長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

3-04.今帰仁再建(第一稿)

 今帰仁(なきじん)グスクの外曲輪(ふかくるわ)に朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)で作った仮小屋がずらりと並んで建っていた。戦(いくさ)の被害が少なく、広い外曲輪が今帰仁再建の拠点として機能していた。
 三の曲輪と中曲輪を囲む高い石垣は所々に鉄炮(てっぽう)(大砲)に破壊された跡が残り、中御門(なかうじょう)の上にあった櫓(やぐら)は焼け落ちていた。さらにその先を見上げれば、一の曲輪の御殿(うどぅん)が半ば崩れた惨めな姿をさらしていた。
 開け放たれたままの大御門(うふうじょう)の脇にある芝居小屋は戦の時に本陣として使われ、今は今帰仁再建の指揮所として使われていた。外曲輪の西側には四つの立派な屋敷があり、どれも被害を受けていなかった。
 二十四年前に外曲輪ができた時、今帰仁ヌルの屋敷と山北王(さんほくおう)(攀安知)の祖母の屋敷と戦死した若按司の妻の屋敷が新築された。その三年後、先代の山北王(珉)が亡くなり、御内原(うーちばる)にいた山北王の母が外曲輪に移り、屋敷が新築された。攀安知(はんあんち)の祖母は元国(げんこく)の生まれだったので『大元(うふげん)屋敷』と呼ばれ、若按司の妻は国頭按司(くんじゃんあじ)の娘だったので、『国頭屋敷』と呼ばれ、攀安知の母は名護按司(なぐあじ)の娘だったので『名護屋敷』と呼ばれた。
 祖母が亡くなった後、『大元屋敷』はしばらく空き家だったが、今帰仁に帰ってきた山北王の叔母のマアミ(先々代越来按司の妻)が入る事になって改築し、『越来(ぐいく)屋敷』と呼ばれるようになった。夫だった永良部按司(いらぶあじ)が亡くなって今帰仁に来たマティルマは、マアミが暮らしている事を知って一緒に暮らす事になる。若按司の妻は二人の息子が恩納按司(うんなあじ)、金武按司(きんあじ)になると実家の国頭に帰って行った。山北王の母は三年前に亡くなり、『国頭屋敷』と『名護屋敷』は客殿として使用されていた。
 マアミとマティルマは今帰仁城下が全焼して大勢の避難民が外曲輪に逃げて来た時、屋我大主(やがうふぬし)(マアミの弟)と一緒に名護に避難した。屋我大主の次女が松堂(まちどー)(名護按司の大叔父)の孫に嫁いでいたので、松堂を頼って行ったのだった。
 今帰仁ヌルの屋敷は今帰仁に残っているヌルたちが利用した。残っているのは島添大里(しましいうふざとぅ)ヌル(サスカサ)、今帰仁ヌル(シンシン)、クーイヌル(ナナ)、東松田(あがりまちだ)の若ヌル(タマ)、屋嘉比(やはび)ヌル、マチルギの姉の伊波(いーふぁ)ヌル、マチルギの姪の山田ヌルと安慶名(あぎなー)ヌルだった。サスカサたちと行動を共にしている志慶真(しじま)ヌルもここにいる事が多かった。奥間(うくま)村の再建に忙しい奥間ヌルも材木を運ぶ国頭按司の船に乗って、時々、顔を出していた。
 越来屋敷はマチルギと安須森(あしむい)ヌルがキラマ(慶良間)の島から来た娘たちと暮らしていた。キラマの娘たちは五十人いて、戦(いくさ)の時は負傷兵の治療に当たっていて、今は炊き出しをやっていた。屋敷にいるのは十数人で、残りは仮小屋にいた。今帰仁グスクの女子(いなぐ)サムレーか侍女(じじょ)になる予定だが、城下とグスクが再建されるまでは雑用に従事しなければならなかった。
 国頭屋敷は苗代大親(なーしるうふや)、久高親方(くだかうやかた)、慶良間之子(きらまぬしぃ)、兼(かに)グスク按司(ンマムイ)、水軍大将のヒューガが使用し、名護屋敷は奄美攻めに行くサグルーたちが使用していた。
