長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-104.アキシノ(改訂決定稿)

 無事に坊津(ぼうのつ)に着いた交易船から降りた佐敷ヌルとササたちは、『一文字屋』の船に乗り換えて博多に向かった。サイムンタルー(早田左衛門太郎)の船から降りたサタルー、ウニタル、シングルーも一文字屋の船に移った。
 六月の七日、博多に着くと、『一文字屋』で奈美が待っていた。ササたちを見て、奈美はホッとした顔をした。今年は来ないかもしれないと心配していたという。御台所様(みだいどころさま)(将軍の奥方、日野栄子)を喜ばせなくちゃと言って、奈美は京都に向かった。
 次の日、ササたちは佐敷ヌルを連れて、豊玉姫(とよたまひめ)のお墓に行った。来なくもいいと言ったのに、サタルーたちも付いて来た。
「女子(いなぐ)たちだけじゃ危険だろう」とサタルーは言った。
 その言い方が父親のサハチに似ていて、何となくおかしくて、ササは笑った。
「いいわ。あたしたちを守ってね」
 もし豊玉姫のお墓が草茫々(ぼうぼう)だったら、サタルーたちに草刈りをさせようとササは思った。
 こちらはまだ梅雨が明けていなくて、途中で大雨に降られたが、半時(はんとき)(一時間)程でやんだので助かった。
 豊玉姫のお墓は綺麗になっていた。誰かが守ってくれているようだった。
「これがヤマトゥ(日本)のお墓なのか」とサタルーはこんもりとした山を不思議そうに眺めた。
「昔のお墓よ。豊玉姫様はスサノオ様の奥さんだったから、こんな立派なお墓が残っているの」とササは説明した。
スサノオ様というのは誰なんだ?」
「あたしたちの御先祖様よ」
「なに、俺たちの御先祖様はヤマトゥンチュ(日本人)だったのか」とサタルーは驚いた顔をした。
 奥間(うくま)の者たちの御先祖様がヤマトゥンチュだったというのは義父のヤザイムから聞いているが、実父の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の御先祖様もヤマトゥンチュだったなんて初耳だった。
豊玉姫様は琉球人(りゅうきゅうんちゅ)よ。玉グスクのお姫様だったのよ」
「玉グスクのお姫様のお墓が、どうしてこんな所にあるんだ?」
「話せば長いわ。あとで教えてあげるわよ」
 ササたちはお墓の前に座り込んで、お祈りを始めた。サタルーたちもササたちに従って、お墓に両手を合わせた。
 玉依姫(たまよりひめ)はいた。
「そろそろ来ると思ってね、待っていたのよ」と玉依姫は言った。
 ササが挨拶をしようとしたら、
「また来ちゃった」と誰かが言った。
 その声はユンヌ姫だった。
「あら、いらっしゃい」と玉依姫は嬉しそうに笑った。
「どうして、あなたがここにいるの? 与論島(ゆんぬじま)には寄って来なかったわよ」とササはユンヌ姫に言った。
与論島からお船が見えたの。あなたがいるのがわかって一緒に来たのよ。だって、与論島は退屈なんですもの。お祖父(じい)様と一緒に、またあちこちに行きたいわ」
「きっと、お祖父様も喜ぶわよ」と玉依姫はユンヌ姫に言って、「また、新しい人を連れて来たのね」とササに言った。
「安須森(あしむい)ヌルを継ぐ人です」とササは佐敷ヌルを紹介した。
「安須森ヌルの事は母から聞いたわ。真玉添(まだんすい)と同じように滅ぼされてしまったんですってね」
「そうなんです。平家に滅ぼされたらしいのですけど、琉球に渡った平家の人たちを御存じですか」
「平家は壇ノ浦で滅びたって聞いているけど、詳しい事は知らないわね」
「昔、平家のお船与論島に来て、琉球に行ったわ」とユンヌ姫が言った。
「小松の中将(ちゅうじょう)様(平維盛(たいらのこれもり))っていう人?」とササは聞いたが、ユンヌ姫は答えなかった。
