長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-191.キキャ姫の遊戯(ゆけ)(改訂決定稿)

 奄美大島(あまみうふしま)の万屋(まにや)に着いた湧川大主(わくがーうふぬし)は機嫌がよかった。
 琉球に来ていた鬼界島(ききゃじま)(喜界島)の船を永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)沖で沈める事に成功していた。これで敵の兵力は五十人は減っただろう。大将だった青鬼とやらも死んだに違いない。ただ、その船は山北王(さんほくおう)(攀安知)の船だった。憎らしい事に、鬼界按司(ききゃあじ)(一名代大主(てぃんなすうふぬし))のために残した船を奪い取って、琉球に行っていたのだった。
 万屋奄美按司がいる赤木名(はっきな)の反対側にあって、鬼界島攻めの拠点として、小高い丘の上に万屋グスクが築かれてあった。去年、来られなかった湧川大主は奄美按司に命じて、万屋にグスクを築かせた。新しいグスクは湧川大主を満足させる出来栄えだった。グスクを囲っている石垣はそれ程高くはないが、敵が攻めて来るわけではないので、それで充分だった。グスク内にはサムレーたちの屋敷もあり、丘の上に湧川大主の屋敷があった。案内してくれた万屋之子(まにやぬしぃ)が、湧川大主の屋敷の隣りにあるのはヌルの屋敷だと言ったので、
「この辺りのヌルなのか」と湧川大主は聞いた。
「いえ、琉球から来られたマジニ様(前浦添ヌル)です。このグスクができてから、若ヌルと一緒に暮らしております」
「なに、マジニがここにいるのか」
 湧川大主はマジニに会いに赤木名に行こうと思っていた。まさか、ここにいるなんて思ってもいなかった。嬉しい気持ちを顔には出さず、万屋之子と一緒にヌルの屋敷に行った。
 マジニは留守だった。
 万屋之子は湧川大主を屋敷に案内すると、湧川大主の到着を奄美按司に知らせると言って赤木名に向かった。万屋グスクから赤木名グスクまでは一里(四キロ)余りの距離だという。
 湧川大主は配下の者を鬼界島に送って、敵の様子を探らせた。グスク内に物見櫓(ものみやぐら)があったので登ってみた。鬼界島がよく見えた。戦死した鬼界按司と兵たちのために、何としてでも御所殿(ぐすどぅん)(阿多源八)を倒して、島を奪い取らなければならなかった。
 マジニはどこにいるのだろうと湧川大主は周りを見回したが姿は見えなかった。一昨年(おととし)、マジニと一緒に過ごした楽しかった日々を思い出して、戦(いくさ)が終わったら今帰仁(なきじん)に連れて帰ろうと思った。妻は亡くなったので、マジニを正式な妻に迎えてもいい。マジニは山北王妃の妹だから誰も反対しないだろう。
 屋敷に戻って鬼界島の絵図を見ながら、マジニの事をあれこれ想っていたら、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が顔を出して、奄美按司が来たと知らせた。外に出てみると、馬に乗った奄美按司が何台もの荷車と女たちを連れてやって来ていた。
「随分と早いお越しでしたね。準備はしていたのですが間に合いませんでした。申しわけございません」と奄美按司は馬から下りると湧川大主に頭を下げた。
「なに、謝る事はない。立派なグスクを造ってくれてありがとう。ここなら誰にも気兼ねする事なく、鬼界島攻めに専念できる」
 そう言って湧川大主は鷹揚に笑った。
「城女(ぐすくんちゅ)たちを連れてまいりましたので、さっそく、歓迎の宴(うたげ)の用意をさせましょう」
「船旅で疲れているからな、皆も喜ぶだろう」
 奄美按司は男たちに荷物を運ぶように命じて、女たちには料理を作るように命じた。
「ヌルのマジニが若ヌルと一緒にここで暮らしていると聞いたが、どうして、ここにいるんだ?」と湧川大主はさりげなく奄美按司に聞いた。
