長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

78.南風原決戦(改訂決定稿)

 夜明けと共に、豊見(とぅゆみ)グスクを包囲しているマサンルー(佐敷大親)のもとへ、サハチ(島添大里按司)からの使者が来ていた。首里(すい)グスクを奪い取って、浦添(うらしい)グスクは焼き討ちにしたと使者は伝えた。
 マサンルーはうなづくと、撤収を開始すると伝えてくれと言って使者を帰した。副将の屋比久大親(やびくうふや)を呼んで、使者が来た事を伝えた。
「成功したようじゃな」と屋比久大親は安心したように笑った。
「これからが大変です。うまく行けばいいのですが‥‥‥」
 マサンルーは少し心配そうな顔をした。
「なに、大丈夫じゃよ。自信を持ってやれば、必ず、うまく行く」
 マサンルーは力強くうなづいた。
 ヤマトゥ(日本)旅で危険な事も体験して、それをうまく乗り越えてきた。旅から帰って来てから、自分に自信が持てるようになっていた。結果はどう出るかはわからないが、やるべき事をやるしかなかった。
 マサンルーは屋比久大親を連れて、本陣となっている城下の屋敷に向かった。
 豊見グスクの城下は、できてからまだ二十年も経っていないのに、古くからある城下のように栄えていた。グスクへと続く大通りには、立派な屋敷がいくつも建ち並んでいる。毎年恒例の『ハーリー』のお陰で、豊かな城下のようだった。
 マサンルーも『ハーリー』を見た事があった。あれはサハチたちが見に行った翌年だった。妻のキクと弟のマタルーとクルー、妹のマチルー、そして、母も連れて見に行った。驚くほどの人出で、十一歳だったクルーが迷子になったのを思い出した。必死に捜し回って、豊見グスクの大御門(うふうじょう)(正門)の前に立っていたクルーを見つけた時は、ホッと胸をなで下ろした。あの頃の城下はこんなにも家が建ち並んでいなかったような気がする。あの時の『ハーリー』は三回目だったので、あのあと城下に人々が集まって来たのかもしれなかった。そして、あの時、目を丸くして驚いていたマチルーが今、豊見グスク按司の奥方になってグスク内にいる。マチルーの事を心配しながら、マサンルーは城下の大通りを歩いていた。
 重臣の屋敷だと思われる本陣には、玉グスク按司と垣花按司(かきぬはなあじ)がいた。マサンルーは玉グスク按司に重要な知らせがあると言って、みんなを集めてもらった。
 知念按司(ちにんあじ)がやって来て、「朝っぱらから何事じゃ。何かうまい奇策でも思いついたのか」と聞いた。
 八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)から、豊見グスクを落としたら、落とした者がグスクを手に入れてもいいと言われていた。知念按司は今度こそ手に入れてやると張り切っていた。
「奇策といえば、奇策には違いありません」とマサンルーは固い顔付きで答えた。
 糸数按司(いちかじあじ)と大(うふ)グスク按司も来て、全員が揃った。
 マサンルーは皆の顔を見回しながら、「驚かないで聞いて下さい」と落ち着いた声で言った。
「わたしの兄の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)が、昨日、首里グスクを奪い取って中山王(武寧)を討ち取りました」
 誰も何も言わなかった。ポカンとした顔でマサンルーを見ていた。
 しばらくして玉グスク按司が、「もう一度、言ってくれんか」と言った。
 マサンルーはもう一度、同じ事を繰り返した。
「なんと、中山王を討ち取ったじゃと‥‥‥」
 知念按司が怒っているのか、笑っているのかわからない奇妙な顔をして、マサンルーを見ていた。
「本当の事なのか」と玉グスク按司が聞いた。
 マサンルーはうなづいた。
「具合が悪くて寝込んでいるというのは嘘じゃったのか」と知念按司が聞いた。
 マサンルーはうなづいた。
首里グスクを奪い取った兄は、昨夜、浦添グスクを焼き討ちにしました。すでに中山王は消え、浦添グスクもなくなったのです」
「何という事じゃ」と垣花按司はやっと声を出していた。
浦添グスクが焼き落ちたのか」と言った玉グスク按司の顔が青ざめていた。