「平家と言えば、『厳島(いつくしま)神社』ね」と玉依姫が言った。
厳島神社ってどこにあるのですか」とササは玉依姫に聞いた。
「安芸(あき)の国(広島県)よ。博多から京都に行く途中にあるわ。平家の大将だった平清盛(たいらのきよもり)が建てた神社よ。凄く立派な神社だけど、本当の御神体は神社の裏にある『弥山(みせん)』という山なの。山の頂上に古いウタキ(御嶽)があるわ。あなたに話し掛けてくる神様がいるかどうかわからないけど、行ってみる価値はあると思うわ」
「『厳島神社』と『弥山』という山ですね」
「今、思い出したわ。久留米(くるめ)に『水天宮(すいてんぐう)』という神社があるんだけど、壇ノ浦で亡くなった平家の天皇を祀っているわ。その水天宮を建てたのが、『スサノオの剣(つるぎ)』を祀っている石上神宮(いそのかみじんぐう)の神主(かんぬし)の娘だったの。壇ノ浦の生き残りで、出家して、亡くなった人たちを弔っていたわ」
「久留米ってどこなんですか」
「博多から一日で行ける距離よ。明日、いらっしゃい。わたしがその人を探しておくわ」
 ササはお礼を言って、佐敷ヌルを見た。
玉依姫様、あなたは安須森に行った事はありますか」と佐敷ヌルは聞いた。
「初めて琉球に行った時、母と一緒に安須森に登ったわ。あの時、母の故郷に来たって実感したのよ」
「ヌルたちの村にも行ったのですね」
「行ったわ。安須森ヌルとも会って、みんなが歓迎してくれたわ」
「どんな村だったのですか」
「みんな親切で、明るい顔をしていて、平和な村だったわ。各地からヌルたちも大勢、集まって来ていたわ。あの村が平家の落ち武者たちによって滅ぼされてしまったなんて悲しい事ね。あなたが安須森ヌルを継いで、昔のように栄えさせてね」
 佐敷ヌルは力強く返事を返して、「明日、また会いましょう」と言って玉依姫と別れた。
 ササがユンヌ姫に声を掛けると返事はなかった。
「勝手に憑(つ)いてきて、勝手にどこかに行ったみたい」とササは佐敷ヌルに言って笑った。
「誰が勝手に付いて来たんだ?」とサタルーがササに聞いた。
「気まぐれな神様よ」
 ササたちは一旦、博多に帰って、次の日、久留米の水天宮に向かった。一文字屋の三男、新四郎が久留米に用があるからと言って案内してくれた。
 筑後(ちくご)川沿いに建つ『水天宮』に着いたのは未(ひつじ)の刻(午後二時)頃だった。思っていたよりも小さな神社だった。南北朝の戦(いくさ)で焼け落ちてしまって、五年前にようやく再建されたと神主は言った。
 ササたちは社殿の前でお祈りをした。
「松の木の隣りにある小さな祠(ほこら)よ」と玉依姫の声がした。
 ササと佐敷ヌルは振り返って境内(けいだい)を見回した。境内のはずれに松の木があって、その下に小さな祠があった。ササと佐敷ヌルはうなづき合って、その祠に向かった。みんなも首を傾げながら二人のあとを追った。
 祠の前でお祈りを始めると、
「この祠は、水天宮を造った千代尼(ちよに)を祀っているの」と玉依姫が言って、千代尼を紹介した。
「わたしが千代尼です。南の方の島から来られたと聞きました。もしかしたら、主上(しゅしょう)が御無事だったのか御存じないでしょうか」
「シュショー?」とササは聞いた。
「安徳(あんとく)天皇の事よ」と玉依姫が言った。
安徳天皇様は壇ノ浦で亡くなったのではなかったのですか」
「源氏を欺いて、南の島に逃げたのでございます。新三位(しんざんみ)の中将様(平資盛(たいらのすけもり))が主上をお守りして、女官(にょかん)たちも従いました。わたしも従いたかったのですが、建礼門院(けんれいもんいん)様(安徳帝の母、平清盛の娘)にお仕えしていたわたしがいなくなると怪しまれると言われて、諦めました。敵の船に囲まれた時、二位尼(にいのあま)様(平清盛正室)が身代わりとなった小松の少将様(平有盛(たいらのありもり))の娘さんを抱いて海に飛び込みました。わたしも従って海に飛び込みましたが、死ねませんでした」
