長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-128.照屋大親(改訂決定稿)

 長嶺按司(ながんみあじ)は長嶺グスクに閉じ込められた。
 兵の半数近くが下痢に悩まされ、長嶺按司自身も悩まされていた。水のような下痢で我慢する事はできず、本陣となった屋敷に籠もって厠(かわや)通いが続いていた。こんな状態では戦(いくさ)はできん。出直して来ると兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)と瀬長按司(しながあじ)に言って、兵を引き連れて八重瀬(えーじ)グスクの包囲陣から撤退した。
 長嶺グスクを包囲していた東方(あがりかた)の按司たちの兵は、長嶺按司の兵が帰って来ると逃げ散った。長嶺按司は一戦も交える事なく本拠地に帰って、我が家の厠に駆け込むと、ホッと溜め息を漏らした。
 長嶺按司が留守の時、包囲していた東方の兵は二百人だったが、長嶺按司が戻ると、五百人に増え、長嶺按司はグスクから出る事は不可能になっていた。
 糸満川(いちまんがー)(報得川(むくいりがー))では、夜が明けると川を越えて敵のグスクを攻め、日が暮れると川を越えて撤収するという兵の移動が、毎日の行事のように繰り返されていた。
 今帰仁(なきじん)から帰って来たウニタキ(三星大親)は、今の所、山北王(さんほくおう)(攀安知)が動く気配はないと言った。
テーラー(瀬底之子)とは会ったのか」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)は聞いた。
「奴は俺の表の顔しか知らないからな。地図の仕事で今帰仁に滞在していると思ったようだ。俺に山南王(さんなんおう)が亡くなって、南部で家督争いが始まったんだと詳しく教えてくれたよ。だが、山南王妃が山北王に何を頼んだのかは教えてくれなかった。テーラーの話し振りから、山南王妃は中山王(ちゅうざんおう)の力も山北王の力も借りずに、自力でタルムイ(豊見グスク按司)を山南王にするつもりのような気がする」
「そうか。島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクにこだわらなければ、それも可能だろう。帰って来る進貢船(しんくんしん)を奪い取る事ができれば、山南王妃の思い通りになるが、交易を担当している照屋大親(てぃらうふや)がタブチに付いてしまったので難しいだろう。タルムイは水軍を持っているのか」
「持っている。『ハーリー』の時に海上警備をするために必要なんだ。シンゴ(早田新五郎)が乗っているようなヤマトゥ(日本)船が二隻あるはずだ。その船で、粟島(あわじま)(粟国島)の兵を運んだのだろう。水軍を持っているのは照屋大親糸満大親(いちまんうふや)、それと、瀬長按司小禄按司(うるくあじ)だな。だが、瀬長按司は長嶺按司が抜けた穴を埋めるために、水軍の兵も八重瀬に呼んだようだ」
「なに、水軍を陸に上げたのか。タルムイと小禄按司の水軍だけで大丈夫なのか」
「大丈夫とは言えんな。交易の責任者は照屋大親だ。照屋大親の水軍が先に進貢船と接触して、山南王の死を隠して、瀬長按司が反乱を起こして進貢船を狙っているとでも言って、護衛したまま糸満沖まで連れて行くかもしれん」
「山南王妃は何を考えているんだ。八重瀬グスクを攻めるよりも進貢船の方が大事だろう」
「瀬長按司が強引に決めたのだろう。瀬長按司は山南王妃の弟だが、戦に女は口出しするなとでも言ったのかもしれんな。かなり気性の荒い奴らしい」
「確かにな」とサハチは『ハーリー』の時、冷たい目付きでサハチを睨んでいた瀬長按司を思い出していた。
