長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

52.不思議な唐人(改訂決定稿)

 シンゴ(早田新五郎)の船がキラマ(慶良間)を回って浮島(那覇)に入った頃、明国(みんこく)(中国)から来た密貿易船に乗って、琉球に逃げて来た唐人(とーんちゅ)がいた。
 科挙(かきょ)に合格して宮廷に仕えていた秀才だったが、洪武帝(こうぶてい)が亡くなったあとの政変に巻き込まれ、命を狙われて宮廷から逃げ出した。世を儚(はかな)んで道士(どうし)となり、山奥に籠もって厳しい修行を積んでいた。宮廷との縁が切れて安全だと思っていたのに、執拗な追っ手が迫って来た。身の危険を感じて、妻と二人の子供を連れて琉球に逃げて来たのだった。その唐人は家族と共に久米村(くみむら)に落ち着いた。
 梅雨が明けて、サハチ(佐敷按司)たちは恒例の旅に出た。今回の連れはマタルー夫婦と佐敷ヌル(マシュー)だった。
 佐敷ヌルと旅をするのは今回が三度目で、佐敷ヌルはサハチたちと同じように、梅雨明け間近になると浮き浮きして、旅に出るのを楽しみにしていた。
 マタルーの嫁のマカミーはウミチルほど世間知らずのお姫様ではなかった。按司の娘といっても、村の娘たちとも一緒に遊んでいて、馬にも乗れるし、弓矢と剣術の腕も大したものだった。祖父(山南王)がいる島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクは何度か行った事があるが、噂に聞く浮島は行った事がなかった。浮島と中山王(ちゅうざんおう)(武寧)がいる浦添(うらしい)に行ってみたいと言った。浮島には去年も行ったが、マカミーの願いを聞いて、浮島に行く事になった。
 マカミーの生まれ故郷(じま)の八重瀬(えーじ)グスクを左に見ながら島尻大里へ向かった。親に会って行くかとサハチが聞くとマカミーは首を振った。
「まだ帰るには早すぎます。それに、こんな格好で帰ったら誤解されますから」
「確かにな」とサハチたちは笑った。
 いつものように、野良着姿に棒を杖代わりにした旅だった。
 密貿易の影響か、島尻大里の城下は去年よりも賑やかだった。山のような荷物を積んだ荷車が行き来していて、唐人たちの姿もあった。山南王(さんなんおう)(汪英紫)もすっかり、猛将から豪商に変身したようだ。
 島尻大里のグスクに来た事はあっても、城下を自由に歩き回るのは初めてだったマカミーは、楽しそうに市場を見て回った。そんなマカミーを見ながらマタルーも嬉しそうだった。
 マタルーはお嫁さんが敵の娘だと聞いて、どう接していいのか迷っていた。サハチはお嫁に来たからには佐敷の娘だと思え、生涯、連れ添う相手だと思って大切にしろと言った。それでも、まだ迷っていたようだったが、マカミーの方は佐敷を敵だとは思っていなかったので、マタルーも心を許せるようになって行った。マカミーは母親から、先代の佐敷按司は、わたしの従兄(いとこ)だから安心してお嫁に行きなさいと言われたという。
 城下にある『よろずや』も開店してから七年が経って、店構えは相変わらずみすぼらしいが、商品は山のようにあって、何でもあるので、結構、流行(はや)っているようだった。忙しそうに働いている娘は、サハチは知らないが、ウニタキの配下の者に違いない。
 浮島も去年と同じように、各地から来た様々な船がいくつも泊まっていて、大勢の人が行き交っていた。その船の多さと人の多さに、マタルーとマカミーは目を丸くして驚いていた。マタルーは祖父と一緒に二年間、旅をしたが、北部ばかりを回っていたので、浮島に来たのは初めてだった。
 シンゴの船も泊まっているのが見えた。ハリマ(播磨)の宿屋にいるかもしれないと思ったがいなかった。ハリマの宿屋はお客でいっぱいだった。
 サハチたちは『よろずや』に向かった。浮島にできた『よろずや』は若狭町(わかさまち)と久米村の丁度中間辺りにあった。大通りに面した所には空き地も空き家もなく、少し奥まった所に、新しく建てたのだった。新築のわりには、掘っ立て小屋のような粗末な店だが、野宿するよりはましだった。ウニタキの配下のサージが主人で、同じく配下のイチャとチマとナツの三人の娘が売り子として働いていた。
