長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-86.久高島の大里ヌル(改訂決定稿)

 ササは馬天(ばてぃん)ヌルと佐敷ヌルとサスカサ(島添大里ヌル)を連れてセーファウタキ(斎場御嶽)に行き、切り立った岩の上にあるウタキに登って、豊玉姫(とよたまひめ)と娘のアマン姫に会わせた。すでに玉依姫(たまよりひめ)はヤマトゥ(日本)に帰っていた。年末年始は神様も忙しいようだ。
 馬天ヌルは岩の上に祀られた大きな鏡を見て驚き、突然、ある事に気がついた。
 今までずっとティーダシル(日代)の石を探していたが、ティーダシルは石ではなく、鏡なのではないのだろうか。
 豊玉姫がヤマトゥから持って来たもう一つの小さい鏡が、『真玉添(まだんすい)』に祀られていたティーダシルの鏡なのではないのだろうか。
 馬天ヌルは豊玉姫から、『真玉添』の事を詳しく聞いた。
 真玉添はアマン姫の娘が真玉添ヌルになって、浮島(那覇)を見下ろす高台に、ヌルが治める村(しま)を造ったのが始まりだった。真玉添ヌルは太陽(てぃーだ)の神様として、豊玉姫からもらった鏡を『ティーダシルの鏡』として祀り、月の神様として、島添大里(しましいうふざとぅ)グスク内にあるウタキから石を分けてもらって、『ツキシル(月代)の石』として祀ったという。
 島添大里グスクの一の曲輪内の一番高い所にある岩が、『月の神様』を祀っているウタキで、ツキシルの石はその分身だった。首里(すい)グスクを攻め落として、勝連(かちりん)と同盟を結んだ時、サハチたちが勝連グスクからツキシルの石が光っているのを見たが、あの光は本体である島添大里グスクのウタキの岩が光っていた。佐敷にあったツキシルの石は故郷である島添大里に帰ってから、真玉添があった首里遷座(せんざ)したのだった。
 ティーダシルが鏡であるなら、ササが見つけたガーラダマ(勾玉)と同じように読谷山(ゆんたんじゃ)の山の中にあるのかもしれないが、土の中に埋められた鏡を探し出すのは不可能に近かった。
 佐敷ヌルは豊玉姫から、琉球の北端にある『安須森(あしむい)』の事を詳しく聞いて、途絶えてしまった安須森ヌル(アオリヤエ)を継ぐ事を決心していた。
 サスカサは豊玉姫から、『島添大里グスクのウタキ』の事を詳しく聞いていた。
 島添大里グスクのある山は古くから『月の神様』が祀られていて、そのウタキを中心に島添大里グスクは造られた。島添大里ヌルのサスカサは月の神様に仕えるヌルだったが、グスクができてからは按司を守るヌルに変わってしまった。以前のごとく、月の神様にお仕えしなさいとサスカサは言われたという。
 正月二十三日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が船出して行った。正使は唐人(とーんちゅ)の程復(チォンフー)で副使は具志頭大親(ぐしかみうふや)、サムレー大将は五番組の外間親方(ふかまうやかた)で、五番組にはマウシ(山田之子)がいた。マウシはようやく明国(みんこく)に行けると喜んでいた。去年、生まれた可愛い娘と会えなくなるのは辛いが、シラー(久良波之子)もジルムイ(島添大里之子)も行って来た明の国には何としてでも行かなければならなかった。
 正使の程復は八十を過ぎた老人で、正使を務めたあと、そのまま帰郷する事になっていた。
 程復が琉球に来たのは五十年以上も前の事だった。浮島にはまだ久米村(くみむら)(唐人町)も若狭町(わかさまち)(日本人町)もなく、ウミンチュ(漁師)の家が数軒と、久米島(くみじま)から送られてくる米を蓄えておく高倉がいくつか建っているだけの寂しい島だった。
