長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

09.出会い(改訂決定稿)

 浮島(那覇)を旅立ったサハチ(佐敷若按司)たちは中山王(ちゅうざんおう)の察度(さとぅ)の本拠地、浦添(うらしぃ)グスクへ向かった。
 浮島から渡し舟で安里(あさとぅ)に渡ると広い道が浦添まで続き、荷物を積んだ荷車や馬に乗ったサムレーたちが行き交っていた。道の両側には琉球松がずっと続いていて、日差しの強い夏には日陰ができるようになっていた。
 小高い丘の上にある浦添グスクは高い石垣に囲まれていて、さらに壕(ほり)も掘られてあり、かなりの規模だった。城下は中山王の都にふさわしく、新年を祝う人々が晴れやかな顔をして大勢行き交い、賑わっていた。
 玉グスクの城下を見て驚いたサハチだったが、浦添は玉グスクと比べたら数倍も賑やかに栄えていた。これこそが本当の都というものだろうとサハチは思い、「凄いなあ」と言いながら目をキョロキョロさせていた。
 浦添グスクの歴史は古い。浦添とは古くは『浦襲(うらおそ)い』と言って、浦々を治めるという意味で、二百年ほど前に『舜天(しゅんてぃん)』という武将が現れて、浦添にグスクを築いて浦添按司になったと伝えられている。舜天、舜馬(しゅんば)、義本(ぎふん)と三代続いた後、伊祖(いーじゅ)の按司だった『英祖(えいそ)』が、義本を倒して浦添按司になった。それが百二十年程前で、英祖、大成(たいせい)、英慈(えいじ)、玉城(たまぐすく)、西威(せいい)と五代続いたが、四十年程前に察度に奪われた。
「察度は琉球の中部と南部の西側を平定したといえる」とクマヌが浦添グスクの大御門(うふうじょう)(正門)を見ながら言った。
 大御門は櫓門(やぐらもん)になっていて、櫓の上から弓を持った御門番(うじょうばん)が見張っていた。大御門は少し奥まった所にあり、両側にある高い石垣から、攻めて来た敵を狙えるようになっていた。
「今の琉球で一番勢力を持っているのが察度じゃ。琉球を統一する力を持っていると言えるが、なんせ、もう歳(とし)じゃ。七十に近いからのう。跡継ぎのフニムイは三十を過ぎているが、父親ほどの器(うつわ)ではないようじゃな」
「会った事があるのですか」とサハチは聞いた。
「何年か前に察度は見た事がある。若い頃、倭寇(わこう)として暴れ回っていただけあって、貫録のある男だった」
「察度が倭寇?」とサイムンタルー(左衛門太郎)が不思議そうに聞いた。
「おや、知らなかったのか」とクマヌは驚いたような顔をした。
「わしはおぬしの親父さんから聞いたんじゃが、察度は若い頃、倭寇の船に乗ってヤマトゥ(日本)に行って、十年近くも倭寇として暴れ回っていたそうじゃ。壱岐島(いきのしま)を拠点にした倭寇で、対馬(つしま)の親父さんとは敵対していたので、会った事はなかったようじゃが、噂は何度も耳にしていたらしい。当時、察度はジャナと呼ばれていて、倭寇の中でも『怖いもの知らずのジャナ』として一目(いちもく)置かれていたという。そして、ジャナの相棒として『むっつりバサラのタチ』というのがいた」
「『むっつりバサラ』とは何です?」とサハチは聞いた。
「よくわからんが、そう呼ばれていたらしい。むっつりとしているが婆娑羅(ばさら)なんじゃろう。婆娑羅というのは今、ヤマトゥで流行っている言葉でな、粋(いき)でサマになる男というような意味じゃ。察度の右腕として活躍した小禄按司(うるくあじ)の事じゃよ」
「そうだったのですか」とサイムンタルーはかなり驚いていた。