「神様の事はわしにはわかりませんが、何でも古いウタキ(御嶽)があの山にあるそうです」
 奄美按司は西側の山脈(やまなみ)の南端の山を指差した。
「赤木名グスクにも古いウタキがあって、マジニ様は若ヌルと一緒に、そのウタキに籠もっておりました。赤木名の神様とあの山の神様はつながりがあるようです。あの山でお祈りするのに、こちらの方が近いというので、こちらに移ったのです。中山王(ちゅうざんおう)のヌルだけあって、マジニ様は大したヌルです。赤木名の者たちにも尊敬されております。そんなヌル様に娘を預ける事になって、本当に感謝しております」
「そうか。あの山に古いウタキがあるのか」
 湧川大主は山を眺めながら、マジニを呼んでくれてありがとうと神様に感謝していた。
 マジニと若ヌルは夕方に帰って来て、グスクが賑やかなのに驚き、湧川大主に会いに来た。
 荷物の整理をしていた湧川大主はマジニを見ると、会いたかったぞと喉まで出かかった言葉を呑み込んで、「久し振りだな」と言った。以前に比べて随分と大きくなった若ヌルが、湧川大主をじっと見つめていたのだった。
「お待ちしておりました」とマジニは嬉しそうに笑った。
 一年半振りに見るマジニは何となく神々しく見え、以前よりも美しくなっているように感じた。
「昨年は色々な事があって大変だったようですね」
 湧川大主はうなづいた。
「こちらに来る準備は整っていたのだが、来られなくなってしまった。妻が亡くなって、義父(羽地按司)も亡くなってしまった。一番大変だったのは明国(みんこく)の海賊が永楽帝(えいらくてい)にやられた事だ。明国の商品が不足して、中山王に頼らざるを得なくなったんだ。久し振りに進貢船(しんくんしん)も出した。リュウイン(劉瑛)殿を使者として送ったので、新しい進貢船を賜わる事ができるだろう」
リュウイン様が明国に行ったのですか」
「中山王の進貢船に乗って十五年振りの里帰りだ。皇帝になる前の永楽帝と会った事があると言っていたから、うまくいくだろう。それに南部で戦が起こって、山北王も南部に兵を送ったんだ。そして、若按司のミンが南部に行った」
「えっ、ミン様が南部に? どうして、若按司様(わかあじぬめー)が南部に行ったのですか」
「ミンは山南王(さんなんおう)の世子(せいし)として島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに入ったのだよ」
「えっ、山北王の若按司様が山南王の世子?」
 マジニにはわけがわからなかった。
「若按司様が南部に行ってしまったら、山北王の跡継ぎはどうなるのです?」
「次男のフニムイが継ぐ。山北王は中山王を倒して中山王になり、ミンが山南王になって、フニムイが山北王になるというわけだ」
「兄上様(山北王)は中山王を倒す決意をしたのですね?」
「今すぐというわけではないが、五年後あたりには倒すだろう。今、中山王はお寺(うてぃら)造りに専念している。材木でもう少し稼がせてもらって、首里(すい)の都が完成したら攻め取るという手筈だ」
「ようやく、父の敵(かたき)を討ってくれるのですね?」
「そなたの父親が築いた首里グスクに戻れるだろう」
 マジニは父の武寧(ぶねい)と一緒に行った首里グスクを思い出していた。完成したばかりのグスクは高い石垣に囲まれた素晴らしいグスクだった。完成の儀式を執り行なう前日、父は殺されて、首里グスクも奪われた。あのグスクに戻れるのかと思うとマジニは嬉しくもあったが、今帰仁にいた頃のように単純に喜ぶ事はできなかった。
 鬼界島のウタキで『キキャ姫』に出会ってから、マジニは変わった。
 マジニは十二歳になった年に、伯母の浦添(うらしい)ヌルのもとでヌルになるための修行を始めた。高いシジ(霊力)があったわけでもなく、長姉のウニョンが勝連(かちりん)に嫁いで、次姉のマアサが今帰仁に嫁いだので、三女のマジニがヌルを継ぐ事に決まった。伯母と一緒にウタキでお祈りをしても神様の声を聞いた事はなかった。
