長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-181.ターカウ(改訂決定稿)

 黒潮は思っていたよりもずっと恐ろしかった。
 船は揺れ続けて、壊れてしまうのではないかと思うほど軋(きし)み続けた。若ヌルたちは真っ青な顔をして必死に祈りを捧げていた。
 甲板(かんぱん)に出る事はできず、ササ(運玉森ヌル)たちも船室の中で、じっと無事を祈っていた。
 いつまで経っても船は揺れ続けた。トカラの黒潮よりも、かなり幅があるようだった。
 長い恐怖の時間が二時(にとき)(四時間)余りも続いた。愛洲(あいす)ジルーが船室に顔を出して、「無事に越えたぞ」と言った時は、ホッと胸を撫で下ろして、どっと疲れが出て来た。若ヌルたちは急に気が緩んで、その場に倒れ込んでいた。
 ササはナーシルと一緒に甲板に出た。正面に大きな島(台湾)が見えた。それは想像していたよりもずっと大きかった。高い山々が連なっていて、山の上には白い雪も見えた。
「大分、北(にし)に流されたみたい」とナーシルが言って、左の方に小さく見える島を指差した。
「前に行った時は、あの島で一休みしたのよ」
 ササは周りを見回した。先を行っていたキクチ殿の船がその島を目指しているのが小さく見えた。後ろを見ると平久保太郎(ぺいくぶたるー)の船はいた。
「大丈夫よ」とミッチェが言った。
 サユイとタマミガも一緒にいた。
「普通はあの島から南下してターカウ(高雄)に行くんだけど、島の最南端から北上してターカウに行くのが大変なのよ。このまま、島の北を回って南下した方が速くターカウに行けるわ」
 ミッチェはターカウに五回も行っていて、一度、北回りで行った事があるという。
 ササは安心して船室に戻った。若ヌルたちが唸っていて、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と玻名(はな)グスクヌルが看病をしていた。
「みんな、どうしちゃったの?」とササは安須森ヌルに聞いた。
「極度の緊張状態が続いたので、具合が悪くなってしまったらしいわ」
「薬を飲ませたから大丈夫だろう」とガンジュー(願成坊)が言った。
 ササはガンジューにお礼を言って、「みんな、聞いて」と若ヌルたちに言った。
「こんな時こそ、ヂャン師匠(張三豊)の呼吸法が役に立つのよ。寝たままでいいから呼吸を整えましょう」
 ササの掛け声に合わせて、若ヌルたちはゆっくりと息を吐いたり吸ったりを繰り返した。だんだんと顔色もよくなってきて、マユとチチーとウミが、「大丈夫よ」と言って起き上がった。
 ミミとマサキはまだ苦しそうだった。二人はまだ十一歳だった。ヌルの修行をさせたのは早過ぎたのかなとササは思った。ミミは手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)の娘で、マサキは兼(かに)グスク按司(ンマムイ)の娘だった。無事にこの苦難を乗り越えてくれとササは祈った。
 日暮れ前に大島(台湾)の北側にある浜辺の近くに船を泊めて、具合の悪い者たちを上陸させた。ぐったりとしていたミミとマサキも、浜辺で休んだら精気を取り戻した。みんなで、よかったと喜んだ。『首狩り族』が出没するので、浜辺で夜を明かすのは危険だった。暗くなる前に船に戻って、若ヌルたちがまた具合が悪くならないかと心配したが大丈夫だった。
 元気になって戻って来た若ヌルたちを見て、
「さすがですね」とガンジューがササに言った。
「呼吸を整えるなんて気がつきませんでした」
「すべては呼吸にあるって、ヂャンサンフォン(張三豊)様に教わったのです。ところで、若ヌルたちに飲ませた薬は何だったの?」
