長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

44.察度の死(改訂決定稿)

 久高島(くだかじま)の旅から帰ると、サハチ(佐敷按司)は御門番(うじょうばん)から鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチの言伝(ことづて)を聞かされた。
 頼まれていた短刀ができ上がったとの事だった。短刀を頼んでいたわけではなく、ただ話があるという意味だった。
 サハチは皆と別れて、一人でヤキチの作業場に向かった。
 ヤキチの娘のキクが弟のマサンルーの嫁になった時、サハチはヤキチに『奥間大親(うくまうふや)』を名乗って、重臣になってくれと頼んだ。しかし、ヤキチはもう少し待ってくれと言った。重臣になってグスクの中に入ってしまうと自由に動けなくなってしまうので、今のままでいいという。もし、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクを奪い取る事ができたら、その時は重臣として働いてほしいとサハチは頼んだ。ヤキチはうなづいてくれた。ただ、屋敷だけは重臣にふさわしい屋敷を新築して、そこに住んでもらう事にした。
 作業場で一人で仕事をしていたヤキチは、サハチを見ると腰を上げて部屋の方に案内した。家族たちは新しい屋敷に移ったので、この部屋は奥間から新たに連れて来た若い者が使っているらしい。
「他の者たちは俺たちを守っていたのか」とサハチが聞くと、「はい」とヤキチはうなづいた。
「毎年、すまんな」とサハチは謝った。
「いえ。もう慣れておりますから。それに、うちの若い者たちも結構、旅を楽しんでいるようでございます」
 サハチは笑って、「久高島にも行ったのか」と聞いた。
「あそこは大丈夫だとは思いましたが、二人だけ、あとを追わせました」
「そうか。親父が何をやっているのか、お見通しといった所だな」
「見なかったという事にしておきます」と言ってヤキチは微かに笑った。
 サハチはヤキチを信じてお礼を言った。
「話というのは山北王(さんほくおう)(珉)の事でございます」
「山北王がどうかしたのか」
「お亡くなりになりました」
「何だって? まだ王様になったばかりだろう」
「四年でございます」
「去年、また中山王(ちゅうざんおう)(察度)の船に使者を便乗させて、明国(みんこく)(中国)との進貢を始めたようだが、その船が戻って来る前に亡くなったのか。まさか、殺されたのではあるまい」
「どうも、病死のようでございます。若い頃から体が弱かったようです」
「それで、本ばかり読んでいたのか。跡を継いだ若按司はまだ若いな」
「まだ二十歳との事でございます」
 今帰仁の若按司は父親よりも、祖父(帕尼芝)に似て武芸に熱心だとウニタキから聞いていた。将来、祖父のように中山王と対立するかもしれないと思った。
「若按司の奥方様は浦添按司(うらしいあじ)(フニムイ)の娘でございます」とヤキチはサハチの考えを否定するように言った。
「おう、そうだった。同盟したのだったな。浦添按司が中山王になると、中山王と山北王は親子の関係になるわけか‥‥‥」
 そうなると山北王が中山王に対立する事はないかもしれないが、たとえ義理の親子の関係とはいえ、先の事はわからなかった。
「それと、奥間(うくま)の長老もお亡くなりになりました」
「えっ、長老が!」
「はい。按司様(あじぬめー)が旅に出られる前日に知らせが届いて、すぐに行って参りました」
「そうだったのか、長老がお亡くなりになったか‥‥‥すると、ヤザイム殿が跡を継がれたのだな」
「はい。さようでございます」
 ヤザイムは父と仲が良かった。この先、奥間とのつながりを強化できそうだった。
 ヤキチと別れて佐敷グスクに戻ると、東曲輪(あがりくるわ)の方から笛の音が聞こえて来た。サハチはその音に誘われるように東曲輪に向かった。
 横笛を吹いていたのはウミチルだった。旅仕度のまま屋敷の縁側にきちんと座って吹いている。サハチの母と妹のマカマドゥとマチルーも侍女たちと一緒に聞いていた。マサンルーとキクの夫婦も聞いていた。縁側にはヤグルーとマチルギの姿もあった。
