長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

27.豊見グスク(改訂決定稿)

 サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の婚礼の次の日の朝、大(うふ)グスク按司のシタルーがお祝いを言いに、佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)にやって来た。
 シタルーは相変わらず佐敷按司を敵と見る事なく、隣りの家に遊びに来たような気楽な顔をしてやって来た。従者は二人連れているが、東御門(あがりうじょう)の近くに待たせていた。
 サハチが顔を出すと、「おめでとう」と言って笑い、「立派な屋敷ができましたなあ」と言った。
 屋敷の中へ案内しようとしたら、「ここの方が眺めがいい」と言って縁側に腰を下ろした。
 サハチはお礼を言って隣りに座った。
「凄い人出だったな」とシタルーは海を見ながら言った。
「嫁さんの人気か、お前の人気か知らんが、村の人たちは皆、喜んでいるようだ。羨ましい事だよ」
「どうやら、嫁さんの人気のようです」とサハチは言った。
 シタルーはサハチの顔を見て、そうかというようにうなづいた。
「大グスクの村はここのようにはいかん。以前の按司を滅ぼして奪い取ったのだから仕方がないが、未だに恨んでいる者たちは多い。何とかしようと思ったんだが、無理のようだ。ところで、嫁さんは伊波按司(いーふぁあじ)の娘だそうだな。どういう縁があって結ばれたのかは知らんが、これで、俺たちも味方同士になったわけだな」
 サハチには意味がわからず、少し考えてみたが、「どうしてです?」と聞いた。
「伊波按司の次男は山田按司の養子に入って若按司になっている。山田の若按司の妻は宇座按司(うーじゃあじ)(泰期)の娘だ。宇座按司の娘の伯父は中山王(ちゅうざんおう)(察度)で、中山王の娘が俺の妻になっているから、佐敷と大グスクは親戚になったという事だ」
「そうなんですか」とサハチは考えながら言った。
 シタルーの考えだと、シタルーの父の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)とも親戚という事になる。とんでもない事だった。
「親戚になれて、以前よりも仲良くできると思ったんだが残念だ。もう少ししたら、俺は大グスクから離れなければならなくなった」
「ええっ?」と驚いてサハチはシタルーを見た。
 シタルーは他人事(ひとごと)のような顔をして海を見ていた。
「どこかに行くのですか」とサハチは聞いた。
「浮島(那覇)の近くを流れている国場川(くくばがー)を知っているか」とシタルーは言った。
 サハチはうなづいた。
国場川に饒波川(ぬふぁがー)が合流する地点の丘の上に今、グスクを築いている。もうすぐ屋敷が完成するので、そちらに移る事に決まったんだ」
 サハチは頭の中に地図を思い浮かべて、「小禄(うるく)グスクの近くですか」と聞いた。
 シタルーはうなづいた。
小禄グスクより少し上流の所だ。あそこなら浮島も近いし、これから何度も明国(みんこく)(中国)と交易する事になるので、久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)と仲良くしろと親父に言われたんだ」
「そうでしたか。唐人と仲良くすると言っても、唐人の言葉がわかるのですか」
「前回、親父が明国に行った時、通事(つうじ)(通訳)を一人連れて来たんだ。明国はやはり凄い。色々な国と交易していて、それぞれの言葉をしゃべれる通事を何人も揃えているんだ。武術の道場みたいに、言葉を学ばせる道場があるらしい。言葉だけでなく、歴史や地理などを教える道場もあって、各地から秀才が集まって来て学んでいるそうだ」
「凄いですね」としかサハチには言えなかった。
「そうなると、大グスクには誰が入るのですか」
「弟のヤフスが入る事になっている。あまり、人付き合いがうまい奴ではないが、よろしく頼む。具志頭按司(ぐしちゃんあじ)の婿に入って、具志頭の若按司なんだ。『屋富祖(やふす)』という所に屋敷を建ててもらって、ヤフスの若按司と呼ばれている。具志頭按司も健在だし、あの辺りの事は兄貴の八重瀬按司(えーじあじ)に任せておけばいい。それで、今回、大グスクを守る事になったんだ。具志頭按司に鍛えられて、弓矢の腕はかなりのもんだよ」
