長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

48.ハーリー(改訂決定稿)

 生憎(あいにく)の空模様だった。今にも雨が降りそうだった。今年はまだ、梅雨が明けていなかった。
 サハチ(佐敷按司)たちは恒例の旅に出ていた。いつもなら、梅雨が明けてから出て来るのだが、豊見(とぅゆみ)グスクで行なわれる『ハーリー』が見たくて早めに旅立った。一緒に来たのは、妹の佐敷ヌル(マシュー)とヤグルー夫婦だった。マサンルー夫婦は、妻のキクのお腹が大きくなっているので来られなかった。
 夜明け前に佐敷を出たのに、豊見グスクに着いた時には、すでに凄い人出だった。その人の多さに、佐敷ヌルもウミチルも口をポカンと開けたまま驚いていた。こんなに大勢の人を見たのは初めてなのだろう。二人ははぐれないように、必死になって、サハチとヤグルーの袖にしがみついていた。国場川(くくばがー)に沿って下流の方に行き、何とか川が見られる場所が確保できた。豊見グスクに行ってシタルーに頼めば、いい場所を確保してくれるだろうが、中山王(ちゅうざんおう)(武寧)や山南王(さんなんおう)(汪英紫)も来ているという。そんな場所に顔を出したくはなかったし、そんな場所に行けるような格好ではなかった。いつもの野良着姿だった。
 佐敷ヌルは楽しそうに笑っていた。まるで、子供の頃に戻ったかのように、はしゃいでいた。こんなにも喜ぶのなら、もっと早くから旅に連れてくればよかったとサハチは後悔していた。

 

 去年の暮れ、父(先代佐敷按司)も祖父(サミガー大主)も馬天(ばてぃん)ヌルも元気に帰って来た。
 父はキラマ(慶良間)の島は順調に行っていると満足そうに言った。妹のマカマドゥが知念(ちにん)に嫁ぐ事に決まった事を告げると、マカマドゥがもうお嫁に行く年頃になったのかと驚いたあと、知念なら妥当な所じゃろうと了解した。
 祖父はずっと北部にいたらしく、ヤンバル(山原)はのどかでいいと楽しそうに言った。
「南部と違って、回りを気にする心配はないし、子供たちも集めやすい。ただ、最初の頃は言葉が通じなくて参ったわい。同じ島なのに、言葉が違うなんて思ってもいなかった。伊平屋島(いひゃじま)も北部なのに、伊平屋島の言葉とも違うんじゃ。来年もヤンバルに行くぞ」と張り切っていた。
 集めた若者や女の子を運ぶために、ヤンバルとキラマを往復していたヒューガ(三好日向)は、親泊(うやどぅまい)(今泊)や運天泊(うんてぃんどぅまい)の穀物蔵を襲撃して食糧を奪い取っているらしいと祖父は言った。
 馬天ヌルは知念から玉グスクにかけてのウタキ(御嶽)を巡っていたという。あの辺りには霊験あらたかなウタキが数多くあって、色々な神様に会って来たと嬉しそうに言った。どんな神様かと聞いたら、大きいのや小さいのや、赤いのや黒いのや様々で、時には異国の言葉をしゃべる神様もいたと真面目な顔をして言った。ウタキの場所を教えてもらうために知念ヌル、垣花(かきぬはな)ヌル、玉グスクヌルのお世話になって、お陰で、みんなと仲よしになった。来年は糸数(いちかじ)、八重瀬(えーじ)、島尻大里(しまじりうふざとぅ)のウタキを巡るという。敵地じゃないかと言うと、神様に敵も味方もないのよとまったく気にしていなかった。
 年が明けて、マカマドゥが知念に嫁いで行った。マナミーの時と同じように、クマヌ(熊野大親)の先導で、マカマドゥと一緒に剣術の稽古をした娘が二人、侍女となって従って行った。無理に陽気な顔をしているマカマドゥに、幸せになれよとサハチは見送った。父は笑いながらも目に涙を溜めていた。
