長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-173.苗代大親の肩の荷(改訂決定稿)

 安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)たちが南の島を探しに船出した二日後、平田グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)もそうだが、お祭りに集まった誰もが、ササと安須森ヌルの噂をしていた。無事にミャーク(宮古島)に着いただろうかとみんなが心配していた。
 珍しく、馬天(ばてぃん)ヌルも麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミー(アフリ若ヌル)を連れてお祭りにやって来て、ササたちは大丈夫かしらとサハチに聞いた。
 サハチは笑って、「ササにはユンヌ姫様とアキシノ様がついているから大丈夫ですよ」と言った。
「二人の神様がササに危険を知らせて、無事にミャークまで導いてくれるはずです」
「わかっているんだけど、もしもって事があるからね。やっぱり心配なのよ」
 馬乗り袴姿の馬天ヌルは、いつもよりも若く見え、隣りにいる麦屋ヌルと大して変わらない年齢に思えた。
 サハチはナツと一緒に子供たちを連れて来ていた。
 七日前に首里(すい)から五歳になったタチが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに来ていた。やっと乳離れしたというよりは、マチルギが将来の事を考えて、離れる決心をしたのだろう。タチは兄弟が何人もいるのに驚いたが、すぐに慣れて、三つ年上のナナルーと二つ年上のチョンチ(誠機)と仲よく遊んでいた。
 メイファン(美帆)の息子のチョンチは島添大里グスクにいる事が多く、メイファンも用のない時は安須森ヌルの屋敷に滞在していた。今回もチョンチと一緒にお祭りに来ていた。
 首里から来る時はお輿(こし)に乗って来たので、タチは自分の足で歩けるのが楽しいらしく、目をキョロキョロさせながら歩いていた。平田グスクに入ると大勢の人たちを見て驚き、屋台で餅を配っている女子(いなぐ)サムレーを珍しそうに眺めていた。
 タチが島添大里に来た代わりに、山南王(さんなんおう)の他魯毎(たるむい)の長男と婚約している十歳のマカトゥダルが花嫁修業のため、首里の御内原(うーちばる)に入った。
 今回のお芝居はハルとシビーの新作で、若き日の慈恩禅師(じおんぜんじ)を主役にした『ジオン』だった。サハチは二人が取材を始めた頃から観るのを楽しみにしていた。安須森ヌルがいなくても、お祭りの事は、ユリとハルとシビーの三人に任せておけば安心だった。
「ちょっと話があるのよ」と馬天ヌルはサハチに言った。
 舞台では娘たちが踊っていた。お芝居が始まるのは午後なので、サハチはうなづいて、馬天ヌルと一緒に木陰にある縁台まで行って腰を下ろした。
「心配しなくても、ササは無事に帰って来ますよ」とサハチは言ったが、馬天ヌルは笑って、
「その事じゃないのよ」と言った。
「ササたちが帰って来たらわかる事だから、今のうちにあなたに話しておこうと思ったのよ」
「何の話です?」
「あれはササが生まれる前の年だったわ。大きな台風が馬天浜(ばてぃんはま)に来て、わたしのおうちが潰れた時よ。新里(しんざとぅ)の新しいおうちはまだ完成していなくて、わたしはマシュー(安須森ヌル)のおうちに行ったり、父(サミガー大主)のおうちに行ったり」
「ヒューガ(日向大親)殿のおうちに行ったり」と言ってサハチは笑った。
「そうよ。その時なのよ」
「何がですか」
「南の島(ふぇーぬしま)から馬天浜にお客さんが来たのよ」
