長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-207.大三島の伊予津姫(改訂決定稿)

 奄美大島(あまみうふしま)を直撃して北上した台風は、九州に上陸して九州を縦断すると、周防(すおう)の国(山口県)、出雲(いづも)の国(島根県)を通って日本海に出て勢力を弱めた。ササ(運玉森ヌル)たちがいる京都にも大雨は降ったが、被害が出るほどではなかった。
 奈良から京都に戻って、ようやく京都に到着した交易船に乗って来た使者たちと一緒に、京都の町を行列したササたちは、御台所(みだいどころ)様(日野栄子)に呼ばれて、将軍様の御所に滞在していた。御所に移ったのはササ、シンシン(杏杏)、ナナ、ハマ(越来ヌル)、タミー(慶良間の島ヌル)の五人で、玻名(はな)グスクヌルと若ヌルたち、ミーカナとアヤー、ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)と喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)、飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)とカナ(浦添ヌル)、辰阿弥(しんあみ)、覚林坊(かくりんぼう)、天久之子(あみくぬしぃ)は高橋殿の屋敷に滞在していた。
 一文字屋の屋敷にはトゥイ(先代山南王妃)、ナーサ(宇久真の女将)、マアサと四人の女子(いなぐ)サムレーたち、シビーの兄のクレー、マガーチ(苗代之子)の長男のサジルー、ウニタキ(三星大親)の次男のマサンルーが滞在していた。
 トゥイたちは七月の末に一文字屋の船に乗って京都に着き、都見物を堪能していた。トゥイたちを案内したのはクレーだった。三度目のヤマトゥ(日本)旅のクレーは京都の隅から隅まで知っていた。一度目の時も二度目の時も福寿坊(ふくじゅぼう)が一緒だったので、名所旧蹟は勿論の事、遊び場にも詳しかった。それに去年は、一文字屋の近くにある団子屋(だんごや)の娘と仲良くなって、ヤマトゥ言葉も真剣に習っていた。今回も福寿坊は一緒に来たのだが、「トゥイ様を頼むぞ」と言って熊野に行ってしまい、戻って来たのは九月の半ばだった。
 トゥイとナーサはヤマトゥの着物を着て、飽きもせずに、毎日、都見物を楽しんだ。京都にはトゥイを知っている者は誰もいない。生まれた時から按司の娘として育ち、按司の妻になって山南王妃(さんなんおうひ)になったトゥイは、琉球では自由に出歩く事はできなかった。ここでは周りの視線を気にする事なく、どこにでも行けた。トゥイは毎日が楽しく、充実した日々を送っていた。
 マアサと女子サムレーたちは刀を差していると目立つので、ヤマトゥの娘の格好をしてトゥイに従っていた。サジルーとマサンルーはマアサの子分になったように荷物持ちをやっていた。実際、二人はマアサにはかなわず、女に負けられるかと、朝晩は剣術の稽古に励んだ。九月になって、ササたちが京都にやって来ると、高橋殿の屋敷に通って、ヤタルー師匠と修理亮の指導を受けていた。
 半月余り、御台所様と一緒に過ごしたササたちは十月一日に京都を去り、兵庫から一文字屋の船に乗って博多に向かった。トゥイたちも一緒なので人数が多く、二隻の船に乗って行った。
 十日めに因島(いんのしま)に着いて、村上あやと再会して、次の日、あやの案内で『大三島(おおみしま)』に着いた。因島から大三島まで、周辺は島だらけで潮の流れも複雑だった。あやがいなかったら簡単には大三島に着けなかっただろう。因島であやに出会えた事をササは神様に感謝した。
 大三島の西側にある宮浦の港に船を泊めて、あやが小舟に乗って上陸した。しばらくして、いくつもの小舟がやって来て、ササたちはそれに乗って川を溯って行った。広い河口の先に船着き場があって、そこから上陸した。目の前に大きな鳥居があって、鳥居の向こうに神様のいる山が見えた。
 あやが刀を背負った娘を連れて来て、
「あたしの弟子のサヨよ」と娘を紹介した。
「大祝(おおほおり)の娘のサヨです。ササさんの噂はあやさんからよく聞いています。まさか、この島に来てくれるなんて思ってもいませんでした。歓迎いたします」
