長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-225.祝い酒(改訂決定稿)

 ミーグスクでヤンバル(琉球北部)の長老たちの歓迎の宴(うたげ)をしていた頃、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの一の曲輪(くるわ)の屋敷の二階で、サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)が、キンタ(奥間大親)と真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)の手柄話を肴(さかな)に酒を飲んでいた。
「奥間(うくま)の炎上を聞いたのは翌日の事でした」と真喜屋之子が言った。
今帰仁(なきじん)の城下でお芝居を上演していたら、急に騒がしくなって、奥間炎上の噂が流れたのです。奥間が大火事になって、大勢の人たちが亡くなったという噂で大騒ぎになって、お芝居も中断されました。その時は何でそんな事になったのかわからず、しばらくして、山北王(さんほくおう)(攀安知)の仕業だとわかって、また大騒ぎになったのです。お芝居どころではないので、次の日は休んで、その翌日、志慶真(しじま)村で上演していたら、『まるずや』のマイチさんが来て、国頭(くんじゃん)の『まるずや』に行けと言われて、国頭に向かったのです」
「羽地(はにじ)にいたら一緒に行こうと思ったんだが、今帰仁に行ったと聞いて、配下の者を今帰仁に送ったんだよ」とウニタキが言って、松堂(まちどー)のお土産のピトゥ(イルカ)の塩漬け(すーちかー)を食べた。
 サハチとキンタもピトゥの塩漬けに手を出した。程よい塩加減でうまかった。
「国頭に行って、クミに会ったんだな?」とサハチが真喜屋之子に聞いた。
「まずは『まるずや』のダキさんから国頭の状況を聞きました。俺が中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の使者だと証明する書状もダキさんから受け取りました。国頭按司は奥間に使者を送って、村は焼けたけど全員が無事だったという事を知っていました。それでも、奥間の人たちにはお世話になっているので、山北王の仕打ちを怒っているという事がわかりました。クミと相談して、俺は正体を明かす覚悟を決めたのです。クミの家の隣りに湧川大主(わくがーうふぬし)の側室が住んでいると聞いて驚きました。湧川大主に知られたら、何もかもが終わってしまう。細心の注意を払って、クミと一緒に喜如嘉之子(きざはぬしぃ)と会いました。ヤマトゥンチュ(日本人)の格好していたので気づきませんでしたが、俺が名乗ると喜如嘉之子は俺をじっと見つめて、生きていたのかと言いました。俺がわけを話して、中山王の使いで来たと言ったら、腰を抜かさんばかりに驚いて、喜如嘉の長老の所に連れて行ったのです」
「喜如嘉之子というのは長老の孫なのか」とサハチは聞いた。
「そうです。長老の跡を継いで水軍の大将になった喜如嘉大主(きざはうふぬし)の息子です。水軍のサムレーなので、国頭の城下から少し離れた水軍の本拠地の喜如嘉にいます。長老は隠居したあと、按司の相談役になって国頭の城下に住んでいます。十年余り前、喜如嘉之子と一緒に明国(みんこく)に行ったあと、俺は長老に会っているのです。俺が馬天浜(ばてぃんはま)にいた頃の剣術の師匠だった人を長老は知っていて、夜遅くまで武芸の話に熱中しました」
「苗代大親(なーしるうふや)だな。当時は苗代之子(なーしるぬしぃ)と言っていた」とサハチは言った。
「そうです。今もあの道場はあるのですか」