 大陸では元(げん)の国が滅びる寸前で、内乱があちこちで始まり、商売もままならない状況になっていた。南蛮(なんばん)(東南アジア)の商品を扱っていた商人だった程復は、思い切って琉球に拠点を移した。琉球から旧港(ジゥガン)(パレンバン)に船を出して南蛮の商品を手に入れ、その商品をヤマトゥの征西府(せいせいふ)に売る事にした。勿論、元の国の商品も扱った。九州を統一して太宰府(だざいふ)に征西府を置いた懐良親王(かねよししんのう)は、村上長門守(ながとのかみ)(義弘)を琉球に送って、程復と交易を始めた。
 征西府が今川了俊(りょうしゅん)に滅ぼされてしまうと、村上長門守も来なくなってしまうが、浦添按司(うらしいあじ)の察度(さとぅ)に頼まれて、ヤマトゥに向かう明国の使者と会い、琉球朝貢(ちょうこう)が許されたのだった。
 征西府との交易で成功した程復は、土塁で囲まれた久米村を造って、大陸から移って来た唐人たちを守り、朝貢のために働いてきた。孫も何人もでき、久米村の長老として皆から尊敬もされていたが、八十を過ぎて望郷の念にかられ、帰郷する事に決めたのだった。
 程復を乗せた進貢船は北風(にしかじ)を横に受けて、西(いり)へと旅立って行った。
 二月になって、浦添極楽寺跡地の整地が行なわれた。極楽寺を建てるのはまだ先の事だが、浦添ヌルのカナがサムレーたちと一緒に、六十年前に察度に焼かれた極楽寺の残骸を片付けた。浦添グスクの焼け跡を片付けたサムレーたちにとって、極楽寺の片付けはお手の物だった。
 極楽寺の跡地から古い鉄の剣(つるぎ)が発見された。錆びてぼろぼろの状態だったが、カナはかなり古い物だと直感した。大切に扱って、木箱に入れて首里に持って来た。馬天ヌルが見て、「豊玉姫様の剣だわ」と言った。ナンセン(南泉)禅師とジクー(慈空)禅師も見て、一千年以上も前の剣に違いないと判定した。思紹(ししょう)(中山王)は大切に保管するようにと命じた。
 シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が馬天浜(ばてぃんはま)に来たのは、二月に入ってからだった。随分と遅いので、途中で事故でもあったのかと心配していたら、何と、お屋形様のサイムンタルー(早田左衛門太郎)が朝鮮(チョソン)から帰って来たので、遅くなってしまったという。
 早田左衛門太郎(そうださえもんたろう)が家臣たちを引き連れて、対馬(つしま)に帰って来たのは正月の十二日だった。左衛門太郎たちが帰って来る事を富山浦(プサンポ)(釜山)の五郎左衛門が知らせたのは五日で、琉球に向かう準備をしていたシンゴは急遽、琉球に行くのを延期して左衛門太郎の帰りを待った。
 その日、土寄浦(つちよりうら)は左衛門太郎が率いて来た船で埋まり、太鼓や法螺貝が鳴り響いて、お祭り気分に浮かれた。女たちは着飾って男たちを迎え、子供たちは記憶もおぼろになった父親を迎えた。十四年振りの再会だった。
 船越にいたイトたちも皆、土寄浦に来ていた。上陸した左衛門太郎は息子の六郎次郎と一緒にいるユキとミナミを見て、嬉しそうに笑った。
 ミナミが「祖父(じい)ちゃま?」と聞くと、左衛門太郎は目を細めて、「会いたかったぞ」と言ってミナミを抱き上げた。
 マツ(中島松太郎)は妻のシノと三人の子供たちと再会した。マユは夫を迎え、娘のミツはほとんど記憶にない父親と再会した。サワの娘のスズも夫との再会を喜んだ。あちこちで涙の再会が演じられ、男たちが帰って来た土寄浦は以前の活気を取り戻していた。
 一昨年(おととし)の夏、開京(ケギョン)(開城市)でサハチと会った左衛門太郎は本気で帰郷を考えるようになり、何度も漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に出向いて帰郷の要請をして、ようやく許された。