「玉グスク殿の娘さんは助け出したそうです」とマサンルーは伝えた。
「娘は無事なのか」
「はい。今は二人の娘と一緒に首里グスクにいるとの事です」
「そうか、ありがとう‥‥‥まったく、そなたの兄には驚かされるのう。やる事が大きすぎて、わしにはとても付いていけんわ」
 玉グスク按司は安心したように笑った。
「一体、どうやって首里グスクを奪い取ったんじゃ? わしにはとても信じられん」と知念按司がマサンルーを睨みながら言った。
「わたしの父は十四年前に隠居しました。すべて、この日のためだったのです。父はキラマ(慶良間)の無人島で密かに兵を育てました。その数、一千人余りにもなります。その兵力を使って首里グスクを攻め落とし、浦添グスクを焼き討ちにしたのです」
「なに、一千の兵じゃと?」
「はい。兄は今、一千余りの兵力を持っています。しかも、父に鍛えられた精鋭の若者たちです」
「頭を丸めてフラフラと旅に出たという先代が、そんな事をしていたのか‥‥‥」
 玉グスク按司が細い目を丸くして首を振っていた。
 急に知念按司が大声で笑い出した。
「大したもんじゃ。一千の兵力とはのう。わしらはもう、島添大里按司に従うしかないようじゃのう」と知念按司が言った。
 知念按司を見ながら、皆がうなづいていた。
「中山王がいなくなったら、この戦(いくさ)はどうなるのですか」と大グスク按司が真面目な顔をして聞いた。
「島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを包囲している者たちが気づく前に、撤収した方がいいと兄は言ってきました。この事を知れば、中山王の若按司は中部の兵を引き連れて首里を攻めるでしょう。島尻大里グスクの包囲陣は壊滅します。八重瀬按司の勝ち目はありません。ここは撤収して、山南王(さんなんおう)(シタルー)に恩を売った方が得策です」
「そなたはどうするつもりじゃ?」と玉グスク按司が、ずっと黙っている糸数按司に聞いた。
「わたしも東方(あがりかた)の按司ですから、皆さんと行動を共にします」
「若按司と一緒に首里を攻めなくてもいいのか」と知念按司が聞いた。
 糸数按司は笑った。
「先代の中山王(察度)には大変お世話になりましたが、今の中山王(武寧)には何の義理もありません。しかし、島添大里按司には驚かされますね。やる事が奇抜で、大胆で、まったく愉快になりますよ」
 全員の意見が一致して、東方の按司たちは豊見グスクから静かに撤収して行った。
 浦添の奥間大親(うくまうふや)が馬を飛ばして来た時には、豊見グスクを包囲している兵は一人もいなかった。
 奥間大親は我が目を疑い、「一体、どうなっているんじゃ?」と共に来た従者を怒鳴った。
 それから、四半時(しはんとき)(三十分)後、島尻大里の中山王の本陣で、若按司カニムイは、北谷按司(ちゃたんあじ)、中グスク按司、越来按司(ぐいくあじ)、勝連按司(かちりんあじ)を前にして、浦添グスクが島添大里按司によって焼き討ちにされた事を告げていた。
「島添大里按司?」
 誰もが、その事に驚いていた。北谷按司も、中グスク按司も、越来按司も、勝連按司も、浦添グスクには側室を入れていて、その侍女からの知らせで、浦添グスクの炎上は聞いていたが、誰の仕業かはわからなかった。
「間違いない。奴の仕業だ。奴は仮病を使って、弟を出陣させて浦添を攻めたんだ。東方の按司たちも知っていたに違いない。奴らは豊見グスクの包囲を解いて引き上げて行った」
 カニムイは首里グスクの事は告げなかった。その事を告げたら、皆、引き上げてしまうと思ったからだった。
「とりあえずは首里グスクに入って、島添大里按司を倒す」とカニムイは言った。
「今頃、島添大里按司首里を攻めているかもしれん。敵に奪われる前に挟み撃ちにして倒すんじゃ。敵の兵力は二百足らずのはずじゃ。わしらの兵で攻めれば簡単に倒せる。山南の事は中山のけりを付けてからやり直せばいい」
「東方の兵が加われば七百になりますぞ」と北谷按司が言った。
「奴らが途中で待ち伏せしているかもしれませんぞ」
「東方の兵がどこに行ったのかは今、調べさせております」と奥間大親が言った。
「わしらが東方の兵に負けると申すのか」とカニムイが言うと、
