長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

3-14.赤木名(第二稿)

 目を覚ましたサスカサは自分がどこにいるのかわからなかった。
 水の音が聞こえるので小屋から出てみると目の前に滝があった。
 ここはどこだろうと周りを見回すと鬱蒼(うっそう)と樹木が生い茂り、滝から落ちてくる水が溜まっている所の上だけが明るく、青空が見えていた。
 記憶に残っているのはユワンウディー(湯湾岳)の山頂にある丸太小屋での酒盛りだった。湯湾(ゆわん)若ヌルと武当拳(ウーダンけん)の試合をした後、丸太小屋に入って、湯湾ヌルがマキビタルーからサスカサとの出会いの話を聞いた。マキビタルーがサスカサのマレビト神かもしれないと知った湯湾ヌルは喜んで、丸太小屋で改めて歓迎の宴(うたげ)を催した。日が暮れる前に湯湾ヌルは山を下りて行ったが、湯湾若ヌルと阿室(あむる)若ヌルは残り、夜遅くまで酒盛りを楽しんだ。
 サスカサはマキビタルーの話を聞いて、マキビタルーはマレビト神に違いないと確信して眠りに就いた。喉が渇いて夜中に目が覚め、水はどこかと探していたらマキビタルーが起きてきた。マキビタルーと目が合った途端に頭の中は真っ白になって、その後の事は思い出せなかった。
 小屋から出て冷たい水で顔を洗っていたらマキビタルーが現れた。
 マキビタルーの顔を見たら安心して、ここがどこなのか、どうでもよくなって、サスカサは笑った。
 マキビタルーも笑って、「『ティダぬ滝』は気に入った?」と聞いた。
「ティダ(太陽)ぬ滝?」
「俺はそう呼んでいる。ここだけ日差しが入るからね。多分、この場所を知っているのは俺だけだろう。今まで、ここで誰かと会った事はない。俺のお気に入りの場所なんだ。サスカサに見せたいと思って連れてきたんだ。と言いたいけど、気がついたらここにいた。どうやってここまで来たのか思い出せないんだ」
「あたしも何も覚えてないわ」
「小屋の中に空になった瓢箪(ちぶる)がいくつも転がっているんだ。俺たちは酒の入った瓢箪をいくつもぶら下げてここに来たようだ。そして、一晩か二晩か、ここで暮らしていたようだ」
「えっ、一晩か二晩?」
 マキビタルーはうなづいた。
「俺たちはずっと夢の中にいたようだ。今頃、みんなが心配しているだろう」
 サスカサは笑って、「大丈夫よ」と言って、シンシン、ナナ、志慶真(しじま)ヌルがマレビト神と一緒に三日間、行方知れずになっていた事をマキビタルーに話した。
「みんな、経験者だから、あたしたちが四日後に戻ってくる事を知っているわ」
「そうか。今日が何日目かわからないけど、もう一晩、夢の中にいてから帰ろう」
 サスカサは嬉しそうに笑ってうなづいた。
 次の日の昼過ぎ、サスカサとマキビタルーはユワンウディーに向かった。ティダぬ滝はユワンウディーの北東にあって、ユワンウディーの山頂まで一時(いっとき)(二時間)ほどで着いた。誰もいないだろうと思っていたのに、サスカサの弟子たちが武当拳の稽古をしていたので二人は驚いた。
「お師匠!」と瀬底(しーく)若ヌルが叫んで、仲良く帰って来たサスカサとマキビタルーは弟子たちに囲まれた。丸太小屋の中からシンシン、ナナ、タマ、志慶真ヌルが出てきて、サスカサたちを祝福した。
 みんなでウタキ(御嶽)に行って、サスカサとマキビタルーは二人のユワン姫から祝福された。
 山から下りて湯湾に帰ろうとしたら、サグルーと阿室若ヌル、マウシと湯湾若ヌルもいなくなったと聞いてサスカサたちは驚いた。
