうと瀬利覚ヌル思った。
 ジルムイが連れて来た使者の後蘭孫八と北見国内兵衛佐は、二人とも体格のいい大男だった。酒を飲んでいた部屋に置いてきたのか二人とも刀を腰に差していなかった。
「兄のサグルーと妹のサスカサです」とジルムイが孫八と国内兵衛佐に紹介して、サグルーたちに孫八と国内兵衛佐を紹介した。
 孫八と国内兵衛佐はかしこまって座り、サグルーたちと対面した。
「うまい酒を御馳走になりました。あんなにうまい酒を飲んだのは初めてです」と国内兵衛佐が言った。
「奥方様を連れて来ていただき、ありがとうございます。世の主も大層、喜ばれる事でしょう」と孫八が言った。
 二人ともほろ酔い気分で、いい機嫌のようだった。
「中山王のヌルたちはサムレーの格好をしていると奥方様から聞いて驚きましたが、本当にサムレーの格好をしているので驚きました」と国内兵衛佐がサスカサたちを見ながら言った。
「わたしの母は女子(いなぐ)サムレーの総大将を務めています。今、女子サムレーは二百人余りいますが、琉球の北部にも配置する予定なので、さらに増える事でしょう」
「なに、女子のサムレーが二百人もいるのか」と国内兵衛佐が唸ってから、「会ってみたいものじゃ」と嬉しそうに言った。
「北目殿」と孫八が言って促した。
「わかっておる」と国内兵衛佐が孫八にうなづいて、
「中山王の意向を聞いて参れと世の主から命じられてやって参りました」とサグルーに言った。
「世の主とは、この島の主(あるじ)の事ですか」とサグルーが聞いた。
「この島では、按司の事を世の主と呼んでおります。わしの父親は中山王のサムレー大将でしたが、先代の奥方様の護衛役としてこの島に来ました。按司の事を世の主と呼ぶのを聞いて驚いたと生前、言っておりました。外から来た人は驚くかも知れませんが、この島では昔から、そう呼んでいるようです」
「ほう。そなたの父親は察度(さとぅ)のサムレー大将だったのか」
「察度様が亡くなった時、父は浦添に帰りました。向こうにも家族がいると聞いていましたので、もう帰って来ないかもしれないと心配しましたが、翌年の夏に帰って来て、その六年後、この島で亡くなりました」
 そう言って国内兵衛佐は顔を上げてサグルーを見ると、「中山王の御意向をお聞かせ下さい」と言った。
「中山王の意向は永良部按司が中山王に忠誠を誓えば、この島の事は任せるという事です」
「えっ!」と国内兵衛佐と後蘭孫八が同時に言った。
「それは誠でございますか」
「戦をすれば、島の人たちにも犠牲者が出ます。今帰仁の合戦で大勢の人が亡くなり、これ以上、犠牲者は出すなと中山王は言っております」
 国内兵衛佐と後蘭孫八は顔を見合わせて、ホッと溜め息をついた。
「ただ、人質として若按司を預かる事になります。何事もなければ一年後にはお返しします」
「若按司をですか」と国内兵衛佐が言った。
「その事は与論按司(ゆんぬあじ)も承知しました」
「世の主は一族もろとも殺されるものと思っておりました。若按司を人質にして許されるのなら喜んで承知するでしょう」と孫八が言った。
「世の主は戦の準備をして待ち構えているのですか」とサグルーは聞いた。
「戦の準備をして待っておりましたが、八隻の船を見て、戦をするのは諦めたようです。この島の兵は百人余りしかいません。しかも皆、実戦の経験はありません。中山王が鉄炮を持っていると知って、皆、怯えてしまって戦ができるような状況ではありません」と国内兵衛佐が答えた。
 サグルーはうなづいて、「世の主に会いに行こう。案内を頼むぞ」と言った。
 船から百人の兵を降ろし、マティルマたちは船に戻して与和の浜に向かわせた。
 船から降ろした馬に乗り、サグルーたちとサスカサたちは兵を率いて、国内兵衛佐と孫八の案内で世の主のグスクに向かった。瀬利覚ヌルも娘をサミガー親方に預けて付いてきた。
「旗を揚げるのを忘れていた」と孫八が国内兵衛佐に言った。
「あっ、わしもすっかり安心して、忘れていた」
「戻って上げるか」と孫八が言ったが、「早馬を送ったから大丈夫じゃろう。奥方様も帰って来たし、世の主も一安心じゃ」と国内兵衛佐は笑った。
 兵たちを連れているので馬を走らせるわけにもいかず、のんびりと景色を眺めながら一時(いっとき)(二時間)も掛かって世の主のグスクに着いた。途中、イラフ姫が言っていた牧場があり、何頭もの馬がのんびりと草を食べていた。
 越山(くしやま)の中腹にある世の主のグスクは思っていたよりも立派なグスクだった。今帰仁グスクを小さくしたようなグスクで、高い石垣に囲まれていた。サグルーたちもサスカサたちも石垣を見上げて驚いた。来る途中で後蘭孫八が築いたと聞いていたので、大したグスクではないだろうと思っていたが、大きな間違いだった。こんな凄いグスクを築く男がこの島にいたなんて思いもよらない事だった。
 大御門(うふうじょう)(正門)の上に櫓(やぐら)があり、五人の兵がいたが弓矢を構えてはいなかった。先に来ていた国内兵衛佐の従者のサムレーが大御門の前で待っていて、国内兵衛佐に耳打ちすると、国内兵衛佐は驚いた顔をした後、孫八を呼んで何やら相談をした。
「思わぬ事態になってしまいました」と孫八がサグルーに言った。
「何か起きたのですか」とサグルーは聞いた。
 孫八は国内兵衛佐を見てから、「世の主が自害してしまわれました」と言った。
「何だって? どうして自害など‥‥‥」
「詳しい事はまだわかりませんが、世の主は先代が祀られているウファチジという山の上で、奥方様と若按司と一緒に自害されたようです」
「何という事だ‥‥‥」とサグルーはサスカサを見て首を振った。
按司が亡くなったのなら確認しなければならないわ」とサスカサは言った。
 サグルーはうなづいて、「その山に案内してもらおう」と孫八に言った。
 マウシがサグルーの袖を引いて、「罠(わな)かもしれんぞ」と小声で言った。
 サグルーは孫八を見て、国内兵衛佐を見た。櫓の上と石垣の上も見たが、先ほどと変化はなかった。
「大丈夫よ」とユンヌ姫の声がした。
「罠ではないのね」とサスカサが聞いた。
「山の上には三人の遺体とサムレーが三人とヌルが一人いるだけよ」
 サスカサはユンヌ姫にお礼を言った。 
 マウシとジルムイを兵たちと共に残して、サグルーとシラーとヤールー、サスカサ、シンシン、ナナ、瀬利覚ヌルが孫八と国内兵衛佐の後に従った。
 ウファチジはグスクの東側にあるこんもりとした山で、細い山道を登って行くとすぐに山頂に着いた。大きな松の木が何本もあって、二人のサムレーが見張りをしていたが、孫八と国内兵衛佐の姿を見ると頭を下げて道を開けた。そこは広場になっていて、大きな石の近くに三つの遺体が並び、一人のサムレーが遺体の前に跪(ひざまづ)いていた。
「マサバルー、これは一体、どうした事なんじゃ?」と国内兵衛佐がサムレーに聞いた。
「わしにもわからんのじゃ。大城(ふーぐすく)ヌル様から話を聞いて、ここに来た時は三人とも血まみれになって倒れていたんじゃ」
「自害した事に間違いはないのか」
「間違いない。世の主が奥方様と若按司を斬って、自分の首を斬ったんじゃ」
「何という事じゃ‥‥‥」
 孫八と国内兵衛佐は遺体の前に跪いて両手を合わせた。サグルーたちも遺体に両手を合わせてから、大城ヌルから事情を聞いた。
 大城ヌルは世の主の叔母で、グスク内の世の主の御殿(うどぅん)で、世の主と奥方、子供たちと一緒に今後の事を相談していたらしい。知名の浜に泊まっていた中山王の船が与和の浜に向かってきて、陸からも中山王の兵が攻めて来るとの知らせを聞くと、もう終わりじゃと言って、抜け穴を通ってグスクから抜け出し、ここに来て自害してしまったという。
「マティルマ様とマジルー様はグスクにいるのか」と孫八が聞いた。
「お二人はヤタルーがお連れしました」と大城ヌルが言った。
「どこにお連れしたんだ?」
 大城ヌルは首を振った。
「グスクから出ると世の主がヤタルーに何かを言って、ヤタルーはお二人を連れてどこかに行きました。わたしは世の主と一緒にここに来たので、どこに行ったのかわかりません」
 日が暮れてきたので、真相を調べて後で知らせるとマサバルーが言って、サグルーたちは以前に世の主が使用していた玉グスクに案内された。