 城下を再建するには焼け跡の残骸を片付けなければならなかった。陣地を造るために残骸は片付けられたが、陣地以外の所に積み上げられていて、それらを皆、城下の外に出さなくてはならない。苗代大親が兵たちを指揮して、残骸の片付けに精を出していた。マチルギも手の空いているキラマの娘たちを率いて手伝い、安須森ヌルもヌルたちを率いて手伝っていた。
 二の曲輪にある御内原の屋敷はそれ程の被害はなく、山北王の三人の側室(そくしつ)が侍女たちと暮らしていた。朝鮮人(こーれーんちゅ)のパクは怪我をしたが大分よくなっていて、娘のカリンが若ヌルではなくなったので、娘を連れて李芸(イイエ)の船に乗って朝鮮(チョソン)に帰る事になっていた。息子のフニムイと父の平敷大主(ぴしーちうふぬし)はどこに行ったのだろうととぼけているシジは行く所がないので城下に住む事になり、唐人(とーんちゅ)のタンタンは九歳の娘と一緒にメイユー姉妹に任せる事になった。パクとタンタンの侍女は二人がいなくなれば解放され、シジの侍女はシジに従って城下で暮らすという。
 湧川大主(わくがーうふぬし)の娘で勢理客(じっちゃく)若ヌルだったランもここにいて、中山王(ちゅうざんおう)のヌルたちが武当拳(ウーダンけん)の名人だと聞いて、カリンと一緒にクボーヌムイの朝のお祈りに集まって来るヌルたちから武当拳の指導を受けていた。ある朝、志慶真村で妹ユリの夫のジルーと出会い、父が与論島(ゆんぬじま)で待っていると聞いたランは喜び、カリンと別れ、ジルーと一緒に逃げたのだった。
 中山王の兵が引き上げ、中山王の総大将だった島添大里按司の奥方様(うなぢゃら)が中心になって、城下の再建をしているとの噂が広まり、城下に住んでいた人たちが様子を見にやって来た。彼らは炊き出しの食事を勧められ、残っている兵や女たちが煤(すす)で真っ黒になりながら働いている姿を見て、家族を連れて来て再建を手伝おうと決心して帰って行った。
 ヤンバル(琉球北部)の按司たちは兵を連れて一旦は引き上げたが、今帰仁の神様であるアキシノ様を助けたマチルギの活躍をヌルから聞くと驚き、マチルギを助けなければならないとヌルと一緒に人足(にんそく)を送ってきた。
 噂を聞いて伊平屋島(いひゃじま)の我喜屋(がんじゃ)ヌルと田名(だな)ヌル、伊是名島(いぢぃなじま)の仲田ヌルも島の人(しまんちゅ)たちを引き連れてやって来た。
 伊江島(いーじま)に避難していたヤマトゥンチュ(日本人)たちは、今度の今帰仁按司は女で、しかも美人らしいとの噂を聞いてやって来た。炊き出しの雑炊(じゅーしー)だけでなく、新鮮な海の幸も食べられるし、酒も飲み放題だった。海の幸はサミガー大主(うふぬし)に世話になったウミンチュ(漁師)たちが、新しい今帰仁按司はサミガー大主の孫の嫁だと聞いて、大量に差し入れてくれた物だった。
 うまい海産物をつまみながら酒を飲み、働く人たちを眺めていたヤマトゥンチュたちは、ただ酒を飲んで、手伝わないわけにもいくまいと言って、一緒になって働いた。倭寇(わこう)と呼ばれた荒くれ男たちには義侠心があった。強い者には反抗するが、困っている人たちを見て、見ぬ振りはできなかった。
 日を追って集まってくる人たちが多くなり、仮小屋の数も増え、日が沈むとあちこちで焚き火を囲んで酒盛りが始まった。
 城下を再建するには以前の城下を知らなければならないが、幸いに羽地(はにじ)に避難した『まるずや』のマイチが城下の地図を持っていた。ウニタキが配下に調べさせて詳細な地図を作ったのだった。その地図をもとに以前のごとくに再建すればいいとマチルギは思っていた。ただ、唐人(とーんちゅ)町やヤマトゥンチュ町は必要があれば再建し、まずは庶民たちの家が先決だった。
