長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-32.落雷(改訂決定稿)

 マチルギたちが博多に着いた頃、サハチ(島添大里按司)は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで、ウニタキ(三星大親)と一緒に明国(みんこく)のお茶を飲んでいた。
 サハチがお土産に持って来たお茶は、初めの頃は誰もが変な味と言っていたが、今ではみんなが一休みする時に飲んでいた。首里(すい)や島添大里、佐敷に平田、中グスクに越来(ぐいく)、勝連(かちりん)と重臣たちは勿論の事、サムレーたちから城女(ぐすくんちゅ)に至るまで飲んでいるので、かなりの量が消費された。明国に行ったマサンルー(佐敷大親)に買ってくるように頼んであるが、三姉妹の船が来たら、大量に仕入れられるように頼もうと思った。
 今、島添大里グスクにはサハチの子供八人とウニタキの子供四人と佐敷ヌルの娘がいた。女の子の中の年長はウニタキの娘のミヨンで、母親に似て、しっかり者だった。ミヨンが幼い子供たちの面倒をよく見てくれるので、ナツや侍女たちも助かっていた。
 普段は滅多に帰って来ないのに、ちょくちょく顔を出すウニタキはミヨンにうるさがられていた。
「ここは大丈夫だから、ちゃんとお仕事をして」とミヨンに言われ、ウニタキは少し傷ついていた。
「ミヨンはいいお嫁さんになるぞ」とサハチが言うと、
「馬鹿を言うな。まだ、お嫁に行くには早すぎる」とウニタキは怒った。
「それでも、あと二年もしたら、お嫁に出さなくてはなるまい」
 ウニタキは首を振った。
「急いでお嫁にやる事もない」
 サハチはウニタキの顔を見て笑った。
「手放したくないのだな」
「ミヨンは女子(いなぐ)サムレーになりたいと言っているんだ。それもいいと思っている」
「女子サムレーか‥‥‥お爺が美里之子(んざとぅぬしぃ)だからな、素質はあるかもしれんな」
「二年前からチルーが基本を教えているんだ。来年は娘たちの稽古に通うと言っている」
「それもいいが、ミヨンは母親に似て美人(ちゅらー)だからな。男どもが黙っているまい」
「それが問題なんだ。変な虫が付かないように気をつけなければならん」
 ウニタキの真剣な顔を見て、サハチはまた笑った。
「配下の者にミヨンを見張らせればいい」
「馬鹿を言うな」とウニタキはサハチを睨んだ。
 サハチは話題を変えて、「マチルギたちはヤマトゥ(日本)に着いたかな」と言った。
 ウニタキは指折り数えて、「もう着いたんじゃないのか」と言ったあとサハチの顔を見て、「お前が馬鹿な事をしなければ、今頃、俺たちがヤマトゥに行っていたんだ」と恨みがましく言った。
「すまんな。その事は俺も考えたんだ。もし、ナツの事がなかったとしても、マチルギは行ったと思う。メイユー(美玉)の事を持ち出してな。今回、マチルギはメイユーの事は持ち出さなかった。それが不気味なんだよ。第二の御褒美(ごほうび)を狙っているようだ。それが何だかわからんがな」
「そろそろ来るんじゃないのか。今回はマチルギもいない。お前もメイユーといい思いができるさ」
 サハチはニヤッと笑ったが、「何となく、あとが怖いような気がするんだ」と心配そうな顔をした。
「マチルギは留守でも、お前を見張っているというのか」
「ああ。マチルギはメイユーの事を知っている。ちゃんと準備をして出掛けたに違いない。ナツにも言ったのかもしれない。そして、首里の女子サムレーたちに俺の動きを探らせるかもしれない」
 ウニタキは笑って、「ナツならメイファン(美帆)の屋敷に忍び込んで、お前の動きを探る事もできるな」と言った。
「本当か」
「屋敷の忍び込み方は俺が教えた。あの屋敷は門番がいるだけだからな、忍び込むのはわけないさ」
「参ったな」
「心配するな。ナツもそこまではやるまい。シタルー(山南王)だが、長嶺(ながんみ)の山の上にグスクを築き始めたぞ」
「なに、長嶺の山といえば、ハーリーの時、苗代大親(なーしるうふや)の兵が待機した山だな」
「そうだ。シタルーもあの山を見逃さなかったようだ。あそこにグスクを築かれると山南王を攻めづらくなる」
「そうか。シタルーが動き出したか。北(にし)はどうだ。何か動きはあったか」