 サハチたちは『よろずや』の裏にある小屋に荷物を置いて久米村に向かった。
 久米村には食事をする店があるので、そこに入って唐人料理を食べた。お客のほとんどが唐人で、わけのわからない言葉が飛び交っていた。
 マカミーは目をキョロキョロさせながら、「凄いわね。明の国に来たみたい」と言って笑った。
 マタルーは料理を運んでいる女を見て、「女の唐人もいるんですね」と不思議そうに言った。
 男の唐人は時々、馬天浜(ばてぃんはま)のウミンター叔父の離れで見る事はあっても、女の唐人は久米村にしかいなかった。
「ここには進貢船(しんくんしん)に乗っている船乗りや通事(つうじ)、明国の皇帝に送る文書を書いたりする役人たちの家族が住んでいるんだ。家族と一緒に下働きの女も住んでいる」とサハチは説明した。
 突然、誰かが大声を出した。
 声のした方を見ると三人の唐人が、一人の唐人に文句を言っているようだった。三人の男が、座っている男にしきりに何かを言っているが、座っている男は何も言わずに三人を見ていた。
「喧嘩かしら?」と佐敷ヌルが振り返った。
「そうらしいな」とサハチは言った。
 三人の男は見るからに、ならず者といった感じだが、座っている男は恐れる様子はまったくなかった。年の頃は三十前後か、涼しい顔して座っている。サハチが見た所、かなり腕が立つように思えた。詳しい事は知らないが、明国にも独特の武術があるという。
 三人のならず者の一人が怒鳴りながら、座っている男の胸ぐらをつかんで立たせた。立ち上がるとかなり背が高かった。ならず者が殴ろうとしたのだが、なぜか、殴ろうとした男が吹き飛ばされたように後ろに飛んで、尻餅をついた。残った二人が殴りかかろうとしたが、その二人も吹き飛ばされたように後ろに倒れて、他の客にぶつかった。
 サハチには何がどうなったのか、わからなかった。背の高い男は三人に手を触れてもいない。それなのに三人は吹き飛ばされたように倒れた。
 起き上がったならず者たちが再び、掛かって行った。背の高い男がならず者たちに、手のひらを向けて押すようにしただけで、ならず者たちは倒れ込んだ。ならず者たちは何事かをわめいて逃げて行った。お客たちが、ならず者たちを倒した男を褒め称えているようだった。背の高い男は軽く頭を下げて、銭を置くと店から出て行った。
「何だ、あれは?」とマタルーが驚いた顔してサハチに聞いた。
 サハチは首を傾げた。
「明国の武術かもしれないな」
「凄いわね」とマチルギも感心していた。
「ほんと、凄いよ。手のひらだけで、触れもしないで相手を倒した」
 マタルーはそう言って、自分の手のひらを見ていた。
「確かに凄い。豊見(とぅゆみ)グスクのシタルーが言っていたけど、明国には俺たちが知らない不思議な事が色々あるという。きっと、あの術もそうなんだろう」
 旅から帰って、その事をクマヌ(熊野大親)に聞いてみると、「以前、ハリマから聞いた事がある」と言って説明してくれた。
「明国には古くから『道教(どうきょう)』という教えがあって、仏教でいうお坊さんに当たるのが『道士(どうし)』と呼ばれている。道士は山伏(やまぶし)のように山の中で厳しい修行を積んで、天地自然と一体化するんじゃ。そうすると風を呼んだり、雨を降らせたり、雷を轟かせたりできるようになるという。按司様(あじぬめー)が会った道士は風を呼んで、ならず者たちを倒したんじゃろう」
「道士というのか‥‥‥山伏にもそういう術はあるのか」
「山伏も祈祷(きとう)をして雨を降らせる事はあるが、祈祷もせずに風を呼んだりはできんな。特別な修行を積むんじゃろうな」
 サハチは『道士』という者に興味を持った。もう一度、会ってみたいと思ったが、会っても言葉が通じないのではどうしようもなかった。サハチは諦めた。
 年末に祖父(サミガー大主)と苗代大親(なーしるうふや)の次男、サンダーが旅から帰って来た。
「最後の旅も終わったわい」と祖父は背中を伸ばしながら言った。
