長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-10.麗しき三姉妹(改訂決定稿)

 メイファン(美帆)の手下のスンリー(孫里)はグスク(城壁)の中にある宿屋にいた。それほど高級な宿屋ではなさそうだが、広い庭があって、二階建ての建物の中には大勢のお客がいるようで騒々しかった。
 スンリーは頭に鉢巻きを付け、ちょっととぼけた顔をした二十代半ばくらいの男だった。すぐにメイファンに会わなければならないと急いでやって来たのに、スンリーはのんびりしたものだった。メイファンから頼まれた品物があって、それが今日のうちには届くはずだから、明日、出発すると言ったらしい。
 サハチ(島添大里按司)とウニタキ(三星大親)は気抜けしたが、グスク内の街を見物しましょうとファイチ(懐機)が言ったので、それがいいと賛成した。ファイチも泉州(せんしゅう)のグスクの中に入ったのは初めてだという。
「まずは戻って、天妃宮(てぃんぴぐう)にお参りしましょう。無事の船旅のお礼を言わなければなりません」
「ここにも天妃宮があるのか」とサハチはファイチに聞いた。
 天妃宮は琉球の久米村(くみむら)にもあって、出帆する前に航海の無事を祈ってきていた。
「ここの天妃宮はあちこちにある天妃宮の大本山です。ここの天妃宮が船乗りたちによって、各地に祀られたのです」
「ほう、ここの天妃様が本家本元というわけだな」とウニタキが感心した。
 天妃というのは道教の神様で、媽祖(まそ)とも呼ばれ、元(げん)の皇帝によって『天妃』という称号が与えられた。宋(そう)の時代に実在した娘で、数々の奇跡を起こして人々からあがめられ、死後、神様として祀られた。船乗りたちの信仰が厚く、彼らによって、媽祖は航海の神様として各地に広められ、琉球にも天妃宮が勧請(かんじょう)されたのだった。
 急いで来たので周りの景色など見ていなかったが、大通りに面して様々な店が並んでいた。ほとんどの建物が二階建てで、屋根には瓦が敷き詰められてあった。漢字で書かれた大きな看板が店の上に掲げてあるが、ほとんど読む事はできなかった。
 天妃宮はサハチたちが入って来た南門(德済門)の近くにあった。天妃宮の門を見ただけでサハチとウニタキは呆然とした。その華麗さはこの世のものとは思えなかった。門をくぐって中に入ると、色鮮やかな大きな建物がいくつも建っていて、大勢の人で賑わっていた。
 その日は何を見ても驚いた。不思議な形をした大食(タージー)(アラビア人)たちのお寺(回教寺院)がいくつもあった。石を積み上げて造られた大きな建物で、大食たちはそのお寺で一日に何回もお祈りをするという。
 開元寺(かいげんじ)という仏教のお寺も凄かった。広い敷地内に大きな建物が数え切れないほど建っていて、大勢の僧侶が修行に励んでいた。十丈(じょう)(約三十メートル)以上もある石でできた塔には驚いた。東と西に二つもあって、どうやったら、こんな凄い物が建てられるのか、サハチにはさっぱりわからなかった。とても、人間業とは思えない。きっと、神様が造ったのではないかと思った。
 明国(みんこく)というのは想像していた以上に偉大な国だった。何もかもが琉球では考えられないほど、大きくて立派だった。シタルー(山南王)の父親の汪英紫(おーえーじ)が考えを変えたのも無理ない事だった。あんな小さな島で戦をして敵を倒すよりも、明国と交易をして様々なものを吸収したいと思ったのだろう。あらゆるものを目に焼き付けて、様々な知識を身につけて、琉球に帰ろうとサハチは決心した。
 三重の城壁に囲まれた泉州の街を歩き回って、夕暮れ近くに来遠駅(らいえんえき)に帰って来た。庭で琉球の兵たちが、来遠駅の護衛兵から明国の武術を習っていた。護衛兵は噂に聞く幅広の剣を振り回していた。見た事もない武器を持っている者もいた。反りのない真っ直ぐな刀やトゲがいっぱい付いている棒や二本の棒を鎖でつないで振り回す武器もあった。