 

 

 

北風(ニシブチ) 沖永良部島に生きた人と唄の記憶   沖永良部島100の素顔―もうひとつのガイドブック

3-06.与論島平定(第二稿)

 梅雨が上がった五月の五日、山グスク大親(うふや)(サグルー)が奄美の島々を平定するためにヒューガ(水軍大将)の武装船に乗って親泊(うやどぅまい)(今泊)を出帆した。弟のジルムイ(島添大里之子)とマウシ(山田之子)とシラー(久良波之子)がサムレー大将として従い、武装船と七隻の大型船に四百人の兵が乗っていた。
 サスカサ(島添大里ヌル)、志慶真(しじま)ヌル、シンシン(今帰仁ヌル)、ナナ(クーイヌル)、タマ(東松田の若ヌル)、瀬底(しーく)の若ヌルが一緒に行き、与論島(ゆんぬじま)に帰る麦屋(いんじゃ)ヌル、与論按司(ゆんぬあじ)を説得するために与論按司の姉のクン(攀安知の側室)と妹のクミ、永良部按司(いらぶあじ)を説得するために母親のマティルマと妹のマハマドゥ、奄美按司を説得するために奄美按司の叔父の具足師(ぐすくし)のシルーが乗っていた。マティルマの連れとしてトゥイ(先代山南王妃)とナーサ(宇久真の女将)とマアミ(先々代越来按司の妻)、トゥイの護衛の女子(いなぐ)サムレーのマアサも乗っていた。
 瀬底の若ヌルは武当拳(ウーダンけん)を習うために母の許しを得て瀬底島(しーくじま)から今帰仁(なきじん)に来て、サスカサを師匠と呼び、師匠が行くなら一緒に行くと言って付いてきた。
 与論按司は国頭按司(くんじゃんあじ)の次男で湧川大主(わくがーうふぬし)の配下だったが、湧川大主が逃げて行った今、姉のクンと妹のクミが説得すれば従ってくれるだろうとサグルーは思っていた。
 永良部按司の父親は初代山北王(さんほくおう)(帕尼芝)の三男で、母親は初代中山王(ちゅうざんおう)(察度)の娘のマティルマ、妻は名護按司(なぐあじ)の娘だった。母親と妹が説得すれば従ってくれると思うが、山北王(攀安知)と湧川大主の従弟(いとこ)なので抵抗する可能性もあった。なるべく、戦はせずに話し合いで解決したかった。
 徳之島按司(とぅくぬしまあじ)は永良部按司の弟なので、永良部按司が従えば従うだろう。ただ、妻が山北王の妹なので、兄の敵(かたき)に従うなと言うかもしれなかった。
 奄美按司は志慶真大主(しじまうふぬし)の弟で、妻は我部祖河(がぶしか)の長老の娘だった。幼い頃の志慶真ヌルは奄美按司の妹と仲良しだったという。奄美按司が志慶真ヌルを覚えているかどうかわからないが、志慶真ヌルと叔父のシルーに説得されれば逆らわないだろう。奄美按司になる前は今帰仁のサムレー副大将を務めていたので、今帰仁に帰りたいと言えばそれでもいいとサグルーは父のサハチから言われていた。
 鬼界島(ききゃじま)(喜界島)には御所殿(ぐすどぅん)(阿多源八)がいて、湧川大主に抵抗していたが、鬼界島の神様はユンヌ姫の娘のキキャ姫だから大丈夫とシンシンとナナが言うので、ヌルたちに任せよう。
 順調に行けば、二か月もあれば平定できるだろうが、冬にならなければ帰れないのが辛かった。奄美大島の山の中で兵たちを訓練させるかとサグルーは思った。
 夏の強い日差しを浴びながら与論島には正午(ひる)過ぎに着いた。
 サグルーは五年前に与論島に来ていた。その時は浜辺に『三つ巴紋』の旗がたなびき、苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)が与論島を占拠していた。伊平屋島(いひゃじま)と伊是名島(いぢぃなじま)を攻めた山北王と交渉するために与論島を奪い取ったのだった。山北王は伊平屋島伊是名島から手を引き、中山王は与論島を返し、中山王と山北王は同盟した。あれから五年、山北王は滅び去り、与論島を中山王の支配下に置かなければならなかった。
 麦屋ヌルは五年振りに見る与論島を見つめながら知らずに涙がこぼれ落ちていた。家族は皆、殺されてしまったが生まれ島から離れたくはなかった。ここにいては危険だとウニタキに言われて仕方なく首里(すい)に行った。浮島(那覇)の賑わいに驚き、幼い頃に行った勝連(かちりん)グスクよりも立派な首里グスクにも驚き、馬天(ばてぃん)ヌルに再会して師事した。
 馬天ヌルと一緒にウタキ(御嶽)巡りの旅をして、様々な事を学び、各地のヌルたちとも親しくなった。馬天ヌルの凄さを思い知ると同時に、古い神様の声が聞こえない自分が情けなくなくなったが、与論島に帰る前に古い神様の声が聞こえるようになろうと懸命に修行を積んだ。そして、今年の三月、安須森(あしむい)ヌル、ササたちと一緒に久高島参詣(くだかじまさんけい)に行った時、久高島の神様の声が聞こえるようになり、ユンヌ姫の声も聞こえるようになった。
 麦屋ヌルは五年間に起きた様々な事を思い出しながら、首里に行って本当によかったと心から思い、晴れ晴れとした気持ちで帰郷できた事に神様に感謝した。
 前回と同じように与論島の南側の赤崎(あーさき)の浜辺に向かうと、浜辺に数人の人影が見えた。
「与論按司のお出迎えよ」とユンヌ姫の声が聞こえた。
「ユンヌ姫様が与論ヌルに知らせたの?」とナナが聞いた。
「違うわよ。与論ヌルはあたしの声は聞こえないわ。あたしの子孫は絶えてしまって、あの島にはあたしの声が聞こえる人はいないのよ。毎日、退屈していた時にササが来たのよ。あたしの声が聞こえるササに会えたのが嬉しくて、ササと一緒にヤマトゥに行ったりしていたのよ。麦屋ヌルがあたしの声が聞こえるようになったので、これからは楽しくなりそうだわ。でも、麦屋ヌルの跡継ぎがいないのは淋しいわね」
「この年齢(とし)になって、跡継ぎを産むのは無理ですよ」と麦屋ヌルは言ってから、「与論島の歴史を教えて下さい」とユンヌ姫にお願いした。
「わかっているわ。でも、ここではだめ。あたしだって神様らしくウタキでお話ししたいわ」
「ユンヌ姫様が知らせたのでなければ、与論按司はどうやって知ったの?」とシンシンが聞いた。
今帰仁にいた湧川大主の配下がこの島に来て、中山王の兵が梅雨明けに攻めて来るって知らせたの。それで、見張らせていたのよ。それに、こんな大きな船が八隻も来れば、ウミンチュ(漁師)たちも驚いて按司に知らせるわ」
 それもそうだとサスカサたちは納得して、浜辺で待っている按司と数人の兵、与論ヌルと若ヌルを見た。
 按司が送って来た小舟(さぶに)が武装船の脇に付き、サグルーは警戒して、クンと娘を連れたクミ、サスカサ、シンシン、ナナを送ろうとした。タマとマナミー(瀬底の若ヌル)も一緒に行くと言い、麦屋ヌルも一緒に行くと言った。
「与論ヌルはわたしの弟子です。何とか説得します」と麦屋ヌルは言った。
 サグルーはタマとマナミー、麦屋ヌルが行く事を許し、ヤールーを見てうなづいた。
 ヤールーはウニタキの配下でサグルーの護衛を命じられていた。今回、ヤールーは二十人の配下を与えられ、ウミンチュに扮した二十人は武装船より先に来ていて、赤崎の周辺に隠れて待機しているはずだった。
 上陸したクンとクミは五年振りに与論按司と再会した。
 与論按司は二人を見て笑い、「まさか、姉さんとクミが来るとは思ってもいなかった」と言った。
「山北王の側室だった姉さんは殺されたものと思っていましたよ」
「わたしは戦(いくさ)が始まる前に国頭に帰っていたのよ。中山王のサムレー大将が国頭に来たので、捕まるのかと思ったけど、南部に連れて行ってくれて、マサキとミンに会って来たわ」
「姉さんが首里に行ったのか」と与論按司は驚いた。
首里に行って中山王と会って、島尻大里(しまじりうふざとぅ)に行って山南王(さんなんおう)とも会ってきたわ」
「ほう。信じられん事が起こるもんだな。山北王の側室が中山王と山南王に会うなんて‥‥‥そして、今度はここに来たのか」
「そうよ。あなたも知っていると思うけど、山北王は滅びたのよ。もう山北王はいないのよ。こんな事になるなんて思ってもいなかったけど、世の中は変わってしまったのよ。あなたも考え方を変えなくてはならないわ。お父さんは中山王と一緒に山北王を攻めたから、あなたも中山王に従うと誓えば、与論按司のままでいられるはずよ」
「俺を捕まえに来たのではないのか」
「違うわ。奄美平定の総大将は中山王の孫の山グスク大親なの」
「山グスク大親? 聞いた事もないな」
今帰仁攻めの総大将だった島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の息子よ。今帰仁攻めでは志慶真曲輪(しじまくるわ)を攻め落とす活躍をしたのよ。山グスク大親はこの島に来る前に伊江島(いーじま)に行って、若按司を殺す事なく、按司として認めたわ。敵対していた伊江按司の息子を助けたんだから、あなただって助かるはずよ」