「娘が身代わりとはどういう意味ですか」
主上はまだ八歳で、小松の少将様の娘さんとよく似ていたのです」
「そんな幼い天皇だったのですか」とササは驚いていた。
「福原殿(平清盛)は建礼門院様が男の子をお産みになると、大層お喜びになられました。主上は三歳の時に天皇になられたのでございます」
「三歳で天皇ですか‥‥‥残念ながら、安徳天皇様が琉球に来られたという話は聞いた事がありません。どこか、別の島だと思います」とササは言った。
「小松の中将様を御存じですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「勿論、存じておりますとも。わたしどもの憧れの御方でございました。この世の者とは思えないほど美しく、凜々(りり)しい御方でございました」
「小松の中将様も安徳天皇様をお守りして、南の島に行かれたのですか」
「いいえ、違います。小松の中将様は総大将として北陸に出陣なさいましたが、負け戦になってしまいました。その負け戦のお陰で、わたしどもは京都を追われる事になってしまいました。あの負け戦のあと、小松の中将様は孤立してしまって、いたたまれなくなってしまったのでございましょう。一ノ谷の合戦の前に、お姿をお隠しになられてしまいました。一ノ谷の合戦の前、わたしどもは讃岐(さぬき)の国(香川県)の屋島(やしま)を拠点にしておりましたが、その時、小松の中将様は厳島神社の内侍(ないし)(巫女(みこ))をお連れになっていて、わたしどもは嫉妬いたしました。その内侍が原因で、小松の中将様はお逃げになったのに違いないと噂されました。そして、一ノ谷の合戦のあと、再び、屋島に戻っていた頃、小松の中将様が熊野で入水(じゅすい)してお亡くなりになったとの噂が流れて参りまして、わたしどもは悲しみました」
「小松の中将様は熊野から琉球に行ったかもしれません」と佐敷ヌルは言った。
「えっ!」と千代尼は驚いたようだった。
「わたしたちはそれを調べるために、ヤマトゥにやって来たのです」
琉球というのは南の島なのですか」
「そうです。当時、熊野水軍は交易のために琉球に来ていたのです」
「小松の中将様が生きておられた‥‥‥」
 そう言って、千代尼は泣いていた。
「できれば、主上の事も調べてください」と千代尼は泣きながら言った。
「わかりました」と佐敷ヌルは答えた。
 神様から頼まれて、やらなければならないと思っていた。
「わたしは安徳天皇様の事を知りません。調べるにはその人の事を知らなければなりません。話していただけますか」
 千代尼は話してくれた。
 安徳天皇の父親は高倉天皇で、母親は平清盛の娘の徳子(建礼門院)。高倉天皇の母親は、清盛の妻、時子(二位尼)の妹の滋子(建春門院)なので、高倉天皇と徳子は従姉弟(いとこ)同士だった。徳子は高倉天皇より六歳年上で、十八歳の徳子が、十二歳の高倉天皇に嫁いだ。清盛は徳子が皇子(おうじ)を産むのを切望するが、徳子はなかなか妊娠しなかった。嫁いでから六年目、ようやく、安徳天皇が生まれたのだった。
 安徳天皇は三歳で天皇になり、六歳になった七月、木曽義仲(きそよしなか)が率いる源氏の大軍が攻めて来て、京都を追われた。船に乗って九州まで行くが、九州でも裏切り者が多く出て、安住の地はなく、十月になって、やっと屋島に落ち着いた。その頃、大軍を率いて鎌倉から攻めて来た源義経(みなもとのよしつね)と、京都を守っていた木曽義仲が戦(いくさ)を始めた。その隙を狙って、平家は勢力を盛り返し、翌年の正月には福原(神戸市)に戻る事ができた。京都に戻れる日も近いと思われたが、二月に源氏軍に攻められ(一ノ谷の合戦)、多くの武将を失って屋島に逃げ帰った。