 マカマドゥの嫁入りを見送ると、祖父も父も馬天ヌルも旅立って行った。
 父は出掛ける時に、「うまくやれよ」とサハチに言って肩をたたいた。浦添(うらしい)の婚礼の事だった。
 三月になって、玉グスク按司の娘、ウミタル(思樽)が浦添の中山王の三男、イシムイ(石思)に嫁いで行った。糸数按司、垣花按司、知念按司、佐敷按司は玉グスク按司と一緒に、花嫁のお輿に従って浦添を目指した。
 中間地点の与那原(ゆなばる)で警固の兵が入れ替わり、各按司は十人の従者だけを連れて、浦添の兵に囲まれて浦添グスクに向かった。中山王に殺す気があれば、五人の按司を殺すのは簡単だとサハチは思った。しかし、それを実行に移せば、中山王に従う按司はいなくなってしまうだろう。
 無事に浦添グスクに到着して、婚礼の儀式は広い庭で行なわれた。王冠をかぶって明国(みんこく)(中国)の赤い着物を着た三人の王様と琉球中の按司が見守る中、荘厳な儀式が浦添のヌルたちによって執り行なわれた。天も二人を祝福するかのように、天候にも恵まれて素晴らしい婚礼だった。
 父やクマヌから、決して目立つなよと注意されていたが、あれだけ大勢の人がいたら目立つどころではなく、迷子にならないように、皆のあとを付いて行くのが精一杯だった。
 浦添グスクの中は思っていたよりもずっと広かった。大きな屋敷がいくつも建っていた。さすがに中山王のグスクだった。サハチは田舎者らしくキョロキョロしながら、「凄いなあ」と独り言を言っていた。一緒に行った東方(あがりかた)の按司たちは、サハチが何を言っても誰も相手にしてくれなかった。特に糸数按司はいつも怒ったような顔をしていた。未だに、今帰仁合戦(なきじんかっせん)の時に島添大里(しましいうふざとぅ)グスク攻めに加わらなかった事を根に持っているようだった。
 婚礼の儀式のあとにお祝いの宴(うたげ)が開かれ、三十人余りの按司たちが向かい合って並んだ。主役の玉グスク按司を除いた知念、垣花、糸数、佐敷の按司たちは末席に座らされた。サハチは一番隅の席で小さくなって座っていた。
 宴もたけなわとなって、按司たちは席を離れて馴染みの按司たちと杯を交わしていたが、南部東方の按司たちの所だけが孤立した状況となっていた。
 サハチは一応、伊波按司(いーふぁあじ)と山田按司の所に行って挨拶をした。豊見(とぅゆみ)グスク按司のシタルーが、いつものように馴れ馴れしく声を掛けて来ないかと心配した。しかし、シタルーの回りには何人も按司が集まっていて、サハチに気付かなかったのでホッとした。なぜか、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)の姿が見えなかったのは幸いだった。
 サハチたちは長居はせずに、さっさと引き上げて来た。
 帰って来てから、ウニタキに宇座の御隠居の事を聞くと、中山王と喧嘩をしていて婚礼は欠席したらしいという。喧嘩の原因は、父の察度(さとぅ)がいなくなった開放気分で度々、宴を催して騒いでいた中山王を御隠居がいさめた事らしい。察度が亡くなった時、武寧(ぶねい)は四十歳になっていた。それまでずっと、父の目を気にしながら生きて来た反動から、少し羽目をはずしたようだった。去年の中秋の宴の時、御隠居に向かって、もう年寄りの時代は終わった。おとなしく隠居していろと言ったらしい。御隠居は怒って、勝手にしろと言って出て行き、それ以来、浦添には近づいていないという。
 浦添の婚礼のあとも何事もなく過ぎた。
 五月になって、サハチは去年は中止となった恒例の旅に出たのだった。