 台風で倒れた首里天閣(すいてぃんかく)の跡地に新しいグスクを造る事に決まって、伯母と一緒に地鎮(ぢちん)の儀式をした時、古いウタキが見つかって、伯母は神様の声に従って、そこを聖域としてグスク内に取り込んだ。『キーヌウチ』である。神様の声が聞こえなかったマジニにはよくわからないが、伯母はキーヌウチを決めるのにかなり苦労したようだった。封じ込められている神様がいて、その神様を助け出さなければならないと言っていたが、マジニにはよくわからなかった。伯母はその神様を助けようとして命を縮めてしまい、首里グスクが完成する前に亡くなってしまった。
 伯母は亡くなる時、封じ込められている神様を救うのがマジニのやるべき事だと言った。でも、神様の声が聞こえないマジニにはどうしたらいいのかわからなかった。伯母が亡くなって二か月後、マジニがいつものように浦添グスク内のウタキでお祈りをしていると伯母の声が聞こえた。神様になった伯母の声だった。
 首里グスクの完成の儀式の前日、伯母から儀式のやり方を確認している時、浦添グスクが炎上して、グスクから逃げ出した。母の無事を確認して、父の敵(かたき)を討つために姉のマアサを頼って今帰仁に行った。
 今帰仁に行ってからは伯母の声は聞こえなくなってしまった。今帰仁ヌルと一緒にクボーヌムイ(クボー御嶽)でお祈りをしても神様の声は聞こえなかった。ここにいらっしゃる神様は今帰仁の御先祖様の神様なので、マジニに聞こえないのは当然よと今帰仁ヌルは言った。
 伯母の母親は勝連按司の娘だった。勝連按司浦添按司だった英祖(えいそ)の子孫だという。英祖の子孫だったから、伯母には英祖時代の浦添ヌルたちの声が聞こえた。マジニの母は前田大親(めーだうふや)の娘なので、英祖とは何の関係もなく、英祖時代の浦添ヌルたちの声は聞こえなかったのだった。
 鬼界島に来たマジニはキキャ姫と出会い、母親の先祖が鬼界島の出身だと聞いて驚いた。鬼界島の歴史を聞いて、自分も鬼界島の一族なんだと思った。奄美大島に渡って赤木名のウタキで『ハッキナ姫』の声を聞いた。ハッキナ姫はキキャ姫の孫だった。ハッキナ姫はマジニが奄美大島に来たのは鬼界島を守るためだと言った。マジニには意味がわからなかった。ハッキナ姫の母親の『カサンヌ姫』がアマンディー(奄美岳)と呼ばれる山にいると聞いて、マジニは若ヌルを連れて行ってみた。カサンヌ姫は鬼界島の歴史を詳しく教えてくれた。
 鬼界島には古くからヤマトゥンチュ(日本人)が入って来た。六百年前、九州の太宰府(だざいふ)の役人たちがやって来て、『唐路館(とうろかん)』という役所を建てて住み着いた。役人たちは珍しい物をいっぱい持ってきた。島の人たちは喜んで役人たちを迎え入れた。遣唐使(けんとうし)は廃止されたが、ヤマトゥ(日本)と貝殻の交易は盛んに行なわれていた。やがて、役人たちは徳之島(とぅくぬしま)で焼き物を始めて、その焼き物は琉球にも渡って貝殻と交換された。三百年くらい前になると、太宰府の力も弱まって平家の時代となる。平清盛(たいらのきよもり)の父親、忠盛は日宋貿易の拠点として、鬼界島に配下の者を送り込んで来た。島の人たちは歓迎して迎え入れた。その後、薩摩(さつま)から逃げて来た『阿多平四郎(あたへいしろう)』も迎え入れ、壇ノ浦で敗れた平家の残党も迎え入れた。山北王は話し合いをする事もなく、突然、攻めて来た。戦死した者も多い。島を守るために、湧川大主を倒さなければならないとカサンヌ姫は言った。
 歓迎の宴が終わったあと、やっと二人きりになれた湧川大主とマジニは、満月の下、浜辺を散歩していた。
「鬼界島を攻めるのですね?」とマジニは湧川大主の横顔を見ながら聞いた。