 サハチも妹たちの後ろに立って笛の音を聞いた。優しく気持ちの和む曲だった。曲が終わると皆が拍手をした。
 ウミチルは照れくさそうに頭を下げて、「いかがでしたか」とマチルギに聞いた。
「よかったわ」とマチルギがうっとりとした表情で言った。
「あたしもやりたい」とマカマドゥが言うと、「あたしも」とマチルーも言った。
「妹たちに教えてやってくれないか」とサハチは頼んだ。
 ウミチルは笑って、「はい」と嬉しそうにうなづいた。
 東曲輪から帰りながら、「ウミチルはどうして笛を吹いていたんだ?」とサハチはマチルギに聞いた。
「久高島で、ウミチルがあたしの事を羨ましいって言ったのよ。みんなに剣術を教えている事が羨ましいって。それで、あなただって何か得意な事があるでしょうって言ったら、少し考えて、笛なら吹けるけど、そんなのは駄目ねって言ったのよ。笛が吹けるなんて素敵よ。今度、聞かせてって言ったんだけど、すっかり忘れてて、帰って来たら思い出して、そのまま東曲輪に行って聞いていたのよ」
「そうだったのか」
「あたしも習おうかしら」
「うん、いいかもしれない。もしかしたら、ウミチルは舞も舞えるかもしれないな。この前、玉グスクに行った時、玉グスクには踊り子がいて、見事な舞を披露してくれた。佐敷にも踊り子を作りたいんだ。按司たちを招待した時に披露できるようにね」
「そうか。いつかはウミチルのお父様を招待しなくちゃならないのよね」
「そうなんだ。玉グスク按司に村娘たちの野暮ったい踊りを見せるわけにはいかないしな。按司たちが、さすが佐敷だと唸るような芸を見せたいんだよ。それに、伊波(いーふぁ)の父上も招待したいしな」
「そうね。あたしも考えてみるわ」
「頼む。親父やお爺が兵力を増やすために頑張っている。俺たちはグスク内の事をしっかりとやらなくてはな」
 サハチとマチルギは屋敷に帰ってからも、その事について意見を言い合った。
 六月になって、ウニタキが久し振りに帰って来た。
 玉グスクとの婚礼の前は玉グスクを探っていて、婚礼が終わると、どこかに消えた。妻のチルーは留守番をしていたが、三月になるとチルーもいなくなった。今年、新しく配下となったマチという娘が突然、現れて、ウニタキが待っていると知らせて消えた。
 サハチはウニタキの屋敷に向かった。
 ウニタキはのんきに縁側で昼寝をしていた。坊主頭だったのが、髪が随分と伸びていた。
 サハチはウニタキの隣りに座って、近くにあったクバ扇を手に取ると仰いだ。
 蝉がやかましく鳴いていた。
「どこにいたんだ?」とサハチは聞いた。
夢の島だ」とウニタキは横になったまま言った。
夢の島‥‥‥もしかして、キラマ(慶良間)の無人島か」
「ああ。しばらく、のんびりするかとかみさんも連れて行ったんだが、のんびりどころではなかった。お前の親父にこき使われて、疲れに行ったようなものだった」
「新しい村造りは進んでいるのか」
「ああ、何とか寝泊まりする小屋はできた」
「そうか。食い物は大丈夫なのか」
「食糧の調達もやらされたよ。ヒューガ(三好日向)殿と一緒に浮島(那覇)のヤマトゥンチュ(日本人)の蔵を襲って、溜め込んでいた米をいただいて、ついでに高麗人(こーれーんちゅ)の女たちを買って島に連れて行った」
「高麗の女を連れて行ってどうするんだ?」
「島には女が足りないんだ。飯炊きや畑仕事など、やる事はいくらでもある。ただ、若い娘はあまりいなかったから、娘たちを集めなけりゃならんな」
「若い娘か‥‥‥お爺が久高島に送っているようだが」
「その娘たちも、一年を待たずに島に連れて来ると言っていた」
「そうか‥‥‥キラマは綺麗な所だろうな」
「ああ、綺麗だったなあ。のんびりするには最高の所だ。かみさんも気に入って、来年も行きたいと言っていた」
「俺も行ってみたいよ」
「お前も按司を隠居して行けばいい」
「六歳のサグルーに按司の座を譲って行くか」
「それがいい」とウニタキは言って、大笑いした。
「くそ!」と言って、サハチはクバ扇でウニタキの腹をたたいた。
「ところで、山北王が亡くなった事を知っているか」とサハチはウニタキに聞いた。
「浮島で噂は聞いた。わざわざ調べる程の事でもないと思って、誰も送ってはいないがな」