ヨモギですよ」
「フーチバーだったの?」
「どこにでもある万能薬です」
「何かあったら、またお願いね」
 沖に泊まった船の中で夜を過ごして、翌朝、大島の北側に沿って西へと向かった。島の西側に出るのに二日も掛かり、島の大きさを思い知らされた。
 左側に大島を見ながら船は南下した。いつまで経っても同じ景色が続いた。岩場と深い密林が続いて、所々に大きな川があって、時々、河口近くに人影が見えた。普通の島人(しまんちゅ)に見えるが、言葉が通じないので危険だという。上陸する事もできず、夜になると沖に船を泊めて船内に泊まった。体を動かさないので、お酒もおいしくなかった。
 ドゥナン島(与那国島)を出て七日目、風が止まって、雨がシトシト降り続いた。船は沖に止まったまま動かなかった。大声で叫びたいくらいに退屈だった。ササは若ヌルたちにせがまれて、ヤマトゥ(日本)旅の話を聞かせた。話をしながら、今頃、タミー(慶良間の島ヌル)とハマ(越来ヌル)は対馬(つしま)にいるのだろうと思った。そして、御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)を思い出して、御台所様に南の島の話をしたら目を丸くして驚くだろうと思った。
 翌日は雨もやみ、いい風が吹いて船は気持ちよく進んだ。大島の西側に島がいくつも見えた。船はその島を目指して進んだ。
 珊瑚礁に囲まれた綺麗な島だった。平久保太郎が小舟に乗って上陸すると、小舟が続々とやって来て、ササたちも上陸した。ポンフー(澎湖)と呼ばれる島で、キクチ殿の拠点だった。
 ヤマトゥから来た船は、この島で一休みしてからターカウに行くらしい。以前は唐人(とーんちゅ)たちが住んでいたが、倭寇(わこう)に追い出されて倭寇の拠点となった。キクチ殿がターカウに来てからはキクチ殿が任されて、この島を守っているという。
 キクチ殿の妹婿の隈部(くまべ)源十郎が大将として島を守り、ターカウにいるマカタオ族の女が産んだ先代のキクチ殿の娘、キンニが一族を引き連れて島で暮らしていた。
 久し振りに船から降りたササたちは、その島で二日間、のんびりと過ごした。ヤマトゥンチュ(日本人)たちの宿舎があって、ササたちはそこにお世話になった。もう少ししたら、ヤマトゥンチュたちがやって来て、この島も賑やかになると源十郎の妻のオネが言った。
 ミッチェとサユイはこの島に来た事があるが、何度もターカウに行った事のあるクマラパは初めて来たという。いい所じゃと景色を眺めていたら、源十郎が現れたのでクマラパは驚き、再会を喜んだ。源十郎がこの島に来たのは八年前で、それ以前はターカウにいた。
 源十郎は今のキクチ殿と同い年で、共に武芸の修行に励んだ仲だった。二人は若い頃、ターカウに来たクマラパから武芸を習っていて、源十郎はクマラパをお師匠と呼んでいた。
 ササたちは源十郎の娘のミホの案内で島の中を見て歩いた。若ヌルたちは地上を歩くのが嬉しいらしく、皆、楽しそうな顔をして歩いていた。ササも嬉しかった。歩くのがこんなにも楽しい事だったなんて、ずっと、船の中に閉じ込められなかったら気づかなかっただろう。
 島内には奇妙な形をした岩がいくつもあったが、ウタキ(御嶽)らしいものはなかった。小高い丘の上に石の祠(ほこら)があったので、『熊野権現(くまのごんげん)様』かと聞いたら、『阿蘇津姫(あそつひめ)様』だとミホは言った。
「わたしはターカウで生まれたので知りませんが、九州の菊池の故郷の近くに阿蘇山という大きな山があるそうです。その山の神様が阿蘇津姫様です。古くから菊池家の神様で、航海の神様のようです」
「航海の神様? 航海の神様が山の神様なの?」
 ミホは首を傾げた。