 『大山積神社(おおやまつみじんじゃ)』では宮司(ぐうじ)の事を『大祝』と呼ぶという。サヨはあやより二つくらい年下で、敏捷そうな日に焼けた娘だった。
 ササたちはサヨの案内で参道を進んだ。参道の両側には、お寺がいくつもあって、山伏の姿もあった。覚林坊が言うには、『役行者(えんのぎょうじゃ)』もこの島に来ているという。
 二つ目の鳥居をくぐると御手洗川(みたらしがわ)が流れていて、口をすすいで手足を清めた。橋を渡って、まだ新しい門をくぐって境内(けいだい)に入った。
 サヨの話だと、この島も南北朝の戦(いくさ)の被害に遭って、焼け落ちた僧坊や民家も多く、ここには総門と呼ばれる大きな門があったが、焼け落ちてしまい、やがて再建される予定だが、今は間に合わせとして、この門が造られたという。
 広い境内の中央に大きな木があった。『樹齢二千年の楠(くすのき)』だと聞いて、ササたちは驚いた。二千年前と言えば、まだ神社もない頃だった。この辺りは鬱蒼(うっそう)とした森で、この楠は神様の依代(よりしろ)だったのだろう。
 二千年もここに立って、この島の歴史を見てきた楠は力強く、その生命力の強さに圧倒された。ササは楠に両手を合わせた。ササが両手を合わせたので、皆が見倣って両手を合わせた。トゥイとナーサも両手を合わせていた。
 石段を登って、また門をくぐると拝殿があった。伊予(いよ)の国(愛媛県)の一の宮と呼ばれるだけあって立派な拝殿だった。ササたちはサヨに従ってお参りをした。神様の声は聞こえなかった。
 大山積神社の祭神は『大山積』の神様で、『コノハナサクヤ姫』の父親だという。
 コノハナサクヤ姫は玉依姫(たまよりひめ)様の事だから、大山積の神様ってスサノオ様の事かしらとササは思った。
「本来は山の神様なんだけど、海の神様でもあって、瀬戸内海の水軍は勿論、海で暮らす人たちから信仰されています。戦(いくさ)の神様でもあって、武将たちは刀や鎧(よろい)を奉納して勝利を祈りました。鎌倉の将軍様の頼朝(よりとも)や源義経(みなもとのよしつね)が奉納した刀と鎧もあります」とサヨが説明した。
「この神社は源氏方だったのね?」とササが聞くと、サヨはうなづいて、
「水軍を率いて壇ノ浦の合戦でも活躍したのです」と誇らしそうに言った。
「この神社は水軍を持っているの?」
「島を守るために水軍は必要です。南北朝の戦の時も大三島の水軍は活躍したのですよ」
「サヨは水軍の大将を目指しているのよ」とあやが言った。
「あやと一緒ね」とササは二人を見て笑った。
 本殿の裏には『上津姫(かみつひめ)』を祀る上津社と『下津姫(しもつひめ)』を祀る下津社があって、さらに奥には神宮寺(じんぐうじ)があるというが、日も暮れてきたので、サヨの案内で東円坊の宿坊(しゅくぼう)に向かった。その宿坊は村上水軍も利用しているという。
 帰る途中、ササは楠が生い茂った森の中に見えた小さな神社に何かを感じた。サヨに聞くと弁才天堂(べんざいてんどう)だという。
 ササは行ってみた。池があって、その中に島があり、島の中に弁才天堂があった。
「雨乞いの神様です」とサヨが言った。
「この神社の御神体である安神山(あんじんやま)の山頂に祀られている『龍神様』を弁才天様として祀っているそうです」
「安神山?」とササが言うと、サヨは振り返って指を差した。
「ここからだと見えないけど、向こうにある山です。『安神山』と『鷲ヶ頭山(わしがとうやま)』、神宮寺のある『小見山(おみやま)』の三つの山が、この神社の御神体の山なのです」
「女神山は?」とササが聞くと、サヨは首を傾げた。
「女神山なんて聞いた事がありません」
 おかしいとササは思ったが、明日、伊予津姫(いよつひめ)様に聞こうと思い、橋を渡って弁才天堂の前に行ってお祈りを捧げた。神様の声は聞こえなかった。
 東円坊は参道の北側にあって、その宿坊は思っていたよりも立派だった。宿坊に案内してくれた老僧は、自慢そうにこの宿坊に泊まった人たちの事を教えてくれたが、ササの知らない人たちだった。将軍様は来られたのですかと聞くと来ていないと言った。今度、御台所様を連れて来ましょうとササが言ったら老僧は驚いていた。