「先に接触した方が進貢船を手に入れる事になりそうだな。今頃、キラマ(慶良間)の島辺りで待ち伏せしているのかな」
「いや、久米島(くみじま)まで行っているかもしれんぞ」
久米島か‥‥‥」とサハチは呟いた。
 久米島は平和な島だった。古くから米(くみ)の産地で米島と呼ばれた。米の産地なのに按司が生まれる事もなく、村々の長老たちの話し合いで、島を守って来ていた。察度(さとぅ)(先々代中山王)が明国(みんこく)との進貢を始めて、久米島は中継地となったが、察度は役人を置いただけで按司は置かず、島の事は長老たちに任せていた。思紹(ししょう)(中山王)も察度のやり方を踏襲(とうしゅう)した。しかし、今後、毎年送る進貢船の数も増えて、南蛮(なんばん)(東南アジア)の船も来るとなると久米島には兵力を持った按司を置いて、守らせた方がいいような気もした。
「小渡(うる)ヌルにも会ったのか」とサハチは聞いた。
 ウニタキはニヤニヤしながら、懐(ふところ)から二通の書状を出した。
 思紹とファイチ(懐機)が帰って来た。今、彫っている『真武神(ジェンウーシェン)』の細部の事がよくわからないと思紹が言ったので、二人で報恩寺(ほうおんじ)の書庫まで行っていた。報恩寺の書庫には久米村(くみむら)からも書物が寄贈されていて、真武神の図が描いてある書物があるはずだとファイチが言ったのだった。
「ありましたか」とサハチは二人に聞いた。
「おう、よくわかったぞ」と思紹は嬉しそうにサハチに言って、「今帰仁から帰って来たのか。御苦労じゃったな」とウニタキをねぎらった。
「お土産です」とウニタキは二通の書状を思紹に見せた。
「何じゃ?」と思紹は書状を受け取って驚いた。
 二通の書状には『山北王 攀安知(はんあんち)』の印(いん)が押してあった。永楽帝(えいらくてい)から賜わった『王印』を真似して作ったようだった。そして、宛名は一通は八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)、もう一通は摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)だった。
「どうして、こんな書状がここにあるんじゃ?」と思紹はウニタキに聞いた。
「小渡ヌルから預かって来たのです」
「なに、小渡ヌルに会ったのか」
 サハチも書状に押された封印を見て驚き、ウニタキを見た。
「小渡ヌルは米須(くみし)の『まるずや』のお得意さんらしくて、今帰仁にも『まるずや』があったので顔を出したのです。小渡ヌルは俺の事を知っていました。米須に店を出す時、配下の者たちに指示をしている所を見られたようで、『まるずや』の主人ではないかと思っていたそうです。ヤンバル(琉球北部)では『まるずや』をあちこちに作ったために、俺は『まるずや』の主人として通っています。小渡ヌルは俺を信用して、その書状を摩文仁大主に届けてくれと託したのです」
 米須に『まるずや』ができたのは三年前で、摩文仁大主が中山王に寝返って、タブチと一緒に明国に行った時だった。米須の人たちはちょっとした物を手に入れるために、島尻大里の城下まで行っていたので、『まるずや』ができたのは非常に喜ばれて、真壁(まかび)、波平(はんじゃ)、真栄平(めーでーら)の人たちも買い物にやって来ていた。
「小渡ヌルは帰って来ないのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「母親の里帰りだったので、もうしばらく滞在したいと言っていたよ」
「小渡ヌルは『まるずや』と中山王がつながっているのを知らないのかな」とサハチは言った。
「俺も最初はそう思ったんだが、小渡ヌルはかなり頭がいいような気がする。先の事を見越して、中山王にこの事を知ってもらいたいと思ったのかもしれない」