「そんな昔に、南の島の人が馬天浜に来たのですか」と言って、その頃、ミャークの人たちが察度(さとぅ)(先々代中山王)に会いに来ていたのをサハチは思い出した。それを教えてくれたのは勝連(かちりん)から来たウニタキ(三星大親)だった。
「ミャークの人が馬天浜に来たのですか」とサハチは聞いた。
「ミャークじゃなかったわ。ヤイマ(八重山)とか言っていたわ。あの辺りには島がいくつもあるみたい。島の名前は忘れちゃったんだけど、ユミという名前のヌルが来たのよ。そのユミが苗代大親(なーしるうふや)(サジルー)の娘を産んだのよ」
「えっ?」とサハチは馬天ヌルを見た。
「話がよくわかりませんが」
「ユミは跡継ぎが欲しかったのよ。ユミの気持ちはわたしにもよくわかったわ。ユミは苗代大親を好きになってしまって、わたしが二人を会わせたのよ」
「サジルー叔父さんが南の島のヌルと?」
 サハチは驚いた顔をして、馬天ヌルを見つめた。
「サジルーはユミのマレビト神だったのよ。二人が出会った途端にわかったわ」
「サジルー叔父さんがヌルと‥‥‥」
 そう言って、サハチは呆然としていたが、急に笑い出した。
「サジルー叔父さんがヌルと」ともう一度言って、
「サジルー叔父さんもヌルには弱かったようですね」とサハチは言った。
「サジルー叔父さんは娘が生まれた事を知っているのですか」
「知っているはずよ。ユミが来たのは一度だけだけど、同じ島からヌルがやって来て、サジルーに娘が生まれた事は知らせたはずだわ」
「その事を知っているのは、叔母さんだけなのですか」
 馬天ヌルはうなづいた。
「二人は山の中のお稽古場で会っていたから誰も知らないはずよ」
「その娘はササと同い年なんですね」
「そうよ。きっと、南の島で出会って、仲良しになるでしょう。もしかしたら、ササはその娘を琉球に連れて帰るかもしれないわ。あなたに問い詰められる前に話しておこうと思ったのよ」
「もう昔の事ですから、ササがその娘を連れて来たとしても、笑い話で済ませられるんじゃないですか」
「そうだといいんだけどね」と馬天ヌルは不安そうな顔をした。
「大丈夫ですよ」とサハチは言った。
「しかし、驚きましたよ。あの叔父さんがヌルと仲よくなっていたなんて」
「サジルーは娘たちに持てたんだけど、若い頃は剣術に夢中で、騒いでいる娘たちに目もくれなかったわ。奥さんになったタマは幼馴染みで、タマは子供の頃からサジルーのお嫁さんになるって言っていたの。みんなが二人の仲を認めていて、二人は夫婦になったのよ。サジルーもタマは好きだったけど、子供の頃から一緒にいたから、胸がときめくような事はなかったでしょう。それが三十を過ぎてから、ユミに胸をときめかせたのよ。一夏の恋ね。でも、その事をずっと胸の奥にしまってきたのよ」
「一夏の恋ですか‥‥‥もしかしたら、そのユミという人も琉球に来るんじゃないですか」
「来るかもしれないわね。そしたら、わたしがタマを説得しなければならないわ。タマなら許してくれると思うけど‥‥‥」
 右馬助(うまのすけ)と大里(うふざとぅ)ヌル、フカマヌルと娘のウニチルの姿が見えた。
「あそこにもヌルに魂(まぶい)を奪われた男がいますよ」とサハチは右馬助を見ながら馬天ヌルに言った。
 馬天ヌルは笑った。
「あの人も武芸に夢中だったんでしょ」
「どうした気まぐれか、島添大里グスクの十五夜(じゅうぐや)の宴(うたげ)にやって来て、大里ヌルと出会って、一緒に久高島に行ったままだったんですよ」
 右馬助が挨拶に来たので、
「まだ夢を見ているのか」とサハチが聞いたら、ぼうっとした顔で、「夢ですか‥‥‥」と言った。
「男手が足りないから、色々と助かっているのよ」とフカマヌルが笑った。