 材木屋のナコータルーは弟の和泊大親(わどぅまいうふや)(真喜屋之子)と一緒に今帰仁に来てマチルギと会い、中山王に従うと誓い、奥間の杣人(やまんちゅ)の親方のトゥクジと一緒に材木集めに従事した。
 今帰仁の石屋も中山王に従うと誓い、鉄炮で破壊された石垣の修繕をしていた。
 百五十年前、高麗(こうらい)から来た石屋の親方は浦添按司(うらしいあじ)の英祖(えいそ)に仕えて浦添グスクの石垣を築き、英祖の次男の湧川按司(わくが-あじ)が今帰仁按司になると、親方の次男が今帰仁に行って今帰仁グスクの石垣を築いた。次男はそのまま今帰仁に落ち着いて親方となり、代々、今帰仁グスクの石垣を改築したり修繕してきた。今は六代目で、城下が全焼した時、職人たちを連れて山の中の石切場に避難した。そこにウニタキが現れ、ウニタキに説得されて今帰仁に行き、マチルギと会って石屋の親方は中山王に仕える事に決まった。
 今帰仁に来たウニタキは配下の者から勢理客若ヌルが志慶真のジルーと一緒に与論島に行ったと報告を受けた。湧川大主が娘の勢理客若ヌルを迎えに来るに違いないと思い、勢理客若ヌルを密かに見張っていたのだった。すでに、与論島、永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)、徳之島(とぅくぬしま)、奄美大島(あまみうふしま)、鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に配下の者を送ってあり、湧川大主の動きはわかる手筈になっていた。湧川大主が奄美の島に拠点を持って、兄の敵(かたき)を討つために中山王がヤマトゥに送る交易船を狙う可能性があった。湧川大主の武装船には半分の鉄炮がないが、まだ六つの鉄炮がある。湧川大主がどこにいるのかを把握しなければ、交易船を無事に送る事ができなかった。
 今帰仁グスクから消えた山北王の次男のフニムイと平敷大主と愛宕之子(あたぐぬしぃ)(攀安知の義弟)の行方はわからなかった。中山王の兵に囲まれていたグスクからどうやって逃げたのかわからなかったが、御内原の石垣から志慶真川へと落ちている綱が見つかり、それを使って志慶真川に逃げた事がわかった。マウシの兵とサタルーの兵が志慶真川から御内原に侵入したあと、志慶真川には誰もいなくなり、三人は志慶真川から逃げて行ったと思われるが、上流と下流を調べても手掛かりは何も見つからなかった。ウニタキは奥間の山人(やまんちゅ)たちにも頼んで三人の捜索をしていた。
 沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)から来たクーイヌルはマチルギと会って話をして、今帰仁の再建が終わったらマチルギと一緒に従兄弟(いとこ)たちと会い、首里(すい)に行く事になった。娘の若ヌルが亡くなり、ナナがクーイヌルを継いだので沖の郡島に戻る必要もなく、首里のヌルとして新しい人生を送ろうと考えていた。今までずっとヌルとして生きて来たので他の生き方はわからないので、馬天(ばてぃん)ヌルの下で働こうと思っていた。
 沖の郡島でクーイヌルを継いだナナは『マーハグチぬウタキ』で厳かな儀式をして、今帰仁に帰って来るとサタルーと一緒にどこかに行ってしまい、シンシンもシラーと一緒にどこかに行ってしまった。
 四日後に戻って来たナナたちは気が付いたら嘉津宇岳(かちゅーだき)の山頂にいたと言い、シンシンたちは八重岳(えーだき)の山頂にいたと言った。
 ナナとシンシンもようやくマレビト神と結ばれたのねと安須森ヌルから祝福された。
 四月十八日に梅雨に入ってしまったが、ほとんどの残骸は片付けられた。梅雨が明けるまでは屋内で、家の壁や床に使う竹を切ったり、莚(むしろ)を作ったり、やるべき事は色々とあった。