「そうか‥‥‥ところで、姉さんは山北王を殺されて、中山王を恨んでいないのか」
「えっ?」とクンは言って、首を傾げた。
「ハーン(攀安知)はクーイの若ヌルに夢中になっていて、わたしの事なんて忘れてしまったようだったもの。マサキとミンが無事に生きていればそれでいいのよ。もう今帰仁に縛られることもないし、これからはこの島でのんびり暮らそうかしら」
「今、いい所ねって娘と言っていたのよ。あたしたちもここで暮らそうかしら」とクミが言った。
「大歓迎だよ。ここはいい島だ。俺も来てよかったと思っている。ここの按司になれたのは湧川大主殿のお陰だ。その湧川大主殿が、島の人たちのために戦はするなと言ったんだ。俺は中山王に従うよ」
 クンは父から預かっていた書状を弟に渡した。
 按司は書状を読むと、「島添大里ヌル様はどなたですか」とサスカサたちを見た。
 サスカサが軽く手を上げた。
「噂で首里には女子(いなぐ)のサムレーがいると聞いていたが、ヌルまでサムレーの格好をしているとは驚いた」
 そう言って笑うと、与論按司は真面目な顔になって、「中山王に従う事を神様に誓います」と言って頭を下げた。
 サスカサはうなづいて、懐から『三つ巴紋』の旗を取り出すと、武装船の上にいるサグルーに向かって振った。
 サグルーはうなづくと、ジルムイ、マウシ、シラーと一緒に小舟に乗り移って砂浜を目指した。
 麦屋ヌルは与論ヌルとの再会を喜んでいた。与論ヌルは家族を殺した敵(かたき)の娘で、いやいやながら指導していたが、与論ヌルの家族も殺されはしなかったものの島から追い出されていた。山北王は中山王が倒してくれたので、もう敵討ちは終わりだった。この島の歴史をもっと学んで、この島で戦死した人たちを弔わなければならないと思っていた。
 サグルーたちは五十人の兵を連れて、与論按司と一緒に与論グスクに入った。サスカサたちは麦屋ヌルと一緒にユンヌ姫のウタキがあるハジピキパンタに向かった。
 ウタキに着くと、いい眺めだとタマとマナミーが騒いだ。麦屋ヌルも懐かしい眺めを楽しんだ。
 五年前、ササがここでユンヌ姫の声を聞いた。馬天ヌルの娘なので生まれつきシジ(霊力)が高いのだろうと麦屋ヌルは思った。自分には無理だと諦めていたが、首里に行ったお陰で、ユンヌ姫の声が聞こえるようになった。麦屋ヌルは感謝の気持ちを込めてお祈りをした。
「戻って来てくれたのね」と神様の声が聞こえた。
 いつものユンヌ姫の声ではなかった。シンシンとナナはいたずら好きなユンヌ姫がお芝居をしているに違いないと思い、心の中で笑っていた。
 麦屋ヌルは首を傾げてから、「ユンヌ姫様ですか」と聞いた。
「そうですよ。この島の歴史を教えてあげるわ。あまりにも古すぎてわからないけど、三千年余り前に、この島にもシネリキヨが来たと思うわ。そして、二千年余り前にアマミキヨが来て、アマミキヨの子孫の瀬織津姫(せおりつひめ)様がヤマトゥ(日本)に行って貝殻の交易が始まったのですよ。貝殻の工房ができて、夏にはヤマトゥに行くお船が泊まり、冬になるとヤマトゥから帰って来たお船が泊まって、この島も栄えたわ。でも、貝殻の交易は百年くらいで終わってしまって、静かで平和な島に戻ったのよ。スサノオ様が琉球に来たのは一千年余り前で、貝殻の交易が再開されました。その時の交易は五百年も続いたわ。でも、時の流れで、貝の腕輪や首飾りが必要とされなくなってしまうの。二百年くらいヤマトゥとの交易は途絶えてしまって、そして、登場したのがヤクゲー(ヤコウガイ)なのです。螺鈿(らでん)細工に必要なヤクゲーを求めて熊野水軍お船がやって来て、また忙しくなったのですよ。ヤクゲーの交易はヤマトゥからお船は来たけど、琉球からヤマトゥには行かなかったのよ。その頃、鬼界島に太宰府(だざいふ)のお役所ができて、鬼界島に行けばヤマトゥの商品が手に入ったの。徳之島では窯(かま)がいくつもできて壺(つぼ)作りも始まったわ。わざわざヤマトゥまで行かなくても、鬼界島や徳之島まで行けばよかったのよ。この島を交易の拠点にしようとして、琉球から大里按司(うふざとぅあじ)の息子がこの島に来たわ。同じ頃、ヤマトゥからこの島に来た人たちもいて、交易を巡って争いを始めたのよ。ヤマトゥから逃げて来た平家が今帰仁にグスクを築いて按司になると、按司の息子が永良部按司になって与論島も治める事になったんだけど、与論島の事は大里按司の息子の子孫のニッチェーに任されて、アジ・ニッチェーと呼ばれるようになるわ。英祖(えいそ)が浦添按司(うらしいあじ)になって、英祖の次男が今帰仁按司になると永良部按司は変えられたけど、与論島の事はアジ・ニッチェーに任されたままだったのよ。その頃、ヤクゲーの交易は終わってしまうわ。螺鈿細工の技術が向上して、アワビが代用されるようになったようだわ。ヤクゲーの交易は終わったけどブラ(法螺貝)の交易は続いて、ヤクゲーの時ほど頻繁ではないけど熊野水軍お船は来たのよ。六十数年前、勝連按司の三男がこの島に来て、与論按司になったわ。あなたのお祖父(じい)さんよ。勝連按司はヤマトゥとの交易を盛んにしていて、与論島を勝連への中継地として支配下に置きたかったのよ。アジ・ニッチェーはあなたのお祖父さんに従って、長年、敵対していたヤマトゥンチュを倒して、島から追い出したのよ。そして、あなたが生まれた頃、浦添按司の察度(さとぅ)は明国(みんこく)と交易を始めたわ。察度と同盟を結んでいた勝連按司は明国の商品を持ってヤマトゥに行き、ヤマトゥからも倭寇(わこう)たちがやって来るようになって、琉球への行き帰りにこの島に寄るようになったわ。その後の事はあなたも知っているでしょ」
「長年、この島を治めていたアジ・ニッチェーはどうして、祖父に従ったのですか」と麦屋ヌルが聞いた。
「アジ・ニッチェーは常に永良部按司に仕えてきたの。当時の永良部按司今帰仁按司だった千代松(ちゅーまち)の息子なの。そして、与論按司になった勝連按司の三男の妻は永良部按司のお姉さんだったのよ」
「という事はお祖父さんの奥さんは千代松様の娘さんだったのですか」
「そうよ。察度は前年に浦添按司になったばかりだし、英祖の孫だった千代松は琉球で一番力を持っていたのよ。そんな人に逆らえるわけがないでしょ」
「こんな所でいいかしら」といつものユンヌ姫の声がした。
「お芝居するのは疲れるわ」と今まで聞こえていた声が言った。
「今までの声はユンヌ姫様ではなかったのですか」とシンシンが聞いた。
「ユンヌ姫ではなくて、ユン姫よ。あたしは知念姫(ちにんひめ)の孫のユン姫なの。よろしくね」
「えっ!」とシンシンもナナも麦屋ヌルも驚いた。
「みんなを騙そうってユンヌ姫に言われて、その話に乗ったのよ」
「ユン姫様はどうして、ユンヌ姫ではないのですか」とナナが聞いた。
「この島はあたしの名前を取ってユンぬ島(ユンの島)ってなったのよ」
「そういう事だったのですか」とナナは納得して、「他にも神様の名前が付いた島はあるのですか」と聞いた。
「今も残っているのは徳之島だけね。徳之島はあたしの三女のトゥク姫が行ってトゥクぬ島になったのよ。次女のユワン姫は永良部島に行ったんだけど、永良部島に留まらないで奄美大島に行ったのよ。一番高い山に登って、そのまま大島に留まって、大島はユワンぬ島って呼ばれていたんだけど、北(にし)から来たヤマトゥンチュが奄美大島って名付けてから、ユワンぬ島は忘れ去られてしまったわ。今は山の名前に残っているだけよ」
「永良部島はイラブ姫様ですか」
「違うわ。永良部島はあたしの孫娘が行ったんだけど、孫娘の名前はワーよ。ワーぬ島だったんだけど、イラブ島になってしまったわ」
「イラブって何ですか」
「イラブー(ウミヘビ)がいっぱい住んでいたのよ」とユンヌ姫が言って、ユン姫が楽しそうに笑った。
「あたしもユン姫様の事を知らなかったのよ」とユンヌ姫が言った。
「ヤマトゥから帰って来て、ミャーク(宮古島)のお船を送って行って、お祖父様(スサノオ)と瀬織津姫様と一緒にトンド(マニラ)まで行って、久し振りに与論島に帰ってきたら、ユン姫様の声が聞こえて、瀬織津姫様を連れて来てくれてありがとうって言われて驚いたのよ。ササが瀬織津姫様を探し出したお陰で、古い神様の声が聞こえるようになって、益々楽しくなったわ」
「麦屋ヌルさんがユンヌ姫様の声が聞こえるようになったのはわかりますが、どうして、ユン姫様の声も聞こえるのですか」とサスカサが聞いた。