「お師匠が揃って来たわよ」と馬天ヌルが言った。
 振り向くとヂャンサンフォン(張三豊)と山グスクヌル(先代サスカサ)、慈恩禅師とギリムイヌル(先代越来ヌル)が一緒にいた。
「お師匠、山グスクからいらしたのですか」とサハチは驚いてヂャンサンフォンに聞いた。
「昨日、首里(すい)に行ったんじゃよ。慈恩寺に泊めてもらって、慈恩殿が平田グスクのお祭りに行くと言うので、一緒に来たんじゃ」
「そうだったのですか」
 サハチは席を譲って、ヂャンサンフォンを見た。その顔付きから決心を固めたようだった。先月の与那原(ゆなばる)グスクのお祭りの時、来年、冊封使(さっぷーし)が来るので琉球にいたら危険だとサハチは告げた。ヂャンサンフォンは考えさせてくれと言った。昨日、首里に言ったのも、その答えを思紹(ししょう)に伝えたに違いなかった。
 サハチの気持ちを察したのか、
「わしは来月、三姉妹の船に乗ってムラカ(マラッカ)に行く事に決めたよ」とヂャンサンフォンは言った。
 サハチが驚く前に右馬助が驚いて、突然、目を覚ましたかのように、
「お師匠、琉球を去るのですか」と聞いた。
 ヂャンサンフォンはうなづいて、
「楽しかったよ」と笑った。
南陽(ナンヤン)でそなたたちと出会って、わしは琉球まで来た。こんなに長くいるとは思ってもいなかった。知らぬ間に七年も経っている。このまま、この島に骨を埋(うづ)めるのもいいと思っていたんじゃが、永楽帝(えいらくてい)が許さんらしい。三姉妹と一緒に、しばらくムラカに隠れる事にするよ。ファイチ(懐機)の息子もいるし、そなたの娘もいる。ムラカでも楽しく暮らせそうじゃ」
「お師匠、俺はどうなるんです。まだまだ学びたい事がいっぱいあります」と右馬助が言った。
「一緒に来てもかまわんよ」
「えっ、ムラカにですか」
「三姉妹の船は毎年、琉球に来るじゃろう。いつでも琉球に帰れる」
 右馬助は大里ヌルを見た。大里ヌルは右馬助をじっと見つめて、小さくうなづいた。
「お前は何事も徹底的にやらないと気が済まない性質(たち)じゃろう。大里ヌルと一緒にいるのも徹底的にやったらいい。自分で納得できたら、三姉妹の船に乗ってムラカにやってくればいい」
 右馬助は気が抜けたような顔をして、ヂャンサンフォンを見ていた。
「お師匠がこの島を離れるとなれば、盛大な送別の宴(うたげ)を開かなくてはなりませんね」
 サハチがそう言うと、ヂャンサンフォンは首を振った。
「そんなのは無用じゃよ。わしは送別の宴というのは苦手でな。わしが去る事はここだけの話にしておいてくれ。ひっそりと去って行くつもりじゃ」
「そんな事をしたら大勢の弟子たちが怒りますよ。特にンマムイ(兼グスク按司)は内緒にしていた俺を責めるでしょう」
「そうか。ンマムイには言ってもいい」
「ウニタキも怒りますよ」
「ウニタキとファイチにも言っていい」
「ヒューガさんにも言っていいですね?」と馬天ヌルは聞いた。
 ヂャンサンフォンはうなづいて、「他の者たちには絶対に内緒じゃ」と言った。
 お芝居の『ジオン』は、念阿弥(ねんあみ)と呼ばれた幼い慈恩が、師の上人(しょうにん)様と旅をする場面から始まった。念阿弥を演じているのは平田大親(ひらたうふや)の次男、九歳のサンタだった。サンタは腰に長い木剣を差していて、旅をしながら剣術の稽古に励んでいた。時は南北朝(なんぼくちょう)の戦世(いくさゆ)で、あちこちに戦死した兵の無残な死体が転がっていた。
 死体を演じたのは村の若者たちのようで、死体のくせに、観客の知人に手を振ったりしていて笑わせた。
 念阿弥は、「今、死体が動いたようです」と言って、木剣で死体をたたき、上人様は、「カラス(がらし)に食われた内臓(わたみーむん)に、ネズミ(うぇんちゅ)でもおったんじゃろう」と言って笑わせた。二人は死体を葬って念仏を唱える。