 今年で二回目の『ハーリー』は天気が悪いのにも関わらず、凄い人気だった。龍(りゅう)の形を模した細長い船で、豊見グスクの下を流れる国場川から浮島(那覇)を回って、泊(とぅまい)の港まで競争するのだが、それを見るために、これ程の人が集まるとは驚きだった。ハーリーを始めた事によって、豊見グスク按司の名は一躍、有名になっていた。
 正午(ひる)頃、豊見グスクの方で鉦(かね)や太鼓や法螺貝(ほらがい)の音が響き渡って、しばらくして、サハチたちの目の前の川に、四艘の船がやって来た。青、赤、黄色、緑の船で、どれがどれだかわからないが、中山王、山南王、久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)、若狭町(わかさまち)のヤマトゥンチュ(日本人)の舟だという。
 青い舟が先頭になったまま、奥武島(おーぬしま)の先まで行ってしまって見えなくなった。去年は三艘だったが、今年から若狭町が加わったらしい。舟と一緒に移動する見物人も数多くいて、上流の方を見ると見物人たちもまばらになっていた。
「楽しみにしていた『ハーリー』は見たし、次はどこに行く?」とサハチは佐敷ヌルに聞いた。
「そうねえ」と言って少し考えてから、「やっぱり」と言ってサハチを見た。
 浮島に行ってから首里天閣(すいてぃんかく)だろうと思ったが違った。佐敷ヌルは、「久高島(くだかじま)に行ってみたい」と言った。
「それ、賛成」とウミチルが嬉しそうに言って、マチルギも賛成した。
 久高島に行くには逆戻りしなければならなかった。今から行っても久高島には渡れそうもない。結局、佐敷に戻って、明日また出直す事になった。途中で雨に降られて、びっしょりになって佐敷に着いた。雨に濡れるのも楽しいらしく、佐敷ヌルは始終、笑っていた。
 次の日はいい天気だった、梅雨も上がったようだった。
 久高島にはフカマヌルもマニウシもいなかった。修行者たちと一緒にキラマの島に行ったという。フカマヌルの娘のウミチルが『フカマヌル』を継いでいた。
 佐敷ヌルは馬天ヌルから聞いて、フカマヌルが腹違いの姉である事を知っていて、素直にお姉さんと呼んでいた。佐敷ヌルは姉に連れられてフボーヌムイ(フボー御嶽)に向かった。馬天ヌルが修行した場所を見てみたいようだった。フカマヌルがヤグルーの妻のウミチルも連れて行くかと思ったが、連れて行かなかった。
 マチルギとウミチルは、二年前と同じように海に潜って遊んでいた。サハチとヤグルーも静かな島でのんびりと過ごした。
 佐敷ヌルは帰って来なかった。フカマヌルが一人で帰って来て、今晩はフボーヌムイに籠もるという。
 嫌な予感がした。馬天ヌルのように半年間も籠もってしまうのではないだろうか。しかし、あの時とは状況が違う。『サスカサ』はいなかった。明日には帰って来るだろうと思い、サハチたちはマニウシの屋敷にお世話になった。
 二人の息子も父親と一緒にキラマに行ってしまい、屋敷にはマニウシの奥さんと十六歳になる末娘のマカミーしかいなかった。マニウシさんは時々、帰って来るのですかと聞くと、年末年始にはみんなと一緒に帰って来るという。
 寂しいですねとマチルギが言うと、奥さんは首を振って、「あの人も張り切っています。何をやっているのか、わたしにはよくわかりませんが、サスカサさんも姉さん(フカマヌル)も一緒にいますので心配はありません」と言って笑った。
 サハチは心の中で、あと四年、我慢して下さいとお願いした。
 佐敷ヌルは三日間、フボーヌムイに籠もっていた。帰って来た時にはフラフラしていて、すぐに休んだ。翌日、目覚めた佐敷ヌルは元気になっていたが、フボーヌムイで何が起こったのか思い出せないようだった。三日間も籠もっていた事さえ覚えていない。一晩過ごしただけだと思っていたようだ。フカマヌルが毎朝、食事を持って行ったが、佐敷ヌルはお祈りをしていて、声を掛けても返事はなかったという。
