長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-234.志慶真曲輪(改訂決定稿)

 外曲輪(ふかくるわ)を攻め落とした日の朝、サグルー(山グスク大親)、ジルムイ(島添大里之子)、マウシ(山田之子)、シラー(久良波之子)とキラマ(慶良間)の島で師範だったタク(小渡之子)が率いる兵たちは、搦(から)め手の志慶真御門(しじまうじょう)に向かった。
 総大将はサグルーだった。サグルーは島添大里(しましいうふざとぅ)の若按司だが、三年前の十一月に与那原大親(ゆなばるうふや)に任命され、翌年の四月に山グスク大親に任命された。ジルムイ、マウシ、シラーの三人はサムレー大将としてサグルーに従った。
 山グスクには険しい崖があり、大岩もあって、今帰仁(なきじん)グスクを攻めるための岩登りの訓練をするのに最適な場所だった。キラマの島から来た若者たちで編成された山グスクの兵は、二年余りも岩登りの訓練を続けて、様々な工夫もしていた。
 サグルーは山グスク大親として、山グスクの百人の兵を引き連れて今帰仁攻めに参加するつもりだったが、ジルムイ、マウシ、シラーも大将としてキラマの若者たちを率いる事になった。搦め手攻めの総大将になったサグルーは全隊を見なければならないので、山グスクの兵たちはマウシに任せる事にした。誰よりも岩登りが得意なマウシが、山グスクの兵を率いる最適任者だった。
 今帰仁の城下から志慶真(しじま)村に向かう道を通るとグスクから狙い撃ちにされるので、サグルーたちは森の中に入って志慶真村を目指した。山刀(やまなじ)で草木を刈りながら苦労して志慶真村に着くと、奥間(うくま)のサタルーが『赤丸党』の者たちを率いて待っていた。
「兄貴、派手な敵討(かたきう)ちをしましたね」とサグルーがサタルーに言った。
「前もって、戦(いくさ)の邪魔になりそうな家々を焼いてしまおうと思って火を付けたら、強風が出て来て、みんな燃えちまったんだよ」とサタルーは笑った。
「サタルー兄貴、ひでえよ」とマウシが言った。
今帰仁の遊女屋(じゅりぬやー)を楽しみにしていたんですよ」
「お前、馬鹿か」とジルムイがマウシを小突いた。
「戦が始まれば、遊女屋だって逃げて行く」
「遊女(じゅり)たちが炊き出しを手伝ってくれると思ったんだけどな」
 マウシのがっかりした顔を見て、皆が笑った。
 志慶真村の人たちは避難していて、村には誰もいなかった。
 兵たちに陣地作りを命じて、大将たちは志慶真大主(しじまうふぬし)の屋敷で、作戦の再確認を行なった。
 志慶真曲輪の絵図を見ながら、
「守備兵は諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)の兵と謝名大主(じゃなうふぬし)の兵の百人だけですね?」とサグルーがサタルーに聞いた。
「そうだ。変更はない」
「百人だけなら落とすのはわけない」とマウシがニヤッと笑った。
 志慶真曲輪内には四つの屋敷があって、先代山北王(さんほくおう)(珉)の側室だったアリとユヌ、謝名大主の父親の謝名の御隠居(ぐいんちゅ)、平敷大主(ぴしーちうふぬし)の妹のフミが暮らしていた。
 アリは攀安知(はんあんち)(山北王)の妹のマナチーと弟のシチルーの母で、奥間から贈られた側室だった。マナチーとシチルーも子供の頃は志慶真曲輪で暮らしていたが、二人とも独立して城下で暮らしていた。城下が焼けたあと、マナチーと子供、シチルーの妻と子供は、外曲輪内の今帰仁ヌルの屋敷で暮らし、マナチーの夫の愛宕之子(あたぐぬしぃ)とシチルーは戦の準備に追われていた。ユヌは高麗人(こーれーんちゅ)で、マナチーの一つ年上の娘を産んだが、その娘は十歳で亡くなり、本人も去年に亡くなったので空き家になっていた。
 攀安知が山北王になった時、先代の重臣だった謝名大主と平敷大主の父親は無理やり隠居させられたが、グスク内に住む事を許されて、志慶真曲輪内の屋敷を与えられた。七十を過ぎた謝名の御隠居は若い後妻と気ままに暮らしていた。平敷大主の両親はすでに亡くなって、許嫁(いいなずけ)が前回の今帰仁合戦で戦死したあと、嫁がなかった妹のフミが一人で暮らし、志慶真村の娘たちに読み書きを教えていた。
