長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

尚巴志伝 第二部

2-208.国頭御殿(改訂決定稿)

山北王(さんほくおう)(攀安知)と会って、今帰仁(なきじん)の城下を見物したあと、リーポー姫(永楽帝の娘)たちは山北王が用意した船に乗って国頭(くんじゃん)グスクに行った。案内してくれたのは山北王の側室のクンだった。 クンは二人の子供を産んだが、…

2-207.大三島の伊予津姫(改訂決定稿)

奄美大島(あまみうふしま)を直撃して北上した台風は、九州に上陸して九州を縦断すると、周防(すおう)の国(山口県)、出雲(いづも)の国(島根県)を通って日本海に出て勢力を弱めた。ササ(運玉森ヌル)たちがいる京都にも大雨は降ったが、被害が出るほどで…

2-206.天罰(改訂決定稿)

ミャーク(宮古島)の船が無事にミャークに着いたあと、ミャークの沖を台風が通過して北上して行った。 ユンヌ姫は琉球に帰ると、サハチ(中山王世子、島添大里按司)にミャークの船の無事の帰島と台風が近づいている事を知らせた。サハチは山南王(さんなん…

2-205.王女たちの旅の空(改訂決定稿)

ヒューガ(日向大親)の船に乗ったリーポー姫(永楽帝の娘)たち一行は、夕方には無事に名護(なぐ)に到着した。 リーポー姫(麗宝公主)はチウヨンフォン(丘永鋒)、チャイシャン(柴山)、ツイイー(崔毅)、リーシュン(李迅)、ヂュディ(朱笛)の六人。…

2-204.重陽の宴(改訂決定稿)

九月九日、ササ(運玉森ヌル)たちが生駒山(いこまやま)で菊酒を飲みながら重陽(ちょうよう)の節句を祝っていた頃、琉球の首里(すい)グスクでは冊封使(さっぷーし)たちを呼んで、『重陽の宴(うたげ)』が行なわれていた。 重陽とは陽の数字(奇数)が重なる事…

2-203.大物主(改訂決定稿)

大粟(おおあわ)神社から鮎喰川(あくいがわ)を舟で下って八倉比売(やくらひめ)神社に戻ったササは、アイラ姫から父親のサルヒコの事を聞こうと思ったのに、アイラ姫はユンヌ姫と一緒に琉球に行ってしまっていた。幸いに『トヨウケ姫』がアキシノと一緒に残っ…

2-202.八倉姫と大冝津姫(改訂決定稿)

高橋殿と御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)のお陰で、『浜の南宮』の秘宝である『宝珠』をササたちは拝むことができた。「神功皇后(じんぐうこうごう)様が豊浦(とゆら)の津(下関市長府)で海中より得られた如意宝珠(にょいほうじゅ)でござ…

2-201.真名井御前(改訂決定稿)

京都に着いたササ(運玉森ヌル)たちは、三日後の夕方、『箕面(みのお)の大滝』に来ていた。大滝の下に役行者(えんのぎょうじゃ)が創建した瀧安寺(りゅうあんじ)があった。弁才天堂(べんざいてんどう)を中心に多くの僧坊が建ち並んでいて、大勢の山伏がいた…

2-200.瀬織津姫(改訂決定稿)

精進湖(しょうじこ)のほとりで焚き火を囲んで、ササ(運玉森ヌル)たちは『瀬織津姫(せおりつひめ)』に出会えた感謝の気持ちを込めて酒盛りを始めた。 酒盛りの前に、ササは富士山の大噴火で犠牲になった人たち、森の中で暮らしていた生き物たちのために『鎮…

2-199.満月(改訂決定稿)

八月十五日、首里(すい)グスクで冊封使(さっぷーし)を迎えて『中秋(ちゅうしゅう)の宴(うたげ)』が催され、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクでは『十五夜(じゅうぐや)の宴』が催された。中秋の宴は馬天(ばてぃん)ヌルと安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌ…

2-198.他魯毎の冊封(改訂決定稿)

慈恩寺(じおんじ)が変わっていた。 前回、サハチ(中山王世子、島添大里按司)が慈恩寺に来たのは六月の初めで、クマラパたちを連れて来た時だった。二か月足らずのうちに、慈恩寺の隣りに、『南島庵』というお寺ができていて、南の島から来たヌルたちと首里…

2-197.リーポー姫(改訂決定稿)

『安須森参詣(あしむいさんけい)』から帰って来た安須森ヌル(先代佐敷ヌル)は、「ヤンバル(琉球北部)のヌルたちもみんな参加してくれたのよ」と嬉しそうにサハチ(中山王世子、島添大里按司)に言った。「金武(きん)ヌルも来てくれたわ」「金武ヌル?」…

2-196.奥間のミワ(改訂決定稿)

六月十二日、ササ(運玉森ヌル)たちは愛洲(あいす)ジルーの船に乗ってヤマトゥ(日本)に行った。 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)の帰国祝いとタキドゥン按司たちの歓迎の宴(うたげ)を開いた次の日の夕方、ササ…

2-195.サミガー大主の小刀(改訂決定稿)

知念(ちにん)グスクに泊まったササ(運玉森ヌル)たちは翌日、ヒューガ(日向大親)に会うために浮島(那覇)に向かった。うまい具合にヒューガは水軍のサムレー屋敷にいた。与那覇勢頭(ゆなぱしず)とフシマ按司が来ていて、ヒューガは絵図を広げて南の島の…

2-194.玉グスク(改訂決定稿)

那覇館(なーふぁかん)での歓迎の宴(うたげ)の翌日、南の島(ふぇーぬしま)の人たちとトンド王国(マニラ)のアンアン(安安)たちは安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)たちの先導で、隊列を組んで首里(すい)グスクへと行進した。沿道…