 サヨの父親の大祝(おおほおり)(宮司)と大祝の弟の鳥生備中守(とりうびっちゅうのかみ)、サヨの姉のウキが挨拶に来た。鳥生備中守は水軍の大将で、ウキは巫女(みこ)だった。三人は琉球のお姫様がこの島に来てくれたのはありがたいと言って歓迎してくれた。
 料理が次々に運ばれてきて、ササたちはお酒を飲みながら、巫女のウキから島の神様の事を聞いた。
「昔、大山積神社は島の東側の瀬戸の浜にあったようです。わたしたちの御先祖の『オチノマスミ様』が大山積の神様を祀ったのです。大山積の神様は山の神様ですが、渡しの神様とも呼ばれていて航海の神様でもあるのです。それで、流れの速い鼻刳瀬戸(はなぐりせと)に航海の無事を祈って祀ったのです。それから百年余りが経って、今の地に移って、立派な本殿と拝殿が造られました。今から七百年ほど前の事です。何もなかったこの島に、あまりにも立派な神社ができたので、急に人々が集まって来ました。京都の偉いお公家さんや武将たちが供を引き連れてやって来たのです。この島は瀬戸内海の島々の中心となって、『大山積』の神様はあちこちの島に祀られています。壇ノ浦の合戦で、この島の水軍が活躍してからは水軍の神様にもなっています」
「すると、大山積神社の神様は『伊予津姫様』ではないのですか」とササは聞いた。
「えっ?」とウキは驚いた顔をして、「伊予津姫様を御存じなのですか」と聞いた。
「阿波(あわ)の国(徳島県)の大粟神社(おおあわじんじゃ)の『阿波津姫(あわつひめ)様』から聞いてきたのです。お酒好きの神様で、『酔ひ姫(えいひめ)様』って呼ばれていたと聞きました」
 ウキはまた驚いた顔をして、「あなたは神様の声が聞こえるのですか」と聞いた。
「わたしは琉球の巫女です。琉球ではヌルと呼ばれています」
「そうだったのですか」とウキは周りを見回した。
 大祝の姿はなく、鳥生備中守はヤタルー師匠と笑いながら話をしていた。ウキは安心したような顔をしてササを見ると、
「でも、琉球から来たあなたが、わたしたちの御先祖様の神様の声が聞こえるなんて理解できません」と言った。
「わたしの祖母は大粟神社の宮司の娘だったのです」
「あなたのお祖母(ばあ)様は阿波津姫様の子孫だったのですか」
「そうです。大粟神社は古くから巫女が宮司を務めていました。母親の血筋がずっと続いていたのです」
「ここもそうです」とウキは言った。
「えっ?」と今度はササが驚いた顔をして、ウキを見た。
大山積神社には大勢の巫女がいますが、その上に立つ三人の『大巫女(おおみこ)』がいます。その三人の大巫女は『伊予津姫様』の子孫です。母親の血筋がずっと続いています。大山積神社がこの地に移って、越智安元(おちやすもと)様が初代の大祝になりますが、古くからこの島の神様に仕えていた女性が、安元様と結ばれて、大山積神社の巫女になったのです。それからずっと母親の血筋を継いだ娘が巫女を継いで、時には大祝と結ばれました。わたしの母がそうです。大祝は父親の血筋をつなぎ、巫女は母親の血筋をつないできたのです」
「三人の大巫女は妹さんたちなのですか」
「母は三人の娘を産んだので、三人が巫女になればいいんだけど、そううまくはいかないわ。二人は従妹(いとこ)なの。従妹といっても、叔父の娘は資格がないわ。叔母たちの娘なのです」
 ササはあやと話をしているサヨを見た。サヨは大巫女の資格があるのに、巫女にはならなかった。もう一人の姉も普通の生き方を選んだようだ。
「もしかして、あなたはもう跡継ぎがいるのですか」とナナが聞いた。
 ウキは笑ってうなづいた。
「神様のお陰で、三人の娘に恵まれました」
「そうでしたか。おめでとうございます。安心ですね」とササはウキに言ってから、話を戻して伊予津姫の事を聞いた。
「伊予津姫様がこの島に来て、安神山に祀られたのは、大山積神社が今の場所にできる一千年も前の事です。安神山は当時は『女神山』と呼ばれていました。鷲ヶ頭山は『神野山(こうのやま)』です」
「女神山がどうして、安神山になったのですか」
