長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-122.チヌムイ(改訂決定稿)

 馬天浜(ばてぃんはま)のお祭り(うまちー)も終わって、三姉妹たちも、旧港(ジゥガン)(パレンバン)のシーハイイェン(施海燕)たちも、ジャワ(インドネシア)のスヒターたちも帰って行った。浮島(那覇)は閑散としていて、ヤマトゥ(日本)の商人たちが来るまでは、一休みといった所だった。
 ササはいなかったが、シーハイイェンたちもスヒターたちも結構楽しくやっていたようだ。シーハイイェンたちがヂャンサンフォン(張三豊)のもとで一か月の修行をしていたら、スヒターたちも加わって一緒に修行をした。修行が終わると、平田グスクに行ってお祭りの準備を手伝って、シーハイイェンたちは武当剣(ウーダンけん)を、スヒターたちはプンチャック(ジャワの武芸)をお祭りの舞台で披露した。その後、旅芸人たちと一緒にキラマ(慶良間)の島に行って、島の娘たちに武芸の指導をした。キラマの島から帰って来ると、馬天浜のお祭りの準備を手伝って、リェンリーたちも加わり、異国の娘たちによるお芝居『瓜太郎(ういたるー)』を演じた。簡単な台詞(せりふ)以外は皆、明国(みんこく)の言葉だったが、異国のお芝居を観ているようで、返って新鮮だった。
 台本を明国の言葉に直したのはミヨンとヂャンウェイ(ファイチの妻)で、ファイリン(懐玲)がお嫁に行ってしまったため、二人は何となく気が抜けてしまったような気分だった。そんな時、佐敷ヌルに頼まれて、二人は喜んで引き受けたのだった。
 武当剣やプンチャック、見た事もない珍しい武器も出て来て、楽しいお芝居だった。観客たちから、来年も頼むぞと言われて、シーハイイェンたちは大喜びしていた。
 三姉妹の船、旧港の船、ジャワの船を見送ると、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は首里(すい)に帰って、来月に送る進貢船(しんくんしん)の準備を始めた。正使は去年と同じく、八重瀬按司(えーじあじ)のタブチに頼んであった。正使を務めるようになってからタブチは、明国の文人たちと付き合っているようで、漢詩を始めたり、ヂャンサンフォンから笛を習ったりしていた。明国の妓楼(ぎろう)では、何か芸を身に付けていないと妓女(ジーニュ)たちに相手にされない。タブチも色々と頑張っているようだった。


 ンマムイ(兼グスク按司)の兼(かに)グスクの城下にある武術道場で、マウミはヤマトゥに行ったマグルーの事を思いながら弓矢の稽古に励んでいた。武術道場ができるまではグスク内の的場で稽古をしていたが、武術道場ができるとマウミもそこに通って、サムレーたちと一緒に、弓矢だけでなく剣術や武当拳(ウーダンけん)の稽古をしていた。八重瀬(えーじ)グスクから若ヌルのミカ(美加)と弟のチヌムイ(角思)が通って来ているし、夕方になると城下の娘たちも剣術の稽古にやって来た。
 ミカとチヌムイは阿波根(あーぐん)グスクにも通っていた。でも、マウミが母と一緒に今帰仁(なきじん)にいる時だったので知らなかった。マウミが今帰仁に行く前から、山南王(さんなんおう)(シタルー)の娘のマアサが阿波根グスクに通って剣術を習っていた。マアサは具志頭(ぐしちゃん)の若按司に嫁いだが、若按司が戦死したため島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに戻っていた。具志頭で出会ったチミーに憧れて武芸を始め、島尻大里にも女子(いなぐ)サムレーを作ると言って張り切っていた。
