長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

46.夢の島(改訂決定稿)

 二月にサハチ(佐敷按司)の四男が生まれた。
 マチルギの祖父の名をもらって、『チューマチ(千代松)』と名付けられた。マチルギの祖父(二代目千代松)は今帰仁按司(なきじんあじ)だった。曽祖父(初代千代松)が亡くなったあと、羽地按司(はにじあじ)(帕尼芝)に滅ぼされてしまったが、サハチとマチルギは、この子がいつの日か、今帰仁按司になる事を願いながら命名した。
 チューマチはサハチたちの五人目の子供だった。マチルギは女の子を望んでいたのに、また男の子だった。女の子は三番目のミチだけだった。
「強くなってお父さんを助けて、戦で活躍して、今帰仁グスクを取り戻すのよ」とマチルギはチューマチに言っていた。
 チューマチは両手を広げて笑っていた。
 七歳になった長男のサグルーを筆頭に、サハチの屋敷は朝から晩まで賑やかだった。侍女や屋敷を守っている女子(いなぐ)サムレーたちは、子供たちのいい遊び相手になっていた。
 三月になって、浦添(うらしい)を探っているウニタキから知らせが届いた。
 中山王(ちゅうざんおう)(武寧)が玉グスク按司の娘を、三男の嫁に迎えるための使者を送ったという。嫁とはいいながら、娘を人質に取るようなものだった。
 玉グスク按司が断れば、戦になるだろう。戦になれば、佐敷按司も黙って見ている事はできない。二重の婚姻で玉グスクと結ばれている今、中山王の大軍を相手に戦わなければならなかった。どんなに守りを強化しても、佐敷グスクは大軍を相手に持ちこたえる事はできない。城下の村々は焼かれて、ウミンターの鮫皮(さみがー)作りの作業場も焼かれてしまうだろう。
 戦にならないように祈りながら、サハチは玉グスク按司の出方を見守った。
 それから十日後、ウニタキから浦添と玉グスクの婚礼が決まったと知らせが入り、サハチはホッと胸を撫で下ろした。
 婚礼は来年だという。戦を回避できたのはよかったが、玉グスクから婚礼についての知らせは来なかった。身内になったとはいえ、佐敷はそれほど信頼されてはいないようだ。玉グスクとのつながりを強めれば、山南王(さんなんおう)(汪英紫)に警戒されるので、その方が都合がいいのだが、頼りにされていないというのは情けなくもあった。
 四月の初め、サイムンタルー(早田左衛門太郎)がヤマトゥ(日本)から積んで来た米と武器を運ぶために、キラマ(慶良間)の島に向かった。それより少し前に、島からマウー(真卯)がやって来ていて、道案内のためにサイムンタルーの船に乗り込んだ。
 マウーは伊是名島(いぢぃなじま)のナビーお婆の息子で、サハチの父が久高島(くだかじま)に連れて来ていた。サハチも伊是名島に行った時、会ってはいるのだが、あの時に集まった子供が多すぎて、マウーの記憶はなかった。今、島で若い修行者たちの指導的な立場にいるという。サハチより二つ年下の二十三歳だった。
 サイムンタルーはそのまま、浮島(那覇)に寄ってからヤマトゥに帰るという。米と武器を積み下ろして空いた船蔵に、明国(みんこく)(中国)の陶器をたっぷり積んで帰るらしい。サハチは三年後の再会を約束して、サイムンタルーの船を見送った。
 キラマの島々は遠くから見ていただけで、近くまで行った事がなかったサイムンタルーは、その景色の美しさに見とれて、琉球の素晴らしさを再認識していた。大きな鯨(くじら)が何頭も現れて、船の回りを悠々と泳いでいたのには驚いた。
 いくつもある島々の西の外れに、サグルー(先代佐敷按司)のいる島はあった。珊瑚礁に囲まれているので島に近づく事はできず、島の東側を南端まで進んだ。
 鬱蒼(うっそう)と樹木が生い茂って、険しい岩場が続いていたが、突然、眩しいほどに白い砂浜が現れた。その砂浜が続いている辺りに平らな草原が広がっていて、いくつも小屋が建っているのが見えた。砂浜では数人の女たちが、船に向かって手を振っている。砂浜の外れの岩場の手前で船を泊めると、島から小舟(さぶに)が次々と漕ぎ出して来た。