「わたしにはよくわかりません。わたしの祖母は阿蘇神社の大宮司(だいぐうじ)様の娘です。祖母なら詳しい事がわかると思います」
「あなたのお祖母(ばあ)さんというのは、先代のキクチ殿の奥さんの事ですね?」
「そうです。祖父の死後、ターカウの熊野権現様の境内に庵(いおり)を建てて、祖父の冥福(めいふく)を祈っています」
 ササはミホにうなづいて、祠にお祈りを捧げた。神様の声は聞こえなかった。ドゥナン島と同じように、この島も風が強かった。
 ポンフーに別れを告げて船に乗った。また何日も船に揺られるのかと覚悟をしたが、二日めにはターカウに着いた。
 ターカウ(高雄)の港は天然の門を抜けた中にあった。左側は山の裾野が海に落ち込んで、右側は細長い半島の先端にある岩場だった。岩場にも山の方にも見張り台があって、武装した兵が船の出入りを見張っていた。岩陰には船も隠れていて、怪しい船は通さないのだろう。平久保太郎の船が一緒なので、ササたちの船も何の問題もなく港に入れた。
 細長い半島が港を囲んでいて、まるで湖のようだった。その湖には大きなターカウ川が流れ込んでいて、天然の門とターカウ川の間にターカウの町があった。港には進貢船(しんくんしん)に似た大きな船が三隻泊まっていた。進貢船を小さくしたような船や見た事もない奇妙な形をした船も泊まっていた。もう少ししたらヤマトゥの船が何隻もやって来るのだろう。港の向こうには高い土塁に囲まれたグスク(城)が二つあった。右側の大きいのがヤマトゥンチュの町で、左側が唐人の町だとナーシルがササに教えた。
 平久保太郎が小舟に乗って上陸すると、ここでも小舟が迎えに来て、ササたちは上陸した。砂浜の先に、水をたたえた堀と高い土塁に囲まれたヤマトゥンチュのグスクがあった。土塁の上に道があるようで武装した兵たちが移動しながらササたちを見下ろしていた。
 堀に架かった橋を渡って、大きな門を通って土塁の中に入った。槍(やり)を持った門番が何人もいたが、平久保太郎のお陰で、何の問題もなく、中に入れた。
 門を抜けた所は広場になっていて、その先に大通りがあった。大通りの両側に、ヤマトゥ風の家々が建ち並び、大通りの正面に堀と土塁に囲まれたキクチ殿のグスクがあった。立派な櫓門(やぐらもん)があって、櫓の上に武装した兵がいた。
 クマラパの案内で、大通りを左に曲がって、しばらく行くと、ミャーク(宮古島)の宿舎である『宮古館』があった。それほど高くない石垣に囲まれた『宮古館』を管理していたのは、池間島(いきゃま)のウプンマの妹のツカサだった。
 『宮古館』の中にウパルズ様のウタキがあって、そのウタキを造ったのは多良間島(たらま)のボウだった。ボウが来なくなってから、池間島のウプンマの妹がターカウに来て、ずっとここで暮らしているという。
 ササたちはツカサの案内で、ウタキに行った。ウタキの手前に石の祠があった。
「男はウタキに入れんので、ここで無事の航海のお礼を言うんじゃよ」とクマラパが言った。
 こんもりとした森の中のウタキは池間島の『ナナムイウタキ』を小さくしたようなウタキだった。
多良間島の女按司(みどぅんあず)(ボウ)がこのウタキを造ったのですか」とササはツカサに聞いた。
「ナナムイウタキに似ている森を見つけた多良間島の女按司が、そのそばに、ミャークの宿舎を建てたようです。その頃はこんなにも家が建っていなくて、この辺りは樹木が生い茂っていたようです」
 ウパルズ様はいないだろうと思ったが、ササたちは無事の航海のお礼を言った。
「遠い所からよく来てくれたわね」と神様の声が聞こえたのでササは驚いた。
 でも、ウパルズ様の声ではないようだった。
「三代目のウパルズよ。多良間島のボウがターカウに連れて来たのよ」とユンヌ姫の声が聞こえた。