「わたしたちは女神山の事は隠していたのですが、大山積神社が完成した時、都から役人が来たのです。その役人に知られてしまって、大山積の神様を見下ろしている山が女神山とはけしからんと言ったのです。その時、役人が、『女は家の中でおとなしくしていればいい』と言って、『女』にウ冠を付けて『安』にしてしまったのです。神野山の神様が『瀬織津姫(せおりつひめ)様』だという事も知られてしまって、鷲ヶ頭山に変えられてしまいます。そして、今後は瀬織津姫様と伊予津姫様ではなく、大山積の神様に奉仕しなさいと言われます。それだけでなく、都から来た役人たちは女神山と神野山にある古い岩座(いわくら)を破壊しようとまでしたのです。わたしたちの御先祖様は勿論の事、周辺の島々の人たちも大勢集まって来て、役人たちの粗暴を阻止します。島々の人たちは完成した神社をすべて破壊すると役人たちを脅したようです。初代の大祝になった安元様の父親、越智玉澄(たますみ)様が島民たちと役人たちの間に入って、話をうまくまとめました。神野山の山頂に大山積神社の『奥宮(おくのみや)』を造って、大山積の神様を敬う代償として、女神山の山頂に『龍神様』を祀って、境内に池を造って、『弁才天様』を祀るという条件をつけたのです。役人の一存では決められず、遷宮(せんぐう)の儀式は延期となりました。伊予津姫様から聞いた事ですが、当時、伊勢に神宮を造っていて、『アマテラス』の神様を女神として祀って、アマテラスを天皇の皇祖にしようとしていたようです。そのために『日本書紀』という歴史書まで作っていたそうです。その中には、瀬織津姫様は出てきません。当時、水の神様、航海の神様、戦の神様でもある万能の神様の瀬織津姫様は誰もが知っている神様でした。『日本書紀』を正当化するには、瀬織津姫様を抹殺しなければならなかったのです。それで、各地に祀られている瀬織津姫様は、神社が建てられるのと同時に、名前を変えられてしまったようです。武庫山(むこやま)(六甲山)の『広田神社』も熊野の『那智の滝』も駿河の『富士山』も皆、そうです。一年近く経って、ようやく、都から返事が来ました。女神山に龍神様を祀る許可が下りて、山頂に石の祠(ほこら)を祀って、境内に池を作って弁才天様を祀り、ようやく、遷宮の儀式が盛大に行なわれました。立派な神社を見るために大勢の人たちが集まってきました。皆、神様にお祈りしましたが、心の中では瀬織津姫様を思っていたのです。大山積神社とは呼ばず、『大三島明神(おおみしまみょうじん)様』と呼んでいるのは瀬織津姫様の事なのです」
「今でも島の人たちは瀬織津姫様の事を忘れてはいないのですね?」とササは聞いた。
 ウキは悲しそうな顔をして首を振った。
「時の流れには逆らえません。大山積神社ができてから七百年も経っています。この島の本当の神様が瀬織津姫様だという事を知っている人も減ってきています。今から三百年ほど前に、天変地異が起こりました。干魃(かんばつ)が続いたかと思うと、今度は大雨が何日も続いて、疫病(えきびょう)が流行って大勢の人が亡くなりました。それを救ったのが大三島明神様でした。都から勅使(ちょくし)が来て、神社が再建される事になりました。すべてが新しくなりましたが、その時、神宮寺もできたのです。『役行者(えんのぎょうじゃ)様』がこの島に来てから、山伏たちが大勢やって来て、女神山や神野山に行場(ぎょうば)を作って修行していたのです。瀬織津姫様が復活する危険を感じたのでしょう。女神山と神野山は神様の領域であるとして入山を禁止してしまいました。未だに、祭祀(さいし)の時だけ限られた人しか山には入れません。神宮寺ができてからは仏教の色が濃くなって、それぞれの神様に本地仏(ほんぢぶつ)という仏様が加わって、何が何だかわからなくなって、瀬織津姫様の事もだんだんと忘れられてしまったのです」
役行者様はこの島に来たのですね?」
大山積神社ができる前に来たようです。女神山で伊予津姫様と会っています。そして、『薬師山(やくしやま)』に登って、『スサノオ様』が祀ってある事を知って、薬師如来を祀ったのです。それで、今、薬師山って呼ばれているのですよ」
「薬師山にスサノオ様を祀ったのは熊野の山伏ですか」
「もっと、ずっと古いわよ。阿波に行ったのなら知っていると思うけど、『八倉姫(やくらひめ)様』の娘さんがこの島に来たのですよ」
「アイラ姫様の娘さんが‥‥‥」
 アイラ姫はユンヌ姫と一緒に、祖母を連れて琉球に行ったけど、もう帰って来ているはずだった。アイラ姫の娘は鉄の鏃(やじり)の付いた矢をこの島に持って来たのだろうか。