 志慶真村の避難民たちが入って来るとアリは御内原(うーちばる)に移り、謝名の御隠居は後妻の実家に避難し、フミは志慶真村の娘たちと一緒に避難して、避難民たちに屋敷を譲った。
 志慶真曲輪には『まるずや』の者たちが出入りしていたので、中の様子は詳しくわかっていた。
「志慶真村から避難した人たちは何人いますか」とジルムイがサタルーに聞いた。
「三十数人だろう」
「志慶真大主もいるのですか」とサグルーが聞いた。
「志慶真の兵たちが外曲輪の守備に回されたので、志慶真大主としても逃げるわけにはいかんのだろう。妹は諸喜田大主の妻だしな」
「諸喜田大主の妻は兼(かに)グスク按司(ンマムイ)の妻と仲がよかったそうです。できれば助けてやりたいと親父から言われました」
 そう言ってから、サグルーはサタルーに作戦を伝えた。
 正面から志慶真御門(しじまうじょう)を攻撃するのはサグルーとジルムイ、左側の石垣を攻めるのはシラーとタク、志慶真川の崖を登って攻めるのはマウシとサタルーだった。敵は百人しかいないので、一人づつ片付けていけば、今日のうちに攻め取れるだろうと祝杯を挙げて、それぞれの持ち場に散って行った。
 サグルーとジルムイは大通りを通って、志慶真御門の正面まで行った。兵たちが楯(たて)を並べていた。
 志慶真御門は石垣が少しくぼんでいる位置にあって、御門の上にある櫓(やぐら)の中に弓矢を構えた兵が五人いた。大将らしい鎧武者(よろいむしゃ)の姿もあった。
「あいつが諸喜田大主ですかね?」とジルムイがサグルーに言った。
「そうかもしれんな。奥間を攻めた奴だから、サタルー兄貴が敵を討つだろう」
 御門の下に石段があったが、『丸太車(まるたぐるま)』の丸太の長さを調節すれば使えるだろう。御門の左右の石垣の上には、上半身を出して弓矢を構えている兵がずらりと並んでいた。
 志慶真曲輪の奥の方に急斜面があって、その上に一の曲輪の高い石垣がある。石垣の上に山北王がいる御殿(うどぅん)の屋根が見えた。志慶真曲輪から二の曲輪に行く坂道も左側に見えた。坂道の先には櫓門があった。
 村のはずれから志慶真御門までの間は上り坂で、広場になっているが、弓矢の射程距離内なので進めなかった。
 陣を敷くのに邪魔な家が五軒あったので、サグルーはジルムイに破壊しろと命じて、大通りで物見櫓(ものみやぐら)を作っている兵たちを手伝った。
 左側の石垣を攻めるシラーとタクは、森の中から石垣を見上げていた。城下と志慶真村をつなぐ道の向こう側に、三丈(じょう)余り(約十メートル)の高さがある急斜面があり、その上に、三丈近くの石垣がある。石垣の上に敵兵の頭がいくつか見えた。急斜面には樹木はなく、取り付いた時点で上から狙い撃ちにされる。石垣の下まで行くのも大変な事だった。シラーとタクは森の中にねぐらとなる陣地を作った。
 志慶真川から攻めるマウシとサタルーは、村はずれにある坂道を下って船着き場に下りた。小屋があったので、そこを本陣にして、その周りに陣地を作るように兵たちに命じると、小舟(さぶに)に乗って志慶真川の偵察に出た。
 川の周辺は密林に覆われていて、グスクを見上げる事はできなかった。流れが急な所と緩やかな所があって、しばらく下って行くと船着き場があった。二艘の小舟が岸に乗り上げてあり、細い道が上の方に続いていた。
「どこに行くんですか」とマウシがサタルーに聞いた。
「外曲輪だ」とサタルーは答えた。
「外曲輪ですか。本隊が外曲輪攻めにてこずったら、ここから攻め上りましょう」
「上から狙い撃ちにされるぞ」
「そうか。ここはおとり作戦に使いますか」
「そうだな」とサタルーがうなづいた時、ウニタキ(三星大親)が現れた。
 サタルーもマウシも驚いた顔でウニタキを見た。
「ウニタキさん、こんな所で何をしているのですか」とサタルーが聞いた。
「俺の出番はまだ先だから、こっち側から外曲輪を攻められないかと調べていたんだ」とウニタキは笑った。
「攻められそうですか」とマウシが聞いた。