 儒教(じゅきょう)の教えに『五十にして天命を知る』という孔子(こうし)の言葉がある。儒教を国教にしている朝鮮では、孔子の教えを尊んだ。左衛門太郎は去年、五十歳になり、自分の天命は対馬と朝鮮の繁栄のために尽くす事だと言った。左衛門太郎は十四年間、倭寇(わこう)の取り締まりに励んで、さらに、裏では『津島屋』を通して日本刀の取り引きを行ない、琉球から使者がやって来たのも、左衛門太郎と琉球との結び付きによるものだった。時勢も十四年前とは違って、倭寇が暴れ回る時代ではなくなってきている。左衛門太郎には対馬に帰ってもらい、朝鮮のために交易に力を入れてもらった方がいいと重臣たちも考え、朝鮮王の李芳遠(イバンウォン)に信頼されている将軍の李従茂(イジョンム)の進言もあって、左衛門太郎の帰国は許されたのだった。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はシンゴから話を聞いて、本当によかったと喜んだ。
「お屋形様が帰って来て、お前はどうなるんだ?」とサハチはシンゴに聞いた。
「俺は以前と変わらずさ。対馬琉球を行ったり来たりする」
「そうか、よかった。お前が来なくなったら佐敷ヌルと娘のマユが寂しがるからな。サイムンタルー殿は船越を拠点にするのか」
「船越を拠点にして、まずは浅海湾(あそうわん)内を一つにまとめると言っていた」
「そうか。十四年も留守にしていたから、まずは挨拶回りといった所か。やがては宗讃岐守(そうさぬきのかみ)(貞茂)と戦う事になるな」
 シンゴはうなづいた。
対馬を統一すると兄貴は言っていた。守護である宗讃岐守の後ろには将軍様足利義持)がいるからな。慎重にやらなければならないとも言っていたよ」
「そうか。対馬で戦(いくさ)が始まりそうだな。琉球でも戦が始まる」
伊平屋島(いひゃじま)に寄ったら、大勢の兵がいたんで驚いたよ」とシンゴは言った。
 サハチは伊平屋島で起こった事件をシンゴに話した。
「いよいよ、山北王(さんほくおう)が動き出したか。奄美大島はどうなったんだ?」
「平定には失敗したようだ。今年、また行くつもりだろう」
今帰仁(なきじん)攻めは五年後だったな。五年後には山北王はトカラの島々も支配下に置いてしまうのではないのか。宝島を取られたら、琉球に来られなくなるぞ」
「宝島は絶対に渡さない。山北王が手を出したら、伊平屋島のように兵を送って守るよ」
「頼むぜ」とシンゴは笑った。
 中グスクの若按司のムタと浦添按司の次男のクジルーも無事に帰ってきた。二人は薩摩の坊津(ぼうのつ)で交易船に乗り換えて京都まで行き、京都から博多に帰ってきたあと朝鮮に行き、富山浦の『倭館(わかん)』に二か月余りも滞在して、十一月の末に博多に戻り、その後、対馬に行ったという。
「どこに行っても驚きの連続でした。行ってきてよかったです」とクジルーは嬉しそうに言った。
「義父(ちち)(クマヌ)の生まれ故郷(うまりじま)に行けただけでなく、朝鮮の国も見る事ができて、本当に感謝しています」とムタは感慨深げに言った。
 サハチは笑って、「旅の経験を無駄にするなよ」と二人の肩をたたいた。
 『対馬館』で歓迎の宴(うたげ)が行なわれ、サハチは対馬の女たちと夫との再会の様子を詳しく聞いた。
 それから二日後、旅に出ていた慈恩禅師(じおんぜんじ)、飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)、二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)、イハチ(サハチの三男)、チューマチ(サハチの四男)が帰って来た。ヤンバル(琉球北部)の山の中で拾ったと言って、十歳くらいの娘を連れていた。可愛い顔をしているが、言葉がしゃべれず、耳も聞こえないらしいので、どうして山の中にいたのかわからない。放っても置けず、連れて来たという。とりあえず、娘はマチルギに預けて、サハチと思紹は五人を連れて遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』に行って、酒を飲みながら旅の話を聞いた。
 慈恩禅師はほとんどの城下で銅銭が使える事に驚いていた。サハチが旅をした二十年余り前、銅銭が使えたのは浦添と島尻大里(しまじりうふざとぅ)、勝連、今帰仁だけだったが、今では南部の城下のほとんどで銅銭が使えた。中山王(ちゅうざんおう)が按司たちを従者として明国に連れて行ったお陰だった。