「東方の奴らに、わしらの強さを思い知らせてやりましょう」と中グスク按司が言って不敵に笑った。
「そうじゃ、奴らをたたきのめしてやれ」と皆が合意した。
 中部の按司たちは気合いを入れて本陣から引き上げると、首里への進軍の準備を始めた。

 

 サハチはマチルギとクマヌ(熊野大親)、馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌルの三人のヌルと一緒に、朝早くからグスク内を丹念に見て回り、御内原(うーちばる)の東側にある物見櫓(ものみやぐら)の下まで来ていた。物見櫓は太い柱で作られ、それほど高くはないが、島添大里グスクの物より大きく、十人は登れそうな広さがあった。
 まず、サハチが登った。
 そこからの眺めは最高だった。中部がずっと見渡せるし、反対に目をやれば南部もずっと見渡せた。西の方を見れば浮島(那覇)が見渡せ、その向こうにキラマの島々も見えた。東の方を見れば須久名森(すくなむい)が見え、その向こうに青い海が広がっている。ファイチ(懐機)が言っていたように、ここは琉球の王様が住むべき最高のグスクだった。
「まあ、凄い!」とマチルギが来て叫んだ。
「絶景だわね」と馬天ヌルが言った。
 佐敷ヌルとフカマヌルも上がって来て、歓声を上げた。最後にクマヌも上がって来た。
「最高の気分じゃな」とクマヌが嬉しそうな顔をして言った。
「遥か昔の事なんだけどね、ここは『マダンスイ(真玉添)』って呼ばれていたらしいわ」と馬天ヌルが言った。
「神様から聞いたのですか」とサハチは聞いた。
 馬天ヌルはうなづいた。
「『真玉の御宮(またんぬうみや)』と呼ばれるお寺(うてぃら)のような立派な建物が建っていて、ヌルたちがお祈りを捧げていたのよ。『マダンスイ』の『マダン』はガーラダマ(勾玉(まがたま))の事で、『スイ』は、浦々を治める浦添(うらしい)や、島々を治める島添(しましい)の『添(しい)』と同じで、治めるって意味なの。ガーラダマを治める。つまり、ヌルたちを治めるという意味よ。浦添と島添が男たちの政治の中心なら、真玉添は女たちの祈りの中心だったの。ここら一体が聖地で、『真玉添』はヌルたちが統治した都だったのよ」
 馬天ヌルが佐敷ヌルを見ると、佐敷ヌルはうなづいて馬天ヌルの話を継いだ。
「『真玉の御宮』でお祈りしていたのは『天孫氏(てぃんすんし)』のヌルたちなの。浦添按司になったヤマトゥ系の『舜天(しゅんてぃん)』は、ここにいたヌルたちを滅ぼしてしまうのよ。『真玉の御宮』も焼かれてしまったの。そして、ヤマトゥ系のヌルの『ミコ(巫女)』によって、神様たちは封じ込められてしまったのよ。でも、殺されたヌルたちの恨みは物凄くて、マジムン(悪霊)になって人々を苦しめたの。『ミコ』は度々、マジムンを退治するんだけど、難しかったらしいわ。『ミコ』は色々と考えた末に、『マダンスイヌムイ(真玉添の森)』を二つに分けてしまったの。それで、『マダンムイ』と『スイムイ』になったの。森を二つに分けたら、マジムンの力も弱まったみたい。それから、七、八十年経って、舜天の一族は天孫氏の『英祖(えいそ)』に滅ぼされるんだけど、その頃になっても、まだ、マジムンは人々を苦しめていたらしいわ。それで、英祖の妹の浦添ヌルによってマジムンは退治されて、完全に封じ込められたのよ」
 佐敷ヌルは、これでいいかしらと言った顔をして馬天ヌルを見た。
 馬天ヌルはうなづくと話を続けた。
「マジムンが封じ込められてから百数十年が経って、察度(さとぅ)(先代中山王)が、『スイムイ』の中に『首里天閣(すいてぃんかく)』を建てたの。『スイムイ』は古いウタキ(御嶽)なんだけど、神様は閉じ込められちゃったから神様の声は聞こえない。地鎮(ぢちん)の儀式を行なった察度の娘の浦添ヌルは、ウタキだとは気づかなかったでしょうね。察度が首里天閣を建てたので、マジムンの一部が抜け出したのよ。そして、察度の倅の武寧(ぶねい)が首里グスクを築いたので、マジムンはみんな、飛び出して来ちゃったの。殺されたヌルたちの恨みがマジムンになったので、封じ込められていた神様をお救いしたら、マジムンは自然と消えてなくなったわ」
「そうだったのですか。神様とマジムンは一体だったのですね」とサハチは馬天ヌルに聞いた。