 具志頭グスクの位置はサハチにもわかっているが、具志頭按司の事も、シタルーの弟のヤフスの事も何も知らなかった。大グスク按司となるヤフスの事は調べなければならないと思った。
「新しいグスクなんだが、『豊見(とぅゆみ)グスク』と名付ける事に決まった。俺は『豊見グスク按司』となる。グスクができたら遊びに来い。歓迎するよ」
 今日も豊見グスクに行って、普請(ふしん)の進行状況を確認しなければならないと言ってシタルーは帰って行った。
 シタルーが消えるとマチルギが顔を出して、「誰なの?」と聞いた。
「隣りの住人さ。大グスク按司だよ。本当なら敵同士なのに、あの人は俺たちを敵とは見ていないんだ」
「へえ、そうなの。ちょっと変わった人みたいね」とマチルギは笑った。
 マチルギがお嫁に来て五日後、娘たちの剣術の稽古が東曲輪の庭で始まった。去年の修行者が十八人残り、今年の修行者が十六人いて、全部で三十四人だった。
 去年の修行者の中に、馬天(ばてぃん)ヌルと佐敷ヌル(マシュー)、クマヌ(熊野)の娘のマチルー、サハチたちの侍女になったチルーとナビーがいた。そして、今年の修行者の中には、伊波からマチルギの侍女として来たカミーとウサがいた。
 カミーとウサはマチルギが選んで連れて来ていた。伊波按司は、以前から仕えている侍女の中から選ぶつもりだったが、マチルギは断って、領内の娘たちを訪ね回って武術の才能のありそうな娘を選んだのだった。
 マチルギの考えでは、侍女は勿論の事、グスク内で働く女すべてに武術を仕込んで、やがては、グスクの警固は女たちだけでやるという。そうすれば、男たちは留守を守る事なく、戦に出掛ける事ができると言った。それはいい考えだとサハチも賛成した。今は剣術だけだけど、そのうちに弓矢も教えるわとマチルギは張り切っていた。
 婚礼のために一月遅れていた稽古初めを、娘たちは首を長くして待っていたので、皆、目を輝かせて稽古に励んでいた。馬天ヌルと佐敷ヌルは、去年の稽古納めの時よりも腕を上げていた。あのあとも二人で稽古を続けていたに違いなかった。
 サハチは娘たちの稽古が始まると、本曲輪の方に行ってクマヌを捜した。クマヌは二の曲輪のサムレーの屋敷内にいた。
 サハチを見ると、「今年も始まったようじゃな。この調子で行ったら、佐敷の女はみんな、女武者になりそうじゃ。男どももうかうかしていたら、皆、尻に敷かれるぞ」と笑った。
 クマヌは絵地図を広げて眺めていた。その絵地図は、クマヌが自分の足で歩いて調べて作った地図だった。
「どこかに行くのですか」とサハチは絵地図を見ながら聞いた。
「うむ、まだ不完全な所があるからのう。今年中には完成させようと思っているんじゃ」
 久高島(くだかじま)の所に『シラタル親方、フカマヌル』と書いてあるのを見て、「クマヌは島々も回っているのですか」とサハチは聞いた。
「いや、行ったのは、察度(さとぅ)の事を調べに行ったキラマ(慶良間)だけじゃよ。完成させるには島々を巡らなけりゃならんのじゃが、なかなか暇が取れんのじゃ」
 キラマの島々の所には『サメガワ』と書いてあった。宇座按司が始めた鮫皮作りの拠点だった。
「久高島に何か書いてありますが」とサハチは聞いた。
「それはお前の親父さんから聞いたんじゃよ」
「親父は久高島に行った事があるのですか」
「おや、聞いていないのか」
 サハチは首を振った。
「久高島の話なんて聞いた事もない」
「シラタル親方(うやかた)の名は聞いているか」
 サハチはまた首を振った。
「有名な武術の名人じゃ。お前の親父さんはシラタル親方の弟子になって、久高島で修行を積んだんじゃよ。そして、美里之子(んざとぅぬしぃ)に認められて、お前の母親と一緒になる事ができたんじゃ」
「そうだったのですか」
 クマヌはうなづいた。
「お前の親父さんがシラタル親方の弟子だった事が、お前とマチルギが一緒になれる決め手だったとも言えるんじゃ。伊波按司はシラタル親方の弟子の弟子じゃ。お前の親父さんが伊波に挨拶に行った時、酒を飲みながら武芸の話をして意気投合したんじゃよ」
