長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-168.ヤキー退治(改訂決定稿)

 ササ(運玉森ヌル)、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナ、クマラパとタマミガ、愛洲(あいす)ジルーと山伏のガンジュー(願成坊)、玻名(はな)グスクヌルと若ヌルたち、ミッチェとサユイ、ヤラブダギのツカサと崎枝(さきだ)のツカサ、総勢十八人がぞろぞろと『ヤラブダギ(屋良部岳)』に向かっていた。
 ガンジューはしきりにナナに話し掛けていた。ナナに会いたくて琉球に行こうと思ったのかしらとササは思った。
 ササはミッチェと話をしながら歩いていた。
 ミッチェはブナシルの一人娘で、将来、名蔵按司(のーらあず)を継がなければならなかった。父親は富崎按司(ふさぎぃあず)のガバネーだった。ガバネーは唐人(とーんちゅ)で、四歳の時に両親と一緒にイシャナギ島(石垣島)に来た。父は元(げん)の国(明の前の王朝)のサムレー大将だったという。
 ガバネーは一人息子で父の跡を継がなければならず、ブナシルも母親の跡を継がなければならなかったので、二人は一緒になる事はできなかった。ミッチェが生まれて、次に男の子が生まれたらガバネーの跡継ぎにしようと二人は考えていたが、二人の思うようにはならず、ガバネーは両親の強い要望で妻を迎える事になってしまった。
 登野城(とぅぬすく)の女按司(みどぅんあず)の姪(めい)を妻に迎えたガバネーは跡継ぎにも恵まれた。しかし、妻は四人目の出産に失敗して亡くなってしまう。ガバネーの妻が亡くなったあと、ミッチェは父親の事を母から知らされた。十二歳だったミッチェは父親に会いに行って、弓矢の名人だった父から弓矢を習ったという。
「わたしもそろそろ跡継ぎを産まなければならないんだけど、まだ、いい人に巡り会えないのよ」と少し寂しそうな顔をしてミッチェは言った。
「大丈夫ですよ。神様がきっと、いい人を見つけてくれますよ」とササは言った。
「そうね。焦っても仕方ないものね」
 海辺に沿った道を通って、半時(はんとき)(一時間)たらずで『赤崎』に着いた。赤崎の集落は家が数軒あるだけで寂れていた。
「昔、ここに住んでいた人たちは崎枝に移ったのです」と崎枝のツカサが言った。
「もしかして、赤崎は津波にやられたのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「そうなのです」と崎枝のツカサはうなづいた。
「三百年くらい前に大きな津波がやって来て、赤崎の人たちはほとんど亡くなってしまったそうです。生き残った人たちが海辺からヤラブダギの裾野に移って、崎枝の村(しま)ができたようです」
 五十年前にウプラタス按司が来ていたという浜辺に行った。ウプラタス按司の船が来た時、あちこちから小舟(さぶに)がやって来て、浜辺で取り引きをして賑わっていたのだろう。赤崎に住んでいた人たちも南の国から来て、ここから上陸したのかもしれなかった。
 名蔵湾に飛び出した赤崎を眺めて、その先端まで行こうとしたら、道はないと崎枝のツカサに言われた。
「昔は道があったようですが、今は誰も行かないので道はなくなってしまいました」
「古いウタキ(御嶽)はないのですか」
「あったようですが、津波にやられてしまって、どこだかわからなくなってしまったようです」
 ガンジューが道を探すと言ったが、ヤラブダギの山頂で待っているサラスワティの神様を待たせるわけにはいかないので、先にヤラブダギに登る事にした。
 崎枝の集落を抜けて山道に入った。途中から急な坂道になって、大きな岩がいくつも現れて来た。