 旅の途中で上人様が亡くなってしまって、十六歳になった念阿弥は上人様を葬って、京の都に行く。強い武芸者が大勢いるという噂を聞いて、鞍馬山(くらまやま)に登った念阿弥は、韋駄天(いだてィん)と出会って武芸を習う。山の中を走り回って厳しい修行を積んでいたが、韋駄天は突然、異国に帰ってしまう。
 鞍馬山を下りた念阿弥は京の都で、可愛い娘と出会う。腹を空かせて破れ寺にいた念阿弥に、娘は食べ物を持って来てくれた。旅の話を聞かせると娘は目を輝かせて聞いていた。明日もまた来ると娘は言ったが、その夜、戦が起こって、火の手があちこちに上がった。
 一日中、待っていたが娘は現れなかった。戦に巻き込まれてしまったのだろうかと悲しんでいると、残党狩りのサムレーたちがやって来た。乞食坊主と言われて、腹を立てた念阿弥はサムレーたちに掛かっていき、五人のサムレーをあっという間に倒してしまう。自分の強さに驚いたのは念阿弥自身だった。いつの間にか、強くなっていた事を知った念阿弥は、さらに強くなるために修行の旅を続ける。旅の途中で出会った山賊たちを退治して、鎌倉に行って、強い和尚(おしょう)と出会って指導を受ける。九州に行って、太宰府(だざいふ)の天満宮の岩屋に籠もって悟りを開く。その頃、太宰府には、将軍宮(しょうぐんのみや)様がいて、念阿弥の強さを聞いて、わしのために働いてくれと頼むが、念阿弥は断って、故郷の奥州(おうしゅう)に戻って、見事に父親の敵(かたき)を討つ。敵を討った念阿弥は、鎌倉の和尚の弟子になって、慈恩と名乗る。
 数年後、旅に出た慈恩は若き日のヒューガと出会い、一緒に旅をする所でお芝居は終わった。
 念阿弥が悪者たちを倒す場面では、子供たちだけでなく、観客たち皆が大喜びしていた。十六歳からの念阿弥を演じたのは女子サムレーのアイだった。小柄で強そうに見えないアイが、大柄のチリやナカウシが演じた悪者を素早い動きで、やっつけてしまうので、観客たちは指笛を鳴らして喝采を送った。
 破れ寺に現れた娘の事を慈恩禅師に聞いたら、「わしが初めて好きになった娘じゃよ」と言って笑った。
 銅鑼(どら)の音が鳴り響いて、シーハイイェン(施海燕)たちのお芝居『武当山の仙人(ウーダンシャンぬしんにん)』が始まった。与那原グスクのお祭りで初演したお芝居を、ミヨンとヂャンウェイ(張唯)が明国(みんこく)の言葉に直して、安須森ヌルの屋敷で一か月の猛特訓を積んだのだった。ヂャンサンフォンを演じたのはシーハイイェン、月の女神のチャンオーを演じたのはスヒターで、二人ともササとシンシンに負けない凄い演技を見せて、観客たちを驚かせていた。
 お祭りの翌日、サハチは馬天浜に叔父のサミガー大主(うふぬし)(ウミンター)を訪ねた。叔父は忙しそうに働いていたが、サハチの顔を見ると、「按司様(あじぬめー)のお出ましか。珍しいのう」と笑った。
「この間もサジルーが珍しくやって来て、昔話などしていったぞ」
「えっ、サジルー叔父さんが来たのですか」
 サミガー大主はうなづいて、作業場から出ると、『対馬館(つしまかん)』に誘った。シンゴ(早田新五郎)たちのための宿泊施設だが、以前のごとく開放してあって、旅人たちが自由に利用していた。今もジャワ(インドネシア)から来た船乗りたちが異国の言葉をしゃべりながら笑っていた。
「カマンタ(エイ)捕りを手伝ってくれているんじゃよ」とサミガー大主は彼らを見ながら言って、
「サジルーの事を聞きに来たんじゃろう」とサハチを見た。
「ウミンター叔父さんは知っていたのですか」とサハチは聞いた。
