長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-40.ササの強敵(改訂決定稿)

 正月の二十八日、中山王(ちゅうざんおう)の進貢船(しんくんしん)が出帆した。今回の正使はサングルミー(与座大親(ゆざうふや))、副使は中グスク大親で、サムレー大将は宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)、副大将は伊是名親方(いぢぃなうやかた)だった。
 副使の中グスク大親の祖父は中グスク按司の家臣だった。察度(さとぅ)(先々代中山王)が浦添按司(うらしいあじ)になる前、中グスク按司は察度と同盟を結んだ。その時、人質として中グスク按司の娘が安里(あさとぅ)の察度の屋敷に送られた。その護衛役として安里に来たのが中グスク大親の祖父だった。棒術の達人だったという。翌年、察度は浦添グスクを攻め落として浦添按司になった。人質の娘は戦で活躍した武将の妻となり、祖父もまたその武将に仕え、中グスク大親を名乗った。
 父親も棒術の名人で武術の腕を見込まれて、泰期(たち)(察度の義弟)の護衛役として明国(みんこく)に渡った。やがて、父親は副使に昇格するが、明国で病に倒れて亡くなってしまう。中グスク大親は父親の跡を継いで、従者として何度も明国に行き、副使になったのだった。サングルミーの話では、そろそろ、正使も勤まるだろうと言っていた。中グスク大親も祖父から伝わる棒術を身に付けていた。
 伊是名親方と一緒に行く事になったシラーはマウシとジルムイから、運のいい奴だと羨ましがられていた。去年の暮れ、三人は苗代大親(なーしるうふや)に呼ばれて籤(くじ)を引き、それぞれの配属先が決まったのだった。順番からいえば、五番組に配属されたマウシが次に行く事になる。親父に頼めば、お前はいつでも行けるだろうとマウシはジルムイに言うが、子供が生まれたばかりなので、当分の間は明国には行かないとジルムイは言った。
 各按司たちが送った従者は家臣の者が多かったが、八重瀬按司(えーじあじ)だけは、またもや按司のタブチが出掛けて行った。三度目の唐旅(とうたび)だった。年が明けたら、明国に行かないと気が済まないのかもしれなかった。
 サハチ(島添大里按司)が送った従者は弟の平田大親とクルー、従弟(いとこ)のシタルーだった。その三人はまたタブチのお世話になりそうだ。帰って来たら、タブチに何かお礼の品でも贈ろうか。タブチに似合いそうな頑丈な刀を見つけてみようと思った。
 大勢の人が見送りに行くので、浮島(那覇)は人で溢れる。世子(せいし)(王の跡継ぎ)であるサハチは見送りには行けなかった。以前、軽い気持ちで見送りに行ったらひどい目に遭っていた。サハチの顔を知っているヤマトゥンチュ(日本人)に捕まり、無理やり遊女屋(じゅりぬやー)に連れて行かれた。仲間たちを次々に紹介されて、結局、泊まる羽目になってしまった。マチルギには怒られるし、散々な目に遭っていた。
 サハチは首里(すい)グスクの物見櫓(ものみやぐら)から浮島を眺め、進貢船の無事の帰国を祈りながら、朝鮮(チョソン)旅の計画を練っていた。できれば、ヤマトゥ(日本)の京都にも行ってみたかった。
 ジクー(慈空)禅師から北山殿(きたやまどの)(足利義満)のあとを継いだ将軍様足利義持)の事も聞いた。将軍様はまだ若く、勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波義将(しばよしまさ))という武将が補佐していて、勘解由小路殿に会う事ができれば、将軍様にも会えるだろうと言っていた。九州探題の渋川道鎮(どうちん)(満頼)は勘解由小路殿の娘婿なので、渋川道鎮とうまく話をつける事ができれば、勘解由小路殿に会え、将軍様にも会えるかもしれないと言っていた。たとえ、将軍様に会えなくても、京都を自分の目で見たかった。博多から京都に行き、そのあとに朝鮮に行けば、丁度、北風(にしかじ)が吹く年末年始の帰る時期になるのではないかと考えていた。
 馬天(ばてぃん)ヌルが留守の間、浦添按司(當山親方)の娘、カナ(加那)の指導をしていた運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)はカナが気に入って、馬天ヌルの了解を得て、そのまま指導に当たっていた。馬天ヌルが帰って来たので、運玉森ヌルはカナを連れて久高島に向かった。しばらく、フボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もるという。