 小舟に乗ってサイムンタルーが上陸すると、この島で『師匠』と呼ばれているサグルーがやって来て、三年振りの再会を喜んだ。
「素晴らしい所ですね」とサイムンタルーは、東側に見える島々を眺めながらサグルーに言った。
 サイムンタルーはその美しさに感動していた。
「ヤマトゥで言えば『極楽』と言った所じゃろう」
「いいえ、極楽よりも素晴らしい。こんな綺麗な場所が、この世にあったなんて信じられませんよ」
「何もない所じゃが、のんびりしていってくれ」
 船に積んである大量の米と武器を小舟で何往復もして運び、島民総出で、その米と武器を蔵に運び入れた。
「これで当分、食糧に困らん。それに、武器を手にすれば、若い者たちもサムレーとしての自覚が持てるじゃろう。本当にありがとう」
 サグルーはサイムンタルーにお礼を言って、島を案内した。
 白い砂浜の先に広場があって、その広場を囲むようにクバ(ビロウ)の木で作られた小屋がいくつも建っていた。
 広場の正面にサグルーの小屋があり、小屋の前に『八幡大菩薩』と『三つ巴』の旗がそよ風になびいていた。サグルーの小屋の右隣には『サスカサ』の小屋があり、左隣には師範たちの小屋があった。
 修行者が多くなったので、サグルーとマニウシの二人だけでは間に合わなくなり、マニウシの長男のシラタル(四郎太郎)とマニウシの弟子のクダカジラー(久高次郎)、サグルーの従弟(いとこ)の伊是名島のマウーと伊平屋島(いひゃじま)にいる従弟(田名大主)の息子のヤジルー(弥次郎)が師範代となっていた。
 娘たちの武術指導はフカマヌルが当たっていた。サグルーは知らなかったが、サグルーが久高島を去ったあと、父親から指導を受けていたらしい。シラタル親方の娘だけあって、かなりの腕を持っていた。サグルーは妹の馬天ヌルを思い出して、二人が戦ったらいい勝負をするだろうと思った。
 修行者たちは男子がおよそ三百人、女子が百人いて、それぞれ十人づつが一つの小屋で暮らしていた。他に賄(まかな)いの女たちの小屋と大きな竈(かまど)のある小屋があり、海の近くには、久高島から移住して来たウミンチュ(漁師)たちの小屋もいくつかあった。
「木を切り倒して整地をすれば、まだまだ小屋は建てられる。一千人になっても大丈夫じゃろう」とサグルーはクバの森を見ながら言った。
 武術修行する道場は山の中にあって、修行者たちは毎日、道のない山の中を走り回っているという。
 その日の夕方、島の者たち全員が広場に集まり、サイムンタルーとクルシ(黒瀬)を迎えて、ささやかな宴(うたげ)が開かれた。
 四百人余りもいる全員に餅(むち)が配られ、十六歳以上の者には酒(さき)も配られた。餅はサイムンタルーの船が着いた時から、女たちが蒸して作ったものだった。酒はヒューガ(三好日向)が浮島から調達したもので、ヤマトゥの酒や明国の酒、南蛮(なんばん)(東南アジア)の酒など様々だった。サイムンタルーからもヤマトゥの酒が贈られた。
 サグルーが島の修行者たちに、サイムンタルーとクルシを倭寇(わこう)のお頭だと紹介した。
「お前たちが一人前のサムレーになったら、遥か南蛮の国に連れて行く。南蛮の者たちを倒して、わしらの手で新しい国を作るんじゃ。いいか、その日が来るまで、今以上に修行に励むのじゃ」
 修行者たちがワォーッと歓声を挙げた。
 サイムンタルーも、生き生きとした目をした若者たちを見回して、「修行に励んで、強くなれよ」と言った。
 また歓声が上がった。
 クルシは何も言わずに、手を振り上げただけだったが、それでも歓声が上がった。
「今晩はちょっと息抜きをして、夜の稽古は休みじゃ。みんな、好きに過ごしていいぞ。ただし、酒は飲み過ぎるなよ。明日はいつもの通りじゃ。寝坊した奴には罰があるから夜更かしはするな」
 サグルーがそう言うと、また歓声が上がり、およそ半数の者たちは引き上げて行った。残った者たちは酒を飲みながら語り合ったり、娘たちの所に行って口説いたりしていた。
 サグルーの小屋の前の草むらに腰を下ろして、月空の下の宴が始まった。サグルーとマニウシ、師範代たちも加わって、サイムンタルーとクルシを囲んだ。
