長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

3-12.ササの娘、ヤエの誕生(第二稿)

 サスカサたちが徳之島(とぅくぬしま)で神様たちとの酒盛りを楽しんでいた頃、首里(すい)グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階の回廊からササは満月を見上げながら酒杯(さかづき)を傾けていた。
 ササと一緒にお酒を飲んでいるのは玻名(はな)グスクヌルとミッチェとサユイ、タマミガとツキミガで、若ヌルたちは明国(みんこく)のお菓子を食べながらおしゃべりを楽しんでいる。部屋の中央ではヤエが大の字になって気持ちよさそうに眠っていた。
 今日の夕方、スサノオ瀬織津姫(せおりつひめ)の声が聞こえて、ササが産んだヤエを祝福してくれた。ヤエにもスサノオ瀬織津姫の声が聞こえるのか嬉しそうにキャッキャッと笑っていた。スサノオ瀬織津姫が帰った後、ミッチェたちがやって来たので、ササは月見酒よと酒盛りを始めたのだった。
 一緒に南の島(ふぇーぬしま)に行ったチチー(八重瀬若ヌル)、ウミ(運玉森若ヌル)、ミミ(手登根若ヌル)、マサキ(兼グスク若ヌル)、南の島には行かなかったが富士山まで行ったカミー(アフリ若ヌル)、この五人は神様の声が聞こえ、大三島(おおみしま)で神様の姿も拝んでいた。キラ(沢岻若ヌル)、クトゥ(宇座若ヌル)、マナ(勢理客若ヌル)の三人は弟子になったばかりで神様の声は聞こえない。中グスクヌルと勝連(かちりん)若ヌルもササの弟子になっていたが、中グスクヌルは父が凱旋(がいせん)してきたので中グスクに帰り、勝連若ヌルは父の戦死からまだ立ち直ってはいなかった。
 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにいた二か月ほど前、サハチ(島添大里按司)と一緒に勝連グスクに行って、寝込んでいた若ヌルを慰め、グスクの周辺で明月道士(めいげつどうし)の霊符(れいふ)を見つけたササは、明月道士を必ず探し出して退治すると心に決めた。翌日、佐敷グスクのお祭りに行こうとした時、祖父の中山王(ちゅうざんおう)がお輿(こし)を送ってきた。従わないと護衛のサムレーたちが罰せられると言うので、ササは仕方なく、お輿に乗って首里グスクに向かった。
 若ヌルたちを連れて御内原(うーちばる)に入ったササは、三星党(みちぶしとう)の侍女にチュージを呼んでもらった。チュージは三星党の四天王の一人で、浮島(那覇)と首里、及び琉球中部を担当していた。ササはチュージに霊符を見せて、明月道士の拠点を見つけ出してくれと頼んだ。
 明月道士の事はチュージもウニタキから聞いていて、勝連にいる配下の者に望月党の以前の隠れ家を見張らせているが、明月道士が現れる事はなかった。
「明月道士は奄美大島(あまみうふしま)からお舟に乗って勝連に来るのよ。勝連半島の東方(あがりかた)には島がいくつもあるわ。どこかの島に拠点があるはずだわ」
 その事はチュージも気づいて、イチハナリ(伊計島)から津堅島(ちきんじま)までの島々を調べさせたが何も見つからなかった。しかし、また霊符が見つかったとなるともう一度、調べ直した方がいいと思い、ササの頼みを引き受け、サンダラから聞いてイーカチが描いた明月道士の似顔絵をササに見せた。
 明月道士は七十歳近い老人で、長く伸ばした髪も髭も真っ白で、眼光の鋭い道士だという。サンダラが調べた所によると、明月道士は『望月党』を作った初代の望月サンルーの次男で、二十歳の頃に元(げん)の国に渡り、華山(ホワシャン)という険しい山で道士としての修行を積んだ。帰国したのは思紹(ししょう)が中山王になった年で、すでに望月党は壊滅していた。どうやって探したのかわからないが、望月党の残党が住み着いていた奄美大島南部の勝浦(かっちゅら)にやって来て、長老として望月党の再起を図っているらしい。
 華山は思紹がヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に行っているので、ササも話は聞いているし、クマラパも華山で修行したと言っていた。ヂャンサンフォンやクマラパのように、明月道士も武芸の達人かもしれないと警戒した。