 サハチは『倭寇』というのをよく知らないが、察度と小禄按司が若い頃、ヤマトゥに行ったという事に驚いていた。
「察度が倭寇とつながりがあったとなると、察度が浦添按司になった時、昔の仲間たちが殺到したでしょうね」とサイムンタルーが言った。
「初めの頃は松浦党(まつらとう)に独占されて、おぬしの親父さんは取り引きができなかったらしい。それでも、明国との交易を始めてからは松浦党だけに頼るわけにも行かず、親父さんとも取り引きするようになったようじゃ。何しろ、毎年、明国に行っているからな、ヤマトゥの商品はいくらあっても足らんようじゃ。明国と交易するといっても、琉球には硫黄(いおう)と馬、それに貝殻くらいしかない。あとはヤマトゥの商品や南蛮(なんばん)(東南アジア)の商品がなくてはならんのじゃよ。今の察度はヤマトゥから船が着けば、誰彼構わず取り引きをする。ヤマトゥとしても直接、明国との交易ができないから、明国の商品を求めて琉球までやって来る。浮島は益々栄えて行くじゃろう」
「察度がどうやって浦添グスクを落としたのか、クマヌは知っているのですか」とサハチは浦添グスクを見ながら、ずっと不思議に思っていた事を聞いてみた。
 これだけ大きなグスクを攻め落とすのは容易な事ではない。島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのように山の上にあるわけではないが、かなりの兵力がなければ落とせないだろう。
「その事は親父さんからも頼まれて、わしも調べてみた」とクマヌは答えた。
「しかし、もう四十年も前の事じゃ。しかも、察度は明国との交易を始めて民衆たちの受けがいい。すでに、察度の事は英雄伝説のようになっていて、真相はよくわからんのじゃよ。わかった事と言えば、察度は極楽寺(ごくらくじ)で行なわれた先代の十三回忌の法要を襲撃したらしい。しかも、かなりの大軍で、浦添グスクを包囲していたという。一体、その大軍をどうやって集めたのか、さっぱりわからなかったんじゃ。勝連按司(かちりんあじ)と中グスク按司、島尻大里按司(しまじりうふざとぅあじ)が察度に付いたらしいが、それだけの兵で浦添グスクを落とせるとは思えん」
倭寇が加わったのでは?」とサイムンタルーが言った。
「わしもその事は考えた。そして、浮島に来たヤマトゥンチュ(日本人)に聞いて回った。確かに、その時、浮島にいたヤマトゥンチュで、察度の軍に加わった者もいたらしいが、それは百人もいなかったようじゃ。伝説では数千という大軍だったという。どう考えても数が合わんのじゃ」
「察度は軍資金はあったのか」とヒューガ(三好日向)が聞いた。
「充分にあったようじゃ。ヤマトゥから帰って来た時、銅銭をたっぷりと積んで来たらしい。それと伝説では金塊もたっぷりと持っていたという」
「金塊?」とヒューガは不可解という顔をした。
「うむ。なぜだか知らんが、察度は金塊をいくつも持っていたというんじゃよ」
「金塊の事は本当かどうかはわからんが、軍資金があれば数千の兵など集められるだろう」
「確かに銭があれば兵は集められる。しかし、その兵をどこに置いておくんじゃ。その頃の察度は按司ではない。グスクは持っていない。安里に屋敷があるだけじゃ。その屋敷に数千の兵を隠しておくわけにもいくまい。当時、察度は浮島を支配していたようじゃが、浮島に数千の兵を置いておく事もできん。そんな事をしたら浦添按司に怪しまれて、攻撃を掛ける前につぶされてしまったじゃろう」
「どこかの山の中に隠しておいたのじゃろう」
「それも難しい。当時の浦添按司は中部から南部一帯を支配していた。山の中に数千もの兵がいたら、すぐに気づかれてしまう」