「『ミシマ姫様』って呼ばれて、『鏡山(かがみやま)』に祀られています。伊予津姫様の子孫とミシマ姫様の子孫が一緒になって、この島を守ってきたのです」
 次の日、ササたちはウキの案内で、『入り日の滝』に向かった。滝は安神山の裏側にあって、川に沿った山道を進んで行った。半時(はんとき)(一時間)余りで滝本坊(たきもとぼう)というお寺に着いて、その先に滝があった。
 ササたちは川で手足を清めて、鳥居をくぐって滝に近づいた。古いウタキ(御嶽)のように霊気がみなぎっていた。岩と樹木に囲まれている中、およそ五丈(約十五メートル)の高さから滝は落ちていた。この光景はイシャナギ島(石垣島)の『ナルンガーラの滝』に似ていると思った。きっと、夕日が当たると虹が出るのだろう。
 滝壺の近くに祭壇のような岩があったので、ササたちはそこに行って、お祈りをした。ササに従ったのはヌルたちで、トゥイたち、ヤタルー師匠と修理亮、覚林坊たち、あやとサヨは様子を見守っていた。
「母(阿波津姫)から聞いたわよ。お酒が好きなんですってね」と神様の声が聞こえた。
「一緒にお酒を飲みたいと思ってやって参りました」とササが言った。
 ウキは信じられないと言った顔をしてササを見ていた。ササの話は聞いたが、実際に伊予津姫様と話ができるなんて思ってもいなかった。
「大歓迎よ。今晩、お月様を眺めながら一緒に飲みましょう。楽しみだわ。それにしても随分と大勢連れて来たわね」
「ここにいる人は皆、富士山の裾野の樹海で瀬織津姫様と一緒にお酒を飲んでいます。あの時は丁度、満月でした」
「それも母から聞いたわ。富士山に籠もっていたお祖母様を出してくれてありがとう。お祖母様ったら、あたしの所に来ないで、どこかに行っちゃったのよ。薄情だわ。でも、本当によかったわ。お祖母様が籠もってから五百年以上も経つのよ。その間に色々とあったわ。お祖母様を頼りにしている人たちがいっぱいいたのに、お祖母様は動かない。お祖母様の娘たちや孫たちが頑張って、何とかやって来たのよ。お祖母様に会ったら、愚痴をたっぷりと言ってやるわ」
「伊予津姫様はこの島に来て、大山積神社がある所で暮らしていたのですか」とササは聞いた。
「わたしがこの島に来た時、あそこは湿地帯で、とても暮らせる場所じゃなかったのよ。わたしたちが最初に暮らしたのはここなの。ここから女神山に登って、女神山から神野山に登って、神野山の山頂にお祖母様を祀ったのよ。でもね、仲間が増えて来て、ここでは狭くなって、南に移動したわ。薬師山の北の辺りね」
「何もなかった所に、大山積神社はできたのですね?」
「何もなかったわけじゃないわ。神社が建てられた頃は湿地帯もなくなっていたから、耕して田んぼや畑もあったと思うわ」
「あそこに大山積神社ができる事を許したのですか」
「許すも許さないもないわ。嘘はいつかばれるものよ。立派な神社を建てて、偽の神様を祀っても、本当の神様を隠す事はできないのよ。現に、琉球で生まれたあなたが真実を知ったでしょ」
 そう言ってから伊予津姫は急に黙ってしまった。
「どうしてなの? どうして、あなたがその勾玉(まがたま)を身に付けているの?」と伊予津姫は興奮した声で言った。
 ササには何の事だかわからなかった。
「あなたは一体、誰なの?」
「誰の事ですか」とササは聞いた。
「海の色の勾玉よ」
 青い勾玉を身に付けているのはシンシンだった。シンシンは驚いた顔をして、青い勾玉を見ていた。
「明国(みんこく)から来たファンシンシン(范杏杏)です」とササは言った。
「明国の娘がどうして、その勾玉を持っているの。信じられないわ」
 二百年余り前、厳島(いつくしま)神社の内侍(ないし)(巫女)のアキシノが厳島の浜辺で見つけて身に付け、琉球に行って、読谷山(ゆんたんじゃ)の山の中に埋めた。六年前の地震で穴の中から出て来たのをササたちが見つけて、シンシンが青い勾玉を身に付けた事をササは説明した。
「あの勾玉は伊予津姫様のものだったのですか」
「わたしが母からいただいて、娘にあげたものなの。『吉備津姫(きびつひめ)』はわたしに似てお酒好きな娘で、その勾玉をなくしてしまったのよ。母が『ヌナカワ姫様』からいただいた貴重な勾玉だったのよ。笛が上手で、瀬戸内海の潮の流れをすべて知っている賢い娘だったんだけど、お酒好きが玉に瑕だったわ。あの時、厳島も探したんだけど見つからなかったのよ。まさか、再会できるなんて思ってもいなかったわ」