 明月道士の似顔絵を若ヌルたちに写させたが、ササに似たのか絵の才能のある若ヌルはいなかった。思紹の側室のユイがうまいというので描いてもらった。瓜二つといえるほどそっくりに写したのでササは驚き、側室を辞めたらイーカチ(中山王の絵師)の所に行ったらいいと勧めた。
 翌日、思紹の側室たちは女子(いなぐ)サムレーや城女(ぐすくんちゅ)たちと一緒にマチルギを助けるために今帰仁(なきじん)に向かった。同じ日、佐敷大親(さしきうふや)のマサンルーが長男のシングルーに佐敷大親を譲り、美里大親(んざとぅうふや)を名乗って越来(ぐいく)グスクに行き、幼い若按司の後見役になった。サハチは首里城下の『油屋』に行ってウクヌドー(奥堂)と会い、味方に引き入れる事に成功した。お芝居に夢中になった娘のユラのお陰で、ウクヌドーは何の疑いもなく、中山王に従うと言ってくれた。
 梅雨が上がって例年通り、五月四日に豊見(とぅゆみ)グスクでハーリーが催された。去年は弟の豊見グスク按司に任せていた他魯毎(たるむい)も今年は琉球が統一されたお祝いだと言って、山南王(さんなんおう)の主催で中山王を招待した。思紹は王妃と孫たちを連れて豊見グスクに行った。一応、チュージが陰の護衛を務めたが何事も起こらずに無事に終わった。山南王、中山王、久米村(くみむら)、若狭町(わかさまち)の四艘の龍舟(りゅうぶに)が競い、久米村が優勝した。海上からハーリーを見ていたサハチは愛洲(あいす)ジルーたちとルクルジルー(早田六郎次郎)たち、李芸(イイエ)と早田(そうだ)五郎左衛門を連れてキラマ(慶良間)の島へと行った。
 翌日、サハチたちがキラマの島から浮島に帰って、『那覇館(なーふぁかん)』で休んでいたら、ミャーク(宮古島)の船がやって来た。
 与那覇勢頭(ゆなぱしず)とクマラパ、タマミガとツキミガ、ガンジューとミッチェとサユイ、ナーシルとペプチとサンクルが去年に引き続き、今年もやって来た。南の島の人たちを『那覇館』に案内して、サハチは歓迎の宴(うたげ)の準備を命じた。
 与那覇勢頭もクマラパも中山王が山北王(さんほくおう)を倒したと聞くと驚き、琉球が一つになった事を喜び、是非ともヤンバル(琉球北部)に行ってみたいと言った。クマラパの娘のタマミガはササがもうすぐ出産すると聞くと驚き、跡継ぎに恵まれてよかったと喜び、早く会いたいと言った。ミャークの人たちは翌日、サハチの先導で首里まで行列して、中山王と会い、ササと会った。
 五月八日にはビンダキ(弁ヶ岳)山頂にできた弁才天堂(びんざいてぃんどー)の落慶式が覚林坊(かくりんぼう)と福寿坊(ふくじゅぼう)によって行なわれた。思紹が彫った弁才天像が祀られ、弁才天を守るように役行者(えんのぎょうじゃ)像も祀られた。
 サハチは山伏のお寺をビンダキの裾野に造ろうと思っていたが、覚林坊と福寿坊は山グスクがいいと言った。
「あそこは岩場が多いので修行の場になります。ここにお寺を造っても修行する場所がありません」
 サハチは鞍馬山(くらまやま)を思い出して、山伏のお寺は山の中にあるのかと納得した。苗代大親(なーしるうふや)がサムレー総大将を引退して山グスク按司になる予定だったが、サム(勝連按司)が戦死してしまい、勝連若按司の後見役に就く事に決まった。思紹が引退して山グスクに行くかと言っていたが、まだ引退してもらっては困る。山グスクにいたサグルーたちは今、奄美平定をしていて、それが終わったらチューマチの後見役として今帰仁に残る事になっている。サグルーたちの家族もすでに山グスクから出て、首里の兵が交代で守ってるだけなので、山グスクを山伏のお寺にするのもいいかもしれない。今ある建物にちょっと手を加えて、山門を建てればお寺になりそうだと思った。
「俺の一存では決められないが、山グスクをお寺にするのも面白い。検討してみるよ」とサハチは二人に言った。
 首里グスクに戻って龍天閣に行き、思紹と相談すると、
「わしが行こうと思っていたのにお寺にしてしまうのか」と思紹は木像を彫りながら言った。
「まだ引退するには早すぎます」
 思紹は手を止めてサハチを見ると、「お前、ムラカ(マラッカ)に行きたいと言っておったのう」と聞いた。
今帰仁の再建が終わったら、ファイチ(懐機)とウニタキと一緒にヂャン師匠に会いに行ってきますよ」
