長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

38.久高島(改訂決定稿)

 三月にマチルギが女の子を産んだ。
 三人目に、やっと女の子が生まれて、マチルギは大喜びだった。サハチ(佐敷按司)も初めての女の子の誕生は嬉しかった。母親似の可愛い女の子は、サハチの母の名前をもらって、『ミチ(満)』と名付けられた。
「ミチ、『ウナイ神(がみ)』として、兄さんたちを守ってくれよ」とサハチはミチに言った。
「もしかして、この子、ヌルになるのかしら」とマチルギはサハチに聞いた。
「先の事はわからないよ」とサハチは言ったが、「いいえ、この子は叔母さん(馬天ヌル)みたいなヌルになるのよ」とマチルギは決めつけた。
「叔母さんみたいなヌルか‥‥‥そうなったら、サグルーとジルムイは助かるだろうけど、叔母さんみたいになるのは大変だぞ」
「大丈夫よ。あたしとあなたの娘だもの。立派なヌルになるわ」
「そうだな。とりあえずは無事に育ってくれよ」とサハチはミチの頬を撫でた。
 ミチは両手を思い切り広げて、キャッキャッと笑った。
 産後の肥立ちもよく、マチルギはすぐに元気になった。元気になってよかったとサハチは喜んだが、喜んでばかりもいられなかった。
 マチルギはミチを抱いてあやしながら、「あなたは長女なんだけどね、本当は次女みたいなのよ」と言って、サハチをジロリと睨んだ。
「何を言っているんだ?」とサハチはとぼけたが、マチルギはイトの事を知っていた。
「まあ、婚礼の前の事だし、大目に見るわ」とマチルギは優しく笑った。
「そうだよ。婚礼の前の昔の話だ」とサハチも笑った。
「そんな事、できるわけないでしょ」とマチルギは強い口調で言って、カッカと怒った。
「あたしがあなたの無事を祈りながら、ここに来て、ずっと待っていたというのに、あなたはヤマトゥ(日本)でイトという娘と一緒に暮らしていて、娘まで産ませたのよ。絶対に許せない」
「すまなかった」と頭を下げると、サハチはマチルギの部屋から出て、自分の部屋に戻った。
 サイムンタルー(左衛門太郎)とクルシ(黒瀬)の口は塞げても、船乗りたちの口を塞ぐ事はできなかった。サハチとイトの事は船乗りみんなが知っていた。馬天浜の離れで噂をしていたのが、村人に伝わって、マチルギの耳にも入ったに違いなかった。今回、イトの父親のイスケも来ている。イスケには直接に会って、イトと娘の事を聞いたり、マチルギとの事も話して、イトの事は黙っていてくれと頼んだが、回りの者たちが気の毒がって、あれこれと言ったに違いなかった。
 ミチを寝かしつけるとマチルギは木剣を持って、サハチの部屋に押し掛けて来た。鬼のような顔をして木剣を振り回し、サハチは謝りながら逃げ出した。
 サハチは佐敷グスクの裏山に逃げた。
 木が生い茂っている森の中に小屋が二つ建っていた。今頃は誰もいないだろうと思ったが、小屋の中にウニタキ(鬼武)がいた。
 坊主頭に三星紋(みちぶしむん)が書かれた黒い鉢巻をして、髭を伸ばし、毛皮の袖なしを着込んでいる。見るからに猟師(やまんちゅ)といった格好だった。猪(やましし)の毛皮の上に座り込んで、小さな刃物を研いでいた。
 サハチは小屋に入ると狭い小屋の中を見回した。
「そろそろ屋敷を建てたらどうだ。猟師の親方らしい屋敷をな」
「わかっている」とウニタキは研いだ刃物を見ながら言った。
 獲物の皮を剥ぐ時に使う刃物か、ウニタキは満足そうにうなづくと、それを鞘(さや)にしまってサハチを見た。
「今、資金を調達しようと思っているんだ」
「資金なら心配するな」とサハチは言って、ウニタキの隣りに腰を下ろした。
「いや。屋敷を建てるくらいの資金は何とかしなくてはな」
「どうやって資金を作るつもりだ?」
「浮島(那覇)にあくどい商人がいるらしい。そいつをちょっと懲らしめてやろうと思っている」
「盗賊の真似をするのか」
「そのくらいの事ができなければ、敵のグスク(城)には忍び込めないだろう」
「まあ、そうだろうけど、あまり無理はするなよ」
「ああ。久高島(くだかじま)の方は始まったのか」