「えっ、最後なんですか」とサハチは聞いた。
 あと一年あるはずだった。
「わしは大丈夫じゃと言ったんじゃがのう、ヒューガ(三好日向)が心配してサグルー(先代佐敷按司)に言ったらしい。それで、来年はヒューガに任せる事になったんじゃ。ヒューガの配下の者が頭を丸めて『東行(とうぎょう)法師』になるようじゃ」
「そうだったのですか。長い間、どうも、御苦労様でした」
 祖父は笑って、「実に長かったが、楽しい旅じゃったよ」と満足そうに言った。
「色々な人たちと出会えたからのう。人生というのは人との出会いじゃよ。わしは伊是名島(いぢぃなじま)を追い出された時、旅をしようと思っていたんじゃ。しかし、佐敷に落ち着いて嫁をもらい、子ができて、孫ができて、旅などできなかった。それが隠居してから思う存分に旅をした。もう思い残す事は何もないわ」
「もう一つやり残した事があるでしょう?」とサハチは笑いながら言った。
「何じゃ?」と祖父はサハチを見た。
対馬に惚れた女子(いなぐ)がいるんでしょう?」
「おう。そうじゃったな。生きていれば会いたいものじゃ」
「俺が船を持ったら対馬(つしま)に連れて行きますよ。それまでは元気でいて下さいよ」
対馬か‥‥‥」と祖父は目を細めて、「楽しみにしておるぞ」と笑った。
 サハチも笑いながらうなづいた。
「来年は曽孫(ひまご)たちと一緒に、のんびり過ごして下さい」
「そうじゃな。そうさせてもらうわ」
 祖父はもう七十歳を過ぎていた。旅の途中で倒れたりしたら大変だと父が思ったのだろう。八年間もずっと旅を続けて、若い者たちを集めてくれた祖父に、サハチは心から感謝していた。
 馬天ヌルは帰って来るなり、「やっと終わったわ」と溜息をついて、ホッとした顔をした。
「旅はもう終わりですか」とサハチは聞いた。
「北(にし)の果てまで行って来たからね。ヤンバル(琉球北部)には変わった神様がいっぱいいたわ」
今帰仁(なきじん)のヌルにも会ったのですか」
「勿論よ。今帰仁には古いウタキ(御嶽)がいっぱいあったわよ。ヤマトゥ(日本)の神様もいっぱいいたわ。神様のお陰で、難しいヤマトゥ言葉(くとぅば)も色々とわかるようになったのよ」
 真面目な顔をしてそんな事を言う馬天ヌルの顔を見て、サハチは思わず笑った。
「神様からヤマトゥ言葉を教わるなんて、叔母さんくらいしかいないでしょう」
「あっ、そうそう、勝連(かちりん)の『望月(もちづき)ヌル』にも会って来たわよ」
「危険だって言ったじゃないですか」
「大丈夫よ。こうして、無事に帰って来たじゃない」
「まったく、もう。それで、望月ヌルは普通のヌルでしたか」
 馬天ヌルは首を振った。
「あれは普通じゃないわね。あの時はよくわからなかったんだけど、ヤンバルでヤマトゥの神様から色々とお話を聞いたらわかるようになったの。望月ヌルはヤマトゥでいう『ミコ(巫女)』というのに近いようね。『マリシティン(摩利支天)』という神様だけにお仕えしているみたい。マリシティンを祀(まつ)るお寺(うてぃら)があって、あたしもそこでお祈りしたけど、神様は何も言わなかった。望月ヌルが言うには、神様の声を聞くには、特別な言葉を唱えなければならないと言ったけど、その言葉は教えてくれなかったわ」
「そうでしたか。その後、危険な目にも遭ってはいないんですね?」
「大丈夫よ。これが付いているもの」と馬天ヌルは胸に下げたガーラダマ(勾玉(まがたま))を手に取って見せた。
「そのガーラダマ、あのあと、何かしゃべりましたか」とサハチは聞いた。
「あのあとって?」
「旅に出る前に、旅に出なさいって言ったんでしょ?」
「ああ、五年前の事ね。あのあとなら何度もしゃべっているわよ」
「ええっ?」とサハチはガーラダマを見つめた。
 口もないガーラダマが、どうやってしゃべるんだとサハチには理解できなかった。
 突然、馬天ヌルは意味ありげに笑って、サハチの胸を指でつついた。
「『奥間(うくま)ヌル』にも会って来たわよ」
「もうかなりの年齢(とし)ですけど元気でしたか」とサハチは聞いた。
「その人は二年前に亡くなっているわ。今の奥間ヌルは先代のお孫さんで、かなりの美人だったわよ」