 馬天ヌルは旅から帰って来てからずっと、『ティーダシル(日代)の石』の事を考えていた。必ず、見つけ出して首里グスクに持って来なければならない。もし、敵に奪われたら、敵は『ティーダシルの石』と共に首里に攻め込み、首里は奪われてしまう。山北王(さんほくおう)と山南王(さんなんおう)には絶対に奪われてはならなかった。
 馬天ヌルは首里に戻って来たその日に、御内原(うーちばる)にいたユミを連れて『ツキシル(月代)の石』にお祈りを捧げた。ツキシルの石は光らなかった。城下にいるマカマドゥを呼んで試してみたが、やはり、ツキシルの石は光らない。翌日、島添大里(しましいうふざとぅ)からマカトゥダルを呼んで試してみたが、やはり光らなかった。三人が一緒じゃないとだめなのかと、三人と一緒に祈ってみても、やはり光らなかった。どうして、あの時、光ったのか、誰に向かって光ったのか、まったくわからなかった。
 馬天ヌルはまずツキシルの石があった佐敷の苗代(なーしる)周辺を探した。マカマドゥに対して光ったのなら、苗代にあるはずだった。ツキシルの石の近くに埋もれているのかもしれないと探し回ったが、それらしき石は見つからなかった。
 娘のササを連れて行って、何か見えないかと聞いてみた。ササはツキシルの石があったガジュマルの木の下に座り込んで目を閉じた。馬天ヌルはササの隣りに座って、お祈りを捧げた。
「見えたわ」とササが目を開けると言った。
「何が見えたの?」と馬天ヌルは期待を込めてササを見つめた。
「傷だらけのヌルたちが、ツキシルの石を運んでいる所が見えたわ」
ティーダシルの石は?」
ティーダシルの石はないわ。ツキシルの石だけよ」
「他に何か見えないの?」
「小舟(さぶに)に乗せて来たみたい」
「与那原(ゆなばる)から運んだのかしら。他には?」
 ササは首を振った。
「それだけよ」
「そう‥‥‥ティーダシルの石は別の場所に運んだのね」
「真玉添(まだんすい)のヌルたちはどうして、ここにツキシルの石を置いたのかしら?」とササが言った。
「それはサハチによって、首里に戻してもらうためでしょ」と馬天ヌルは当然の事のように答えた。
「真玉添のヌルは遠い未来に起こる事が見えたの?」
「そうなんでしょうね、きっと」
「凄いわ。二百年以上も先の事がわかるなんて」
「ここにないとすると勝連(かちりん)か山田ね」
「行くつもりなの?」
「行かなければならないわ。お祭り(うまちー)が終わったら行きましょ」
「もしかして、あたしも行くの?」
「勿論よ」と馬天ヌルは決めつけた。
「まあ、いいか。そうだ、修理亮(しゅりのすけ)も連れて行こうかしら」
「修理亮はマレビト神だったの?」
「それがよくわからないのよ」
「マレビト神だったら、胸がときめくはずよ」
「初めて会った時はときめいたんだけど‥‥‥」
「シラーの時もそうだったじゃない。焦る事はないわ」
「別に焦ってはいないけど、強敵が現れたのよ」
「強敵って何よ」
「カナよ」
「カナって、浦添ヌルになるために修行しているカナの事?」
「そうよ。あの娘、シジ(霊力)があるのよ。強敵だわ」
「確かにカナは何かを持っているわね。運玉森ヌルに気に入られたわ」
「運玉森ヌルのもとで修行を積んだら、きっと凄いヌルになるわ。あたしも負けられないわ」
「カナが修理亮に会ったの?」
「そうなのよ。運玉森ヌルがカナを連れて、ヂャン師匠(張三豊)のおうちに来たのよ」
「そう言えば、ヂャン師匠の帰国祝いをしなくちゃって言っていたわ」
「強敵だわ」とササはもう一度言った。
 馬天ヌルはそんな娘を見て笑っていた。物覚えがよく、何でもすぐに身に付けてしまい、人とは違う特別な能力を持っているササが、強敵だと恐れる相手がいるなんて不思議だった。幼なじみのカナがササの強敵になってくれれば、ササの能力はさらに伸びるだろう。お互いにいい競争相手になってくれればいいと馬天ヌルは思っていた。
 二人は立ち上がるとその場から離れた。
 佐敷ヌルはユリと一緒にお祭りの準備に追われていた。女子(いなぐ)サムレーたちに頼んでおいたのだが、不備な点がいくつも見つかった。お祭りまで、あと十日しかないので大忙しだった。