 旅に出る前、東行法師(とうぎょうほうし)(先代佐敷按司)はウニタキを訪ね、殺された妻子の事や望月党の事を聞いて、『十年の計』を話していた。そいつは面白いとウニタキは同意して、協力する事を誓ってくれた。
「始まっているとは思うが、親父もお爺も何も言って来ないので、どうなっているのかわからんのだ」
「そうか。つなぎの者が必要だな」
「そうなんだ。お前がやってくれると助かる」
 わかったというようにウニタキはうなづいた。
「お前の所は何人、集まったんだ?」とサハチは聞いた。
「今の所は五人だ」
「奥間(うくま)の三人と、あとの二人はどこから連れて来たんだ?」
「一人は浮島で見つけた。もう一人はイブキが連れて来た。女子(いなぐ)も入れようと思っているんだが、マチルギの教え子で適任なのはいないか」
「難しいな。侍女になりたいという娘は何人もいるが、裏の仕事となると難しい。命懸けだからな。そうだ、チルー叔母さん(侍女)に聞いてみたらいい。俺は知らなかったんだが、チルー叔母さんはお前の事を心配して、何度も馬天浜に行っていたらしいじゃないか」
「ああ、食べ物を持って何回か来てくれた。お前が命じたんだろうと思っていた」
「いや、俺は何も言っていない」
「そうか‥‥‥綺麗な人だな」
「武術師範だった美里之子(んざとぅぬしぃ)の娘なんだ。父親に似て素質があって、かなりの腕らしい。父親の戦死で婚期を逃してしまい、ずっと侍女をやっている。チルー叔母さんは一年目からずっと稽古を続けているから、適任者がわかるかもしれない」
「お前の叔母さんなのか」
「お袋の末の妹なんだ」
「そうか。今度、聞いてみよう」とウニタキは表情も変えずに言った。
 妻や子を亡くして、まだ一年も経っていなかった。立ち直っているようだが、心の傷はそう簡単には癒えないだろう。以前のような笑顔はまだ一度も見ていなかった。
 ウニタキと別れてグスクに戻り、マチルギの部屋を恐る恐る覗くと、マチルギはミチに乳を飲ませていた。サハチはもう一度、謝った。
 マチルギは笑って、「もういいわ」と言った。
「あたしね、イトのお父さんに会って話を聞いたのよ」
「お前、大きなお腹をして馬天浜まで行ったのか」
「だって、我慢するのはお腹の子によくないと思って。イトの気持ちもわかったわ。一人で娘を育てていると聞いて、イトの事は許そうと思ったの。でも、あなたには一言言わないと気が済まなくて怒ったのよ。もう二度としないでね」
「うん」とうなづき、サハチはまた謝った。
「ウニタキにチルー叔母さんの事をそれとなく話したよ」
「どうだった?」
「綺麗な人だなと言った」
「それは誰でも言うんじゃない」
「まだ、ウニタキの胸の中には亡くなった妻と娘がいるんだ。それに、四つも年上だからな。無理には勧められないよ」
「でも、チルー叔母さん、ようやく、念願の人に巡り会ったって感じよ。何とかしてやりたいわ」
「お互いに大人だからな。黙って見守っていよう」
「そうね」とマチルギは言ったが、何とかして二人を結びつけようと思っているようだった。
 島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)はサイムンタルーと取り引きをして、ヤマトゥの刀や扇子を手に入れ、四月になると進貢船(しんくんしん)を明国(みんこく)(中国)に送った。シタルー(豊見グスク按司)を乗せて明国に行った山南王(さんなんおう)(承察度)の船が、三月に帰って来ると、すぐに、その船を借りて、荷物を積み込み、使者を乗せて明国に送ったのだった。
 進貢船が与那原の港を出て行ったあと、サイムンタルーの船も馬天浜を出て行った。その船にはヒューガ(三好日向)が乗っていた。
 髭を伸ばして革の陣羽織を着たヒューガは、貫禄のある倭寇(わこう)のお頭を演じていた。琉球で兵を集めて、南蛮(なんばん)(東南アジア)へと出掛けて行く倭寇のお頭だった。
 サイムンタルーの船は久高島に行った。
 久高島の島民(しまんちゅ)はヤマトゥの船が来たといって大騒ぎになった。マニウシが小舟(さぶに)でサイムンタルーの船に近づいて行き、サイムンタルーとヒューガを乗せて上陸した。
 浜辺では一体、何事かと島民たちが集まって、二人のヤマトゥンチュ(日本人)を見守っていた。ヤマトゥンチュはマニウシと一緒にマニウシの屋敷に入って行った。