 思紹は書状を日にかざして、中が透けて見えないものかと眺めた。
「開けて中身を読んでも大丈夫です」とファイチが言った。
「なに?」と思紹がファイチを見た。
「タブチも摩文仁大主も山北王の印なんて見た事はありません。似たような芋版(いもばん)を作って押せばごまかせます」
 思紹は笑うと、書状を開封した。
 タブチ宛ての書状は、タブチが介入しないように頼んだらしく、しばらく様子を見ているが、娘婿の保栄茂按司(ぶいむあじ)の事はよろしく頼むと書いてあった。
 摩文仁大主宛ての書状は驚くべきものだった。山北王は摩文仁大主を叔父上と呼び、保栄茂按司が山南王になれるように事を運んでくれ。年末になったら援軍を送る事ができるだろうと書いてあった。
摩文仁大主は山北王の叔父だったのか」とサハチが言った。
「山北王の嫁さんは武寧(ぶねい)(先代中山王)の娘じゃ。摩文仁大主は武寧の弟だから叔父に間違いない」と思紹は言った。
「気が付かなかった。すると摩文仁大主は保栄茂按司の嫁さんの大叔父で、保栄茂按司の伯父というわけだな。摩文仁大主は保栄茂按司を山南王にしようとたくらんでいるのか」
「書状が二つあるという事は、摩文仁大主はタブチに内緒で、山北王に書状を送ったということになります」とファイチが言った。
摩文仁大主はタブチを山南王にする振りをしながら、山北王と手を結んで、保栄茂按司を山南王にしようとしているのか」と思紹が言った。
摩文仁大主と保栄茂按司とのつながりはあるのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「保栄茂按司の婚礼の時、摩文仁大主はタブチと一緒に明国に行っていた。帰国してからも、中山王に寝返ったので島尻大里には行っていない。ただ、タブチと一緒に山南王の重臣、新垣大親(あらかきうふや)と密かに会ってはいたが、保栄茂グスクには行っていない」
テーラーとも会っていないのか」と思紹が聞いた。
テーラーは一応、米須にも挨拶に行ったようです。瀬長按司から摩文仁大主も武寧の弟だと聞いたのでしょう。しかし、テーラーが米須に行ったのは一度だけです。二人が密かに会っているとは思えません」
「という事は前もって準備をしていたわけではなく、シタルーの急死で、自分の出番があるかもしれないと考えたのだな」とサハチが言った。
「多分、そうだろう。今頃、保栄茂按司に近付く手段を探しているに違いない」
「今、毎日のように保栄茂按司糸満川を渡って糸満グスクを攻めている。島尻大里の兵三百を出陣させて、保栄茂按司の兵を取り囲んで、糸満の兵と挟み撃ちにして、保栄茂按司を生け捕りにするという手も考えられるぞ」と思紹が言った。
「もし、摩文仁大主が保栄茂按司を生け捕りにしたとして、その後の展開を考えてみましょう」とファイチが言った。
「保栄茂按司の妻と子は保栄茂グスクに残っている」とサハチは言った。
「妻や子を守っているのはテーラーだ。テーラーに山北王の書状を見せれば、摩文仁按司の味方になるかもしれんな」とウニタキが言った。
「保栄茂グスクがタブチ側になったとしても、豊見(とぅゆみ)グスクと阿波根(あーぐん)グスクに挟まれている。阿波根グスクを落とさない限り、保栄茂グスクを確保するのは難しい。ちょっと待て。阿波根グスクを築いた石屋は島尻大里にいるのか」とサハチはウニタキを見た。
「石屋の親方はテサンという名前で、島尻大里にいる。親方の弟はテスといって豊見グスクにいる。末の弟のテハが情報集めをしているんだ。テハはアミーの父親の中程大親(なかふどぅうふや)の弟子で、自分は石屋に向いていないので、サムレーになると言って武芸を始めたようだ。身の軽い男で、そこをシタルーに認められて、石屋の情報網を使って、各地の情報を集めろと命じられたらしい。配下も五十人はいるようだ。今は豊見グスクと島尻大里グスクを行ったり来たりしている」