「あたしの従姉(いとこ)なの。こんな所で会えるなんて驚いたわ」とアカナ姫が言った。
池間島には祖母がいて、わたしの居場所はないのよ。それで、ここに来たの。ボウには感謝しているわ」
 ササはターカウに来るミャークの人たちをお守り下さいと言って、三代目ウパルズと別れた。三代目ウパルズは、ユンヌ姫様たちを連れて来てくれてありがとうとササたちにお礼を言った。
 『宮古館』に入って一休みしていると、平久保太郎が来て、キクチ殿の船はまだ着いていないと言った。ササ、安須森ヌル、シンシン(杏杏)、ナナ、クマラパとタマミガ、ミッチェとサユイ、愛洲ジルー、ゲンザ(寺田源三郎)、マグジ(河合孫次郎)が平久保太郎と一緒に、キクチ殿のグスクに向かった。
 櫓門を抜けると広い庭があって、両側に大きな建物があり、正面の小高い丘の上にキクチ殿の屋敷があった。石段を登って行くと、『キクチ殿』が出迎えてくれた。
「お師匠、お久し振りです」とキクチ殿はクマラパに挨拶をした。
 五十年配の貫禄のある武将だった。二代目なので、何の苦労もなく育ったのだろうとササは思っていたが、右頬にある古い刀傷は危険な目に遭ってきた事を物語っていた。倭寇のお頭を継ぐために、それなりの苦労を積んできたのかもしれなかった。
「イシャナギ島(石垣島)の女武者も御一緒か」とミッチェとサユイを見て、キクチ殿は笑った。
 クマラパがササたちと愛洲ジルーたちを紹介した。
琉球の王様の娘がターカウに来るとは驚いた。それに、愛洲隼人(あいすはやと)殿の孫が来るとは、親父が生きていたら、さぞ喜んだ事じゃろう」
 ササたちはキクチ殿に歓迎されて、会所(かいしょ)でお茶を御馳走になった。
琉球のお姫様方が何の用でターカウに来たのですかな」とキクチ殿は静かな声で聞いた。
「わたしたちはミャークに行くまで、ターカウの存在は知りませんでした。南朝で活躍したキクチ殿という武将が造った国で、大層栄えていると聞いて、どんな所なのか見てみたくなったのです」と安須森ヌルが答えた。
「まだ、国とは言えんが」と言って、キクチ殿は微かに笑った。
「来て見て、どうじゃな?」
「高い土塁に囲まれたお城には驚きました。誰かが攻めて来たのでしょうか」
「そうではない。ミャークで暴れた佐田又五郎のせいなんじゃよ。奴はミャークに行くと言ってターカウから出て行ったが、その後、挨拶にも来ないで薄情な奴だと思っていたんじゃよ。何年かして、わしはミャークに行ったんじゃ。その時、初めて、又五郎がミャークの人たちを無残に殺して、挙げ句の果てには退治された事を知ったんじゃ。その事を親父に話したら、第二、第三の又五郎が現れるに違いないと言って、城下の町を囲む土塁を築き始めたんじゃよ。その後も、誰かが攻めて来る事はないが、最近になって、少し危険な状況になってきてはいる。一番勢力を持っていた海賊のリンジョンシェン(林正賢)が明国(みんこく)の官軍にやられたからのう。ここにも攻めて来るかもしれん」
「ヂャン(張)三姉妹を御存じですね?」とササが聞いた。
「ああ。メイユー(美玉)はターカウに何度も来ていたからな。今は琉球に行っているらしいな。トンド(マニラ)の王様の娘が来ているんじゃが、その娘もヂャンというんじゃよ。わしが親戚かと聞いたら違うと言った。明国にはヂャンという姓を名乗る者が多いようじゃ」
「トンドのお姫様が来ているのですか」
「明日、帰るというので、今晩、送別の宴(うたげ)をやる予定なんじゃが、そなたたちの歓迎の宴も兼ねて盛大にやろう」
「トンドのお姫様は、唐人(とうじん)たちの町にいるのですね?」
「そうじゃが、残念ながら、そなたたちのように日本の言葉はしゃべれん。琉球では日本の言葉をしゃべっているのかね?」」
