長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

尚巴志伝 第二部

2-178.婿入り川(改訂決定稿)

十二月の初め、島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(前豊見グスクヌル)と座波(ざーわ)ヌルが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにやって来た。 安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)は留守なのに、何の用だろうとサハチ(中山王世子、島添大里按司)は御門…

2-177.アミーの娘(改訂決定稿)

ヂャンサンフォン(張三豊)がいなくなって半月余りが過ぎた。何となく、琉球が静かになってしまったようだとサハチ(中山王世子、島添大里按司)は感じていた。 今、改めて思い出してみると、もし、ヂャンサンフォンが琉球に来なかったら、『ハーリー』から…

2-176.今帰仁での再会(改訂決定稿)

五日間、奥間(うくま)でのんびりと過ごしたトゥイ(先代山南王妃)たちはサタルーと一緒に今帰仁(なきじん)に向かっていた。 奥間まで来たのだから、山北王(さんほくおう)(攀安知)の城下、今帰仁に行ってみたいとトゥイは思った。今帰仁グスクには山北王の…

2-175.トゥイの旅立ち(改訂決定稿)

三姉妹の船に乗って、ヂャンサンフォン(張三豊)は山グスクヌル(先代サスカサ)と一緒に琉球を去って行った。二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)も一緒だった。 右馬助は馬天浜(ばてぃんはま)のお祭りに大里(うふざとぅ)ヌルと一緒に久高島(くだかじま)か…

2-174.さらばヂャンサンフォン(改訂決定稿)

ヂャンサンフォン(張三豊)の送別の宴(うたげ)はやらなくても、三姉妹たち、旧港(ジゥガン)(パレンバン)のシーハイイェン(施海燕)たち、ジャワ(インドネシア)のスヒターたちの送別の宴はやらなければならなかった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司…

2-173.苗代大親の肩の荷(改訂決定稿)

安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)たちが南の島を探しに船出した二日後、平田グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)もそうだが、お祭りに集まった誰もが、ササと安須森ヌルの噂をしていた。無…

2-172.ユウナ姫(改訂決定稿)

ササ(運玉森ヌル)たちはドゥナンバラ村のツカサの案内で『ウラブダギ(宇良部岳)』に登っていた。 サンアイ村から坂道を下ってタバル川に出て、丸木橋を渡って密林の中に入った。密林の中にある沼を右に見ながら進んで、沼の先をしばらく行くとアラタドゥ…

2-171.ドゥナン島(改訂決定稿)

ササ(運玉森ヌル)たちは十日間、クン(古見)按司と対抗するために、ユーツン(高那)の若者たちと娘たちを鍛えていた。 若ツカサのリンとユマは思っていたよりも強く、若者たちもその強さに驚いていた。二人はミッチェのもとで修行を積んで、ユーツンに帰…

2-170.ユーツンの滝(改訂決定稿)

タキドゥン島(竹富島)から帰ったササ(運玉森ヌル)たちは、名蔵(のーら)に四日間滞在して、十月十五日、マッサビやブナシルに見送られて、クン島(西表島)を目指して船出した。ミッチェとサユイが一緒に行くと言って付いて来た。熊野山伏のガンジュー(…

2-169.タキドゥン島(改訂決定稿)

スサノオは五日間も目覚める事なく寝込んでいたが、見事に快復して、豊玉姫(とよたまひめ)と一緒に琉球に帰って行った。 ササ(運玉森ヌル)たちは『メートゥリオン(宮鳥御嶽)』と『クバントゥオン(小波本御嶽)』に行きたかったが、マッサビは許さなかっ…

2-168.ヤキー退治(改訂決定稿)

ササ(運玉森ヌル)、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナ、クマラパとタマミガ、愛洲(あいす)ジルーと山伏のガンジュー(願成坊)、玻名(はな)グスクヌルと若ヌルたち、ミッチェとサユイ、ヤラブダギのツカサと崎枝(さきだ)のツ…

2-167.化身(改訂決定稿)

神様たちとの饗宴(きょうえん)の翌朝、疲れ切ってウムトゥダギ(於茂登岳)の山頂から下りて来たササ(運玉森ヌル)たちは、ナルンガーラの屋敷に着くと倒れるように眠りに就いた。 目を覚ましたササが縁側に出ると、すでに夕方になっていた。ササは縁側に座…

2-166.神々の饗宴(改訂決定稿)

『ナルンガーラのウタキ(御嶽)』からマッサビの屋敷に戻ったササ(運玉森ヌル)と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)は、ツカサたちと一緒にお酒と料理を持って『ウムトゥダギ(於茂登岳)』の山頂に向かった。 クマラパと愛洲(あいす)ジルーたちはマッ…

2-165.ウムトゥ姫とマッサビ(改訂決定稿)

名蔵(のーら)の女按司(みどぅんあず)、ブナシルが出してくれた小舟(さぶに)に乗って、ササ(運玉森ヌル)たちは名蔵に向かった。 名蔵の海岸は干潟(ひがた)と湿地がずっと続いていた。見た事もない鳥がいっぱいいて、まるで、鳥の楽園のようだった。空を見上…

2-164.平久保按司(改訂決定稿)

雨降りの天気が続いて、三日間、多良間島(たらま)に滞在したササ(運玉森ヌル)たちは島人(しまんちゅ)たちに見送られて、イシャナギ島(石垣島)を目指した。ウムトゥダギ(於茂登岳)のあるイシャナギ島は多良間島から見る事ができ、ミャーク(宮古島)よ…

2-163.スタタンのボウ(改訂決定稿)