「そうでしたか。あの老婆も亡くなりましたか。先代の奥間ヌルは何となく、凄いヌルだと感じましたよ」
「あたしたち、奥間の人たちに歓迎されてね、マサンルーが奥間鍛冶屋(かんじゃー)の娘をお嫁にもらったからかなと思っていたら、何と、あなたの息子がいるじゃない。しかも、長老のお屋敷で育てられていて、『若様』って呼ばれていたわよ。一体、どうなっているのよ」
「サタルーが若様ですか」とサハチも驚いた。
「俺にもよくわからないんです。多分、先代の奥間ヌルが決めたんだと思います」
「そう。あなたを見て何かを感じて、その息子を長老に預けたのね」
「今のヌルは何か知りませんでしたか」
「サタルーがこの村を救ってくれると言っていたわ。中山王の察度(さとぅ)が亡くなって、浦添とのつながりが切れて、以前のように鉄が手に入らなくなったって嘆いていたわ」
「そうだったのか‥‥‥鉄か。ところで、叔母さん、ヒューガ殿とは会いましたか」
「何よ、急に?」と馬天ヌルは言ってから、嬉しそうな顔をして、「久し振りに会ったわ」と言った。
「そうか。叔母さん、来年は旅に出ないんでしたね?」
「ヒューガさんがどうかしたの?」
「ヒューガ殿に頼んで、鉄を奥間に持って行ってもらおうと思ったんです」
「その事なら大丈夫よ。あたしが言っておいたわ。ヒューガさんも奥間のためなら任せておけって言ったわ。ヒューガさんもあなたの子供の事、知っているのかしら?」
「さあ?」とサハチは首を傾げた。
 父も元気に帰って来た。
「いよいよ、あと一年じゃな」と父は言った。
「絶好の時が来なかったらどうしますか」とサハチは聞いた。
「なに。じっくりと待てばいいさ。準備だけは完了させてな」
「そうですね。絶好の機会が訪れる事を願うだけですね」
 サハチがサイムンタルー(早田左衛門太郎)の事を言うと、「この辺りが十年前とすっかり変わったように、ヤマトゥも変わって行ったのじゃろう」と父は言った。
倭寇(わこう)の時代も終わりを告げているのかもしれん。長い間続いていた高麗(こーれー)の国が滅んで、朝鮮(チョソン)になったように、新しい時代が始まりつつあるのかもしれん。琉球もその流れに遅れないようにせにゃならんぞ」
「時代の流れですか‥‥‥」とサハチは言いながら、父が隠居してからの様々な出来事を思い出していた。
 父は年末年始をのんびりと過ごして、キラマの島に戻って行った。
 二月の半ば、山南王が倒れたとウニタキが知らせてくれた。
「ヤマトゥの商人と取り引きの最中、港にある蔵の中で倒れたらしい。しばらくは意識不明だったが、しぶとく生き返ったようだ。噂では疲れが出たのだろうとの事だ。今はグスクに戻って休んでいる。先の事はわからんが、そう長い事はないような気がする」
「そうか‥‥‥しかし、今、死なれたら困るぞ」とサハチは言った。
「まだ、準備が整っていない。来年の今頃なら丁度いいのだがな」
「そううまいわけには行くまい。一応、お前の親父さんには知らせを送った」
「ありがとう。これからは親父との連絡をすぐにできるようにしておいた方がいいな」
「ああ、わかっている」
「頼むぞ」
 その後、ウニタキからは連絡がなく、山南王は持ちこたえたようだった。
 平田に築いたマサンルーのグスクも完成して、キラマの島から来た五十人の兵が、交替で警固に当たっていた。グスクの大御門(うふうじょう)(正門)の前には家臣たちの家も建ち並び、土地を開墾して田畑を作ろうとする人たちも移って来ていた。
 高台の上にあるグスクは、佐敷グスクと同じように石垣ではなく、土塁に囲まれていた。土塁の中の広さは佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)より少し広い程度だった。今後、必要に応じて広くするつもりなら、後ろの山を整地すればいくらでも広くできる。今の時点では、そのくらいの規模で充分だった。