「ユミというヌルは、マチルーの家に滞在していたんじゃよ。馬天ヌルに頼まれて、預かっていると言っていた。マチルーからユミとサジルーが怪しいと聞いたんじゃ。わしは信じなかった。サジルーに限って、そんな事はあるまいと思っていたんじゃ。二年後、また南の島からヌルたちがやって来た。若者たちをわしの所に預けて行ったヌルもいた。二年間、ここで修行をした若者たちは今、南の島で鮫皮(さみがー)を作っているじゃろう」
「南の島の人たちが、作業場にいたなんて知りませんでした」とサハチが言うと、サミガー大主は笑った。
「その年は兄貴が突然、隠居して旅に出た年じゃよ。佐敷按司になったお前は忙しくて、ここに来る暇なんてなかったじゃろう」
 確かにそうだった。突然、按司になって、急に忙しくなった。自分の事が精一杯で、南の島の人の事なんて、まったく興味はなかった。
「その時、ユミと同じ島のヌルも来たが、サジルーと会ったかどうかは、わしは知らん。二年後、また南の島からヌルたちがやって来た。たまたま、馬天ヌルがササを連れて遊びに来ていたんじゃ。その時、ユミと同じ島から来たヌルが馬天ヌルと話をしているのを、わしは聞いてしまったんじゃよ。作業場から屋敷に行くと、二人がサジルーの娘の事を話していたんじゃ。わしが聞いていたと知って、馬天ヌルは驚いた。この事は絶対に内緒にしておいてくれって頼まれたんじゃ」
「ずっと、内緒にしていたんですね?」
「いや、わしは聞かなかった事にしたんじゃよ。馬天ヌルは子供の頃のササと同じように、幼い頃からシジ(霊力)が高かった。わしらにはわからんが、サジルーとユミを会わせたのは、きっと何か重要な意味があるんじゃろうと思って、知らない振りをしていたんじゃよ。そして、わしはその事をすっかり忘れてしまった。ササが南の島を探しに行くと聞いた時、わしはユミの事を思い出したんじゃ。そして、馬天ヌルがサジルーとユミを会わせた理由が、ようやくわかったんじゃよ。馬天ヌルはササが南の島に行く事を予見していたんじゃろう。南の島にサジルーの娘がいれば、きっと、ササを歓迎してくれるだろうと思ったのに違いないとな」
「まさか?」とサハチは思ったが、馬天ヌルならやりかねないとも思った。
 馬天ヌルがウタキ(御嶽)巡りの旅に出ると行った時、ヌルとして各地のウタキを巡りたいのだろうと思っただけだが、旅が終わってみると、馬天ヌルは各地で奇跡を起こして、各地のヌルたちから尊敬される存在になっていた。琉球にいるヌルで、馬天ヌルの名を知らないヌルはいないし、たとえ、敵地のヌルであっても、馬天ヌルを慕っていた。馬天ヌルはヌルの世界で、琉球を統一した存在になっていた。
「サジルー叔父さんは、ウミンター叔父さんがユミの事を知っているのか確認に来たのですか」
「わしが知っていて、黙っていた事を知っていたようじゃ。長い間、内緒にしてくれてありがとうとお礼を言ったよ」
「そうだったのですか」
「ユミというヌルだが、色っぽいだけでなく、強い女だったらしい。サジルーはユミから武当拳(ウーダンけん)を習ったと言っていた」
「えっ、武当拳?」
 サミガー大主はうなづいた。
武当拳を作ったヂャンサンフォン殿が琉球にやって来た時、自分が武当拳を身に付けている事を知られるのが、一番恐ろしかったとサジルーは言っていたよ」
「ユミはどうして武当拳を身に付けていたのですか」
「南の島にヂャンサンフォン殿の弟子がやって来たようじゃ。島の者たちは皆、武当拳を身に付けているらしい」
武当拳が南の島に‥‥‥」とサハチは驚いたあと、「ササたちが喜びそうだな」と笑った。
