長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-88.与論島(改訂決定稿)

 伊平屋島(いひゃじま)と与論島(ゆんぬじま)に兵を送り出した次の日の午後、ヤマトゥ(日本)へ行く交易船の準備を終えたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は、龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階にいる思紹(ししょう)(中山王)を訪ねた。
 思紹はウニタキ(三星大親)が送ってよこした与論島の絵図を見ていた。イーカチから習ったのか、ウニタキが描いた絵図はかなりうまくなっていた。


 三か月前の二月十日に首里(すい)を発ったウニタキは、十二日に辺戸岬(ふぃるみさき)の近くにある奥(うく)というウミンチュ(漁師)の村(しま)に着いた。連れて来た三人の配下の内の一人、ウクシラーは奥生まれのウミンチュで、久し振りの帰郷を喜び、ウニタキたちはウクシラーの家族に歓迎された。
 風待ちをして、与論島に渡ったのは十五日だった。ウクシラーの兄は何度も与論島に渡っていて島の事に詳しく、与論島で鮫皮(さみがー)を作っているサミガー親方(うやかた)を知っていた。
 サミガー親方は、ウニタキが勝連(かちりん)にいた頃、馬天浜(ばてぃんはま)のサミガー大主(うふぬし)のもとに連れて行って、鮫皮作りの修行をさせた男だった。一年間、修行を積んで帰って来たその男を、与論島に送ってサミガー親方を名乗らせ、勝連のために鮫皮を作らせたのはウニタキだった。与論島が山北王(さんほくおう)(攀安知)に奪われた時、殺されてしまったのではないかと心配したが、馬天(ばてぃん)ヌルから生きていると聞いてウニタキは天に感謝をした。サミガー親方がいれば、与論島の状況も詳しくわかり、与論ヌルともすぐに会えるだろう。
 ウクシラーの兄の小舟(さぶに)に乗って、ウニタキたちはサミガー親方がいる瀬利覚(りっちゃく)(立長)の砂浜に着いた。ウクシラーの兄に連れられて鮫皮の作業場に行き、ウニタキは二十年振りにサミガー親方と再会した。
 ウニタキはすぐにわかったが、相手はわからないようだった。ウニタキが名乗ると、サミガー親方は驚いた顔をして、ウニタキをじっと見つめた。
「本当に若様(うめーぐゎー)なのですか」とサミガー親方が聞いた。
 ウニタキは笑ってうなづき、「親方の名はタクで、フニという可愛い娘がいただろう」と言った。
「若様‥‥‥」と言ってサミガー親方は急に涙ぐみ、「生きていらっしゃったのですか」と言って涙を拭いた。
「妻と娘は亡くなったが、俺だけは何とか生き延びたんだ。そして、今はもう若様ではない。ただのウミンチュだ。ウニタキと呼んでくれ」
 ウニタキはウクシラーの兄にお礼を言って、三人の配下の者に島の様子を見てこいと命じた。ウクシラーの兄が案内すると言って、三人を連れて行った。ウニタキはサミガー親方と積もる話を語り合った。
 十五年前の夏、突然、山北王の兵が攻めて来て、与論按司(ゆんぬあじ)の一族が殺された時は悲惨だったという。
按司様(あじぬめー)も十歳だった若按司様(わかあじぬめー)も殺されて、重臣たちも、その家族もみんな殺されました。山北王の兵はヤマトゥンチュ(日本人)の船を装って来て、上陸すると刀を抜いて、グスクに攻め込んだのです」とサミガー親方は言って、当時を思い出したのか苦しそうな顔付きで首を振った。
「親方が無事でよかった。グスクは簡単に落ちてしまったのか」
「余りにも突然だったため、グスクを守る兵も少なく、ほとんど反撃もしないうちに落ちてしまいました。当時の按司様は三代目で、戦(いくさ)なんて知らずに、この平和な島で育ちました。勝連は中山王(ちゅうさんおう)(察度)と強く結びついていましたから、与論島に攻めて来る者などいないと安心していたのでしょう。あっけないくらい簡単にグスクは落ちてしまいました。ただ、按司が来る前からこの島に住んでいた大里(うぷざとぅ)の一族がいるのですが、その者たちが反撃をして、山北王の兵を苦しめました」