 シンシンは安須森ヌル、志慶真ヌル、サスカサ、ナナ、タマと一緒にクボーヌムイに籠もって儀式をして、今帰仁ヌルに就任した。
「わたしは明国(みんこく)に生まれて琉球のヌルになるなんて思ってもいませんでしたが、ササと一緒に神様の事を調べる旅に出て、伊予津姫(いよつひめ)様から、わたしは吉備津姫(きびつひめ)様(伊予津姫の娘)の子孫に違いないと言われました。その事を調べなければなりません。ササと一緒に明国に行って調べてこようと思っています」
 シンシンがそう言うと、「その時はわたしも一緒に行くわよ」とアキシノは言ってくれた。
「あたしも行くわよ」とユンヌ姫の声が聞こえ、
「あたしも行くわ」とクボーヌムイ姫の声も聞こえた。
 クボーヌムイ姫はユンヌ姫の姪で、ユンヌ姫の姉の安須森姫の娘だった。先代のクボーヌムイ姫が跡継ぎに恵まれなくて、クボーヌムイ姫を継いでいた。
「ササが子供を生んで、四、五年後になると思いますけど、よろしくお願いします」とシンシンは神様たちにお礼を言った。
 クボーヌムイヌルを継いだアキシノが、クボーヌムイヌルを今帰仁ヌルと名を改めたので、今帰仁ヌルはクボーヌムイヌルだった。アキシノの長女、サクラが二代目今帰仁ヌルを継ぎ、三代目は二代目今帰仁按司(マチルギの長男)の娘が継いだ。三代目今帰仁ヌルの母親はシネリキヨの子孫だったので、クボーヌムイ姫の声が聞こえず、サクラの娘がクボーヌムイヌルを継いで志慶真村のヌルになった。以後、志慶真ヌルがクボーヌムイヌルを継いでいたが、三十三年前にアキシノの血を引く志慶真ヌルは絶えてしまった。今年の三月、島添大里グスクの女子サムレーだったシジマがアキシノの子孫だとわかり、志慶真ヌルを継いだのと同時にクボーヌムイヌルも継いでいた。
 アキシノの血を引いてはいないが、アキシノと同じ伊予津姫の子孫であるシンシンが今帰仁ヌルを継ぐ事になり、クボーヌムイヌルも継いだ。沖の郡島にクーイ姫が二人いたように、クボーヌムイにも二人のクボーヌムイ姫がいて、一人はアマン姫の孫で、もう一人は知念姫(ちにんひめ)の曽孫(ひまご)だった。志慶真ヌルがアマン姫の孫のクボーヌムイ姫に仕え、シンシンが知念姫の曽孫のクボーヌムイ姫に仕える事になった。今回、シンシンは二人のクボーヌムイ姫に祝福されて、今帰仁ヌルを継いでいた。
 アキシノもつい最近まで、知念姫の曽孫のクボーヌムイ姫の事は知らなかった。ササと一緒にヤマトゥに行き、瀬織津姫(せおりつひめ)と会い、伊予津姫と会って琉球に帰り、クボーヌムイに戻ると知念姫の曽孫のクボーヌムイ姫がアマン姫の孫のクボーヌムイ姫と一緒に迎えてくれて、瀬織津姫琉球に連れて来てくれたお礼を言われたのだった。
 梅雨に入って四日後の小雨の降る中、首里から女子サムレーたちがやって来た。首里の隊長のマナミーが各地から数人づつ集めて五十人を連れてきた。驚いた事に思紹(ししょう)の側室たちも女子サムレーの格好をして一緒に来ていた。
「王様(うしゅがなしめー)から、奥方様を手伝ってこいと言われました。今帰仁が再建されたら、その後はお前たちの好きにしていいとも言われました」とユイがマチルギに言った。
「まあ、王様がそんな事を言ったの」とマチルギは驚いた。
今帰仁が再建されたら、首里按司を島添大里按司様に譲って隠居するから側室はいらないそうです」
首里按司を隠居するですって。まったく、王様にも困ったものね。でも、あんたたちが来てくれたのは助かるわ。一緒に城下を再建しましょう」
 山グスクにいたジルムイの妻のユミとマウシの妻のマカマドゥも子供たちを連れてきた。サグルーの妻のマカトゥダルは妊娠中なので首里グスクの御内原に入ったという。子供たちは父親との再会を喜んだ。
 与論島に帰る麦屋(いんじゃ)ヌルも一緒に来て、「ヤンバルの長老たちも名護まで一緒でした」とマチルギに知らせた。