 サミガー大主と別れて、サハチは新里にある馬天ヌルの屋敷に向かった。馬天ヌルがササと一緒に佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)の佐敷ヌルの屋敷に移ったあと、その屋敷はしばらく空き家だったが、浦添(うらしい)グスクから助け出されたユリが娘と一緒に暮らしていた。ユリが安須森ヌルと一緒にお祭りの準備をやるようになって、島添大里グスクの安須森ヌルの屋敷に移ると、また空き家になった。馬天浜のお祭りの準備の時、その屋敷を使う事になって、今、ユリとハルとシビーがいるはずだった。
 サハチが訪ねるとハルとシビーが天井を睨んで寝そべっていた。サハチを見ると驚いて、二人は飛び起きた。
 サハチは縁側に座って庭を眺めた。ここに来たのは久し振りだった。
按司様、どうしたのです?」とハルが聞いた。
「ユリさんはいるのか」とサハチは二人に聞いた。
「マキクちゃんを迎えに行きました」
「何だ、行き違いになったのか」
「ユリさんに用があるのですか」
「ちょっとな」と言って、マチルーの娘のシビーからユミの事を聞こうと思ったが、ササよりも年下のシビーが知っているわけはないと気づいた。
「馬天浜のお祭りのお芝居の台本を書かなくちゃならないんだけど、いい題材がみつからないの」とハルは言った。
「毎回、面白いお芝居を観せてくれたが、とうとう、種切れになったか‥‥‥頼みがあるんだが、馬天浜のお芝居は『武当山の仙人』にしてくれ」とサハチは言った。
「またあ」と二人は不満そうな顔をした。
「あの話の続きを書いてほしいんだよ。ヂャン師匠が琉球に来てからの話だ」
 そう言ったら、二人の目が急に輝き出した。
「でも、実際に自分がやって来た事なんて、お芝居にしても面白くないからやめろって、ヂャン師匠に言われてやめたんです」とハルが言った。
「ヂャン師匠には内緒で、それを上演して、ヂャン師匠を驚かせるんだ」
「でも、怒らないかしら?」と二人は心配した。
「マチルギのお芝居は、マチルギに内緒で書いたんだろう。お客さんが喜んでくれれば、お芝居は成功だ。ヂャン師匠も笑って許すだろう」
 二人はうなづいて、やる気を出していた。
「ヂャン師匠が琉球に来てからの事は調べてあるから、馬天浜のお祭りには間に合いそうだわ」
「忙しくなるわよ」とハルがシビーに言った。
「寝る間も惜しんで、早く台本を書かなくちゃね」とシビーも張り切っていた。
「ユリさんが帰ってきたわ」とハルが言った。
 ユリは娘を連れていなかった。サハチに気づいて驚き、駆け寄ってきた。
按司様、こんな所にいらっしゃるなんて、どうしたのですか」
「馬天浜のお祭りについて、お願いがあるのです」
 サハチは三人に、ヂャンサンフォンが琉球を去る事を話した。三人は驚いていた。
「この事は内緒だ。ヂャン師匠は大げさな送別の宴はするなと言ったんだ。そこで、馬天浜のお祭りをヂャン師匠の送別の宴にしたいんだよ。ヂャン師匠の弟子たちをみんな呼んで、別れを告げさせたいんだ」
「ヂャン師匠には内緒で、事を運ぶんですね?」とユリが言った。
 サハチはうなづいた。
「わかりました。ヂャン師匠の思い出に残るような、素晴らしいお祭りにしましょう」
 そう言って、ユリはハルとシビーを見て、「お祭りまで、あと一か月よ。忙しくなるわ」と楽しそうに笑った。
 四日後、サハチが首里に行くと、山グスクにいたヂャンサンフォンが山グスクヌルと一緒に『慈恩寺』に移ったと聞いて、サハチは慈恩寺に向かった。慈恩寺に行く前に、隣りにある武術道場に寄って苗代大親と会った。
「隣りに慈恩寺を建ててよかったぞ」と苗代大親はサハチの顔を見ると言った。
慈恩寺の厳しい修行を見て、うちの奴らもやる気を出して修行に励んでいる。来年は試合に勝って慈恩寺に入ると言っている者も多いんじゃよ」
 五月に慈恩寺が完成して、一月後に各地から集まって来た強者(つわもの)たち二百人が試合をして、勝ち残った五十人が慈恩寺に入って一年間、修行を積む事に決まった。今の所、一年だが様子を見て、二年、あるいは三年になるかもしれなかった。
