長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

08.浮島(改訂決定稿)

 サハチ(佐敷若按司)たちは新年を浮島(那覇)で迎えていた。
 佐敷を旅立った後、サハチ、クマヌ(熊野)、サイムンタルー(左衛門太郎)、ヒューガ(三好日向)の一行は、玉グスク(玉城)と糸数(いちかじ)グスクの城下を見て、敵の八重瀬(えーじ)グスク、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの城下も見てから浮島にやって来ていた。
 玉グスクも糸数グスクも山の上にあるグスクで、特に糸数グスクはかなり大きくて、佐敷グスクがやけに小さく思えた。
 初めて佐敷の村(しま)から出たサハチにとって、目にする物は何でも珍しかった。玉グスクの城下は人が大勢いて賑やかで、話に聞く都というのは、こういう所なのかと驚いた。クマヌが言うには、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクと大(うふ)グスクが敵に奪われてから、ここもさびれて来ているとの事だった。
 七十年程前、浦添按司(うらしいあじ)(英慈(えいじ))が亡くなった。玉グスク按司の婿養子(若按司)になっていた浦添按司の四男(玉城(たまぐすく))が、上の三人の兄を倒して浦添按司となった。その時が玉グスク按司の絶頂期だった。中部地方から南部地方一体に、玉グスク按司の勢力が及んでいた。浦添按司になった娘婿が亡くなって、跡を継いだ西威(せいい)が察度(さとぅ)に滅ぼされると一転して、勢力範囲は南部の東側だけになってしまう。さらに、島添大里グスクも大グスクも八重瀬按司(えーじあじ)に奪われて、ますます狭まっていた。
 娘婿が浦添按司になってから、西威が察度に滅ぼされるまでの三十五年間が黄金期だった。ヤマトゥ(日本)や元(げん)の国(中国)との交易で手に入れた珍しい品々が玉グスク城下の市に並んで、南部一の都として栄えていた。娘婿が亡くなった一年後に、玉グスク按司は亡くなり、跡を継いだ玉グスク按司は、西威と一緒に浦添城下の極楽寺で戦死している。今の玉グスク按司はその長男で、弟は島添大里グスクに婿に入って、八重瀬按司に奪われる前に亡くなっていた。クマヌは勿論、玉グスクの黄金期は知らない。それでも十年前は、今よりは栄えていた。
「八重瀬グスクに行く」とクマヌが言った時、サハチは敵の城下に行くのが怖かった。敵に捕まって殺されてしまうかもしれないと恐ろしかった。その事をクマヌに言うと、「若按司の事など誰も知るまい」と笑って、サハチの姿を上から下まで眺め、大丈夫だと言うようにうなづいた。
 サハチの姿はどう見てもヤマトゥの若ザムレーだった。ヤマトゥの着物を着て腰にヤマトゥの刀を差し、ヤマトゥの草履(ぞうり)を履いている。当時の琉球の人々は素足が一般的だったので、履き物を履いているだけで他所(よそ)から来た人と見られた。それに、普段はカタカシラと呼ばれる髪型だったが、今回は祖父に言われてヤマトゥ風の髷(まげ)を結っていた。
 カタカシラというのは初代の浦添按司、舜天(しゅんてぃん)が始めた髪型で、左後ろに髪をまとめて簪(かんざし)で止めていた。舜天が左耳の後ろにあったコブを隠すために始めたと伝わっている。
 浦添を中心に中部地方の武将たちの間で流行(はや)り始めて、南部地方でも玉グスクの若按司浦添按司になった時に、玉グスクの周辺で流行った。玉グスクから糸数、大グスクと伝わって、大グスク按司の婿となった祖父のサミガー大主もカタカシラを結っていた。父の佐敷按司もカタカシラを結い、当然のごとく、サハチも若按司と呼ばれるようになってからはカタカシラを結っていた。今、中部から南部にかけての武将たちの髪型は皆、カタカシラだった。カタカシラを結うには簪を使うため、簪など持っていない一般の者たちは紐や縄で髪をただ束ねるだけだった。