 屋島に行宮(あんぐう)もできて、約一年間は安徳天皇も平安な日々を過ごした。各地で、平家と源氏は戦っていたが、水軍を持たない源氏は屋島まで攻めては来なかった。京都にいた時よりも安徳天皇はのびのびとしていて、子供らしく楽しそうだったという。
 一年後、悪夢のように源氏が攻めて来た。安徳天皇は船に乗って屋島をあとにした。瀬戸内海の島々を転々として、最後には壇ノ浦で全滅してしまった。
安徳天皇様はどこで身代わりと入れ替わったのですか」と佐敷ヌルは千代尼に聞いた。
「壇ノ浦の近くにある彦島でございます。その島は中納言(ちゅうなごん)様(平知盛(たいらのとももり))が拠点にしておりました。そこで、主上とお別れしたのでございます。あのあと、どうなったのか、ずっと気になっております」
「南の島で、平家とつながりのある島はありますか」
「島の名前はわかりませんが、硫黄(いおう)が採れる島があって、その硫黄は宋(そう)の国との交易に使われていると聞いた事がございます」
 琉球奄美鳥島(とぅいしま)から硫黄を採っているが、他にも硫黄が採れる島があるのだろうかと佐敷ヌルは思った。佐敷ヌルは知らなかったが、何度もヤマトゥに来ているササは、口永良部島(くちのえらぶじま)から坊津に行く途中、煙を上げている島を何回か見ていて、あの島に違いないと思った。
「ヤマトゥから帰る時に調べてみます」と佐敷ヌルは言った。
「お願いいたします」と千代尼は頼んだあと、赤間関(あかまがせき)(下関)の阿弥陀寺(あみだじ)に安徳天皇のお墓がありますが、あれは偽物ですと言った。
主上が壇ノ浦で入水する前に、法皇様(後白河法皇)は、主上の弟君(おとうとぎみ)(後鳥羽天皇)を即位させました。弟君を天皇にするには、先代が崩御(ほうぎょ)しなければなりません。主上が亡くなったという事にして、立派なお墓を造ったのでございます」
 佐敷ヌルとササは玉依姫に感謝して、千代尼と別れた。一行は水天宮をあとにして、一文字屋の知り合いの宿屋に泊まって、翌日に博多に戻った。
 六月十一日、交易船より先に博多を発ったササたちは、船の上から、平家の拠点となった『彦島』を見て、平家と源氏が決戦をした『壇ノ浦』を見ながら瀬戸内海に入った。上関(かみのせき)で村上水軍のあやと再会して、あやの案内で厳島神社に向かった。
 『厳島神社』は海の上に建つ美しい神社だった。『浦島之子(うらしまぬしぃ)』に出てくる龍宮(りゅうぐう)はこんな感じなのだろうとササたちは思った。
 あやに従って、海の上に続いている回廊を渡って、拝殿に参拝したあと、ササたちは『弥山』に登った。
 山の中にはあちこちに大きな石がゴロゴロしていた。そして、山頂にも大きな石がいくつもあって、古いウタキのようだった。ここはスサノオの神様とは関係なさそうだし、語り掛けてくる神様もいないだろうと思いながらも、ササと佐敷ヌルはお祈りを捧げた。
 思っていた通り、神様の声は聞こえなかった。ササと佐敷ヌルが顔を見合わせて首を振って、立ち上がろうとした時、
「ちょっと、待って」とシンシン(杏杏)が言った。
「神様が降りて来るわ」
「えっ!」とササと佐敷ヌルは驚いて、シンシンを見た。
 ナナとシズとあやも驚いていた。
 シンシンは無心にお祈りを続けていた。
 サタルーたちはお祈りには加わらず、あちこちにある大きな石を散策していた。
 シンシンのガーラダマ(勾玉)が一瞬、光ったような気がした。ササは佐敷ヌルにうなづくと、もう一度、お祈りを始めた。
「あなたは誰ですか」と神様の声が聞こえた。