「今年は何としても攻め落とさなくてはならない」と湧川大主は力強く言った。
「どうして、話し合いをしなかったのですか」
「話し合い?」
「話し合いをすれば、島の人たちも受け入れてくれたと思います」
「話し合いか‥‥‥」
 最初に鬼界島を攻めた前与論按司(ゆんぬあじ)は与論島(ゆんぬじま)を攻め落とした実績があった。与論島には勝連按司の一族がいたので、力尽くで攻め落とした。徳之島(とぅくぬしま)にも中山王に従っている按司がいたので、話し合う事もなく、攻め落とした。奄美大島には按司はいなくて、各地の首長たちを降伏させた。鬼界島も簡単に降伏するだろうと思い、話し合う事など、最初から念頭になかった。
「もう遅すぎる」と湧川大主は言った。
「二度の鬼界島攻めで、二百人もの兵が戦死している。鬼界按司も殺された。今更、話し合いなどできる状況ではないんだ」
 湧川大主はマジニを見て笑うと、マジニを抱き寄せた。


 その頃、鬼界島の花良治(ひらじ)村のギン爺の家で、島ヌルのミキはギン爺と囲碁を打っていた。
「去年、来なかったので諦めたかと思ったが、湧川大主はまたやって来たのか」とギン爺が白石を打ちながら言った。
「今までにかなりの犠牲者が出ているから、湧川大主も必死になって攻めて来るでしょう」とミキが碁盤を見ながら黒石を打って、囲んだ白石を取った。
「まいったのう。源八たちはまた、ガマ(鍾乳洞)に隠れる事になるのか」
 ミキは首を振った。
「一昨年(おととし)は鉄炮(てっぽう)(大砲)の音に驚いて負けたのよ。鉄炮の玉の威力はそれ程でもないわ。落ち着いて攻めればきっと勝てます」
 ギン爺はミキを見て笑うと、「諸喜田大主も来たのかね?」と聞いて、白石を打って、囲んだ黒石を取った。
「来たわ」
「何も敵の大将と結ばれる事もなかったじゃろうに」
「今は敵でも、諸喜田大主の先祖は平家よ。キキャ姫様も許してくださったわ」
 ミキが黒石を打つと、「親子の対面はさせるのか」と言いながらギン爺は白石を打った。
「諸喜田大主が戦死したらね。島を守るために立派に戦死したと言って」
「可愛そうな事じゃのう。そういえば湧川大主と仲のいいヌルがいたが、まだ奄美大島にいるのかね?」
「今頃は再会を楽しんでいる事でしょう。でも、マジニも悩んでいるはずだわ。マジニはわたしたちと同族だからね。鬼界島を助けたいけど、湧川大主も裏切れない。今後の行動次第で、マジニの生き方は決まるでしょう。わたしは娘を産んだけど、マジニは産んでいないわ。キキャ姫様が望まなかったのでしょう」
「なぜじゃ?」
「マジニは中山王の娘としてヌルになったけど、ヌルとしては半人前よ。子供を産んだら、湧川大主の妻として治まってしまうと思ったのでしょう」
「キキャ姫様はマジニを使うつもりなのか」
奄美大島に一族のヌルがいるのはいい事よ。カサンヌ姫様の子孫たちは倭寇(わこう)に滅ぼされてしまったからね」
 ミキが黒石を打った時、突然、赤ん坊の泣き声が響いた。
リュウのお目覚めだわ」とミキは隣の部屋へと行った。


 次の日の夕方、鬼界島に偵察に行った者たちが戻って来た。諸喜田大主と作戦を練っていた湧川大主は、「御所殿はいたか」と聞いた。
「敵はわしらが来た事を知っているようで、守りが厳重で御所殿の屋敷には近づけませんでした。しかし、物見櫓に登った時に姿を見ました」
「守りは厳重か」と言って湧川大主はニヤッと笑った。
「港も兵が守っています。ただ、敵の船は瀬玉泊(したまどぅまい)(早町)に泊まっている一隻しか見当たりません。琉球に行ったのは山北王の船だったので、あと二隻はあるはずなのですが」
「まさか、すでにヤマトゥに行ったのか」
「わかりません」
「敵の兵力は?」
「およそ三百はいそうです」
「なに、三百?」と湧川大主は驚いた顔をして、諸喜田大主を見た。
「一昨年、諸喜田大主殿が鍛えた百人の兵が加わって、さらに百人の兵を鍛えたようです」
