長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-193.ササの帰国(改訂決定稿)

 進貢船(しんくんしん)を送り出した二日後、首里(すい)の武術道場で『武科挙(ぶかきょ)』が行なわれた。
 明国(みんこく)の制度を真似して、サムレーになりたい若者は誰でも受ける事ができた。大勢の若者たちが集まって来て、武術の試合を行ない、勝ち残った百人がサムレーになるための修行が許された。
 今まで、重臣やサムレーたちの息子は才能がなくても、武術道場で修行をする事ができたが、これからは武科挙を受けなければ、たとえ重臣の息子であってもサムレーになる事はできなくなった。『まるずや』の主人、トゥミの息子のルクは見事に勝ち残って、武術道場で修行する事になった。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)も苗代大親(なーしるうふや)を手伝って、若者たちの試合に立ち会った。ルクは思っていた以上に強かった。父親よりも母親に似たらしい。ヤフス(先代島添大里按司)の息子という事は、ルクは他魯毎(たるむい)(山南王)の従弟(いとこ)になるのかとサハチは改めて気づいた。でも、ルクはその事は知らない。いつの日か、知る事になるのだろうかと少し心配になった。
 その翌日、サハチは龍天閣(りゅうてぃんかく)で思紹(ししょう)(中山王)と今帰仁(なきじん)攻めの兵力と行軍行程を検討していた。大勢の兵を率いて今帰仁まで行かなければならないので、兵糧(ひょうろう)は勿論の事、馬や荷車など、今のうちに用意できる物は用意しておかなければならなかった。
 一通り検討したあと、サハチは思紹が今、彫っている彫刻を見た。
「観音様ですか」とサハチが聞いたら、
「『弁才天(びんざいてぃん)様』じゃ」と思紹は答えた。
 サハチは弁才天様を知らなかった。
「馬天(ばてぃん)ヌルから彫ってくれと頼まれたんじゃよ」
「叔母さんが? 琉球の神様なんですか」
「どうも違うようじゃ。昔、ビンダキ(弁ヶ岳)にヤマトゥ(日本)から来た山伏が登って、山頂に弁才天様を祀(まつ)ったらしい。今はなくなってしまったので、わしに彫ってくれと言ったんじゃよ。報恩寺(ほうおんじ)の和尚(ナンセン禅師)に聞いたら、弁才天様は天竺(てぃんじく)(インド)の神様で、唐に伝わってヤマトゥに来たという。水の神様であり、音曲(おんぎょく)の神様でもあるようじゃ。馬天ヌルがビンダキの神様から聞いた話をしたら、和尚は驚いて、ビンダキに弁才天様を勧請(かんじょう)したのは『役行者(えんのぎょうじゃ)』に違いないと言っておった」
役行者?」
「山伏の元祖だそうじゃ。ヤマトゥの大峯(おおみね)という修験(しゅげん)の山に弁才天様を祀ったのも役行者だと言っておった。ヤマトゥでは『瀬織津姫(せおりつひめ)様』という神様の化身として弁才天様があちこちに祀ってあるらしい」
瀬織津姫様というのは、豊玉姫(とよたまひめ)様の娘ですか」
「さあのう。馬天ヌルに聞いても知らなかった。ササ(運玉森ヌル)なら知っているかもしれんな」
 弁才天様を見ると三弦(サンシェン)のような楽器を持っていた。そして、不思議な事に手が四本もあった。
「どうして、手が四本もあるのですか」とサハチは聞いた。
「報恩寺の書庫に弁才天様の絵図があったんじゃ。そこに描いてあった弁才天様の手が四本あったんじゃよ。和尚に聞いたら八本もある弁才天様もいるらしい。八本も彫るのは大変なんで四本にしたんじゃよ」
 不思議な神様だと思いながら、サハチは弁才天様の顔を見た。まだ彫りかけなので輪郭しかわからないが、何となく馬天ヌルに似ているような気がした。
 サハチは思紹と別れてビンダキに行った。山頂の小屋に猟師(やまんちゅ)の格好をしたウニタル(ウニタキの長男)がいた。
「何だ、お前はここにいたのか」
「いつも、ここにいるわけではないんですけど、そろそろ按司様(あじぬめー)が来るだろうから、見張っていろと親父に言われたのです」
「俺に何か用があるのか」