「麦屋ヌルはお祖母様(知念姫)の子孫なのよ」とユン姫が言った。
「えっ!」と麦屋ヌルが驚いた。母親がヌルだったわけではなく、祖父が与論按司になったので、叔母の跡を継いで与論ヌルになり、跡継ぎのいなかった麦屋ヌルを継いだだけだった。
「マトゥイ(麦屋ヌル)の母親は勝連按司の娘よ。父親は与論按司の息子で、父と母は従兄妹同士だったのよ。母親の母親は今帰仁按司の千代松の娘だったの」
 マトゥイは祖母に会った事はなかった。祖母が亡くなり、母と一緒に勝連に行き、ウニタキと会ったのだった。
「祖母の母親は浦添按司だった英慈(えいじ)の娘よ。曽祖母の母親は富盛大主(とぅむいうふぬし)の娘で、富盛大主の娘の母親は与座(ゆざ)ヌルで、与座ヌルの先祖をたどっていくとお祖母様に行き着くのよ。ユンヌ姫に扮していたから言わなかったけど、スサノオが来た時は凄かったのよ。北の方から生意気な若造が来て、玉グスクの姫(豊玉姫)と結ばれたので、お祖母様に聞いたら、スサノオ瀬織津姫様の子孫だと聞いて驚いたわ。そして、スサノオはヤマトゥの国を造って大物主(うふむぬぬし)(王様)になった。玉グスクの姫とスサノオの間に生まれた玉依姫(たまよりひめ)も大物主になったのよ。あの頃はヤマトゥとの交易で、この島も活気があったわ。この島からヤマトゥに行って活躍した人もいるのよ。そして、スサノオの孫のユンヌ姫がやって来たわ。でも、ユンヌ姫にあたしの声は聞こえなかった。あたしとユンヌ姫は五百年近くも離れているから仕方なかったんだけど、ササが瀬織津姫様を連れて来てくれたお陰で、五百年前のあたしとユンヌ姫がつながって、声も聞こえるし、お互いの姿も見えるようになったのよ。忘れ去られていた神様たちが復活したのよ。あなたたちはこれから奄美大島まで行くんでしょ。あたしの娘や孫娘がいるからよろしくね」
 麦屋ヌルはユン姫とユンヌ姫に感謝して別れ、サスカサたちを連れてサミガー親方に会いに瀬利覚(りっちゃく)(立長)の浜辺に行った。作業場に顔を出すとサミガー親方は驚いた顔をして麦屋ヌルを見た。
「麦屋ヌル様、帰っていらしたのですか」
「中山王のお船に乗って帰って参りました」
「そうでしたか」と言ってサミガー親方は麦屋ヌルの姿を見て笑い、「サムレーの格好がよく似合っていますよ。でも、ヌルとして一段とシジ(霊力)が高くなったようですね。神々(こうごう)しく見えますよ」と言った。
首里で馬天ヌル様の元で修行を積みました」
「そうでしたか」とサミガー親方はうなづいた。
「親方も元気そうなので安心しました」
「フニも戻って来ましたし、今の按司ともうまくやっています」
 麦屋ヌルがサスカサを紹介するとサミガー親方は驚き、「サミガー大主様の曽孫(ひまご)さんが来てくれるなんて」と言って頭を下げ、一行を屋敷の方に案内した。
 麦屋ヌルはフニとの再会を喜んだ。
 サミガー親方が与論島に来たのは麦屋ヌルが十七歳の時だった。その年、祖父が亡くなって、父が按司を継いだのでよく覚えていた。フニは八歳だった。当時、若ヌルだった麦屋ヌルは息抜きで瀬利覚の浜辺に行って、フニとよく遊んでいた。二十一歳の時、伯母の与論ヌルが亡くなって、与論ヌルを継いだ。二十四歳の時、突然、山北王の兵が攻めて来て、父と兄は戦死して家族は全員殺された。麦屋ヌルは敵(かたき)の娘をヌルに育てるために生き延びた。それから二年後、十七歳になったフニは与論按司の側室になった。サミガー親方が島から出ていかないように人質として娘を側室に迎えたのだった。グスクに来た当初は泣いてばかりいたフニも可愛い娘を産み、按司もフニを大切にしていたので安心して、麦屋ヌルは若ヌルに与論ヌルを譲って麦屋に移った。麦屋ヌルと出会い、島の事や神様の事を学び、跡継ぎのいなかった麦屋ヌルを継いだ。麦屋ヌルになって九年後、ウニタキが突然やって来て、中山王の兵が与論島を占領した。すぐに与論島は山北王に返されたが按司は変わり、フニは解放されたのだった。
「先代の与論按司は屋我大主(やがうふぬし)を名乗って、今は名護にいるらしいわ」と麦屋ヌルはフニに教えた。
「そう。まだ生きていたの‥‥‥」
「会いたい?」
「わたしは会いたくはないけど、子供たちは会いたがっているわ」
「子供たちにはお父さんの事を何て言っているの?」
今帰仁でお仕事をしているって言ってあるわ」
今帰仁の城下が再建されたら会いに行けばいいわ。山北王はもういないから、これからはどこにでも行けるのよ」
「あの人も中山王に仕えるの?」
「今は名護にいるけど、今帰仁の再建を手伝えば、中山王に仕えるかもしれないわね」
「手伝わなければ?」
「隠居して名護で静かに暮らすんじゃないかしら」
「子供たちももう大人だし、子供たちの判断に任せるわ」
「ハナちゃんはお嫁に行く年頃じゃないの?」
「そうなんだけど、その気はないみたい。幼い頃から海は好きだったんだけど、グスクから出てここに来て、父からカマンタ捕りを教わったら夢中になっちゃって、サブルと一緒に毎日、海に出ているわ。サブルはサムレーになれ、あたしがお爺ちゃんの跡を継ぐって言っているのよ」
「ハナちゃんが跡を継ぐの?」と言って、麦屋ヌルは楽しそうに笑った。
 屋敷に上がって、サミガー親方が馬天浜で修行をしていた頃の話を聞いて、サスカサの父のサハチが五年前に来て、ウニタキと一緒にカマンタ捕りをやっていた話を聞くと、「あの時、わたしも一緒に来たかったわ」とサスカサが言った。
按司様(あじぬめー)が与論島に行くのは急に決まった事だったから島添大里に知らせる暇はなかったのよ」とナナが言った。
「交易船に乗ったら、ササ姉(ねえ)たちは与論島に行っていて、与論島から乗り込むって聞いて驚いたわ」
「でも、あの時、与論島に来てユンヌ姫様に出会ったのよ。あの時、出会わなかったら、今回、始めて出会う事になっていたかもしれないわ」
「あの時、ユンヌ姫様に会わなかったら、南の島(ふぇーぬしま)にも行かなかったかもしれないし、瀬織津姫様にも会えなかったかもしれないわ」とシンシンが言った。
「そうね。ユンヌ姫様に会わなかったら、何もかも違っていたかもしれないわ」
「ユンヌ姫様というのはこの島の神様ですか」と親方が聞いた。
「そうなのです。五年前にササ様が来て、ユンヌ姫様の事がわかったのです」
 神様の話をしても親方は退屈だろうと、麦屋ヌルは話題を変えて、「湧川大主はこの島に来ましたか」と聞いた。
「ええ、来ましたよ。戦の前にやって来たので驚きました。この島の兵を連れて行くのかと思っていたら、逃げて来たと言うので唖然となりました。ここにも来て、ウミンチュたちと一緒に酒を飲んで騒いでいたので驚きましたよ。まるで、別人にように変わっていました」
「湧川大主がウミンチュと一緒にお酒を飲んでいたのですか」と麦屋ヌルは信じられないといった顔をした。
 捕まった母や兄たちの家族、妹の家族も殺せと命じた鬼のような顔をした湧川大主の顔は今でも覚えている。若いのに冷酷な男で、島の人たちを見下していて、一緒にお酒を飲むなんて考えられなかった。
「側室や子供たちも連れてきて、楽しそうによく笑っていました。今帰仁で戦をしている事なんて、自分とは関係ないといった感じでしたよ。半月くらい滞在していました。四月の半ば頃、配下の者が娘の若ヌルを連れてきて、翌日に去って行きました。本当かどうかわかりませんが、ヤマトゥに行くと言っていました。若い頃に一度、ヤマトゥに行った事があって、その時は博多に行ったけど、今度は京都まで行ってみたいと言っていました」
「湧川大主はヤマトゥに行きましたか」と麦屋ヌルは少し安心したような顔をした。
 サミガー親方は麦屋ヌルの帰郷祝いとサスカサの歓迎の宴(うたげ)を催すと言って、島の人たちを集めて浜辺で酒盛りが始まった。
 サグルーと与論按司との話はうまくまとまった。シンゴ(早田新五郎)が持って来てくれた熊野の牛王宝印(ごおうほういん)に誓約書を書かせ、中山王の船と中山王と取り引きをしているヤマトゥンチュの船がアガサ泊(どぅまい)(茶花)に寄港する事になり、中山王の進貢船(しんくんしん)に乗って明国に行く従者を送る事も許された。若ヌルを人質として預かり、奄美大島からの帰りに若ヌルを返して、若按司首里に連れて行き、何事もなければ、来年の夏には若按司を返す事に決まった。
 湧川大主の事も与論按司から聞き、ウニタキが前もって送っていた配下の者からも聞いた。与論按司は嘘をついてはいないので、今の所は信用してもいいだろうとサグルーたちは思った。