「アキシノと申します」とアキシノの声がした。
 ウキが驚いて空を見上げた。ササの話に出て来たアキシノがここにいるのが理解できなかった。
「わたしがその勾玉を見つけた時、わたしは神様の声を聞きました。神様から言われた通りに行ったら、その勾玉を見つけたのです。その神様は伊予津姫様ではなかったのですか」
「わたしではないわ。勾玉が厳島にある事を知らなかったもの」
「その勾玉を見つけたわたしは、伊予津姫様の子孫なのでしょうか」
「きっと、そうでしょう。吉備津姫の妹に『安芸津姫(あきつひめ)』がいるわ。安芸津姫は厳島に祀られているので、安芸津姫の子孫かもしれないわね。アキシノが身に付けられたのはわかるけど、明国で生まれたシンシンが身に付けられるなんて‥‥‥」
 伊予津姫はまた黙り込んだ。しばらくして、
「あの娘(こ)、『楚(チュ)の国』に行ったのかもしれないわ」と言った。
「楚の国ってどこですか」とササは聞いた。
「明の国よりずっと昔にあった国よ。その頃、従姉(いとこ)の阿蘇津姫(あそつひめ)が対馬(つしま)に拠点を作って、楚の国とタカラガイの交易をしていたの。その頃の船は小さかったから、一気に大陸まで渡れなかったわ。朝鮮(チョソン)半島に渡って、沿岸を通って楚の国まで行ったのよ。楚の国ではタカラガイを銭として使っていたの。吉備津姫は楚の国には行っていないけど、琉球に行った時に遭難してしまって帰って来なかったの。亡くなってしまったと思っていたけど、もしかしたら、楚の国に流れ着いて、そこで生きていたのかもしれないわ。あの娘が行方不明になって十年もしないうちに、楚の国は秦(チン)の国に滅ぼされてしまったの。戦に巻き込まれて亡くなってしまったのかもしれないけど、娘を産んで子孫を残したのかもしれないわ」
「楚の国と交易していたのなら、そのお船に乗って帰って来られたのではないですか」
「楚の国に行くのは命懸けの長い船旅よ。毎年行っていたわけではないの。それに、楚が滅ぼされて秦になってからは銅銭ができて、タカラガイは必要とされなくなってしまったのよ。秦と交易ができなくなって、大陸には行かなくなってしまったわ。もし、あの娘が楚の国に行ったとしても、帰っては来られなかったのでしょう」
「わたしは海からずっと離れた武当山(ウーダンシャン)の近くの村で生まれました。本当に吉備津姫様の子孫なのでしょうか」とシンシンが伊予津姫に聞いた。
 ウキが驚いた顔でシンシンを見た。
 伊予津姫は笑った。
「あなたがその勾玉を身に付けている事と、わたしの声が聞こえるという事は、あなたはわたしの子孫だわ。そして、吉備津姫の子孫に違いないわ。あの娘が行方知れずになったのは千五百年も前の事よ。きっと、明の国にあの娘の子孫が大勢いるのかもしれないわ。そして、あなたは吉備津姫の娘から娘へとずっと続いている血筋なのよ。あなたがどういう経路でここに来たのかは知らないけど、それは生まれた時からの運命(さだめ)だったのよ」
 シンシンは青い勾玉を見つめながら、伊予津姫が言った事を考えていた。突然の事で頭の中は混乱していたが、琉球に行ったのも、ササと一緒に神様の事を調べたのも、すべて、神様に導かれた運命だったのだと思った。
「ササには驚かされるわね。まさか、娘の消息がわかるなんて思ってもいなかったわ。今晩、ゆっくりと話しましょうね」
 ササたちはお祈りを終えて、伊予津姫と別れた。
「シンシン」とササが言って、シンシンの肩をたたいて笑った。
「あなたも瀬織津姫様の子孫だったのよ」
「驚いたわね」とナナが言った。
「青いガーラダマ(勾玉)なんて滅多にないから貴重なものだって知ってはいたけど、阿波津姫様がヌナカワ姫様からいただいたガーラダマだったなんて凄いわ」
瀬織津姫様は気づかなかったけど知らなかったのかしら?」とカナが言った。
瀬織津姫様はヌナカワ姫様が武庫山で亡くなってから那智に行ったわ。きっと、娘さんのヌナカワ姫様だと思うわ。娘さんが武庫山に来た時、阿波津姫様がシンシンのガーラダマをいただいたのよ」
「阿波津姫様も気づかなかったわよ」
「阿波津姫様は気づいたんだと思うわ。それで、大三島に行きなさいって言ったのよ」