琉球にも琉球の言葉があります。日本の言葉は通じません。わたしたちは何度も日本に行っているので、しゃべれるのです」
「なに、そなたたちは日本にも行っているのか」とキクチ殿は驚いた。
「そういえば、琉球の船が毎年、日本に行っていると聞いたが、その船に乗って行ったのか」
「そうです」
将軍様のお屋敷に滞在している琉球のお姫様がいると聞いたが、もしかして、そなたたちの事か」
 ササはうなづいた。
将軍様にも会った事があるのか」
 ササはうなづいた。
 キクチ殿は楽しそうに笑った。
「大した女子(おなご)じゃのう。将軍様に会ったとはのう」
 キクチ殿は一人一人に声を掛けて話を聞いた。シンシンが明国人だと知って驚き、ナナが早田(そうだ)次郎左衛門の娘だと聞いて驚いた。キクチ殿は早田次郎左衛門を知っていて、一緒に高麗(こうらい)を攻めた事もあったと言った。
「早田次郎左衛門殿は勇敢で人望のある武将じゃった。惜しい事に、その何年か後に高麗で戦死してしまったんじゃよ」
 父を知っている人がターカウにいた事に、ナナは感激して涙ぐんでいた。
 ジルーたちを見たキクチ殿は、「残念ながら、わしは愛洲隼人殿を知らんのじゃ」と言った。
「わしがターカウに来たのは十歳の時じゃった。親父が愛洲隼人殿と一緒に活躍していたのは、それ以前の事じゃ。子供の頃、会っているかもしれんが覚えておらんのじゃよ」
「祖父の事はドゥナン島にいた南遊斎(なんゆうさい)殿から色々と伺いました」とジルーは言った。
 キクチ殿はうなづいた。
「当時、活躍していた者たちは皆、亡くなってしまった。愛洲隼人殿の事を覚えているのは南遊斎だけかもしれんのう」
 今晩、歓迎の宴で会おうと言って、キクチ殿は引き上げて行った。
 ササたちはキクチ殿のグスクから出て、宮古館に戻った。まだ、日暮れまで間があるので、ササが熊野権現まで行こうとしたら、三人の娘が訪ねて来た。見るからに唐人だった。トンドの王女かなと思っていると、
「ササ?」と唐人の娘がササに聞いた。
 ササはうなづいたが、唐人の言葉はわからなかった。シンシンに通訳してもらうと、娘はやはり、トンドの王女で、名前はヂャンアンアン(張安安)と言った。シーハイイェン(パレンバンの王女)、スヒター(ジャワの王女)、メイユーからササの事は聞いていて、琉球の王女が来たと聞いたので、ササかもしれないとやって来たという。
 シーハイイェン、スヒターと仲良しのササだとシンシンが言うと、アンアンは大喜びしてササの手を取った。年齢はササと同じ位だった。一緒にいるのはユーチー(羽琦)とシャオユン(小芸)で、アンアンの友達で護衛も兼ねていた。二人とも弓矢が得意と見えて、弓矢を背負っていた。
 ササはシンシンの通訳でトンドの事を聞いた。話を聞いて、トンドに行きたくなったと言うと、アンアンは一緒に行きましょうと言った。明日、帰るのでしょうと言ったら、二、三日、延期してもいいと言うので、ササは一緒に行こうと決めた。安須森ヌルに言ったら、ここにはアマミキヨ様の痕跡はなさそうだし、一通り見物したらトンドに行きましょうとうなづいた。
 アンアンたちと一緒にキクチ殿のグスクに行って、歓迎の宴に参加した。アンアンがキクチ殿に船出を延期すると言ったら、送別の宴はまた改めてやろうと言ったらしい。
 平久保太郎が持って来た牛の肉が出てきてササたちは喜んだ。肉を食べるのは久し振りだった。明国の酒も出てきて、クマラパが喜んだ。着飾った遊女たちも出てきて、船乗りたちが喜んだ。船乗りたちは半数が船に残って船を守り、半数の者たちが宴に参加していた。
 キクチ殿の娘のカオルに、「遊女たちは日本から連れて来たの?」とササが聞いたら、