「大里の一族というのは琉球から来たのか」
「そうです。グスクの近くに朝戸(あしとぅ)という集落がありますが、その一族が住んでいます。勝連から按司が来た時に、一族のお頭だったニッチェーは按司を助けて重臣となりました。当時のニッチェーから四代目のニッチェーが山北王の兵と戦ったのです。残念ながら戦死してしまいましたが、山北王の兵たちもかなりの犠牲が出たはずです。サムレー大将だったニッチェーと弓矢の名手だった妹のインジュルキは、伝説となって語り継がれています」
「今はどうなんだ? ちゃんと守りを固めているのか」
「今の按司様はここに来るとすぐにグスクを石垣で囲って強化しました。勝連の兵が取り戻しにやって来ると思っていたのでしょう。しかし、勝連の兵が攻めて来る事もなく、あれから十年以上が経っています。今では山北王は永良部島(いらぶじま)、徳之島(とぅくぬしま)も支配下に置いて、奄美大島(あまみうふしま)を攻めています。山北王を恐れて、誰もここには攻めて来ないと安心しているのではないでしょうか」
「そうか」とウニタキはうなづいて、「子供たちは皆、元気か」と聞いた。
「はい、元気です。長男も次男も海に潜るのが好きで、立派に跡を継いでくれるでしょう」
「娘はもう嫁いだのか」
「はい、二人とも嫁ぎました」
「この島から出て行ったのか」
「いえ、次女はカマンタ(エイ)捕りに嫁いだのでこの浜にいます。長女は‥‥‥」と言って、親方は口ごもった。
「フニちゃんがどうかしたのか」
「実はグスクの中にいるのです」
「えっ、按司の倅に嫁いだのか」
「そうではなくて、無理やり、按司の側室にされたのです。わしがこの島から出て行かないように、人質として連れて行かれたのです」
「そうだったのか。フニちゃんが側室になったのか」
「当時はフニも悲しんでおりましたが、今では二人の子供もできて、何とか楽しくやっているようです」
「そうか。時々、会ってはいるのか」
「はい。わしらがグスクに行く事もありますし、フニが子供を連れてやって来る事もあります」
按司もフニの事を信用しているのだな」
「側室になってからもう十年以上も経ちますからね」
「そうか。俺も会ってみたいものだ」
「ところで、若様はどうして、この島にいらしたのです?」とサミガー親方は聞いた。
 ウニタキは本当の事を話していいものか迷った。与論按司の側室になった娘によって、サミガー親方は与論按司とつながっているのかもしれなかった。
 妻と娘を殺されて、生きているのがいやになって、死のうとしたが死にきれずにウミンチュに助けられた。その後はウミンチュとして暮らしていたが、ちょっとした騒ぎを起こしてしまい、仲間と一緒に逃げて来たとウニタキは説明した。
「すまんが、ほとぼりが冷めるまで、しばらく、ここに置いてくれ」
「勝連には戻らなかったのですか」とサミガー親方は聞いた。
「帰れないと思ったんだよ。俺の妻は中山王(察度)の孫娘だった。妻と娘を殺され、自分一人だけが生きて帰ったら、中山王から責められるだろう。兄貴たちも俺を責めるに違いない。そんな所に帰っても、俺の生きる道はないと思ったんだよ」
「そうでしたか‥‥‥わかりました。ほとぼりが冷めるまで、お世話いたします」
 サミガー親方に連れられて、ウニタキは与論ヌルに会いに行った。与論ヌルの名は与論按司の娘に譲って、今は『麦屋(いんじゃ)ヌル』と名乗っているという。
 サミガー親方の作業場のある瀬利覚の東側は、切り立った崖がずっと続いていて、与論グスクは崖の上にあった。麦屋ヌルはグスクの向こう側にある麦屋の集落にいるらしい。与論島はほとんど平らで、山というものはなかったが、なぜか坂道が多かった。崖が途切れる所まで行き、右に曲がってグスクの方に向かった。石垣で囲まれたグスクの周りには家々が建ち並び、その集落の東側に麦屋の集落があった。