「そうか。わしが引退するのはお前がムラカから帰ってきてからでもいいぞ」
 何を彫っているのだろうと粗彫りの木を見ていたサハチは、裏がありそうだと思紹を見た。
 思紹はニヤニヤしながら、「条件がある」と言った。
「ヤマトゥ旅ですか」とサハチは聞いた。
「五郎左衛門殿と一緒に京都まで行ってみたいんじゃよ」
 マチルギがいない今、思紹がヤマトゥに行ったら、サハチが首里にいなくてはならなくなるが、山北王がいなくなったので何の問題も起きないだろうとサハチは思紹のヤマトゥ旅を許す事にした。
「もう五郎左衛門殿と約束したんでしょう?」
「実はそうなんじゃ。人の上に立つ者として約束を破るわけにはいかん」
「わかりました。俺との約束もちゃんと守ってくださいよ」
「わかっておる。ササから高橋殿の事も聞いたので会って来ようと思っているんじゃ」
「タミーがササの代わりに行くので、タミーと一緒に会えばいいですよ」
「タミーというのは須久名森(すくなむい)のヌルじゃな。ヤグルー(平田大親)から話は聞いている。高橋殿に会えば七重の塔に登れるじゃろう。楽しみじゃよ」
「あそこから京の都の全貌が見渡せます。七重の塔の近くにある金閣も見てきてください。首里もあのような立派な都にしなければなりません」
「よく見てくるつもりじゃよ。山グスクの件じゃが、お寺にするのはいい考えじゃ。東行法師(とうぎょうほうし)がお寺にいるのは当然の事じゃからな。上のグスクを東行寺にして、下のグスクを山伏寺にすればいい」
「東行寺ですか。それもいいかもしれませんね。ところで今度は何を彫っているのです?」
蔵王権現(ざおうごんげん)じゃ。山伏の神様らしい。熊野の近くの大峯山(おおみねさん)の山頂に蔵王堂というのがあって、そこに祀られているそうじゃ。覚林坊が連れて行ってくれると約束してくれたんじゃ」
「まったく、覚林坊とも約束していたんですか」
「マチルギがおらんからのう。お前なら許してくれると思ったんじゃ」
「覚林坊が一緒なら俺も安心できますよ。いい旅をして来てください」
大峯山は山伏の本場だそうじゃ。どんな山だか楽しみだわい」
「五郎左衛門殿も登るのですか」
「五郎左衛門殿も大峯山には昔から登りたかったそうじゃ。冥土(めいど)の土産に登ると張り切っておる」
「無理をしないでくださいよ。五郎左衛門殿は七十に近いですからね」
「わかっておるよ」と思紹は言って彫り物に熱中した。
 五月十二日、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでお祭りが行なわれた。トゥイ様(前山南王妃)とマアサはいないが、王妃と島尻大里ヌルがユリたちの助けを借りて頑張った。馬天(ばてぃん)ヌルが南の島の人たちを連れて行って、南の島の人たちは大歓迎され、南の島の歌や踊りを披露して大盛況だったという。サハチは交易船の準備で忙しく、行く事はできなかった。
 その日の午後、冊封使(さっぷーし)を送って行った進貢船(しんくんしん)が帰ってきた。サングルミーが会同館の帰国祝いの宴でサンクルとペプチ母子と再会した。母子はパティローマ(波照間島)には帰らずに琉球で暮らすと言ったので、サングルミーは喜び、その気持ちを二胡(アフー)で表現して喝采を浴びた。
 サングルミーは香炉と大量の線香を明国から持ってきて、馬天ヌルは首里グスク内のキーヌウチのウタキ(御嶽)に香炉を置いて線香を焚いた。
 五月十五日、ササが首里グスクの御内原で無事に女の子を産んだ。見守っていた真玉添姫(まだんすいひめ)、アマン姫、豊玉姫(とよたまひめ)に祝福された女の子はヤエと名付けられ、元気な泣き声は神様たちの耳に入って、琉球中の神様たちが祝福にやって来た。出産に疲れ切って眠っているササに代わって若ヌルたちが神様たちの応対に大わらわだった。
 ササの出産を見届けるとサハチは久し振りに島添大里グスクに帰った。安須森(あしむい)ヌルの屋敷に行って女子サムレーたちとユリたちにササの娘が生まれた事を話していたらウニタキが顔を出した。今帰仁で別れて以来だった。
 サハチはウニタキを誘って物見櫓(ものみやぐら)に登った。
「ササが母親になったとは驚きだな」とウニタキは笑った。
「ヤエを抱いているササは幸せそうだったよ。母親という顔付きをしていた」
「どんな娘に育つか楽しみだな」