「そのテハはどっちに付いているんだ?」
「それがわからんのだ。山南王妃の命令で島尻大里に行っているのか、島尻大里の重臣たちの命令で豊見グスクに行っているのか」
「どちらのグスクにも入れるのか」
「以前と変わらず、顔を見ただけで御門番(うじょうばん)は中に入れてくれる」
「阿波根グスクを造った石屋はどっちなんだ?」
「あの時はまだ先代の親方が生きていて、浦添(うらしい)にいたんだ。兄のテサンは島尻大里にいてシタルーに仕えていた。首里(すい)グスクを造るための準備が始まっていて、親方とテサンはそれに従事していた。阿波根グスクはテスに任されたようだ」
「豊見グスクにいる石屋が作ったのなら、弱点もわからんな」
「長年、あそこに住んでいたンマムイ(兼グスク按司)なら弱点を知っているかもしれんぞ」と思紹が言った。
「ンマムイはタブチの甥だ。動かないように釘を刺しておいた方がいいな」とサハチは言った。
「話がそれてしまいました」とファイチが手を上げた。
「そうじゃな。タブチが保栄茂按司を味方にして、山北王の兵がやって来るとなると、大戦(うふいくさ)が始まるじゃろう。豊見グスクは山北王の兵に囲まれてしまう。ヤマトゥの商人たちと交易もできなくなる。山北王の兵は夏までに豊見グスクを落として、タルムイ兄弟と山南王妃も殺される。保栄茂按司が山南王になって、タブチと摩文仁大主は山南王の重臣になって、保栄茂按司を操るという筋書きじゃな」
「中山王はそれをただ見ているのですか」とサハチが思紹に聞いた。
「山北王が出て来れば、山南王妃も中山王に助けを求めるじゃろう」
「すると、山南の地で、中山王と山北王が戦う事になりますよ。山北王も続々と兵を送り込んで来るでしょう」
「南部で戦をしている隙を狙って、山北王が陸路で首里を攻めるかもしれん。厄介な事になりそうじゃ。それに、どっちが勝ったとしても、かなりの損害が出るじゃろう。多くの庶民が殺される。それは絶対に避けなければならんな」と思紹は言った。
「保栄茂按司ですね」とファイチが言った。
「保栄茂按司をタブチ側に渡してはなりません」
摩文仁大主のたくらみを山南王妃に知らせた方がいいな」と思紹が言って、皆がうなづいた。
 誰を山南王妃のもとに行かせるか相談して、手登根大親(てぃりくんうふや)の妻のウミトゥクに決まった。
「この書状は誰が持って行くのですか」とファイチが二つの書状を示した。
「書状を届けたあと、摩文仁大主に殺されるかもしれませんよ」
 確かに危険だった。摩文仁大主がタブチに内緒で山北王に書状を送ったとすれば、その事を知っている者は消されるだろう。
 ウニタキは笑って、「足の速い女子(いなぐ)の行商人(ぎょうしょうにん)に頼むよ」と言った。
「ちょっと待て」と思紹が言った。
「その書状の事じゃが、テーラーは知っているんじゃないのか」
「小渡ヌルが今帰仁に来た時、テーラーはまだ今帰仁にいました。もしかしたら、山北王から話を聞いているかもしれません」
「知っているとすれば、テーラーの方から摩文仁大主に接触するという事も考えられる。テーラーをよく見張っていた方がいいぞ」
 ウニタキはうなづいた。
 ファイチが本物そっくりの芋版を作って、元のように戻し、ウニタキはそれを持って出て行った。


 ウミトゥクが持って来た中山王の書状を読んで摩文仁大主のたくらみを知った山南王妃は、保栄茂按司の家族を密かに豊見グスクに移した。山北王の兵はそのままグスクを守っているが、本部(むとぅぶ)のテーラーは保栄茂按司と一緒に豊見グスクに移っていた。糸満グスクを攻めていた保栄茂按司の兵も、豊見グスクのサムレー大将の我那覇大親(がなふぁうふや)に変わった。