 その日、佐敷ヌルはマチルギたちと一緒に海で遊んだ。佐敷ヌルは子供の頃、サハチと一緒に海に潜って遊んでいた。恥ずかしいと思ったのか、いつしか海に入らなくなっていた。十数年振りに海に入った佐敷ヌルは、完全に子供の頃に戻っていた。
 旅から帰って来てから佐敷ヌルは変わって行った。馬天ヌルと同じように、ヌルはこうあらねばならないという形から抜け出したようだった。
 子供の頃からヌルになるために育てられた佐敷ヌルは、何をするにも、ヌルとしてふさわしいかと考えなから行動していた。ヌルは人々から尊敬されなければならない。尊敬されるためには、あれをしてはいけない、これをしてはいけないと自分を戒めながら生きてきた。それがヌルなんだと信じていた。叔母の馬天ヌルは自由気ままに生きているが、自分はまだその境地に達してはいない。今のままでいいのだと思っていた。
 久高島から帰って来てから肩の力が抜けたというか、以前よりは少し楽に生きられるようになっていた。剣術の稽古をしている娘たちにも、村の人たちにも気軽に話しかけるようになって行った。馬天ヌルが旅に出てから、独りぼっちになって寂しいと思う事も何度かあったが、最近ではそんな事を思う事はなくなり、佐敷ヌルの屋敷から娘たちの笑い声がいつも聞こえて来ていた。
 佐敷ヌルはフボーヌムイでの三日間の事を旅から帰って来てから思い出した。神様から延々と琉球の歴史を教えられたという。どうして、そんな古い話を自分にするのかわからなかったが、佐敷ヌルは素直に話を聞いていた。
 久高島に天から降りて来た『アマミキヨ』と『シネリキヨ』の神様は、人間となって島で暮らして子孫を増やした。その子孫たちは大島(うふしま)(沖縄本島)に渡って、玉グスクの周辺に住み着いて栄えて行った。その後、子孫たちは大島の各地に散って繁栄し、海を渡って北へと行く者も現れて来た。北へと向かった者たちは奄美を通ってヤマトゥ(日本)まで行き、九州を中心に栄えて行った。その子孫たちの事を『天孫氏(てぃんすんし)』という。
 やがて、『按司』と呼ばれる首長が各地に出現して、グスクを築いて村々を支配した。時は流れ、ヤマトゥから刀を持ったサムレーたちがやって来た。刀を持ったサムレーたちは今帰仁(なきじん)にグスクを築いて村々を支配し、また別のサムレーは島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の娘婿になって、『舜天(しゅんてぃん)』を産んだ。舜天は浦添にグスクを築いて浦添按司となった。
 ヤマトゥ系の舜天の子孫は舜馬(しゅんば)、義本(ぎふん)と三代続いた。義本の時、『英祖(えいそ)』という英雄が現れて、義本は英祖に滅ぼされた。
 英祖は天孫氏の末裔(まつえい)だった。浦添按司となった英祖の子孫は大成(たいせい)、英慈(えいじ)、玉城(たまぐすく)、西威(せいい)と五代続くが、察度に滅ぼされた。察度はヤマトゥ系で、今の武寧はヤマトゥだけでなく、高麗(こーれー)(朝鮮半島)の血も混じっている。武寧を倒して、天孫氏が王様にならなければならないと神様は言ったという。
「俺は『天孫氏』なのか」とサハチが聞くと佐敷ヌルはうなづいた。
伊平屋島(いひゃじま)にはヤマトゥ系もいるんだけど、あたしたちの曽祖母の『我喜屋(がんじゃ)ヌル』は天孫氏だって神様は言いました。曽祖父は英祖の曽孫(ひまご)に当たるらしいわ」
「そうか」とサハチは少し考えてから、「伊波按司今帰仁だからヤマトゥ系だろう」と聞くと、
「違うみたい」と佐敷ヌルは言った。