「長老たちも解放されたのね」と言ってから、マチルギはマナビーの事を心配した。父親は亡くなったけど母親と会って心の傷が癒えればいいと願った。
「トゥイ様とナーサ様も一緒に来て、長老たちと一緒に名護で降りました」
「トゥイ様も来たの?」とマチルギは驚いてから、トゥイ(先代山南王妃)の姉のマティルマが名護にいる事を思い出し、心配して来たのかと納得した。
 島添大里の女子サムレーの隊長、リナーが来たので、サスカサたちはササの様子を聞いた。
「ササは昨日、首里の御内原に移りました。本人はまだ大丈夫だと言って断っていたのですが、王様がお輿(こし)を送って来たので、しぶしぶお輿に乗って首里に行きました」
「御内原に入ったのなら安心だわね」とシンシンとナナも一安心した。
「若ヌルたちも首里に行ったのですか」とタマが聞いた。
「玻名(はな)グスクヌルと一緒にササのお輿に従って首里に行ったわ」
「島添大里にはヌルがいなくなっちゃったわね」とサスカサが言うと、
須久名森(すくなむい)ヌルが来たので大丈夫よ」とリナーは言った。
「タミーが来てくれたの」とナナが聞いた。
「ササの代わりに島添大里を守るって言っていたわ。呼んだわけじゃないんだけど、神様からササが首里に行くって聞いてやって来たみたい」
「そう。タミーがいれば大丈夫よ」とシンシンがサスカサに言った。
 一徹平郎(いってつへいろう)たちも来たので、「グスクの再建を頼むわ」とマチルギは言って、慶良間之子に案内させた。
 同じ日に屋部(やぶ)ヌル(先代名護ヌル)が伊江(いー)ヌルを連れて来た。マチルギは安須森ヌルと一緒に伊江ヌルと会った。
「この娘(こ)、わたしの姪なのよ。父親が戦死して、この娘の弟が按司を継いだんだけど、中山王の兵が伊江島に攻めて来ないかと心配してやって来たのよ」と屋部ヌルが説明した。
 奄美の島々の事は前もって計画したが、伊江島(いーじま)の事は計画していなかった。マチルギは苗代大親とヒューガと相談して、伊江按司が中山王に従うと誓えば、そのまま按司に任命しようと決めた。そして、奄美に行く前にサグルー(マチルギの長男)を伊江島に送る事に決まった。
 翌日には、娘の若ヌルを連れた本部(むとぅぶ)ヌルが瀬底(しーく)の若ヌルと一緒にやって来た。瀬底の若ヌルはまだ十五、六歳なのに腰に刀を差した勇ましい姿だった。その姿を見たシンシン、ナナ、タマ、サスカサは興味を持って、マチルギの屋敷に入って行く二人を追って行った。
 屋敷からマチルギと安須森ヌルが出て来て、本部ヌルと瀬底の若ヌルと会った。
「この娘(こ)の父親は兄のテーラーなのです」と本部ヌルが言ったので、マチルギたちは驚いた。
「父を殺したのは誰ですか」と瀬底の若ヌルは聞いた。
「本部のテーラーを殺したのは兼次大主(かにしうふぬし)よ」とマチルギが言った。
「嘘よ。兼次大主は父の味方だわ」
テーラーは味方に斬られたのよ」
「そんなの信じられないわ。本当は誰が殺(や)ったの?」
 ウタキ(御嶽)でお祈りしていた勢理客(じっちゃく)ヌルを山北王が斬り、それを見ていたテーラーと山北王が斬り合いを始め、山北王が霊石を斬って雷に打たれて死に、山北王の死体を呆然と見ていたテーラーを、兼次大主が誤解して斬り合いになってテーラーは斬られたとサスカサが説明したが、若ヌルは信じなかった。
「あなた、それを見ていたの?」
「見ていた人から聞いたのよ。その人は残念ながら首里に帰ってしまったわ」
「父は兼次大主より強いわ。兼次大主に斬られるはずなんかないわ」
「その時、中山王の兵が崖をよじ登って攻め込んできたのよ。テーラーがそっちを見た時、兼次大主に斬られてしまったのよ」とクボーヌムイ姫の声が聞こえた。