「となると、北部の山の中に置いていたのか」
「それも考えられるが遠すぎる。倭寇の力を借りたとしても数千の兵を運ぶのに時間が掛かりすぎる」
「それじゃあ、キラマ(慶良間)の島ですか」とサハチは聞いた。
 キラマは祖父の所にいるウミンチュ(漁師)のキラマの故郷で、浮島からキラマまで半日も掛からないと言っていた。
 クマヌは笑った。
「サハチにやられたのう。その通りじゃ。わしもその謎がなかなか解けなかった。ある日、波之上の権現(ごんげん)様から海を見ていて、やっとその事に気がついたんじゃ。わしはウミンチュに頼んで、キラマの島々に行ってみた。そして、わかったんじゃよ。四十年前、サムレーがいっぱいやって来て、毎日、武術の稽古をしていたと島の年寄りが教えてくれた。サムレーたちは米をいっぱい持って来て、島の者たちにも分けてくれた。わしらはサムレーたちのために魚を捕って持って行ったと言っていた。そのサムレーたちは三年近くいたけど、ある日、みんな、いなくなってしまったという」
「察度の兵はキラマにいたのか」とサイムンタルーが言って、成程というようにうなづいた。
 サイムンタルーは琉球に来るに当たって、父が描いた絵地図を見ていて、キラマの島々の位置は頭の中に入っていた。
「でも、島にそんなにもサムレーがいたら、ウミンチュたちの間に噂が広まってしまうんじゃないのですか」とサハチは聞いた。
「それがな、島の者たちはそのサムレーたちは倭寇だと信じていたんじゃ。倭寇琉球の若者たちを鍛えて、南蛮の方に行ったと言っておった。武術を教えていたのはヤマトゥンチュだったんじゃろう」
「恐ろしい奴じゃな」とヒューガが言った。
「キラマという島で数千の兵を訓練して、倭寇の船で浮島に運んで、すぐに浦添グスクを包囲したというわけじゃな」
「誰にも気づかれずに、数千という兵で浦添グスクを包囲したんじゃ」
「それは倭寇のやり方です」とサイムンタルーが言った。
倭寇は敵を欺くために船隠しという所に隠れて、敵を油断させてから攻撃を掛けます。察度はその手を使ったのでしょう」
「そうかもしれんのう。中心になってキラマの兵たちの訓練をしていたのは小禄按司だったらしい。今は隠居して読谷山(ゆんたんじゃ)で馬を育てている。わしは読谷山に行ってみた。小禄按司といったら察度の使者として、何度も明国に渡っている偉いお人じゃ。簡単には会ってはくれんと思っておったが、行ってみると、日に焼けた真っ黒な顔をして馬と遊んでおった。実にいい顔をしていてな、気楽に会ってくれた。凄い人じゃと思ったよ。明国の皇帝にも会ったお人が野良着を着て、馬と戯れている。そんな真似はなかなかできるものではない。普通なら立派な屋敷を建てて、絹の着物などを着て、優雅な老後を過ごすものじゃ。それなのに、見も知らぬヤマトゥンチュの山伏に、何の警戒もなく会ってくれた。あんなに大きな人物にわしは会った事はない。今の察度があるのは、小禄按司がいたからこそじゃと思った。その時は小禄按司ではなく、宇座按司(うーじゃあじ)と呼ばれていたが、そんな名前などどうでもいい、ただの馬飼いの爺(じじ)いじゃと言っておった。その馬飼いの爺いは当時の事を話してくれた。サイムンタルーが言った『船隠し』のように、大軍を隠しておいて、一気に攻め落としたとな。小禄按司は各地を回って、見込みのありそうな若者たちを集め、キラマの島に送って武術を仕込んで、一人前の兵に仕立てあげたんじゃ。その数は一千人余りだったという。その一千人と勝連按司の兵と島尻大里按司の兵、中グスク按司の兵が加わって、浦添グスクを包囲したんじゃよ。伝説になってしまったので数千の兵となったが、実際は二千足らずといったところじゃろう。その時、活躍した一千の兵はそのまま、察度の武将に取り立てられて、中には小禄按司と一緒に明国まで行った者も何人もいるらしい」