十日間、滞在したミャーク(宮古島)をあとにして、ササ(運玉森ヌル)たちを乗せた愛洲(あいす)ジルーの船はイシャナギ島(石垣島)を目指していた。 クマラパと娘のタマミガが一緒に来てくれた。さらに、何度も『ターカウ(台湾の高雄)』に行っているムカ…

2-162.伊良部島のトゥム(改訂決定稿)

夕方になってしまったが、先代の野城按司(ぬすくあず)のマムヤと別れて、ササ(運玉森ヌル)たちは高腰(たかうす)グスクに向かった。 赤崎のウプンマは『アラウスのウタキ(御嶽)』の事を漲水(ぴゃるみず)のウプンマに知らせなければならないと言って帰って…

2-161.保良のマムヤ(改訂決定稿)

上比屋(ういぴやー)のムマニャーズの屋敷に泊まった翌朝、漲水(ぴゃるみず)のウプンマは娘が心配だと言って帰って行った。赤崎のウプンマは大丈夫と言って残り、ムマニャーズの孫娘、クマラパの孫娘でもあるツキミガが一緒に行くと言った。クマラパの娘のタ…

2-160.上比屋のムマニャーズ(改訂決定稿)

女按司(みどぅんあず)のマズマラーのお世話になって、村(しま)の人たちと一緒に楽しい酒盛りをして、狩俣(かずまた)で一泊したササ(運玉森ヌル)たちは、翌日、クマラパとタマミガの案内で赤崎のウタキ(御嶽)に向かった。 途中、白浜(すすぅばま)に寄った…

2-159.池間島のウパルズ様(改訂決定稿)

狩俣(かずまた)から小舟(さぶに)に乗ってササ(運玉森ヌル)たちは池間島(いきゃま)に向かった。クマラパは池間島の神様は苦手じゃと言って、行くのを渋っていたが、娘のタマミガに説得されて一緒に来てくれた。 神様のお陰か、季節外れの南風を帆に受けて小…

2-158.漲水のウプンマ(改訂決定稿)

昨夜(ゆうべ)、目黒盛豊見親(みぐらむいとぅゆみゃー)が開いてくれた歓迎の宴(うたげ)で遅くまでお酒を飲んでいたのに、ミャーク(宮古島)に来て心が弾んでいるのか、翌朝、ササ(運玉森ヌル)は早くに目が覚めた。まだ夜が明ける前で、外は薄暗かった。 空…

2-157.ミャーク(改訂決定稿)

ササ(運玉森ヌル)たちを石垣に囲まれた狩俣(かずまた)の集落に入れてくれた白髪白髭の老人は、女按司(うなじゃら)の『マズマラー』の夫の『クマラパ』という明国(みんこく)の人だった。正確に言えば、クマラパが琉球に行った時、まだ明国は建国されていな…

2-156.南の島を探しに(改訂決定稿)

十五夜(じゅうぐや)の宴(うたげ)の翌日、台風が来た。それほど大きな台風ではなかったが海は荒れて、大里(うふざとぅ)ヌルとフカマヌルは久高島(くだかじま)に帰れなかった。 大里ヌルは二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)と一緒にどこかに行ってしまい、三…

2-155.大里ヌルの十五夜(改訂決定稿)

ウニタキ(三星大親)が山北王(さんほくおう)(攀安知)の軍師、リュウイン(劉瑛)を首里(すい)に連れて来た。 一緒に来たのはリュウインの弟子の伊野波之子(ぬふぁぬしぃ)と東江之子(あがりーぬしぃ)だった。二人とも三十歳前後の年齢で、リュウインが今帰…

2-154.武装船(改訂決定稿)

三姉妹の船が旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船とジャワ(インドネシア)の船を連れてやって来た。メイユー(美玉)は今年も来なかった。娘のロンジェン(龍剣)は健やかに育っていると聞いて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は会いに行きたいと思った。…

2-153.神懸り(改訂決定稿)

久米島(くみじま)から帰って来たサハチ(中山王世子、島添大里按司)は、クイシヌ(ニシタキヌル)と出会ったあとの出来事が、夢だったのか現実だったのかわからなかった。ウニタキ(三星大親)に連れられてクイシヌの屋敷に行って、クイシヌの顔を見た途端…

2-152.クイシヌ(改訂決定稿)

安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、ササ(運玉森ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナはクイシヌ様と一緒にニシタキ(北岳、後の宇江城岳)に登った。新垣(あらかき)ヌル、堂ヌル、ミカ(八重瀬若ヌル)と八重瀬(えーじ)ヌルも一緒に行った。 サハチ(中山王…

2-151.久米島(改訂決定稿)

六月五日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が出帆した。南部の戦(いくさ)騒ぎで半年も遅れた船出だった。 正使はサングルミー(与座大親)、副使は久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)の韓完義(ハンワンイー)で、クグルー(泰期の三男)と馬天浜(ばてぃんは…

2-150.慈恩寺(改訂決定稿)

五月四日、梅雨が明けた青空の下、国場川(くくばがー)で『ハーリー』が賑やかに行なわれた。戦(いくさ)の後始末も終わり、二年振りに三人の王様の龍舟(りゅうぶに)も揃う事もあって、観客たちが大勢やって来た。 シタルー(先代山南王)はいなくなったが、新…

2-149.シヌクシヌル(改訂決定稿)

佐敷グスクのお祭りの三日後、ササの四人の弟子たちとマユ(安須森若ヌル)の一か月の修行が終わった。 ヂャンサンフォン(張三豊)は運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)と二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)を連れて山グスクに移って行った。ヂャン…