「そのシラタル親方が久高島にいるのですか」
 クマヌは首を振った
「親父さんが修行を積んだ時、七十歳だったという。もう亡くなってしまわれたじゃろう」
「そうですか」と言って、サハチは絵地図の中の具志頭グスクの所を見た。特に何も書いてなかった。
「具志頭グスクに行った事がありますか」とサハチは聞いた。
「あるが、具志頭グスクがどうかしたのか」
「具志頭の若按司が、近いうちに大グスクに来るそうです」
 そう言ってサハチは、シタルーが新しいグスクに移る事を説明した。
「島添大里按司国場川の所にグスクを築いているのは知っていたが、そこにシタルーが入るとは知らなかった。わしも三男のヤフスの事はあまり知らん。会った事もない。ただ、具志頭按司が弓矢の名人だとは聞いている。ヤフスも按司に鍛えられたんじゃろう」
「どんな奴だか調べてほしいのですが」とサハチは頼んだ。
 クマヌはうなづいた。
「島添大里按司があそこに新しいグスクを築いていると聞いて、明国との交易の拠点にするつもりだとわかったが、まさか、シタルーを入れるとは意外じゃな。もしかしたら、島添大里按司は東方(あがりかた)を攻めるのはやめて、交易に本腰を入れる気なのかもしれんな」
「俺もそんな気がします」とサハチは言った。
「大グスクは敵の最前線ですからね。シタルーがいなくなるのは、こっちに取っては都合がいいかもしれません」
「ヤフス次第じゃな。それと、島添大里按司が豊見グスクとやらを築いているのと同時に、中山王は『瀬長島(しながじま)』にグスクを築いている。どうやら、中山王は豊見グスクの築城を許可する代わりに、瀬長島をよこせと言ったらしいのう」
 クマヌは絵地図の瀬長島を示した。小禄の南の方にある島だった。
「中山王がこんな島にグスクを築いているのですか」
「山南王(さんなんおう)(承察度)の動きを見張るためじゃろう。中山王は次男を『米須(くみし)』に婿養子に入れているが、それだけでは心配なんじゃ。察度も齢(とし)じゃからな。自分が亡くなったあとの事を考えて、その島に楔(くさび)を打ち込んだに違いない」
 東曲輪に戻ったサハチは稽古を終えて着替えて来たマチルギに、「俺もクマヌのように、情報を集めてくれる人が欲しいよ」と言った。
「クマヌじゃ駄目なの?」とマチルギは聞いた。
「クマヌは親父の家臣だからな。俺の自由にはならない。手が空いていれば調べてくれるけど、親父の仕事で留守の事も多いんだ」
「そうね。サイムンタルー(左衛門太郎)さんに頼んで、ヤマトゥ(日本)の山伏を呼んでもらったらいいんじゃない」
「そうだな。でも、クマヌみたいなのはヤマトゥにもなかなかいないんじゃないのか」
「ねえ、鍛冶屋(かんじゃー)に頼んだらどうなの?」
「ヤキチか」
 去年の今帰仁(なきじん)の旅以来、ヤキチとは会っていなかった。婚礼の時、村人たちと一緒にグスク内の庭にいたと思うが気づかなかった。
「今から行って来るか」とサハチは言った。
「えっ、これから行くの? 外はもう暗いわよ」
「いい月が出ているよ」
 マチルギは笑ってうなづき、サハチが出掛けるのを見送った。
 村のはずれの川の近くにヤキチの家はあった。
 作業場には誰もいなかったが、住まいの方から子供の声が聞こえて来た。声を掛けると薄暗い部屋の中からヤキチが現れた。
 ヤキチは驚いた顔をして、「若按司様(わかあじぬめー)、こんな遅くにどうしたのです?」と聞いた。
「ちょっと聞きたい事があってな」
「上がっていただきたい所ですが、子供たちが散らかしておりまして」と言って、ヤキチはサハチを作業場の入り口の近くにある縁台に案内した。
 サハチが縁台に腰を下ろすと、「改めて、おめでとうございます」とヤキチは頭を下げた。
 作業場の奥の方から火鉢を持って来て、サハチのそばに置いて、近くにあった木箱に腰掛けると、「寒いですな」と火鉢に手をかざした。
「配下の者たちは近所に住んでいるのか」とサハチは聞いた。
「はい。去年はここで共に暮らしておったのですが、正月に帰って、家族を連れてまいりましたので、近くの家を借りて、ここに通って来てもらっております」
「奥間(うくま)から子供たちを連れて来たのか。道中、大変だったろう」
「いえ、浮島まで船で参りましたので」
「そうか。その手があったな」