「ここでの酒盛りの翌朝、サスカサとマキビタルーがいなくなったのはわかったけど、サグルーとマウシ、湯湾若ヌルと阿室若ヌルもいなくなったのよ」とナナが言った。
「えっ、どういう事なの?」
「先に帰ったのかと思って湯湾に戻ったけど、四人はいなかったわ」
「あなたたちだけじゃなかったのよ」と志慶真ヌルが言った。
「サグルーさんは阿室若ヌルのマレビト神で、マウシさんは湯湾若ヌルのマレビト神だったのよ」
「何ていう事なの」とサスカサは溜め息をついた。
 自分の事ばかり考えていて、兄の事まで気が回らなかった。兄の妻のマカトゥダルが妊娠中だというのに、兄はまったく何という事をしてしまったのだろう。
「湯湾ヌル様は喜んでいたわ。マキビタルーだけでなく、若ヌルのマレビト神も現れるなんて喜ばしい事だって神様に感謝していたわ」
「兄たちが帰って来るまで、ここで待っているの?」
「ユンヌ姫様が調べてくれたのよ」とシンシンが言った。
「サグルーたちはオオグチ山(冠岳)にいて、マウシたちはイザトゥバナレ(枝手久島)にいるみたい。サグルーたちもマウシたちも小舟(さぶに)に乗って行ったようだから湯湾に帰って来ると思うわ」
「もしかして、あたしたちの居場所も知っていたの?」
「知っていたわ。山の中の綺麗な滝がある所でしょ。このお山の北の方(にしぬかた)だって聞いたので、ここで待っていたのよ」
 サスカサたちはユワンウディーを下りて湯湾に帰った。湯湾ヌルの屋敷に行くと湯湾若ヌルとマウシが帰っていて、湯湾ヌルと話をしていた。
「あなたたちも無事に帰ってきたのね」と湯湾ヌルがマキビタルーとサスカサを見て安心したような顔をして言った。
「お兄さん、あたしたち、奇妙な体験をしたのよ」と湯湾若ヌルがマキビタルーに言った。
「俺たちもだよ」とマキビタルーは笑った。
「ユワンウディーの丸太小屋でお酒を飲んだ翌朝よ。目が覚めたらサスカサさんがいなかったので、もしかしたらお兄さんと一緒にどこかに行ったのかと思って起きたのよ。お兄さんはあたしよりも強い女子(いなぐ)じゃなければお嫁に迎えないと言って、いくつも縁談を断ってきたわ。サスカサさんはあたしより強いし、お兄さんがずっと想っていた人なんでしょ。きっと、二人でどこかに行ったに違いないと思ってお兄さんを探していたらマウシさんと出会って、その後は頭の中が真っ白になって、気が付いたらイザトゥバナレにいたのよ」
「イザトゥバナレにはユワン姫様の娘さんのイサトゥ姫様のウタキがあるのよ。きっと、イサトゥ姫様に呼ばれたに違いないわ」と湯湾ヌルが言った。
 マキビタルーが『ティダぬ滝』の話をしていた時、サグルーと阿室若ヌルが仲良く帰って来た。
 他人(ひと)の事は言えないが幸せそうな兄の顔を見て、サスカサはサグルーを睨んだ。
「ナミー(阿室若ヌル)もうまく行ったのね?」と湯湾若ヌルが聞いた。
 阿室若ヌルはサグルーの顔を見て嬉しそうにうなづいた。
「まったく驚いた。気が付いたら加計呂麻島(かきるまじま)が見える山の頂上にいたんだ。どうやって、あんな所まで行ったのか、全然覚えていないんだ」とサグルーが言った。
「俺だってそうだ。気が付いたら海が見えるガマ(洞窟)の中にいたのさ。でも、楽しかったよ」とマウシがサグルーに言った。
 三人のヌルが同時にマレビト神に出会うなんて、滅多にない事だと湯湾ヌルはお祝いの宴を開いてくれた。
 翌日、サスカサたちは船に乗って、奄美按司(あまみあじ)に会うために赤木名(はっきな)に向かった。マキビタルー、湯湾若ヌル、阿室若ヌルも一緒に来た。風に恵まれず、その日は大和浜(やまとぅはま)に泊まり、大和浜ヌルのお世話になった。大和浜ヌルもユワン姫の子孫で、湯湾若ヌルと阿室若ヌルがマレビト神に出会った話をすると、いいわねとうらやましがった。