 マアサが具志頭にいた頃、ミカも具志頭に通って弓矢を習っていた。ミカは先代の中山王(ちゅうさんおう)(武寧)の四男、シナムイに嫁いだが、シナムイが戦死したので実家に戻って、ヌルになろうと修行を始めた。八重瀬グスクに来た佐敷ヌルを見て憧れて武芸を習い始めた。一年間、具志頭に通って弓矢を身に付けたミカは、今度は剣術を身に付けようとチヌムイと一緒に阿波根グスクに通い始めた。
 マウミたちが阿波根グスクから新(あら)グスクに移ったあとも、ミカとチヌムイは通って来て、兼グスクに移ってからも通っていた。新グスクに移ってからは、マアサは通って来なくなった。ンマムイが中山王に寝返ってしまったので来られなくなってしまったのだろう。それでも、中山王と山南王が同盟を結んだあと、マアサは三人の女子サムレーを連れて馬に乗って兼グスクにやって来た。その後、マアサは一月に一度はやって来て、稽古に励んで帰って行った。
「そろそろ、マアサさんが来る頃だと思っているんでしょう」とマウミは的場の脇にある縁台(えんだい)に腰掛けて、汗を拭きながらチヌムイに聞いた。
「そうじゃない」とチヌムイは強い口調で言った。
「あら、そうかしら?」とミカが弟を見て笑った。
「親父から明国に行かないかって誘われたんだ」とチヌムイは言った。
「えっ、来月、お父様と一緒に行くの?」とミカが驚いた顔をして聞いた。
 長兄の若按司、次兄の喜屋武大親(きゃんうふや)、三兄の新グスク大親、兄たちは皆、明国に行っていた。次は自分の番だと思っていたのに、まだ若いと思っているのか、父から誘いの声は掛からなかった。昨日の夜、来月に行こうと誘われたのだった。
「迷っているんだ」とチヌムイは言った。
「行って来たら」とマウミが気楽に言った。
「でも、行く前にちゃんとマアサさんに言わなくちゃね」
「そんなの無理だよ」とチヌムイは弱々しい顔付きで首を振った。
「まったく、あんたも、よりによってお父様と敵対している山南王の娘を好きになるなんて」とミカは苦笑した。
「マアサさんはそんな事を気にしていないみたいよ」とマウミは言った。
「それだから余計に、チヌムイが悩むのよ」とミカは言って、うなだれているチヌムイを見た。
「お父様から聞いたんだけど、明国はとてつもなく広い国で、こんな小さな島国で、あれこれ悩んでいるのが馬鹿らしく思えて来るって言っていたわ。チヌムイさんも明国に行ったら、敵討(かたきう)ちの事を忘れられるかもしれないわよ。敵討ちなんか忘れて、マアサさんと幸せになった方がいいわ」
「絶対に忘れない」とチヌムイは厳しい顔をしてマウミに言った。
「今でもはっきりと覚えている。何も悪い事をしていないのに、お母さんは殺されたんだ。絶対に敵を討たなくてはならないんだ」
 チヌムイは立ち上がってガジュマルの木の前まで行くと、左手で鯉口(こいぐち)を切って、刀の柄(つか)を右手で握り、呼吸を整えて無心になった。鋭い気合いと共に刀を抜いて横に振り払い、振り上げると左手を柄に添えて、真っ直ぐ振り下ろした。
 馬の足音が近づいて来るのが聞こえた。チヌムイは刀を鞘(さや)に納めて振り返った。マアサではなかった。糸満(いちまん)のウミンチュ(漁師)のシカーだった。
 シカーは馬から下りるとチヌムイの所に来て、
「的(まとぅ)が動きました」と小声で言った。
「どこに?」とチヌムイも小声で聞いた。
「多分、長嶺(ながんみ)グスクではないかと」
「長嶺グスクなら、今頃、もう着いているだろう」
 シカーは首を振った。
「久し振りのお忍びです。馬にも乗らず、供のサムレーも二人だけです。陰の護衛も見当たりません」
「なに、陰の護衛がいない?」
「噂では、山南王は島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)を殺すために刺客(しかく)を送ったようですが、失敗に終わったようです。その時、陰の護衛をしていた者たちも戦死したものと思われます」