 佐敷ヌルは対馬(つしま)で、シンゴ(早田新五郎)の妻、ウメに告白していた。黙っている事に耐えられず、土下座(どげざ)して謝ったのだった。ウメは許してくれた。シンゴには内緒だが、佐敷ヌルの事は知っていたという。船乗りたちが噂をしているのを聞いてしまったのだった。シンゴが按司殿の妹、佐敷ヌルといい仲になった。あんな美人に惚れられるなんて羨ましい事だと言っていたという。
 話を聞いた時は悔しくて、シンゴを問い詰めてやろうと思った。しかし、シンゴの顔を見たら何も言えなかった。今の状況を考えたら、夫婦喧嘩をして実家に帰る場合ではなかった。お屋形様が帰って来るまで、土寄浦(つちよりうら)を守らなければならない。半年は対馬、半年は琉球で暮らしているシンゴにとって、琉球に妻のような女を置くのは仕方がないのかもしれないと、じっと我慢してきたのだった。
 琉球から来た一行の中に佐敷ヌルもいると知ったウメは一目見ようと船越まで行った。マチルギと会い、土寄浦の娘たちに剣術を教えてくれと頼んだ。選ばれたのが、佐敷ヌルとフカマヌルだった。ヌルというのは巫女(みこ)のような者だと聞いていた。不思議な術を使って、シンゴを惑わしたのかもしれないと思っていたウメは、ヌルというのは剣術もできるのかと驚いた。そして、佐敷ヌルと出会い、噂通りの美人である事を知り、そして、剣術の腕もかなり強いという事を知った。
 土寄浦に来た佐敷ヌルは娘たちを鍛え、さらに、若者たちも鍛えた。娘のフミはすっかり、佐敷ヌルを尊敬してしまった。フミだけではない。娘たち皆が、佐敷ヌルに心酔して、あんな人になりたいと憧れたのだった。許せないと思いながらも、ウメも佐敷ヌルの人柄には惹かれていき、心の中で許そうと思っていた。そんな時、佐敷ヌルに土下座されたのだった。
 ウメは佐敷ヌルを立たせると、「琉球にいる時、あの人をお願いね」と言った。
 佐敷ヌルは涙を流して、お礼を言った。
「でも、この事は二人だけの内緒にしておきましょう」とウメは言った。
「切り札として取っておくの。シンゴが何かへまをしたら、あなたの事を持ち出して責めてやるのよ。あなたもわたしを利用していいのよ。わたしに本当の事を言ってやるってね」
「成程」と佐敷ヌルはうなづいて、二人は笑い合った。
 佐敷ヌルは胸のつかえも取れ、ウメとも仲よくなれた。ウメに気を遣って、対馬に滞在中はシンゴにも会わなかったという。
 ウニタキ(三星大親)は帰国祝いの宴(うたげ)の翌日、平田に行き、フカマヌルからチルーとの事を聞いていた。
「何も言ってないわよ」とフカマヌルは言った。
 ヤマトゥに向かう船の中で、娘の事を聞かれたけど、父親はマレビト神よと言っただけで、それ以上は聞かれなかった。対馬に着いてからは、チルーは船越にいて、フカマヌルは土寄浦にいたので、会う事もなかったという。
「ただ、佐敷ヌルに嘘をつくのは辛かったわ」
「マレビト神はヤマトゥンチュだと言ったのか」
「そうじゃないわ。北(にし)の方から来た人って言っただけよ。別に嘘じゃないでしょ。嘘をついたのは娘の名前よ」
「ウニチル‥‥‥あっ」とウニタキは叫んだ。
「名前を言ったらばれちゃうでしょ。それで、ウミチルにしたのよ」
「ウミチルはお前の名前じゃないか」
「そうなのよ。とっさの事でそう言っちゃったけど、あとであたしの名前を聞かれて困ったわ」
「何と言ったんだ?」
「ウミカーミー」
「鶴(ちるー)でなくて亀(かーみー)か」
「名前を教えてから、佐敷ヌルはずっと、あたしの事をカーミー姉さんて呼んでいたのよ」
 ウニタキは笑った。
「チルー姉さんより、カーミー姉さんでよかったんじゃないのか。チルー姉さんだったら、チルーと同じになってしまう」
「カーミーでもいいんだけどね」
「ウニチルか‥‥‥チルーが久高島に行く事はないと思うが、娘の名を知ったら怪しむな」
「久高島に来るかもね。対馬でずっと御船(うふに)に乗っていたから、奥方様(うなじゃら)と一緒に来るかもしれないわ」
「参ったなあ」
「もし、久高島に来たら、もう本当の事を言うわよ。もう嘘はつきたくないもの」
「おいおい‥‥‥ところで、お前の母さんは知っているのか」
「知っているわ。お母さんには隠せないわよ」
 ウニタキは久し振りに娘と過ごして、フカマヌル母子を久高島に送ると首里のビンダキ(弁ヶ岳)に向かった。