 サハチは父に言われて、平田グスクの後ろにある『須久名森(すくなむい)』を、クマヌと一緒に調べに来ていた。クマヌは久し振りに山伏の格好をしていた。鬱蒼(うっそう)と生い茂る樹木(きぎ)を切りながら、道なき道を山奥へと進んで行った。クマヌの先導で何とか頂上まで登ってみたが、頂上も樹木が生い茂っていて、眺めはよくなかった。かろうじて、木と木の隙間から海が見えた。
琉球に来たばかりの頃、わしはこの山に登ったんじゃよ」とクマヌは言った。
「もう三十年近くも前の事じゃが、あれから誰も、この山には登っていないようじゃな」
「この山なら一千の兵は隠せるんじゃないですか」とサハチは山の中を見渡しながら言った。
「隠せる事は隠せるが、そう長い間、隠れてはおれんぞ。食糧も運び込まなければならんし、それに、一千の兵がぞろぞろと、この山に入って行ったら何事かと怪しまれる」
「そうですね。知念(ちにん)は味方とはいえ、怪しまれれば騒ぎになりますね」
「ここだけでなく、分散させた方がいいじゃろう。与那原(ゆなばる)の『運玉森(うんたまむい)』も使える」
「運玉森に五百、ここに五百ですかね」
「それがいいんじゃないのか」
「そう言えば、トゥミはどうしています?」とサハチは聞いた。
「うまくやっているようじゃ。どうやら、子ができたようじゃとウニタキが言っていた」
「子供ですか‥‥‥トゥミはどう思っているんだろう? 敵(かたき)の子を孕(はら)んでしまって」
「子供には罪はないからのう。立派に育てるじゃろう」
 山を下りて、平田グスクで一休みしてから佐敷グスクに帰った。珍しく馬天ヌルが訪ねて来ていた。娘のササも一緒で、サハチの子供たちと一緒に遊んでいた。
 ササはサハチの次男のジルムイと同い年で、もう十一歳になっていた。来年になったらヌルの修行をさせると馬天ヌルは言っていた。
 旅を終えた馬天ヌルは、娘たちの師範代に復帰して、娘たちに剣術を教えていた。一緒に旅をしたユミーとクルーはそのままヌルになっている。五年間、馬天ヌルと共に暮らして旅をして、すっかり馬天ヌルに心酔した二人は、神人(かみんちゅ)になる道を選んだのだった。
「何か、神様のお告げでもありましたか」とサハチは期待しながら聞いた。
「今日、ササを連れて馬天浜に行ったのよ」と馬天ヌルは手に持った綺麗な貝殻を見ながら言った。
「ウミンター兄さんのお屋敷(おうち)の離れに、見た事もないお客さんがいてね。兄さんに聞いたら、昨日の夕方頃、ふらっと来たって言ったわ。片言(かたこと)の言葉をしゃべる唐人(とーんちゅ)なの。あたしが兄さんとお話をしているうちに、ササがいなくなって、浜辺で貝殻でも拾っているんだろうと思って放っておいたんだけど、あの子、その唐人とお話をしていたわ。好奇心が旺盛だから、唐人に興味を持ったのかもしれないわね。あたしはササを呼んで帰って来たんだけど、帰り道で、『あの人は按司様(あじぬめー)のためになる人よ』って、ササが言ったの。どうしてって聞いたら、『あの人、何かを探している。きっと、按司様に会うためにここに来たのよ』って言うのよ」
「ササがそんな事を言ったのか。叔母さん、顔負けだな。叔母さんはその唐人を見ても、何も感じなかったのですか」
「あたしは何も感じなかったわ。唐人の神様って、あまり会った事ないし、それに会ったとしても唐人の言葉はわからないから、あたしは駄目ね。子供は純粋だから、何でも受け入れてしまうの。言葉がよくわからなくても、何かを感じたんでしょうね」
「その唐人はどんな人なんです?」
「年齢(とし)はあなたくらいかな。ササの話だと、去年の夏に明国から来たらしいわ。よくわからないけど、家族を連れて逃げて来たんだって。馬天浜に来る前は豊見グスクにいて、島の言葉を勉強していたらしいわ」
「シタルーの所にいたのか。シタルーは明国に行ってたから、唐人の言葉がわかるのだろう」
「あの人、まだ、あそこで待っているわ」とササが言った。
 振り返るとササが笑っていた。
「その人が俺を待っているのか」とサハチが聞くと、ササは真面目な顔をしてうなづいた。
「そうか。ササが言うのなら会わなくてはならんな」
 サハチは馬天浜に向かった。ササも行くと言って、馬天ヌルと一緒に付いて来た。
 唐人は浜辺に座り込んで海を見ていた。