小禄按司がそんな人だったなんて初めて知りました」
 サハチは浮島に渡る前に見た小禄グスクを思い出していた。
「何かを成し遂げた人には必ず、その人を陰で支えた人がいるという事じゃな。察度は浦添グスクを襲撃する前、まったくの無名と言っていい。どこの馬の骨ともわからん奴が浦添グスクを襲撃して、浦添按司になり、中山王となった。庶民たちから見れば、まさしく英雄じゃ。生きていながら伝説となるのもうなづけるのう」
 サハチはクマヌの話を聞きながら、浦添グスクをじっと見つめていた。キラマで密かに兵の訓練をして、誰にも知られずに浦添グスクを包囲して、このグスクを攻め落としてしまうなんて凄いと思っていた。しかし、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の甥(おい)が山南王(さんなんおう)の承察度(うふざとぅ)で、承察度の義父が察度だから、ここは敵と言える。この世から戦をなくすには、いつの日か、ここも攻めなければならないのかと思った。今の佐敷の兵力ではとても無理だった。無理でもいつか、やらなければならない。察度のように密かに兵を育てて、ここを包囲して攻め落とさなくてはならないとサハチは自分に言い聞かせていた。
 浦添グスクの城下をあとにして、一行は中グスク(中城)へと向かった。
「中グスクは浦添と勝連の中間の地にあるので中グスクと名付けられたんじゃ」とクマヌが説明した。
浦添按司の英祖の三男が築いたと伝えられている。英祖から四代目の玉城の時、婿に入った玉城の弟が中グスク按司となって、後を継ぐべき嫡男は退けられて不遇を囲っていたんじゃ。嫡男は密かに察度と結び、察度が浦添グスクを包囲する直前に按司を殺して、中グスク按司となり、兵を率いて察度の軍に加わった。今はその孫の代で、察度の娘を妻に迎えている」
 山の上にある中グスクを見上げながら、「ここも敵なのだな?」とサハチはクマヌに聞いた。
「まあ、察度とつながりがあるから佐敷の敵と言えるがのう。残念ながら、中グスク按司は佐敷按司の存在を知るまい」
 サハチの父が佐敷按司になったのは七年前の事だった。島添大里按司と大(うふ)グスク按司が、八重瀬按司(えーじあじ)によって滅ぼされた事は知っていても、クマヌが言う通り、佐敷に按司が誕生した事までは知らないかもしれなかった。旅を続けて各地の様子を知れば知るほど、佐敷の存在が益々小さく感じられた。
 話を聞いていたヒューガが、「それにしても、そなたは琉球の事に詳しいのう」と感心した。
琉球に来てからもう十二年になる。十二年の間、この島を歩き回っていたからのう。面白い所じゃよ、ここは。どこに行っても歓迎されるんじゃ。ヤマトゥでは、よそ者は警戒されて嫌われる。ところが、ここでは、よそ者が歓迎されるんじゃよ。知らない村に行って誰かに一声かけると、遠い所からよく来てくれたと言って、あっという間に村人たちが集まって来て、お祭り騒ぎが始まるんじゃ。旅をしていても食う事と寝る場所に困る事はない。まったく居心地のいい所じゃ。知らないうちに、十二年が過ぎてしまった。あちこちで昔話を聞いて、地元の者より詳しくなってしまったというわけじゃ」
 ヒューガも確かにここは面白そうな所だと思っていた。ただ、ここにも戦はあった。ヤマトゥの戦に嫌気がさして、戦のない所に来たかったヒューガにとって、ここもヤマトゥと同じで、長居する場所ではないと思っていた。