 興味深く眺めていると、サングルミー(与座大親)の従者に声を掛けられた。サングルミーが待っているという。
 サングルミーの部屋に行くと身分証明書が用意されていた。
「これも持たずに出掛けたので心配しましたよ」とサングルミーは笑った。
「出発が延期になったので助かりました」とファイチも笑った。
「どうぞ、お座り下さい」とサングルミーが言ったので、四人は円卓を囲んで座った。
「どちらに行かれるのですか」
「福州(ふくしゅう)です」とファイチが答えた。
「わたしたちも荷造りが終わったら福州に向かいます。向こうで会えるかもしれませんね」
「福州の宿泊先は決まっているのですか」
「特に決まってはおりませんが、城内にある立派な宿屋だと思います」
「福州で会えなくても、応天府(おうてんふ)(南京)で会えるでしょう。応天府にも知り合いがいるので、福州で用が済んだら応天府に向かいます」
「応天府では『会同館(かいどうかん)』にいますので、是非、来て下さい」
「わかりました。多分、帰りは一緒に帰って来られると思います」
 身分証明書を受け取るとサハチたちは自分たちの部屋に帰った。
「メイファンの他にも会いたい女がいるのか」とウニタキが自分の寝台に腰を下ろすとニヤニヤしながらファイチに聞いた。
「都の女はまた格別です」とファイチは笑って、円卓の椅子に座った。
「このすけべ野郎が‥‥‥」
「応天府には富楽院(フーレユェン)という有名な遊女屋(じゅりぬやー)があります。内乱の時に焼けてしまったかもしれませんが、遊女屋はすぐに立ち直ります。きっと、今もあるでしょう。そこに美しい妓女(ジーニュ)がいたのです」
「おいおい、馴染みだったジーニュに会いに行くのか」
「もう八年も前の話です。今はもういないでしょう」
「それじゃあ、誰に会いに行くんだ?」
「その頃、一緒に遊んだ仲間です。生きていればいいのですが‥‥‥洪武帝(こうぶてい)が亡くなったあと、皇帝を継いだのは孫の建文帝(けんぶんてい)だったのです。建文帝の父親は洪武帝よりも先に亡くなってしまって、孫が跡を継いだのです。でも、洪武帝には男の子供が二十人以上もいたのです」
「子供が二十人以上だって?」と立ったまま二人の話を聞いていたサハチは驚いた。
「男の子だけで二十人以上です。女の子を加えれば五十人くらいはいたと思います」
「凄えなあ」とウニタキは言った。今日は何度、その言葉を発しただろう。もう自分でも言い飽きたと思っているが、やはり、また出てきてしまった。
「勿論、何人もの女に産ませたのです。皇帝ともなれば、各地の豪族から美女が献上されます。後宮(こうきゅう)には一千人以上の美女がいるようです」
「一千人の美女か‥‥‥」
 信じられないといった顔をしてウニタキは首を振った。サハチもポカンとしてファイチを見ていた。まったく桁外れな事だった。
「話を戻します」と言ってファイチは話を続けた。
「建文帝には二十数人もの叔父さんがいて、その中の何人かは建文帝の即位を喜ばず、自ら皇帝になろうとしたのです。そこで、建文帝は邪魔になる叔父さんたちを倒して行く事になります。今の永楽帝(えいらくてい)は洪武帝の四男でした。兄弟たちが次々に皇族という身分を剥奪されて、辺鄙な土地に流されるのを見て、自分も危ないと思い、とうとう反乱を決心するのです。当時、永楽帝は元(げん)の時代の首都だった北平(ベイピン)(北京)にいました。北に追いやった元と戦っていたのです。永楽帝は兵を率いて南下して、政府軍の大軍を次々に倒していき、ついに首都である応天府を陥落させます。永楽帝は甥の建文帝を倒して、皇帝の地位に就いたのです。建文帝が叔父さんたちを倒した時、本人を処罰するだけではありません。一族は勿論、関係していた者たちは皆、処罰されます。わたしの父は道士でした。宮廷の出入りが許され、幼い頃の永楽帝に学問や武術を教えていました。永楽帝は二十一歳になると北を守るために北平に赴きます。その後、父は永楽帝とは会ってはいません。それなのに、建文帝はわたしの両親を殺して、わたしまで殺そうとしたのです。わたしは家族を連れて琉球に逃げました」