今帰仁はヤマトゥ系だったんだけど、英祖の時に倒されて、英祖の息子が今帰仁按司になったみたい。その後、ヤマトゥ系の家臣に奪われたんだけど、また奪い返したの。でも、今の今帰仁按司はヤマトゥ系らしいわ」
「勝連もヤマトゥ系なのか」
「勝連は英祖の弟がグスクを築いて按司を名乗ったみたい。永良部島(いらぶじま)の按司も英祖の弟で、中グスク按司や北谷按司(ちゃたんあじ)は英祖の子供たちらしいわ」
「すると、『英祖』という人は凄い人だったんだな」
「そうみたい。『琉球を統一』したようだけど、四代目の玉城の時から世の中が乱れて来て、みんな、バラバラになっちゃったみたい」
「すると、今の三人の王様のうち、天孫氏は山南王だけで、中山王も山北王(さんほくおう)(攀安知)もヤマトゥ系なんだな」
「そうね。三人の王様が皆、『天孫氏』になる事を神様は望んでいるみたいね」
「そうなのか。でも、どうして、神様はそんな事をお前に告げたんだろう」
「それはお兄さんが『琉球を統一』するのをあたしが助けるためでしょう」と佐敷ヌルは当然の事のように言った。
 サハチは驚いて、佐敷ヌルの顔をじっと見つめた。佐敷ヌルは勿論の事、馬天ヌルにも『十年の計』は話していなかった。
「お前、知っていたのか」と聞くと、「何を?」と佐敷ヌルは聞いた。
「俺が琉球を統一しようとしている事を」
 佐敷ヌルは目を丸くして、サハチを見つめながらうなづいた。
「何となくはわかっていたわ。お父さんもお祖父(じい)さんも、お兄さんのために何かをやっているって。そして、馬天ヌルの叔母さんも。でも、はっきりとわかったのは、神様から琉球の歴史を告げられて、その意味がはっきりとわかった時よ。あたし、毎朝、『ツキシルの石』にお祈りしているんだけど、その石がピカッと光って、それで何もかもわかったの」
「お前、あの石が光るのを見たのか」
「馬天ヌルの叔母さんからあの石が光ったって聞いていたけど、あたし、初めて見たわ」
「そうか。お前も見たのか‥‥‥俺はまだ見ていないんだ」
「そうなの?」と佐敷ヌルは不思議そうな顔をした。
「親父が見て、志喜屋の大主(しちゃぬうふぬし)様が見て、マチルギが見て、馬天ヌルの叔母さんが見て、そして、お前が見た。あの石は五度、光った事になる」
「えっ、お姉さんも見たんだ」
「佐敷に来て、お袋に呼ばれて一の曲輪(くるわ)に登った時に光ったらしい」
「お姉さんはやはり、ここに来るべき人だったのね」
 佐敷ヌルは何もかも納得したというように何度もうなづいていた。サハチは佐敷ヌルを見ながら、お前も見たのかとうなづいていた。
「その事だけど、お前に隠しておくつもりはなかったんだ」とサハチは佐敷ヌルに言った。
「でも、敵に知られないように、内密に事を運ばなければならなかった。この事を知っているのは、親父とお爺とクマヌと師匠(ヒューガ)、苗代(なーしる)の叔父さんとウニタキ、久高島のフカマヌルとマニウシだけだ。馬天ヌルの叔母さんにも話していない。お前と同じように気づいているようだけどな。親父と一緒に旅をしたマサンルーもお爺と一緒に旅をしたヤグルーも知らない。二人にはサイムンタルー(早田左衛門太郎)殿に頼まれて、若者たちを集めていると言ってあるんだ」
「わかっているわよ」と佐敷ヌルは真剣な顔をして言った。
 サハチは佐敷ヌルに『十年の計』を打ち明け、協力してくれるように頼んだ。
 六月になって、ウニタキから知らせが入った。サハチは裏山のウニタキの屋敷に向かった。
 ウニタキは三歳になる娘、ミヨンと庭で遊んでいた。察度が亡くなった年の暮れに生まれた子だった。母親に似て可愛い娘で、娘が生まれてからは、ウニタキも家にいる事が多くなっていた。妻のチルーのお腹は少し大きくなっていて、もうすぐ二人目が生まれそうだった。