「サグルーの倅のサハチを守ってくれるだろう」
「そういえばサグルーの嫁さんも御内原にいるらしいじゃないか」
「サハチの妹か弟がもうすぐ生まれるんだよ。ところで、見つかったのか」
 ウニタキは首を振った。
「どこにもいないんだ。山の中も周辺の島々も探したがどこにもいない」
「奴らを助ける仲間はいないはずだが、どこに逃げたのだろう」
「仲間と言えるのは島尻大里グスクにいるミンと保栄茂(ぶいむ)グスクにいる小浜大主(くばまうふぬし)とテーラーグスクにいる辺名地之子(ひなじぬしぃ)だが、奴らと接触すればすぐにわかる。まだ南部には来てはおるまい」
「ミンは山南王の世子(せいし)ではなくなり、ただの娘婿になった。辺名地之子と小浜大主はテーラーの戦死を聞いて、山南王に仕える事になった。ミンは弟のフニムイが現れれば匿うだろうが、辺名地之子と小浜大主はフニムイには従わないだろう。焦る事はない。気長に探せば必ず見つかる。それより、親父がヤマトゥ旅に行く事になった。覚林坊と福寿坊が一緒に行くので大丈夫だと思うが、誰か護衛の者を送れないか」
「やっぱり行くのか」
「俺たちがムラカに行くためには許すしかなかったんだ」
「王様(うしゅがなしめー)の護衛か‥‥‥」
「熊野の近くの大峯山に登ると言っていたから多分、山伏の格好で行くのだろう」
「山伏と言えばイブキがかみさんを連れてヤマトゥに行きたいと言っていたな。今帰仁再建が終わったらヤマトゥに行かせようと思っていたんだが、イブキに頼むか」
「イブキは今、今帰仁にいるのか」
「ああ。『よろずや』はもう畳むつもりだから、首里でも勝連でも好きな所で隠居しろと言ったんだが、今帰仁の再建が終わったら考えると言って、『よろずや』の連中と一緒にマチルギを手伝っているんだ」
「イブキか‥‥‥もういい年齢(とし)だろう」
「ああ、七十に近いはずだ。五郎左衛門殿と同じくらいじゃないのか。護衛と言うより旅の道連れだな。ヤマトゥで中山王を狙う奴はいないだろうし、ヤマトゥ言葉が話せる奴じゃないと怪しまれるからな。長年、仕えてくれた御褒美として、『よろずや』の連中をヤマトゥに行かせよう。覚林坊と福寿坊、ジクー禅師とクルシ、クルーもいるから大丈夫だろう」
「そうだな。親父もお忍びで行くようだから目立つような事はしないだろう」
「話は変わるが、フニムイ探しをしていて、明月道士の足跡らしき物が見つかった」
「なに、本当か。明月道士の事はササがチュージに頼んだようだ」
「ああ、ササはチュージを顎(あご)で使っているよ。三星党の四天王もササにはかなわないようだ」
「奴の拠点が見つかったのか」
「いや、拠点と言えるほどの物ではない。名護(なぐ)から東海岸の方に行くと大浦(うぷら)に出る。大浦の東に安部(あぶ)という村(しま)がある。そこは勝連グスクを築いた時の材木採取場だったらしい。その責任者が安部大主という奴で村の名前に残ったようだ。今は勝連とのつながりはないようだが、安部大主の子孫が住んでいて杣人(やまんちゅ)や漁師(うみんちゅ)をやっている。その村に数年前、勝連の出身で長い間、明国で修行していたという道士がやって来て、小屋掛けして半年ほど暮らしていたと言ったんだ」
「数年前と言うのは何年前なんだ?」
「五、六年前らしい」
「若按司が病死した頃だな」
「そうだ。あの時、安部にいた明月道士が霊符を撒いたに違いない。近くに拠点はないかと探してみたが見つからなかった。今回は別の所にいたようだ」
奄美大島の拠点を攻めるわけにはいかないのか」
「あそこを攻めるのは難しい。二、三百の兵で完全に包囲して攻めないと山の中に逃げられる」
「いつまでも放っておくわけにも行くまい。サグルーたちが奄美按司を従わせたら攻めたらどうだ」
「まだ兵力となる若者は五十人といるまい。今のうちに始末した方がいいかもしれんな。ただ、幼い子供たちがかなりいるようだ。子供たちを殺すわけにもいくまいし、敵の動きをよく調べて、来年あたり、主要な奴らを始末するか」
「来年になれば今帰仁も落ち着くだろう。今帰仁の兵も出陣させればいい」
「中山王の兵が動くとなると大義名分が必要だぞ」
大義名分はサムの敵討(かたきう)ちさ」
 ウニタキは笑った。