2-193.ササの帰国(改訂決定稿)

進貢船(しんくんしん)を送り出した二日後、首里(すい)の武術道場で『武科挙(ぶかきょ)』が行なわれた。 明国(みんこく)の制度を真似して、サムレーになりたい若者は誰でも受ける事ができた。大勢の若者たちが集まって来て、武術の試合を行ない、勝ち残った百…

2-192.尚巴志の進貢(改訂決定稿)

土砂降りだった雨もやんで、佐敷グスクではお祭り(うまちー)が始まっていた。 馬天浜(ばてぃんはま)からシンゴ(早田新五郎)たちも来ていて、山グスクに行っていたルクルジルー(早田六郎次郎)たちもマウシ(山田之子)と一緒に来ていた。 大きなお腹をし…

2-191.キキャ姫の遊戯(ゆけ)(改訂決定稿)

奄美大島(あまみうふしま)の万屋(まにや)に着いた湧川大主(わくがーうふぬし)は機嫌がよかった。 琉球に来ていた鬼界島(ききゃじま)(喜界島)の船を永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)沖で沈める事に成功していた。これで敵の兵力は五十人は減っただろう。…

2-190.パティローマ(改訂決定稿)

トンド王国(マニラ)に滞在した四か月はあっという間に過ぎて行った。 都見物を楽しんだあと、ササ(運玉森ヌル)たちはアンアン(トンドの王女)たちと一緒に川の上流にある大きな湖に行った。湖には王様の離宮があって、そこに滞在して舟遊びをして楽しん…

2-189.トンドの新春(改訂決定稿)

琉球から遙か離れたトンド王国(マニラ)では、ササ(運玉森ヌル)たちが新年を迎えていた。お正月といっても、トンドは琉球よりもずっと暖かかった。 宮殿の敷地内にある客殿に滞在しているササたちは、『宮古館』で出会ったツキミガとインミガを宮殿に連れ…

2-188.サハチの名は尚巴志(改訂決定稿)

島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭り(うまちー)の前日の夕方、マグルー(サハチの五男)夫婦、ウニタル(ウニタキの長男)夫婦、シングルー(佐敷大親の長男)夫婦、サングルー(平田大親の長男)、福寿坊(ふくじゅぼう)、カシマは無事に旅から帰っ…

2-187.若夫婦たちの旅(改訂決定稿)

マグルー(サハチの五男)とマウミ(ンマムイの長女)、ウニタル(ウニタキの長男)とマチルー(サハチの次女)の婚礼も無事に終わって、サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)とンマムイ(兼グスク按司)は親戚となり、今まで以上に固…

2-186.二つの婚礼(改訂決定稿)

山北王(さんほくおう)(攀安知)の使者たちを乗せた中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の進貢船(しんくんしん)が船出した翌日、ようやく、ヤマトゥ(日本)に行った交易船が帰って来た。同じ日に、シンゴ(早田新五郎)、マグサ(孫三郎)、ルクルジルー(早田…

2-185.山北王の進貢(改訂決定稿)

島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(前豊見グスクヌル)と出会って、どこかに行ってしまったマガーチ(苗代之子)が、首里(すい)の自宅に帰って来たのは三日後の事だった。浮島(那覇)にはヤマトゥ(日本)の商人たち…

2-184.トンド(改訂決定稿)

十二月七日、ササ(運玉森ヌル)たちはアンアン(安安)の船と一緒にトンド王国(マニラ)に向かっていた。何度もトンドに行っているムカラーも、ターカウ(台湾の高雄)からトンドに行った事はなく、アンアンの船が先導してくれるので助かっていた。 アンア…

2-183.龍と鳳凰(改訂決定稿)

遊女屋『飛馬楼(フェイマーロウ)』に行って松景寺(しょうけいじ)の慶真和尚(きょうしんおしょう)とお酒を飲んでいたササ(運玉森ヌル)たちだったが、日が暮れると日本人町も唐人町も門が閉まってしまうとカオルに言われて、和尚とクマラパを遊女屋に残して…

2-182.伝説の女海賊(改訂決定稿)

熊野権現(くまのごんげん)の広場から大通りを真っ直ぐ行くと、高い土塁で囲まれた唐人(とうじん)の町が見えた。 大通りの両側にも大きな屋敷があったので、ササ(運玉森ヌル)がカオル(キクチ殿の娘)に聞いたら、船乗りたちの宿舎だと言った。キクチ殿の町…

2-181.ターカウ(改訂決定稿)

黒潮は思っていたよりもずっと恐ろしかった。 船は揺れ続けて、壊れてしまうのではないかと思うほど軋(きし)み続けた。若ヌルたちは真っ青な顔をして必死に祈りを捧げていた。 甲板(かんぱん)に出る事はできず、ササ(運玉森ヌル)たちも船室の中で、じっと…

2-180.仕合わせ(改訂決定稿)

ササ(運玉森ヌル)たちはドゥナン島(与那国島)に一か月近く滞在した。 六日間掛けて各村々に滞在したあと、サンアイ村に戻ったササたちは、ナウンニ村にいるムカラーを呼んで、愛洲(あいす)ジルーの船をクブラの港に移動するように頼んだ。ゲンザ(寺田源…

2-179.クブラ村の南遊斎(改訂決定稿)

ヤンバル(琉球北部)の旅に出たトゥイ様(先代山南王妃)が、三日間滞在した今帰仁(なきじん)をあとにして本部(むとぅぶ)に向かっていた頃、ドゥナン島(与那国島)にいるササ(運玉森ヌル)たちは、ダンヌ村からクブラ村に向かっていた。 ダンヌ村のツカサ…