「確か、去年の今頃だったな」
「山南王も島添大里按司の刺客を恐れて、お忍びで出掛けるのはやめていましたが、そろそろ大丈夫だと思ったのでしょう」
「座波(ざーわ)に行くだけではないのか」とチヌムイは言った。
 島尻大里から座波までは四半時(しはんとき)(三十分)で行ける。近いので馬にも乗らず、二人だけを連れて行ったのだろう。
「そうかもしれませんが、長嶺の双子の孫娘に会いに行くんじゃないかと思います。一か八か、それに賭けて、饒波(ぬふぁ)橋の辺りで待ち伏せした方がいいと思いますが」
「饒波橋か‥‥‥」
 島尻大里グスクから長嶺グスクに兵の移動がしやすいように、饒波川に立派な橋を架けたのは山南王だった。その橋のお陰で、近所の住民たちも大いに助かっていた。
 急用ができたとマウミに言って、チヌムイはミカと一緒に馬に乗って饒波橋に向かった。シカーはその後の様子を知らせると言って帰って行った。
 馬を走らせながら、「二人だけで大丈夫かしら?」とミカが心配した。
「敵は三人だけだ。供の二人を弓矢で倒して、敵(かたき)は俺が片付ける」
「マアサの事は諦めるのね」
「最初から無理な話だったのさ」
 饒波橋に着いたのは正午(ひる)近くになっていた。すでに、敵がここを通って長嶺グスクに行ってしまったのかわからなかった。チヌムイとミカは馬から下りて、橋の脇にある草が生い茂った野原(もー)の中に隠れた。
 北にある山の上を見上げて、「もう長嶺グスクの中にいるんじゃないの」とミカが言った。
「久し振りのお忍びだ。座波ヌルと会って、阿波根グスクで孫たちと会って、保栄茂(ぶいむ)グスクで孫たちと会って、それから長嶺グスクに行くのだろう。気楽に待っていよう」
 チヌムイは草の上に横になって空を見上げた。雨が降りそうな黒い雲が流れていた。
 十二年前の十一月、チヌムイが七歳の時、山南王だった祖父(汪英紫)が亡くなった。父と叔父のシタルーが家督争いを始めて戦(いくさ)になった。八重瀬グスクは大勢の敵兵に囲まれて、グスクから出られなくなった。一か月余りの籠城(ろうじょう)の末、グスクは落城して、チヌムイたちは敵兵に捕まった。島尻大里グスクを包囲している敵陣に連れて行かれ、母は首を斬られて亡くなった。あまりの衝撃で涙も出なかった。
「必ず、母の敵を討つんだぞ」と父は悔しそうな顔をして言った。
 チヌムイは母の敵を討つ事だけを生きがいにして生きて来た。そんな気持ちがぐらついたのは、マアサに出会ったからだった。
 四年前の今頃、父は具志頭グスクを攻めて、按司と若按司を倒した。若按司の妻だったマアサは助けられて、八重瀬グスクに来た。マアサはまだ十四歳で、若按司は嫌いだったから別れられてよかったと笑った。その時はろくに話もしなかったが、マアサの笑顔はチヌムイの心に焼き付いた。敵の娘を好きになってどうすると思いながらも、マアサを忘れる事はできなかった。
 翌年の夏、マアサが阿波根グスクで剣術を習っているという噂を聞いた。山南王の娘が木剣を振っていると言って、見物人も押しかけたらしい。
 阿波根グスクのンマムイはマアサにとっても、チヌムイにとっても従兄(いとこ)だった。チヌムイは居ても立ってもいられなくて、阿波根グスクに会いに行った。マアサはチヌムイを覚えていて、再会を喜び、従兄として接してくれた。姉のミカに話すと、ミカもマアサに会いたいと言って、二人で阿波根グスクに通う事になった。
 チヌムイはマアサの父親を敵だと思っているが、マアサはチヌムイの父親を敵だとは思っていなかった。マアサにとってチヌムイの父親は、幼い頃に会った微かな記憶しかなく、マアサの父親と対立して、今は中山王に仕えているというだけで、特に憎む理由もなかった。阿波根グスクに通っていた三か月近く、チヌムイは敵討ちを忘れて、マアサと一緒に楽しい時を過ごした。