「わしに言いたい事があるという顔付きじゃな」と苗代大親はサハチの顔を見ながら言った。
「えっ?」と言ってサハチは苗代大親の顔を見た。
 苗代大親は照れ臭そうに笑って、
「もう知っているんじゃろう」と言った。
「姉から聞いたよ。お前に話してしまったってな。ササが南の島を探しに船出した時から、覚悟はしていたんだ。そろそろ、本当の事を言うべきじゃってな。妻にも話したよ。妻は驚いて、ポカンとした顔をしていた。わしは、すまなかったと頭を下げたんじゃ。妻は泣くか、怒るだろうと思っていたが、妻は笑ったんじゃ。二十年以上も前の事を今更、怒る気にもなれませんよ。それよりも、そんなに長い間、胸の奥にしまっていたなんて、苦しかったでしょうと言ったんじゃよ。妻の言う通り、内緒にしておくのは辛かった。何度も、本当の事を言って、妻に謝ろうと思ったんじゃ。だが、わしには言えなかったんじゃよ」
 苗代大親は首を振ってから笑って、
「やっと、重い肩の荷を下ろせたような気分じゃ」と言った。
「ユミさんは武当拳を身に付けていたそうですね?」とサハチが聞くと苗代大親はうなづいた。
「その事を隠しておくのも大変じゃった。知らない振りをしていても、ヂャンサンフォン殿にはばれてしまうじゃろうと思ったよ。ユミの師匠はウーニン(呉寧)という武当山の道士なんじゃ。ウーニンの事をヂャンサンフォン殿から聞きたかったが、聞く事はできなかったんじゃ」
「今、聞きに行きましょう」とサハチは言った。
 苗代大親はうなづいて、サハチと一緒に慈恩寺に向かった。
 『慈恩寺』は静かだった。修行者たちの姿は見えず、閑散としていた。
 庫裏(くり)に行くと、ギリムイヌル、山グスクヌル、喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)の三人が修行者たちの食事の仕度をしていた。まるで、娘のようにわいわいと楽しそうに大人数の料理を作っていた。三人とも按司の娘なので、本来なら料理なんか作らないだろうが、皆、それなりに苦労していて、自分で料理をするようになったらしい。それにしても、山グスクヌルと喜屋武ヌルが仲よくしている姿は不思議に思えた。
 山グスクヌルは汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)によって滅ぼされた島添大里按司の娘で、喜屋武ヌルは汪英紫の娘だった。二人とも苦難を乗り越えて、昔の事は水に流したようだった。
「修行者たちはどこに行ったのです?」とサハチが聞くと、
「ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)とヤンジン(楊進)が与那原の海に連れて行きました」とギリムイヌルが言った。
 ヤタルー師匠は慈恩禅師に頼まれて、慈恩寺の武術師範になっていた。喜屋武ヌルと出会ってからは喜屋武グスクで暮らし、喜屋武グスクのサムレーたちの指導をしながら、のんびり暮らしていたが、慈恩禅師に頼まれて引き受ける事に決めた。喜屋武ヌルに相談したら、大勢の修行者たちがいたら、ギリムイヌルも大変だろうから、わたしも一緒に行くと言ったのだった。
 ヤンジンは久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)で、ヂャンサンフォンが与那原グスクで暮らし始めた頃に弟子になった男だった。祖父の代から久米村に住んでいるので、明国の言葉よりも琉球の言葉の方が堪能で、ひょうきんな男だった。右馬助が来た時、右馬助よりも一つ年下だったが、先輩面して得意になって武当拳を教えた。ところが、一年も経たないうちに、右馬助の方が強くなってしまい、それからは真剣になって修行に励んで腕を上げた。ヂャンサンフォンの勧めで、慈恩寺の師範になったのだった。