 下痢が治った長嶺按司は何度もグスクから出ようと試みたが、包囲陣の守りは堅く、負傷兵が増えるばかりでグスクから出る事はできなかった。
 保栄茂按司を味方に引き入れるために、摩文仁大主は保栄茂按司の武術師範だった真壁大主(まかびうふぬし)に書状を書かせた。
 真壁大主は山グスク大主(先代真壁按司)の弟で、武芸の修行に励んで、強い師匠を探すために旅に出た。浦添の城下で、シラタル親方の弟子と出会って師と仰いで修行を積んだ。師匠の娘を妻に迎えて、浦添のサムレーとして察度に仕えたが、師匠が亡くなったのを機に故郷に戻って山南王に仕えた。山南王に仕えて六年後、今帰仁合戦が起こって、そこで活躍して武術師範役になっていた。兄の豊見グスク按司と兼グスク按司は中程大親から武芸を習ったが、中程大親が足を負傷してしまったため、保栄茂按司は真壁大主から習っていた。
 真壁大主の書状は石屋のテハに頼んで保栄茂グスクに届けさせたが、いつまで経っても返事は来なかった。
 石屋のテハというのが曲者(くせもの)だった。シタルーが情報集めのために使っていて、重臣たちもテハを使う事が許されていた。今回の戦でも、敵の動きを調べるために活躍している。重臣たちはテハと王妃がつながっている事を知らなかった。
 テハは王妃に弱みを握られていた。シタルーが粟島で兵を育てようと考えて、粟島を視察しに行った留守、テハはシタルーの側室のマクムに手を出して、その現場を王妃に見られてしまったのだった。シタルーにばれたら首が飛ぶし、テハの妻は重臣の新垣大親の妹なので、妻にばれても命はなかった。
 マクムは中山王が贈った側室で、ウニタキの配下だった。石屋の事を調べろと命じられていて、マクムはテハに近づいたのだった。
 弱みを握られたテハはその後、王妃の言いなりになって、シタルーと座波(ざーわ)ヌルの事を調べたりもしていた。今回も重臣たちの命令に従いながらも、それらはすべて王妃の耳に入っていた。シタルーが亡くなったので、一つの弱みは消えたのだが、妻に知られたら義兄の怒りを買う事になる。それに、テハはマクムに惚れていて、王妃は好きにすればいいと言った。今、マクムは娘と一緒に豊見グスクにいる。その娘はもしかしたら、テハの子供かもしれなかった。
 首里の龍天閣(りゅうてぃんかく)では、山南王の進貢船が帰って来るまでは戦の動きはないだろうと、戦評定(いくさひょうじょう)は解散となった。思紹は真武神の神像彫りを再開して、ファイチは久米村に帰って、サハチも島添大里(しましいうふざとぅ)に帰った。サグルーは兵を率いて長嶺グスクに出陣していて、イハチが島添大里グスクを守っていた。
 サハチがナツに今の状況を話していたら、奥間(うくま)のサタルーがやって来た。ナナはまだ帰って来ないのに何の用だろうと、侍女に連れられてやって来たサタルーの連れを見てサハチは驚いた。子供の頃に見たクマヌ(先代中グスク按司)にそっくりだった。
「サンルーです」とサタルーは連れを紹介した。
「『赤丸党(あかまるとー)』のお頭です。お世話になったウニタキ殿に恩返しがしたいとやって来ました。俺たちにも何か手伝わせてください」
 サンルーはサハチを見て、頭を下げた。
 まるで、クマヌが生き返ったようだとサハチは思った。若い頃のクマヌを知っている者なら誰もが驚くに違いない。
「そうか。ありがとう」とサハチは言って、「何人、連れて来たんだ?」と聞いた。
「二十人です。田舎から出て来た杣人(やまんちゅ)という格好で今、城下を散策しています」とサンルーが言った。
 声までクマヌにそっくりで、サハチは嬉しくなった。山伏の格好をさせて、思紹に会わせたら腰を抜かすだろうと思うと自然と笑みがこぼれてきた。
「すまない」と笑った事を謝って、「あまりにお前が親父にそっくりなので、びっくりしたよ」とサハチは言った。