 昔、遣唐使船が来たという大和浜は琉球に行くヤマトゥンチュ(日本人)の中継地として栄えていて、今の時期は閑散としているが、ヤマトゥンチュのための宿屋が何軒もあった。
 翌日の昼過ぎに笠利湾(かさんわん)に着いた。何度もヤマトゥ(日本)に行っているシンシンとナナは笠利湾の近くまで来ていても湾内に入るのは初めてだった。笠利湾は屋仁崎(やんざき)(蒲生崎)と安木屋場崎(あんきゃばざき)(今井崎)に挟まれた中にあり、赤木名は屋仁崎の奥にあった。
 赤木名の港に着くと奄美按司が娘の奄美ヌルと一緒に待っていた。奄美按司が送ってくれた小舟に乗って、サスカサ、シンシン、ナナ、志慶真ヌル(ミナ)、具足師(ぐすくし)のシルーが上陸した。
 叔父のシルーが来たので、奄美按司のシルータは驚いた。
 叔父といっても三つ違いなので、幼い頃は兄のような存在だった。シルータが十三歳の時にシルーは具足師になるために奥間(うくま)に行き、四年前、祖父の長老が亡くなった時に志慶真村に戻ってきた。長老が亡くなった年の冬に志慶真村に帰ったシルータは久し振りにシルーと会って酒を酌み交わしたが、それ以来の再会だった。
「シルータ、按司という面構えになってきたな」とシルーは笑った。
「シルー叔父さんが来るなんて思ってもいませんでしたよ」
「お前、覚えているか。サユと仲良しだったミナだ」
 シルータはミナを見たが覚えていないようだった。
「ナハーピャーのお婆の孫娘だよ。今は志慶真ヌルを継いでいる」
「えっ、あのミナ?」とシルータはミナを見て驚き、サムレーのような格好をしているミナがヌルだと聞いて、さらに驚いた。
「お久し振りです」とミナは言って、サスカサたちを紹介した。
「兄からの知らせで、山北王(さんほくおう)が滅んだ事を知りました。兄からも中山王(ちゅうざんおう)に従うようにと言われておりますので、中山王に従うつもりで待っておりました」
 サスカサはうなづいて、「中山王に従えば、今のまま奄美按司を務めてもらう事になります」と言った。
「よろしくお願いいたします」とシルータは頭を下げた。
 サスカサは旗を振って、船上のサグルーに合図をした。
「サユは無事なのですか」とシルータはミナに聞いた。
「無事です。今帰仁(なきじん)城下の再建を手伝っています」
「そうか。よかった」
 サグルーとマウシ、マキビタルー、湯湾若ヌル、阿室若ヌルが上陸して、シルータの案内でグスクに向かった。ハッキナ姫のウタキはグスクがあるお山の山頂にあるというのでサスカサたちも奄美ヌルと一緒に従った。
「あなた、ハッキナ姫様の声が聞こえるの?」とサスカサは奄美ヌルに聞いた。
「わたしには聞こえません。でも、マジニ様は聞こえます」
「マジニ様って誰なの?」
「わたしのお師匠です。今は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)にいます」
「鬼界島のヌルなのね」
 奄美ヌルは首を傾げた。
「マジニ様は今帰仁から来ましたが、滅ぼされた中山王の娘だと言っておりました。湧川大主(わくがーうふぬし)様と一緒に鬼界島に行った時、鬼界島の神様の声を聞いて、御先祖様が鬼界島の出身だったとわかったと言っていました」
「先代の浦添(うらしい)ヌルの事ね。今は鬼界島にいるのね」
 先代の浦添ヌルはンマムイ(兼グスク按司)の妹で、湧川大主といい仲だと聞いていた。湧川大主と一緒に逃げて行ったに違いないと思っていたのに、湧川大主が攻めていた鬼界島にいるなんて意外だった。