倭寇が連れて来た朝鮮(チョソン)や明国の娘たちです」と言った。
 カオルはターカウに来たメイユーに憧れて武芸に励み、女海賊になると言ってお嫁には行っていなかった。ササより一つ年下だった。メイユーから武芸を習ったのと聞いたら、メイユーは日本の言葉がわからないので、話をした事もないという。そういえば、メイユーはヤマトゥ言葉を知らなかった。何度もターカウに来ていても、ヤマトゥ言葉を話そうとは思わなかったのだろうか、不思議だった。
「今でも、倭寇に連れ去られた人たちがターカウに来るの?」
熊野権現様の前の広場で市場が開かれて、売り買いされるのです」
「えっ、人を売り買いするの?」
「そうです。力持ちや何か特技を持っている人は高く売れます。器量のいい娘は市場に出る前に遊女屋に高く買い取られます」
「誰がそんな人を買うの?」
「トンドの人たちも買うし、明国の海賊たちも買います。お城を造った時の人足たちもそんな人たちだったのですよ」
「売れ残った人たちもいるんでしょ。そういう人はどうなるの?」
「売れ残った人たちは日本に連れて行かれて、朝鮮と交易している武将に売るのです。そういう人たちを朝鮮に連れて行くと喜ばれるらしいわ」
「明国の人も朝鮮に連れて行くの?」
「そうらしいわ。朝鮮の王様が倭寇に連れ去られた人たちを取り戻したと言って、明国に連れて行くみたい。明国の皇帝の御機嫌取りの道具になるのよ」
 よその国から人をさらって来て、売り飛ばすなんて考えられない事だった。そんな事が平然と行なわれているここは、やはり、倭寇の町だった。ここで育った子供たちは人身売買を当然の事と思ってしまう。恐ろしい事だった。
 翌日、ササたちはカオルと一緒に『熊野権現』に行った。宮古館の近くに西門があって、そこから大通りが唐人の町まで続いていた。その中程に広場があった。広場の周りは市場になっていて、野菜や魚などの食糧を始め、古着や髪飾りなどの装飾品、刀や鎧(よろい)なども売られていた。ヤマトゥンチュや唐人、古くから住んでいる島人の女たちが買い物をしていた。ここでも、明国の銅銭が流通していた。
 広場の南側に鳥居があって、その奥に熊野権現があった。
「まさか、ここに戻って来るとは思ってもいなかった」とガンジューが言った。
「日本からの船賃はどうしたの?」とナナがガンジューに聞いた。
「船賃は掛からなかったんですよ」とガンジューは笑った。
「名前を名乗っただけで、乗せてくれたんです。どうも話がうますぎると思ったのですが、ターカウに着いてわかりました。わしは寛照坊(かんしょうぼう)という山伏と間違われたのです。寛照坊が来るはずだったのに、わしが来てしまったというわけです。わしは寛照坊の代わりに熊野権現で働いていたのです。一年後、寛照坊がやって来て、わしは開放されて、イシャナギ島に行ったというわけです」
 境内(けいだい)は広く、正面に熊野権現の本殿があって、その裏には僧坊もあった。
「ここができた当初、十人の山伏がいたようですが、今は寛照坊一人しかいません」とガンジューが言った。
「えっ、一人しかいないの?」と安須森ヌルが驚いた。
「前にいた人はどうしたの?」
「わしが来たので、その年の夏に、さっさと帰ってしまいましたよ。妙厳坊(みょうげんぽう)という山伏で、二十年もこの島にいたそうです。ここの熊野権現様は那智の尊勝院(そんしょういん)の山伏が勧請(かんじょう)したそうです。この島には修行に適した険しい山々もあって、信者を増やそうと張り切っていたようですが、ある日、一人の山伏が『首狩り族』にやられたようです。その山伏を探しに行った者も帰らず、その後は恐れて山に入る事もなく、一人が去り、二人が去って、妙厳坊が一人取り残されたのです。妙厳坊は真面目な男で、身代わりが来るまで、じっと待っていたのです。わしの顔を見た途端に、涙を流して喜びましたよ。わしが人違いだった事なんて、妙厳坊にとってはどうでもよかったのです」