「そうね」とカナはササの言った事に納得した。
「あなたたち、みんな、神様の声が聞こえるの?」とウキが聞いた。
「若ヌルたちはまだ聞こえない子もいるわ」
 ウニチルとミワが恥ずかしそうにうつむいた。
「大丈夫よ。あなたたちももうすぐ聞こえるようになるわ」とササは二人に言った。
 滝から滝本坊に行って、巫女が出してくれたお茶を飲みながら一休みした。
「伊予津姫様が一緒にお酒を飲みましょうっておっしゃったけど、どういう意味ですか」とウキがササに聞いた。
「言葉の通りです。申し訳ありませんが、お酒と料理の準備をお願いします」
「それは構わないけど、神様が現れて、お酒を飲むのですか」
 ササはうなづいた。
 ウキは信じられないといった顔をしていた。
 一旦、東円坊に帰って、夕方になると、ササたちはお酒と料理を持って滝本坊に戻った。ヌルたち全員と護衛のためにヤタルー師匠と修理亮と覚林坊が従い、ウキは大巫女のトクとハツを連れて来た。
 滝本坊の裏に滝が見えるいい場所があるというので、そこに行って酒盛りの準備をした。思っていたよりも広い場所だったが、木に隠れて滝はよく見えなかった。
 ササ、シンシン、ナナ、カナ、ハマ、タミー、喜屋武ヌル、玻名グスクヌル、八人の若ヌルたち、三人の大巫女たちが焚き火を囲んで酒盛りを始めた。ヤタルー師匠と修理亮と覚林坊は滝本坊で待っていてもらった。
 日が暮れて、東の空から十二日の月がササたちを照らした。
「本当に神様が現れるの?」とウキがササに聞いた。
「約束したんだから現れると思うけど」と言って、ササは星空を見上げた。
「笛よ」とシンシンが言った。
 ササはうなづくと笛を出して吹き始めた。
 瀬戸内海の船旅を思い出しながらササは笛を吹いていた。博多から兵庫へ向かう途中、いつも、この島の近くを通っていた。あやから大山積神社の事は聞いていても興味はなかった。南の島で瀬織津姫様を知って、富士山で瀬織津姫様と出会い、四国に行って阿波津姫様と出会って、ようやく、この島にやって来た。以前、セーファウタキ(斎場御嶽)に行きたいと母に行ったら、行くべき時が必ず来るから、それまで待ちなさいと言われた。この島の近くを通っても、この島に来なかったのは、まだ来るべき時ではなかったに違いない。そして、今、来るべき時に来たのだった。瀬織津姫様を隠すためにあれほど立派な大山積神社を造ったという事は、この島は伊勢と同じように重要な島に違いなかった。
 ウキたちはササの吹く笛の調べに感動していた。ササが知っているはずはないのに、古い神楽(かぐら)の調べによく似ていた。似ているというより、ササの笛の方が神々しく、まるで、神様が吹いているように聞こえた。この調べを聴いたら、神様が現れるというのもうなづけるような気がした。
 突然、まぶしい光に包まれた。皆が目を閉じて、目を開けると神様がいた。『ユンヌ姫』、『アカナ姫』、『アキシノ』、『トヨウケ姫』と初めて見る神様が二人いた。
琉球に行って来たわよ」と笑ったのはアイラ姫の声だった。
 『アイラ姫』は弓矢の名人で、山の中を走り回っていたと聞いているが、そんな風には見えない美しい神様だった。もう一人はユンヌ姫の娘の『キキャ姫』で、母親に似て、いたずら好きそうな可愛い娘だった。
 ササはウキたちに神様たちを紹介した。神様を見るのが初めてのウキたちは急にかしこまって挨拶をした。
 ササが若ヌルたちを見ると眠ってはいなかった。皆、目を丸くして神様たちを見ていた。その中にウニチルとミワもいた。
「あなたたちも許されたのね」とササは若ヌルたちに言った。
「えっ?」とマユが言って、「これは夢ではないのですね」と聞いた。
 若ヌルたちは顔を見合わせて喜んだ。そして、ウニチルとミワを見て、
「あなたたちも神様の声が聞こえるようになったの?」とカミーが二人に聞いた。
「えっ?」と言って、二人は神様たちを見た。
「よかったわね」とユンヌ姫が言った。
「聞こえたわ」と言って、ウニチルとミワは手を取り合って喜んだ。
 再び、まぶしい光に包まれて、目を開けると、四人の女神様たちがいた。
「飲み仲間を連れて来たわ」と言ったのは伊予津姫の声だった。