「与那原の海に何しに行ったんじゃ?」と苗代大親が聞いた。
「小舟(さぶに)の上で剣術のお稽古をさせると言っていました」
「成程。基本じゃな」と苗代大親はうなづいた。
「ヂャンサンフォン殿も一緒に行ったのですか」とサハチが聞くと、
リュウジャジン(劉嘉景)様とジォンダオウェン(鄭道文)様は一緒に行きましたが、ヂャンサンフォン様は慈恩禅師様に武当拳のすべてを教えています」とギリムイヌルが言った。
「ヂャンサンフォン様が帰ってしまう前に、すべてを教わらなくてはならないと慈恩禅師様は言っていました」
 二人が法堂にいると言うので行ってみた。ヂャンサンフォンと慈恩禅師は文机(ふづくえ)を間に対面していて、ヂャンサンフォンが言う事を慈恩禅師が書いていた。
 ヂャンサンフォンがサハチと苗代大親に気づいて、
「ちょっと一休みしよう」と言った。
 慈恩禅師が振り向いて、サハチたちを見て笑った。
 サハチと苗代大親は頭を下げて、二人に近寄った。
「順調に行っておるよ」と慈恩禅師はサハチに言った。
「ヂャンサンフォン殿が一月後にはいなくなってしまうというのは大きな誤算じゃったがな」と言って笑った。
 慈恩禅師が書いていた物を見たら、人体の絵が描いてあって、あちこちに点が打ってあって、どうやら急所のようだった。
「ヂャン師匠、実はお聞きしたい事があるのです」と苗代大親が言った。
 苗代大親はユミと出会って、武当拳を教わった事を話し、ユミの師匠だったウーニンを知らないかと聞いた。
「そなたが武当拳を身に付けている事は知っていた」とヂャンサンフォンは言った。
琉球にわしの弟子か孫弟子が来て、教わったのじゃろうと思った。ただ、武当拳という名も、わしの事も知らないのじゃろうと思っていたんじゃが、そんな理由があって隠していたとはのう。ウーニンはよく知っておるよ。わしの弟子のフーシュ(胡旭)の弟子じゃ。家族を元(げん)の兵に殺されて、各地をさまよっていたようじゃ。わしの噂を聞いて武当山に登って、フーシュの弟子になったんじゃよ。その頃、わしは武当山にはいなかったんじゃ。あちこちで反乱が起こって、この先、世の中はどうなって行くんじゃろうと戦見物をしていたんじゃよ。ウーニンが武当山に来て四年後、わしは孤児になったシュミンジュン(徐鳴軍)を連れて武当山に戻った。ウーニンはわしの弟子にしてくれと、うるさいくらいに付きまとっていたんで覚えていたんじゃよ」
「それで弟子にしたのですか」とサハチは聞いた。
 ヂャンサンフォンは笑った。
「わしは弟子が育てた者を奪い取ったりはせんよ。お前はわしの孫弟子じゃと言ったんじゃよ。ウーニンはフーシュに似て強い奴じゃった。親の敵を討つために元軍と戦うと言っていたので、戦に参加して戦死してしまったのじゃろうと思っていたんじゃ。南の島で生きていたとは驚いた。武当拳を南の島に広めてくれたお礼を言わなければならんのう」
「ユミが帰ったあと、わしは武当拳の修行を山の中で続けていましたが、いくつか疑問が出て来たのです。しかし、その疑問を正してくれる師はおりません。お願いします。わしの疑問を正してください」
 苗代大親はヂャンサンフォンに頭を下げて頼んだ。
 ヂャンサンフォンはうなづいて、苗代大親を促して庭に出た。
 苗代大親とヂャンサンフォンは武当拳の試合をした。
 サハチは驚いた。苗代大親武当拳は思っていた以上に凄かった。勿論、ヂャンサンフォンにはかなわないが、サハチが戦ったら、勝てるとは言えなかった。かつて、叔父はサハチの剣術の師匠だった。そして、今でも師匠であるという事を思い知らされた。