「シンシンと申します」とシンシンが神様に答えた。
琉球から参りました。神様はどなたなのですか」
琉球‥‥‥やはり、間違いではなかったのですね。あなたが身に付けているガーラダマは、わたしが以前に身に付けていたガーラダマです。また、こうして会えるとは思ってもいませんでした。わたしは厳島神社の内侍、アキシノと申します」
「あなたはどうして、琉球に行かれたのですか」とシンシンは聞いた。
「どうしてなのか、わかりません。神様のお導きとしか申せません」
「あなたは小松の中将様と一緒に琉球に行ったのですね」と佐敷ヌルがアキシノに聞いた。
「どうして、それを知っているのですか」
 アキシノは驚いていた。
「わたしは琉球の安須森ヌル様に頼まれて、安須森を滅ぼした者を探しにヤマトゥに参りました。安須森を滅ぼしたのは、小松の中将様ではありませんか」
「それは‥‥‥」とアキシノは口ごもったが、力ない声で、「その通りです」と言った。
「言い訳に過ぎませんが、あれは言葉が通じなかったために起こってしまった悲劇なのです。ヤマトゥには女人禁制(にょにんきんぜい)の山はありますが、殿方が登れない山はありません。小松の中将様はただ山に登って、島の様子が知りたかっただけなのです。それを止めようとした安須森ヌルは、無礼者めと与三兵衛(よそうひょうえ)様に斬られてしまいました。山から降りて来たら、村の者たちが襲って来たので、仕方なく、戦になってしまったのです。戦わなければ、こっちが殺されてしまいます。実際、あの時は、わたしどもも恐ろしかったのです。南の島には人を喰う恐ろしい者たちがいると聞いておりましたから、呪いを掛けているに違いないと言って、お祈りをしているヌルたちも皆、殺してしまったのです。安須森ヌルの娘さんも殺されそうになりましたが、わたしが助けました。島の言葉をその娘から教えてもらうと言って助けたのです。他の人たちは皆、殺されてしまいました」
 言葉が通じなかったために、安須森が全滅されたなんてひどすぎる事だった。唖然として、佐敷ヌルは言葉も出なかった。
「安須森ヌルの娘さんはその後、どうなったのですか」とササが聞いた。
「小松の中将様が築いたお城で、わたしたちの娘を立派なヌルに育てたあと、古いウタキに籠もられ、その地でお亡くなりになりました」
「わたしたちの娘という事は、アキシノ様は小松の中将様と一緒になられたのですか」
「そうです。息子も生まれて、中将様の跡を継いで、按司(あじ)になりました。今ではわたしどもの子孫たちが、かなり琉球にいます」
「小松の中将様が築いたお城は、今帰仁(なきじん)グスクですね?」と佐敷ヌルが聞いた。
「そうです。お城の周りに島の人たちが住み着くようになって村ができて、いつしか、イマキシル(今来治ル、外来者が納める所)と呼ばれるようになりました。それがなまってナキジンとなったのです」
「あなたはどうして帰って来たのですか」とシンシンが聞いた。
「中将様を迎えに参ったのです。ヤマトゥに行ったまま、なかなか帰って来ないので、連れ戻しに参ったのです。京都に行く途中、ここに寄ってみたら、その懐かしいガーラダマを見つけたのです」
「中将様もこちらにいらっしゃるのですか」と佐敷ヌルは驚いて聞いた。
「昔のお仲間が懐かしいのでしょう。時々、帰って来るのですよ」
「中将様に会わせていただけないでしょうか」
「あなたたちは笛がお上手のようですね。中将様も笛がお上手で、舞の名人でした。きっと、喜んでお会いすると思います」
「今、どちらにいらっしゃるのですか」
「京都です。京都を追われるまで、贅沢な暮らしをしていたので忘れられないのです。六波羅(ろくはら)のお屋敷があった所か、あるいは大原の山の中かもしれません。今頃、昔のお仲間と楽しく過ごしているのでしょう」