「そうね。表と裏だったのね」
「でも、ちょっとわからないのですけど、神様の声が聞こえないのに、どうして、『キーヌウチ』ができたのです」
「あそこは『スイムイヌウタキ』の中で、新しいウタキがいくつかあるの。新しいと言っても百年以上は経っているんだけど、多分、シジ(霊力)の強いヌルが、神様の声は聞こえないけど、ここは守らなければならない聖地だと思って、お祈りを続けているうちに、いつしか、ウタキになったのでしょうね。『スイムイヌウタキ』と『マダンムイヌウタキ』の事は、そのウタキに降りていらした神様から聞いたのよ。そのいくつかのウタキがなかったら、『スイムイヌウタキ』も『マダンムイヌウタキ』も破壊されていたに違いないわ。それと、『ツキシルの石』の事もわかったのよ」
「えっ、あの石とここが関係あるのですか」
「あの石は、ここにあった『真玉の御宮』に祀られてあった石なの。舜天に攻められた時にヌルたちが持ち出して、佐敷の森の中に隠したのよ」
「どうして、佐敷に隠したのですか」
「佐敷に隠れていれば、いつかはここに戻れると思ったからよ。もうすぐ、ここに戻って来られるわ。あの石は、ここに帰って来たかったのよ。だから、あんなに必死になって、何度も光っていたんだわ」
「ここに帰りたくて光ったのですか。すると、俺の守り神ではないのですね」
「そんな事はないわよ。帰るべき場所に戻してくれたんだから、あなたを守るはずよ。しかも、いるべき場所に戻ってくれば、シジも数倍になって、あなたを守るはずだわ」
「そうなんですか」
 馬天ヌルの言う事はよくわからないが、あの石が光ったお陰で、ここまで来られたのかもしれないと、サハチは『ツキシルの石』に感謝した。
 マウーがやって来て、マサンルーが兵を引き連れて、無事に帰って来たと知らせた。サハチたちは物見櫓から降りて、兵たちが待機している庭に向かった。

 

 島尻大里グスクの包囲陣から撤収して、首里を目指した中山(ちゅうざん)軍七百の兵は、冷たい北風が吹く中、島尻大里と首里を結ぶ街道を北へ向かっていた。この道は首里グスクを作るためにできた街道だった。今まで道のなかった所に資材を運ぶための道が、首里から浦添首里から浮島、首里から島尻大里へと道ができていた。先頭に立つのは中山王の若按司カニムイが率いる浦添の兵三百で、北谷按司、勝連按司、越来按司、中グスク按司が、それぞれ百人の兵を率いて従っていた。殿軍(しんがり)を務めたのは中グスク按司だった。
 浦添の奥間大親の配下の者たちの偵察で、首里までの間に、東方の兵が待ち伏せしている様子はないと確認してあった。饒波川(ぬふぁがー)を過ぎた辺りで、島添大里按司の弟以外の東方の按司たちが皆、本拠地に戻った事も確認できた。島添大里按司の弟は首里グスクに入ったようだが、その事は勿論、中部の按司たちには内緒にしていた。カニムイは一安心して首里へと急いだ。敵が島添大里按司だけなら確実に勝てると信じていた。
 饒波川を過ぎて、しばらく行くと長嶺川(ながんみがー)(長堂川)が流れていて、荷車が通れるように橋が架かっている。長い橋ではないが、二人が並んで通れる幅しかなかった。流れている川もそれほど深くはないので、川の中を歩いて渡る事もできるのだが、兵たちはその橋の手前で、二人づつになって渡っていた。今まで四列で歩いていたのが二列になるので、先を行く隊とは少しづつ離れて行く事になった。
 最後の中グスクの兵が橋を渡っている時、突然、川の中から攻撃を受けた。
 石つぶてだった。石つぶてに当たって十数人が橋から転げ落ちた。
 飛んで来る石を恐れて誰も橋を渡らなくなった。そこを後方から攻め寄せて来る者たちがいた。當山之子(とうやまぬしぃ)に率いられた八十人の島添大里の兵だった。キラマの島で鍛えられた若者たちは素早く駆け寄ると、敵を片っ端から倒し始めた。川の中に逃げて行った者は、川の中から石つぶてを投げた二十人の兵によって倒された。
 中グスクの兵は次々に倒され、馬に乗って指揮を執っていた中グスク按司と三人の武将だけが残った。先に橋を渡った越来の兵たちは、遅れを取り戻そうと早足で去って行ったので、この騒ぎには気づかなかった。