「難しいな」とウニタキは首を振った。
「密林を抜けると何もない急斜面に出る。上から丸見えで、石垣には近づけない。志慶真曲輪の方もそうなっている。お前たちの腕の見せ所だな。期待しているぞ」
「任せておいて下さい」とマウシは自信たっぷりに言った。
 ウニタキは笑いながら手を振ると密林の中に入って行った。サタルーとマウシは引き返す事にしたが、川を遡(さかのぼ)って行くのは一苦労だった。漕ぎ手を二人連れて来たので、四人で必死に漕いで戻る事ができた。
 志慶真川がグスクから見えないというのは好都合だった。サタルーとマウシは外曲輪の船着き場まで、川に沿って道を作る事から始めた。
 午前中には各部署の陣地作りも終わった。サグルーとジルムイは大通りから右に入った所に立てられた物見櫓に登って、志慶真曲輪内を見た。
 正面の石垣はかなり幅があって、手前で弓を構えている兵の後ろにも弓を持った兵が何人もいた。所々に石が山積みされていて、上から落とすつもりなのだろう。丸太らしき物も見えた。
 御門の上にある櫓の中は屋根に隠れて中まで見えなかった。左側の石垣は二の曲輪の石垣とつながっているが、途中に段差があるので、そのまま進む事はできなかった。段差の所で、一の曲輪の石垣から狙い撃ちにされるだろう。右側の石垣は一の曲輪の下にある急斜面の所で行き止まりになっていた。
 曲輪内にある四つの屋敷は石垣に隠れて屋根しか見えなかった。曲輪内は平らではなく傾斜しているようだ。
「志慶真曲輪を奪い取ったとしても、その先が大変だな」とジルムイがサグルーに言った。
「あの急斜面を登って、石垣を乗り越えるのは山グスクで修行を積んだ者たちにはわけない事だが、上から攻撃されたら、それも難しい」
 突然、鉄炮(てっぽう)(大砲)の音が響き渡った。鉄炮の玉が一の曲輪に落ちるのが見えた。
「本隊の総攻撃が始まったようだ。俺たちも負けられんぞ」と言って、サグルーとジルムイは物見櫓から下りた。
 鉄炮の音が鳴り響く中、早めの昼食を取ったサグルーたちは、外曲輪を攻めていた本隊が攻撃を中断した頃、最初の攻撃を開始した。
 外曲輪を攻めている本隊から、丸太車に大石を落とされて潰されたと知らせが入ったので、丸太車の屋根が潰れないように、丸太の柱を何本も入れて屋根を強化した。
 法螺貝(ほらがい)が鳴り響いて、志慶真御門を目掛けて丸太車が突撃した。同時に楯を構えた先陣の兵たちが梯子(はしご)を持って進み出た。弓矢の撃ち合いが始まった。
 丸太車の上に大石が落ちてきて、屋根の半分が潰れて動かなくなった。丸太車を助けようと楯に身を隠した兵が進もうとしたが、敵の攻撃が激しくて丸太車まで行けなかった。梯子を持って進んだ兵たちは、石垣の上から丸太を落とされ、坂道を転がり落ちる丸太に弾き飛ばされた。
 左側の石垣を攻めていたシラーとタクは、森の中にある高い木に弓矢を持った兵を登らせた。楯を持った兵が森から出て道に行くと、上から大石がいくつも転がり落ちてきた。大石は道を塞ぎ、大石に潰された兵もいた。
 石垣の上の敵兵は無防備で大石を落としていたので、木の上から弓矢で狙われて数人が倒れた。敵も反撃してきたが、森の中の兵は見えず、ほとんどが木に刺さるだけだった。
 大石を乗り越えて急斜面に取り付いた兵たちは、上から落ちて来た丸太に弾き飛ばされた。
 志慶真川側から攻めたサタルーとマウシの兵たちは密林の急斜面を登っていた。密林が途切れた石垣の近くは木がなく、上から丸見えだった。丸見えの急斜面をよじ登らなければ石垣の下には行けない。急斜面なので楯を持って登る事はできず、皆、鉄の兜(かぶと)をかぶっていた。岩登り専用に工夫して鍛冶屋(かんじゃー)に作らせた兜で、上からの弓矢を避けられるようにできていた。
 密林の中から出て、丸見えの急斜面に取り付くと石垣の上から石が落ちてきた。人の頭くらいの大きさの石が次々に落とされて、石に当たった兵たちは密林の中に落ちていった。
 むやみに登っても負傷者が増えるだけなので、サタルーは密林の中に隠れたまま、石垣から顔を出した敵兵を弓矢で狙わせた。一人づつ倒して、敵の兵力を弱めてから登って行くしかなかった。