 頂上の近くに眺めのいい岩場があったので、クマラパ、ジルー、ガンジュー、若ヌルたちは崎枝のツカサと一緒に、そこで待っていてもらい、ササ、安須森ヌル、シンシン、ナナ、玻名グスクヌル、タマミガ、ミッチェ、サユイの八人が、ヤラブダギのツカサと一緒に山頂に向かった。
 急な坂を登って行くと綺麗な音楽が聞こえてきた。『サラスワティ』が弾いているヴィーナという弦楽器の調べだった。小鳥たちが喜んで、その曲に合わせてさえずっていた。
 山頂に平らな大きな岩があって、姿は見えないが、その上でサラスワティがヴィーナを弾いているようだった。
 ササたちはひざまづいて両手を合わせた。
「待っていたわよ」とサラスワティの美しい声が聞こえた。
 一昨日(おととい)の夜は異国の言葉をしゃべっていたが、今は琉球の言葉だった。
「あなたたちが知りたいのは、赤崎に来た人たちと琉球に行ったアマミキヨの一族が同じかどうかって事でしょう?」
「そうなのです。アマミキヨ様がどこからいらしたのか調べるために、この島までやって参りました」とササは言った。
「同じ国の人たちよ」とサラスワティは言った。
 やっぱり、そうだったんだわとササたちは心の中で喜んだ。
「今から二千年くらい前、『アマンの国』の近くの島で、火山の噴火が起こったの。大きな地震が何度も起こって、アマンの国は沈んでしまったのよ。島の人たちは舟に乗ってあちこちに逃げて行ったわ。その中の一つがこの島に来て、別の人たちがミャーク(宮古島)に行って、さらに琉球まで行ったのよ」
「アマンの国は沈んでしまったのですか」とササは驚いた顔をして、隣りにいる安須森ヌルを見た。
 安須森ヌルも驚いた顔をして、声のする辺りを見つめていた。
「ひどかったわ。大地震のあと、大津波もやって来たのよ。山の上に逃げて助かった人たちが安心する間もなく、島が少しづつ沈みだしたのよ。舟は津波で流されてしまったので、慌てて木を伐りだして、舟を作って逃げてきたのよ。わたしはアマンの国の守護神として国を守ってきたけど、あの時の大地震はどうする事もできなかったわ。この島よりも大きかった、あの島が沈んでしまうなんて予想もできなかったのよ。大勢の人々が亡くなってしまったわ。それでも、生き残った人たちはわたしを頼りにして、各地に散って行って、その地で、わたしを神様として祀ってくれたのよ」
「この島に来た人たちとミャークに行った人たちは言葉が違っていたようですけど、同じ国の人だったのですね?」とササが聞いた。
「古くから住んでいた人たちと後から来て住んだ人たちの違いよ。アマンの島は交易が盛んだったから、あちこちから人々が集まって来ていたのよ」
「その島はどこにあったのですか」
「どこって聞かれてもね‥‥‥」
「ジャワの近くですか」
「そうね。だいたいその辺りよ。アマンからジャワまで舟で十日くらいの距離だったわ」
 琉球からジャワまで二か月掛かるとスヒター(ジャワの王女)から聞いている。アマミキヨ様たちはそんな長い舟旅をして来たのか。しかも、丸木舟に乗ってやって来たなんて信じられない事だった。
「サラスワティ様はアマンの国の神様なのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「いいえ、違うわよ。わたしが生まれた国は遙か昔になくなってしまったけど、『サラスヴァティ』という国なのよ。サラスヴァティというのは川の名前で、大きな川だったのよ。わたしはサラスヴァティ川の神様なの。サラスヴァティ川の周辺に人々が集まって来て、豊かな国ができたのよ。今から三千年以上も前の事だわ。でもね、五百年くらいして、サラスヴァティ川はなくなってしまうの。青銅を作るために木を伐りすぎて川の周辺は砂漠になってしまって、サラスヴァティ川は地下を流れる川になってしまったのよ。サラスヴァティの人たちはガンガー(ガンジス川)の流域に移って行って、いくつもの新しい国を造ったわ。サラスヴァティ川はなくなってしまったけど、わたしは水の神様として残ったのよ」