 サハチは敵地ではヤマトゥンチュ(日本人)に扮して、島言葉は使わないように心掛けた。
 島添大里按司の本拠地の八重瀬グスクは、八重瀬岳(えーじだき)と呼ばれる絶壁が聳(そび)える岩山の中腹にあった。見るからに難攻不落と思えるあのグスクが、一人の美女によって落とされたなんて、クマヌから話は聞いていても、実際に目にすると信じがたい事だった。
「島添大里按司があのグスクを落とした時、かなり話題になったらしい」とクマヌが八重瀬グスクを見上げながら言った。
「大いに名をあげたんじゃよ。浦添の察度のもとにもその噂は届いて、察度に気に入られたんじゃろうのう。若按司の嫁に島添大里按司の娘を所望(しょもう)したそうじゃ。その時、娘はまだ十三だったので、二年待ってもらって、盛大なお輿(こし)入れをしたそうじゃ。察度に認められた島添大里按司は、ますます野心を膨らませて、島添大里グスクを乗っ取ったというわけじゃ」
 今の八重瀬按司は島添大里按司の長男のタブチ(太武喜)だった。タブチは父親に似て戦(いくさ)好きの猛将だったが、少々思慮に欠ける所があって、重要な任務は弟のシタルー(四太郎)が任される事が多かった。その不満もあって毎晩、宴(うたげ)を催して酒を飲んでいるとの噂が流れていた。
 サハチはタブチには会った事がないが、シタルーには会った事があった。佐敷グスクの庭で剣術の稽古をしていたら、シタルーが声を掛けて来たのだった。敵なのに気楽に声を掛けて来て、「大グスク按司になったシタルーと申す。以後、よろしく頼む」と言われて、サハチはポカンとした顔でシタルーを見てから、「こちらこそ」と頭を下げたのだった。父にその事を言うと軽く笑って、「あいつは父親の島添大里按司以上に手ごわい敵になるかもしれんぞ」と言った。
 父はシタルーの事を調べていて、お前の宿敵になるかもしれんと言って色々と教えてくれた。妻は中山王(ちゅうざんおう)の察度の娘で、三人の子供がいて、二人が女の子で、一人が男の子。武将として、当然ながら武術も一通りたしなみ、師と呼ぶヤマトゥの禅僧がいて、禅というものに凝っていて、ヤマトゥ言葉もしゃべれるらしい。ヤマトゥ言葉を使って、サンルーザ(早田三郎左衛門)殿が前回、来た時には糸満(いちまん)で取り引きもしている。偉ぶった所もないので、民衆にも好かれているようだ。ただ、表面だけを見て、人を判断してはいけない。島添大里按司の倅だから、恐ろしい面も必ず持っている。充分に気をつけろと父は言った。
 山南王(さんなんおう)になった承察度(うふざとぅ)の島尻大里グスクは、山の上ではなく小高い丘の上にあって、高い石垣に囲まれ、その規模はかなり大きかった。グスクの近くには『カデシガー』と呼ばれる泉があって、豊富な水が湧き出ていた。王の都にふさわしく城下は賑わい、市場には色々な物が売っていて銅銭が流通していた。
 サハチは父からもらった銅銭を初めて使った。銅銭と交換したのは瓢箪(ちぶる)の水筒だった。旅をして困るのは水の確保だった。クマヌもサイムンタルーもヒューガも竹でできた水筒を持っていたが、サハチは持っていなかった。念願の水筒が手に入ってサハチは喜び、さっそくカデシガーの水を入れた。
「明国(みんこく)との交易を始めて、ここも随分と賑やかになったのう」とクマヌは活気に満ちた市場を眺めながら言った。
 承察度が明国と交易を始めてから六年が経ち、その間に五回、明国に使者を送って、絹や陶磁器、鉄鍋など貴重な品々を賜わっている。去年の五月には、賜わった大型帆船(はんせん)で帰って来て、その年の秋は糸満の港に浮かんでいたが、今年は明国に出掛けたとみえて、その姿は見えなかった。