「わたしたちも京都に行きます。是非、会わせてください」
「わかりました。京都に行ったら平野神社にいらしてください。御案内いたします」
「ありがとうございます」
 佐敷ヌルがお礼を言うと、
「このガーラダマは読谷山(ゆんたんじゃ)の山の中から出てきました。どうして、あなたのガーラダマがあそこから出てきたのですか」とシンシンが聞いた。
今帰仁に落ち着いて、しばらくしてから、わたしは島の様子を調べるために南部に行きました。わたしどもを琉球に連れて行ってくれた熊野水軍の者から、南部に栄えている都があると聞いていました。浦添(うらしい)のグスクを見て、真玉添のヌルたちの村を見て、大里(うふざとぅ)の城下を見て、玉グスクの城下を見て、また真玉添に戻って来た時、ヤマトゥから来た理有法師(りゆうほうし)に襲われたのです。わたしたちは真玉添のヌルたちと一緒に逃げました。逃げる途中、読谷山の山の中に、みんなのガーラダマを隠したのです」
「どうして、隠したのですか」
「わたしにはわかりません。神様のお告げがあったのではないでしょうか。わたしのガーラダマも一緒に埋められてしまったのです」
「理有法師は平家の陰陽師(おんようじ)だと聞いていますが、あなたは御存じでしたか」とササが聞いた。
「知っておりました。福原殿(平清盛)がお連れしているのを何度かお見かけしました。恐ろしい御方です。福原殿は理有法師を利用するつもりで、側近くに仕えさせたのですが、邪悪な心を見抜いて、遠ざけようとなさいました。しかし、逆に理有法師の妖術に掛かって、亡くなってしまわれたのです。福原殿が亡くなってからは姿を見ませんでしたが、琉球に来ていると知った時は背筋が凍り付く程、恐ろしくなりました。きっと、中将様を追って来たのに違いないと思いました。早く、中将様に知らせなければならないと、南風が吹くのを待っていたのですが、その前に、真玉添が襲撃されてしまったのです。わたしはヌルたちと一緒に与論島まで逃げました。もし、理有法師が追って来たら大変なので、今帰仁には寄らずに、与論島まで行ったのです。それでも、今帰仁が心配で、冬になったら今帰仁に帰りました。理有法師が来ていないので、ほっとしました。与三兵衛様が浦添まで様子を見に行って、浦添按司と朝盛法師(とももりほうし)という御方が、理有法師を倒したと聞いて、助かったと思い、わたしは神様に感謝いたしました」
「朝盛法師は知らなかったのですか」
「知りません。与三兵衛様から、理有法師を追って来た源氏の陰陽師だと聞きましたが、わたしは知りませんでした。それよりも、浦添按司の父親が新宮の十郎だと聞いた時は驚きました。新宮の十郎が、三条宮(さんじょうのみや)様(以仁王(もちひとおう))の令旨(りょうじ)を各地の源氏のもとへ伝えたのが、平家の悲劇の始まりとなったのです。中将様はそれをお聞きになって、笑いました。新宮の十郎は源氏の武将としては二流だったが、琉球に子孫を残していたとは見直した。あいつは戦死したし、琉球の倅には罪はあるまいと言っておられました」
「このガーラダマなのですが、あたしが身に付けていてよろしいのでしょうか」とシンシンが聞いた。
「わたしはあのあと、読谷山まで行って、そのガーラダマを探しましたが、見つかりませんでした。あなたが見つけたのなら、あなたが身に付けるべきです。それが神様の思し召しです」
「アキシノを継ぐという事ですか」
「アキシノは今帰仁ヌルの神名(かみなー)になっていますので、アキシノの名は継げません。そのガーラダマは、わたしが神様のお告げを聞いて、このお山の近くの浜辺で見つけたものです。綺麗な海の色をしていて、海の神様がわたしに授けてくださったものと思いました。そのガーラダマを手に入れて、しばらくして、中将様が京都から逃げて参りました。そして、琉球に行く事になったのです。そのガーラダマのお陰で、無事に琉球に着けたとわたしは信じております。きっと、あなたの航海を守ってくださるでしょう」