「先月、女たちがヤマトゥに行ったあと、山北王(さんほくおう)は進貢船(しんくんしん)に乗って徳之島(とぅくぬしま)に行ったらしい」
「徳之島? 木でも伐りに行ったのか」
「木を伐るのに、山北王が直々に行くまい。進貢船には百人以上の兵が武装して乗って行ったという」
「徳之島を攻めたのか」
「多分、今頃、攻めているんだろう。山北王は与論島(ゆんぬじま)と永良部島(いらぶじま)を支配下に置いている。徳之島も支配下に置くつもりだろう」
「山北王は北に勢力を伸ばすつもりか」
「奴の目が北に向いているうちは、首里も安全だろう」
「しかし、奴の勢力が大きくなるのを放っておいてもいいのか」
「山北王を倒せば、奴の領地はすべて手に入る。奴が北の島々を治めてくれれば、その分、手間が省けるというものだ」
「成程な。北の島々は奴に任せよう」
「それと、中山王(ちゅうざんおう)が送り込んだ側室だが、弟の湧川大主(わくがーうふぬし)の側室になったようだ」
「何だって!」
「どういういきさつがあったのかは知らんが、今は運天泊(うんてぃんどぅまい)にある湧川大主の屋敷にいる。返って、よかったかもしれん。湧川大主は曲者(くせもの)だからな。奴の動きがわかるのは都合がいい」
「つなぎはいるのか」
「大丈夫だ。今帰仁(なきじん)の『よろずや』が時々、顔を出している」
「そうか。うまくやってくれ。ところで、兼(かに)グスク按司は何をしている?」
「相変わらず、武芸に熱中しているようだ。ここを真似して、娘たちに剣術を教え始めている」
「兼グスク按司が教えているのか」
「いや、女の師範がいた」
「そんな女があの辺りにもいるのか」
「俺も不思議に思って調べたら、マチルギの教え子だったよ」
「何だと?」
「佐敷から阿波根(あーぐん)に嫁いで行ったらしい」
「そうか。マチルギが娘たちに教え始めてから、もう二十年が経つからな。教え子たちも相当の数になるはずだ。遠くにお嫁に行った娘もいるだろう。もしかしたら、そんな娘があちこちにいるかもしれんな」
「ああ、そう考えると、マチルギは凄い女だよ。教え子の数は一千人近くいるんじゃないのか」
「一千か‥‥‥凄いな」とサハチも改めて感心していた。
 女子サムレーのカナビー(加鍋)が娘たちの稽古が始まるとサハチを迎えに来た。
「お前が佐敷ヌルの代わりに教えているのか」とウニタキは驚いた顔をしてサハチに聞いた。
「剣術じゃない。武当拳(ウーダンけん)だ。シンシン(杏杏)が佐敷で娘たちに教えたんだ。そしたら、ここの娘たちも習いたいと言い出して、俺が教える事になったんだよ」
「忙しい事だな」とウニタキは笑った。
 サハチは東曲輪(あがりくるわ)に向かい、ウニタキは帰って行った。
 次の日の午後、サハチは首里グスクに向かった。
 首里グスクの西曲輪(いりくるわ)の楼閣は太い柱が四本立ち、骨組みがほぼできあがっていた。思紹(ししょう)(中山王)は彫刻に熱中している。楼閣の周囲を飾る彫刻なので、かなりの数が必要だった。龍(りゅう)を彫り上げた思紹は虎(とぅら)を彫っていた。午前中は北の御殿(にしぬうどぅん)で政務を執って、午後になると百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の二階で彫刻を彫っていた。
「龍は東(あがり)を守る神様らしい。虎は西(いり)を守る神様じゃ。北(にし)が玄武(げんぶ)という亀(かーみー)で、南(ふぇー)は朱雀(すざく)という鳥(とぅい)らしい。その四つを彫って楼閣の四方に飾るつもりじゃ」
 父は御機嫌な顔をして、そう言った。
「観音(くゎんぬん)様は彫らないのですか」とサハチが聞くと顔を上げて、
「観音様か‥‥‥」とつぶやいて、「最近、東行庵(とうぎょうあん)に行っていないが、どうなっているじゃろうのう」と言った。
「ちゃんとマサンルーが守っていますよ」とサハチは答えた。
「マサンルーは明国に行っていて、今はいないけど、村(しま)の人たちが大切に守っています。あそこを通る人は皆、観音様を拝んでから通るそうです」
「そうか、それはよかった。今回は観音様は彫らんよ。観音様を置いたらお寺(うてぃら)になってしまう」