「親父が亡くなる前、奥間に来ました。母に呼ばれましたが、俺は会いませんでした。会っておけばよかったと後悔しております」
「そうか。会わなかったのか」
「子供の頃のおぼろげな記憶しかありません。俺を育ててくれた父に申し訳なくて、会う事はできませんでした。その時、父はすでに亡くなっていましたが、父を裏切るような気がしたのです」
 サハチはうなづいた。
「クマヌはお前が『赤丸党』を作った事を喜んでいたよ。ウニタキが来る前、クマヌは裏の組織を作ろうとしていたんだ。でも、クマヌはサムレーたちの総大将になったので、裏の組織の事はウニタキに任せたんだよ」
 サハチはナツに、城下の屋敷をサタルーたちに使わせるための準備をするように頼んだ。ナツはうなづいて出て行った。ナツと入れ替わるように侍女がお茶を持って入って来た。
 侍女が去って行くと、「戦はどんな状況ですか」とサタルーが聞いた。
「今は膠着(こうちゃく)状態だ。山南王の進貢船が帰って来たら動きが変わるだろう。それまでは首里見物でもしていろ」
「進貢船はいつ帰って来るのです?」
「来月だ。来月の半ば頃だろう」
「随分と間がありますね」
「戦は長引きそうだ」とサハチは笑った。
 その夜、城下の来客用の屋敷で、『赤丸党』の歓迎の宴(うたげ)が開かれ、ウニタキ、奥間大親の長男のキンタ、佐敷大親、佐敷ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)、ユリが招待された。ハルとシビーは呼んでいないのに、佐敷ヌルと一緒に来た。
 佐敷ヌルと佐敷大親はサハチと同じようにサンルーを見て驚いた。佐敷大親にはもう一つ驚く事があった。『赤丸党』に佐敷大親の息子、クジルーがいたのだった。クマヌほどは似ていないが、目元は佐敷大親にそっくりだった。
 佐敷大親は腰を抜かさんばかりに驚いた。奥間に息子がいたなんて夢にも思っていなかったようだ。
「クミの息子なのか」と佐敷大親はクジルーに聞いた。
 クジルーはうなづいた。
「母は俺を身ごもったまま、猟師の親父に嫁いだのです。俺は猟師の息子として育ちました。十五の時に、お頭に呼ばれて、厳しい修行に耐えて『赤丸党』に入りました。俺が『赤丸党』に入った時、母から本当の父親の事を聞きました。猟師の親父もその事は知っていました。知っていながら、俺を育ててくれたのです。本当の父親は若様(うめーぐゎー)の父親の弟だから、お前は若様をお守りしなければならない。奥間のために働いてくれと言われました」
「クミが兄貴の子を産んだのか」とキンタが驚いていた。
「クミを知っているのか」と佐敷大親がキンタに聞いた。
「幼馴染みです。佐敷に来る前、お姉(ねえ)はクミと仲良しでした」
「何という事だ。この事はキクには内緒にしてくれ」
 キンタはうなづいて、「でも、兄貴がお姉と一緒になる前に、クミと会っていたなんて驚きです」と言った。
 佐敷大親はサハチ、ウニタキ、佐敷ヌルたちにも両手を合わせて口止めを頼んだ。そんな慌てている佐敷大親を見るのは久し振りで、サハチは見ていて面白かった。
 キンタはサンルーを知っていて、サンルーが『赤丸党』を作ろうと思ったのも、キンタからウニタキの『三星党(みちぶしとー)』の事を聞いたからだった。キンタの紹介でウニタキと会って、ウニタキのもとで二年間、修行を積んだのだった。『赤丸』というのは奥間の御先祖様で、奥間にはアカマルのウタキ(御嶽)もあった。
 楽しい一夜を過ごした奥間の若者たちは、翌日、ウニタキとキンタに連れられて首里へと向かった。


 戦の進展はほとんどなく、半月余りが過ぎた十一月十二日、山南王の進貢船がようやく帰って来た。進貢船はいくつもの護衛船に囲まれて、国場川(くくばがー)に入って行った。