 中グスクの次に行った越来(ぐいく)グスクも敵だった。越来按司は察度の三男だった。越来グスクは察度が浦添按司になった時に滅ぼされて、その時に活躍した武将が越来按司に任命された。その按司が亡くなると、察度の三男が越来按司として浦添からやって来た。
 サハチの祖父の美里之子(んざとぅぬしぃ)の父親は越来按司に仕えていた武将だった。察度の兵と勝連の兵に挟み撃ちにされて、越来グスクは落城した。父親も兄も戦死してしまい、母親も殺され、美里之子だけが生き延びて佐敷まで逃げたのだった。敵(かたき)を討つために剣術の修行に励み、その腕を大グスク按司に認められて、武術指南役として仕えた。
 父から聞いた話だと、美里之子は敵に追われて必死に逃げ、海辺に追い詰められて小舟(さぶに)に乗って逃げ、負傷していたために気を失って、気が付いたら馬天浜(ばてぃんはま)に打ち上げられていたという。美里之子が馬天浜に流されて来なかったら、お前は生まれて来なかったぞと言って笑ったのをサハチは思い出した。美里之子は敵討ちをする事もなく、戦死してしまった。祖父の遺志を継がなければならないのかと、越来グスクの石垣を眺めながらサハチは思っていた。
 越来グスクから勝連グスクに向かった。日が暮れる前に勝連グスクの城下に着く事ができた。浦添グスクほどではないが、勝連グスクの城下は栄えていた。市場があって浦添や島尻大里のように銅銭が流通していた。市場にはヤマトゥ渡りの武器や鎧(よろい)なども売っていて、サハチは興味深そうに眺めていた。
「ろくな物はない」とクマヌが小声で言った。
 見世(みせ)を離れるとクマヌは、「あれは戦の後、戦死した者から奪い取った武器や鎧じゃ。ろくな物はない」と言った。
「そうだったのか」とサハチは驚いた。
「負け戦になれば戦死者を回収する事はできん。放置された死体から武器や鎧、着物もはがされて、ああやって売るんじゃよ」
「誰がそんな事をするんです?」とサハチは聞いた。
「それを専門にする奴らもいるが、誰だってするよ。武器や鎧は貴重な物じゃからな。お前は知らんじゃろうが、お前の祖父(じい)さんもやっていた」
「ええっ?」とサハチは目を丸くして驚いた。
「島添大里グスクが落城した時も、大グスクが落城した時も、ウミンチュたちに命じて、武器や鎧を回収させたんじゃ。祖父さんの蔵には、ヤマトゥから仕入れた立派な武器や鎧もあるが、そうやって集めた武器や鎧もあるんじゃよ」
 サハチはしばし呆然としていた。祖父がそんな事をしていたなんて、全然知らなかった。ウミンチュたちが戦死者から武器や鎧を奪い取っていたなんて、そんなひどい事をしていたなんて‥‥‥
「世の中には必ず、表と裏がある。表だけを知っていても大物にはなれん。裏の事もよく知らなければならんぞ」
「表と裏‥‥‥父上も裏で何かをやっているんですか」
「今は何もやっておらんじゃろうが、按司として生き抜いて行くには、裏で何かをしなければならなくなるじゃろうな」
「ウミンチュたちは美里のお爺の死体からも鎧をはいだの?」とサハチは聞いた。
 クマヌは首を振った。
「サミガー大主(うふぬし)も美里之子の遺体を捜したが、見つからなかったそうじゃ。武器や鎧は敵に奪われたんじゃろう」
「戦に勝った方もそんな事をしているんですか」
「しかるべき武将の遺体は、殺した証(あか)しとして大将のもとへと運ばれ、高価な武器や鎧は戦利品として奪われるんじゃよ」
「遺体は?」
「まとめて、どこかのガマ(洞穴)に捨てられるんじゃろう」
 哀れすぎると思いながら、サハチは首を振った。