「お寺で思い出しましたけど、楼閣が完成したら、今度はお寺を建てましょう。ヤマトゥにあるような大きなお寺です」
「お寺か。博多にあるような大きな奴じゃな」
「大きな観音様が必要ですよ」
「任せておけ」と思紹は楽しそうに笑った。
 百浦添御殿の二階から下りると女子サムレーのトゥラ(寅)と出会った。思紹が彫っていた虎の顔を思い出し、何となく似ているような気がして、笑いたくなるのをサハチは必死に堪(こら)えた。
 トゥラはマチルギの代わりに女子サムレーの指揮を執っていた。マチルギの古くからの弟子で、女子サムレーができた十五年前から女子サムレーを務めている。馬天浜(ばてぃんはま)のウミンチュ(漁師)の娘で、お嫁にも行かずにマチルギの右腕として頑張っていた。きっと、マチルギからサハチを見張れと命じられているのだろう。
 トゥラはサハチに頭を下げた。
 サハチは御苦労と言って手を振り、御殿(うどぅん)を出た。
 島添大里から連れて来た二人の従者を連れて、サハチは浦添(うらしい)に向かった。本来なら従者など連れずに一人で行くのだが、決して一人で出掛けるなとマチルギからきつく言われていた。マチルギが無事に帰ってくれるように、サハチはマチルギとの約束を守っていた。
 草茫々(ぼうぼう)だった浦添は草が刈られて綺麗になり、グスクの石垣内の残骸も見事に片付けられてあった。運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)によってお祓(はら)いとお清めも無事に済んだという。何もなくなった石垣内はやけに広く感じられた。石垣は三重になっていて、二百年の歴史の中で徐々に拡張していったようだ。
 サハチはナーサが作った浦添グスクの見取り図を思い出した。一の曲輪に中山王が暮らしている屋敷と御内原(うーちばる)があり、ウタキ(御嶽)もあった。二の曲輪には婚礼の時に使った大広間のある屋敷やお客用の宿泊施設、重臣たちが政務を執る屋敷がいくつもあり、料理を作る台所や侍女たちの屋敷もあった。三の曲輪にはサムレーたちの屋敷とヌルの屋敷、厩(うまや)と物見櫓(ものみやぐら)があった。
 サハチは浦添按司になった當山親方(とうやまうやかた)と一緒にグスク内を歩いて、一の曲輪に按司の屋敷を建て、二の曲輪に政務を執る屋敷と侍女たちの屋敷を建て、三の曲輪に厩とサムレー屋敷、ヌルの屋敷と物見櫓を建てるように命じた。そして、城下にも家臣たちの屋敷を建てなければならなかった。今は城下に何もないが、グスクの再建が進めば、自然と商人たちが集まって来るだろう。山北王とつながっている材木屋と油屋が来るだろうし、奥間(うくま)の鍛冶屋(かんじゃー)や木地屋(きじやー)も来るだろう。ウニタキも『まるずや』を建てるだろう。二年もすれば新しい浦添城下ができるに違いなかった。
 六月十二日の午(ひる)過ぎ、突然、大雨が降ってきた。島添大里グスクにいたサハチが首里に行こうと仕度をしている時だった。
「きっと、すぐにやみますよ」とナツが空を見上げながら言った。
 黒い雲が凄い速さで動いていた。
 突然、光ったと思ったら、物凄い雷鳴が響き渡った。ナツが悲鳴を上げて、サハチにしがみついた。
 子供たちの泣き声が聞こえてきた。ナツはサハチから離れると子供たちの部屋に行った。
「どこかに落ちたに違いない」とサハチは独りつぶやいた。
 女子サムレーのアミー(網)がやって来て、外を眺めた。
 また光ったと思ったら、すぐに雷鳴が響き渡った。さすがに、アミーは悲鳴を上げなかったが、真っ青な顔をしてサハチを見ていた。
「子供たちを頼む」とサハチはアミーに言った。
 アミーはうなづくと子供たちの所に行った。
 雨は勢いよく降っていた。
 サハチはふと、マジムン(悪霊)退治を思い出した。馬天ヌルがいないので、マジムンたちが騒ぎ出したのではないかと不安になった。
 サスカサ(島添大里ヌル)がびっしょりになって現れた。
「お前、この土砂降りの中をやって来たのか」とサハチは娘に聞いた。
 サスカサは侍女が用意してくれた手ぬぐいで顔を拭きながら、「何かが起こるような、いやな予感がしたの」と言った。
「まさか、マチルギたちに‥‥‥」とサハチは言って、サスカサを見た。
 サスカサは首を振った。