 

 

与論島―琉球の原風景が残る島

3-05.伊江島と瀬底島(第三稿)

 瀬底(しーく)の若ヌルが今帰仁(なきじん)に来た翌日、雨がやんで、久し振りに日が出たので、サスカサ(島添大里ヌル)、シンシン(今帰仁ヌル)、ナナ(クーイヌル)、タマ(東松田の若ヌル)、志慶真(しじま)ヌルがサグルー(山グスク大親)とマウシ(山田之子)を連れて、ヒューガ(日向大親)の配下、ウムンの船に乗って伊江島(いーじま)に向かった。サグルーとマウシは五十人の兵を引き連れ、伊江ヌルと屋部(やぶ)ヌル(先代名護ヌル)、瀬底の若ヌルと本部(むとぅぶ)ヌルと娘の若ヌルも一緒に行った。
 親泊(うやどぅまい)(今泊)を西に向かって備瀬崎(びしざき)を過ぎると伊江島の目印の『タッチュー』と呼ばれる岩山が見えてきた。大きな船に初めて乗った瀬底の若ヌルと本部の若ヌルはキャーキャー騒いでいた。そんな二人を眺めながらシンシンとナナはササ(運玉森ヌル)の弟子たちを思い出していた。騒がしい娘たちだったが、いつも一緒にいたので、しばらく会えないのは淋しくもあった。
 伊江島の南側の港にはヤマトゥンチュ(日本人)の船が数隻泊まっていた。戦(いくさ)が終わり、ほとんどのヤマトゥンチュは親泊か運天泊(うんてぃんどぅまい)に移っていた。親泊はヒューガが守り、運天泊はヒューガの配下のシマブクが守っていた。
 港に着くと先代の伊江ヌルが伊江按司(いーあじ)と一緒に待っていて、迎えの小舟(さぶに)を送って来た。港から『タッチュー』がよく見えた。按司のグスクは『タッチュー』の中腹にあり、グスクより上はウタキ(御嶽)になっていると伊江ヌルが説明した。
 小舟に乗って上陸し、按司の事はサグルーに任せて、サスカサたちは伊江ヌルと一緒に『佐辺(さび)のお婆』に会いに行った。佐辺のお婆は伊江島の神様、『イシムイ姫』の子孫で、先代の伊江ヌルも今の伊江ヌルもイシムイ姫の声は聞こえないが、佐辺のお婆とお婆の娘の佐辺ヌルはイシムイ姫の声が聞こえ、イシムイ姫の指示によって、伊江ヌルは屋部ヌルと一緒に今帰仁に行ったという。
 『タッチュー』の裾野にあるお婆の屋敷に行くと、お婆は佐辺ヌルと孫の若ヌルと一緒に待っていた。
「中山王(ちゅうざんおう)(思紹)のお孫さんのサスカサ様と新しい今帰仁ヌル様とクーイヌル様と志慶真ヌル様と東松田(あがりまちだ)の若ヌル様ですね。伊江島にいらしていただき歓迎いたします」とお婆は言ってから、「本部ヌルと若ヌル、瀬底の若ヌルも久し振りじゃな」と言って笑い、「一緒に行ってくれてありがとう」と屋部ヌルにお礼を言った。
「そなたたちの事は神様から聞いたんじゃ。みんな、サムレーの格好をしてやって来ると聞いたので信じられなかったが、刀を腰に差したヌルたちがやって来たとは驚いた」とお婆は楽しそうに笑った。
 一行はお婆の屋敷に上がって、お婆から伊江島の歴史を聞いた。
 一千年以上も前に、『アマン姫』の娘の『真玉添姫(まだんすいひめ)』の孫娘が伊江島にやって来て『イシムイ姫』を名乗った。イシムイ姫の子孫が代々、女首長として伊江ヌルを名乗り、島の人たちをまとめてきた。百四十年ほど前、浦添按司(うらしいあじ)の英祖(えいそ)の次男の湧川按司(わくが-あじ)が今帰仁按司になると、湧川按司の三女が伊江ヌルの弟に嫁いできて、弟は初代の伊江按司になった。
 湧川按司が亡くなると本部大主(むとぅぶうふぬし)が反乱を起こして今帰仁按司になり、伊江島にも攻めて来て、初代伊江按司は殺され、本部大主の三男が伊江按司になった。
 湧川按司の息子の千代松(ちゅーまち)が本部大主を倒して今帰仁按司になると、本部大主の三男は滅ぼされ、千代松の三男の千代梅(ちゅーみ)が伊江ヌルの娘の若ヌルを妻に迎えて伊江按司になった。お婆は千代梅の娘だった。
 千代松が亡くなると千代松の娘婿の帕尼芝(はにじ)が反乱を起こして今帰仁按司になり、お婆の弟の若按司は帕尼芝の娘を妻に迎えた。帕尼芝の娘が産んだ娘が伊江ヌルを継ぐ事になって、伊江ヌルだったお婆は『佐辺ヌル』を名乗る事になる。お婆は先代の伊江ヌルと自分の娘を指導してヌルに育て、自分の娘に佐辺ヌルを継がせた。
今帰仁按司が変わる度に、伊江島もその争いに巻き込まれてきた。もう戦は懲り懲りじゃ。若按司按司として認めて下され」
 お婆はそう言って両手を合わせた。
「大丈夫です」とサスカサは言った。
按司を助けて、この島を守って下さい」
 お婆はお礼を言った後、急に思い出したかのように、「馬天(ばてぃん)ヌル様を御存じですか」と聞いた。
「馬天ヌルはわたしの大叔母です」とサスカサが言った。
「なに、馬天ヌル様は中山王の親戚なのか」
「馬天ヌルは中山王の妹です」とサスカサが言うと、
「何じゃと‥‥‥」と言ったまま、お婆は呆然としていた。
「馬天ヌル様が中山王の妹だったとは知らなかった」
「馬天ヌル様がこの島にも来たのですか」とナナが聞いた。
 お婆はうなづいて、「もう十五、六年も前だったと思うが、ウタキ巡りの旅をしていると言って、この島にも来て『タッチュー』に登ったんじゃよ」
「当時はまだ中山王の妹ではありません。佐敷按司の叔母だったと思います」とサスカサが言った。
「おう、佐敷按司というのは聞いた事がある。凄いヌルじゃと思ったが、中山王の妹になったとはのう。大したもんじゃのう」とお婆は感心していた。
 馬天ヌルがウタキ巡りの旅をしていた時、サスカサはまだ幼くて、自分がヌルになる事さえ知らなかったが、遠いヤンバル(琉球北部)の地でも馬天ヌルの名が知れ渡っているのを知って、改めて大叔母の凄さを感じていた。
 サスカサたちはお婆の案内で、『タッチュー』に登った。按司のグスクまでは石段があり、グスクから先は細い岩の道だった。途中にあるいくつかのウタキで拝みながら山頂に着くと、そこからの眺めは最高だった。島の全貌が見渡せ、誰もが思わず歓声を上げて、素晴らしい景色を眺めた。本部半島が見え、伊是名島(いぢぃなじま)も見え、西の方の草原に何頭も馬がいるのが見えた。
「あれは牧場なの?」とタマがお婆に聞いた。
「そうじゃよ。今帰仁按司(帕尼芝)が山北王(さんほくおう)になって、明国(みんこく)(中国)に使者を送るようになってから、島で馬を育てる事になって、わしの父親が按司を引退して牧場を始めたんじゃよ」
伊江島で馬の飼育をしていたなんて知らなかったわ」とサスカサが言った。
 山頂にある古いウタキでお祈りをすると『イシムイ姫』の声が聞こえた。