 マニウシの屋敷では、東行法師とフカマヌルと若ヌルのウミチルが待っていた。
 東行法師は頭は丸めたままだが、僧侶の墨染め衣ではなく、太刀を腰に佩(は)いて、ヤマトゥのサムレーといった格好だった。頭は綺麗に剃っているのに髭は伸び放題で、今までの面影はまったくなく、異様な風貌だった。
「お久し振りです」とサイムンタルーはすっかり変わってしまった佐敷按司を見ながら言った。
「見るからに倭寇、というよりは南海を荒らし回っている海賊の親玉ですね」
「なに、サンルーザ(早田三郎左衛門)殿の真似をしただけじゃよ」と東行法師は顎髭を撫でながら笑った。
「親父はまだ頭を丸めていませんよ」とサイムンタルーも笑った。
「そうか。伸ばすかどうか迷ったんじゃが、この島を出たら、また坊主にならなければならんのでな。頭だけは剃っているんじゃ。わざわざ寄ってもらって、すまなかったのう」
「いいえ、浮島に行くついでですから構いませんよ。しかし、もう佐敷按司ではないし、東行法師でもなさそうだし、何とお呼びしたらいいのです?」
「ここにいる時のわしは、ただのサグルーじゃよ」
「サグルー殿ですか。サハチから例の話、聞きましたよ。大した事を考えましたね」
 サイムンタルーはフカマヌルとウミチル、そして、マニウシを見てから、「ここにいる人は知っているのでしょう」とサグルーに聞いた。
 サグルーはうなづいて、三人を紹介した。
「さすが、サマになっておるのう」とサグルーはヒューガを見ながら言った。
「いやあ、サグルー殿には負けましたよ」とヒューガは笑った。
 サグルーはサイムンタルーとヒューガを連れて、武術道場になっている森の中に向かった。
 クバの木が生い茂っている森の中に道場はあり、近づくにつれて掛け声と木を打つ音が聞こえて来た。
 木を切り倒して作った広場で、二十人近くの若者が稽古に励んでいた。広場の隅には小屋が三つ建っている。サグルーが来た事を知ると若者たちは稽古をやめて、サイムンタルーとヒューガを見た。
 サグルーは若者たちを整列させた。
「この二人は倭寇のお頭じゃ」と言って、サグルーは二人を若者たちに紹介した。
「やがて、お前たちを遥か南蛮まで連れて行く事となろう。南蛮はまだ未開の地じゃ。現地の者たちを倒して、わしらで新しい国を作るんじゃ。お前たちはその国の武将になる。そのためには、しっかりと修行を積まねばならん。厳しい修行に耐えて、立派な武将になれるように励んでもらいたい」
 サイムンタルーとヒューガも厳しい顔つきで、若者たちに一声掛けた。若者たちに稽古を続けさせると、三人は小屋の中に入って、次回、サイムンタルーが来る時に用意してもらう物を頼んだ。修行者たちの食糧になる米と刀や弓矢などの武器も頼んだ。
対馬の村も立ち直ったので、三年後には来られるでしょう」とサイムンタルーは約束した。
「三年後には若い者が三百人になっている予定じゃ」とサグルーは笑った。
「三百人ですか。そうなると食わせていくのも大変ですね」
「そうなんじゃよ。奴らにクバ笠やクバ扇を作らせてはいるが、それだけではとても食ってはいけんのじゃ。何かうまい手を考えなければならん」
「敵の兵糧を奪い取るという手もありますよ」とサイムンタルーが言った。
倭寇の手じゃな。山賊でもやるか。しかし、捕まったら、すべてが台無しになってしまう。なるべく、兵は隠しておきたいんじゃ」
「全員を使わなくてもいいんです。二十人くらいの精鋭部隊を作って、どこかの山を拠点にして、まったくの別行動を取るのです」
「うむ、考えてみるか。敵の兵糧を奪えば、敵の戦力を弱める事にもなるからな」
「面白そうじゃな」とヒューガがニヤニヤしながら言った。
「それをわしにやらせて下さい。戦に嫌気が差して、ここに来たんじゃが、そろそろ一暴れしたいと思っていたんじゃよ。わしはヤマトゥに帰った事にすればいい。佐敷から消えても怪しまれんじゃろう」
 サグルーはヒューガの顔をじっと見ながら、「うむ」とうなづき、「そうしてもらえれば本当に助かる」と言った。
「面白くなってきた」とヒューガは楽しそうに笑った。
「ここの兵は使わないで、ならず者たちを集めよう」
「なに、本物の山賊になるというのか」