「ある。当時の道場主は越来按司(ぐいくあじ)になって、苗代之子は首里(すい)のサムレーの総大将になっている。越来按司の息子が道場主になって、佐敷のサムレーたちを鍛えているんだ」
「そうでしたか」と言って、真喜屋之子は酒を一口飲んだ。
 当時を懐かしく思い出しているようだったが、サハチは話の続きを促した。
「喜如嘉の長老は俺を見て驚いて、よく生きていてくれたと言いました。中山王の書状を見せて、中山王が山北王を攻める事を伝えると、長老は喜びました。国頭按司から内密に山北王を攻める事を知らされていたそうです。鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めで多くの兵を戦死させてしまい、じっと我慢していたが、奥間を焼き払った事で、もう我慢の限界を超えたと按司は言ったそうです。しかし、国頭だけでは駄目だ。羽地と名護(なぐ)も裏切らせなければならないので、これから作戦を練ろうと考えていたそうです。中山王が動いてくれるのなら、喜んで、それに乗ろうと言ってくれました。長老と一緒に国頭按司と会って、国頭按司もうなづいてくれましたが、『屋嘉比(やはび)のお婆』の許しを得なければならないと言いました。屋嘉比のお婆はヌルたちを連れてウタキ(御嶽)に入りました。丁度、その時、旅芸人たちが国頭にやって来て、広場でお芝居を上演しました。俺は打ち合わせのために、旅芸人たちより先に来たという事になっていたので、湧川大主の側室にも怪しまれませんでした。子供たちと一緒にお芝居を観ながら、屋嘉比のお婆がウタキから出て来るのを待っていたのです」
「神様のお許しが出たのだな?」とサハチは聞いた。
「はい。屋嘉比のお婆の許しが出て、国頭按司の離反は決まりました。
 屋嘉比のお婆は『アキシノ様』の子孫だった。アキシノ様が『中山王と一緒に山北王を攻めろ』と言ってくれたのかもしれないとサハチは思った。
「俺は喜如嘉之子と一緒に羽地に行きました。ヤマトゥのサムレー姿だと怪しまれるので、喜如嘉之子の荷物持ちに扮しました。『まるずや』に行って状況を聞いて、按司を初めとして、みんなが怒っている事がわかりました。羽地にも湧川大主の側室がいる事を聞いたので、注意しながら我部祖河(がぶしか)の長老と会いました。一緒に明国に行った饒平名大主(ゆぴなうふぬし)に会おうかと思いましたが、奴は口が軽いので会うのはやめました。我部祖河の長老は喜如嘉の長老の義弟で、喜如嘉之子もよく知っていたのです。我部祖河の長老は中山王の書状を見せたら驚きましたが、国頭按司が山北王攻めに加わる事を伝えると、羽地按司の母親は奥間出身なので、皆、怒ってはいるが、山北王を裏切る事ができるかどうかは難しいと言いました。先々代の今帰仁按司(帕尼芝)はわしの兄で、今の今帰仁按司は兄の孫だ。今帰仁按司と羽地按司は同族だから寝返るには余程の覚悟がいるだろうと言いました。我部祖河の長老が羽地按司に話すというので、長老に任せました。そんな時、キンタさんが羽地に来て、今、湧川大主が羽地にいると教えてくれました。あの時は本当に生きた心地がしませんでした」
「『まるずや』に行って、真喜屋之子がどこにいるのか聞こうと思ったら、『まるずや』から湧川大主が出て来たので驚きましたよ」とキンタが言った。
「湧川大主は何を買いに来たんだ?」とウニタキが聞いた。
「息子の着物を買いに来たようです」
「なに、奴が倅の着物をか」とサハチは驚いた。
「特別な着物を頼んでいたようです。湧川大主の側室のメイはよく来るそうですが、湧川大主が来たのは初めてだとチマさんは言っていました」
「そうか」とサハチはうなづいて、真喜屋之子に続きを促した。
「俺はキンタさんと一緒に鍛冶屋(かんじゃー)の家に隠れていました。次の日、サタルーさんが来て、湧川大主が側室と子供を連れて運天泊(うんてぃんどぅまい)に行ったと知らせてくれたのです。ホッと胸を撫で下ろしましたよ」