「そうじゃないみたいです。按司様が独り言を言ったら、よく聴いておけと言われました」
「俺が独り言を言うだと? お前の親父は寝ぼけているのか」
「さあ?」とウニタルは首を傾げた。
「ここに弁才天様の祠(ほこら)があったのを知っているか」とサハチはウニタルに聞いた。
弁才天様って誰ですか」
「神様だよ」
「知りません」とウニタルは首を振った。
 サハチは辺りを眺めたがわからなかった。舜天(しゅんてん)(初代浦添按司)の時代、熊野水軍琉球に来ていたので、その頃、熊野の山伏がこの山に登ったのだろうか。山伏の元祖が弁才天様を祀ったというのなら、もっと昔の事かもしれなかった。
 夕暮れの南の海を眺めながら、サハチはササたちの無事の帰国を祈った。
「サハチ」と呼ぶユンヌ姫の声が聞こえた。
「ユンヌ姫様、帰って来たのか」とサハチは言った。
 ユンヌ姫の声が聞こえないウニタルは、サハチが独り言を言ったので驚いた。
「明日の正午(ひる)頃にはササたちが帰って来るわ」
「なに、明日の正午に帰って来るのか。無事でよかった。今まで、ありがとう」
「楽しい旅だったわ。収穫も多いわよ。楽しみにしていて」
「南の島(ふぇーぬしま)の人たちも来るのか」
「ミャーク(宮古島)の船とトンド(マニラ)の船が一緒に来るわ」
「トンド?」
「南の国(ふぇーぬくに)よ」
「総勢、何人だ?」
「百五十人位じゃないかしら」
「百五十人か‥‥‥」
 浮島(那覇)の『那覇館(なーふぁかん)』は旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワの人たちの宿舎として拡張したが、途中で、南の島の人たちも来る事に気づいて、さらに拡張した。百五十人なら何とかなりそうだった。
「苗代大親の娘も連れて来たのか」
「連れて来たわ。サングルミー(与座大親)の娘もね」
「サングルミーの娘?」
「パティローマ(波照間島)にいたのよ。親子の対面があるから、苗代大親とサングルミーを呼んでね」
「わかった。無事に帰って来て、本当によかった」
 サハチはもう一度、ユンヌ姫にお礼を言ってから、「ユンヌ姫様はここに弁才天様が祀ってあったのを知っているのか」と聞いた。
「えっ、ちょっと待って」とユンヌ姫は言ってから、「そうよ。ここよ。ここだったんだわ」と言った。
琉球にも弁才天様が祀ってあった所があったんだけど思い出せなかったのよ。サハチがどうして、そんな事を知っているの?」
「馬天ヌルがここの神様から聞いたらしい」
「そうだったの。真玉添(まだんすい)の都があった頃、ヤマトゥから仙人が飛んで来て、この山に祀ったのよ。当時は弁才天岳(びんざいてぃんだき)って呼ばれていたわ。真玉添が滅んだあと、ここの弁才天様も忘れ去られてしまって、いつしかビンダキって呼ばれるようになったのね。ササも弁才天様の事を調べているのよ」
「ササがか。南の島にも弁才天様が祀ってあるのか」
弁才天様はもともと南の国の神様なのよ。トンドには弁才天宮があって、黄金(くがに)の弁才天様がいらしたわ」
「そうなのか。知らせてくれてありがとう。ササたちを迎える準備をして待っているよ」
 ユンヌ姫と別れたサハチが振り返ると、呆然とした顔をしてウニタルがサハチを見ていた。
按司様は神様とお話ししていたのですか」
「いや、ただの独り言だよ。ササたちが明日の正午頃に帰って来る。親父に知らせてくれ」
「はい。わかりました」と頭を下げるとウニタルは山を駈け下りて行った。
 サハチは首里グスクに帰って、ササたちの帰国を知らせて、城女(ぐすくんちゅ)たちに帰国祝いの準備をさせた。


 パティローマからフシマ(黒島)に行ったササたちは、フシマ按司を乗せて、イシャナギ島(石垣島)の玉取崎(たまとぅりざき)に寄った。玉取のツカサに馬を借りて、名蔵(のーら)まで行き、名蔵にしばらく滞在して、ブナシル(名蔵女按司)やマッサビ(於茂登岳のフーツカサ)に旅の話を聞かせた。仲間の若按司、富崎(ふさぎ)の若按司、新城(あらすく)のツカサ、大城(ふーすく)のツカサ、フーキチ夫婦を連れて玉取崎に戻り、平久保(ぺーくぶ)で若按司の太郎を乗せて多良間島(たらま)に行った。