 ウニタキはミヨンを母親の所に行かせるとサハチを木陰に呼んだ。木陰には切り株で造った腰掛けがあって、サハチとウニタキはそれに腰掛けた。
「八重瀬按司(えーじあじ)が奇妙な動きをしている」とウニタキが空を見上げながら言った。
「八重瀬按司というと山南王の長男のタブチだな」
 サハチはタブチの事はあまりよく知らなかった。戦好きの武将で、今帰仁合戦の時に大活躍したという噂は聞いている。それと、弟のシタルーが父親に頼りにされているのを不満に思っているようだと、かなり前に、クマヌから聞いた事があったが、そんな程度で、どんな顔をしているのかも知らなかった。
「八重瀬按司が糸数按司(いちかじあじ)に使者を送った。糸数按司の娘を長男の嫁に欲しいらしい」
「何だって!」とサハチは驚いてウニタキを見た。
 ウニタキの言った事は信じられなかった。
「八重瀬按司と糸数按司は敵(かたき)同士じゃないか。そんな事ができるわけがない」
「最近はそういう事が流行(はや)っているようだ」とウニタキは皮肉っぽく笑った。
「玉グスクの娘が浦添に嫁いだからな」
「それは仕方なくだろう。断れば潰されるからな。勿論、糸数按司は断ったんだろうな」
「いや、即答はしなかった。敵の腹の内を探っているようだ」
「探るも何も、糸数按司にとって八重瀬按司は敵(かたき)だろう」
「八重瀬按司は山南王になれた暁(あかつき)には、島添大里グスクを糸数按司にくれてやると言ったらしい」
「何だって!」
 またもや、ウニタキは信じられない事を言った。
「八重瀬按司は弟の豊見グスク按司に、山南王の跡継ぎの座を奪われると思っている」
「当然だろうな。明国に留学させているくらいだから跡継ぎはシタルーだろう」
「それが長男として我慢できんのだろう」
「シタルーと戦うつもりなのか」
「多分な。山南王は今年、六十になった。相変わらず、達者のようだが、あと十年といった所だ。今のうちから弟を倒す策を練っているのだろう」
「シタルーは中山王の義弟だぞ。中山王が後押しするだろう」
「だから、八重瀬按司としては東方(あがりかた)の按司を味方に付けたいんだろう」
「糸数だけでなく、東方すべての按司をか」
「そのうち、佐敷にも使者が来るかもしれんな」
「娘を嫁によこせとか」
「逆かもしれんが、糸数と手を結ぶのは手始めだろう」
「もし、東方が皆、八重瀬按司に付いたとして、シタルーに勝てるのだろうか」
「先手必勝だな」とウニタキは言った。
「山南王の兵力は今、五百はいるだろう。その兵力を押さえた方が勝つ。その時、八重瀬按司は後難の憂いを立つために、東方を味方にしようとしているんだ」
「そうか。島尻大里を押さえても、本拠地の八重瀬を東方に攻められると思ったんだな」
「そういう事だ。八重瀬按司は今年の四月、娘を米須(くみし)の若按司に嫁がせている」
「米須按司といえば中山王の弟だな」
「そうだ。八重瀬按司はその日のための準備を着実に始めているんだ」
「八重瀬按司の動きに、父親の山南王はどう思っているんだ?」
「山南王はずっと、八重瀬按司が糸数を攻めるのを押さえて来ていた。八重瀬按司が戦をやめて、糸数と結ぼうと言い出した事を喜んでいるようだ」
「そうだろうな。島添大里のヤフスはどっちに付くのかわかるか」
「多分、豊見グスクだろうな。シタルーは度々、島添大里に行ってヤフスと会っているが、八重瀬按司は島添大里には滅多に行かない」
「そうか‥‥‥とにかく、山南王が亡くなった時に、跡目争いが起こるという事は確実だな」
「それは間違いないだろう」