「すっかり、村長(むらおさ)ですね」とサイムンタルーがサグルーに言った。
「この島に来てから、ようやく一年じゃ。まだまだこれからじゃよ」
「三年前に来た時は、この島の事は聞きませんでしたが、予定を変更したのですか」
「ここに来られたのも、ヒューガのお陰なんじゃよ。あの時、ヒューガが山賊になると言ってくれたお陰なんじゃ」
「食糧を調達するためですね」
「そうなんじゃ。山賊になって食糧を調達してくれた。それでうまく行くと思ったんじゃが、考えが甘かった。若い者たちが増えて、久高島の人たちと問題を起こしてしまった。久高島にそれ以上、若い者たちを増やすわけには行かなくなったんじゃよ。どこか、別の場所を探さなければならなくなった。そんな時、ヒューガが船を船乗りごと奪い取ってくれたんじゃ」
「船乗りごと奪い取るなんて、倭寇顔負けですね」とサイムンタルーはクルシと顔を見合わせて笑った。
「そうなんじゃよ」とサグルーも楽しそうに笑った。
「わしも船は欲しかった。費用は掛かるが、船大工に頼んで船を造ろうとも考えたんじゃ。それを敵から奪い取ってくれたんじゃから大助かりじゃ。あの時、サイムンタルー殿が、敵の食糧を奪い取ると言ってくれなかったら、今のようにうまく行かなかったじゃろう。改めて感謝する」
「いえ、そんな」とサイムンタルーは手を振った。
「しかし、こんな展開になるとは驚きました。それで、ヒューガ殿の船で、こちらに移動して来たというわけですね」
「そうなんじゃ。キラマに無人島がある事は知っていたが、実際にどんな島かは知らなかった。ヒューガの船に乗ってここに来て、ここなら大丈夫じゃと思い、ここに新しい村を造ったんじゃよ」
「ヒューガ殿は今、どちらへ?」
「若い者たちを連れて来るために、ヤンバル(琉球北部)の方に行っている。わしの親父が村々を回って、若い者たちを集め、それを船に乗せて連れて来るんじゃ」
「そうですか。今度来る時は若い者たちも一千人になりそうですね」
「三年後に一千人は無理じゃが、夢がだんだんと近づいて来るといった感じじゃ」
「いらっしゃい」とサスカサとフカマヌルが酒壺(さかつぼ)を持ってお酌をしに来た。
 二人ともヌルの格好ではなく、みんなと同じ野良着姿だった。それでも、やはり、常人とは違った神々しさが感じられた。
 サグルーがサスカサをサイムンタルーとクルシに紹介した。
「この前、久高島に行った時、神聖な森の中で修行を続けていた方ですね」
「はい。長い間、森の中でお祈りを続けて参りましたが、森から出る決心をいたしまして、こうして皆様のお力になっております」
 サイムンタルーもクルシもサスカサの神秘的な美しさに見とれていた。十年以上も森の中に籠もっていると聞いて、白髪の老婆だろうと思い込んでいたが、予想外にサスカサは若く、後光が射しているような神聖さが感じられた。まるで、神様のようだと二人は呆然としていた。
「あたしはフカマヌルを娘に譲って、隠居してここに来たのですよ」とフカマヌルは言った。
「ここではあたしは師匠の妻なんです」と言ってフカマヌルはサグルーを見て、嬉しそうに笑った。
「えっ?」とサイムンタルーは驚いた。
「実はフカマヌルの娘の父親は、わしなんじゃよ」とサグルーは照れくさそうに言った。
「つい最近まで、わしはその事をまったく知らなかったんじゃ」
「そうなのよ。あたしは一人であの娘(こ)を育てて来たの。その分の埋め合わせをしてもらおうと思ってね。押し掛けて来たのよ」
 サイムンタルーはサグルーとフカマヌルを見比べて、信じられないという風に首を振った。
 ウミンチュたちが捕り立ての魚を持って来て、宴に加わった。ウミンチュは七家族が久高島から移って来たという。
「わしもそろそろ引退して、こんな所に住んでみたいのう」とクルシがしみじみと言った。
「ちょっと待って下さい。まだ引退するには早すぎますよ」
 サイムンタルーが困ったような顔をして止めた。
「引退したら是非、来て下さい。歓迎しますよ」とサグルーは言った。
「大歓迎ですよ」と言ってフカマヌルはクルシにお酌をした。