 勝連按司はかなり古くからヤマトゥと交易を行なっていた。泡瀬(ああし)の干潟で採れた貝殻が主な交易品で、娘婿の察度が中山王になってからは明国の陶磁器類も加わって、益々栄えて行った。
 今の勝連按司は察度の甥で、妻は察度の娘だった。勝連按司の娘だった察度の妻は二十年前に亡くなってしまい、浦添と勝連の同盟を強化するために従兄妹(いとこ)同士の婚姻となった。察度にとって勝連はもっとも重要な拠点で、浦添から勝連に物資を運ぶための道も整備されていた。
 港にはヤマトゥから来たと思える船が五隻も浮かんでいた。ここを拠点にしているヤマトゥの商人がいるに違いない。南の海を見ると遠くに佐敷が見えた。船に乗ったら北風を受けてすぐに帰れるような気がした。
「佐敷が恋しくなったか」とクマヌが笑いながら言った。
「違いますよ」とサハチも笑いながら答えた。
「佐敷からここを攻めるには南風(はえ)の吹く夏だなって思っていたんです」
「ほう、ここを攻め取るつもりか」とクマヌはサハチの顔を見つめた。
「敵ですからね、いつかは倒さなくてはなりません」
「ほう」とクマヌはもう一度うなった。
「旅に出て、変わったのう。一回りも二回りも大きくなったようじゃ」
「佐敷にいた時は、敵は島添大里按司で、島添大里按司を倒して、島添大里グスクと大グスクを取り戻せばいいと思っていました。でも、旅に出て、敵は島添大里按司だけではない事を知りました。すべての敵を倒して、琉球を一つにまとめなければなりません」
 クマヌはサハチの顔をじっと見つめながら、ゆっくりとうなづいた。
「わしはいつか、誰かがこの島を統一するじゃろうと思っていた。その誰かはわからなかったが、もしかしたら、サハチ、お前かもしれんのう」
「察度を倒して、琉球を統一するのか」と話を聞いていたサイムンタルーが驚いたような、呆れたような顔をしてサハチを見ながら言った。
「できるかどうかわかりませんが、やらなければ、あんな佐敷グスクなんて簡単に滅ぼされてしまいます」とサハチは真面目な顔をして答えた。
「確かにそうかもしれんが、でかい事を言うのう」
 ヒューガもサハチを見ながら、とんでもない事を言う小僧だと思った。夏になったらヤマトゥに戻ろうと思い始めていたが、サハチがこの先、何をやるのか、もう少し見届けるのも面白いかもしれないと思っていた。
 その夜は、クマヌの知り合いのウミンチュの家にお世話になった。
 倅(せがれ)が馬天浜のサミガー大主のもとで世話になっているとの事で、サハチは大歓迎されて、新鮮な魚を山ほど御馳走になった。他にも勝連から馬天浜に行っているウミンチュがいて、サミガー大主の孫のサハチが来ている事を知ると御馳走を持って挨拶に訪れた。敵地なのに味方もいる事を知って、サハチは不思議な心境だった。
 次の日、ウミンチュたちに見送られて北に向かった。目指すは伊波(いーふぁ)グスクだった。
 伊波按司とは十年ほど前に知り合って意気投合した仲だとクマヌは楽しそうに言った。旅に出た時は必ず、伊波グスクに寄って、馬天浜にいる時のように、のんびりと過ごすのだという。
 丘の上にある伊波グスクに向かう途中、三頭の馬がどこからか現れて、サハチたち一行は囲まれた。また山賊が現れたかと思ったが、馬に乗っている者たちは皆、十代と思える若さだった。
「何者だ。どこに行く?」とその中の年長の若者が腰の刀に手をやりながら大人びた口調で聞いた。
「クマヌと呼ばれている山伏でござる」とクマヌが答えた。
「伊波グスクにヤマトゥからの客人を連れて行くところじゃ」
 三人の馬上の若者は急に笑い出した。
「クマヌ、久し振りだな。父上がそろそろ顔を出す頃だと言っておったぞ」
「そうか。二年振りになるかのう」