 奄美ヌルの話によるとハッキナ姫のウタキを見つけたのはマジニで、数十年も人が来た気配もなく草茫々(ぼうぼう)だったという。倭寇(わこう)がグスクにいた頃は山頂には誰も登れなかったらしい。
「マジニ様と一緒に草を刈って綺麗にしたのです」と奄美ヌルは言った。
 集落を通り抜けて急な山道を登って行くとグスクがあった。石垣はなく高い土塁に囲まれていた。大御門(うふうじょう)(正門)から入ると広い曲輪(くるわ)があり、厩(うまや)とサムレーたちの屋敷があった。そこから一段と高くなった曲輪に按司の屋敷があり、サスカサたちはサグルーたちと別れて裏御門(うらうじょう)から外に出た。尾根伝いの細い道を行くと見張り小屋のある眺めのいい場所に出て、そこからさらに進むとウタキのある山頂に着いた。
 樹木が生い茂っている中に古いウタキがあった。マキビタルーは按司に会うためにグスクに来た事はあるが、ここに来たのは初めてだという。湯湾若ヌルと阿室若ヌルは赤木名に来たのが初めてだった。
 サスカサたちはお祈りをした。
「よく来てくれたわね」と神様の声が聞こえた。
「マキビタルーも一緒だという事はうまくいったようね」と神様は笑った。
「ハッキナ姫様ですね」とサスカサは聞いた。
「ユワン姫の妹のハッキナ姫よ。姉がユワンウディーに行っちゃったので、わたしが母の跡を継いでアマンウディーを守っていたのよ」
「アマンウディー? アマンディーではないのですか」
「アマンディーはアマンウディー(大刈山)の遥拝所(ようはいじょ)なのよ。今はカサンウディーって呼ばれているけど、本当はアマンウディーだったのよ。カサン姫様の声が聞こえるようになって、初めてわかった事なのよ」
「アマンウディーはアマミキヨに関係あるのですか」とナナが聞いた。
「そうなのよ。瀬織津姫(せおりつひめ)様がヤマトゥにいらっしゃる百年余り前に琉球から北上したアマミキヨのアマン姫が、この島で暮らしていたシネリキヨの若者と結ばれて子孫を繁栄させたのよ」
「アマン姫?」とナナが言ってシンシンを見た。
豊玉姫(とよたまひめ)様の娘のアマン姫様の他にもアマン姫様がいらっしゃったのですか」
「いらっしゃったのよ。代々アマン姫を名乗っていて、瀬織津姫様もヤマトゥに行く時にアマン姫様のお世話になったらしいわ。この島にアマン姫様がいらっしゃったから、この辺りの島々は『アマン』と呼ばれて、やがて、『奄美』になるのよ。お祖母様(ばあさま)(キキャ姫)のお祖母様が豊(とよ)の国で生まれた頃、ヤマトゥより南の島々はアマンと呼ばれていたので、アマン姫と名付けられて、琉球に行って玉グスクヌルを継いだのよ。御先世(うさきゆ)(古代)のユワン姫様の娘のカサン姫様がいらした時にはアマン姫は絶えてしまっていたようだわ。初代のアマン姫様は亡くなった後、お山の山頂に祀られてアマンウディーと呼ばれるようになって、この島は『アマンぬ大島(うふしま)』って呼ばれていたようね。瀬織津姫様がヤマトゥに行って貝殻の交易が始まって、カサン姫様がいらっしゃって、アマンウディーに登って古いウタキを見つけて、遥拝所にお屋敷を建ててウタキを見守ったの。カサン姫様が亡くなった後、カサン姫様は山頂に祀られて、アマンウディーはカサンウディーって呼ばれるようになったの。そして、カサン姫様のお屋敷跡がアマンディーと呼ばれるようになったのよ。島の名前も『アマンぬ大島』から『カサンぬ大島』に変わったけど、この辺りの島々は『アマンぬ島々』って呼ばれていたようだわ」