 その年の十月、山南王の三男、グルムイに山北王(さんほくおう)(攀安知)の長女、マサキが嫁いで来た。婚礼の翌日、チヌムイが阿波根グスクに行くとンマムイはいなかった。家臣たち全員を引き連れて、どこかに消えたという。がっかりして八重瀬グスクに帰ると、ンマムイが訪ねて来て、今、新グスクにいるという。
 チヌムイはミカと一緒に新グスクに通うが、マアサが現れる事はなかった。新グスクのガマ(洞窟)に入って、ヂャンサンフォンの一か月の修行も受けた。その修行の成果はすぐに現れて、チヌムイの弓矢と剣術は格段の進歩を遂げた。
 ンマムイの兼グスクが南風原(ふぇーばる)に完成して、ンマムイたちが新グスクから兼グスクに移ると、チヌムイとミカは兼グスクに通った。その年に三王同盟が決まって、マウミも兼グスクに来るようになった。月に一度しか会えないが、会えた日は一日中、幸せな気分だった。それも今日で終わるとチヌムイは覚悟を決めた。
「シカーが来たわ」とミカが言った。
 チヌムイは起き上がって様子を見た。シカーは橋の上でキョロキョロしていた。チヌムイは顔を出して手を振った。シカーが気づいて近寄って来た。
「的は今、保栄茂グスクにいます。あと一時(いっとき)(二時間)もしたら現れるでしょう」
 シカーはそう言って、チヌムイに籠(そーき)に入った握り飯を渡した。
 チヌムイはお礼を言って、
「シカーの思っていた通りになったな」と笑った。
「長かったです」とシカーはしみじみと言った。
 シカーはチヌムイの母の父親であるブラゲー大主(うふぬし)の配下のウミンチュだった。
 ブラゲー大主は古くから貝殻を扱っているウミンチュの親方で、祖父が山南王になった時、娘を側室として父に贈ったのだった。ブラゲー大主は貝殻が明国との交易に使われるようになって、かつての繁栄を取り戻したかのように大きな稼ぎを得るようになった。
 娘が殺されたあと、ブラゲー大主は怒って、山南王との取り引きをやめて、先代の中山王(武寧)と手を結んだ。今でもブラゲー大主の貝殻は、中山王によって明国に送られて喜ばれていた。シカーはブラゲー大主からチヌムイの敵討ちを助けるように命じられて、十二年間、ずっと、山南王の様子を探っていたのだった。
 山南王はお忍びでよく出掛けていたが、いつも陰の護衛が十人前後付いていた。皆、凄腕の連中で手を出す事はできなかった。天の助けか、ようやく今回、絶好の機会が訪れた。この機会を逃せば、また十年はじっと我慢しなければならないだろう。
「親方も動きます」とシカーは言った。
「敵は必ず、俺が討ちます」とチヌムイは言った。
「わかっております。もし、敵が逃げ出した時に捕まえるために待機していると言っておりました」
「そうですか」
「二人のサムレーはかなりの使い手です。気を付けてください」
 チヌムイはミカを見ながらうなづいた。
「絶対にはずさないわ」とミカは力強く言った。
 一時(いっとき)近くが過ぎた頃、魚を入れた籠を頭の上に乗せたウミンチュの女が饒波橋を渡って来た。シカーが女に近づいて、何かを話すとすぐに戻って来た。女は饒波の集落の中に消えた。
「まもなく、的がやって来ます。邪魔者が現れないように、饒波橋を封鎖するので、念願を叶えてくれとの事です」
「そうか。お爺も近くにいるのだな」
 シカーはうなづいた。
 チヌムイとミカは前もって決めておいた場所に隠れて、弓矢を構えた。
 三人の人影が近づいて来るのが見えた。どこでも見かける下級サムレーたちだった。誰が見ても山南王には見えない。楽しそうに話をしながら橋を渡って来る。以前にもこんな場面があったのをチヌムイは思い出した。あの時は危険だと言って止められた。あの時と今では武芸の腕に格段の違いがあった。