 次の日、糸数按司から使者が来た。重要な事を相談したいので至急、糸数グスクまで来てくれと言う。八重瀬按司との婚礼の事だと思ったが、サハチは何も知らない振りをした。しかし、その事でわざわざ呼ばれるとは思ってもいなかった。
 サハチはクマヌとウニタキにその事を告げ、二人の従者を連れて糸数グスクに向かった。
 サハチは初めて糸数グスクに入った。大御門(うふうじょう)(正門)から中に入ると、石垣に囲まれたその中は羨ましいほどに広かった。中央辺りに大きな屋敷があって、その屋敷の周辺に、いくつも屋敷が建っていた。サハチたちは馬を預けると、大御門の所に待機していたサムレーに連れられて、二人の従者は従者が待つべき所に案内され、サハチは糸数按司が待つ屋敷に案内された。
 その屋敷は庭よりも高い位置に建てられていて、屋敷の回廊からの眺めは最高だった。遠くの海まで見渡せた。
 すでに、玉グスク按司と垣花按司が来ていて、糸数按司と話し込んでいた。
 サハチが顔を出すと、「佐敷殿、御苦労じゃった」と糸数按司が言った。
 糸数按司の顔つきが違っていた。いつも怒ったような顔をしていたのに、今日は愛想笑いを浮かべていた。
「一体、何事でしょうか」とサハチは聞いた。
「その事は皆が揃ったら話す。それよりも、わしはそなたを誤解していたようじゃ。今帰仁合戦の時、そなたは島添大里を攻めるのを断って来た。わしは密かに島添大里と通じているに違いないと思っていた。しかし、前回の浦添の婚礼の時、そなたはそんな素振(そぶ)りは見せなかった。その時の婚礼の前にも、こうして集まったのだが、わしはそなたは信用できんと言って、呼ぶなと言ったんじゃ。疑ってすまなかったのう。今回はそなたも仲間として呼んだというわけじゃ」
 そう言って糸数按司は陽気に笑った。玉グスク按司と垣花按司もよかったのうというように笑っていた。
「佐敷グスクは小さなグスクです。あの時はグスクを守るのが必死で、とても敵を攻める状態ではありませんでした」とサハチは言った。
 糸数按司はわかっているというようにうなづいた。
「島添大里の膝元で、あのグスクを守って行くのは大変じゃろう。普通なら、すでに滅ぼされているはずじゃ。それを二十年近くも持ちこたえているのは、それなりに大したもんじゃと言えるじゃろう」
 やがて、知念按司も到着して全員が揃い、糸数按司は本題に入った。やはり、八重瀬按司(タブチ)との婚礼の事だった。
 皆、驚いて糸数按司の顔を見つめていた。サハチも驚いた振りをした。
「そんな事、信じられん」と知念按司が渋い顔をして言った。
「八重瀬按司は敵(かたき)じゃ。亡くなった大(うふ)グスク按司の敵じゃ」
 知念按司の妻は大グスク按司の妹だった。
「そんな事はわかっておる」と糸数按司は言った。
「わしの親父は奴らに殺されておるんじゃ。当然、わしも断るつもりじゃった。しかし、八重瀬按司は先の事を話した。山南王が亡くなった時の事じゃ」
「山南王の死と今回の婚礼がどう結び付くんじゃ?」と垣花按司がわけがわからんといった顔付きで糸数按司に聞いた。
 垣花按司の妻は糸数按司の妹だった。サハチを除いて皆、四十代の年齢で、玉グスク按司が一番の年長だった。
「八重瀬按司は山南王の長男じゃ。跡を継ぐのが当然の事じゃが、山南王は弟の豊見グスク按司(シタルー)を可愛がって、弟に家督を譲ろうとしているらしい。そこで、八重瀬按司は山南王の跡を継ぐために、わしらに味方になってほしいと言うんじゃ」
「そんな虫のいい事をよく言うわ」と垣花按司が鼻で笑った。
「山南王の家督など、わしらに関係ないわ」
「そうとも言えん」と糸数按司は真面目な顔で言った。