「グスクの周りには按司の家臣たちが住んでいます」とサミガー親方は歩きながら言った。
「麦屋に住んでいる者たちは、古くからこの島に住んでいる者が多く、麦屋ヌルは先代の麦屋ヌルに頼まれて跡を継ぐ事になったのです」
「麦屋ヌルだけ、どうして助かったんだ?」とウニタキは聞いた。
「麦屋ヌルも捕まって殺されそうになりましたが、先代の麦屋ヌルの命乞いがあって助かったのです。そして、新しい与論按司の娘を立派なヌルに育てて、麦屋ヌルを継いだのです」
「麦屋ヌルはこの島の者たちに慕われていたのだな」
「そうです。新しい按司としても、島の人たちを敵に回したくはなかったので、麦屋ヌルを助けたのでしょう」
 麦屋ヌルの家は、周りの家と変わらない粗末な家だった。声を掛けたが返事はなく、麦屋ヌルはいなかった。近所の者に聞くと、浜辺だろうと言った。近くの浜辺に行ってみると、麦屋ヌルは子供たちと遊んでいた。
「麦屋ヌルは子供たちに読み書きを教えているのです」とサミガー親方は言った。
 よく見ると子供たちは棒きれを持って砂に字を書いていた。麦屋ヌルはウニタキたちに気づくと軽く頭を下げて、子供たちに、ひと休みしましょうと言って近づいて来た。
 子供たちが「わーい!」と言いながら海の方に走って行った。
「親方、何か御用ですか」と言いながら麦屋ヌルはウニタキを見た。
 ウニタキも麦屋ヌルを見ながら、十一歳の頃の面影が残っていると思った。当時も可愛かったが、今も美人だった。ただ、家族を殺されたせいか、暗い影が漂っていた。
「お久し振りです、マトゥイ」とウニタキは言った。
「えっ?」と麦屋ヌルは驚いた顔で、ウニタキを見た。両親と兄が亡くなってから、マトゥイと呼ばれる事は一度もなかった。
 麦屋ヌルはウニタキの顔をじっと見つめて、「ウニタキなの?」と聞いた。
 ウニタキは笑ってうなづいた。
「本当なの? 生きていたのね」と言いながら、麦屋ヌルの目から涙が急に溢れ出した。
 麦屋ヌルは子供たちを帰して、ウニタキを家に連れて行くと、どうして生きているの、今まで何をしていたのと質問攻めにした。話が長くなりそうだと思ったサミガー親方は先に帰って行った。
 ウニタキはサミガー親方に説明したのと同じ事を麦屋ヌルに言った。麦屋ヌルを信用したいが、今はまだ本当の事は言えなかった。
 ウニタキがウミンチュだと知って麦屋ヌルは驚いた。自分を助けに来てくれたのに違いないと思っていた麦屋ヌルはがっかりした。
「ちょっとした騒ぎって、人を殺(あや)めてしまったの?」と麦屋ヌルは聞いた。
「いや、殺してはいないよ」
「そう‥‥‥」と言って麦屋ヌルはウニタキを見て、軽く笑った。
 ウニタキが生きていたのは嬉しいが、以前のウニタキではなかった。妻と娘を殺されて、立ち直る事ができなかったようだと麦屋ヌルは思った。
 暗くなる前に、ウニタキは麦屋ヌルと別れた。あまり長居をすると噂になってしまい、与論按司に怪しまれてしまう。
 次の日、麦屋ヌルはサミガー親方の作業場にウニタキを訪ねて来た。ウニタキは麦屋ヌルを浜辺に誘って、歩きながら昔の思い出を話した。
「あたしもよく覚えているわ。勝連に行ったのはあの時が最初で最後になりそうね。あの時、会った人たちはほとんど亡くなってしまったのね」
「勝連は呪われているって噂になっていたよ。今は中山王の一族が按司になったようだ」
「そうなの‥‥‥あなたの噂も流れて来たのよ。中山王の孫娘があなたのお嫁さんになったって聞いた時は、あたし、ちょっと嫉妬したのよ。あなたが今帰仁(なきじん)の合戦で活躍したって聞いた時は、あたし、嬉しかったわ。あなたがいれば勝連も安泰だと思ったんだけど、あなたは山賊に襲われて亡くなってしまった‥‥‥あたし、ずっと悲しんでいたのよ。きっと、あなたがいなくなったから、山北王はこの島に攻めて来たんだわ」