「お山や島の名前を変えてしまうなんて、カサン姫様という人は凄い人だったようですね」
琉球からヤマトゥに行くのに、ここから宝島に渡るのが一番危険な場所なのよ。カサン姫様は神様のお力を借りて宝島に向かうヌルたちに的確な指示を与えていたんだと思うわ」
「当時の船頭(しんどぅー)はヌルだったのですね」
「そうよ。神様の声が聞こえなければ安全な航海はできないわ。わたしの頃は男の船頭がいたけど、ヌルも必ず乗っていたのよ。スサノオ様が琉球に来て貝殻の交易が再開した時、豊玉姫様の弟の豊玉彦様が船頭になったけど、豊玉彦様の娘のヤン姫様が父親と兄さんの心配をして、この島に来たのよ。ヤン姫様は三代で絶えてしまって、三代目の跡を継いだのが、わたしの母なのよ。母は鬼界島からこの島に来てカサンヌ姫を名乗ったのよ。ヤン姫様は屋仁崎に祀られているわ。ヤン姫様はカサンウディーの事を知らなかったけど、母は神様のお導きでカサンウディーに登って古いウタキを見つけるわ。神様の声は聞こえなかったけど重要なウタキだと気づいてお守りする事に決めて、遥拝所のアマンディーも見つけて、そこにお屋敷を建てたのよ。わたしも姉もそのお屋敷で生まれたわ。そして、姉はユワンウディーに行き、わたしは風待ちの港として栄えていた赤木名に来たのよ」
「グスクはいつできたのですか」とサスカサが聞いた。
「焦らないで。順を追って話すわ。この島を守ってもらうために、この島の歴史を知ってもらう必要があるの。わたしが赤木名に来た時、母がアマンディーにいて、姉がユワンウディーにいたんだけど、東海岸(あがりかいがん)の中程の所に久米島(くみじま)から来たクミ姫様がいたのよ」
「えっ、久米島のクミ姫?」とナナとシンシンが驚いた。
「初代のクミ姫様の次女で、久米島から来たのでクミ姫って呼ばれていて、今は古見(くみ)(小湊)という地名として残っているわ」
「どうして、久米島から来たのですか」
「永良部島(いらぶじま)のイラフ姫様と知り合いらしくて、永良部島からこの島に来たのよ。クミ姫様は行動的な人で、ヤマトゥまで行って豊姫様と会っているし、富士山まで行って瀬織津姫様が造った都にも行っているのよ」
「えっ、富士山まで‥‥‥」とナナが驚いたあと、「クミ姫様の娘さんがこの島にいたなんて知りませんでした。古見に行けば会えますか」とハッキナ姫に聞いた。
 クミ姫様の娘に会って富士山の噴火で埋まってしまった瀬織津姫様の都の事を聞きたいとナナは思った。
「会えるわ。古見の村(しま)を見下ろすお山の上にウタキがあるわ。当時、西海岸(いりかいがん)には拠点となる浜辺がいくつもあったんだけど東海岸にはあまりなかったので、クミ姫様が来てくれたのは助かったのよ。クミ姫様はアズマヌクニ(東国)の人たちを連れて来て独自に貝殻の交易を始めたわ」
「アズマヌクニってどこなのですか」
「ヤマトゥの東方(あがりかた)にあった国らしいわ。豊姫様のヤマトゥの国とは別に瀬織津姫様の都を中心にした国があったらしいのよ。古見はアズマヌクニとの交易で栄えたのよ。話を戻すと、赤木名も古見に負けない位に栄えていたわ。ヤマトゥに行くお舟もヤマトゥから帰って来たお舟もここで一休みしてから出掛けて行ったの。貝殻の交易は五百年も続いたから色々な事があったけど、赤木名はずっと賑やかだったわ。でも、突然、交易は終わってしまったわ。貝輪とか貝匙(かいさじ)とかが必要とされなくなってしまったのよ。それでも何年か経って大宰府(だざいふ)の役人がやって来て、鬼界島に『唐路館(とうろかん)』ができて遣唐使船がやって来るのよ。