「今、いる山伏は自ら進んでやって来たの?」
「寛照坊も本当の事は言いませんが、何となく、何か失敗をしでかして、ほとぼりが冷めるまで隠れているような気がします」
 本殿の右側に『八幡(はちまん)神社』があって、左側に『阿蘇姫神社』があった。阿蘇姫神社の隣りに庵(いおり)があって、カオルの祖母、『五峰尼(ごほうに)』はそこにいるという。
 ササたちは熊野権現阿蘇姫神社、八幡神社にお参りしてから五峰尼を訪ねた。狭い庵の中には誰もいなかった。
「きっと草むしりよ」とカオルが言って、辺りを見回してから阿蘇姫神社の裏に回ると五峰尼がいた。野良着姿の品のいい顔立ちをした白髪の老婆だった。
「お婆ちゃん、琉球からお客さんが来たわ」とカオルが言うと、
琉球?」と怪訝(けげん)な顔をしてササたちを見て、「女海賊かい?」と聞いた。
「何を言っているの。琉球の王様の娘さん。お姫様よ」
「ほう」と五峰尼は目を丸くして、「琉球のお姫様は威勢がいいのう」と笑った。
 若ヌルたちは玻名グスクヌルと一緒に市場に行かせて、ササ、安須森ヌル、シンシン、ナナは五峰尼から『阿蘇津姫』の事を聞いた。ガンジューはミッチェと一緒に寛照坊に挨拶に行った。
阿蘇津姫様はとても古い神様です。遙か昔に南の国から九州にやって来て、人々をまとめて首長になったようです」と五峰尼は言った。
「ヤマトゥの国の女王になった『ヒミコ』とどっちが古いのですか」とササは聞いた。
阿蘇津姫様の方が卑弥呼(ひみこ)様よりもずっと古いと思います。阿蘇津姫様は阿蘇氏の御先祖様ですが、菊地氏も御先祖様だと思っております」
「南の国というのはどこだかわかりますか」
 五峰尼は首を振った。
「どこから来たのかはわかりません。文字がなかった頃の大昔の事ですから、今となってはわからないでしょう。兵庫の武庫山(むこやま)(六甲山)に祀られている『武庫津姫(むこつひめ)様』、伊勢の神宮ができる前に、伊勢に祀られていた『伊勢津姫様』、熊野の那智の滝に祀られている『瀬織津姫(せおりつひめ)様』、皆、同じ神様で阿蘇津姫様の事です」
那智の滝の神様は『瀬織津姫様』というのですか」
「瀬織というのは滝の事です。津は『の』を意味していて、瀬織津姫というのは滝のお姫様という意味です」
阿蘇のお姫様、武庫のお姫様、伊勢のお姫様、那智の滝のお姫様は、皆、同じ、南から来たお姫様なのですね?」
「そうです。阿蘇山にいた時は阿蘇津姫様、武庫山にいた時は武庫津姫様です。多分、伊勢で亡くなったのだと思います」
 ササは伊勢の内宮(ないくう)に封じ込められた龍神(りゅうじん)様を思い出した。
「マシュー姉(ねえ)、伊勢の神宮に行った時、内宮の龍神様が琉球と関係あるかもしれないって言ったわよね」
「あの時、そう感じたのよ」と安須森ヌルは言った。
那智には二度も行ったのに、そんな神様がいたなんて、全然、知らなかったわ」とササが言うと、
「凄い滝だと思っただけで、何も感じなかったわ」と安須森ヌルも言った。
「あなたたち、伊勢や那智にも行ったの?」と五峰尼は驚いていた。
 ササは五峰尼にうなづいて、「豊玉姫(とよたまひめ)様なら知っているかしら?」と安須森ヌルに言った。
「知っているかもしれないけど、琉球に帰ってからじゃないと聞けないわね」
「あたしが聞いてくるわ」とユンヌ姫の声がした。
「ユンヌ姫様は阿蘇津姫様の事を知っていたの?」とササは聞いた。