 首里に呼ばれたサハチが龍天閣に行くと、思紹、ウニタキ、ファイチ、苗代大親(なーしるうふや)、奥間大親、ヒューガ(日向大親)が顔を揃えていた。
「タルムイが勝ったようだな」とサハチは言ったが、そんな単純な事ではなかった。
「進貢船の護衛をしていたのは照屋大親糸満大親、豊見グスク按司小禄按司の水軍たちだったんじゃよ」とヒューガが言った。
 サハチにはわけがわからなかった。
「照屋大親糸満大親は寝返って、タルムイ側になったようだ」とウニタキが言った。
「どうして、急にそんな事になったんだ?」
「お前が来る前に話していたんじゃが、どうやら、照屋大親糸満大親は最初から王妃側だったようじゃ。進貢船を奪い取るために、わざと島尻大里グスクに残ったんじゃよ。タブチは進貢船の事は二人に任せていたようじゃからのう」
「何という事だ」とサハチは思紹の顔を見て、首を振った。
「山南の王妃様(うふぃー)はなかなかの策士のようじゃな」と思紹は笑った。
「照屋大親糸満大親は以前から王妃と仲がよかったのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「二人と特に仲がよかったわけではないが、山南王妃はウミンチュ(漁師)たちに慕われているんだよ。俺の配下で島尻大里をずっと探っているアカーという奴がいるんだが、奴から聞いた話だと、山南王妃はウミンチュたちのために、色々とやっていたらしい。シタルーが山南王になって、初めて進貢船を送って、その船が無事に帰って来た時、シタルーは船に乗っていた家臣たちをねぎらうために帰国祝いの宴を開いた。その時、山南王妃は船乗りたちは呼ばないのとシタルーに聞いたそうだ。先代の山南王も呼ばなかったからいいんじゃないのかとシタルーは答えたらしい。山南王妃は宴を抜け出して港に行ったんだ。照屋大親が振る舞ってくれたと言って、船乗りたちは思い思いの所に座り込んで酒を飲んでいた。酒の肴(さかな)もお粗末な物だったそうだ。船乗りたちはキラマの島から来ているウミンチュも多く、粗末な小屋で寝泊まりしていたようだ。山南王妃は半年も明国に行って来たのに、あまりにも可哀想だと思って、グスクから酒と料理を運ばせたという。その後、山南王妃はウミンチュたちが寝泊まりできて、一緒に酒盛りができる大きな屋敷を建てて、ウミンチュたちに使わせた。いつしか、その屋敷は『鳥御殿(とぅいうどぅん)』と呼ばれるようになったんだ」
「鳥御殿?」
「トゥイは山南王妃の名前だそうだ」
「そんな事があったのか。しかし、察度の娘だった山南王妃がウミンチュの面倒を見ていたなんて意外だな」とサハチが言うと、
「察度の娘だからウミンチュを大切にしたのかもしれんぞ」と思紹は言った。
「察度もウミンチュたちに慕われていたんじゃよ。察度は若い頃、ヤマトゥまで行って倭寇(わこう)として暴れていた。中山王になっても、ウミンチュたちは仲間だと思っていたのかもしれん。そんな父親を見て、山南王妃は育ったのだろう」
「照屋大親糸満大親も、ウミンチュたちが王妃を慕っていたら、王妃に敵対する事はできませんね。これは見習わなければなりません」とファイチは言った。
「これで、二隻の進貢船も、糸満の港も山南王妃のものとなった。タブチにはもう勝ち目はないじゃろう」
 アカーがやって来て、今の状況を知らせた。
 タルムイの兵六百人が豊見グスクから出陣した。総大将は波平大主(はんじゃうふぬし)で、保栄茂グスクと阿波根グスクを攻めていたタブチの兵は、敵兵の多さに驚き、撤収して大(うふ)グスクに逃げ込んだ。タルムイの兵は糸満川を越えて、照屋グスクと糸満グスクを守るために大規模な陣地を構築している。タブチの兵は大グスクから出る事なく、様子を見守っているという。

 

 

 

沖縄二高女看護隊 チーコの青春