 承察度の妻は中山王の察度の娘だった。大グスクのシタルーの妻も察度の娘なので、二人は従兄弟(いとこ)であり、義兄弟でもある間柄だった。四十年近く前、察度が浦添按司を滅ぼした時、島尻大里按司は軍勢を率いて浦添まで出陣して活躍した。それ以来、ずっと同盟を結んでいる。その時の島尻大里按司は島添大里按司の兄で、十年前に亡くなっていた。承察度は察度の力添えもあって、明国との交易を始める事ができたのだった。
 島尻大里グスクから北上して、小禄(うるく)グスクに行った。小禄グスクは国場川(くくばがー)を見下ろす高台の上にあって、正面に奥武山(おーぬやま)と呼ばれる島があり、その先に浮島が見えた。浮島を管理するために、察度の右腕と言われた泰期(たち)が築いたグスクだった。今は泰期の長男が跡を継ぎ、泰期は宇座按司(うーじゃあじ)となって読谷山(ゆんたんじゃ)で馬の飼育に専念していた。広い国場川を渡し舟で渡って、浮島に着いたのは年の暮れになっていた。
 浮島に着くまでに、今が戦乱の世だという事をサハチは身にしみて実感していた。佐敷にいた時にはまったく気づかなかった事をいくつも体験していた。
 戦で家を焼かれて逃げて来た人々が、城下のはずれで粗末な小屋を立てて暮らしているのを見たし、戦に負けたサムレーたちが、山賊(さんぞく)となって人々を困らせているのも見た。その山賊はサハチたちも襲ったが、ヒューガの剣によって、あっという間に倒された。サハチも戦おうとしたのだが、まったく出る幕はなかった。サンルーザが言ったように、ヒューガは確かに強かった。サハチは改めて、剣術の指導をお願いした。
 山賊まで落ちぶれてはいないが、各地に落武者(おちむしゃ)はいた。名のある武将はすぐに仕官できるが、あまり知られていないサムレーたちは仕官する事もできず、野良(のら)仕事を手伝ったりしながら、かろうじて生きていた。
 クマヌは見込みのありそうな落武者には、馬天浜の祖父の屋敷に行ってみろと言っていた。うまくすれば佐敷按司が雇ってくれるし、仕官できなくても鮫皮作りの仕事があると言って馬天浜に送った。
 生活が苦しくて売られて行く娘もいた。クマヌに聞くと、「浮島に連れて行かれるんじゃろう」と言った。
「浮島には各地から来た船乗りが大勢いて、奴らは長い船旅をして来ているからな、女に飢えているんじゃ。奴らの慰(なぐさ)み物にされるんじゃよ」
「慰み物って?」とサハチが聞くと、クマヌは笑って、「そのうちにわかる」と言った。
 まだ幼いのに親と別れて浮島に連れて行かれるなんて可哀想だと思いながら、サハチは泣いている娘たちを見送った。
 浮島の賑やかさはサハチが想像していた以上のものだった。港には、あちこちから来た大きな帆船がいくつも浮かんでいて、ヤマトゥンチュ、明国から来た唐人(とーんちゅ)、南蛮(なんばん)(東南アジア)から来た人たちが、様々な格好で、様々な言葉を話しながら、大通りを行き交っていた。まるで、毎日がお祭りのようだった。
 サイムンタルーとヒューガも目を丸くして、まるで、博多のような賑わいだと驚いていた。
 波之上権現(なみのえごんげん)の門前にヤマトゥンチュの住む『若狭町(わかさまち)』があって、大通りをさらに進むと高い土塁に囲まれた唐人たちの住む『久米村(くみむら)』があった。
 サハチたちは若狭町にあるクマヌの知り合いのハリマ(播磨)の家にお世話になって、ここで新年を迎える事になった。ハリマはクマヌと同じ山伏で、波之上権現の別当寺(べっとうじ)である護国寺(ごこくじ)に所属して、ヤマトゥから来た商人たちの通訳をしたり、取り引きする按司との仲介をしたりしていた。浮島に住み着いて十年以上にもなり、地元の娘を嫁にもらって子供も三人いた。
 大晦日(おおみそか)の夜、ハリマは年越しの宴を開いてくれた。ハリマが案内した場所は『松風楼(まつかぜろう)』という名の立派な屋敷で、ヤマトゥの料理を食べさせるという。門をくぐるとヤマトゥ風の庭園があって、着飾った綺麗な女たちが並んで出迎えてくれた。