「お前の腕なら湧川大主も倒せるだろう」とウニタキが言った。
「湧川大主一人が相手なら倒せるかもしれませんが、護衛の者たちがいれば、逆にやられるかもしれません」
「お前にも陰の護衛は付いていたんだ」とウニタキが笑った。
「それで、返事はもらえたのか」とサハチが真喜屋之子に聞いた。
「羽地按司も最後の決断はヌルに頼ったようです。仲尾(なこー)ヌル(先代羽地ヌル)と羽地ヌルがウタキに籠もりましたが、結論が出せず、羽地ヌルが国頭まで行って、『屋嘉比のお婆』にお伺いを立てたようです。羽地ヌルが帰って来て、ようやく、羽地按司も決心を固めました」
「屋嘉比のお婆というのは凄いヌルらしいな」とウニタキが言った。
「九十歳を過ぎたお婆で、歩くのもやっとだったのに、安須森(あしむい)に着いたら曲がっていた腰もシャキッとして誰の手も借りずに登ったと言っていたよ。ヤンバルのヌルたちは皆、屋嘉比のお婆には逆らえないようだ」とサハチは奥間ヌルから聞いた話をした。
「国頭と羽地が寝返れば、名護は簡単だっただろう」とサハチは真喜屋之子に聞いた。
「我部祖河の長老が一緒に来てくれたので、松堂殿と会う事ができました。松堂殿は俺を見て驚いていましたよ。中山王の使者として来たと言ったら信じられないと言った顔をしていました。松堂殿は山北王の奥間攻めにかなり怒っていて、中山王が山北王を倒すのなら、勿論、大賛成じゃと言ってくれました。名護には湧川大主の側室がいないと聞いて、ホッとしましたよ。我部祖河の長老と松堂殿と一緒に名護按司にも会いました。名護按司も、国頭按司と羽地按司が山北王を見限ったのなら、話に乗らないわけにはいかないと言いました。一応、ヌルにお伺いを立てて、話はまとまりました」
「名護ヌルは屋嘉比のお婆に会いに行かなかったのか」とウニタキが聞くと、
「仲尾ヌルが一緒に来て、お婆の言葉を名護ヌルに伝えたようです」と真喜屋之子は言った。
「うまく行ったのは、屋嘉比のお婆のお陰だな」
「屋嘉比のお婆はシジマも助けている。シジマが志慶真ヌルになれば、志慶真村も寝返る事になって完璧だ。戦(いくさ)の準備は整った。祝い酒と行こう」
 サハチは楽しそうに笑って、みんなと乾杯をした。


 その頃、山北王の攀安知(はんあんち)は沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)でクーイの若ヌルを相手に酒を飲んでいた。
 この島を去って今帰仁に帰ってからの一月は、一年とも思えるほど長かった。
 帰った途端、奥間ヌルの娘の父親が島添大里按司だと知らされて、かっとなって奥間を攻めろと命じた。中山王と通じている鍛冶屋の村を焼き払った所で大した事にはなるまいと思っていたが、これが大間違いだった。民衆たちが大騒ぎをして、奥間を攻めた並里大主(なんじゃとぅうふぬし)と仲宗根大主(なかずにうふぬし)は石を投げられたという。
 あまりの反応に驚いた攀安知は、中山王が攻めて来ないかと不安になって、義弟の愛宕之子(あたぐぬしぃ)を首里に送った。叔父の国頭按司、従弟の名護按司と湧川大主の義弟の羽地按司の様子も調べさせた。三人の按司たちも怒っているようだが、怒った所で、山北王に逆らうほどの度胸はあるまいと思った。問題は中山王だった。中山王が動けば、三人の按司も寝返る可能性があった。三人の按司たちは何度も使者を送って来たが、会う事もなく、皆、追い返していた。
 騒ぎが治まるまではグスクから出る事もできず、十歳になった次男のフニムイを相手に弓矢の稽古に励むしかなかった。
 愛宕之子が帰って来たのは二月十二日だった。愛宕之子の顔付きを見て、何の問題もなさそうだと安心した攀安知は、愛宕之子から南部の様子を聞いた。
