長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-22.清(ちゅ)ら海、清ら島(改訂決定稿)

 サハチ(島添大里按司)は首里(すい)グスクの西曲輪(いりくるわ)にある物見櫓(ものみやぐら)から輝く海を眺めていた。
 早いもので、明国(みんこく)から帰って来て二十日が過ぎようとしていた。まったく慌ただしい二十日間だった。
 明国からの船旅は、黒潮を超えた辺りで嵐に襲われて、何とか無事に乗り越えると、そのあとは順調だった。久米島(くみじま)に着いて、キラマ(慶良間)の島々を横に見ながら、サハチは改めて琉球の美しさを実感していた。
 広大な明の国を見て、琉球の小ささを嘆いていたが、この美しさは決して、明国の景色に劣るものではなかった。琉球は小さいが誇るべき国だった。この美しい国に生まれた事をサハチは感謝して、この国をもっと素晴らしい国にしなければならないと思った。
 浮島(那覇)には大勢の人たちが進貢船(しんくんしん)の無事の帰還を待っていた。進貢船の帰りを待っていたヤマトゥ(日本)船も何隻かあった。小舟(さぶに)に乗って上陸すると馬天(ばてぃん)ヌルと佐敷ヌルが出迎えてくれた。二人の顔を見て、何事もなかったようだとサハチは安心した。ファイチ(懐機)の家族も一緒にいた。
 改めて挨拶に行くと言って、ファイチは家族を連れて久米村(くみむら)に向かった。サハチとウニタキ(三星大親)は馬天ヌルと佐敷ヌルと一緒に首里に向かった。
 首里グスクは変わっていた。グスクの北側、大御門(うふうじょー)(正門)と東御門(あがりうじょう)(裏門)の前に、堀と土塁で囲まれた新しい曲輪(くるわ)ができていた。新しい大御門をくぐって中に入ると、広い曲輪内に厩(うまや)とサムレーの屋敷らしい建物が建っていた。
「お祭りのあと、王様(うしゅがなしめー)が指揮して作ったの。佐敷や島添大里(しましいうふざとぅ)からも大勢の人がお手伝いに来てくれたのよ。北曲輪(にしくるわ)って呼んでいるわ」と馬天ヌルが説明した。
「さすがだね」とウニタキが土塁を眺めながら言った。
「大御門の前が弱いと思っていたんだ。これで完璧なグスクになった」
 そう言われてみると確かにそう思えた。大御門にしろ東御門にしろ、そこを突破されたら、このグスクは落城してしまう。門の前にこの曲輪を造った事で、難攻不落のグスクになったと言えた。
 乗って来た馬を預けて、東御門から入って、父の思紹(ししょう)(中山王)に挨拶をするため百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の二階に向かった。
 思紹はジクー(慈空)禅師と囲碁をしていた。サハチを見ると手を止めて、「無事に帰って来たか」と言って笑った。
 サハチも笑ってうなづき、「ただ今、無事に帰って参りました」と頭を下げた。
「こちらも何事もありませんでしたか」とサハチが聞くと、
「色々とあったのよ」と馬天ヌルが言って、刺客(しかく)の一件を話した。
「あいつが死んだのか」とウニタキが厳しい顔付きで言った。
「そいつは何者なんだ?」とサハチがウニタキに聞いた。
「勝連(かちりん)のウミンチュ(漁師)だ。王様に相談された時、すぐにその男を思い出したんだ。奴には三人の息子がいて、息子たちをサムレーにしてくれたら引き受けると言った。俺はサム(勝連按司後見役)に頼んで、長男と次男をサムレーにしてもらった。三男はまだ十五歳だったので、二年後にサムレーにすると約束したんだ。ウミンチュを王様に仕立てるのは大変だったが、奴は見事にやりこなした。こんなにも早く亡くなってしまうなんて思ってもいなかった」