遣唐使船は交易をしなかったけど、鬼界島に行けばヤマトゥの商品を手に入れる事ができたわ。遣唐使船が来なくなっても『唐路館』は残っていて、ヤクゲー(ヤコウガイ)の交易拠点になったのよ。ヤマトゥでは大きなお寺がいくつも建てられて、仏壇を飾る螺鈿(らでん)細工を作るのにヤクゲーが必要になったらしいわ。この島でもせっせとヤクゲーを捕って鬼界島に運んだわ。でもね、九州からウミンチュ(海人)を連れてやって来て、勝手にヤクゲーを捕っていく奴らが現れたのよ。島人(しまんちゅ)たちが『唐路館』の役人に訴えても『唐路館』の役人の手に負えなくて、島人たちは立ち上がったわ。ヌルたちに率いられた島人たちが九州まで攻めて行ったのよ。この島だけでなく、琉球の人たちも一緒に行って九州の沿岸を荒らし回ったわ。ヤマトゥンチュは仕返しに来たけど見事に追い返したのよ。その事件の後、赤木名ヌルの弟がこのお山にグスクを築いて笠利按司(かさんあじ)を名乗ったわ。この島で最初の按司で、その後は皆が真似して、ヌルの兄弟が按司を名乗って小さなグスクがいくつもできたのよ。それからしばらくしてトゥクカーミー(カムィ焼)が始まって、鬼界島とヤマトゥを結ぶお船の行き来が盛んになって、赤木名の港も賑わったわ。そして百年位経って平家の船団がやって来るのよ。平家はまず鬼界島に行ったわ。鬼界島には阿多(あた)平四郎がいて平家に従っていたから、鬼界島で一休みしてからこの島に来たのよ」
「ここにも来たのですね?」とサスカサが聞いた。
「ここには来ないわ。源氏に従った熊野水軍が来るので、ここには近づかなかったわ。鬼界ヌルに生間(いきんま)ヌルを紹介されて加計呂麻島(かきるまじま)に行って隠れていたのよ。平家の大将だった新三位(しんざんみ)の中将(ちゅうじょう)(平資盛)は生間ヌルと結ばれて、生間の南に立派な御殿(うどぅん)を建てて暮らしたわ。平家のサムレーたちがその御殿を『主殿(しゅでん)』と呼んでいたので『諸鈍(しゅどぅん)』という地名になったのよ。平家の人たちは島人たちに色々な事を教えたわ。その中の一つのお芝居は今も伝わっていて、お祭りの時に演じられているのよ。諸鈍に隠れて十年余りが経って、鎌倉の将軍(源頼朝)が亡くなったという噂が流れて来て、その噂が本当だと知ると、もう追っ手は来ないだろうと中将の弟の少将(平有盛)と従弟(いとこ)の左馬頭(さまのかみ)(平行盛)は諸鈍から出て行ったわ。少将は浦上(うらがん)に行って、左馬頭は戸口(とぅぐち)に行って子孫を残したのよ」
「鎌倉の将軍が亡くなってもトゥクカーミーは続いたのですか」
「鎌倉の将軍はトゥクカーミーに関わっていなかったみたいよ。京都にいる天皇熊野水軍と組んでやっていたのよ。そこに平家や阿多氏や博多の商人たちが加わっていたようだわ。天皇が鎌倉に敗れて(承久の乱)力を失ってしまうとトゥクカーミーも終わってしまうのよ。ヤマトゥからのお船も来なくなってしまって急に静かになってしまったわ。百年位静かな日々が続いて、突然、倭寇がやって来たのよ。九州を支配していた将軍宮(しょうぐんみや)(懐良親王)の配下の名和(なわ)五郎左衛門がやって来て、笠利按司を倒して赤木名グスクを奪い取ったのよ。当時の笠利按司は強欲な人で、島人たちを苦しめていたから赤木名ヌルに見放されて倒されたのよ。赤木名ヌルは名和五郎左衛門と結ばれて跡継ぎを産んだんだけど、その娘は幼いうちに亡くなってしまい、二度目の出産に失敗して、赤木名ヌルは絶えてしまったわ。赤木名は将軍宮が明国(みんこく)に送るお船の中継地として栄えるんだけど、将軍宮の力が衰えると明国に行くお船も来なくなったわ。その頃、琉球の察度(さとぅ)も明国との交易を始めたの。明国の商品を求めて倭寇が次々に来るようになって、この島のあちこちに拠点を造ったわ。小さな按司たちは皆、倭寇に滅ぼされてしまったのよ。わたしの子孫のヌルたちも倭寇に滅ぼされてしまって、生き残ったのは手花部(てぃーぶ)ヌルだけだわ」