 四人の武将は馬にまたがったまま、囲んでいる兵たちを眺めていた。鎧(よろい)の腹には皆、『三つ巴』が描いてある。ヤマトゥと交易をしている中グスク按司は、その絵に見覚えがあった。倭寇(わこう)の守り神の『八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)』の神紋だと聞いた事がある。すると、敵は倭寇なのか‥‥‥
 中グスク按司は敵を睨みながら、「一体、お前らは何者じゃ?」と聞いた。
「島添大里按司の兵だ」と當山之子が答えた。
「島添大里按司‥‥‥やはり、そうじゃったのか。この恨みは忘れんぞ」
 中グスク按司は刀を振り上げると強引に突破しようとした。しかし、石つぶてに打たれて四人とも馬から落ちた。憤怒の形相で斬り掛かって行ったが、皆、討ち取られた。
 當山之子が率いる兵たちによって中グスクの兵は全滅した。味方の戦死者は三人だけで、負傷した者も数人だけだった。
 中山軍の最後尾にいる越来按司は、中グスクの兵がいつまで経っても追いついて来ないので、どうしたのだろうと思っていた。前を行く勝連按司に伝令を送り、中グスク按司が来ないので少し待っていると伝えた。勝連按司は前を行く北谷按司に伝令を送った。北谷按司はあの橋で手間取っているのだろうと思い、大して気にもせず、前を行くカニムイには知らせなかった。
 越来按司は兵を止めて、中グスク按司が来るのを待ちながらも、もしかして、逃げたのではないかと思い始めた。あの橋を渡らずに、川に沿って右に行けば、与那原(ゆなばる)へと行く街道に出る。中グスク按司はさっさと中グスクに帰ったのかもしれない。考えてみれば、本拠地を焼き討ちにされるなんて、武将としてあるまじき失態だった。いくら中山王とはいえ、そんな情けない武将のために、戦をするのは馬鹿げていると思い始めていた。
 ここは早々と本拠地に帰って様子を眺め、場合によっては島添大里按司と手を結んだ方がいいのかもしれない。越来按司がそう決心した時、喊声(かんせい)が沸き起こった。左側にある森の中から兵が現れ、こちらに向かって突撃してきた。
 越来按司は戦闘態勢を取ろうとしたが間に合わなかった。敵味方、入り乱れての乱戦となった。一体、誰が攻めて来たのかもわからず、越来按司は馬上から必死に刀を振り回したが、足を捕まれて馬から落ちた。起き上がる間もなく首を掻き斬られて戦死した。
 越来の兵も全滅した。森の中に隠れていた兵の指揮を執っていたのはヒューガ(三好日向)だった。味方の戦死者が六人出てしまったが、敵を全滅できたのは上出来だった。
 その頃、最後尾を行く勝連按司は、越来按司も中グスク按司も現れないので、心配になって、前を行く北谷按司に知らせた。北谷按司は兵を止めて、自ら最後尾まで行って様子を見た。最後尾には勝連按司も来ていた。
「どうしたのでしょう?」と勝連按司が聞いた。
「まさか、逃げたのではあるまい」と北谷按司は言ったが、逃げたのかもしれないと思っていた。
 道が曲がっているので先がよく見えない。風が強くなってきて、風が木々を揺らす音がうるさく、兵たちが行軍して来る音も聞こえなかった。北谷按司がもう少し先まで行って見ようとした時、隊列が近づいて来るのが見えた。
「来ました」と勝連按司は言って、義兄の北谷按司にうなづいた。
「何をしておったんじゃ」と北谷按司もホッとしたように言った。
「わしは戻るぞ」と北谷按司が馬の首を回した時、近づいて来る兵たちが喊声を上げ、武器を振り上げて攻め寄せて来た。と同時に、側面の森の中からも兵が攻めて来た。後ろから攻めたのは、ヒューガと當山之子の兵で、横から攻めたのは苗代大親(なーしるうふや)の兵だった。
 乱戦となったが、北谷、勝連の二百に対して、島添大里の三百の方が圧倒的に有利だった。キラマの島の若者たちは、ここぞとばかりに暴れ回った。北谷按司と勝連按司は戦死して、何人か逃げて行った者がいたようだが、ほぼ全滅となった。島添大里の戦死者は八人だった。
 先頭を行くカニムイは、父親の中山王(武寧)が無事なのかどうか心配で、気ばかり焦り、後ろから付いて来る者たちの事まで気が回らなかった。少し離れて付いて来る、ヒューガ、苗代大親、當山之子の兵たちを味方の兵だと思いながら首里へと進んでいた。

 

