長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

慈恩禅師の略歴(1350-1416)

1350年 奥州相馬(福島県南相馬市)に生まれる。1歳

1354年 両親が殺され、乳母に助けられて武州今宿に隠棲する。5歳

1356年 相州藤沢の遊行上人に弟子入りし、念阿弥と名付けられる。7歳

1365年 鞍馬山で修行中、張三豊の弟子フェイマーに出会って妙術を授かる。16歳

1367年 鎌倉で寿福寺の神僧、栄祐から秘伝を授かる。18歳

1368年 太宰府安楽寺天満宮での修行において剣の奥義を感得する。19歳
    還俗して相馬四郎義元と名乗り、奥州に帰郷して父の仇を討つ。
    再び禅門に入り、名を慈恩と改める。

1372年 諸国を巡って剣術を教える。23歳
    鞍馬山に登り、お礼を言う。

1373年 三好日向(19)と出会い、共に旅をしながら剣術指導をする。24歳

1374年 三好日向を連れて鞍馬山に登る。25歳

1375年 三好日向が阿波に帰る。26歳

1377年 京都で中条兵庫助(19)と出会い、弟子にして一緒に旅をする。28歳
    中条兵庫助を連れて鞍馬山に登る。

1379年 阿蘇山中で阿蘇弥太郎(21)と出会い、弟子にする。30歳

1380年 弥太郎を連れて鞍馬山に登る。31歳

1381年 弥太郎が阿蘇に帰る。32歳

1383年 九州豊後で賀来内蔵助(20)と出会い、弟子にする。34歳

1386年 三好日向が琉球に行く。37歳

1387年 九州の平戸で松浦党に武芸の指導をする。ワカサ(24)に指導する。38歳

1392年 阿蘇弥太郎、琉球に行く。43歳
    10月 南北朝の争いが終結する。

1395年 閏7月 今川了俊九州探題を解任される。46歳

1400年 中条兵庫助(42)が将軍義持(15)の武術指南役になる。51歳

1401年 上関で村上山城守に歓迎され、子供たちに武術の指導をする。52歳

1404年 上関を離れて信濃に旅立つ。鞍馬山に寄る。55歳

1408年 信州波合村に長福寺を建立、念大和尚と称す。59歳

1409年 8月 飯篠修理亮が長福寺に訪ねてくる。60歳

1410年 9月 飯篠修理亮と一緒に信濃を去り、琉球に行くため京都に向かう。61歳
    弟子の赤松三首座に長福寺の留守を頼む。
    三河の国で出会った二階堂右馬助(21)を弟子にする。
    鞍馬山でササたちと出会い、一緒に高橋殿の屋敷に行く。
    弟子の中条兵庫助と再会する。
    お忍びで高橋殿の屋敷に来た将軍義持と御台所様と会う。
    10月 ササたちと一緒に村上あやの船に乗って博多に向かう。
    博多でササたちを豊玉姫のお墓に連れて行く。
    ササたちと一緒に対馬に行く。
    12月 交易船に乗って、修理亮と一緒に琉球に向かう。
    伊平屋島に着き、サハチと会って歓迎される。
    浮島に着いて首里に行き、会同館の宴でヒューガと阿蘇弥太郎と再会する。
    フェイマーの師匠の張三豊と会い、大師匠と呼んで指導を頼む。

    張三豊と一緒に、修理亮と右馬助を連れてヒューガの船で慶良間の島に行く。

1411年 1月 修理亮と右馬助を連れて、琉球を知るために旅に出る。62歳
    越来グスクで越来ヌルと出会う。
    2月 ヤンバルで出会った聾唖の少女を連れて旅から帰る。
    3月 思紹の久高島参詣に一緒に行く。
    与那原グスクに行き、張三豊のもとで一か月の修行をする。
    4月 越来に行き、越来ヌルと再会して一緒に暮らす。
    右馬助は張三豊のもとで修行を続ける。
    8月 与那原グスクのお祭りに越来ヌルと一緒に行く。
    10月 首里大聖寺が完成。ソウゲン禅師とナンセン禅師と開眼供養を行なう。
    11月 島添大里城下で、越来ヌルと一緒に子供たちに読み書きを教える。

1412年 2月 首里グスクでサハチの四男と山北王の次女の婚礼が盛大に行なわれる。
    8月 島添大里グスクで十五夜の宴が行なわれる。
    12月 交易船がパレンバンの船を連れてきて、ワカサと再会する。

1413年 1月 首里に報恩寺が完成する。64歳
    ササがヤマトゥから連れて来た辰阿弥と会う。
    2月 パレンバンの船が進貢船と一緒に帰国する。
    7月 首里大聖寺で「盂蘭盆会」が行なわれ、念仏踊りを盛大にやる。
    8月 島添大里グスクで十五夜の宴が行なわれる。
    11月 ササがヤマトゥから連れてきた無精庵と再会する。

1414年 4月 張三豊が運玉森ヌルを連れて山グスクに移る。65歳
    5月 首里に武術道場として慈恩寺が完成し、住職を務める。
    6月 選ばれた200人が試合をして50人が慈恩寺の修行者に決まる。
    8月 首里グスクで十五夜の宴が行なわれる。
    9月 平田グスクのお祭りでお芝居「ジオン」が上演される。
    山グスクに行き、張三豊にすべてを教えてくれと頼む。
    張三豊が山グスクヌルを連れて慈恩寺に移り、すべての指導を受ける。
    10月 馬天浜のお祭りに張三豊の弟子たちが集まり、張三豊との別れを惜しむ。
    張三豊が三姉妹の船に乗ってムラカに向かう。

1415年 3月 孫弟子の真喜屋之子が慈恩寺に来て、師範を務める。66歳
    6月 ヤタルー師匠がササたちと一緒にヤマトゥに行く。
    サハチがクマラパを慈恩寺に連れて来る。
    マチルギが慈恩寺の隣りに「南島庵」という女子サムレーの武術道場を造る。
    7月 サハチが張三豊の弟子のチウヨンフォンを慈恩寺に連れて来る。

1416年 1月 ササたちと一緒にヤマトゥに行ったヤタルー師匠が帰る。67歳
    4月 サハチが総大将として今帰仁に出陣して山北王を討ち取る。