「昔はこの島にも立派な御宮(うみや)があって、真玉添(首里)から『安須森参詣(あしむいさんけい)』に行くヌルたちが立ち寄って栄えていたのよ。ヤマトゥ(日本)との交易に使う貝殻の工房もあって、腕輪や貝匙(かいさじ)を作っていたのよ。安須森参詣が再開されたのに、この島に寄らないのは淋しいわ」
「安須森ヌル(サスカサの叔母)にこの島に寄るように伝えます」とサスカサが言った。
「大勢のヌルたちに、ここからの眺めを楽しんでもらいたいわ。そうすれば、この島ももっと栄えていくでしょう」
「イシムイ(石の山)というのはこの山の事ですか」とナナが聞いた。
「そうよ。『タッチュー』と呼ばれるようになったのは、熊野水軍お船に乗ってやって来た山伏がここに登ってからなのよ。ヤマトゥのお寺にある高い塔(塔頭)に似ているので、そう名付けたようだわ。本部にも御宮があって、そこから見るとこの島の方向に日が沈むので、この島は『入り日島』と呼ばれていたのよ。『入り日島』がいつしか『イー島』になって、今帰仁按司だった千代松が『伊江島』という漢字を当てたのよ」
「入り日島が伊江島になったのですか」とナナが言うと、
「入り日島?」と本部ヌルが言った。
 本部ヌルにはイシムイ姫の声が聞こえないので、ナナが説明すると、いつも夕陽に染まる伊江島を見ている本部ヌルは納得したように、若ヌルと一緒にうなづき合っていた。
 サスカサたちはイシムイ姫にお礼を言って別れ、山から下りると伊江ヌルの案内で牧場に向かった。牧場をやっているのは伊江按司の大叔父の西伊江大主(いりいーうふぬし)で、牧場を始めてから三十年以上が経っているという。サスカサが中山王の孫娘だと聞いて驚いたが、よく来てくれたと歓迎してくれた。
「初代の山北王(帕尼芝)が最初の進貢(しんくん)をする前に、伊江按司だった親父に馬の飼育をしろって命じたんじゃよ。親父は山北王の義弟だったので断る事もできずに引き受けたんじゃ。突然、馬の飼育をしろと言ったってできるわけがない。親父はわしを読谷山(ゆんたんじゃ)の宇座(うーじゃ)の牧場に送って、わしは宇座按司(泰期)から指導を受けたんじゃよ。わしは次男だったので、この島から出て、今帰仁のサムレー大将になるのが夢だったんじゃ。そのために武芸の稽古に励み、乗馬も得意じゃった。何で、わしが馬を育てなけりゃならないんだと腹を立てたが、逆らう事はできず、宇座に行って、一年半、馬と共に暮らしたんじゃよ。初めのうちはみんな同じに見えた馬たちも、一緒に暮らしているうちに違いがわかるようになって、だんだんと楽しくなってきて、牧場をやるのも悪くないと思い始めたんじゃ。宇座按司と一緒に明国の酒を飲んで、若い頃の話や明国の話を聞いて何度も驚き、凄い人じゃと心の底から尊敬したんじゃよ。宇座按司を慕って、あの牧場には色々な人が訪ねて来た。勝連按司(かちりんあじ)の息子が来て、わしが乗馬を教えてやった事もあったのう」
「勝連按司の息子って若按司が来たのですか」とシンシンが聞いた。
「いや、若按司じゃない。母親は高麗人(こーれーんちゅ)の側室で、去年、亡くなってしまったと言っていた。強くならなければならないと言って剣術の稽古にも励んでいた」
「やっぱり、ウニタキ(三星大親)さんだわ。子供の頃、宇座の牧場で乗馬を習ったって聞いた事があったのよ」
「そうじゃ。ウニタキという名じゃった。知っているのかね?」
「兄の勝連按司に殺されそうになって、わたしの父を頼って佐敷に逃げて来たのです。今は中山王の重臣になっています」とサスカサが言った。
「ほう。そうじゃったのか。あの小僧がのう。ウニタキは一月近く滞在していた。ウニタキが帰ったと思ったら、今度はヤマトゥンチュの山伏が訪ねて来て、しばらく滞在しておった。あっと言う間に一年半が過ぎて、帰る時には宇座按司から十頭の馬を贈られたんじゃ。伊江島に帰ったわしは、按司を兄貴に譲って引退した親父と一緒に牧場を始めたんじゃよ」
按司様(あじぬめー)も宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様とは仲良くしていたようです」とタマが言った。
按司様とはどこの按司様じゃ?」
「わたしの父です」とサスカサが言った。
「ほう、今回の総大将だった島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)が宇座の牧場に出入りしていたとはのう。今も宇座の馬は中山王が交易に使っているのかね」
「はい。使っています。今回の戦にも出陣しています」
「そうか。ここの馬も使ってくれると、わしらも励みになる」
「この島で馬の飼育をしていた事は知らなかったので、そうしてもらえると中山王も喜ぶと思います」
 頼むぞというようにうなづいて、西伊江大主は話を続けた。
「牧場を始めた頃は毎年、明国に進貢していたので忙しかったんじゃが、山北王(攀安知)が進貢をやめてしまって、暇になってしまったんじゃよ。山北王が取り引きしている明国の海賊たちは琉球の馬を欲しがらないんじゃ。去年、山北王が十年振りに進貢して、新しい進貢船(しんくんしん)を賜わったので、また忙しくなりそうだと思ったんじゃが、山北王が滅んでしまうなんて思ってもいない事じゃった。山北王がまだ本部にいた頃、この島に来た事があった。楽しそうに馬を乗り回しておったよ。そういえば、娘を連れて来た事もあったのう。娘のくせに見事に馬を乗りこなしていた」
「マナビーですね」とサスカサが言った。
「そうじゃ。マナビー様じゃ」
「島添大里に嫁いできて、娘たちに乗馬の指導をしています」
「なに、今も馬に乗っているのかね」
「馬に乗って弓矢の稽古にも励んでいます」
「そうか」と言って、西伊江大主は楽しそうに笑った。
「マナビーは今帰仁按司の奥方として今帰仁に帰ってきます」とサスカサが言うと西伊江大主は驚いた顔をした。
「マナビーはわたしの弟に嫁いだのですが、その弟が今帰仁按司になる事に決まりました。城下の再建が終わりましたら帰って来ます」
「噂では島添大里按司の奥方が今帰仁按司になると聞いたが、マナビー様の夫が今帰仁按司になるのかね」
「母は今帰仁再建の責任者で、再建が終われば首里(すい)に帰ります」
「そうじゃったのか。マナビー様が戻って来るのか。マナビー様が戻って来れば、城下の人たちも喜ぶじゃろう」
 その夜は牧場で歓迎の宴(うたげ)が催され、サスカサたちは島の人たちと一緒に酒盛りを楽しんだ。