首里の城下も奥間の事で大騒ぎしていました。しかし、中山王が動く気配はありません。玻名(はな)グスクは一番奥間とつながっているので、戦の準備をしているかもしれないと行ってみましたが驚きました。高い石垣に囲まれた立派なグスクなのですが、中にいるのは兵たちではなくて、若い職人たちでした。あそこは職人を育てる稽古場なんです」
「何だと?」と攀安知はポカンとした顔で言った。
「一応、御門番(うじょうばん)はいるのですが、見物をしたいと言ったら簡単に中に入れました。若い者たちが鍛冶屋、木地屋(きじやー)の修行をしていて、弓矢の稽古をしている者がいたので、やはり、兵もいるのかと思ったら、猟師(やまんちゅ)の修行をしている者たちでした。近くの森では木を伐る稽古と炭を焼く稽古もしていると言っていました」
「何というグスクだ」と攀安知は呆れた。
「辺土名(ふぃんとぅな)に避難している奥間の奴らもみんな、そこに行けばいい」
「玻名グスクの城下に滞在して、奴らの様子を探ってみましたが、みんなが奥間の事を怒っているのは確かです。やけ酒を飲んで、中山王はどうして山北王を攻めないんだと愚痴っていました。自分たちで攻めようとは思っていないようでした。首里に戻ったら、朝鮮(チョソン)から使者が来たと騒いでいました」
「朝鮮の使者?」
倭寇(わこう)にさらわれた朝鮮人(こーれーんちゅ)を探しに来たようです。琉球中を探すみたいで、そのうち、今帰仁にも来ると思います。朝鮮の使者は中山王がヤマトゥに送った交易船と一緒に来たようで、浮島(那覇)の『那覇館(なーふぁかん)』で朝鮮人たちの歓迎の宴をやって、首里の『会同館』でヤマトゥに行った者たちの帰国祝いの宴をやってと、中山王も大忙しだったようです。二月になって、新しくできたお寺(うてぃら)の完成の儀式をして、会同館の近くに大きな池を造るらしくて、人足たちが集まって来て、木を伐り始めました。二月九日には例年通り、首里グスクのお祭り(うまちー)が賑やかに行なわれましたし、戦を始めるような気配はどこにもありません」
「そうか。そうだろうな。いくら、奥間の者たちと親しくしていようが、奥間のために戦を始めるわけにもいくまい。南部の按司たちが納得するわけがない」
 奥間攻めから一月が経って、城下の騒ぎも治まり、攀安知はクーイの若ヌルのマナビダルに会いに行ったのだった。
「お前の顔を見て、やっとホッとしたよ」
「本当に奥間を攻めるなんて思ってもいませんでした」とマナビダルが言った。
「俺も驚いたよ」と攀安知は笑った。
「あなたは山北王ですよ。何でもできるのです。ねえ、わたしのために、正妻のマアサ様と側室のクン様を追い出して」
「何だと?」
「二人がいなくなれば、わたしは今帰仁グスクに入れるわ」
「ここじゃあ不満だというのか」
「だって、あなたが来るのを待っているのが、とても辛いのよ。ずっと、一緒にいたいわ」
「俺も一緒にいたいさ」
「マアサ様と一緒になったのは先代の中山王(武寧)と同盟したからでしょ。先代の中山王はもういないのに、一緒にいる必要はないわ。クン様の子供たちは二人とも南部に行っちゃったし、もう子供も産めないし用はないわ。二人がいなくなれば、わたしは今帰仁に行けるのよ」
 確かにマナビダルの言う通りだが、マアサには十三歳の娘、ウトゥタルがいた。ウトゥタルをお嫁に出すまでは無理だろう。お嫁で思い出したが、ウクの娘のママキが十七歳になっていた。母親と一緒にお芝居に夢中になっているが、ママキを南部にお嫁に出そうか。そうすれば、また南部に兵が送れる。手頃な相手がいるかどうか調べさせようと思った。
「マアサを追い出さなくても、来年の今頃は首里にいる。お前は中山王になった俺の正妻だよ」
「それなら、いいわ」とマナビダルは嬉しそうに酒を口に運んだ。