倭寇たちはヌルも殺したのですか」
「抵抗する者は皆、殺されたのよ。高麗(こーれー)で暴れ回っていた倭寇だから島の人たちなんて人とは思わず、ひどい事をしていたのよ。倭寇に連れ去られた娘たちも大勢いたわ」
「ひどい事をした倭寇たちは退治したのですか」
「浦上に来た倭寇は追い返したようだけど、浦上の平家の子孫も倭寇を退治するほどの力はないわ。悪い奴らは自然と来なくなったのよ。琉球に行っても誰もが取り引きできるわけじゃないわ。取り引きできないのに、わざわざこんな所まで来ても仕方がないと思って高麗の方に行ったんだと思うわ。奪い取った拠点に残っていた者たちもいたけど、やがて帰って行ったのよ。それでも残っていた者は山北王が攻めてきた時にやられたわ。ここに居座っていた名和小五郎みたいにね。この島の事がわかったかしら? 琉球とヤマトゥの交易を今以上に盛んにして、この島を栄えさせてね」
「今までは来られませんでしたが、これからは毎年、交易船がこの島に寄ってからヤマトゥに行くようになります。中山王のお船が泊まればヤマトゥから来るお船も立ち寄るようになると思います。琉球とヤマトゥの中継地としてこの島が栄えるように努力いたします」とサスカサは言ってから、
「鬼界島に行ったという浦添ヌルだったマジニの事を教えてください」と尋ねた。
「マジニは鬼界ヌルを継ぐべき娘なのよ」と言ったのはハッキナ姫ではなくキキャ姫だった。
「えっ、武寧(ぶねい)の娘のマジニが鬼界ヌルを継ぐのですか」とサスカサは驚いた。
「トゥクカーミーが終わった頃、鬼界ヌルの次女が父親と一緒に琉球に渡ったわ。父親は五代目の阿多源八の弟で、水軍のサムレーとして英祖(えいそ)に仕えたの。次女は浦添のサムレーに嫁いで、英祖の曽孫(ひまご)が玉グスク按司の養子になった時、護衛を命じられた夫に従って玉グスクの城下に移ったわ。次女の娘は玉グスクのサムレーに嫁いで、以後、子孫の娘は玉グスクにいたんだけど、マジニの祖母が前田大親(めーだうふや)に嫁いで浦添に行ったの。そして、前田大親の娘として生まれた母親が武寧の側室になってマジニが生まれたのよ。島に残った鬼界ヌルの長女は鬼界ヌルを継いだんだけど、娘の若ヌルが跡継ぎを生む前に亡くなってしまったの。鬼界ヌルは絶えてしまって、その後、花良治(ひらじ)ヌルがずっと代行していたのよ。三年前、マジニが突然現れたので、あたしは喜んだわ。でも、敵の湧川大主と一緒だったから、しばらく様子を見る事にしたの。湧川大主と一緒に行ってしまったら諦めるつもりだったけど、マジニは鬼界島を守るために島に残ったわ。あたしはマジニを認めて、鬼界ヌルに任命するつもりよ」
「武寧の娘のマジニが鬼界ヌルになるなんて‥‥‥」とサスカサ、シンシン、ナナ、志慶真ヌルは驚いた。
 マジニは父の敵(かたき)を討つために今帰仁に行ったと聞いている。マジニの気持ちが変わっていなかったら中山王に従うとは思えない。キキャ姫様がいるので、すんなり行くと安心していたのに邪魔が入るなんて思ってもいなかった。
「心配いらないわ」とキキャ姫が言った。
「マジニは以前のマジニと違うわ。過去の事を忘れて、鬼界島のために生きようとしている。もし、あなたたちと対立するような事があったら鬼界ヌルとして失格よ。あたしは任命しないわ」