「わしらが鍛えた兵たちが御所殿の兵になっているのか」と諸喜田大主が苦笑した。
「それに、以前は棒を持っていた兵たちも皆、槍を持っていて、弓矢も持っています」
「ヤマトゥから武器も仕入れたか。懲りぬ奴らだ。兵の配置は?」と湧川大主は聞いた。
「御所殿の屋敷を守っているのが五十、湾泊(わんどぅまい)に百、小野津(うぬつ)、沖名泊(うきなーどぅまい)(志戸桶)、瀬玉泊にそれぞれ五十です」
 湧川大主は絵図に兵力を書き込むと、「敵は湾泊から攻めると思っているようだな」と諸喜田大主に言った。
 昨夜の歓迎の宴の酒と料理が残してあるので、今晩はゆっくり休めと言って、偵察に行った者たちを帰した。
「三百の兵とは驚きましたな。わしらより多い」と諸喜田大主が絵図を見ながら言った。
「なに、わしらには鉄炮がある。恐れるには足らん」
 諸喜田大主はうなづいて、「瀬玉泊を攻めて、まずは敵の船を沈めた方がいいでしょう」と言った。
「そうだな。今回は御所殿を逃がすわけにはいかんからな」と湧川大主は言って、改めて諸喜田大主と作戦を練った。
 翌日は朝から雨が降っていて、攻撃は延期となった。次の日も雨降りで、梅雨に入ったようだった。
「焦る事はない。待ち構えている敵と戦えば損害が出る。敵が待ちくたびれた頃に攻めればいい」
 湧川大主はそう言って、諸喜田大主に近在の若者たちを集めて鍛えるように命じた。
 戸口(とぅぐち)の左馬頭(さまのかみ)が陣中見舞いにやって来た。湧川大主は左馬頭を歓迎して、酒を飲みながら御所殿の事を聞いた。
「あの島は閉鎖的で、よその島の者たちとあまり付き合わんのじゃ。それで、わしもあの島の事はよく知らんのじゃよ」
「鬼界島の奴らは琉球では薩摩の倭寇に扮しているが、薩摩とは取り引きしていないらしい。どこと取り引きをしているか知りませんか」
「これも噂で、本当かどうかは知らんが、豊後(ぶんご)の大友氏ではないかと聞いた事がある」
「大友氏?」
 湧川大主は大友氏というのを知らなかった。大友氏は今帰仁に来ていなかった。
「鬼界島は古くから中山王と取り引きをしているのですか」
「わしらが琉球と取り引きを始めたのは、中山王の察度(さとぅ)が明国と進貢を始めたあとじゃ。明国の商品が手に入ると聞いて浮島(那覇)に行ったんじゃよ。鬼界島の奴らが来たのは、十年位経ってからだと思う。それまでは倭寇をしていたようじゃ。詳しい事はわからんが、八代目か九代目の御所殿は高麗(こーれー)で戦死したそうじゃ」
 二日後、雨がやんで晴れ間が顔を出し、湧川大主は総攻撃を命じた。
 諸喜田大主が五十人の兵を率いて瀬玉泊に向かい、根謝銘大主(いんじゃみうふぬし)が五十人の兵を率いて小野津に向かい、湧川大主は百人の兵を率いて湾泊に向かった。
 諸喜田大主が瀬玉泊に着いた時、敵の船はなかった。逃げられたかと思ったが、船を探している時間はなかった。鉄炮の音を合図に総攻撃に出なければならなかった。
 四半時(しはんとき)(三十分)後、鉄炮の音が響き渡った。諸喜田大主は船を港に近づけて、敵兵を目掛けて弓矢を撃った。敵兵は火矢で応戦してきたが、ほとんどが船まで届かず、海に落ちた。やがて、矢も尽きたのか火矢も飛んで来なくなった。諸喜田大主は小舟を下ろして、自ら先頭に立って上陸した。楯(たて)を構えて進んだが、敵の矢は数本飛んで来ただけだった。
 瀬玉泊は高台に囲まれた所にあって、御所殿の屋敷は高台の上にあった。鉄炮の音が鳴り響く中、敵が高台の方に逃げて行くのが見えた。
「追え!」と諸喜田大主は兵たちに命じた。
「敵の罠(わな)があるかもしれん。気を付けろ!」
 そう叫んだが、落とし穴に落ちた者が三人いた。さらに細い坂道を登って行くと、上から狙い撃ちされて四人の兵が倒れた。
 諸喜田大主は兵たちを退却させた。
「あの道は敵が待ち伏せしている。他の道を探せ」