「もう昔の事さ。今の俺は勝連とは関係ない。ただのウミンチュに過ぎないんだ」
「でも、あなたにもあたしにも勝連の血は流れているわ」
「血なんて関係ないよ。俺には高麗(こーれー)の血も流れている」
 麦屋ヌルは黙ってウニタキを見つめ、やがて海に視線を移した。
「お前だってわかるだろう。家族を失って、たった一人、生き残った者の気持ちは」
「わかるわ。あたしも死のうと思ったわ。でも、神様に止められたの。あたしはこの島のために生きていかなければならないってね」
「この島のために?」
「あたしはこの島で生まれて、この島で育ったの。ほかに行く所はないわ。この島のために生きていくしかないのよ」
「家族の敵(かたき)を討ちたいと思った事はないのか」
「あなたはどうなの? 家族の敵は討たないの?」
「討ちたかったさ。でも、相手は高麗の山賊で、さんざ暴れ回って高麗に帰っちまったんだ。怒りをぶつける相手はいなくなっちまったんだよ」
「あたしの敵は山北王よ。一体、どうやって、敵を討つの?」
「与論按司だって敵だろう」
「敵よ。でも、あの時、兄たちは戦死したけど、捕まった母や兄たちの家族、妹の家族を殺せと命じたのは湧川大主(わくがーうふぬし)だったのよ。幼い子供たちが殺されるのを平気な顔をして見ていたわ。若いけど残忍な男だった。山北王の弟だからって威張っていて、与論按司も湧川大主には逆らえなかったわ。与論按司なんかより、湧川大主を殺さなければ、家族たちは浮かばれないわ」
「湧川大主か‥‥‥名前は聞いた事があるが、そんなひどい男なのか」
「あなたの顔を見た時、あなたがこの島を取り戻しに来てくれたんだと思ったのよ」と言って麦屋ヌルは力なく笑った。
「俺にそんな力なんてないよ」
「そうよね。あなたも苦しんできたんですものね」
 ウニタキたちはサミガー親方の作業場で働きながら、目立たないように行動して与論島の内情を探っていた。
 交易が行なわれる港は北西にあるアガサ泊(とぅまい)(茶花)で、冬になると琉球に向かうヤマトゥの船が何隻も入って来るという。
 与論グスクの石垣は二重になっていて、一の曲輪(くるわ)に按司の屋敷があり、二の曲輪にはサムレーたちの屋敷とヌルの屋敷があった。与論按司は四十半ばの年配の穏やかな人で、威張る事もなく、島人(しまんちゅ)たちとも仲よくやっている。子供は五人いて、長女は与論ヌル、長男は若按司、次女は重臣の倅に嫁いで、十八歳の次男と十五歳の三女がいる。若按司の妻は永良部按司(いらぶあじ)の娘で、幼い子供が三人いた。
 与論按司の兵力は百人前後で、三つの組に分かれていて、一組はグスクを守り、一組はアガサ泊を守り、一組は非番で、それを四日交替でやっていた。二の曲輪内に的場があって、弓矢の稽古は怠りなくやっているらしい。
 ウニタキたちが与論島に来て、二か月が過ぎた。初めの頃、喧嘩をして琉球から逃げて来たウミンチュが、サミガー親方のお世話になっているという噂が流れた。そんな噂もいつしか消えて、ウニタキたちは島人たちと楽しく過ごしていた。サミガー親方の所にいるウミンチュたちは出入りが激しく、夏になればカマンタを捕るために各地からやって来ていた。そういうウミンチュがちょっと早くやって来ただけの事なので、島人たちもそれほど気にしてはいなかった。勿論、与論按司もウミンチュの事など一々気にも留めなかった。
 流れ者のウミンチュの噂はすぐに消えたが、奇妙な楽器を鳴らして歌を歌うウミンチュとしての噂が広まって、ウニタキは有名になっていた。
 長い滞在になるので、ウニタキは三弦(サンシェン)を持って来ていた。仕事が終わったあと、浜辺で三弦を弾いて歌うと島人たちが集まって来て、一緒に酒を飲み、歌ったり踊ったりして楽しんでいた。
 麦屋ヌルも噂を聞いてやって来て、ウニタキの歌に驚いた。胸がジーンと来るような素晴らしい歌をウニタキは歌っていた。麦屋ヌルは涙を流しながらウニタキの歌に感動したり、島人たちと一緒に踊ったりして楽しい時を過ごした。