 その横顔を見て、サハチは思い出した。去年、浮島に行った時、久米村で見た不思議な術を使った道士だった。あの時、話がしたいと思ったが、言葉が通じないので諦めた。それが今、向こうから佐敷にやって来てくれた。ササがいう通り、俺にとって必要な人なのかもしれないとサハチは思った。
 サハチは挨拶をして、唐人の隣りに腰を下ろした。
 唐人はサハチを見たが何も言わず、また海の方に視線を戻した。
「去年の夏、会いましたね」とサハチは言った。
 唐人はサハチを見たが、わからないようだった。
「久米村の料理屋で、あなたは不思議な術を使いました」
 サハチはそう言って、手のひらを前に向けて押し出した。
 サハチの仕草を見て、唐人は笑った。
「この島に来たばかりの時でした」と唐人は言った。
 まだ一年も経っていないのに、唐人は島の言葉をしゃべっていた。
「あんな所で使う技ではありません。見られてしまいましたね」
 唐人は照れくさそうに笑って、「久米村はいい所ではありません」と言った。
 海の方を見て両手を広げると、「ここはいい所です」と言った。
「ありがとう」とサハチはお礼を言った。
「わたしはサハチと申します。ここの按司です」
 唐人は驚いたような顔をして、「あなた、按司ですか」と聞いた。
 サハチはうなづいた。
「あなたは明国の道士ですね?」
「はい。わたしはファイチ(懐機)と申します」
「ファイチ殿ですか。わたしのグスクに来ていただけませんか」
「どうしてですか」
「あなたはわたしのお客様です」
 ファイチは少し考えてから、「行きましょう」と言った。
 サハチは馬天ヌルとササをファイチに紹介し、ファイチを連れて佐敷グスクに帰った。
 稽古着を着て木剣を持った娘たちが東曲輪(あがりくるわ)に向かっていた。そろそろ剣術の稽古が始まる時間だった。馬天ヌルは慌てて、佐敷ヌルの屋敷に向かった。ササも母親に付いて行った。稽古支度をしたマチルギと本曲輪の庭で出会い、サハチはファイチを紹介した。
「あっ、あの時の‥‥‥」とマチルギは思い出したようだった。
「佐敷まで来てくれたんだ」とサハチは言った。
「えっ?」とマチルギは意味がわからないという顔をした。
「稽古が終わったら話すよ」
 マチルギはうなづいて東曲輪に向かった。
「わたしの妻のマチルギです」とサハチはマチルギの後ろ姿を見ながらファイチに言った。
「女子(いなぐ)のサムレーですか」
 サハチはうなづいた。
 ファイチが興味深そうに東曲輪の方を見ていたので、サハチはファイチを連れて東曲輪に行った。
 馬天ヌルも稽古着に着替えて、佐敷ヌルと一緒に屋敷から出て来た。
「馬天ヌルも女子のサムレーですか」とファイチは驚いた顔をしてサハチに聞いた。
「馬天ヌルは師範代です」と言おうとしたが、師範代の意味がわからないだろうと思い、「馬天ヌルはとても強い」と言った。
 稽古が始まった。素振りから始まって、形(かた)の稽古をやり、二人で組んでの形の稽古もやった。色々な技の形はサハチとマチルギが相談して考え出したものだった。マチルギが剣術を教え始めてから今年で十四年めとなり、技も改良され、技の数も増えていた。
 ファイチは飽きる事なく、娘たちの稽古を見ていた。
 マチルギがサハチの所に来て、「お客さんに模範試合を見てもらう?」と聞いた。
 真剣な顔をして稽古を見ているファイチを見ながら、「興味あるみたいだから、見せてやってくれるか」とサハチは言った。
 マチルギはうなづいて戻ると、皆の稽古をやめさせて、「今日は特別に模範試合を見ていただきます」と言った。
「よーく見ていて、参考にするのよ」
 模範試合をしたのは馬天ヌルと佐敷ヌルだった。
 二人は打ち合わせをした通りに見事に演じた。二人の動きには一瞬のためらいもなく、流れるような動きは華麗だった。二人ともサハチが思っていた以上に強かった。あの二人なら、美里之子(んざとぅぬしぃ)の武術道場でも師範代が務まるだろう。
「素晴らしい」とファイチは目を輝かせながら言った。感動しているようだった。
 ファイチはその日から佐敷グスクに客人として滞在した。