 そう言ってクマヌは、この三人は伊波按司の子供たちだとサハチたちに教えた。
 三男のマイチ(真一)、四男のサム(左衛門)、そして、次女のマチルギ(真剣)だった。女だと言われて、サハチは改めて、一番若いマチルギを見た。男の格好をしているが、よく見れば娘だった。マチルギは何者だというように、馬上からサハチを睨んでいた。
 クマヌは三人にサハチたちを紹介した。ヤマトゥの商人の倅のサイムンタルー、武術の達人のヒューガ、サハチの事はヒューガの弟子と言って、本当の事は言わなかった。もしかしたら、伊波按司も敵なのかもしれないとサハチは思って、警戒しなければならないと気を引き締めた。
 ヒューガが武術の達人だと聞くと三人の目の色が変わって、是非とも指導をお願いしたいと言って来た。三人は馬から降りるとヒューガを囲んで刀を抜いた。
 ヒューガは恐れる事なく、「教えてもいいが、真剣ではやらん。木剣を用意しろ」と言った。
 マイチは刀を鞘(さや)に納めるとサムに合図をした。サムとマチルギも刀を納めて、近くの林の中に入って行くと手頃な木を切って、二本の木剣を用意した。
 まず、サムが木剣を構えて、ヒューガの相手をした。サムは簡単にあしらわれて、ヒューガの敵ではなかった。次にマイチが相手をしたが同じで、マイチの剣がヒューガに当たる事はなかった。
 次にマチルギが木剣を手にしたが、ヒューガではなく、サハチと戦いたいと言って来た。ヒューガはサハチとマチルギを見比べてからうなづき、サハチに木剣を渡した。
 突然の事で、サハチはどうしたらいいのかわからなかった。木剣を受け取ったが。女を相手に本気になれるはずもなく、怪我をさせないように簡単にあしらってやろうと思った。
 サハチが木剣を受け取るとマチルギはすぐに打ち込んできた。
 サハチは体をひねって、その一撃をよけると、木剣を構えた。
 相手の構えを見て、予想外にマチルギが強い事がわかった。下手(へた)をしたらこっちが怪我をしてしまうかもしれない。サハチは本気になってマチルギと試合をした。
 何度も打ち合って、二人が身を引いた時、ヒューガが、「それまで!」と言った。
 勝負は互角だった。互角だったが、相手は娘だ。娘相手に互角だったなんてサハチは悔しかった。
 三人に連れられて、サハチたちは伊波グスクに登った。
 城下の村は佐敷とあまり変わりなかったが、グスクは石垣に囲まれていて、佐敷グスクよりもずっと立派だった。屋敷の隣りにお客用の離れがあって、サハチたちはそこに案内された。
 伊波按司はクマヌと同じ四十代の小太りの男で、クマヌとの再会が余程、嬉しかったのか始終ニコニコしていた。
 サハチはクマヌが言った『世の中には必ず、表と裏がある』という言葉を思い出して、表面はにこやかだが、裏では何を考えているのだろうかと、ふと思った。
 その晩、伊波按司は歓迎の宴(うたげ)を開いてくれた。マチルギも女の格好をして現れた。昼間見た時とはまるで別人のように見え、その美しさにサハチは呆然として見とれた。マチルギもサハチを見ていたが、その目は、「今度こそ、絶対に負けないから」とサハチに挑んでいた。
 伊波按司には八人の子供がいた。長男のチューマチ(千代松)は若按司で、すでに二人の子供がいた。次男のトゥク(徳)は山田按司の養子になっていて、近くにある山田グスクにいるという。長女のマカトゥダル(真加戸樽)は伊波ヌルになり、マイチ、サム、マチルギがいて、マチルギの下に五男のムタ(武太)と三女のウトゥ(乙)がいた。