 案内された座敷には壁際に綺麗な花が飾られ、お膳が並べられてあった。サハチは前回、酔い潰れて懲りたので、珍しい料理を楽しみながら、ゆっくりと酒を飲む事にした。
「どうじゃ、サハチ。旅に出てよかったじゃろう」と隣りにいるクマヌが聞いた。
 サハチはうなづいた。
「どこに行っても知らない事だらけです。佐敷にいたら気づかない事を色々と学ぶ事ができました」
「うむ。人の上に立つ者は色々な事を知らねばならん。今、実際に、どこで何が行なわれているのかを常に知っておかなければならない。まだ、旅は始まったばかりじゃ。これからも驚く事が多いじゃろう。まあ、今晩も驚く事が起こるがな」
 クマヌはそう言って笑うと、サイムンタルーとヒューガもサハチを見ながらニヤニヤと笑った。
「今晩、何か起こるのですか」とサハチは笑っている二人を見ながらクマヌに聞いた。
「新しい年が始まるんじゃよ」と言ってクマヌは大笑いした。
 旅の話が弾んでいる時、女たちがぞろぞろと現れた。皆、若い娘たちで、ヤマトゥの着物を着ているが、話をしてみるとヤマトゥンチュではなく、琉球の娘たちだった。明国や高麗(こーれー)(朝鮮半島)の娘もいるが、地元の娘がいいだろうとハリマが頼んで呼んだのだと言う。女たちは挨拶が済むと男たちの間に入って来た。
 サイムンタルーの隣りに若菜、ヒューガの隣りに夕顔、クマヌの隣りに初音(はつね)、ハリマの隣りに桜、サハチの隣りに座ったのは一番若い娘で白菊(しらぎく)という名前だった。
 白菊は可愛い顔をしていて、いい匂いがした。サハチはなぜか胸がドキドキして、白菊の顔をまともに見られなかった。
 白菊がお酌をしてくれた。サハチはそれを飲み干した。
「サハチ、今晩は酔い潰れるなよ」とサイムンタルーが言った。
「はい。わかってますよ」とサハチは答えたが、白菊が注いでくれた酒を飲まずにはいられなかった。
 サイムンタルーもヒューガも隣りにいる娘と楽しそうに話をしていたが、サハチは話をする事もできず、ただ、酒を飲んでいるだけだった。そして、また酔い潰れてしまった。
 その夜の出来事は、まさしくサハチにとって驚くべき事だった。目を覚ますと知らない所に寝かされていて、隣りには白菊がいた。前のように頭は痛くなかったが、喉が渇いていた。サハチが体を起こすと白菊が目を開けた。
「どうしました?」と白菊が聞いた。
「水が‥‥‥」とサハチは言った。
 白菊は起きると水を用意してくれた。
 サハチは水を飲み干して、お礼を言った。
「みんな、帰ったのですか」とサハチは白菊に聞いた。
 白菊は首を振った。
「みなさん、お泊りになっています」
 サハチは小皿の上で燃える灯火で照らされた室内を眺めながら、「こういう所に来たのは初めてだけど、『料理屋』というのは泊まる事もできるのですか」と聞いた。
「『料理屋』かもしれないけど、ここは『遊女屋(じゅりぬやー)』なの。あたしたち遊女(じゅり)がお客様をおもてなしする所なんです」
 『遊女屋』というのはクマヌから聞いた事があった。浮島に新しく『遊女屋』ができたと楽しそうに言った。サハチが『遊女屋』って何と聞くと、綺麗な女子(いなぐ)がいっぱいいて、ニライカナイ(理想郷)のような場所じゃよと言っていた。
「寒いわ」と言って白菊はサハチから空になったお椀を受け取って枕元に置いた。
 サハチを見て微笑むと、白菊は急に下着の帯を解いて脱ぎ捨てた。サハチが驚いていると白菊はサハチに抱き付いてきた。慣れた手つきでサハチも下着を脱がされた。白菊の柔らかい体がサハチにまとわりついて来て、サハチは白菊の体に夢中になった。
 佐敷の村にも、年頃になると好きな娘のもとに通う夜這い(ゆーべー)と言う習慣があった。若按司と呼ばれるようになってから、遊び仲間と一緒に遊べなくなって、サハチは夜這いというものを経験したことがなかった。