「豊見グスク按司が山南王になると多分、今のままの状況が続くじゃろう。滅ぼされる事はないにしろ、島尻大里(しまじりうふざとぅ)は益々発展して行き、東方(あがりかた)は寂れる一方じゃ。八重瀬按司が山南王になれば、山南王の交易の分け前をいただく事ができる。それに、八重瀬按司が山南王になった暁には、島添大里グスクをわしらにくれると約束した」
「島添大里グスクをくれると言うのか」と知念按司が驚いた顔をして聞いた。
「確かにそう言った」
「島添大里グスクをくれるという事は大グスクもじゃな?」
「当然じゃ。大グスクは島添大里の出城じゃからな」
「うーむ」と言って皆が唸った。
 サハチは話を聞いているだけで何も言わなかった。最年長の玉グスク按司も不気味に黙ったまま何も言わなかった。
「そんな約束が信じられるのか」と垣花按司が聞いた。
「八重瀬按司だった頃の山南王は、港が欲しくて島添大里グスクを奪い取った。しかし、今は糸満(いちまん)の港もあるし、豊見グスクの国場川もある。山南王にとって、島添大里グスクはそれ程、必要ではないんじゃよ。現に島添大里按司になっている三男のヤフスは、ただ城を守っているというだけで、与那原の港で交易をしているわけではない。いつまでも敵討ちなどと言っていないで、わしらも先の事をよく考えて動かなくてはならん。玉グスク殿のお考えを聞かせて下さらんか」
 玉グスク按司は腕を組んで考えていたが皆の顔を見ると、「わしの娘は浦添に嫁いだ」と言った。
「あの時は断る事はできなかった。その結果、浦添と玉グスクは同盟を結ぶ事となった。形はそうじゃが、前回の婚礼にわしらは皆、出席した。その事で、中山王は東方の按司すべてが同盟したと思っている。もし、山南王の跡目争いに中山王が介入して来た場合、わしらは手を引かなければならない。中山王は豊見グスク按司を支持するじゃろう。義弟じゃからな。中山王が介入して来れば、八重瀬按司に勝ち目はない。勝ち目のない者の味方をしていいかどうかじゃな」
 玉グスク按司はシタルーが中山王の義弟だと言ったが、中山王の妻は山南王の娘なので、タブチもシタルーも二人とも義弟だった。ただ、シタルーの妻は中山王の妹なので、シタルーの方が縁が強いと言えた。
「玉グスク殿は八重瀬との婚礼には反対という事じゃな?」と糸数按司が少し声を荒らげて聞いた。
「いや、反対はしておらん。跡目は長男が継ぐのが筋じゃろう。中山王としても、いくら義弟とはいえ、筋が通らん事を押し通す事はできん。そんな事は世間が許さんじゃろう。中山王が介入しなければ、八重瀬按司が山南王になる事はできる」
「それじゃあ、賛成なのか」と糸数按司は玉グスク按司に聞いた。それには答えずに玉グスク按司は話を続けた。
「それと、島添大里グスクの事じゃが、三男がどっちに付くかが問題じゃ。八重瀬に付けば、問題なく島添大里グスクをもらう事はできるじゃろうが、豊見グスクに付けば、八重瀬按司がくれると言っても、攻め取らなくてはなるまい」
「もし、攻め取ったとして、島添大里グスクは誰のものになるんじゃ?」と垣花按司が聞いた。
 誰も答えなかった。
「それはやはり、島添大里按司を討ち取った者じゃろう」と糸数按司が皆の顔を見回しながら言った。
「八重瀬按司が明け渡してくれた時は?」と知念按司が聞いた。
「その時はあれだ、それ以前の戦で一番活躍した者じゃろう」と糸数按司は言った。
「今の状況のままでは島添大里を落とす事は不可能じゃ」と玉グスク按司は言った。
「八重瀬按司と手を結べば、手に入れる事ができるかもしれん」
「玉グスク殿は賛成という事でいいんじゃな?」
 玉グスク按司は静かにうなづいた。
 他の者たちも異存はないという事で、八重瀬按司の申し出を受ける事に決定した。