 麦屋ヌルは子供たちを連れて、よく遊びに来た。まだ海水が冷たくて、カマンタ捕りはできないので、仕事もそれほど忙しくはなく、ウニタキは子供たちに歌を聴かせてやっていた。麦屋ヌルも楽しそうに笑っていて、明るさを取り戻せてよかったとウニタキは思った。
 二ヶ月間、サミガー親方と麦屋ヌルもそれとなく探ってみたが、二人とも与論按司とのつながりはないようだった。サミガー親方の娘が側室になっているとはいえ、サミガー親方は鮫皮作りに専念していて、必要以上に与論按司に近づく事はなかった。麦屋ヌルはグスク内で儀式がある時に、与論ヌルを助けるためにグスクに行くが、それ以外は麦屋の集落から出る事は滅多になかった。麦屋ヌルはヌルとして、麦屋の人たちから尊敬されていた。
 そろそろ本当の事を話してもいいだろうとウニタキは思って、麦屋ヌルを訪ねた。麦屋ヌルは海の近くの岩場にあるウタキ(御嶽)でお祈りをしていた。気配で気づいたのか、麦屋ヌルは振り返ってウニタキを見た。お祈りを終えて立ち上がると、「そろそろ、帰るのですか」と聞いた。
「いや、もう少しいるよ」とウニタキは答えた。
 麦屋ヌルは軽く笑って、岩場から砂浜の方に降りて行った。ウニタキはあとに従った。
「ここは遙か昔に、麦屋に住んでいる人たちの御先祖様が上陸した所なの」
「そうか。南方(ふぇーぬかた)から来たんだな」と言ってウニタキは海の向こうに見える辺戸岬を眺めた。
「先代の麦屋ヌルから聞いた話では、『真玉添(まだんすい)』という所から逃げて来た人たちらしいわ」
「なに、真玉添だって?」
 真玉添の事はウニタキもササから聞いて知っていた。
「その人たちの他にも、大里(うふざとぅ)という所から来た人たちもいて、その人たちは朝戸に住んでいるわ」
 その事はサミガー親方からも聞いていた。大里というのは島添大里(しましいうふざとぅ)で、先代の山南王(さんなんおう)(汪英紫)に滅ぼされた島添大里の残党が、この島まで逃げて来たのだろうかとウニタキは考えていた。
「大里から来たというのは三十年位前の事か」とウニタキは聞いた。
「もっとずっと昔よ。あれだけの集落になったんだから百年以上は前の事よ」
「そうか」
 百年前にも島添大里では争いが起こったのかもしれなかった。
「ありがとう」と麦屋ヌルが突然、お礼を言った。
 何のお礼だろうと怪訝(けげん)な顔をして、ウニタキは麦屋ヌルを見た。
「あなたの歌に感動したわ。まるで、神様の声のようだったわ。あんな素晴らしい歌を歌えるなんて凄いわ。きっと、あの悲しみを乗り越えた結果なのね。あたし、家族が亡くなってから、本当の笑顔は忘れてしまったの。心の底から笑った事はなかったわ。でも、あなたの歌に合わせて踊った時、何もかも忘れて、心の底から笑う事ができたの。よくわからないけど、あの時、あたし、生まれ変わったような気がするの。何か新しい生き方ができるような気がするわ。あなたは、あたしを助けに来てくれたんじゃないってがっかりしたけど、間違っていたわ。あなたはあたしを助けに来てくれたのよ」
 麦屋ヌルはもう一度、ウニタキにお礼を言った。
「俺の歌がお前の心を開いてくれたなんて驚きだよ。俺が三弦を始めてから十年になる。始めた頃はみんなに笑われたけど、続けていてよかった」
「三弦て明国(みんこく)の楽器なんでしょ。そんな高価な物をどうやって手に入れたの?」
「浮島(那覇)にある唐人(とーんちゅ)の村で手に入れたんだよ」
「へえ、そうだったの」
「マトゥイ、この島に来た馬天(ばてぃん)ヌルを覚えているか」とウニタキは麦屋ヌルに聞いた。
「馬天ヌル様‥‥‥覚えているわ。凄いヌルだと思ったわ。あたしもあんなヌルになりたいと思ったの。馬天ヌル様を知っているの?」
「馬天ヌルは中山王の妹なんだよ」
「えっ!」
 ウニタキは海を眺めながら、山賊に襲われて佐敷に逃げ、その後、何をやって来たのかを麦屋ヌルに話した。麦屋ヌルは驚いた顔をして、ウニタキの話を聞いていた。