 サイムンタルーたちは五日間、島でのんびりと過ごした。船乗りたちも交替で船を下りて、ウミンチュたちと一緒に海に潜ったり、遊女屋(じゅりぬやー)に顔を出したりして楽しく過ごしていた。
 サイムンタルーの船がキラマの島を去って、浮島に向かった頃から梅雨に入ったらしく、雨降りの日々が続いた。
 サハチは屋敷の縁側に座り込んで横笛を吹いていた。
 その横笛は、叔父のウミンターが持って来てくれた物だった。サイムンタルーの歓迎の宴で踊り子の舞を見たあと、馬天浜の蔵の中に楽器があったのを思い出し、探し出して、持って来てくれたのだった。ヤマトゥの楽器で、鼓(つづみ)が二つと横笛が三本あった。
 どうしたのかと聞くと叔父は知らなかった。祖父(サミガー大主)が昔に手に入れた物だろうという。サハチはお礼を言って受け取り、鼓と笛二本はウミチルに渡した。笛一本は自分で吹いてみようと手元に置き、時々、吹いていた。初めの頃は、マチルギにうるさいと文句を言われていたが、最近は何とか聞ける程度の腕になっていた。
 笛を口から離して雨を眺めながら、「今年の旅は中止だな」とサハチは振り返って、マチルギに言った。
「そうねえ」とチューマチをあやしながらマチルギは答えた。
「チューマチをほったらかして旅には行けないわね。キクも赤ん坊がいるし、ウミチルはお腹が大きくなってきたし。今年は無理よ」
「仕方ない。諦めるか。毎年の事だからな、梅雨になると梅雨明けの旅が待ち遠しくなるんだ。去年は楽しかったな」
「そうね。また、久高島に行って、海に潜りたいと思っていたんだけど、諦めるわ。ねえ、馬天ヌルの叔母さんは今頃、どこを旅してるのかしら?」
「もうすぐ四か月になるな。セーファウタキ(斎場御嶽)には一月余りもいたらしいから、まだ知念(ちにん)の辺りにいるんじゃないのか」
「あの辺りって、古くから開けていたんでしょ。きっと古いウタキ(御嶽)がいっぱいありそうね。神様もいっぱいいるでしょうから大変だわね」
「あの三人は目立つからな。あの辺りで有名になってるんじゃないのか。背の高いヌルがウタキを巡っているってな」
「そうね」とマチルギは楽しそうに笑った。
「クルーなんだけどね、ヤグルーが好きだったみたいよ」
「そうなのか。ヤグルーの好きだった娘はお嫁に行ったと聞いた事があるが」
「お嫁に行ったのはクルーのお友達でね、二人してヤグルーが好きだったんだけど、そのお友達は、ヤグルーが旅に出ているうちに、他の人を好きになってお嫁に行ったの。クルーはヤグルーが帰って来るのを待っていたんだけど、玉グスクのお姫様がヤグルーのお嫁さんになるって聞いて、もうお嫁には行かないって決めたんですって」
「ほう。ヤグルーは意外と持てるんだな」
「何を言ってるんです。按司の息子で、それなりに強ければ、持てるに決まっているでしょ」
「そうなのか。俺は持てなかったぞ」
 マチルギはサハチの顔をじっと見つめてから、「お父さん、あんな事を言っている。嘘つきねえ」とチューマチに言った。
「嘘なんかついてないよ」とサハチは言ったが、マチルギは信じなかった。
「お嫁に行かないで、侍女になっている娘の中に、あなたを好きな娘が何人いると思っているの?」
「えっ、そんな事は知らないよ」
「せめて、あなたの側にお仕えしたいという悲しい女心がわからないなんて、鈍感すぎるわよ」
 マチルギにそう言われても、サハチには心当たりもなかった。
 侍女たちが子供たちを連れて、どこかから帰って来た。急に屋敷が賑やかになった。
 サハチは侍女たちを改めて見ていたが、視線を感じて振り返ると、マチルギが睨んでいた。サハチは自分の部屋に退散した。
 今年の梅雨はいつもよりも早く開けた。
 五月の四日、豊見(とぅゆみ)グスクの下を流れる国場川(くくばがー)で、『ハーリー』と呼ばれる舟の競争が行なわれた。明国で毎年五月四日に行なわれる行事で、シタルー(豊見グスク按司)が明国を真似して催したのだという。中山王の舟と山南王の舟と浮島の久米村(くみむら)の舟の三艘が競争を行ない、見物人が溢れるほどの大盛況だったらしい。
 サハチはウニタキから次の日に知らされた。来年は是非、マチルギと一緒に見てみたいものだと思った。