「ヤキチからおおよその事は聞いているから調べなくてもいい」
 ウニタキは突然、起き上がると、「中山王も具合が悪いらしいぞ」と言って、サハチからクバ扇を奪い取って仰いだ。
「まさか?」とサハチは言った。
 正月に元気な姿を見せたとの噂は聞いているが、具合が悪いという噂は聞いていなかった。
「重病というほどではないらしいが、浦添や浮島から薬師(くすし)が呼ばれて、首里天閣(すいてぃんかく)に出入りしているようだ。中山王はもう七十五だという。随分と長生きしたもんだ。そろそろ、あの世に行ってもおかしくはあるまい」
「七十五か。奥間の長老が七十五で亡くなったというから、中山王と同じ年齢(とし)だったんだな」
「奥間の長老が‥‥‥」
 サハチはうなづいた。
「先月だ」
「そうか‥‥‥」
「師匠は今、島にいるのか」
「ヒューガ殿か。今、あの島で『師匠』と呼ばれているのはお前の親父だ」
「親父が師匠なのか」
「弟子が二百人もいるからな。ヒューガ殿は俺たちを浮島に送ったあと、遊女(じゅり)をさらって島に戻ると言っていたな」
「遊女をさらう?」
「島で『遊女屋(じゅりぬやー)』をやるそうだ」
「師匠が、いや、ヒューガ殿がか」
「ヒューガ殿じゃない。配下の者でやりたいというのがいるらしい」
「遊女屋か。若者が二百人もいれば必要かもしれないが、わざわざ、遊女屋まで作らなくてもいいと思うが」
「俺もそう思ったんだが、お前の親父がそれもいいかもしれんと言ったんだ。遊女屋に行くと皆、気を許して口が軽くなる。情報を集めるには持って来いだ。将来、浦添の城下に店を出せばいいとな」
「成程。そんな先の事まで考えているのか」
「そうらしいな」と言ってウニタキはまた寝そべった。
 それからしばらくして、東曲輪のヤグルーの屋敷で、ウミチルが踊り好きな娘たちに踊りを教えているのを見ていた時、珍しい客が訪ねて来た。
 豊見(とぅゆみ)グスク按司のシタルーだった。明国に渡ってから、もう三年が経ったのかと思いながら大御門(うふうじょう)(正門)に行くと、いつもの従者を連れたシタルーが、懐かしそうに笑っていた。
「やあ」とシタルーは手を上げた。
 明の国を見て来ても、あまり変わっていないようだった。
「お久し振りです」とサハチは頭を下げて、一の曲輪の屋敷に案内しようとしたら、「暑いから、そこでいい」と言って、庭にあるガジュマルの木陰を示した。
 サハチとシタルーは、木陰にある切り株の腰掛けに腰を下ろして海の方を眺めた。
「本当は今年一杯は向こうにいるつもりだったんだが、親父が山南王(さんなんおう)になったと聞いて、急遽、戻って来たんだ」とシタルーは言った。
「そうだったのですか。明の国はどうでした?」
「驚く事ばかりだった。簡単な気持ちで行ったんだが、まず、船旅が大変だった。回りに海しか見えないというのは恐ろしかった。何日も何日も海しか見えないんだ。本当に明国に行けるのだろうか、全然違う方向に向かっているんじゃないかと不安だったよ。海が物凄く荒れた時もあって、波をかぶりながら、必死に帆柱にしがみついていた。船が沈んで、死んでしまうのかもしれないと思った。本当に恐ろしかったよ。やっと明国に着いて、一安心していたら、そこからがまた大変だった。雪の降る凍った山道を一月近くも掛かって、やっと応天府(おうてんふ)(南京)に着いたんだ。あんな寒い思いをしたのは初めてだ。何もかも凍ってしまうんだ。具合が悪くなって、引き返して行った者が何人もいた。まったく、凄い所だと思ったよ。広さが半端じゃない。高く聳えた山が、延々と続いているんだ。あんな所で暮らしていたら、琉球なんて本当に小さいと感じる。あんな小さな島の中で、争い合っているなんて、馬鹿げた事に思えて来る。親父が明国から帰って来て、考えを変えた気持ちがよくわかったよ。応天府の都も広々としていて、皇帝の宮殿も大きくて立派だった。人も驚くほどいっぱいいて、都というのはこういう所かと驚いてばかりいた」
 サハチは自分も行ってみたいと思いながら、シタルーの話を聞いていた。『国子監(こくしかん)』での難しい学問の事や、明国の食べ物や女の事など、シタルーは体験した様々な事を話してくれた。