 多良間島で女按司のボウと娘のイチを乗せてミャークに行った。与那覇勢頭(ゆなぱしず)は琉球に行く準備をして待っていた。ササたちはお世話になった人たちに挨拶をして回り、ミャークを船出したのは五月二十六日の早朝だった。
 サシバはすでに飛んで行ってしまっていたが、ササたちを待っていたのか、数羽のサシバ琉球目指して飛んで行った。ササたちはサシバを追って船出をした。
 与那覇勢頭の船には二十年前に琉球に行った船乗りも乗っていて、勘を取り戻せば琉球に行く事も帰る事もできるだろうと言っていた。夜中も走り通して、翌日の夕方、島影が見えてきた。キラマ(慶良間)の島々だった。ササたちは修行者たちがいる夢の島に寄った。修行者たちは驚いた。ササたちは修行者たちに旅の話を聞かせて喜ばれた。


 翌日、サハチは馬天ヌル、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)、カミー(アフリ若ヌル)と一緒に浮島に行った。サハチたちが来る前に、サスカサ(島添大里ヌル)、ユリ、ハル、シビーが来ていた。女子(いなぐ)サムレーたちも一緒にいて、集まって来た人たちに小旗を配っていた。
「ユンヌ姫様から聞いたのか」とサハチが聞くと、
「アキシノ様から聞いたのよ」とサスカサは言った。
「メイヤ姫様という南の島の神様も一緒にいたわ」
「なに、神様も連れて来たのか。神様の接待はお前たちに任せるよ」とサハチが言ったら、サスカサは笑った。
 噂を聞いた人たちがササたちを迎えようと集まって来た。ヤマトゥの船が帰ってしまって閑散としていた浮島が、お祭りのように賑やかになった。
 サタルーがシラー(久良波之子)と一緒にやって来た。
「お前、どうして、ここにいるんだ?」とサハチは驚いて、サタルーに聞いた。
「去年の暮れに丸太を運んだ船が奥間(うくま)に帰って来たんだけど、その船に玻名(はな)グスクの城下に住んでいた家族が乗っていたんです。その家族の親が奥間で亡くなったので、里帰りしたんです。その家族を玻名グスクまで連れて行って、山グスクに顔を出したら、ササたちが帰って来るという知らせを聞いて、シラーと一緒にやって来たんです」
「ナナに会いたくて、わざわざ来たんじゃないのか」と聞くと、サタルーは笑って、
「長い船旅でしたからね。ここに俺がいないとナナが寂しい思いをするだろうと思ったんですよ」と言ってシラーを見た。
「そうですよ」とシラーはうなづいた。
「明国から帰って来た時、シンシン(杏杏)がいなくて寂しい思いをしました。みんなが再会を喜んでいるのに、俺には誰もいなかったんです」
「そうか」とサハチは言って、二人を見て笑った。
 ンマムイ(兼グスク按司)夫婦とマグルー夫婦も来た。ヤグルー(平田大親)とマタルー(八重瀬按司)と手登根大親の妻、ウミトゥクも来た。叔父のサミガー大主(うふぬし)までやって来たのには驚いた。
「懐かしい顔と会えるかもしれんのでな」とサミガー大主は笑った。
 大勢の人が集まり過ぎてきた。うまい具合に浮島の警護を担当している田名親方(だなうやかた)が顔を出した。見物人たちを整理して、港から那覇館までの道の確保をするようにサハチは頼んだ。縄を持ったサムレーたちがやって来て、見物人たちを抑えた。
 四半時(しはんとき)(三十分)後、法螺貝(ほらがい)が鳴り響いた。遠くに船影が見えてきた。三隻の船がだんだんと近づいて来た。迎えの小舟(さぶに)が次々と漕ぎ出して行った。
 一番最初に上陸したのは、ササ、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、シンシン、ナナ、ナーシルだった。
 ササたちはニコニコしながらサハチたちの所に来て、「ただいま」と言った。
「楽しかったわ」と安須森ヌルは言った。
「凄い事がいっぱいわかったのよ」とササが言って、ナーシルを紹介した。
 ナーシルは背の高い娘で、槍を持っていた。目元が苗代大親に似ているとサハチは思った。
「遠い所をよく来てくれました。安須森ヌルの兄のサハチです」
「ナーシルです。よろしくお願いいたします」