「そして、交易によって、サラスワティ様はアマンの国の人たちにも知られて、アマンの国の神様になったのですね」とササは言った。
「そうなのよ。アマンの国に行ってからはサラスワティと呼ばれるようになったわ」
琉球に行ったアマミキヨ様もサラスワティ様を守護神として祀っていたのですか」
「勿論、祀っていたわよ。今も垣花樋川(かきぬはなひーじゃー)に祀られているはずよ。でも、わたしは最近、琉球まで行かないから、わたしの声は聞こえないわ。琉球には『豊玉姫(とよたまひめ)』がいるから、わたしが行く必要はないものね。ここもそうよ。ここにも『ウムトゥ姫』がいるから、わたしがここに来たのも久し振りなのよ。あなたたちの笛が聞こえてやって来たの。あんな素晴らしい笛を聞いたのは久し振りだわ。笛の名手のヴィシュヌも感心していたわよ」
「ありがとうございます。ヴィシュヌ様とは知り合いなのですか」
「『ヴィシュヌ』はサラスヴァティの国が滅んだあとにできた新しい国で生まれた神様なのよ。元々は太陽の神様だったんだけど、今では万能の神様になってしまったわね。『シヴァ』も新しい国で生まれたのよ。暴風雨の神様だったルドラが進化してシヴァになったの。シヴァは破壊の神様なんだけど、慈悲深さも持っていて、頼りにしている人たちも多いわ」
「ヴィシュヌ様とラクシュミ様はジャワに住んでいると言っていましたが、サラスワティ様もジャワに住んでいるのですか」
「いいえ。わたしは『クメール王国』に住んでいるのよ」
「えっ、クバントゥの人たちの国ですか」
「そうなのよ。そこには大きなお寺(うてぃら)がいっぱいあるのよ。わたしたちはヒンドゥー教という教えの中の神様になっていて、クメール王国はヒンドゥー教を信じていたの。それで、わたしたちを祀るお寺がいくつも建てられたのよ。その頃はヴィシュヌとラクシュミもクメール王国にいたのよ。でも、二百年位前に、ヒンドゥー教から仏教に変わってしまって、わたしたちを祀っていたお寺は仏教のお寺になってしまったの。幸いに、わたしは仏教では弁才天(べんざいてん)、夫のブラフマー梵天(ぼんてん)として祀られているので、そのまま残っているの。ヴィシュヌは化身(けしん)として、仏教を開いたブッダになったし、ラクシュミは吉祥天(きっしょうてん)として祀られているんだけど、吉祥天の夫がブッダではなくて、毘沙門天(びしゃもんてん)なのが気に入らないって言って、ジャワに行っちゃったのよ」
「シヴァ様はどこに住んでるのですか」
「サラスヴァティ川やガンガーの上流にはヒマラーヤと呼ばれる高い山々が連なっているの。その中に聖なる山と呼ばれる『カイラーサ』という山があるのよ。シヴァの妻の『パールヴァティ』はその山で生まれたの。パールヴァティがカイラーサに住んでいるので、シヴァもそこにいる事が多いわね。シヴァを祀る大寺院はあちこちにあって、妻もあちこちにいるんだけど、パールヴァティが怖いのね。今回は珍しく一人でやって来たわ。きっと、ジャワ辺りにいたのかもしれないわね。シヴァはヒンドゥー教の英雄にされて、各地の女神たちを妻に迎える事になってしまったの。ヒンドゥー教を広めるために、ヒンドゥー教の偉い人たちが勝手に決めた事なんだけど、シヴァは優しいからみんなを受け入れているのよ。ガンガーの下流『カーリー』という凶暴な女神がいて、その女神もシヴァの妻になったんだけど、シヴァは受け入れて、仲よくやっているみたい。メートゥリオン(宮鳥御嶽)の『ミナクシ』はガンガーの南方にあるマドゥライの女神なんだけど、彼女もシヴァの妻にされたのよ。でも、ミナクシには『スンダレ』という夫がいるから、シヴァも手を出してはいないわ」