 その頃、湧川大主は玉グスク村の玉グスクヌルの屋敷の庭で、村人たちに囲まれて、楽しそうに祝い酒を飲んでいた。
 奥間炎上の噂を聞いて、兄貴が怒りに任せて、やっちまったかと嘆いた湧川大主は、割目之子(わるみぬしぃ)を奥間に送って様子を探らせた。家々は全焼したが、戦死者は出ていないようだと聞いて、少し安心した。亡くなった者がいなければ、時が経てば民衆の怒りも治まるだろう。
 羽地、名護、国頭の三人の按司たちの動きも探らせた。奥間炎上の噂を聞いた按司たちは怒っていたが、使者を奥間に送って、全員無事だと聞いてからは怒りも少しは治まったようだった。首里から旅芸人たちが来ていて、各地を回ってお芝居を演じていたのも、奥間から目をそらせる効果があったのかもしれない。旅芸人たちは中山王のために各地の情報を集めているが、今回はいい時に来てくれたと湧川大主は密かに感謝していた。
 『油屋』にいる配下からの情報によると、朝鮮から使者が来たので中山王は忙しく、新たに大規模な庭園造りも始めたという。首里グスクのお祭りも例年通りに行なわれたし、戦をするような気配はないという。去年、首里見物をした松堂夫婦が喜如嘉の長老夫婦と我部祖河の長老夫婦を連れて、『まるずや』の船に乗って首里見物に出掛けたようだが、三人はすでに隠居しているし、義兄弟の間柄なので、別に気にする事もないと思った。
 兄貴がどうして急に奥間を攻めたのか、その理由はわからなかったが、一月が経って、ようやく、今帰仁グスクにいる配下の侍女が探り出した。やはり、奥間ヌルの娘の父親が島添大里按司だと知って、かっとなったようだ。湧川大主は奥間ヌルに会った事はないが、攀安知が若い頃、奥間に行って、奥間ヌルはいい女だと言ったのを覚えていた。その時、ヌルというのはマレビト神と結ばれるそうだと攀安知は言っていた。奥間ヌルのマレビト神が島添大里按司だと聞いて、今まで抑えていた怒りが爆発してしまったに違いなかった。
 昔の事を思い出していたら、十年前に出会った玉グスクヌルの事を思い出した。
 あれは中山王(思紹)が先代の中山王(武寧)を殺して、完成したばかりの首里グスクを奪い取った年だった。明国から帰って来た真喜屋之子が弟のサンルータを殺して逃亡した。真喜屋之子を探し回っていた湧川大主は、玉グスク村で玉グスクヌルのユカと出会った。
 ユカは湧川大主が来るのを待っていたと言って、屋敷に連れて行った。二十代半ばの妖艶な女だった。屋敷の文机(ふづくえ)の上に大きな水晶玉があって、これを見て、あなたが来るのがわかったとユカは言った。
「俺に何か用か」と湧川大主が聞くと、
「用があるのはあなたでしょ」と言って、湧川大主が真喜屋之子を探している事を知っていた。
 若ヌルの時、湧川大主の祖父が戦死して、湧川大主の父親が山北王になる事もわかったし、先代の山北王が病死して、湧川大主の兄が山北王になる事も、前もってわかっていたとユカは言った。そして、真喜屋之子は倭寇の船に乗ってヤマトゥに行ったから、当分は戻って来ないでしょうと言った。その後の事はよく覚えていない。運天泊に帰ったら三日が過ぎていて、夢でも見ていたようだと驚いた。
 その時、運天泊に明国の海賊が来ていて忙しく、中山王が山北王に贈った側室のハビーを兄貴から譲り受けたので、ユカの事は忘れた。
 そう言えば、マジニが浦添(うらしい)から逃げて来たのもその年だった。その頃の湧川大主はマジニに何の興味もなかった。ユカに限らず、ヌルの言う事を信じてはいなかった。神様の存在は否定しないが、ヌルが神様と話ができるなんてあり得ないと思っていた。皆、でまかせを言っているに違いない。ユカは若ヌルの時に様々な事を予見したと言ったが、嘘をついているに違いないと思っていた。奄美大島(あまみうふしま)でマジニといい仲になってからは、シジ(霊力)の高いヌルは神様の声が聞こえるようだと考えを改めていた。