 シンシンはシラーと、ナナはサタルーとの再会を喜んでいた。
 玻名グスクヌルと若ヌルたちが上陸して来た。旅立つ前、幼かった若ヌルたちは一回りも二回りも大きくなっているように思えた。皆、目をキラキラと輝かせていた。
 チチーは父親のマタルーと、ウミは父親のヤグルーと、ミミは母親のウミトゥクとの再会を喜んで涙ぐんでいた。マサキは父親のンマムイ、母親のマハニ、姉のマウミまでいるので感激して泣いていた。安須森ヌルの娘のマユは女子サムレーたちに囲まれていた。マユは女子サムレーたちに可愛がられて育っていた。皆、母親のようなものだった。
 みんなの再会を喜びながらも玻名グスクヌルは寂しかった。自分の身内は皆、戦死してしまって誰もいなかった。帰って来ても、誰も喜んではくれなかった。
「マフー」と呼ぶ声が聞こえた。空耳かしらと振り返ると懐かしい顔があった。
「サキチ‥‥‥」と玻名グスクヌル(マフー)は男を見つめた。知らずに涙がこぼれ落ちた。
「お帰り」とサキチは言った。
「ただいま」と言って、無理に笑おうとしたが、あふれ出る涙が止まらなかった。
 サキチは玻名グスクの城下に住んでいた鍛冶屋(かんじゃー)だった。マフーが十八歳の時に奥間からやって来た。マフーより一つ年上で、「好きです」と告白された。当時、若ヌルだったマフーは、「ヌルはお嫁に行けないの」とサキチの求婚を断った。それでもサキチは諦めなかった。
「俺が一緒になる人はマフーしかいない」と言って、嫁をもらう事もなく独身で通していた。鍛冶屋の腕は確かで、父にも信頼されていた。マフーが二十七歳の時、伯母の玻名グスクヌルが亡くなって、マフーが玻名グスクヌルを継いだ。それでも、サキチは諦める事はなかった。父や兄たちが戦死して、玻名グスクが奪われ、どん底にたたき落とされたマフーはサキチの事など忘れた。
 すっかり忘れていたサキチが南の島を旅していた時、突然、思い出された。ササや安須森ヌルの話を聞いて、もしかしたら、サキチは自分のマレビト神だったのではないのだろうかと思うようになった。助けが必要な時、サキチが現れて、いつも助けてくれた。その時は当たり前だと思っていたけど、決して、そうではない事に気づいた。サキチはいつも自分を見守ってくれていたのだった。マフーは琉球に帰ったら、サキチを探そうと思っていた。
 夢でも見ているかのように、サキチが目の前に現れたので、マフーの頭の中は真っ白になっていた。
 愛洲(あいす)ジルーたちが上陸して来て、サハチはお礼を言った。ミーカナとアヤーは与那原(ゆなばる)の女子サムレーたちに囲まれていた。
 ミャークの船から南の島の人たちが上陸して来て、サハチは挨拶を交わした。
「一番、お世話になった人よ」とササがクマラパを紹介した。
 雰囲気がヂャンサンフォン(張三豊)に似ていて、仙人のような人だとサハチは思った。
「そなたがサグルーの息子かね?」とクマラパは言った。
「昔、津堅島(ちきんじま)に住んでいて、お祖父(じい)様(先代のサミガー大主)を知っているのよ」とササが言った。
「妹と一緒に五十年振りの里帰りじゃ」とクマラパは楽しそうに笑った。
 トンドの船からアンアン(安安)たちが上陸して来た。トンド王国の王女様だと聞いて、サハチは驚いた。
「アンアンはメイユー(美玉)さんを知っているのよ」とササが言った。
「えっ、メイユーはトンドに行ったのか」
「メイユーさんは有名な女海賊だったのよ。トンドでもターカウ(台湾の高雄)でも神様になっていたわ」
「ターカウ?」
「あとで詳しく話すわ」
 上陸した人たちは、小旗を振って歓迎する大勢の見物人たちに驚きながら、那覇館へと移動した。
 那覇館で待っていた苗代大親は娘のナーシルと会った。ナーシルに母親の面影を見て、「ユミによく似ておる」と言って笑った。
 初めて見る父親は母から話を聞いて、ナーシルが想い描いていた通りの武将だった。
「ずっと、わたしを守ってくれました」と言って、ナーシルは短刀を腰からはずして苗代大親に見せた。
「そうか。大事に持っていてくれたか」
「母も会いたがっていたけど、琉球との交易が始まれば、いつでも行けるから、今回はわたしに行って来いって行ったのです」