 その頃、サハチはクマヌ(熊野大親)、美里之子(んざとぅぬしぃ)、サム(伊波大親)と一緒に、それぞれ百人の兵を率いて、首里の南、新川森(あらかーむい)の山裾に陣を敷いて、中山軍が来るのを待ち構えていた。
 広々とした原野を眺めながら、「ここは南風原(ふぇーばる)じゃな」とクマヌは言った。
南風原はもっと北(にし)ですよ」とサハチは言った。
「今は浦添の南(ふぇー)が南風原だが、首里が都になれば、ここが南風原と呼ばれるようになるんじゃ。浦添はもう、浦々を治める都ではない。これからは首里が、浦々や島々を治める都となるんじゃ」
「そうですね。早く城下を作って、立派な都にしなければなりません」
「また大忙しになりそうじゃのう」
「俺は今まで休みすぎましたからね。ようやく動き出せますよ」
「動き出すとは、どういう意味じゃ?」
「今まで目立たないように、おとなしくしていましたから、これからは思い切り動き回るつもりです」
「すると、中山王にはならんのか」
「親父になってもらいますよ。今度は俺が旅をする番です」
「そうか。親父さんに中山王になってもらうのか」
「俺は船に乗りますよ。明国(みんこく)(中国)に行ったり、ヤマトゥに行ったり、南蛮(なんばん)(東南アジア)にも行くつもりです」
 クマヌは楽しそうに笑った。
「王様(うしゅがなしめー)になるより船頭(しんどぅー)(船長)になるのか。お前という奴は、本当に面白い奴じゃのう。だから、みんなが集まって来るんじゃろうのう」
「お客さんがやって来ました」とサムが知らせに来た。
「やっと、来たか」とサハチはうなづき、「敵の兵力は?」と聞いた。
「ヒューガ殿より使者が来て、北谷按司、越来按司、勝連按司、中グスク按司は皆、戦死して、それらの兵は全滅。若按司が率いている三百だけだそうです」
「なに、若按司の兵以外は皆、全滅したのか」とクマヌが驚いた顔をして聞いた。
「はい、そのようです」
「予想外の戦果じゃな。二百も減れば上出来じゃと思っていたんじゃが、敵はたったの三百か。こいつは楽勝じゃな」
 中山王の若按司カニムイは目の前に展開している敵兵を見て、馬を止めた。見た所、敵兵は三百以上はいるようだった。島添大里按司が、どうしてこんな兵力を持っているのか理解できなかった。それでも味方は七百いる。敵を倒して首里グスクも取り戻せるだろうと思った。
 後ろから来る中部の按司たちに総攻撃を命じようとして、カニムイが振り返ると、後ろにいた兵は浦添の兵を包囲するように展開していた。そして、よく見ると鎧には『三つ巴』が描いてあり、馬に乗った大将と思える武将たちは見た事もない男たちだった。
 カニムイには何がどうなったのか、まったくわからなかった。わかっているのは味方は三百だけで、敵はその倍以上はいるという事だった。
 負けると一瞬のうちにわかった。まだ、死にたくなかった。しかし、ここから抜け出す事は不可能だった。
 カニムイは馬を出して敵陣に近づくと、「島添大里按司はどなたじゃ?」と敵の大将に聞いた。
 カニムイは島添大里按司を知らなかった。
「わたしが島添大里按司です。中山王の若按司様(わかあじぬめー)ですな」とサハチが馬に乗ったまま一歩踏み出して言った。
「その馬は父上の馬じゃな。父上は無事なのか」とカニムイは聞いた。不思議と声は落ち着いていた。
「見事に討ち死になさいました」
「そうか‥‥‥倅も死んだのだな」
「戦死なさいました」
「そうか」と言うと、カニムイは馬の首を返して陣地に戻って行った。
 カニムイは怒りに満ちた顔をして、「掛かれ!」と総攻撃を命じた。しかし、兵は動かなかった。武将たちは皆、俯いたまま、カニムイを見ようともしなかった。
 カニムイは刀を抜くと、わけのわからない事を大声で叫びながら、一騎で敵陣に突入した。
 サハチが相手をしようとしたが、それより先にサムの馬が飛び出した。馬と馬がすれ違い、サムの一撃でカニムイは馬から落ちて絶命した。
 それを見ていたカニムイの武将の一人が、兵たちに武器を捨てるように命じた。兵たちは全員、武器を捨てて捕虜となった。武将たちは皆、首を斬られた。その中に奥間大親もいた。
 捕虜となった三百人の兵たちは、首里に連れて行かれ、城下を作るための人足(にんそく)となった。