 


 翌日も雨は降っていなかった。島の人たちに見送られて、サスカサたちは瀬底島(しーくじま)に向かった。瀬底島の西側にクンリ浜があったが、東側のアンチ浜で瀬底ヌルが待っていると『ユンヌ姫』が言ったので、アンチ浜に向かった。
 瀬底ヌルが送ってくれた小舟に乗ってサスカサたちは上陸した。若ヌルが刀を差していたのと同じように、瀬底ヌルも腰に刀を差していた。サスカサたちは同類のヌルだと親近感が持てた。
「瀬底のヌルは代々、武芸をやっているのですか」とサスカサは瀬底ヌルに聞いた。
曽祖母からのようです」と言って瀬底ヌルは笑い、「中山王のヌルも武芸をしているようですね」と言った。
「みんな、武当拳(ウーダンけん)の名人なのよ」と瀬底の若ヌルが母に言った。
「えっ、武当拳?」と瀬底ヌルは驚いて、サスカサたちを見た。
「みんな、仲間なのよ」と若ヌルが言って、
「中山王(思紹)もヂャンサンフォン様(張三豊)のお弟子さんで、お父さんは中山王を師兄(シージォン)と呼んで敬っていたらしいわ。そして、サスカサさんはお父さんと一緒に南部のガマ(洞窟)で修行を積んだのよ」と説明した。
「そうだったのですか。あの人が南部に行って、グスクを築いた事は聞きましたが、中山王と親しくしていたなんて知りませんでした。最後に会った時、あの人は死ぬ覚悟をしていましたが、本当は中山王と戦いたくはなかったのですね」
 若ヌルが、父親の戦死の様子を母に知らせた。誤解されて味方のサムレー大将に殺されたと聞いて瀬底ヌルは驚き、対岸の本部に向かって両手を合わせた。
 アンチ浜にあるウタキでお祈りをしてから、坂道を登って島の中央にある集落に向かった。サグルーとマウシだけが従い、兵たちは浜辺に待機してもらった。
 瀬底ヌルに従って刀を差した女たちがゾロゾロと行くのを見て、島の人たちが驚いた顔して一行を見送った。
 集落を抜けて南の方にヌルの屋敷があり、サスカサたちはそこで一休みして、瀬底ヌルからテーラー(瀬底大主)の事を聞いた。
 話は百年近く前、千代松によって今帰仁按司だった本部大主が滅ぼされた時から始まった。本部大主と長男の若按司は殺されたが、十四歳だった若按司の長男は家臣に守られて逃げ、瀬底島に隠れた。瀬底ヌルに匿われて、若按司の長男は若ヌルと結ばれた。その若ヌルは今の瀬底ヌルの曽祖母だった。
 若按司の長男は敵討ちのために武芸の修行に励み、若ヌルも夫を守るために武芸を身に付けた。
 若ヌルは瀬底ヌルの祖母とテーラーの祖父を産んだ。テーラーの祖父は幼い頃より武芸の修行に励み、本部の山中に籠もって修行を積んだ。曽祖父は敵討ちができずに亡くなるが、曽祖父が亡くなって四年後、帕尼芝(羽地按司)が千代松の息子を倒して今帰仁按司になった。祖父は今帰仁に行って素性を話し、武芸の実力を認められてサムレー大将になり、瀬底大主を名乗った。
 帕尼芝の次男の珉(みん)が本部大主になった時、瀬底大主は珉の後見人となって家族を連れて本部に移った。
 テーラーは本部で生まれ、珉の息子のハーン(攀安知)とジルータ(湧川大主)と一緒に育った。三人は瀬底島に来て、若ヌルだった瀬底ヌルと一緒に遊んだり、共に武芸の稽古にも励んだ。
 瀬底ヌルが十六歳の時、今帰仁合戦が起こり、帕尼芝が戦死して珉が山北王になるとテーラーもハーンたちも今帰仁に行ってしまう。今帰仁城下の再建で忙しく、テーラーもハーンも妻を迎え、珉が病死してハーンが山北王になり、テーラーは護衛兵として明国に行くようになり、瀬底島には来なくなってしまう。
 十六年前の三月、テーラーがふらっと瀬底島にやって来て、昔話などをしているうちに、頭の中が急に真っ白になって、気が付いたら『ミンナのウタキ(水納島)』にいた。テーラーはウタキに入ってしまった事にうろたえたが、神様のお許しがあって、二人はそこで結ばれ、翌年、若ヌルが生まれたという。
テーラーが『マレビト神』だって、いつ、わかったのですか」とサスカサが聞いた。
「頭の中が真っ白になった時よ。テーラーとは又従兄妹(またいちゅく)の間柄だったからマレビト神だなんて思った事はないわ。ハーンが『マレビト神』かしらって思った事はあるけど、違ったみたいね。ハーンにはクーイの若ヌルが現れたものね」
 瀬底ヌルの案内で、テーラーの曽祖父が隠れていた屋敷を見てから丘の上にある古いウタキに行った。こんもりとした森の中に岩場があり、その手前に祭壇らしき岩もあった。
 サスカサたちはお祈りをした。
「あなたたちの事は祖母の『真玉添姫』から聞いているわ」と神様の声が聞こえた。
「『イシムイ姫様』のお姉さんの『シーク姫様』ですね」とサスカサが聞いた。
「そうよ。『安須森参詣』が始まって、本部と瀬底島の間を通るようになって、航海の安全を祈るために、わたしがここに来たのよ。あそこは潮の流れが速くて、潮の流れも変わるので危険だったのよ」
「アンチ浜のウタキには誰もいらっしゃいませんでした」とシンシンが言うと、シーク姫は笑った。
「また遊びに行ったようね。あなたたちが南の島(ふぇーぬしま)に行って、『スサノオ様』を呼んだお陰で、南の島への道ができて、娘も仲間を連れて遊びに行くようになったのよ。ウミンチュ(漁師)たちも潮の流れをよく知っていて、昔ほど危険はないから娘も暇を持て余しているみたいね」
テーラーを『ミンナのウタキ』に呼んだのはシーク姫様なのですか」とサスカサが聞いた。
「よくわかったわね」とシーク姫は笑った。
「わたしの長女はわたしの跡を継いだけど、次女はちょっと変わっていてね、ミンナのウタキと呼ばれている無人島で暮らすと言って、一人で行ってしまったのよ。娘は『ミンナ姫』と呼ばれて、死ぬまで、あの島で暮らしていたわ。亡くなった後、あの島に祀られて、島全体がウタキになったのよ。幸いに『マレビト神』に出会って跡継ぎの娘は生まれたけど、その娘はミンナ姫が亡くなった後、あの島には戻らずに、この島で暮らしたわ。その娘の子孫がテーラーの母親だったのよ。あの島がウタキになってから、ヌルしかあの島には行けなくなって、あの娘(こ)の子孫たちもあの島に行った事はないのよ。それでマシュー(瀬底ヌル)の『マレビト神』になったテーラーをあの島に送ったのよ。『ミンナ姫』も子孫が来てくれたので喜んでくれたわ」
「『マレビト神』は神様が決めるのですか」
「そうよ。でも、わたしたちじゃないわ。神様には『地の神様』と『天(てぃん)の神様』がいるのよ。地の神様は御先祖様の事で、天の神様は天と地を作り、人間を作った偉大なる神様よ。人間の運命を決めるのは『天の神様』なのよ」
「『天の神様』って、『太陽(てぃーだ)の神様』や『月の神様』や『星(ふし)の神様』の事ですか」
「そうよ」
「島添大里グスクには『月の神様』を祀ったウタキがあります。でも、わたしは『月の神様』の声を聞いた事はありません」
「それは当然よ。『天の神様』は人間を作った古い神様なのよ。人間の言葉なんて、まだない頃の神様なの。感じるしかないのよ。あなたならできるわ。『月の神様』の気持ちを感じるのよ」