「そうだったの。そんな事があったの。お兄さんに命を狙われたなんて‥‥‥お兄さんはあなたの活躍を妬んでいたのね」
「俺を妬んでいた奴らは、みんな死んでしまったよ」
「それじゃあ、あなたは今、中山王に仕えているのね?」
「そうだ。勝連按司も今は中山王の身内なんだ。今回、この島に来たのは、この島を奪い取るためなんだよ」
 麦屋ヌルはウニタキをじっと見つめて、「やっぱり、そうだったのね」と言った。
「勝連按司がこの島を取り戻すのね?」
「そうしたいんだが、それはもう少し待ってくれ。中山王は五年後に山北王を倒すつもりだ」
「えっ、山北王を倒すの?」
「そうだ」とウニタキはうなづいた。
「敵(かたき)を討ってくれるのね」
「山北王を倒せば、この島は勝連のものになる。今、山北王は伊平屋島(いひゃじま)と伊是名島(いぢぃなじま)を攻め取ろうとしているんだ。伊平屋島伊是名島には中山王の親戚がいる。それを防ぐために与論島を奪い取って、与論島は返すから、伊平屋島伊是名島から手を引くように約束させるためなんだ」
「えっ、奪い取ったあとに、また返すの?」
「そういう事だ。できれば与論按司もその一族も生け捕りにしたい。殺してしまうと山北王もうなづかなくなるからな」
「そんな事できるかしら?」
「できるように、お前に力を貸してもらいたいんだ」
「あたしに何ができるの?」
「お前はグスクに入れるだろう」
「入れるけど‥‥‥」
「裏門を開けて、俺を中に入れてくれ。そうすれば、あとは何とかする」
「味方の兵をグスク内に入れるのね」
「そういう事だ」
 麦屋ヌルはウニタキの顔を見つめて、「やっぱり、あなたはあたしが思っていた通りのウニタキだったのね」と言った。
「あなたとこうして会っているなんて、まるで、夢のようだわ」
 麦屋ヌルは嬉しそうに笑ってから、真顔に戻って、「兵はいつ攻めて来るの?」と聞いた。
「五月だ。梅雨が明けた頃だろう」
「五月九日にお祭り(うまちー)があるわ」
「お祭り?」
「与論按司の祖父だった今帰仁按司(なきじんあじ)(千代松)が亡くなった日で、毎年、グスクを開放してお酒やお餅を配っているわ。歌や踊りもあって、島人(しまんちゅ)たちも楽しみにしているお祭りなのよ。ヤンバル(琉球北部)の人たちもやって来るわ」
「グスクを開放するのか」
「二の曲輪を開放して、舞台もできるのよ」
「そいつは都合がいい」とウニタキはニヤリと笑った。
「あなたの三弦も舞台で弾けばいいわ」
「飛び入りもいいのか」
「大歓迎よ」
 ウニタキはサミガー親方にも本当の事を話して、与論島の絵図と書状を持たせて、配下のサティを首里に送った。


 思紹が見ていた絵図はそれだった。
「うまく行きましたかね?」とサハチは思紹に言った。
「そうじゃのう。計画通りに行けば、今頃はもう、与論グスクを奪い取ったかもしれんのう」
与論島に行ってみたいのですが、行ってもいいですか」
 思紹は顔を上げてサハチを見ると、ニヤッと笑って、「どうせ、すぐに山北王に返す事になるから、今のうちに行ってこい。いい島だぞ」と言った。
 サハチは思紹にお礼を言うと、部屋から飛び出して行った。北曲輪(にしくるわ)の厩(うまや)に行くと、ササ、シンシン(杏杏)、ナナの三人がいた。
「ねえ、どこに行くの?」とササが笑いながら聞いた。
与論島だ」
「あたしたちも行く」とササは言った。
「お前たちはヤマトゥ旅に行くんだろう」
与論島から乗り込むわ」
「平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)には言ってあるのか」
「奥方様(うなじゃら)(マチルギ)に言ってあるから大丈夫よ」
 サハチは笑って、「行くぞ」と言った。
 三人は喜んで馬に跨がって、サハチのあとに従った。

 

 

 

 

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