 一時(いっとき)(二時間)の総攻撃で、どの部署も石垣に取り付く事はできなかった。丸太車は何とか回収する事ができたが、二人の兵が圧死していた。他にも丸太や石にやられて七人が戦死して、二十二人が負傷した。しかし、敵兵も同じくらいの被害が出ているはずだった。
 本陣の志慶真大主の屋敷に大将たちが集まって、今後の対策を練った。
「昼間は無理だな」とサタルーが言った。
「おとり作戦を使って、夜襲を掛けるか」とサグルーが言って、皆の顔を見た。
「山グスクの兵たちの出番だな」とマウシが笑った。
 山グスクの兵は真っ暗闇のガマ(洞窟)の中で五感を鍛え、真っ暗な夜に岩登りの訓練もしていて、夜目が利くようになっていた。
 山グスクの兵を二つに分けて、志慶真川側の五十人をマウシが指揮を取り、左側の石垣を攻める五十人をウハ(久志之子)が指揮を取り、サタルーの兵とシラーとタクの兵はおとりとなって敵の目を引く事に決まった。
 午後になって、鉄炮の音が響き渡って、本隊の攻撃が始まったが、搦め手で総攻撃は仕掛けず、おとりの兵を出して、それを狙う敵兵を倒していた。
 夕方、本隊が外曲輪を攻め取ったとの知らせが入って、兵たちに知らせて士気を上げた。勝連按司(かちりんあじ)と越来按司(ぐいくあじ)の戦死は、大将たちの胸に秘めて兵たちには知らせなかった。
 勝連按司はジルムイの義父だった。戦死したなんて信じられなかった。山グスクにいる妻のユミが悲しむ顔が浮かんだ。妻のためにも、義父の敵(かたき)を討たなければならないと誓ったジルムイは、兵たちに悟られないように涙を拭った。
 日が暮れて、南の空に上弦の月が顔を出した。
 各陣地は篝火(かがりび)をいくつも炊いて、敵の夜襲に備えた。
 シラーとタクは志慶真曲輪よりも北にある二の曲輪の下辺りの森の中に本陣を移して、篝火を炊いた。長い竹の棒に松明(たいまつ)を縛り付けて、二の曲輪の石垣の下の斜面を登る振りをした。石垣の上から弓矢が松明を目掛けて降って来た。夜の間、何度も何度もそれを繰り返した。
 サタルーは同じやり方で『赤丸党』の者たちを使って、御内原(うーちばる)の石垣の下を松明を持った兵が登って行く振りをした。石垣の上にいる夜番(よばん)の敵兵たちは松明の動きに釘付けになっていた。
 月が沈んで星明かりだけになった寅(とら)の刻(午前四時)頃、マウシに率いられた山グスクの兵が、松明を持たずに志慶真曲輪の急斜面をよじ登って石垣に取り付いた。石と石の間に鉄の杭を差し込んで足場を作りながら石垣を登って行った。この時も御内原の下では松明が動いていて、石垣の上から弓矢が撃たれていた。
 石垣の上に登ったマウシたちは、敵兵を倒して志慶真曲輪に潜入した。山グスクの兵が次々に曲輪内に潜入して、敵兵を倒していった。
 左側の石垣からも、ウハに率いられた山グスクの兵が石垣を登って曲輪内に潜入し、敵兵を倒して御門を開けた。待機していたサグルーとジルムイの兵が突入して、曲輪内で乱戦となった。激戦の末に、ジルムイが諸喜田大主を倒し、マウシが謝名大主を倒すと、生き残っていた十数人の兵は武器を捨てて投降した。諸喜田大主の家臣でナコータルー(材木屋の主人)の弟の仲尾之子(なこーぬしぃ)は、山グスクの兵に倒された。
 屋敷内と仮小屋にいた避難民たちを志慶真村に移して、サグルーは志慶真曲輪を占領した。
 諸喜田大主の妻のマカーミは子供たちと一緒に、戦死した諸喜田大主を抱いて泣いていた。大将なので丁寧に扱えとサグルーは命じて、諸喜田大主の遺体を志慶真村の空き家に移した。
 夜が明けると戦死した敵兵の遺体を志慶真村の広場に集めて、武器や鎧を回収した。時々、一の曲輪から弓矢が飛んで来るので、気を付けながら行なった。
 捕虜となった敵兵は十四人で、負傷兵は十二人、それ以外の者は戦死していた。味方の戦死者は四人で、負傷兵は九人だった。
 志慶真曲輪のお清めをしてもらうために、クボーヌムイ(クボー御嶽)にいたヌルたちを呼んだ。十六人のヌルたちがぞろぞろと来たので、サグルーたちは驚いた。しかも、皆がお揃いの白い鎧を身に着けていて、その姿がよく似合っていた。