 ササはスサノオの神様がシヴァの神様と意気投合して、どこかに行ったのを思いだした。
「シヴァ様とスサノオ様がどこに行ったのか御存じですか」
「あの二人はどこか似ているわね」とサラスワティは楽しそうに笑った。
「二人して、よからぬ事を考えているんじゃないの」
 突然、大きな雷が鳴り響いて、ササたちは悲鳴を上げた。空を見上げると南の方の空が真っ暗になっていて、稲光が光った。そして、物凄い音が響いた。
「シヴァが悪さをしているようね」とサラスワティは言って、どこかに消えたようだった。
 山頂にいたら危険なので、ササたちは山を下りた。若ヌルたちの所に行くと、みんながしゃがみ込んで耳を塞いでいた。
「近くにガマ(洞窟)があるわ」とヤラブダギのツカサが言って、ササたちはガマの中に避難した。ガマの中は霊気が漂っていた。
「ここは古いウタキだわ」とササが言った。
「アマンの人たちのお墓だったようです」とヤラブダギのツカサが答えた。
 ササたちはお祈りを捧げた。神様の声が聞こえた。アマンの言葉で何を言っているのかわからなかったが、何となく、みんなが喜んでいるように思えた。
「久し振りにサラスワティの神様がいらっしゃったので、喜んでいるのよ、きっと」と安須森ヌルが言った。
「シヴァ様が悪さをしているって、サラスワティ様が言っていたけど、この雷はシヴァ様のせいなのかしら?」とシンシンが言った。
「お祖父(じい)様(スサノオ)とシヴァの神様が『ヤキー(マラリア)』を退治しているのよ」とユンヌ姫の声が聞こえた。
「えっ、スサノオの神様がヤキー退治をしているの?」とササは驚いて聞き返した。
「ウムトゥ姫がヤキーの事をお祖父様に相談したら、任せておけって引き受けたの。マッサビから詳しい事情を聞いて、大雨と雷で南蛮(なんばん)の蚊(がじゃん)を退治しているのよ。マッサビとブナシルたちは大雨が降る所の人たちを避難させているわ」
「どうして、わたしたちに内緒にしていたの?」
「ウムトゥ姫がササたちを巻き込んではならないって言ったのよ。ヤキーを琉球に持って行ったら大変な事になるわ。絶対にこの島からヤキーを出してはいけないって言ったのよ」
「わたしたちも手伝いたかったわ」とササが小声で言った。
「そう言うだろうと思っていたからマッサビも内緒にしていたのよ。お祖父様もね」
「ユンヌ姫様は手伝わないの?」
「そのつもりで付いて行ったんだけど、危険だから逃げろって言われたのよ」
 ガマに逃げ込んだあと、大雨が降ってきた。雷は南部に集中していたが、物凄い音は鳴り響いていた。
「今のうちに、お握りを食べましょう」とサユイがのんきな顔をして、風呂敷包みを広げた。
 不安な面持ちで外を眺めていた若ヌルたちも、お腹が減ったわと言って集まって来た。
 みんなでお握りを食べながら、ササたちは若ヌルたちにサラスワティの神様が言った事を話した。
 アマミキヨ様の一族が、この山に来たと聞いて、若ヌルたちも喜んだ。
「アマンの国から来た人たちが琉球の御先祖様だったのか」とガンジューがお握りをほおばりながらササに聞いた。
「そうなのよ。アマンの国から琉球に来た人たちの子孫に豊玉姫様が生まれるの。ヤマトゥ(日本)からタカラガイを求めて琉球に来たスサノオ様と豊玉姫様が結ばれるのよ。二人は一緒に対馬(つしま)に行って、そこで玉依姫(たまよりひめ)様が生まれるの。玉依姫様はヤマトゥの国の女王になって、ヒミコって呼ばれるようになるわ。玉依姫様の妹のアマン姫様は琉球に帰って、玉グスクの女按司になるのよ。わたしたちはアマン姫様の子孫なの。そして、アマン姫様の曽孫(ひまご)のウムトゥ姫様がこの島に来て、子孫を増やしたのよ」