「そんな事があったのか」とサハチは言ってファイチの向かいに腰を下ろした。
 ウニタキは真剣な顔をしてファイチを見ていた。妻と娘を殺された時の事を思い出しているのかもしれなかった。
「もしかしたら、わたしの友も殺されてしまったかもしれません」
「その友も永楽帝とつながりがあったのか」とウニタキは聞いた。
「特につながりはありません。でも、わたしと一緒に燕王(イェンワン)と呼ばれていた頃の永楽帝と会ってはいます」
「なに、ファイチは永楽帝と会っているのか」とサハチは驚いた。今日、一番の驚きかもしれなかった。
「わたしは科挙(かきょ)(官吏登用試験)に合格して宮廷に仕える事になりました。その友も合格して、共に宮廷に仕えました。その頃、永楽帝はずっと北平にいましたから、会う機会はありません。ところが、戦勝報告に応天府に来た永楽帝と偶然にも会う事ができました。永楽帝が燕王となって北に行った時、わたしはまだ六歳でしたが、永楽帝はわたしの事を憶えていて、父親は元気かと声を掛けてくれました。そして、わたしも友も戦勝祝いの宴に招待されたのです。それから二年後、洪武帝が亡くなって、建文帝の恐ろしい粛清(しゅくせい)が始まるのです」
「お前、凄えなあ」とウニタキがうなった。
「そんなに偉い人だったとは知らなかった」
「もし、内乱が起きなければ、皇帝の側近になっていたかもしれんな」とサハチは言った。
 ファイチは笑って、「今は琉球王の世子(せいし)の側近です」と言った。
「ありがとう」とサハチはお礼を言った。
 次の日、スンリーの宿屋に行くと、馬を用意して待っていた。メイファンから何を頼まれたのか、スンリーは荷物を山積みにした荷馬車に乗っていた。そして、サハチとウニタキには道士の着物も用意されていた。琉球の格好では目立ち過ぎるという。サハチとウニタキはファイチと同じ道士の格好となった。
「決して、人の前では琉球の言葉は使わないで下さい」とファイチは言った。
道教の修行の中に無言の行(ぎょう)というのがあります。二人は今、その修行の最中でしゃべる事はできないという事にしておきます」
「しゃべれないというのは辛いな」とウニタキが言うと、
「周りに人がいる時です。誰もいなければしゃべってもかまいません」とファイチは笑った。
「わかった」と二人はうなづいて馬にまたがった。
 琉球の馬よりも少し大きいような気がした。
 グスクの中を突っ切って北門(朝天門)からグスクの外に出た。門から外に出ると家々はまばらになるが、広い大通りはずっと続いていた。土地は広々としていて、果てしなく広がっている。遠くの方には山々が連なって見えた。多分、あの山の遙か彼方に応天府があるのだろう。
 広い川に架かっている立派な石橋も渡った。田んぼや畑が広がるのどかな風景を見ながら馬に揺られ、日が暮れる前に小さな町に着いて、その日はそこの宿屋に泊まった。
 次の日も同じような景色が続いたが、途中から山道に入った。山道に入ってしばらく行くと、お決まりのように山賊が現れた。
 奇妙な武器を持った四人が前に立って道をふさぎ、後ろにも四人が現れた。サハチは左右の森の中を警戒した。弓矢が飛んで来るかもしれなかった。
「サハチさんとウニタキさん、後ろの敵をお願いします」とファイチが言った。
 サハチとウニタキはうなづいて馬から下りた。
「殺さないで下さい。殺すとあとが面倒です」
 サハチとウニタキがうなづく前に敵は掛かってきた。
 大した敵ではなかった。あっという間に、八人の敵は悲鳴を上げながらうずくまっていた。サハチとウニタキを相手にした四人は手や足を斬られ、ファイチが相手をした四人は急所を突かれて倒れていた。ファイチは刀を抜く事なく、鞘(さや)の鐺(こじり)で突いていた。ファイチの動きが素早く、スンリーの出る幕はなかった。