 今帰仁首里よりも栄えていたのにも驚いていた。今帰仁の城下には大勢のヤマトゥンチュ(日本人)がいて、まるで、守護大名がいる城下に来たような雰囲気だったという。そして、夏になったら伊平屋島で戦が始まりそうだと城下の人たちは噂をしていた。
 去年の暮れ、中山王の交易船を奪うために兵を引き連れて伊平屋島に向かった奄美按司(あまみあじ)は無残な姿で帰って来た。船倉に閉じ込められ、汚物にまみれた惨めな姿だった。山北王(攀安知)は激怒して奄美按司に会う事もなく、按司の座を剥奪した。代わりに奄美按司に抜擢されたのは志慶真(しじま)の長老の孫のシルータだった。シルータは按司になれた事を喜びながらも、先代と同じ轍(わだち)を踏まないように身を引き締めたという。
 長い間、旅をしていると地名に興味を持つようになり、慈恩禅師は今帰仁の意味が知りたくなって、土地の者に聞いて回ったら、志慶真の長老を紹介されて教えてもらった。
 古くは『今来(いまき)知る』と言われ、今来は外来者で、知るは治めると言う意味で、外から来た者によって治められた土地を意味している。イマキジルがイマキジンになり、ナキジンに変化していったのだろうと長老は言った。南部にある島尻大里のシリも同じで、島を治める大里という意味らしい。
 サハチたちは感心しながら、慈恩禅師の話を聞いていた。禅僧である慈恩禅師を遊女屋に連れて行ってもいいものだろうかとサハチは不安だったが、慈恩禅師は何も気にする事なく、綺麗どころが揃っておるのうと喜んで、遊女(じゅり)たちとも楽しそうに接していた。
 チューマチは初めて遊女屋に来て緊張していた。昔の自分を思い出して、酒を飲み過ぎなければいいがとサハチは心配した。やがて、ヒューガ(日向大親)がやって来て加わり、ヂャンサンフォン(張三豊)もやって来た。ンマムイ(兼グスク按司)とヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)もやって来て、慈恩禅師の旅の話は延々と続いていった。サハチが心配した通り、チューマチは飲み過ぎて嘔吐していた。これも修行だ、頑張れとサハチは心の中で言っていた。
 その二日後は首里グスクのお祭り(うまちー)だった。今年も龍天閣(りゅうてぃんかく)を開放して、城下の人たちを喜ばせた。舞台で演じるお芝居は二つあった。一つは首里の女子(いなぐ)サムレーたちによるお芝居で、もう一つはウニタキ(三星大親)が作った旅芸人たちのお芝居だった。女子サムレーたちは『瓜太郎(ういたるー)』を演じて、旅芸人たちは『浦島之子(うらしまぬしぃ)』を演じた。
 旅芸人たちも結成されてから一年近くが経ち、厳しい稽古の甲斐があって、ようやく他人様(ひとさま)に見せられるようになっていた。今日は初めて観客を前にして演じるので、フク、ラシャ、カリー、ユシ、マイの五人の舞姫も、笛と太鼓と三弦(サンシェン)を担当する五人囃子(ばやし)の娘たちも緊張していた。
 佐敷ヌルは新しい演目を考えていたのだが、城下の者たちから『瓜太郎』を観たいという要望が多かったため、新作は次の島添大里グスクのお祭りで披露する事にしたのだった。
 女子サムレーの剣術の模範試合のあと、シラーとウハが明国に行っていていないので、ササとシンシン(杏杏)が武当拳(ウーダンけん)を披露した。
 佐敷ヌルが五人の舞姫たちを紹介して、旅芸人たちの『浦島之子』が始まった。失敗する事なく見事に演じ、囃子方もうまくやり遂げた。木陰に隠れて密かに見ていたウニタキも、よくやったぞと喜んでいた。
 女子サムレーの『瓜太郎』も大成功だった。初演の時、ササとシンシンとナナが素晴らしい演技を見せたので、皆、負けるものかと頑張って、上演を重ねる度に見事な出来映えになって行った。
 敵の襲撃もなく、無事にお祭りも終わって、その翌日、お腹が大きくなっていたマカトゥダルが首里の御内原(うーちばる)に入った。ようやく、サグルーの子供が生まれるとサハチもマチルギも喜んで、無事に生まれる事を祈った。