「そうか。母さんも元気か」
 サングルミーは南の島の人たちを歓迎するために二胡(アフー)の演奏をしてくれと頼まれて那覇館に来ていた。大広間の舞台の脇で二胡調弦(ちんだみ)をしていたら、「サングルミー」と誰かが呼んだ。何となく懐かしい声のような気がして、顔を上げると南の島から来た女が二人、サングルミーを見つめていた。
 サングルミーは立ち上がって、二人のそばに行ったが、すぐには思い出せなかった。
「ペプチ」と年長の女が言った。
「ペプチなのか‥‥‥」
 女はうなづいた。
 サングルミーは女を見つめて、隣りにいる娘を見た。
「あなたの娘のサンクルよ」
 昔の思い出が蘇って、驚いたサングルミーは持っていた二胡を落とした。素早い身のこなしでサンクルが二胡を受け取った。
 サンクルはサングルミーの思い出の中のペプチによく似ていた。
「会いたかったぞ」とサングルミーは思わず言っていた。
 歓迎の宴(うたげ)が始まって、サハチは安須森ヌルと一緒に挨拶をして回った。女の人が多いので不思議に思って聞くと、南の島ではヌルが村を統治していて、女の按司が多いのよと安須森ヌルは言った。昔の姿を残しているんだなとサハチは思った。
 フーキチは奥間の鍛冶屋で、ヤキチ(玻名グスク按司)をよく知っていると聞いて驚いた。奥間の鍛冶屋が南の島まで行っていたなんて信じられなかった。
 タキドゥン按司汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)に滅ぼされた島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の息子だったと聞いて驚き、ミャークが昔、倭寇(わこう)の大軍に襲撃されて大勢の人が亡くなったと聞いて驚いた。倭寇が南の島まで行っていたとは知らなかった。ターカウは倭寇の拠点になっていて、明国の海賊たちが集まって来る。その中にメイユーもいて、メイユーはターカウで活躍したという。サハチはメイユーから、ターカウの事なんて聞いた事もなかった。
 トンドの人たちは言葉が通じないのでファイチ(懐機)に任せた。
 一通り、挨拶が終わって、ウニタキ(三星大親)の所に行くとンマムイが来ていて、二人で話し込んでいた。
「サハチ師兄(シージォン)、ウニタキ師兄に話していたんだけど、面白い男と出会ったんですよ」とンマムイが興奮した顔で言った。
「南の島から来た人たちの中に知り合いがいたのか」
「そうじゃなくて、慈恩寺(じおんじ)で会ったんです」
慈恩寺?」
「昨日、ちょっとヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)に用があって顔を出したら、そこに懐かしい奴がいたんです」
「そいつ、使えそうだぞ」とウニタキがニヤッと笑った。
「何者なんだ?」とサハチは聞いた。
「仲尾大主(なこーうふぬし)の倅だ。名前はジルーで、『真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)』と名乗って、テーラー(瀬底大主)と一緒に進貢船(しんくんしん)に乗って明国にも何度も行っているそうだ」とウニタキが言った。
「ミーグスクにいた仲尾大主か」
「そうだ。姉さんはリュウイン(劉瑛)の奥さんだ。弟は今帰仁のサムレーらしい。そして、親父は山南王(さんなんおう)の重臣になっている」
「そんな奴がどうして、慈恩寺にいるんだ?」
「奴は死んだ事になっているんです」とンマムイが言った。
 ンマムイがジルーに初めて会ったのは、『ハーリー』でヂャンサンフォンと出会う数か月前の事だった。その頃、ンマムイはサハチを襲撃するために武芸者を集めていた。腕が立つジルーはンマムイの目にかなって、阿波根(あーぐん)グスクに滞在する事になった。口数が少ない男で自分の事は何も言わなかったが、ある日、マハニがジルーの事を思い出して、話をしたら、ジルーも驚いて、仲尾大主の息子だと白状した。事件を起こして今帰仁には帰れず、しばらくヤマトゥに行っていて、帰って来たばかりだと言った。