「お母さんたちじゃないわ。この近くで何か異変が起こるのよ」
「この近く?」
「よくわからないんだけど、何か大きな物が消えてしまうような気がするわ」
「大きな物が消えるとはどういう意味だ?」
 サスカサは首を振った。
 この大雨で山が崩れるのだろうかとサハチは心配した。
 雷鳴はだんだんと遠ざかっていき、四半時(しはんとき)(三十分)ほどで雨もやんで、日が差してきた。
 サハチはサムレーたちにグスクの周囲を点検させ、異常がない事を確認すると首里へと向かった。
 途中でウニタキと出会った。
 ウニタキは慌てていた。サハチの顔を見ると、「大変だ!」と叫んで馬を止めた。
「どうした? 山が崩れたのか」とサハチが聞くと、首を振って、
「山ではない。マジムン屋敷が崩れたんだ」とウニタキは言った。
「マジムン屋敷が‥‥‥」
 サスカサが言った大きな物とはマジムン屋敷だったのか‥‥‥
「崩れただけではない。消えちまったんだ」
「消えちまった? 何を言っているんだ。夢でも見ているんじゃないのか」
「俺にも何が何だかわからない。ただ、あの屋敷がなくなった事は確かだ」
 サハチにはウニタキの言っている事が信じられなかった。とにかく、現場に行こうと馬を走らせて運玉森(うんたまむい)に向かった。
 マジムン屋敷は跡形もなかった。太い柱が立っていた礎石だけが草に埋もれて残っている。屋敷が建っていた所も草が茫々と生えていて、中央辺りにウタキ(御嶽)らしいものがある。ウタキに二人の人影があった。お祈りをしているらしい。ウタキの近くで男の子が大きな蝶を追いかけていて、母親と祖母らしい女が男の子を見て笑っていた。
「誰だ?」とサハチはウニタキに聞いた。
「トゥミ(富)とカマ(釜)だよ。あの子はトゥミの子で、ルク(六)という」
「どうしてこんな所にいるんだ?」
「今日は命日なんだよ。トゥミとカマは与那原(ゆなばる)に住んでいた五年間、毎月十二日の命日にここに来て、お祈りを捧げていた。トゥミがヤフス(屋富祖)の側室になってからも、十二日には来ていたんだ。島添大里グスクから出て、佐敷に移ってからも、長い間やっていた習慣はやめられなくなったらしい。子供を連れて、毎月、ここに来ていたんだ。二年前にトゥミは復帰して、首里の『まるずや』の主人になって、カマと息子を連れて首里に移った。もう、ここに来るのはやめにしようと思ったそうだが、やはり、ここに来ないと落ち着かないらしい。首里に移ってからも、毎月、来ていたんだよ」
「そうだったのか‥‥‥ヤフスの子があんなにも大きくなったのか‥‥‥」
「あの子の父親はウミンチュで、海で亡くなった事になっている」
「そうか。あのあとも、ずっと三人で暮らしてきたのか」
「トゥミとカマは本当の親子になったようだ。ルクはカマの事を本当のお婆だと信じている。ウタキにいるのは運玉森ヌルと修行中の浦添の若ヌルだ」
「運玉森ヌルがどうして、ここにいるんだ?」
 運玉森ヌルが運玉森にいるのは当然の事なのだが、先代のサスカサがどうして運玉森ヌルを名乗ったのか、サハチはその理由を知らなかった。
「運玉森ヌルが初めてここに来たのは、一年前の今日だった。当時はまだサスカサで、お前の娘(ミチ)と一緒に来た。何かに導かれるように、ここに来たと言っていた。その時、あの三人と出会ったんだ。その後、サスカサも毎月十二日にやって来るようになって、五人でマジムン屋敷で、お祈りをしていた。サスカサが運玉森ヌルになったのも、マジムン屋敷と関係があったのかもしれない。サスカサの名をお前の娘に譲ったあとは一人で来ていた。先月の十二日から浦添の若ヌルと一緒に来るようになったんだ。俺が今日、ここに来た時、五人はすでにいて、いつものように花を飾ってお祈りをしていた。それからしばらくして大雨になって、雷が落ちたんだ。最初の雷の音を聞いて、どこかに落ちたに違いないと俺は屋敷から出て、周りを眺めた」
「あの大雨の中、外に出たのか」
「ああ、なぜだかわからんが、俺は外に出たんだ。きっと、首里に落ちたと思ったのかもしれん。俺が雨に濡れながら空を見上げているとルクが飛び出して来た。ルクを追うようにトゥミとカマも出て来た。その時、ピカッと光ったと思ったら、大きな雷鳴が轟いて、マジムン屋敷に雷が落ちたんだ」