 別の道が見つかったが、そこも敵が待ち伏せしていて二人が倒された。諸喜田大主は高台を見上げて悪態をつくと、兵たちを撤収させた。別の場所に上陸して攻撃した方がいいと思った。
 船に戻ると船乗りたちが騒いでいた。船腹に穴を開けられて浸水しているという。小さな穴だったので塞ぐ事ができたが、三か所も穴が開いていた。
 小野津に上陸した根謝銘大主も敵の罠にはまって十六人の兵を失い、さらに二か所、船に穴を開けられた。
 湾泊を攻めた湧川大主は百発の鉄炮の玉を打ち込んだ。湾泊に五十発、御所殿の屋敷の周辺に五十発を打ち込んだ。しかし、前回の時のように敵兵が逃げ散る事もなく、火の手も上がらなかった。上陸した兵は敵の待ち伏せに遭って次々に倒されて、退却を余儀なくされた。湧川大主の武装船は穴を開けられる事はなかったが、完全なる敗北だった。
「去年、来なかったので、敵に準備の時間を与えてしまった」と湧川大主は悔しがった。


 敵を見事に追い返した御所殿はギン爺と祝杯を挙げていた。
 御所殿は湾泊で指揮を執っていた。兵たちを土を入れた叺(かます)(土嚢)で囲んだ穴の中に隠れさせて、鉄炮の玉が飛んで来ても決して動くなと命じた。鉄炮の玉に当たって戦死した兵も数人いたが、敵兵の損害の方が多く、見事に敵を追い払っていた。
「親父が倭寇だった頃の経験が役に立ちましたね」と御所殿はギン爺に言った。
「高麗でわしらは鉄炮にやられたんじゃ。わしらは穴の中に隠れていて助かった。岩陰に隠れていた奴らは岩の破片にやられて死んだんじゃよ。あの時は本当に死ぬかと思った。何とか島に帰って来たわしらは、それ以後、倭寇をやめたんじゃよ」
「俺が五歳の時でした。お爺から倭寇働きの活躍を聞いて、俺も倭寇になりたいと憧れましたよ」
「時代は変わった。未だに倭寇をやっている者もいるが、皆、滅ぼされるじゃろう。これからは地道に交易に励む事じゃ。それを邪魔する湧川大主は倒さなければならんがのう」
 ギン爺は先代の御所殿で、隠居して鎮西入道(ちんぜいにゅうどう)と名乗っているが、島の人たちからはギン爺と呼ばれて親しまれていた。島ヌルのミキはギン爺の娘だった。
 その頃、ミキは花良治のウタキに登って、『キキャ姫』にお礼を言っていた。
「これからが面白くなるのよ」とキキャ姫は笑った。
「一昨年(おととし)の仕返しができたわね。一昨年は鉄炮なんていう、わたしが知らない武器を使ったから、わたしも驚いて撤退させたけど、鉄炮なんて、ただの脅しに過ぎないわ。湧川大主は今回の負け戦に懲りて、梅雨が明けるまで攻めて来ないでしょう。今度はこっちから攻める番よ」
「えっ、万屋を攻めるのですか」
「そうよ。攻めて来るなんて思っていないから安心しているはずよ。攻めて行って、鉄炮を積んだ船を沈めてしまいなさい」
鉄炮の玉で作った先の尖った金槌(かなづち)は役に立ちましたね」
「また造るといいわ。貴重な鉄を贈ってくれるんだから、どんどん武器を造りなさい。琉球に行っていた船も無事に帰って来て、浦原(うらばる)に隠れているわ」
「えっ、青鬼(松田刑部)が無事に帰って来たのですね」
「今頃は源八(御所殿)と会っているはずよ」
「二隻の船で琉球に行ったのは正解だったのですね」
「そうよ。湧川大主が必ず、船を追って来ると思ったのよ。思っていた通り、永良部島沖で沈められたわ。石をたっぷりと積んだ山北王の船をね」
「梅雨が明けたら、今度はどうやって対処するのですか」
「梅雨が明けるまでに、攻められないようにするのよ。湧川大主が万屋から逃げ出すように仕向けるのよ。マジニにも協力してもらおうかしら」
「わかりました」と言って、ミキはお祈りを終えた。
 キキャ姫の楽しそうに笑う声が、ミキの耳の中に響き渡った。

 

 

 

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