 三人が橋を渡りきった。それが合図だった。
 チヌムイは弓矢を放った。ミカも放った。
 予想した通り、二本の弓矢は二人のサムレーの刀に払われた。二人のサムレーがシタルーを守るようにして、刀を構えて弓矢が飛んで来た方を見た。
 第二の矢、第三の矢と弓矢は続けざまに飛んできた。第四の矢まではじかれたが、第五の矢が当たった。第六の矢、第七の矢、第八の矢も当たり、第九の矢でサムレーは倒れた。ミカが狙ったサムレーもほぼ同時に倒れた。
 チヌムイもミカもこの日のために、弓矢の連射の稽古を長年積んで来たのだった。
「何者じゃ?」と刀を構えたシタルーが叫んだ。
 チヌムイとミカはシタルーの前に姿を現した。
「わしが山南王と知っての襲撃か」
 チヌムイは数本の矢が残った箙(えびら)をはずして、弓と一緒にミカに渡した。
「俺を覚えているか」とチヌムイは言った。
 シタルーはチヌムイを見つめたがわからないようだった。
「サハチが送った刺客か」とシタルーは言った。
「サハチとは誰だ?」
「島添大里按司だよ」
「島添大里按司なんて関係ない。十二年前にお前に殺された女の息子だ」
「十二年前? わしは女など殺さない」
「嘘をつくな。俺の母親はお前の命令で首を刎ねられたんだ」
「あっ!」とシタルーは言った。
「お前はあの時の‥‥‥兄貴の倅か‥‥‥」
「やっと思い出したようだな。あれからずっと、母の敵を討つために生きて来たんだ」
「何という事じゃ。わしが母親の敵か‥‥‥恨むなら親父を恨め。お前の親父がさっさとグスクを明け渡さなかったから、お前の母親は犠牲になってしまったんじゃ」
「うるさい。正々堂々と勝負をしないで、人質を利用するなんて最低だ。何の罪もない母親を殺すなんて絶対に許さない。お前と正々堂々と勝負をして、俺は勝つ」
 シタルーはふてぶてしい顔で笑った。
「わしはまだ死ぬわけにはいかんのじゃよ。勝負はしてやる。だが、死んでもわしを恨むなよ」
 シタルーは右手に持っていた刀を構えた。身なりは貧しいサムレーだが、その刀は名刀のようだった。
 チヌムイは刀の柄に右手を添えたまま、刀は抜かずにシタルーの動きをじっと見つめた。その刀は十二歳の時、父からもらった刀だった。父が祖父からもらった刀で備前(びぜん)の名刀だという。
 父はその時、シタルーを倒すために出陣して行った。シタルーを倒して山南王になるつもりだが、もし失敗に終わったら、お前がその刀でシタルーを必ず討てと父は言った。島添大里按司が中山王を殺して首里グスクを奪い取ってしまったため、父はシタルーを討ち取る事はできなかった。
「刀を抜け」とシタルーが言った。
「これが俺の構えだ。気にせずに掛かって来い」とチヌムイは言った。
 ヂャンサンフォンから教わった呼吸法を毎日やっているお陰か、心が乱れる事はなく平常心を保つ事ができた。
 シタルーは刀を振り上げて上段に構えた。刀を抜かないチヌムイを見て、抜き打ちをするつもりかと思った。先程の弓矢の連射といい、チヌムイの腕は相当なものに違いない。だが、チヌムイは戦の経験はない。真剣の勝負は初めてだろう。タブチには悪いが死んでもらわなければならなかった。
 シタルーは刀を上段に構えたまま、チヌムイに近づいて行った。チヌムイを見ながらもミカにも目を配っていた。チヌムイを倒したあと、ミカの弓矢に気をつけなければならなかった。
 踏み出した右足と同時に、シタルーはチヌムイの頭上目掛けて刀を振り下ろした。鋭い一撃だった。
 チヌムイは右足を踏み出して、ぎりぎりの所でシタルーの一撃をよけた。
 シタルーは振り下ろした刀を素早く返して、斜め左上に振り上げた。チヌムイは血しぶきを上げて倒れるはずだった。ところが、シタルーの刀よりもチヌムイの鞘から払われた刀の方が一瞬速かった。