 クマヌはサハチの事をウミンチュの倅で、強くなって戦で活躍したいので、ヒューガの弟子になって一緒に旅をしていると紹介した。サハチはやはり伊波按司も敵なのかと思った。伊波按司がサハチの事を色々と聞いて来たら、うまく話を合わせなければならないと思ったが、伊波按司は、「強くなれよ」と言っただけで、何も聞かなかったので助かった。
 挨拶が済むとマチルギは下の子供たちと一緒に宴席から出て行った。入れ替わるように、伊波按司の主だった重臣たちが宴に加わって、村の娘たちも着飾って現れた。伊波按司はヤマトゥの話を聞きたがり、サイムンタルーとヒューガはヤマトゥの都の話や戦の話をして、クマヌが通訳していた。サハチも興味深く聞きながら、今度こそは絶対に酔い潰れないように気を付けて酒を飲んでいた。
 伊波グスクには四日間滞在した。三日の予定だったが、旅立つ日の前日から雨が降り続いて、一日延期となった。ヒューガは四日間、伊波按司の子供たちに剣術を教え、サハチは毎日、マチルギを相手に稽古に励んだ。四日目の小雨の降る中、マチルギと試合をして、何とか勝つ事ができたが、思っていたほど嬉しくはなかった。マチルギはあのあと、女の格好をする事はなく、朝から晩まで男の格好で剣術修行に励んでいた。
「敵(かたき)討ちの事しか頭にないんじゃよ」とクマヌが言った。
「マチルギの祖父(じい)さんは今帰仁按司(なきじんあじ)だったんじゃ。羽地按司(はにじあじ)に攻められてグスクを奪われ、按司は殺された。跡継ぎの若按司も殺されて、次男と三男は必死の思いで、ここまで逃げて来たんじゃ。山の中に隠れて住んでいた所を伊波大主(いーふぁうふぬし)に助けられて、次男は伊波按司となり、三男は山田按司となった。伊波按司は伊波大主の娘を嫁にもらって子供たちができた。子供たちは祖父さんの敵を討って、今帰仁グスクを取り戻そうと必死なんじゃよ」
今帰仁按司を倒すために、あんなに必死になっているのですか」
「そうじゃ。行ってみればわかるが、今帰仁浦添に負けないくらいの都じゃ。古くから栄えていたからのう。ヤマトゥで言えば奈良の都といった所かのう。その都から追い出されて、こんな田舎で暮らしているんじゃ。もっとも、マチルギたちは今帰仁の華やかさは知るまい。しかし、いつの日か、今帰仁に戻る日を夢見て修行に励んでいるんじゃよ」
今帰仁か‥‥‥」とサハチはまだ見ぬ都を想像しながら、マチルギの夢がかなえばいいと思った。
「ところで、伊波按司は敵なのですか」とサハチはクマヌに聞いた。
「ここも一応、中山(ちゅうざん)に入っていて、察度と同盟している。敵と言えば敵じゃが、伊波按司にとっての敵は、今帰仁按司しかおらん。南部の事など考えた事もあるまい」
「それじゃあ、どうして、俺の身分を隠しているんです」
「成り行きじゃな。酒の席でお前が酔い潰れないようにああ言ったんじゃよ。佐敷の若按司と名乗りたいのか」
「そういうわけでもないが‥‥‥」とサハチは口ごもった。
 クマヌはサハチを見ながら楽しそうに笑った。
「わしはマチルギが六歳の頃から知っている。可愛い娘じゃったのう。この間、会った時は十二じゃった。二年振りに会ったが、随分と女らしくなった。いい娘じゃよ」
「今は十四なのですか」とサハチは聞いた。
「いや、年が明けたから十五じゃろう。お前より一つ下じゃよ」
 年下の娘を相手にやっと勝ったと思うと情けないような気もしたが、女の格好をした時のマチルギの姿は、サハチの瞼(まぶた)に焼き付いて離れる事はなかった。
 伊波グスクを去る時、マチルギは、「今度会う時は絶対に負けないから」と言って、サハチをじっと見つめた。その時の目は以前の挑戦的な視線とは少し違っているような気がしたのは、気のせいだろうかとサハチは思った。