 思い出したついでに、湧川大主は十年振りにユカに会いに行った。
 前回と同じように、ユカは湧川大主を待っていた。
「俺が来るのがわかったのか」
「随分とつれないわね。あのあと、あなたはきっとまた来ると待っていたのに全然来なかったわ」
「あの頃の俺はヌルを信じていなかったんだ。お前の言う事はみんなでまかせだと思っていたんだよ」
 ユカは笑って、「今日はどういう風の吹き回しなの?」と聞いた。
「お前の言う事を信じてみようと思って、久し振りに会いに来たんだ」
「まあ、嬉しい事を言うわね」
 以前と同じように水晶玉があったので、
「真喜屋之子が今、どこにいるのかわかるか」と湧川大主は聞いてみた。
「真喜屋之子?」
 ユカは覚えていなかった。
「俺の弟を殺した奴で、ヤマトゥに逃げたと言っただろう」
「ああ、そんな事があったわね。まだ、その人を探しているの?」
「弟の敵(かたき)だからな」
「ヤマトゥに行って、向こうで武将になって活躍しているんじゃないの。将軍様にお仕えしているかもしれないわ」
「でまかせを言うな」
 ユカは楽しそうに笑った。
「今のはでまかせよ。そんな昔の人には興味がないわ。それに遠いヤマトゥにいる人の事なんてわからないわ」
「もう戻って来ているかもしれないだろう」
「あなたが探しているのに戻って来るわけないわ。あなたが死んだら戻って来るかもね」
 湧川大主はユカの顔を見て笑った。あれから十年が経っているので、ユカは三十の半ばのはずだが、そんな年齢(とし)には見えなかった。自分だけが年齢を取ったように感じた。
「先に起こる事が見えるんだろう。何か大事件でも起きそうか」
「山北王と中山王の戦が起きそうね」とユカは真面目な顔をして言った。
「それはいつだ?」
「まだはっきりとはわからないけど、今年中よ」
 今帰仁グスクの侍女の話によると、去年の九月、兄貴は南蛮(なんばん)(東南アジア)の王女たちと会ったあと、来年は中山王を攻めるかとぽつりと言って、作戦を練っていたようだという。今年、攻めるとすれば、冬だろう。それまでに、南部にいる若按司のミンを山南王(さんなんおう)にするつもりなのか‥‥‥
「どっちが勝つ?」
「勿論、山北王よ」とユカは笑いながら言った。
 十歳くらいの可愛い娘が現れて、
「お父さんがヤマトゥから帰って来たわよ」とユカが娘に言った。
 湧川大主は驚いて、娘とユカを見た。
「本当にお父さんなの?」と娘がユカに聞いた。
「ヤマトゥは遠い国だから、やっと帰って来られたのよ」と娘に言ってから湧川大主を見て、「ミサキよ」と名前を教えた。
「お父さん?」とミサキが湧川大主を見つめた。
 湧川大主は笑って、「ミサキか。大きくなったな」と言った。
「十年振りに帰って来たんだから、ゆっくりしていってね。ミサキのためにも」
 今は謹慎中だし、それもいいかもしれないと湧川大主は思った。
 ユカが御馳走を作っている間、湧川大主はミサキと一緒に村を散歩した。出会う人に、お父さんが帰って来たとミサキが言うので、村人たちは驚いた。本名を名乗るわけにいかないので、ヤマトゥの将軍様に仕えている川上次郎(かわかみじるー)と名乗った。川上というのは薩摩(さつま)の島津家の家臣で、毎年、今帰仁に来ているサムレーだった。たまたま頭に浮かんだので、川上を名乗って、童名(わらびなー)のジルータのジルーを付けたのだった。
 ミサキのお父さんが帰って来たと村中の人たちが集まって来て、ヌルの屋敷の庭で川上次郎の帰国祝いの宴が開かれた。
 村人たちと一緒になって、楽しそうに酒を飲んでいる湧川大主を見ながら、随分と変わってしまった事にユカは気づいていた。

 

 

 

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