 奥間は中山王とつながりがあった。奥間の船が定期的に浮島まで来ているのかもしれなかった。
「妻もよその土地に行くのは抵抗を感じていたのですが、来てよかったと申しております。村の人たちは皆、親切にしてくれますし、子供たちもすぐに遊び仲間ができて、毎日、楽しくやっております。これも皆、佐敷按司様(さしきあじぬめー)のお陰でございましょう。ところで、お話とは何でございますか」
「具志頭の若按司の事を聞きたかったんだが、知っていますか」
「具志頭の若按司と言えば、島添大里按司の三男のヤフスの若按司でございますね」
「やはり、知っていたか」とサハチは満足そうにヤキチを見た。
「ここに来る前に南部の事は調べました。特に佐敷の敵になりそうな所は入念に調べております」
「そうか。ヤフスとはどんな男なんだ?」
「うーむ」とヤキチは腕を組んで考えたあと、「婿なので、奥方には頭が上がらないようでございます」と言った。
「弓矢の名人だそうだな」
「はい。そのようです。嫁さんというのが父親に似てしまったらしく、はっきり言って不細工な女のようでございます。ヤフスは嫁さんに隠れて隣り村に側室を囲っていて、そこに出掛ける口実が狩りなのでございます。泊まりがけで狩りに出掛けるというわけです。嫁さんとの間に三人の子がおりますが、側室との間にも二人の子がおります」
「ほう、五人もいるのか。年齢(とし)はいくつなんだ?」
「二十五、六でございましょう」
「女と会うために弓矢の腕を上げたという事だな」
「はい。そのヤフスの若按司がどうかなさいましたか」
「近いうちに大グスク按司になるそうだ」
「今の大グスク按司が、新しいグスクに移るのでございますね」
「さすが、耳が早いな。新しいグスクは豊見グスクというらしい」
「豊見グスクですか。随分と大げさな名前ですな」とヤキチは呆れたような顔をして手を広げた。
 そうだなと言うようにサハチはうなづいた。『とよむ』とは世間に鳴り響くという意味で、栄えている浦添(うらしい)グスクの事を世間の人がそう呼ぶのはわかるが、山を切り開いて建てたばかりで、城下の村もないグスクにそんな大それた名前をつけるなんて、島添大里按司の自信を物語っているのだろうかとサハチは思った。
「話は変わるが、島添大里按司が昔、活躍した奥間の鍛冶屋を家臣にしたと聞いたが、それが誰なのか知っているか」
 前から気になっていた事をサハチは聞いてみた。
「奥間大親(うくまうふや)でございます。初めは奥間之子(うくまぬしぃ)と呼ばれていて、出世して奥間大親になりました」
「成程。それはわかりやすいな」
「島添大里按司に限らず、奥間の者でサムレーになった者は大抵、そう呼ばれております。古くは中山王の父親が奥間大親です。中山王は浦添グスクを攻め落とした時、活躍した者を家臣に取り立てて、奥間大親を名乗らせました。奥間大親は配下の者たちを浦添の東の山中に住まわせて、今ではそこは『奥間』と呼ばれる村になっております」
「なに、そんな村があるのか。そこに住んでいる者たちは皆、中山王のために働いておるのか」
「家族の者たちが暮らしているのです。村ができたのは四十年も前の事ですから、代も変わって、全員が中山王のために働いているとはいえません」
「そうか」
「玉グスクにも奥間大親はおります。こちらはもっと古くて、玉グスクの若按司(玉城)が浦添按司になった時に活躍して、奥間大親となり、今では四代目ですが、奥間との縁は切れて、ただの重臣の一人に過ぎません」
今帰仁にもいるのか」
「以前はおりました。今の今帰仁按司(帕尼芝)が先代を攻めた時に戦死してしまいました。今の今帰仁按司は奥間が中山王とつながりがあるのを憎んでいて、奥間の土地を奪い取ろうとたくらんでおります」
 奥間の若い者たちが今帰仁按司から村を守るために、必死になって武芸の稽古に励んでいたのをサハチは思い出した。
今帰仁にはいないのか。勝連(かちりん)はどうだ?」
「勝連にはおります。中山王が浦添を襲撃した時、勝連も協力しましたから。その時、活躍した者を取り立てて奥間大親と名乗らせております」
「奥間大親を名乗る者は気を付けた方がいいと言う事だな」
「さようでございます」
「サムレーになった奥間大親も奥間とつながっているのか」