「奴のかみさんと三男は今、首里にいる」と思紹が言った。
「えっ?」とウニタキが思紹を見た。
「みんな首里に呼ぶつもりだったが、長男と次男は勝連で必要だというので、そのまま勝連に仕えてもらう事にした。三男は首里で立派なサムレーに仕込むつもりじゃ。今、武術道場とナンセン寺(でぃら)に通っている」
「そうでしたか。ありがとうございます」
 ウニタキは思紹に頭を下げて、顔を上げると、
「それで、その刺客の正体はわかったのですか」と聞いた。
「馬天ヌルのお陰で、スズナリは今帰仁(なきじん)合戦で亡くなった今帰仁の若按司の娘だとわかった」
「山北王(さんほくおう)の仕業だったのですか」とサハチが驚いた。
「それが違うのよ」と馬天ヌルが言った。
スズナリは父の敵(かたき)である武寧(ぶねい)を殺すために、ヌルになって浦添(うらしい)グスクに入ったの。でも、武寧は殺さなかった。これは推測なんだけど、どうもスズナリは武寧の息子といい仲になったらしいのよ。誰だかわからないけど、そのために、武寧を殺す事はできなかった。浦添グスクが焼け落ちて、武寧の息子も亡くなって、スズナリは武寧の息子の敵を討つために首里に来て、身代わりとは知らずに王様を殺して自害したようだわ」
「武寧の息子の敵討ちでしたか‥‥‥」
 まったく意外な話だった。南風原(ふぇーばる)の合戦から越来(ぐいく)グスクの戦(いくさ)までに戦死した兵は数百人にも及んでいる。戦死した家族から見れば中山王(ちゅうさんおう)は敵だった。スズナリと同じように敵討ちを考えている者がいるかもしれなかった。
 マチルギがやって来た。
 半年振りに見るマチルギは美しく見えた。馬天ヌルがいつまでも若いと思っていたが、マチルギもいつまでも若かった。一緒になって二十年も経つというのに、マチルギはそんな年齢には見えなかった。一緒になってからずっと一緒にいたので、その事に気づかなかったのかもしれない。半年振りに見たマチルギはまぶしく、サハチは改めて、マチルギに惚れ直していた。
「なによ、あたしの顔に何かついているの?」とマチルギは言って、顔をこすった。
「いや、会いたかったよ」
「何を言ってるのよ。唐旅(とーたび)から帰って来て、最初の言葉がそれ? 嬉しいけど、何だか裏がありそうね」
 マチルギは横目でサハチを見た。
 しまったとサハチは思った。本心を言わなければよかったと後悔した。
 その夜、北の御殿(にしぬうどぅん)の大広間で帰国祝いの宴(うたげ)が開かれ、主立った家臣たちが集まった。
 翌日は御内原(うーちばる)で身内だけの帰国祝いの宴があり、その翌日は島添大里で帰国祝いの宴と続いた。
 そして次の日、三姉妹の船が浮島にやって来て、その夜は久米村のメイファン(美帆)の屋敷で歓迎の宴が開かれた。その宴にはヒューガ(日向大親)も参加した。ヒューガはヂャンサンフォン(張三豊)と会って感激し、ヤマトゥ言葉でしきりに武術の事を聞いていた。
 翌日、サハチはヂャンサンフォンとシンシン(杏杏)を連れて首里に帰り、思紹とマチルギに紹介した。ヂャンサンフォンとシンシンの模範試合を見た二人は、すっかり武当拳(ウーダンけん)に魅せられて指導を頼んだ。ヂャンサンフォンは喜んで引き受けた。
 その夜は遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』で、ヒューガと苗代大親(なーしるうふや)も呼んでヂャンサンフォンの歓迎の宴が開かれた。