 血しぶきを上げたのはシタルーだった。シタルーの腹から血が勢いよく吹き出した。
 信じられないといった顔で、シタルーはチヌムイを見つめたまま後ろへと倒れ込んだ。
 シタルーの腹からどくどくと血が流れ出して、乾いていた地面が血で染まった。
 シタルーは空を見上げながら何かを言ったが言葉にはならなかった。口から大量の血を吐き出すと、そのまま息を引き取った。
 チヌムイはシタルーの死体を見下ろしながら、ついにやったと思ったが、うれしさは込み上げて来なかった。うれしさよりも、不安な気持ちでいっぱいになっていた。
 敵は討った。しかし、相手は山南王だった。山南王を殺して、無事に済むはずがなかった。ミカを見ると、弓矢を持ったまま呆然とした顔で立ち尽くしていた。
 永楽(えいらく)十一年(一四一三年)十月十七日、山南王の汪応祖(おーおーそ)は突然、亡くなった。明国の名前、『汪応祖(ワンインズー)』はシタルーが自分で考えた名前だった。どういう理由でそう名乗ったのかはわからない。
 シタルーの祖父はシタルーが生まれた時、すでに亡くなっていたが島尻大里按司だった。伯父が祖父の跡を継ぎ、従兄が伯父の跡を継いで、初めて山南王となり、『承察度(うふざとぅ)』と名乗った。二代目の山南王は一度も進貢船を送る事なく高麗(こーれー)に逃げ、三代目の山南王は父で、『汪英紫(おーえーじ)』と名乗った。シタルーは四代目の山南王だった。しかし、二代目と三代目は明国からの冊封(さっぷー)を受けていないので、正式にはシタルーは二代目の山南王だった。
 与座按司(ゆざあじ)の次男として生まれたシタルーは、本来なら与座按司のサムレー大将で終わっていたかもしれない。偉大なる父親はその才覚によって、八重瀬按司を倒して、島添大里按司を倒して、山南王も倒した。シタルーは兄のタブチと争ったのち、山南王の座を勝ち取った。次にやるべき事は琉球統一だったが、その夢は実現する事なく終わった。もし、汪英紫汪応祖の父子がいなかったら、『尚巴志(しょうはし)』という英雄は生まれなかっただろう。
 ぞろぞろと武器を持った人たちが現れた。祖父の配下のウミンチュたちだった。
「よくやった」と祖父のブラゲー大主がシタルーの死体を見下ろしながら言った。
「すげえなあ」と誰かが言った。
「あれが若様(うめーぐゎー)の抜刀術(ばっとうじゅつ)というものか」と別の誰かが言った。
「これからどうしたらいいのでしょう」とチヌムイは祖父に聞いた。
 敵を討ってからの事を考えた事は一度もなかった。
「敵といってもお前の叔父さんじゃからのう。遺体を捨てて置くわけにもいくまい。遺体を持って帰って、親父にちゃんと話した方がいいじゃろう」と祖父は言った。
 明国に行ってから父は変わってしまった。もう敵討ちなんかやめろと言った。明国に行く前、必ず、シタルーを倒して山南王になると言っていた父が、明国から帰って来たら、敵討ちなんかで大事な人生を無駄にするなと言い、毎年、明国に行くようになって、山南王になる事もすっかり忘れたようだった。
 チヌムイも敵討ちの事は父に言わなくなって、姉のミカと二人だけで、敵討ちの機会を待っていた。姉といっても母親は違う。ミカの母親も側室で、チヌムイの母親が殺されたあと、チヌムイはミカと一緒に、ミカの母親に育てられた。ミカが浦添(うらしい)に嫁いで行った時は、たった独り取り残されたようで寂しかったが、一月もしないうちにミカは戻って来た。チヌムイが武芸の修行を続けられたのも、ミカがそばにいてくれたからだった。
 チヌムイは叔父と二人のサムレーの遺体を荷車に乗せ、馬に引かせて八重瀬グスクに向かった。
 東の空に少し欠けた満月が半ば雲に隠れて昇っていた。

 

 

 

居合刀 -桜花- Z刀身仕様