「ここに来たアマンの人たちはどうなったんだ?」
「ウムトゥ姫様の孫のヤラブ姫様が赤崎にやって来て、ここにいたアマンの人たちの子孫と結ばれるのよ」
琉球のアマンの子孫と、この島のアマンの子孫が、また一つになったんだな」
「そうなのよ。そういう事なのよ」とササは満足そうな顔をしてうなづいた。
「すると、スサノオ様と豊玉姫様の子孫はヤマトゥにもいるという事だな?」
「ヤマトゥの天皇はアマテラスの子孫だって聞いたわ。アマテラスは玉依姫様の事だから、天皇スサノオ様と豊玉姫様の子孫じゃないの」
「何だって? アマテラス大御神(おおみかみ)が玉依姫だって? アマテラス大御神がヒミコだっていうのか」
「そうじゃないの? わたしはヤマトゥの古い歴史は知らないけど、そうだと思うわ。本来、太陽の神様はスサノオ様だったはずよ。伊勢の神宮を造った天皇が、スサノオ様の娘の玉依姫様をアマテラスにしてしまったのよ。元々、内宮(ないくう)の地に祀られていた玉依姫様の息子のホアカリ様は外宮(げくう)に移されて、外宮に祀られていた玉依姫様の娘のトヨウケ姫様は小俣(おまた)神社に移されてしまったのよ」
「どうして、そんな事をしたんだ?」
「きっと、伊勢の神宮を造ったのは女の天皇に違いないわ。天皇の事はよくわからないけど、昔は天皇になるために争いを繰り返してきたんでしょ。その女の天皇は争いを繰り返さないために、アマテラスを太陽の神様にして、天皇の御先祖様にしたのよ。そして、天皇は自分の子孫たちがなるべきだって決めたんだわ」
「うーん」とガンジューは唸った。
「俺には難しい事はわからないけど、熊野の山中で修行していて、朝日が昇ってくると、それはまさしく神様に思えるんだよ。そして、その時、わしが両手を合わせる神様はスサノオ様だった。スサノオ様以外は考えられなかったんだ。そうか、やはり、スサノオ様は太陽の神様だったんだな」
 ガンジューは一人で納得して、うなづいていた。
 雷は一時(いっとき)(二時間)近く続いた。
 雨もやんで、青空も顔を出した。
 ササたちはガマから出ると山頂へ向かった。山頂から南の方を見ると晴れ渡った空に大きな虹が出ていた。
 登って来た道とは反対側に下りて行って『御神崎(うがんざき)』に向かった。
 海に飛び出た御神崎は険しい崖に囲まれていて、奇妙な形をした岩がいくつもあった。神様が降りて来るのにふさわしい神々しさがあって、眺めも素晴らしかった。
 樹木(きぎ)に被われた山道から出て来たササたちは、その景色の美しさに思わず声を漏らしていた。
 御神崎と海を隔てて大きな岩があって、その岩の上に落ちそうで落ちない小さな岩が乗っていた。
「あの岩は『ブナリヌツブルイス(妹の頭石)』って呼ばれています」とヤラブダギのツカサが言った。
 話を聞いていた若ヌルたちがキャーキャー騒いだ。
「いつの頃から、そう呼ばれているのかはわかりませんが、ハツガニに斬られたミズシの首が、ここまで飛んできて、あそこにあるというのです」
「えっ!」とササは驚いて、「どうして、そんな話になったの?」と聞いた。
「何代目かのヤラブダギのツカサが、ツカサたちをここに呼ぶために、そんな伝説を作ったようです。その頃、ヤラブダギに登るツカサたちはいても、ここまで来るツカサがいなかったのかもしれません」
「今はここまで来るのですか」とササが聞くと、
「ツブルイスのお陰で、ヤラブダギに登ったツカサたちはここまで下りてきて、お祈りを捧げてくれます」とヤラブダギのツカサは笑った。
 突然、サラスワティのヴィーナが聞こえてきた。
スサノオとシヴァのヤキーの退治はうまく行ったみたいよ」とサラスワティの声が聞こえた。
「わたしは帰るわ。楽しかったわ」