 夜中に屋敷に帰ると、マチルギが待っていて、「海賊の四姉妹に会わせて」と言ってきた。
 ラオファン(老黄)の娘のリェンリー(怜麗)は姉妹ではないと言おうとしたら、
「綺麗な四姉妹だって言うじゃない」とマチルギは言って、サハチをじっと見つめた。
 サハチはマチルギの強い視線から目をそらせて、「明国では大変お世話になったんだ」と言った。
「そうでしょうねえ。あたしに内緒にしたいくらいお世話になったんでしょ」
「別に内緒にしていたわけではない」
「とにかく会わせて。これからも長いお付き合いをしていく事になるんでしょ。あたしからもちゃんと挨拶をするわ」
 マチルギは馬天ヌルから四姉妹の事を聞いたようだった。ヂャンサンフォンと会ったヒューガが感激して馬天ヌルに話した。四姉妹の事はついでに話したのだろうが、マチルギは感づいてしまったようだ。
 翌日、サハチは仕方なく、マチルギをメイファンの屋敷に連れて行って、三姉妹とリェンリーを紹介した。その場にいるのが恐ろしくて、サハチは用があると言って、すぐに引き上げてきた。
 サハチが首里の屋敷に帰るとウニタキが待っていた。ヂャンサンフォンとシンシンは王様から使いが来てグスクに行ったという。
「参ったよ」とサハチはウニタキに言った。
「マチルギが今、三姉妹と会っている」
「ばれたのか」
「ばれそうだ」
 ウニタキは苦笑した。
「恐ろしい事になりそうだな」
「まったくだ。雲隠れしたい心境だよ」
 ウニタキはサハチを見て笑っていたが、
「お前だって危険だぞ。マチルギがチルーに話すかもしれん」とサハチが言うと、
「あっ」と言ってウニタキは苦い顔をした。
 サハチは困った顔をして首を振っていたが、真顔に戻ると、「留守中の事はわかったか」とウニタキに聞いた。
「ああ、色々とあったぞ」とウニタキは留守中の出来事をサハチに話した。
 首里グスクのお祭りの時、思紹の身代わりがスズナリに殺されて、スズナリの正体を調べるために、馬天ヌルがヤンバル(琉球北部)まで行った事はすでに聞いていたが、その話には続きがあった。
 勢理客(じっちゃく)ヌルと別れて羽地(はにじ)に向かう途中、馬天ヌルは襲撃を受けていた。敵は十人いて、奥間大親(うくまうふや)の配下の者とチュージが率いていた三星党(みちぶしとー)の者たちのお陰で、馬天ヌルは無事で、敵を全滅する事ができた。首領らしい男に誰の差し金か聞いたら、湧川大主(わくがーうふぬし)に命じられたと言ったらしい。
「湧川大主というのは山北王の弟だな?」とサハチは聞いた。
 ウニタキはうなづいて、「交易関係を仕切っているらしい」と言った。
「勢理客ヌルと共謀して馬天ヌルの命を狙ったのか」
「馬天ヌルは勢理客ヌルの屋敷に一晩泊まっている。二人は夜遅くまで語り合っていたようだ。勢理客ヌルは関係ないだろう。馬天ヌルが勢理客ヌルの屋敷に泊まった事を知った湧川大主が暗殺を命じたに違いない。馬天ヌルは今帰仁でも凄いヌルだと有名のようだ。将来のために始末しておこうと考えたのだろう」
「山北王は情報集めに誰を使っているんだ? 以前、ヤキチ(奥間大親)から今帰仁には奥間大親はいないと聞いていたが」
「どうも『油屋』が各地の情報を集めているらしい」
「油屋?」とサハチは意外な答えに戸惑った。
「ヤマトゥンチュ(日本人)だ。ウクヌドー(奥堂)と呼ばれている博多の油屋のようだ。三十年近く前に今帰仁にやって来て油屋を開き、今では大勢の行商人(ぎょうしょうにん)を抱えて、琉球各地を売り歩いている。調べたら首里グスクに出入りしている油屋も奴の手下だった」
「何だって! 今帰仁の油屋が首里にいるのか」
首里にも店を出していた」