 翌年の一月、ンマムイがヂャンサンフォンを阿波根グスクに連れて行くと、ジルーも一緒にヂャンサンフォンの指導を受けた。四月にンマムイはサハチたちと一緒にヤマトゥと朝鮮(チョソン)に行った。帰って来たらジルーはいなかった。マハニに聞いたら旅に出たという。もしかしたら、またヤマトゥに行ったのかもしれないと言った。その後、ンマムイはジルーに会っていない。
 ンマムイが家族を連れて今帰仁に行った時、何気なく、ジルーの事を話したら、湧川大主(わくがーうふぬし)は目の色を変えて、奴はどこにいると問い詰めた。そして、ジルーが起こした事件の事を話した。
 ジルーは武芸の腕を見込まれて、山北王(さんほくおう)の弟、サンルータの護衛役として進貢船に乗って明国に行った。サンルータの護衛をしながらも明国の言葉を学んだらしい。そのお陰で、翌年はサムレーとして進貢船に乗る事ができた。
 サンルータの護衛を見事に果たしたジルーは嫁をもらった。永良部按司(いらぶあじ)の娘でマナビーという美人だった。嫁をもらった四か月後、ジルーは明国に旅立った。次の年は二度も明国に行っている。マナビーの実家は遠く離れた永良部島だ。寂しかったのだろう。ジルーが明国に行っている留守中、サンルータと過ちを犯してしまった。ジルーが四度目の唐旅(とうたび)から帰って来て、帰国祝いの宴がグスク内で行なわれた。その日、体調が悪かったジルーは早めに屋敷に引き上げた。そしたら、マナビーがサンルータと一緒にいた。カッとなったジルーはマナビーとサンルータを斬ってしまう。
 大変な事をしてしまった。もう逃げるしかないと思って、ジルーは倭寇の船に乗り込んでヤマトゥに逃げた。二人の死は病死と公表されて、怒った山北王はジルーを探させたが見つからなかった。ジルーは明国で病死したという事になっているという。
「湧川大主の下に弟がいたとは知らなかった」とサハチが言った。
「マハニも驚いていましたよ。サンルータは病死したと信じていたようです。昨日、奴から聞いて驚いたんだけど、阿波根グスクから姿を消したジルーはヤマトゥに行ったわけではなくて、ずっと浮島の若狭町(わかさまち)にいたそうです。遊女屋(じゅりぬやー)の護衛として遊女(じゅり)たちを守っていたようです」
「遊女の護衛か。面白い奴だな」とサハチは笑った。
テーラーが南部に来たので隠れていたようです」
「親父も来たしな」とウニタキが笑った。
「奴は少し変わった所があるようです。重臣の息子なのでサムレーになれたのに、それを嫌って、十八の時に旅に出たそうです。浮島に行ったら、密貿易船が何隻もいたので驚いたと言っていました。そして、もっと驚いた事に、奴はサハチ師兄の所で武芸を習っていたんですよ」
「何だと?」
「馬天浜のサミガー大主の離れに滞在して、美里之子(んざとぅぬしぃ)の武術道場に通っていたようです」
「それはいつの事だ?」
「浮島に密貿易船が来ていたんだから、ファイチが琉球に来た頃じゃないのか」とウニタキが言った。
 サハチは当時を思い出した。馬天浜でファイチと出会った頃、サミガー大主の離れに滞在して、カマンタ(エイ)捕りをしながら、武術道場に通っている若者がいた。どこかのウミンチュ(漁師)だろうと思っていたが、山北王の重臣の倅だったとは驚いた。
「ジルーは佐敷で腕を磨いて、サンルータの護衛役になったようです」とンマムイは言った。
「ジルーは慈恩寺にいるのか」
「腕を見込まれて、師範代を務めています。ヤマトゥにいた頃、慈恩禅師(じおんぜんじ)殿の弟子から指導を受けたと言っていました。その弟子は賀来内蔵助(かくくらのすけ)という男で、ヤタルー師匠も知っていました」
「成程、慈恩禅師殿の孫弟子だったのか」
「奴はリュウインの義弟だし、リュウインを寝返らせるのに使えるかもしれんぞ」とウニタキが言った。
「そうだな」とサハチはうなづいた。
「新しい海賊が来たので、リュウインが二度目の使者になる事はなくなった。何としてでも寝返らせなくてはならんな」
「もう少し、奴の事を調べてみよう」とウニタキが言った。
「頼むぞ」とサハチは言って、ササたちの所に行った。