「おめでとうございます」と志慶真ヌル(シジマ)がサスカサ(島添大里ヌル)と一緒に挨拶に来た。
「シジマが神人(かみんちゅ)になるなんて思ってもいなかったよ」とサグルーは言った。
 シジマはサグルーより一つ年上で、サグルーが若按司として島添大里グスクに入った時、女子(いなぐ)サムレーとしてキラマの島からやって来た。サグルーの屋敷は東曲輪(あがりくるわ)にあったので、与那原に移るまで、一緒に暮らしてきた身内のような者だった。
「鎧姿がよく似合っているよ」とサグルーは志慶真ヌルに言って笑うと、妹のサスカサを見た。
「こんなにもヌルがいたなんて知らなかった」
「みんな、按司たちを守るために一緒に来たのよ。あと七人いたけど、本隊の方に行ったわ」
「勝連ヌルと越来ヌル、それに叔母さん(安須森ヌル)も行ったようだな」
「伊波(いーふぁ)ヌル、山田ヌル、安慶名(あぎなー)ヌル、浦添(うらしい)ヌルも一緒に行ったわ」
按司が二人も亡くなるなんて信じられないよ」
「島添大里にいるマカトゥダル(勝連若ヌル)が可哀想だわ。山グスクの戦でお兄さんを亡くして、今回はお父さんが戦死したのよ。きっと、ササ姉(ねえ)が教えて、今頃、泣いているに違いないわ」
「勝連按司は誰が継ぐんだ?」とサグルーは聞いたが、サスカサは首を振った。
 ヌルたちによるお清めが済んだあと、兵たちは一睡もしていなかったので、志慶真曲輪を守るサグルーの兵を除いて、皆を休息させた。
 ヌルたちは志慶真ヌルの屋敷に入って休んだ。
 本隊の攻撃が始まって鉄炮の音が響き渡った。サグルーは一の曲輪を攻撃するための陣地作りに専念した。志慶真曲輪の石垣の上は一の曲輪の石垣の上から狙われたので、楯を並べて弓矢を防いだ。曲輪内にも楯を並べて、敵からの攻撃を防いだ。一の曲輪に投石機を運び入れたのか、石も落ちて来た。
 午後になって、ジルムイの兵たちと交代して、サグルーの兵たちは一眠りした。
 サグルーが志慶真大主の屋敷で休んでいた頃、志慶真ヌルの屋敷では、タマ(東松田の若ヌル)が予見した事について、ヌルたちが話し込んでいた。
 タマが見たのは、攀安知が御内原内にある『アマチヂウタキ』の霊石を真っ二つに斬ってしまうという場面だった。
 タマは今帰仁グスクに入った事がないので、御内原にそんな霊石がある事は知らない。今帰仁グスクに入った事のある屋嘉比(やはび)ヌルが、確かに霊石はあると言った。
「その霊石はシネリキヨの神様を祀っているのですか」とタマは聞いた。
今帰仁グスクはシネリキヨのウタキ(御嶽)だった所に造られたんだけど、その霊石は違うのよ。その霊石は『アキシノ様』をお祀りしているの。アキシノ様がお亡くなりになったあと、娘たちが母親の御神体としてお祀りして、今帰仁グスクの守護神となったのです」
「霊石が真っ二つになるとどうなるのですか」
「アキシノ様が危険な事になります」
「そんな事になったら大変だわ。何とか止める事はできないの?」とシンシン(杏杏)が言った。
「アキシノ様に聞いてみるのがいいんじゃないの」とナナが言って、志慶真ヌルがうなづいた。
 みんなでぞろぞろと『クボーヌムイ』に戻って、アキシノに聞いた。
「あの石はわたしの孫がヤマトゥ(日本)から持って来たのよ。厳島(いつくしま)の弥山(みせん)から持って来たらしいわ。わたしの御神体になっているから、傷つけば、わたしも傷つくと思うけど、刀で真っ二つになるなんてあり得ないわ。心配しなくても大丈夫よ」
 アキシノはそう言ったが心配だった。シネリキヨの神様が攀安知に力を貸したら、霊石が真っ二つになってしまうかもしれなかった。
「ササ姉に知らせるわ」とタマが言った。
「それがいいかもね」とシンシンとナナが同意して、三人は安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)に相談するために外曲輪に向かった。

 

 

 

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