「初めて聞いたわ。でも、南の島(ふぇーぬしま)から来たお姫様なら、アマミキヨ様の子孫かもしれないわよ。ミントゥングスクから垣花(かきぬはな)に移った頃、誰かがヤマトゥに行ったはずよ。きっと、最初にヤマトゥに行ったのが、阿蘇津姫様に違いないわ。お祖母(ばあ)様に聞いてくるわ」
「その必要はない」と声が聞こえた。
 ササと安須森ヌルは驚いて顔を見合わせた。
スサノオ様なの?」とササが聞いた。
「お祖父(じい)様、どうして、ここにいるの?」とユンヌ姫も驚いていた。
「ヤキー(マラリア)退治がやりっ放しだったからのう。うまく行ったのか様子を見に来たんじゃ。どうやら、うまく行ったようじゃ。お前たちがドゥナン島(与那国島)に行ったと聞いてドゥナン島に行ったら、ターカウに行ったと聞いたんで、船を追って来たんじゃよ。こんな所にも熊野権現があるとは驚いた」
スサノオ様は阿蘇津姫様を御存じなのですか」
「わしらの御先祖様じゃよ。対馬の船越に『アマテル神社』があるじゃろう。南の国から来た阿蘇津姫様は、九州でアマテル様と出会って結ばれたようじゃ」
「えっ、アマテル様はスサノオ様ではなかったのですか」
「アマテル様はわしよりもずっと昔の神様じゃよ。わしがあの地に砦を造った時に、守り神として祀ったんじゃよ。太陽の神様としてあちこちに祀られていたんじゃが、姿を消してしまったんじゃ。わしの娘がアマテラスになったので、変えられてしまったのじゃろう。阿蘇津姫様は月と星の神様から海の神様になって、さらに、水の神様になって、あちこちの滝や川に祀られている。那智の滝阿蘇津姫様がいたかどうかはわからんが、阿蘇山、武庫山、伊勢にいた事は確かじゃろう。特に伊勢は阿蘇津姫様の終焉の地に違いない。わしは阿蘇津姫様のお墓と思われる宇治の地を孫のホアカリに守らせて、山田にある月読の宮をトヨウケ姫に守らせたんじゃよ」
阿蘇津姫様は琉球からヤマトゥに行ったのですか」
 ササは期待して聞いたが、
「そいつはわからんのう」とスサノオは言った。
阿蘇津姫様に会う手立てはありますか」と安須森ヌルがスサノオに聞いた。
「そうじゃのう。阿蘇津姫様も勾玉(まがたま)を持っていたはずだが、その勾玉がどこにあるのかわからん。勾玉を見つければ会えるかもしれんな」
「そんな昔の勾玉を見つけるなんて無理です」とササは言った。
 スサノオは笑って、「無理な事をするのが好きなんじゃろう。探してみる事じゃ。案外、琉球にあるかもしれんぞ」と言った。
「あるとすれば、玉グスクか垣花ね」とシンシンが言った。
 スサノオが帰ると言ったので、ササは一緒にトンドに行きましょうと誘った。
「トンドにも熊野権現があるのかね?」
 ササがカオルに聞いたら、トンドにもあると言った。
「それなら行ってみるか」とスサノオは言って。ユンヌ姫たちを連れて島内の見物に出掛けた。
「すっかり元気になってよかったわね」とナナが言った。
「あなたたちは神様とお話ができるのね?」と五峰尼がササたちに聞いた。
 ササたちはうなづいた。
「昔は阿蘇山の巫女(みこ)たちも神様とお話ができたんだけど、今はそんな巫女はいなくなってしまったわね」
阿蘇弥太郎様という人を御存じですか」とナナが聞いた。
阿蘇弥太郎?」
「武芸者です。慈恩禅師(じおんぜんじ)様の弟子です」
 五峰尼は考えていたが首を振って、「わからないわ」と言った。
阿蘇家は古いから分家も多いのよ。その弥太郎という人がどうかしたの?」
「今、琉球にいます。二十年も前に琉球に来たようです」
「そう。琉球阿蘇の一族がいたなんて驚きね」
 ササたちは五峰尼にお礼を言って別れ、ガンジューとミッチェを呼び、市場にいる若ヌルたちを連れて、アンアンたちが待っている唐人の町に向かった。

 

 

 

増補版 図説 台湾の歴史