「皆さん、凄いですね。お嬢さんから強いとは聞いていましたが、こんなにも強いとは知らなかった。お嬢さんが頼りにするはずです」とスンリーはファイチに言っていたが、サハチとウニタキには何を言っているのかわからない。ただ、スンリーが二人を見る目が変わっているのには二人とも気づいていた。
 山賊退治は簡単にけりが付いたが、山賊たちがあとを追って来て、弟子にしてくれと言ってきた。三人を偉い道士だと勘違いしたらしい。ファイチが話を聞くと根っからの悪党ではないようだった。この辺りの豪族の私兵だったが、政権が変わって主人は処罰され、食うに困って山賊になった。最近は取り締まりも厳しくなって、山賊をしていくのも難しい時勢になってきた。今までの罪滅ぼしのためにも道士になりたいと言ったらしい。
 ファイチは何とか諦めさせようとしたようだが山賊たちはしつこかった。結局、ファイチが根負けして弟子にする事になり、八人はぞろぞろとあとを付いて来た。足に傷を負った男は足を引きずりながらも必死になって歩いていた。
 山道を抜けると大きな川(閩江(びんこう))に出た。川の中にはいくつもの島(中洲)があった。対岸に一番近い場所まで行くとスンリーが対岸に向かって白い旗を振った。
「あそこの中洲にメイファンの隠れ家があるようです」とファイチがスンリーの言った事を訳した。
「あれは中洲なのか」とウニタキが聞いた。
「かなり大きい中洲のようです。向こう側にも川があって、その対岸に福州の街があるようです」
 川の上流の方を見ると山々が連なっている。対岸も大きな中洲の向こうには山々が幾重にも見える。福州という街は山に囲まれた中にあった。下流に目をやれば、広い川に色々な形をした船がいくつも浮かんでいた。
 しばらく待っていると対岸から筏舟(いかだぶね)がやって来た。大きな筏舟だった。筏船にそのまま荷馬車を乗せ、馬も乗せて、勿論、全員が乗って対岸へと向かった。この辺りの土が赤いのか、川の水も赤く濁っていた。少しづつ下流の方に流されたが、何とか無事に中洲に着いた。
 周りを見回しても家らしい建物は見当たらなかった。再び、馬に乗って山道を進んだ。曲がりくねった細い道を登って行くと森の中に屋敷が建っていた。
 屋敷の入り口に三人の女が立っていて出迎えてくれた。中央にいたのがメイファンだった。琉球にいた頃の着飾った姿とは違って、まさしく海賊という格好だった。頭に鉢巻きを巻いて、馬乗り袴をはいて背中に刀を背負っている。勇ましい姿だが、顔付きは少しやつれているようだ。やつれているのが返って美しさを際立たせていた。両側にいる二人の女も似たような格好をしていて、二人とも美人だった。
 ファイチが馬から下りるとメイファンに近づいて話しかけた。サハチとウニタキも馬から下りてメイファンに近づいた。
「いめんしぇーびり(いらっしゃいませ)」とメイファンは琉球言葉で言って笑った。
 サハチとウニタキはただ笑って答えただけだった。家族を殺されたメイファンに何と言ってやったらいいのかわからなかった。
 メイファンは二人の女を紹介した。二人ともメイファンの姉で、上の姉がメイリン(美玲)、下の姉がメイユー(美玉)という名前だった。長女のメイリンは落ち着いた感じの美人で、次女のメイユーは気の強そうな顔付きをした美人だった。メイファンも気は強いが、メイユーはそれ以上で、この三人の中心にいるような気がした。長女も次女も嫁いだのだが、両親の敵(かたき)を討つために戻って来たらしい。
 弟子になった八人の山賊たちをスンリーに任せて、サハチたちは屋敷に入って、詳しい事情を聞いた。
 この屋敷は三人が子供の頃に暮らした屋敷だという。閩江が度々氾濫して不便なので、福州の街の近くに屋敷を移し、それ以後は使われなくなった。しかし、父親が殺されて、新しい屋敷は裏切り者に奪われ、ここを隠れ家にして敵の様子を探っているのだという。