「何という事だ」とサハチは信じられないといった顔でウニタキを見ていた。
「多分、浦添から移って来たのだろう。まだ調べてはいないが、島添大里や佐敷にも出入りしているかもしれん。油は琉球でも作っているが、そいつの油の方が安いし、大量に手に入れられるので、大量に油を使うグスクでは、そいつと取り引きをしている所が多いようだ」
「三十年も前から、その油屋は各地の情報を集めていたのか」
「詳しい事はわからんが、山北王が油屋を使って情報を集めるようになったのは、今帰仁合戦のあとからのようだ。それも中山王と山南王(さんなんおう)に関する情報が中心だったらしい」
「そうか。油屋とは意外だった。すると、山北王は首里で何が起こっているのか、すっかり知っているという事だな」
「多分な。首里グスクを拡張した事もすでに知っているだろう」
「山北王は山南王と手を組んで、首里を攻める気配はあるのか」
「今のところは戦をするよりも材木で稼ぎたいようだな。今、首里では大きな宿泊所を普請(ふしん)している。浮島では天使館の改築もしている。材木はまだまだ必要だ」
「もしかして、その材木屋も今帰仁とつながっているのか」
「ああ、今帰仁の商人だ。武寧が首里グスクを築くために山北王に頼んでヤンバルの材木を送ってもらった。その時はサムレーの指揮で運んだらしいが、あまりにも大量の材木が必要なので、サムレーの一人が商人となって浦添に店を出したらしい。首里グスクのお陰でかなり稼いだようだ」
「材木屋も山北王か‥‥‥山北王というのは商売がうまいな」
 そう言ってサハチは苦笑した。
「稼いだお陰か知らんが、山北王は今帰仁グスクの自分の屋敷と御内原の屋敷を新築している。それと、ヤンバルの入り口となる恩納(うんな)と金武(きん)にグスクを築いているぞ」
「恩納と金武か。そんな所にグスクを築かれたら攻めづらくなるな」
「そのグスクには山北王の従弟(いとこ)が入る事になっている。スズナリの弟たちだ」
「戦死した今帰仁の若按司の息子たちだな」
 ウニタキはうなづいて、「この二人は利用できそうだぞ」とニヤッと笑った。
「どういう意味だ?」とサハチは聞いた。
今帰仁合戦で山田按司に殺されたのは今帰仁按司と若按司、それに若按司の長男と次男だ。当時、六歳だった三男と四歳だった四男は御内原にいて助かった。本来なら三男が跡を継いでもいいのだが幼すぎるので、今帰仁按司の弟が跡を継いだ。弟が亡くなって、弟の長男が今の今帰仁按司だ。若按司の三男は今、二十二歳になっている。お前が今帰仁按司になるべきだとけしかければ、山北は分裂するだろう」
「成程、利用価値はあるな」とサハチは笑った。
「二人が近くにいるのも、何かと都合がいい」
「そうだな。他の按司たちはどうなんだ? 皆、山北王に従っているのか」
「国頭按司(くんじゃんあじ)は山北王の叔父なんだが、山北王をあまり快く思っていないようだ。材木の切り出しを中心になってやっていて、苦労した割には報われないと思っている。材木で稼いだ分のほとんどは山北王に取られ、国頭按司の分け前は少ないらしい。それと、もう十年以上も前の事だが、美人と評判だった長女を無理矢理、山北王の側室として奪われたようだ。正妻ではなく側室だった事に、当時はかなり怒って、今帰仁を攻めると大騒ぎしたらしい。未だに、当時の恨みを持っているかどうかは知らんが、仲がいいとは言えんな」
「木の切り出しには奥間の者たちも手伝っているのか」
「奥間の杣人(やまんちゅ)たちも加わっている」
「そうか。国頭按司も使えそうだな」
 ウニタキはうなづいた。