「でも、マジニは鬼界ヌルになるために鬼界島に行ったのでしょう?」
「マジニにはまだ言っていないのよ。今、花良治ヌルのミキが島のヌルとして島をまとめているんだけど、マジニはミキに従っているの。自分が鬼界ヌルを継ぐなんて考えてもいないはずよ。あなたたちをどう迎えるかで、マジニの将来は決まるわ」
「マジニはンマムイの妹だから大丈夫よ」とナナがサスカサに言った。
 サスカサは笑ったが、必ずマジニを味方に付けなければならないと気を引き締めた。
 ハッキナ姫と別れてウタキから出たサスカサたちは見張り小屋のある所まで戻って景色を眺めた。西側の海はよく見えるが東側にある鬼界島は見えなかった。
「この島にも倭寇によって殺された人が大勢いたのね。ササがいたら鎮魂の曲を吹いたに違いないわ」とシンシンが言ってサスカサを見た。
「だめよ」とサスカサは手を振った。
「あたし、鎮魂の曲なんて知らないもの」
「気持ちよ。心を込めて吹けばいいんだと思うわ」
 サスカサは倭寇に殺された人たちの事やさらわれた娘たちの事を想像して、さまよっている魂を慰めなければならないと思い、シンシンにうなづいた。
 サスカサは笛を取り出して、海を眺めながら笛を吹き始めた。静かな優しい調べが流れた。ササと安須森(あしむい)ヌルが吹く荘厳な鎮魂の曲とは違って、傷ついた魂を優しく包み込んでくれるような曲だった。哀しい曲ではないのに、なぜか知らずに涙が溢れ出てきて、サスカサの弟子たちは何度も涙を拭っていた。マキビタルーは涙を流しながらサスカサを見つめていた。
 誰が吹いているのか、途中からサスカサの笛の音に別の笛の音が重なった。すべての魂が救われるような、言葉では表せない感動が聴いている者たちの心を揺さぶった。
 サスカサが笛から口を離して曲が終わると皆、呆然としていた。
「素晴らしかったわ」とユワン姫の声が聞こえた。
「一緒に吹いてくれたのはユワン姫様だったのですね」とサスカサが聞いた。
「あなたの笛を聴いていたら、わたしも吹かずにはいられなくなったのよ。七月十五日にユワンウディーの山頂でも吹いてね。南部でも倭寇の被害にあった人たちがいるわ。さまよっている魂(まぶい)を慰めてやってね」
 サスカサはユワン姫に約束をした。
「凄いわ。ササが聴いたら、きっと一緒に吹くと思うわ」とシンシンが言った。
 サスカサの弟子たちは目を輝かせて、サスカサに笛を教えてと頼んだ。
「『まるずや』さんが笛を持っていたわ」と志慶真ヌルが言った。
「『まるずや』さんが来たら、みんなの分を譲ってもらうわ」
 弟子たちはキャーキャー喜んだ。
「ねえ、サスカサ、話は変わるんだけど、鬼界島に行く前に徳之島にいるトゥイ様とナーサさんを呼んだ方がいいんじゃないの」とナナが言った。
「トゥイ様?」
「トゥイ様はマジニの叔母さんよ。トゥイ様が山南王妃(さんなんおうひ)だった頃、マジニと会っているんじゃないの。それにナーサさんは浦添グスクの御内原(うーちばる)にいたから子供の頃からマジニを知っているはずだわ」
「そうね。いい考えだわ。マジニも二人には会いたいはずだわ。兄に頼んで二人を呼びましょう」
 グスクに戻ると中山王に忠誠を誓った奄美按司が歓迎の宴の用意をして待っていた。カサンウディーに行きたかったが、今から行ったら日が暮れてしまうというので、明日にしようとサスカサたちは宴に参加した。

 

 

 

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