 父親の名はヂャンルーチェン(張汝謙)といって、この辺りでは有名な海賊だった。海賊といっても襲う相手は官軍や役人たちだった。役人たちが民衆から搾り取った穀物や布などを奪い取り、それを密貿易に使って、儲けた分は民衆たちにも分け与えていた。ヂャンルーチェンにとって父親のヂャンシーチォン(張士誠)を殺した洪武帝は敵(かたき)だった。洪武帝が造った明国を相手に戦っていたのだった。
 祖父のヂャンシーチォンが洪武帝に敗れて自害した時、メイファンはまだ生まれていない。父は当時十六歳で家臣に守られて無事に逃げる事ができた。生き残った家臣たちは舟山(ジョウシャン)群島(浙江省)を拠点にして、倭寇(わこう)と手を組んで洪武帝に敵対した。
 メイファンたち三姉妹は舟山群島で生まれた。やがて、父は海賊大将となって官軍相手に戦った。メイファンが六歳の時、舟山群島を官軍に襲撃され、本拠地を南の福州に移した。年頃になると三人の娘は嫁いで行った。メイファンも海賊の倅のもとへ嫁ぐが、嫁いで二年目に夫は戦死してしまう。実家に戻って来たメイファンは海賊となり、船に乗って暴れ回った。そんなメイファンが恋をした。相手は父親と敵対している海賊の息子だった。お互いに親が許さず、二人は琉球に駆け落ちした。
 密貿易船に乗って浮島に着いた二人は、久米村を仕切っていたアランポーと手を組んで密貿易で稼ぎ、豪勢な暮らしを楽しむ。琉球に来て三年後、永楽帝が送った使者たちが琉球に来た。駆け落ちした相手はアランポーに見捨てられて捕まり、メイファンはファイチに助けられた。その後、商人として久米村で暮らすが、ファイチの話を聞いて、故郷に帰る決心をする。
 帰ってみると、両親も兄弟も皆、殺されていて、屋敷も財産もすべて没収されていた。父親の配下の者たちも主立った者は皆、捕まって処刑され、残ったのは琉球に行っていた船に乗っていた者たちと旧港(ジゥガン)(パレンバン)に行っていた船に乗っていた者たちだけだった。メイファンは姉たちと相談して、必ず敵を討つと強く決心したのだった。
 父親を役人に売ったのはチェンイージュン(陳依俊)という父親の配下の者だった。チェンイージュンは十年位前にどこからかやって来て、商才を認められて父の配下になった。丁度、メイファンが実家に戻って来た頃で、チェンイージュンは帳簿作りに精を出していた。それ以前は帳簿などなく、取り引きもいい加減だったが、父はチェンイージュンに取り引きを管理させようとしていた。その頃のチェンイージュンからは父を裏切るなんて想像もできないとメイファンは言った。メイファンが留守中に何かがあって、父を恨んで裏切ったのかもしれなかった。
 サハチたちはお茶を飲みながら、メイファンの話を聞いていた。お茶という飲み物は宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)に御馳走になった事があった。その時は、何となく青臭くて、あまりうまいとは思わなかったが、このお茶はうまいと感じた。やはり、本場で飲むお茶は違うのだろうかとサハチは思っていた。
「チェンイージュンという奴が裏切ったって、どうして、わかったんだ?」とファイチがメイファンに聞いた。
「チェンイージュンは今、城内にある父の屋敷で暮らしているのよ」
「城内にも屋敷があるのか」
 メイファンはうなづいた。
「あたしが留守にしている間に建てたのよ。多分、それがよくなかったんだわ。二年前の七月、永楽帝は宦官(かんがん)のジェンフォ(鄭和)に六十隻もの大船団を率いさせて大航海の旅に出たの。旅の目的は西の国々との交易よ。海禁政策のお陰で、西の国から船が来なくなったので、交易をするために出掛けて行ったのよ。その船には役人たちだけでなく、商人たちも数多く乗っていたの。その航海は一度だけでなく、何度も行くらしいの。そこで、父はその航海に商人として乗り込もうと考えたんだわ。そして、表の顔として、城内に絹織物を扱うお店を出したのよ。勿論、本名は隠して別の名前でね。でも、城内にいたから捕まってしまったのよ。場外にいれば海に逃げる事ができたけど、城内にいたら門を閉められたら、もう逃げられないわ」