 サハチは夜更け過ぎまで、白菊を抱き続けていた。いつ眠ってしまったのかわからない。クマヌの声で目が覚めた時には白菊の姿はなかった。
「年が明けたぞ。いつまで寝ている」とクマヌは言った。
 サハチは慌てて着物をはおって、「帰るのですか」と聞いた。
「いや、正月の料理が用意してある。それを食べてから帰る」
 クマヌはサハチの隣りに座り込むとニヤニヤしながら、サハチの顔を覗き込んだ。
「白菊はよかったか」
 サハチは顔を赤らめて、うなづいた。
「若按司も今日から一人前の男じゃ」
 クマヌは満足そうに笑って、サハチの肩をたたくと出て行った。
 サハチは身支度を整えて、皆の待つ座敷に向かった。女たちはいなかった。新年の挨拶をして、ヤマトゥの正月料理を食べて遊女屋を後にした。
 白菊にもう一度、会いたかったが、姿を見せる事はなかった。
 遊女屋を出て、久米村に向かった。北門(にしんじょう)を抜けて高い土塁に囲まれた中に入ると、大通りの両側には家々がびっしりと建ち並んでいた。どの家も琉球の家とは違う作りで、瓦葺きの立派な屋敷もあった。聞いた事もない珍しい音楽が流れて、あちこちで新年を祝う行事が行なわれていて賑やかだった。しかし、サハチにはそんな光景も目に入らず、白菊の事ばかり考えていた。
 ハリマの家に戻って来て、縁側に座って、ぼうっとしているとクマヌが声を掛けて来た。
「白菊の事を思っているのか」とクマヌから聞かれて、サハチはドキッとして、「違います」と否定した。
 クマヌは笑った。
「忘れられんのも無理ないな。白菊は可愛い娘じゃからのう。だがな、相手は遊女じゃ。男の相手をするのが仕事なんじゃよ」
「もう一度、会いたい」とサハチは小声で言った。
「あの遊女屋は人気のある店でな、しかも高い。白菊は売れっ子だから簡単には会えん。ハリマはあそこにお客さんを連れて行くお得意様じゃから、白菊を呼ぶ事ができたんじゃよ」
「もう会う事もできないのですか」
「いい夢を見たと思って忘れる事じゃ」
 サハチは俯きながら首を振った。
「ハリマから聞いたんじゃが、白菊は島添大里(しましいうふざとぅ)に住んでいたらしいぞ」
「えっ?」とサハチは顔を上げた。
「父親は戦死して、母親と一緒に逃げたが、落武者狩りの兵に母親も殺されて、白菊は捕まって遊女屋に売られたんじゃ。十歳の時じゃったという」
 十歳といえばサハチが海に潜って遊んでいた頃だった。そんな時に両親を失って、遊女屋に売られるなんて悲惨すぎた。しかも、白菊は佐敷からすぐ近くに住んでいた。島添大里グスクが落城した時、サハチは、敵が近くまで来たので気をつけなければならないと思っただけで、負けた者たちの家族の事など考えもしなかった。白菊のように悲しい目に遭った子供たちが大勢いたに違いなかった。
「どうして、戦(いくさ)なんかするんです」とサハチはクマヌに聞いた。
「欲があるからじゃよ。南部を旅して、あちこちのグスクを見て来たじゃろう。佐敷グスクと比べたら、皆、大きくて立派じゃ。あんなグスクに住みたいと思わなかったか。それが欲じゃ。今よりも立派なグスクに住みたい。立派な港があるグスクに住みたい。そういう欲が出て、戦をして奪い取るんじゃよ。また、欲がなくても敵は攻めて来る。滅ぼされないようにするには、強くなって敵を倒さなくてはならん」
「それじゃあ戦は永遠に続くの?」
「いや、敵がいなくなれば戦はなくなる」
「敵がいなくなるってどういう事?」
「すべての敵を倒して、琉球を一つにまとめればいい。そうすれば、敵はいなくなって、戦はなくなる」
「そんな事ができるの?」
「誰かがやらなければならんじゃろう」
「誰かが‥‥‥」
「そうじゃ。誰かがじゃ」
 サハチは庭に咲く緋寒桜(ひかんざくら)を眺めた。
「明日、旅立つからな。今日はゆっくりと休めよ。昨夜(ゆうべ)、ろくに寝てないんじゃろう」
 クマヌは笑うと部屋の中に入って行った。