「誰なの?」と瀬底の若ヌルがサスカサに聞いた。
 サスカサが答える前に、「クボーヌムイ姫よ」とユンヌ姫の声がした。
「あなた、今の声も聞こえた?」とサスカサが瀬底の若ヌルに聞いた。
 瀬底の若ヌルはうなづいた。
「ユンヌ姫様は見ていなかったの?」とシンシンが聞いた。
「あたしは霊石が斬られた後、お祖母様(ばあさま)(豊玉姫)を迎えに行ったから見ていないのよ」
「ユンヌ姫様って誰なの?」と瀬底の若ヌルがサスカサに聞いた。
与論島の神様よ。アマン姫様の娘さんなのよ。そして、クボーヌムイ姫様はクボーヌムイの神様で、アマン姫様のお孫さんよ」
「アマン姫様‥‥‥確か、シーク姫様はアマン姫様の曽孫だって、母から聞いた事があるわ」
「シーク姫はあたしの姉の真玉添姫(まだんすいひめ)の孫なのよ」とユンヌ姫が説明した。
「あなたはシーク姫様の子孫なの?」とナナが聞いた。
 瀬底の若ヌルはうなづいた。
「四月十一日、突然、神様の声が聞こえるようになって、シーク姫様から、父が戦死した事を知らされたのよ。すぐに敵(かたき)を討ちに行かなければならないって思ったけど、神様に止められたわ。まだ今帰仁は混乱しているから落ち着くまで待てって言われたの。その二日後、本部ヌルから父の遺体が本部に来たって知らせが入って、母と一緒に本部に行って、亡くなった父と会ったのよ」
 瀬底の若ヌルは涙をこぼしたが、涙を拭うと強気になって、「あたしは父の敵を討ちに来たのよ」と言った。
テーラーを斬った兼次大主は中山王のサムレー大将の山田之子(やまだぬしぃ)(マウシ)に斬られて亡くなったわ」とクボーヌムイ姫が言った。
「敵だった兄の遺体をどうして、本部まで運んでくれたのですか」と本部ヌルが聞いた。
「中山王はテーラーを殺す気はなかったのよ。何とかして寝返らせたかったの。でも、寝返らせる前に、山北王が騒ぎを起こして、助ける事はできなかったのよ」とマチルギが言った。
「どうして、兄を助けようとしたのですか」
テーラーはわたしたちと同じヂャンサンフォン(張三豊)様の弟子だからです。弟子同士で争う事をヂャンサンフォン様は禁止しています」
「ヂャンサンフォン様って、武当拳の?」と瀬底の若ヌルが聞いた。
「そうよ。お父さんから聞いているでしょ」
「お父さんは武当拳を教えてくれたわ。お父さんは南部に行った時、新(あら)グスクのガマ(洞窟)でヂャンサンフォン様の指導を受けたって言っていたわ」
「その時、わたしも一緒だったのよ」とサスカサが言った。
「えっ!」と驚いた瀬底の若ヌルはサスカサを見て、「もしかしたら、サスカサさんですか」と聞いた。
 サスカサはうなづいた。
「サスカサさんは島添大里のヌルなんだけど、とても強いって、お父さんが言っていたわ」
「あたしなんかまだまだよ。ここにいる人たちはみんな、あたしよりも強いわ」
「えっ、みんな、武当拳を身に付けているのですか」
「中山王がヂャンサンフォン様のお弟子だから、中山王の兵たちは勿論、ヌルたちや女子サムレーたちも皆、武当拳を身に付けているのよ」とマチルギが言った。
「中山王も‥‥‥戦が始まる前に父が瀬底島(しーくじま)に来て、俺にもしもの事があったら、武当拳を身に付けている者を頼れ。みんな仲間だからお前を助けてくれるだろうと言ったの。武当拳を身に付けている人を探すなんて大変な事だと思っていたけど、父は中山王を頼れって言いたかったのですね」
「そうよ。あなたはわたしたちの仲間よ」と安須森ヌルが言った。
 瀬底の若ヌルはサスカサと武当拳の試合をして、サスカサの強さを知り、サスカサに連れられてヌルの屋敷に入ると、安心したのか急に大声で泣き始めた。

 

 

 

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