「ありがとうございます」とシンシンはお礼を言った。
「新三位の中将様(平資盛)を御存じですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「はい、存じております。小松の中将様の弟です。新三位の中将様が今帰仁に現れた時には驚きました。戦死してしまったと思っていましたので、小松の中将様も驚いたあと、再会を喜んでおりました」
「新三位の中将様が今帰仁に来られたのですか」と佐敷ヌルもササも驚いていた。
「新三位の中将様は奄美の大島(うふしま)にいると申しておりました。新三位の中将様だけでなく、小松の少将様(平有盛)も左馬頭(さまのかみ)様(平行盛(たいらのゆきもり))も奄美の大島にいると聞いて、小松の中将様は大層喜んでおりました」
「小松の少将様と左馬頭様も兄弟なのですか」
「小松の少将様は弟です。左馬頭様は従弟(いとこ)です。お三人は安徳天皇様を連れて、逃げて来たようですが、その天皇は偽者だったと言っておりました。まさか、偽者だったなんて思わず、種子島(たねがしま)に着いた時に偽者だと気づいたそうです。それでも、付き従って来た者たちに、今更、偽者とは言い出せず、そのまま旅を続けて、奄美の大島に落ち着いたそうです。偽者は大島の隣りの鬼界島(ききゃじま)にいると申しておりました」
「偽者だったのですか」と佐敷ヌルは驚くと同時に、がっかりした。ヤマトゥの帰りに、島々を巡って探そうと張り切っていたのに、偽者だったなんて、急に力が抜ける思いだった。
「本物の安徳天皇様はどこに行ったのですか」とササが聞いた。
「わかりません」
「神様にもわからないのですか」
「当時、平家の棟梁(とうりょう)だったのは内府(だいふ)殿(平宗盛(たいらのむなもり))でしたが、実際に戦の指揮を執っていたのは、中納言様(平知盛)でした。中納言様か、安徳天皇様、御本人から聞けばわかるのですが、どこにいらっしゃるのか見つからないのです。中将様もその事が気になっていて、度々、ヤマトゥに来るのかもしれません」
 ササは佐敷ヌルとシンシンを見て、まだ何か聞きたい事ある? という顔をした。佐敷ヌルもシンシンも首を振った。
「色々と教えていただいて、ありがとうございました」とササはお礼を言って、京都の平野神社での再会を約束した。
 神様が去って行ったあと、ササはシンシンに笑って、「凄いじゃない」と言った。
「あたし、神様とお話ししたわ」とシンシンは胸に下げたガーラダマをじっと見つめた。
「凄いわ」とナナとシズとあやも、シンシンを尊敬の眼差しで見ていた。
「シンシンがそのガーラダマを選んだのも、ちゃんと理由(わけ)があったのね」とササが言って、
「シンシンがそのガーラダマを身に付けていなかったら、アキシノ様にも会えなかったわ。アキシノ様のお陰で、小松の中将様とも会えるのよ。シンシンのお手柄だわ。ありがとう」と佐敷ヌルが言った。
 シンシンはササと佐敷ヌルからお礼を言われて照れていた。
「この山はすげえな」とサタルーが言いながらウニタルとシングルーを連れてやって来た。
「これは自然にできたもんじゃねえぞ。誰かがこんな大きな石を積み上げたんだ。一体、誰がそんな事をしたんだ?」
「神様のために、昔の人たちが必死になってやったのよ」とササが言って、一行は山を下りた。

 

 

 

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