「羽地按司(はにじあじ)は山北王の大叔父だ。先々代の山北王の弟で、うるさい事を言うので、山北王の方が嫌っているようだ。その若按司の妻はスズナリの姉だ。羽地按司が亡くなって、若按司が羽地按司になれば、スズナリの弟たちに付く可能性もある。ただ、若按司の姉は湧川大主に嫁いでいる。湧川大主に従う可能性もある。名護按司(なぐあじ)は山北王の叔父だ。若按司の妻は羽地按司の娘だ。名護按司の長女は国頭按司に嫁いでいる。ヤンバルには、今帰仁、名護、羽地、国頭と四人の按司しかいないので、すべて婚姻でつながっていて、皆、親戚と言える。強く団結する事もできるが、バラバラになる可能性も充分にあるといったところだな」
「よくそれだけ調べたものだ」とサハチは感心した。
「俺がいなくても大丈夫のようだ」とウニタキは楽しそうに笑った。
「ところで、『よろずや』のイブキ(伊吹)は今帰仁グスク内に入ったのか」とサハチは聞いた。
浦添ヌルの信用があるからな。ムトゥが御内原まで行って商売をしている」
「そうか、入ったのか。中はどんな様子なんだ?」
「大御門(うふうじょー)(正門)を入ると外曲輪(ふかくるわ)がある。外曲輪は今帰仁合戦のあとに拡張した曲輪だ。そこはかなり広くて城下の者たちを収容できるだろう。厩(うまや)といくつかの屋敷が建っているそうだ。そして、以前の大御門は中御門(なかうじょう)と呼ばれていて、中に入ると中曲輪がある。中曲輪の左側に御門があって、その先が三の曲輪だ。石垣で囲まれていて中は見えないが、掛け声が聞こえてきて、兵たちが訓練をしているようだという。中曲輪の右側には大きな井戸(かー)があるらしい。中曲輪の坂道を登って行くと右側に大きな客殿がある。さらに登って御門をくぐると高い石垣に囲まれた二の曲輪に出る。その二の曲輪に御内原の仮の屋敷があるそうだ。御内原は二の曲輪の左側にあって、今、新しい屋敷を普請(ふしん)している。二の曲輪には御庭(うなー)があって、その上の一の曲輪に山北王の御殿(うどぅん)がある。去年、建てたばかりで新しく、首里の百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)を真似して赤く塗って、屋根には瓦が載っていたという」
「石垣を越えて外曲輪に入って、さらに石垣を越えて三の曲輪に入って、さらに石垣を越えて二の曲輪に入ってか‥‥‥攻め落とすのは容易ではないな」
首里グスクを攻めるより難しいだろう。御内原の仮屋敷で、商売していたら山北王が顔を出したらしい。ムトゥが言うには山北王は苦み走ったいい男だそうだ」
「親父が亡くなって跡を継いだ時、山北王は二十歳前後だったそうだが、あれから何年が経っているんだ?」
「今、三十二だそうだ。俺たちより四つ年下だよ」
「ムトゥはいくつなんだ?」
「ムトゥも三十二、三になるだろう」
「そうか。ムトゥは山北王と同い年か‥‥‥お嫁にも行かずに頑張っているな。いつか、褒美(ほうび)をやろうと思っていて先延ばしになってしまった。明国から持って来た鏡でもやろうか」
「お前からもらえば、ムトゥも喜ぶだろう。そうしてくれ」
 サハチはうなづいた。
今帰仁にいる研ぎ師のミヌキチ(簔吉)なんだが、三月に亡くなったそうだ」
「えっ?」とサハチは驚いた。
 ミヌキチの事はすっかり忘れていた。二十年前、初めて今帰仁に行った時とその後、何度かお世話になったが、自分たちが顔を出すとミヌキチに迷惑が掛かるというので、その後は行っていなかった。あの頃、六十を過ぎていたので、八十過ぎまで生きていた事になる。
「伊波(いーふぁ)按司には知らせたのか」とサハチは聞いた。