「俺と一緒に国子監に入った、サングルミー(三五郎思)という奴がいるんだが、一緒に帰って来たら親父が殺されていたんだ。奴の親父は与座按司(ゆざあじ)で、俺の親父が殺したんだよ。以前、親父は与座按司と一緒に明国に行っているんだ。共に苦労をした仲だというのに、殺してしまった。まさか、こんな事になるなんて思ってもいなかった。奴はもう、琉球には俺の居場所はないと言って、また、明国に戻ると言っているよ」
「今度は島添大里按司になるのですか」とサハチは聞いた。
 シタルーは首を振った。
「浮島に近い豊見グスクの方が、何かと都合がいいんだ。島添大里グスクはヤフスに任せるつもりだ。ここに来る前に会って来たが、奴も大分、大人になったようだ。任せても大丈夫だろう。お前の方は何か変わった事でもあったか」
「別にないですが、弟が玉グスクから嫁をもらったくらいです」
「玉グスクか‥‥‥伊波の娘と玉グスクの娘か。お前は敵だか味方だかわからん奴だな」
 東曲輪から笛の調べが聞こえて来た。
 シタルーが東曲輪の方に顔を向けた。
「玉グスクの嫁が、村の娘たちに笛を教えているんです」とサハチは説明した。
「剣術の次は笛か。風流な事だな」とシタルーは笑って、「お邪魔したな」と言って帰って行った。
 サハチはシタルーを見送ると一の曲輪の屋敷に戻り、マチルギにシタルーが明国から帰って来た事を告げた。
「あの人も律義な人ね。わざわざ、帰って来た事を知らせに来るなんて」
「俺の様子を見に来たんだろう。笛が聞こえて来たんで、安心して帰って行ったようだ」
「そう。よかったわね」
「しかし、シタルーは手ごわい敵だよ。今まで以上に気を付けて行動しないと怪しまれるかもしれない」
 今年はいつもよりも、暑い夏が長かったような気がした。
 夏の終わり頃、大きな台風がやって来た。避難民がグスクに押し寄せて来たので、ウミチルは驚いていたが、母やマチルギを手伝って、焚き出しに精を出して働いた。
 雨と風は凄かったが、短時間で過ぎて行ったので、思った程の被害は出なかった。それでも土砂崩れが起きて、民家が四軒潰れてしまい、屋根を吹き飛ばされた家も何軒かあった。
 キラマの島は大丈夫だっただろうかとサハチは心配した。
 台風が過ぎたら急に寒くなってきた。火鉢を蔵から出して、冬仕度をしていた頃、中山王の死をウニタキから知らされた。
 サハチはウニタキの屋敷に行って話を聞いた。
「とうとう、中山王が亡くなった。中山王が亡くなったからといって、今の状況が変わるとは思えないが、何か、一つの時代が終わったような気がするな」とウニタキは囲炉裏の火を見つめながら言った。
「お前は中山王に会った事があるんだったな」とサハチは聞いた。
「婚礼の時に、お祝いの言葉を言われたくらいで、話らしい話はした事はないが、人物の大きさを感じたよ」
「そうか。俺は噂だけで、一度も見た事はなかった」
 サハチが生まれた年、察度(さとぅ)は明国との交易を始めて中山王となった。それからは毎年のように、明国と交易を続けた。お陰で、ヤマトゥ(日本)や南蛮(なんばん)(東南アジア)からの船が多く、琉球に来るようになって浮島は栄えて行った。明国から来た陶器は琉球中に出回って、今では中古品だが、庶民たちも使っている。その陶器と交換されて、ヤマトゥから来た鉄は、鍋や農具となって庶民の生活を向上させた。
 若い頃、琉球を飛び出してヤマトゥに行き、倭寇(わこう)として活躍して、壱岐島(いきのしま)では語り草になっている。琉球に戻ってからは密かに兵力を蓄え、浦添グスクを攻め滅ぼして、浦添按司となった。娘たちを各地の按司に嫁がせて勢力を広げ、今の琉球に、中山王に敵対する者は誰一人としていない。『世の主(ゆぬぬし)』の名に恥じない英雄だったと言えた。ウニタキが言うように、察度の死は一つの時代が終わったと言えるのかもしれなかった。
 サハチは宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)を思い出した。仲間がみんな死んでしまって寂しいと言っていた。共に戦って来た同志でもある中山王の死は、御隠居にとって、さぞ辛い事だろう。
 洪武二十八年(一三九五年)十月五日、察度は波瀾に満ちた生涯を閉じた。