 島添大里グスクでの帰国祝いの宴のあと、ヂャンサンフォン(張三豊)は修理亮を連れて、城下の屋敷に帰った。次の日に運玉森ヌルがカナを連れてやって来て、帰国祝いのささやかな宴を開いた。そこにふらっと顔を出したのはササだった。
「あら、カナじゃない。どうして、ここにいるの?」とササはカナに聞いた。
「お師匠に付いて来ただけよ」とカナは言った。
 カナは佐敷の新里(しんざとぅ)にある當山之子(とうやまぬしぃ)の屋敷で生まれた。馬天ヌルの屋敷も近所にあって、十二歳になるまでササと一緒に遊んでいた。十二歳になった二月、従兄(いとこ)のサハチが島添大里按司になって、家族と一緒に島添大里の城下に移った。ササはヌルになるための修行を始め、馬天ヌルと一緒に佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)に移った。
 十五歳の正月、カナは島添大里グスクに通って剣術の稽古を始めた。師範は奥方様(マチルギ)と佐敷ヌルで、カナは佐敷ヌルに憧れて、ササみたいにヌルになりたいと思った。両親に相談すると、古くからある名家の娘か、按司の娘でなければヌルにはなれないと言われてがっかりした。
 十六歳になった二月、伯父の美里之子(んざとぅぬしぃ)が越来按司(ぐいくあじ)になり、従姉(いとこ)のハマがヌルになるための修行を始めた。カナはハマを羨み、父親に按司になってと頼んだ。馬鹿を言うんじゃないと怒られ、カナはヌルになるのを諦め、女子サムレーになろうかと考えていた時、父親が浦添按司になったのだった。まるで夢のようにカナの願いはかなって、馬天ヌルの指導のもと、ヌルになるための修行を始めた。馬天ヌルは様々な儀式を丁寧に教えてくれた。馬天ヌルがヤマトゥ旅に出ると運玉森ヌルが代わって指導してくれたが、基本は馬天ヌルから教わったわね、わたしが教える事は何もない。ただ、神様のおっしゃる言葉を聞いて、その通りにやればいいのよと言って、何も教えてはくれなかった。
 カナは不安になった。神様の声なんて、今まで聞いた事もなかった。馬天ヌルも佐敷ヌルもササも神様の声が聞こえるのだろうか。不安な気持ちのまま、運玉森ヌルに従って、キーヌウチ(首里グスク内のウタキ)の神様にお祈りを捧げる毎日が続いた。ある日、運玉森ヌルと一緒に運玉森に行き、カナは不思議な体験をした。山の上にある古い屋敷の中でお祈りをしていたら大きな雷が落ちてきた。一瞬、気を失ったカナが目を開けると屋敷がなくなり、草原の中にいて、目の前に古いウタキ(御嶽)があった。
 カナは雷に打たれて死んでしまったのかと思った。呆然としていると運玉森ヌルが神様の声を聞きなさいと言った。耳の奥のほうで誰かが何かを言っていたのは気づいていた。雷の音で耳がおかしくなってしまったものと思っていた。カナは耳の奥の声に耳を傾けた。
 マジムン(悪霊)は消えた。あとの事はあなたたちに託しますと言っていた。何を託すというのだろうか。運玉森ヌルに聞くと、それはあなたが見つけなければならないと言った。
 その時以後、カナは時々、神様の声を聞くようになった。神様はあらゆる所にいて、いつも何かを告げていると運玉森ヌルは言った。その言葉を見逃さずに聞き取らなければならないという。厳しい修行を積んで、神様のお告げをすべて聞き取れるようになりたいとカナは真剣に思った。
 久し振りに見たササはヌルとしての貫禄が充分に備わって、神々しく見えた。ヌルの修行をする前、カナはササを見ても、ちょっと変わっている娘としか思わなかったが、今はヌルとしてのササの凄さが充分にわかるようになっていた。ようやく、ヌルとしての道を歩き始めた自分と、遙か先を歩いているササを比べ、早く追いつきたいと願った。
 そんなカナにとって男なんて興味はなく、修理亮の存在もまったく気にならなかったが、修理亮はカナを一目見た途端に心を奪われそうになっていた。
 その晩、カナはヂャンサンフォンとササからヤマトゥ旅の話を聞いて、次の日には、運玉森ヌルと一緒に久高島に渡った。
 カナと運玉森ヌルが久高島を目指して舟に乗っている頃、ヂャンサンフォンの帰りを首を長くして待っていた兼(かに)グスク按司が訪ねて来た。ヂャンサンフォンはナツに伝言を残して、修理亮を連れて兼グスク按司の阿波根(あーぐん)グスクに向かった。

 

 

 

 

管領斯波氏 (シリーズ・室町幕府の研究1)   足利義持 (人物叢書)