 サスカサは『ギリムイ姫』が『月の神様』だと思っていた。でも、屋賀ヌルが島添大里グスクに来た時、ギリムイ姫は満月の日に『月の神様』が降りてくると言った。サスカサは満月の日には必ずお祈りしているのに『月の神様』の声を聞いた事はなかった。安須森ヌルやササ、久高島(くだかじま)の大里(うふざとぅ)ヌルには聞こえるのだろうと思い、自分はまだ修行が足りないのだと思っていた。『月の神様』は言葉というものがない頃の神様だと知ったサスカサは、五感を研ぎ澄ませて神様の気持ちを感じ取らなければならないと思った。
「この島はどうして、『シークジマ』って呼ばれているのですか」とナナが聞いた。
「わたしがこの島に来た時は『シークジマ』って呼ばれていたわ。言い伝えでは、ヤマシシ(猪)が泳いでこの島に渡って来ていたので、『シシクイシマ(猪が超える島)』って呼ばれて、それが『シークジマ』になったらしいわよ」
「ヤマシシが泳ぐのですか」
「昔は人間よりもヤマシシの方が多かったのよ。わたしも何度も見た事あるわ」
 サスカサたちはシーク姫にお礼を言って別れた。
 瀬底ヌルと別れる時、馬天ヌルの事を聞いたら、やはり、この島にも来ていて、瀬底ヌルがウタキを案内したという。馬天ヌルが『安須森参詣』を始めたのは知っていたが、山北王をはばかって行かなかった。後で聞いたら今帰仁ヌルも勢理客(じっちゃく)ヌルも参加したと聞いて驚き、今年は是非とも参加したいと言った。
 テーラーの叔父が『サミガー親方』を名乗って鮫皮(さみがー)を作っていると聞いて、サスカサたちは瀬底の若ヌルの案内で会いに行った。
 サミガー親方の作業場は西側のクンリ浜にあった。浜辺から伊江島の『タッチュー』が見え、親方は孫たちと遊んでいた。瀬底の若ヌルがサスカサとサグルーを中山王の孫だと紹介したのでサミガー親方は驚いて、急にかしこまって頭を下げた。
「かしこまらなくてもいいですよ。中山王の孫としてではなく、ヌルとして来たのですから」とサスカサは言った。
 瀬底の若ヌルがテーラーの最期を親方に教えた。
「そうじゃったのか」と若ヌルにうなづいてから、サスカサたちを見て、「テーラーの死をわざわざ伝えに来てくれたのですか」と聞いた。
「惜しい人を亡くしたと父も言っていました。それで、テーラーの事をもっと知りたいと思って、この島に来ました。そしたら、テーラーの叔父さんが鮫皮を作っていると聞いて驚き、会いに来たのです。わたしの曽祖父は馬天浜(ばてぃんはま)で鮫皮作りを始めて、今は大叔父がやっています」
「もしかして、曽祖父というのはサミガー大主様の事ですか」
「そうです。御存じでしたか」
「わしは若い頃、馬天浜で修行して、この島で鮫皮作りを始めたのです」
「えっ、馬天浜にいたのですか」とサスカサは驚いた。
「それはいつの事ですか」とサグルーが聞いた。
「もう三十年も前の事です。わしが馬天浜にいた頃、島添大里と大(うふ)グスクの戦があって、大グスク按司が滅ぼされてしまったんじゃ。ちょっと待って下さいよ。その頃、佐敷の若按司がよく遊びに来ていましたが、もしかしたら‥‥‥」
「わたしも兄も佐敷の若按司だった父の子供です」とサスカサが言った。
 親方はサグルーとサスカサを交互に見て、「そうじゃったのか」と何度もうなづいていた。
「サミガー大主様の曽孫さんなら大歓迎じゃ。よく来て下さった」
 サスカサたちは親方の屋敷に上がり込んで、鮫皮作りを始めた経緯(いきさつ)を聞いた。
 今帰仁按司が山北王になって、明国への進貢を始める事になり、正使に任命された兼久大主(かにくうふぬし)(松堂)は交易担当奉行の仲尾大主(なこーうふぬし)と一緒に宇座の牧場に行き、宇座按司(泰期)から指導を受けた。
 中山王の進貢船に乗って明国に行った兼次大主を見送った仲尾大主は今帰仁に帰り、宇座按司から聞いた馬天浜の鮫皮作りの事を山北王に話した。交易に来るヤマトゥンチュが鮫皮を欲しがっている事を知っていた山北王は、瀬底大主に瀬底島で鮫皮を作るように命じた。瀬底大主は次男に馬天浜に行けと命じたのだった。
「サムレー大将の息子なのにサムレーになりたいとは思わなかったのですか」とサグルーが聞いた。
「サムレー大将といっても本部大主(珉)のサムレー大将ですからね。兄貴がサムレー大将を継ぐので、わしはウミンチュでいいと思っていたのです。幼い頃から母と一緒に小舟に乗って海に出ていましたからね。刀を振るよりトゥジャ(モリ)を突く方が性に合っているんです。でも、親父から鮫皮を作れと言われた時は驚きましたよ。刀の柄(つか)に巻いてある鮫皮は知っていましたが、どうやって作るのかまったく知りませんでした。それでも知らない土地に行くのが嬉しくて、小舟に乗って馬天浜に向かいました。名護(なぐ)に寄って大兼久(うふかにく)の浜で遊んで、浦添(うらしい)に寄って中山王のグスクを見て、浮島(那覇)に寄って若狭町(わかさまち)(日本人町)や久米村(くみむら)(唐人町)を見て、糸満(いちまん)に寄って山南王(さんなんおう)のグスクを見て、琉球の最南端を回って馬天浜に着きました。急ぐ旅でもなかったので、あちこちに寄って楽しい旅でした。馬天浜には二年間いました。初めの頃はあの臭いに悩ませられましたがすぐに慣れて、カマンタ(エイ)捕りに熱中しましたよ。夏はカマンタ捕りをして、冬は鮫皮作りを学びました。今、思えば馬天浜にいた二年は楽しい想い出ですよ」
「曽祖父が亡くなった時、大勢のウミンチュが集まりました。その中にいたのですね」
 親方は首を振った。
「サミガー大主様が亡くなったのを知ったのは半月も過ぎた後だったのです。わしは十一月に馬天浜に行って、奥さんにお悔やみの挨拶をしましたよ。最後にサミガー大主様と会ったのは、サミガー大主様がお坊さんになってこの島に来た時でした。わしは驚きましたよ。わざわざ会いに来てくれて感激しました。そういえば、あの時、サミガー大主様は島の娘を連れて行ったが、あの娘はどうなったんじゃろう」
「きっと、女子(いなぐ)サムレーになっていますよ」とサスカサが言った。
「女子サムレー?」
「南部には女子サムレーがいて、グスクを守っているのです」
「女子がか?」
「そうです。こんな格好をしてグスクを守っているのです」
「その娘はハナといって、海で両親を亡くして、わしが預かっていたんです。サミガー大主様はこの娘は武芸の才能があると言って連れて行ったんですよ。娘に武芸なんて必要ないだろうと思ったんですが、わしはサミガー大主様に任せる事にしたんですよ」
「ウフハナだわ」とシンシンが言って、ナナとうなづき合った。
「その娘は背が高くなかったですか」
「背が高いと言っても、まだ十歳だったからのう。だが、確かにひょろっとした娘でした」
「間違いないわ。その娘はウフハナと呼ばれて、首里の女子サムレーを勤めています」
「なに、あの娘が首里グスクにいるのですか」
「祖父に頼んで、ウフハナに里帰りさせますよ」とサスカサは言った。
 その夜は浜辺で歓迎の宴が催され、サスカサたちは島の人たちに囲まれて楽しい夜を過ごした。

 

 

 

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