「大抵は二代目になると縁が切れてしまいます。サムレーの家庭で育てられた子供は奥間の事は知りませんので。親が子を奥間に連れて行って、つながりを付けるという事は滅多にありません。配下の者たちを使って情報を集めておりますが、職人でなければ奥間とのつながりはありません」
「色々とわかった。これからもよろしくお願いします」
 サハチはお礼を言ってヤキチと別れ、月空の下をグスクへと向かった。これからのヤキチの活躍によっては、ヤキチも奥間大親になるかもしれないと思っていた。
 四月になって、シタルーは豊見グスクに移って行き、弟のヤフスが大グスク按司になった。シタルーが言った通り、ヤフスは人付き合いが悪いらしく挨拶には来なかった。それが当然だと言える。シタルーの方が変わっていたのだ。
 ヤキチの報告によると大グスクに入ったヤフスは早速、グスク内に的場を作って弓矢の稽古に励んでいるらしい。連れて来たのは側室とその子供たちで、正室は具志頭に置いて来ている。舅(しゅうと)と嫁から解放されて、毎日、浮き浮きしているという。
 五月になって梅雨が上がると、マチルギが去年の旅を思い出して、また、旅に出たいと言い出した。去年は北に行ったから、今度は南に行きたいという。
 実はサハチもどこかに行きたい心境だった。三年前の暮れに、サイムンタルーたちと旅をしてから、毎年のように旅をしていた。しばらく、じっとしていると体がうずうずしてきて、旅に出たくなるのだった。父に言えば駄目だと言われるだろうと思ったが、マチルギがどうしても頼んでくれというので、サハチは父に相談した。
 父は少し考えてから、「いいじゃろう。南部の様子をその目でしっかりと見て来い」と言った。
「いいのですか」とサハチは聞き返した。
「お前たちを狙っている者はいないとは思うが、気を付けて行けよ。勿論、ヒューガ(三好日向)も一緒だぞ」
 サハチはお礼を言って東曲輪に戻り、マチルギに許しが出た事を話した。マチルギは大喜びした。
 父の気が変わらない事を祈りながら旅支度をして、翌日の朝、マチルギと一緒にヒューガの屋敷に向かった。前回の旅と同じように刀は持たず、庶民の格好をして棒を杖代わりにして出掛けた。
 ヒューガの屋敷は苗代大親(なーしるうふや)の屋敷の隣りにあった。以前、サハチたちが住んでいた屋敷の隣りに、父がヒューガのために建てた屋敷で、ヤマトゥ旅から帰って来てから、その屋敷で暮らしていた。一人暮らしだったが、苗代大親の妻が食事の面倒を見たり、子供たちも遊びに来たりするので寂しい事はなく、気楽にやっているようだった。
 ヒューガはすでに旅支度をして縁側に座っていた。ヒューガも庶民の格好に棒を持っている。
「わしもそろそろ旅がしたくなったところじゃ」とヒューガは嬉しそうに笑った。
「どう、似合うかしら」と屋敷の中で誰かが言った。そして、出て来たのは、なんと馬天ヌルだった。
「叔母さん‥‥‥」とサハチはポカンとした顔をして馬天ヌルを見た。
「どうして、ここに?」
「ヒューガさんから旅の話を聞いて、あたしも一緒に行こうと思ったのよ」
「叔母さん、いつからここに住んでいるんです?」
「なに言ってるのよ。住んでなんかいないわよ。旅支度をして来たんだけど、上等過ぎるって言われて、それで、お隣りから野良着を借りて着替えていたのよ」
「なんだ。そうだったのか」とサハチはホッとして、「脅かすなよ」と言った。
「マカマドゥ(馬天ヌル)さんもいなくなったら、剣術のお稽古どうしよう?」とマチルギが心配した。
「大丈夫よ」と馬天ヌルが縁側から下りながら言った。
「チルー(侍女)がちゃんとやってくれるわよ。マシュー(佐敷ヌル)もいるし。それに、お隣りさんにも頼んでおいたから心配ないわ」
「でも、どうして、叔母さんが旅に出るんです?」とサハチが聞いた。
「あたしね、生まれてから今まで、この近辺しか知らないのよ。お師匠(マチルギ)から旅の話を聞いたら、あたしもどこか知らない所に行ってみたくなったのよ」
「叔母さんはマチルギの影響を受けすぎるよ」
「いいじゃない。お師匠と出会って、なんだか、世の中が楽しくなって来たのよ」
「確かに叔母さんは楽しそうだよ。それに、いつまでも若いし」
「ありがとう。さあ、旅に出ましょう」
 四人の奇妙な旅が始まった。