「マジムン屋敷に落ちたのか‥‥‥」
「マジムン屋敷が光って、一瞬にして崩れ落ちたんだ。俺は危ないって叫んで、トゥミたちを庇った。逃げる暇はなかった。マジムン屋敷の下敷きになってしまうと恐れたが、下敷きにはならなかった。屋敷が崩れる物凄い音は耳にしたんだが、顔を上げてマジムン屋敷を見ると跡形もなく消えていたんだ。そして、あのウタキで運玉森ヌルと若ヌルがお祈りを捧げていた」
「なぜ、消えたんだ?」とサハチは聞いた。
 ウニタキは首を振った。
 サハチはトゥミとカマにも聞いてみた。二人もウニタキと同じ事を言った。
「どうして消えたんだろう」とサハチがウタキにいる二人を見ながらつぶやくと、
「きっと、お役目を終えたんだわ」とトゥミが言った。
「今日は六十回目の命日なんです」とカマが言った。
 サハチにはよくわからなかったが、マジムン屋敷の使命は終わったのかもしれないと思った。
 振り返ってみれば、ヒューガがここを拠点にして以来、ウニタキの拠点となり、首里グスク攻めでは本陣になっていた。随分とお世話になっていたのだった。サハチは両手を合わせて、消えてしまったマジムン屋敷に感謝した。
 ウタキから運玉森ヌルと若ヌルのカナ(加那)が出て来て、サハチを見た。
 サハチは運玉森ヌルに頭を下げた。
「マジムンは消えたわ」と運玉森ヌルは言った。
「屋敷が消えたのは、どうしてなのですか」とサハチは尋ねた。
「あれはまさしくマジムン屋敷だったの。これが本来の姿なのよ」
 サハチには運玉森ヌルが言っている事がよくわからなかった。
「一年前にわたしはここに来ました。ここの神様に呼ばれたのよ。そして、わたしは見ました。今、見えているこの景色を。あの屋敷はマジムンによって作り出された幻(まぼろし)だったのよ」
「あの屋敷が幻だった‥‥‥」とウニタキは呆然とした顔で言った。
 サハチにも信じられなかった。あの屋敷は確かにあった。あの屋敷が幻だったのなら、ウニタキはずっと、この草の中で寝泊まりしていた事になる。首里攻めの時、この草原の中で作戦を練っていたのだろうか。
「ここは昔、ヌルたちの祭祀場(さいしば)だったのよ。ウンタマムイのウンタマ(御玉)はガーラダマ(勾玉(まがたま))の事なの。ヤマトゥの武将の血を引く舜天(しゅんてぃん)という浦添按司によって、ここのヌルたちは滅ぼされてしまったのよ」
首里も昔、ヌルたちの祭祀場があって、舜天に滅ぼされたと馬天ヌルから聞きましたが、ここもそうだったのですか」とサハチは運玉森ヌルに聞いた。
首里の真玉添(まだんすい)ね。多分、ここの方が首里よりも古いでしょう。滅ぼされたヌルたちはマジムンになって恨みを晴らそうとしたの。でも、舜天の一族を滅ぼした英祖(えいそ)によって、マジムンは封じ込まれてしまうのです。それから百年近く経って、島添大里按司がここに側室のために屋敷を建てます。屋敷を建てたために封じ込められていたマジムンは復活したのよ。復活したマジムンがどんな悪さをしたのかわからないけど、六年が経って、英祖の一族を滅ぼした察度(さとぅ)(先々代中山王)が島添大里に攻めて来て、ここの屋敷を本陣にします。その時、側室と子供は殺されます。島添大里按司も殺した察度は、ここにあった屋敷に火を付けて引き上げていきます。屋敷はその時に焼け落ちて、六十年の歳月で、焼け落ちた残骸も朽ち果てて、今、目の前にある状態になったのです。しかし、殺された側室と子供の霊と合体したマジムンは屋敷に姿を変えて、ずっとここに留まっていたのです」
「マジムンは何のために屋敷になったのです?」とサハチは聞いた。
「ここを以前のごとく、祭祀場にする事と側室の敵(かたき)を討つためよ。察度の一族はあなたたちによって滅ぼされた。側室の恨みは消えたわ。あとはここを祭祀場に戻す事ね。わたしはその事を引き受けて、運玉森ヌルになって、ウタキを守ると誓ったの。マジムンを説得するのに一年掛かったけど、納得してくれて消えたのよ」
「マジムン屋敷か‥‥‥」とウニタキがつぶやいた。そして、ウタキに向かって両手を合わせた。
 サハチもウタキに両手を合わせた。


 

 

 

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