「城内にいた者たちは皆、捕まってしまったのだな。チェンイージュンはその時、城内にはいなかったのか」
「わからないわ。でも、没収された屋敷がチェンイージュンに与えられて、何事もなかったような顔をしてお店をやっているわ」
「そうか。役人と裏取り引きがあったようだな。ちょっと聞きたいんだが、仲間を裏切るような奴は海賊としてやっていけるのか」
 メイファンは首を振った。
「海賊にも掟はあるわ。仲間を裏切るような奴は海賊の世界では生きられないはずよ。誰も相手にしないわ」
「その事を知っていて、チェンイージュンは裏切ったのか」
「根っからの海賊じゃないから、そんな事は知らなかったのかもしれない」
「それにしたって、そんな大それた事をする程の男なのか」
 メイファンはまた首を振った。
 姉のメイユーがメイファンに何かを告げた。
「メイユーが言うには、リンジェンフォン(林剣峰)という海賊が怪しいと言うのよ。リンジェンフォンは父の競争相手なの。父が福州に来たのはリンジェンフォンの父親の助けが大きかったの。リンジェンフォンの父親はこの辺りに勢力を持った海賊の頭領で、父も色々とお世話になったと言っていたわ。でも、その人が亡くなってしまうと、息子のリンジェンフォンは何かと父と対立するようになってきたの。昔に比べて、取り締まりも厳しくなって、海賊として生きていくのも難しくなったわ。よそ者は出て行けという態度になってきたのよ。この事はあまり話したくないんだけど、あたしが琉球に駆け落ちした相手はリンジェンフォンの長男だったの。あたしのお陰で長男を失ったと思っているに違いないわ。それに、メイユーの話だとリンジェンフォンの所にいたヤマトゥンチュ(日本人)がチェンイージュンの店の護衛をしているらしいわ」
「二人がつながっているという事か」
「わからないわ。そのヤマトゥンチュがリンジェンフォンの命令でそこにいるのか、それとも、リンジェンフォンとの関係は切れたのか」
「そのヤマトゥンチュというのは倭寇だな?」
「ええ、かなり腕が立つらしいわ」
「そいつは俺に任せろ」とウニタキが口をはさんだ。
 メイファンがウニタキを見て笑った。
「もし、チェンイージュンとリンジェンフォンがつながっていたら、両親の敵はリンジェンフォンという事になるわ。リンジェンフォンを倒すのは簡単にはいかない。でも、まず第一にチェンイージュンを倒さなければならないわ」
「チェンイージュンは城内の屋敷にいるんだろう。倒す事はできるだろうが、下手をしたら逃げられなくなるぞ」
「城内では襲わないわ。二日後に、チェンイージュンは密貿易をするために場外に出て来るの。そのあと場外にある屋敷に配下の者たちを集めて、ねぎらいの宴を開くはずよ。そこを狙って皆殺しにするわ」
「密貿易の相手は倭寇か」
「そのようね」
「リンジェンフォンなんだが、メイファンたちがここに集まっている事を知っているのか」
「知らないはずよ。あたしは琉球で死んだと思っているんじゃない。姉たちもあたしは死んだと思っていたもの」
「そうか。敵を討つまでは知られないようにした方がいいな」
 メイファンはうなづいた。
 話が済むと三人の姉妹たちは御馳走を用意してくれた。食事をしながら、サハチを肘で突っついて、「言葉がしゃべれないのは辛いな」とウニタキがしみじみと言った。
「目の前に美人がいるのに話もできない。まったく辛い」
 サハチはウニタキを見ながら苦笑した。サハチも同じ事を思っていたのだった。時々、次女のメイユーと目が合って、お互いに照れくさそうに笑うだけで、言葉は交わせなかった。

 

 

 

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