 五日後、思紹を乗せた交易船と李芸の船は浮島を発ち、親泊(うやどぅまい)(今泊)でルクルジルーと愛洲ジルーの船と合流して与論島(ゆんぬじま)に向かった。与論島でシンゴ(早田新五郎)とマグサ、朝鮮(チョソン)に行く勝連船と合流した。湧川大主(わくがーうふぬし)の武装船を警戒して、シンゴとマグサ、ルクルジルーと愛洲ジルーの船が交易船を護衛し、ルクルジルーに李芸の船を朝鮮まで送るように頼んだ。
 母親を見つける事はできなかったが、李芸は琉球で見つけた朝鮮人を四十四人連れて帰った。『材木屋』のナコータルーの下で働いていた杣人(やまんちゅ)、今帰仁の遊女(じゅり)たちと石屋たち、屋部(やぶ)の瓦(かわら)職人たち、武寧(ぶねい)の側室だったサントゥクの家族たち、そして、山北王の側室だったパクと娘のカリンも帰って行った。
 交易船と李芸の船を見送ったサハチは首里グスクに帰った。思紹とマチルギのいない首里グスクは何となく活気を失ってしまったかのように思えた。
 御内原に行ってササの娘のヤエをかまって、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の二階に行ったが落ち着かず、サハチは龍天閣の三階に登って眺めを楽しんだ。
 思紹が帰って来るのは年末、マチルギも年末には帰って来るだろう。来年、メイユーたちが帰る時、一緒に乗ってムラカに行こう。ウニタキとファイチ、ンマムイ(兼グスク按司)も連れて行ってやるか。楽しい旅になりそうだ。今年はメイユーが娘を連れて来るだろう。メイユーに似て可愛い娘に違いない。メイユーの活躍を本人の口から聞くのも楽しみだ。マチルギがいないのに城下の屋敷に帰っても仕方ないので、サハチは龍天閣に寝泊まりする事にした。
 午前中は思紹の代わりに政務に就き、午後は苗代大親の代わりに武術道場に行って若い者たちを鍛えた。時には慈恩寺(じおんじ)に行き、慈恩禅師を手伝った。
 忙しい毎日が続き、久し振りに島添大里グスクに行き、帰って来ると龍天閣にササたちがいた。夕べ、酒盛りをしたとみえて、城女たちがブツブツ文句を言いながら後片付けをしていた。三階に行くと若ヌルたちが掃除をしていて、ササはヤエをあやしていた。サハチを見ると、「どこに行っていたの? 一緒にお酒を飲もうとやって来たのに」と言った。
「島添大里に帰っていたんだ。チューマチとマグルーが守っているが、まだ任せられないからな」
「チューマチはいつ、今帰仁に行くの?」
「あいつは早く行ってマチルギを手伝いたいと言っているんだが、まだ悲しみが癒えないマナビーに惨めなグスクを見せたくないからな。グスク内の屋敷が完成してからになるだろう」
「先代の山北王妃も一緒に行くの?」
「それはどうかな。マナビーの妹のウトゥタルが女子サムレーになりたいといって安須森ヌルの屋敷に入り浸りなんだ」
「へえ。その子、いくつなの?」
「マシューより一つ年下の十三だ。マシューとも仲良くやっている」
「父親の敵(かたき)だと思っていないのね」
「姉のマナビーがお世話になっているから、みんな。身内だと思っているようだ」
「早く島添大里に帰りたいんだけど、一月はここにいろって言うのよ。だけど、御内原にいたらお酒も飲めないからここに移る事にしたの。よろしくね」
「なに、お前たちがここで暮らすのか」とサハチは部屋の中を見回した。
 玻名(はな)グスクヌルと若ヌルが八人もいて、サハチの居場所はなかった。二階は思紹の彫りかけの木像やらがあって狭い。サハチは追い出される格好となり、龍天閣をササたちに明け渡して城下の屋敷に移った。ササは龍天閣で若ヌルたちに笛を教えていて、ピーヒャラピーヒャラやかましかったが、誰も文句は言えなかった。それでもササが吹く笛の音が城下に流れると誰もが耳を澄まして聞き、龍天閣を見上げながら感動していた。
 六月十六日、ササは若ヌルたちを連れて島添大里グスクに帰った。若ヌルたちを引き連れて颯爽と歩く赤ん坊をおぶったササの姿を見たウトゥタルはササに憧れた。従姉妹(いとこ)のマサキと再会して、神々(こうごう)しく見えるマサキに驚き、わたしもヌルになりたいと言ってササの弟子になった。ヤエは女子サムレーたちに囲まれて楽しそうに笑い、その晩、ヤエの誕生祝いの宴が催された。

 

 

 

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