「知らせた」とうなづいたあと、「今度はシタルー(山南王)だ」とウニタキは言った。
「何か動きがあったのか」
「シタルーは地盤固めをしているようだ。山南王と言いながら、シタルーに従っているのは西方(いりかた)の一部だけだからな。タブチ(八重瀬按司)の留守に、米須(くみし)、具志頭(ぐしちゃん)、与座(ゆざ)、伊敷(いしき)、真壁(まかび)、玻名(はな)グスクを寝返らせたようだ」
「するとタブチは孤立したのか」
「孤立とは言えんだろう。タブチは東方(あがりかた)に入ったんだ」
「そうだな。しかし、タブチはこのまま黙ってはいまい」
「明国を見てきたタブチがどう出るかが楽しみだな」
「どう出るか、まったく見当もつかんな」
「それと、李仲(リーヂョン)という唐人(とーんちゅ)が伊敷の南、真壁の西辺りにある丘の上にグスクを築いて、李仲按司を名乗っている」
「その李仲というのは何者なんだ?」
「いつ琉球に来たのかはわからんが、アランポー(亜蘭匏)と対立して久米村を追い出されて、今帰仁に行ったらしい。今帰仁合戦の一年前、山北王の使者として明国に行っている。その頃、山北王は進貢船を持っていなくて、中山王の船に便乗して行ったようだ。戦のあと、山北王は明国に行けなくなり、使者の仕事もなくなって、李仲は宇座按司(うーじゃあじ)を頼って宇座に行った。家族と一緒にしばらく宇座の牧場で暮らしていたらしい。明国に留学していたシタルーが帰って来ると、会いに行って意気投合したようだ。年齢もシタルーと同じくらいだという。シタルーの紹介で山南王(汪英紫)に仕える事になって、宇座按司の副使として、何回か明国に行ったようだ。戦の時はシタルーの右腕として作戦を練ったりもしていたらしい。今回、グスクを築いて按司を名乗ったのも、寝返った米須、真壁、伊敷を見張るためだろう」
「そんな唐人がシタルーのもとにいたなんて知らなかった」
「李仲の倅だが、二年前に山南王の官生(かんしょう)として留学しているそうだ」
「官生か‥‥‥中山王も誰かを留学させた方がいいな」
「そうだな。立派な使者を育てなければならん。あっ、言い忘れたが、馬天ヌルは襲撃のあと。奥間まで行ったようだ。今度いつ来られるかわからないので、サタルーに会いに行ったらしい」
「奥間ヌルにも会ったんだな」
「奥間ヌルの可愛い娘にも会ったようだ」
「参ったなあ」とサハチは頭をかいた。
 メイユー(美玉)の事で頭がいっぱいなのに、奥間ヌルの娘まで持ち出されたら、命がいくつあっても足りなかった。
「因果応報(いんがおうほう)というやつだな」とウニタキは笑った。
「笑い事じゃない。俺は消えてしまいたいよ。師匠に頼んで、消える術を習いたい」
 ウニタキが帰ったあと、首里グスクに行くと、マチルギが三姉妹とリェンリーを連れて来ていた。あのあと何があったのかはわからないが、どうやら、マチルギは三姉妹たちと意気投合したようだ。仲よく一緒にいるところはまるで、五姉妹のようだった。
 サハチは五人に声を掛けずに、そこを去って島添大里に向かった。お土産を持って『まるずや』に行くと、ナツは嬉しそうにサハチを迎えた。ナツとゆっくり過ごしたかったが、今はそれどころではなかった。島添大里グスクに帰って、絵地図を広げて眺めているとマチルギが三姉妹とリェンリーを連れてやって来た。
 サハチが驚いて迎えると、「絵を見に来たの」とマチルギは言った。
 リェンリーは書画に詳しく、値打ちもわかるので島添大里グスク内に飾ってある書画の鑑定をしてもらうために連れて来たという。
 サハチはナツのところに長居しなくてよかったと心の内でホッとしていた。