 『伊予津姫』は弓矢を背負って、腰に石斧(いしおの)を差し、毛皮を着込んで猟師のような格好をしていた。生きていた頃はその格好で丸木舟に乗って、瀬戸内海を走り回っていたのだろう。ササの視線に気づくと恥ずかしそうに笑って、「着飾って来ようと思ったんだけど、あなたたちの格好に合わせたのよ」と言った。祖母の瀬織津姫に似ている美人だった。
 伊予津姫の飲み仲間は娘の『安芸津姫』とアイラ姫の娘の『ミシマ姫』と『ムナカタ姫』だった。ミシマ姫とムナカタ姫は母親がいるのに驚いて、
「どうして、お母様がここにいるの?」と聞いた。
「あなたたちが調子に乗って飲み過ぎないように見に来たのよ。いつも飲み過ぎて『酔ひ姫(えいひめ)様』に迷惑を掛けているでしょ」
「始めるわよ」と伊予津姫が言って、それぞれが酒杯(さかづき)にお酒をついで、酒盛りが始まった。
 ウキは御先祖様の伊予津姫の姿を見て感激していた。男のような勇ましい格好は想像もしていなかったが、美しい顔立ちはウキが思っていた通りだった。
「わたしがこの島に来たのは、この島に大きな楠がいっぱいあったからなのよ。楠を切って、丸木舟をいくつも造ったわ。その舟に乗って、琉球にも行ったのよ。貝殻をいっぱい積んで帰って来たわ」
 伊予津姫の昔話を聞いていた時、ヴィーナの調べが聞こえてきた。
「サラスワティ様よ」とナナが言って、星空を見上げた。
「わしらも仲間に入れろ」と言ったのはスサノオの声だった。
 まぶしい光のあと、『スサノオ』と『瀬織津姫』、『サラスワティ』が現れた。クメールの国(カンボジア)の衣装なのか、三人とも異国の着物を着ていた。よく似合ってはいるが、ちょっと寒そうに見えた。
「お前がこの島に来たとは驚いたのう」とスサノオがササに言った。
「この島はわしが瀬戸内海を平定する時、拠点にした島なんじゃよ。島の神様に仕えていた『ウテナ姫』という美しい娘がいてのう、わしはウテナ姫といい仲になって、娘の『イクラ姫』が生まれたんじゃよ。この事は未だに、豊玉姫(とよたまひめ)にも稲田姫(いなだひめ)にも内緒なんじゃ」
 スサノオは伊予津姫を見て、「ウテナ姫はそなたの子孫ですか」と聞いた。
 瀬織津姫と話をしていた伊予津姫はスサノオを見て、うなづいた。スサノオはウキたちを見ると、「そなたたちがイクラ姫の子孫かのう」と聞いた。
「はい。さようでございます」とウキはやっとの思いで答えた。
 伊予津姫の姿を見ただけでも驚いたのに、瀬織津姫スサノオが現れるなんて、ウキの頭の中はあまりの驚きで真っ白になっていた。そして、神宮寺が建てられた時の事を思い出した。
 あの時、鳥羽上皇の勅命で、上津社と下津社も建てられた。上津社は『雷神』を祀り、下津社は『高龗(たかおかみ)』を祀った。鳥羽上皇の内密の命令で、上津社の本当の神様は『スサノオ』だと言われ、下津社には島の神様を祀ってもいいと言われたという。鳥羽上皇は何度も熊野参詣をしているスサノオの信奉者だった。この島とあまり関係のないスサノオを祀ってもいいものか、その時の大巫女は伊予津姫に相談した。伊予津姫は笑って、スサノオはあなたたちの御先祖様だから何の問題もないと言って、わたしを祀る事を許されたのだから、その通りにしなさいと言った。その話を聞いた時、スサノオは有名な神様だから、伊予津姫と関係があるのかもしれないと思っただけだったが、実際にスサノオの娘が御先祖様にいたなんて初めて知った事だった。
 本殿の裏に上津社と下津社はあるが、上津社は出雲の方を向いて北向きに、下津社は安神山の方を向いて南向きに、お互いに向き合って建てられていた。
「わたし、イクラ姫様に会いましたよ」とミシマ姫が言った。
「そなたは誰じゃ」とスサノオは聞いた。
「アイラ姫の娘のミシマ姫です」
「おう、そうか。お前がこの島を守ってくれたのか」
イクラ姫様の孫娘の『イキナ姫』がわたしと同い年で、二人で協力して、この島を守ったのです」
 ササがサラスワティを見ると、サラスワティは笑って、「また会ったわね」と言った。
 この前、サラスワティと会ったのはトンドにいた正月だった。あれから色々な事があったので、随分と昔のように感じられた。
 月空の下、神様たちとの酒盛りは賑やかに続いていった。

 

 

 

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