「色々とありがとうございました。いつか、琉球にいらしてください」とササは言った。
「そうね。あなたたちの笛が聞こえたら、行くかもしれないわ。琉球の言葉も覚えたしね」
 ササたちは両手を合わせて、サラスワティを見送った。
 御神崎の近くにあるヤラブダギのツカサの家で一休みして、ササたちはヤラブダギの北側を回って崎枝に戻り、名蔵へと帰った。
 名蔵のブナシルの屋敷に着いたのは夕方になっていた。
「何だか、疲れたわね」とササが言った。
「異国の神様とお話ししたからじゃないかしら」とシンシンが言った。
「一晩で言葉を覚えちゃうなんて、さすが、神様ね」とナナが言った。
 ササが笑ってうなづこうとした時、ササの脳裏に、ナルンガーラのガマの中で苦しんでいるスサノオの姿が見えた。
「大変だわ!」とササは叫んだ。
「どうしたの?」とシンシンとナナが同時に言って、ササを見た。
「ナルンガーラに行かなくちゃ」とササは安須森ヌルに言った。
 ササの顔を見て、ただ事ではないと気づいた安須森ヌルはうなづいて、ブナシルから馬を借りて、ナルンガーラに向かった。ミッチェとサユイがついてきた。
 ナルンガーラに着くと、シンシンとナナにマッサビの屋敷で待ってもらい、ササ、安須森ヌル、ミッチェ、サユイはマッサビと一緒に『ナルンガーラのウタキ』に向かった。
 すでに日が暮れかかっていて、薄暗くなっていた。ウタキに着いた頃には星空が広がっていたが、不思議と足もとはよく見えた。
 滝の裏側にあるガマに行くと、中は明るくなっていて、その中心にスサノオが横たわっていた。そして、驚いた事に、スサノオを看病していたのは『豊玉姫』と池間島(いきゃま)の『ウパルズ』だった。
 ササは豊玉姫の姿を見た事はなかったが、一目で豊玉姫だとわかった。目の前にいる女神様は、心に描いていた姿と少しも違っていなかった。
豊玉姫様、スサノオの神様は大丈夫でしょうか」とササは聞いた。
「さっきまで苦しんでいたけど、眠りについたわ。ゆっくり休めば大丈夫よ。必ず、もとに戻るわ」
「ヤキーを退治するために無理をしたのですか」
「そうみたいね。昔からそうなのよ。やらなければならない事は、自分を犠牲にしてでもやるのよ。だから、スサノオなのよ」
 ササたちはスサノオの無事を祈った。
 ウムトゥ姫がユンヌ姫、アキシノ、アカナ姫と一緒に帰って来て、スサノオが倒れているのを見て驚き、さらに、豊玉姫とウパルズがいるのに驚いた。
「お祖母(ばあ)様、どうして、ここにいるの?」とユンヌ姫が豊玉姫に聞いた。
「最近、スサノオがやたらと琉球に来るので、何をしているのかと、密かにあとを追って来たのよ。そしたら、ミャークに来てしまったの。ウパルズと会って、色々と話を聞いていたのよ。スサノオがイシャナギ島に行ったというので、来て見たら、このありさまだったというわけよ」
 ウムトゥ姫は、豊玉姫と娘のウパルズと思わぬ再会ができて喜んでいた。
 スサノオを心配して神様たちが次々に現れた。狭いガマの中は神様だらけになった。
「お酒を持ってくればよかったわね」とササが安須森ヌルに言った。
「はい」と言って、ミッチェが瓢箪(ちぶる)を差し出した。
「シンシンさんから頼まれたのよ」
 ササは嬉しそうな顔をして瓢箪を受け取ると安須森ヌルに渡した。
 安須森ヌルは一口飲むと「おいしい」と笑ってササに返した。
 ササも飲んで、幸せそうな顔をした。
 ユンヌ姫がやってきて手を差し出した。ササは瓢箪を渡した。ユンヌ姫は瓢箪を持って行くと豊玉姫に渡した。豊玉姫はササたちを見て笑うと、おいしそうにお酒を飲んだ。
 その飲みっぷりから、豊玉姫もお酒が好きだったのかと驚いたが、ササたちがお酒が好きなのも、豊玉姫に似たのに違いないと納得した。

 

 

 

トレース・オブ・ユー   ライズ