 マチルギは三姉妹とリェンリーを連れてグスク内の書画を見て歩き、「驚いたわ。みんな値打ち物らしいわ」と言って喜び、東曲輪(あがりくるわ)の佐敷ヌルの屋敷に三姉妹とリェンリーを連れて行った。その日は首里に帰らず、佐敷ヌルの屋敷に泊まったようだ。女子(いなぐ)サムレーたちと一緒に武術談義を交わしていたのだろう。
 その後は三姉妹たちも久米村に帰って、マチルギも首里に落ち着いた。
 ヂャンサンフォンとシンシンは琉球をもっと知りたいと言って旅に出た。サハチの長男、サグルーとジクー禅師が一緒について行った。サグルーはヤマトゥ旅には行ったが、琉球内を旅していない。各地の様子をしっかり見てこいと送り出した。呼んでもいないのにササが旅支度で現れて、「あたしも行く」と言って一緒に行った。駄目だと言っても聞くはずはない。シンシンの話し相手に丁度いいと思って、行くのを許した。
 留守中に溜まっていた仕事を何とか片付け、首里に顔を出すと、マチルギがキラマの島に行きたいと言い出した。
「今年は恒例の旅に行ってないし、あの四姉妹にもあの美しい景色を見せてあげたいわ」
「四姉妹を連れて行くのか」と言ってから、「それはいい考えた」とサハチは賛成した。
「四姉妹に鉄炮(てっぽう)と火薬を頼んだんだ。鉄炮と火薬を浮島に持って来るわけには行かない。あの島に持って来てもらおう」
「どうして、浮島に持って来られないの?」
鉄炮と火薬は明国から国外に出す事は禁止されているんだ。ファイチが言うには久米村には明国とつながっている唐人もいるらしい。そいつらに知られると明国にも知られてしまう。海賊と取り引きしている事は内緒にしなければならないんだよ」
「それなら、どうしてもあの島の位置を知らなければならないわ」
「俺が連れて行くつもりだったけど、お前が行くなら一緒に連れて行ってくれ」
「わかったわ」
「ついでに王様も連れて行ってくれ」とサハチは言った。
「えっ?」とマチルギは驚いた。
「親父もここから出たくてしょうがないようだ。ここから出たくても出られないお袋や側室たちも連れて行けばいい」
「そんなに大勢で行ったら目立つわ」
「勿論、お忍びだ。みんな、庶民の格好をしてバラバラにグスクを出て、メイファンの屋敷に集まって、朝早く船出すればいい」
「面白そうね」とマチルギは楽しそうに笑った。
「今度は俺が留守番しているよ」
 ヤンバルまで旅をした馬天ヌルは残り、マチルギ、思紹王、王妃と八人の側室、側室に付いて来た侍女たち、佐敷ヌルと数人の女子サムレーが、三姉妹とリェンリーとラオファンと一緒に、ヒューガの船に乗ってキラマの島に向かった。
 ウニタキの妻のチルーとファイチの妻のヂャンウェイ(張唯)も子供たちを夫に任せて出掛けて行った。サハチの弟たち、佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)夫婦と平田大親(ヤグルー)夫婦とマタルー夫婦も一緒に行った。弟たち夫婦も久し振りの旅だった。末の弟のクルーは五月に、苗代大親の次男のサンダー(三郎)と一緒にヤマトゥ旅に出ていた。
 物見櫓の上から琉球の美しい景色を眺めながら、サハチはホッと一息ついていた。
 明国の都を思い出しながら、ここを都らしくするには立派な寺院をいくつも建てなければならないと思った。それに、遠くから見える高い塔も必要だ。察度(さとぅ)が建てた首里天閣(すいてぃんかく)を思い出して、グスク内にあんな楼閣を建てようかと考えていた。

 

 

 

 

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