「敵に追われる危険な仕事じゃからな、佐敷とのつながりはない方がいい。ただ、奪い取った兵糧や財宝などを銭に代えてくれる場所をどこかに作って欲しい」
「山賊から直接ではなく、そこを通してから、ここに運び込むという事じゃな」
「その方が怪しまれんじゃろう」
「盗品を扱う店を作ればいいのです」とサイムンタルーが言った。
「噂ですけど、博多にそんな店があったような気がします」
「そうか。浦添にクマヌ(熊野大親)が刀屋を出したが、盗品を扱う店か‥‥‥」
「高価な物を置けば危険ですが、どこにでもあるような物を店に並べておけば怪しまれないでしょう」
「うむ。ヒューガ殿ではないが、こいつは面白くなってきたのう」とサグルーはヒューガとサイムンタルーを見て、満足そうに笑った。
「次々に新しい考えが浮かんでくるわい」

 

 久高島の小屋の中で密談が行なわれていた頃、馬天浜のウミンターの屋敷の離れでは、ウニタキと侍女のチルーが密かに会っていた。サイムンタルーの船が出たので、離れには二人しかいなかった。
「あなたに言われて調べてみました」とチルーはウニタキを見つめて言った。
 ウニタキは無精髭を剃って、口髭だけを蓄えていた。
「誰かいましたか」とウニタキは聞いた。
「丁度いい娘が一人います。両親のいない孤児です。大(うふ)グスクが落城した時に助けられて、佐敷グスクで賄(まかな)いの城女(ぐすくんちゅ)として働いている娘です。両親の敵(かたき)を討つと言って十五歳の時から剣術を習っていて、今年で三年目になります。まだそれ程の腕ではないけど、素質はあるから鍛えればものになりそうですよ」
「十五で三年目というと今、十七ですね」
 チルーはうなづいた。
「名前はトゥミ(富)。小柄で可愛い顔をしているから年齢(とし)よりも若く見えるけど、身が軽くて動きは素早いわ」
「使えそうだな」
「機転も利くから侍女にしようと思っていたんだけど、侍女もなかなか辞める人がいなくて、なるのは難しいのよ」
「もう一人、誰かいないかな。男の中に女一人だけだと長続きしないような気がするんだ」
「そうねえ」とチルーは考えた。
 首を傾げて考えているチルーの顔を見ながら、美しい人だとウニタキは思っていた。亡くなった妻の事を忘れたわけではないが、チルーに惹かれていく自分を感じていた。
「ウミンチュ(漁師)の娘で出戻りの娘がいるんだけど、どうかしら」とチルーは言ってウニタキを見た。
 目と目が合って、恥ずかしそうにチルーは目をそらせた。
「どんな娘です?」とウニタキは聞いた。
「トゥミとは反対に大柄で色っぽい娘です。十七でお嫁に行ったんだけど、一年もしないうちに別れて、またお稽古を続けているの。もうお嫁になんか行かない。女武者になって戦で活躍するって言っているわ」
「女武者とは勇ましいな」
「体が大きいから鎧を身につけたら男に見えるでしょう」
「今、いくつなんです?」
「十九歳。名前はムトゥ(元)。途中で一年抜けてるけど、今年で三年目よ」
「トゥミとムトゥか」と言って、ウニタキは腕を組んで海の方を見た。
 ウニタキの横顔を見ながら、チルーはこの瞬間がずっと続けばいいと思っていた。
 チルーがウニタキを初めて見たのは、サハチとマチルギの婚礼の前、ウニタキがマチルギを訪ねて来た時だった。その時は変わった人だと思っただけで、その後、サハチを訪ねて来た時も、別に何とも思わなかった。ところが去年、傷だらけになって現れた時、この人を助けなければならないと思った。ウニタキを慰めるために馬天浜に通い、何度も会っているうちに、だんだんと惹かれていったのだった。
「会ってみる?」とチルーは聞いた。
「そうですね」とウニタキはチルーを見ると言った。
「明日、稽古が終わった頃にグスクに行きますよ」
「グスクで話すのですか」
「サハチとマチルギにも加わってもらいます」
「それがいいですね」と言ってからチルーは笑った。
按司様(あじぬめー)とウナヂャラ(按司の奥方)を呼び捨てにするなんて。按司様はあたしの甥だけど、呼び捨てにはできないわ」
「俺は表には出ませんからね。畏まらなくてもいいと言われているんですよ」
按司様と仲がいいのですね」
「何となく気が合うのです。色々とありがとうございました」
「いいえ」とチルーははにかんだように笑った。