 慈恩禅師と右馬助は、上間大親(うぃーまうふや)となって上間グスクに移った嘉数之子(かかじぬしぃ)の屋敷が空いていたので、その屋敷に入り、武術道場に通ってサムレーたちを鍛えていた。修理亮は浦添に行った。浦添のサムレーたちを鍛えてくれと浦添ヌルに頼まれたという。以前、ササから修理亮は浦添ヌルのカナが好きだと聞いた事があった。二人がうまく行って、このまま修理亮が琉球に残ってくれればいいとサハチは思った。
 ウニタキは配下の者三人を連れて、与論島(ゆんぬじま)に向かった。この時期は船では行けないので、最北端の辺戸岬(ふぃるみさき)まで行き、潮の流れと風向きを見計らって渡らなければならなかった。口に出しては言わないが、幼馴染みの与論(ゆんぬ)ヌルとの再会を楽しみにしているようだった。与論ヌルの助けで、与論グスクの弱点が見つかればいいとサハチは願った。
 二月二十八日、島添大里グスクのお祭りが行なわれた。お芝居は『酒呑童子(しゅてんどうじ)』だった。
 ヤンバルの山奥に酒呑童子という鬼が住んでいて、都の女たちが何人もさらわれた。王様は怒って、サムレー大将のライクーに鬼退治を命じる。ライクーは四天王と呼ばれるチナ、キントゥキ、ウシー、ウラビーを連れてヤンバルに向かう。
 途中で山の神様と出会って、飲めば鬼の力が弱まるという神酒を授かる。ライクーたちは神様にお礼を言って先に進む。山の入り口に川が流れていて、娘が洗濯をしている。話を聞くと鬼に捕まって、殺された女たちの着物を洗わされていると言って泣く。娘から山の様子を聞いて、ライクーたちは山の中に入る。
 山の中にガマ(洞窟)があって、松明(たいまつ)を持って入って行く。酒呑童子が五人の鬼と一緒に女を侍(はべ)らせて酒盛りを始めている。ライクーたちは、一晩泊めてくれと頼み、お礼に神様からもらった酒を差し出す。鬼たちは喜んで酒を飲み、力を失い眠ってしまう。ライクーたちは眠っている酒呑童子の首を斬って殺し、他の鬼たちも倒す。捕まっていた女たちを助けて都に戻り、めでたしめでたしでお芝居は終わった。
 物語はライクーたち五人の会話によって進んで行く。時には馬鹿な事を言って観客たちを笑わせた。見せ場は眠っている酒呑童子の首を斬ったあと、斬られた首がライクー目掛けて飛んでいく場面だった。観ている者たちは本当に首が斬られたと思って悲鳴を上げる者もいた。そのあと、残った鬼たちとの対決では華麗な剣舞を披露した。力を失った鬼たちはフラフラしながらもライクーたちと戦って、終(しま)いには斬られて倒れた。
 島添大里グスクのお祭りでも、旅芸人たちの『浦島之子』が演じられ、首里の時よりもうまくなっていた。
 舞台の最後には、ウニタキの代わりに息子のウニタル(鬼太郎)が姉のミヨンと一緒に三弦を披露した。十五歳になったウニタルは、父親のウニタキによく似ていた。来年はマサンルー(佐敷大親)の長男のシングルーと一緒にヤマトゥ旅に行かせようとサハチは思った。
 島添大里グスクのお祭りの五日後、思紹の久高島参詣(くだかじまさんけい)が行なわれ、いつもと同じようにヂャンサンフォンがお輿(こし)に乗って、思紹は馬に乗って最後尾を行った。いつもと違うのは思紹の側室たちがお輿には乗らず、女子サムレーの格好で侍女たちと一緒に歩き、お輿の中にはそれぞれの荷物が乗っていた。ササ、シンシン、ナナの三人もヌルとして行き、慈恩禅師と右馬助も一緒に行った。
 今年はマチルギも行ったので、サハチは留守番として首里グスクに行き、龍天閣の三階で絵地図を眺めながら過ごしていた。絵地図には、今築いているンマムイの新しいグスク(内嶺グスク)も、八重瀬按司(えーじあじ)のタブチの次男が築いている最南端に近い海辺のグスク(具志川グスク)も真壁按司(まかびあじ)が築いている山の中のグスク(山グスク)も、伊敷按司(いしきあじ)が築いている海辺のグスク(ナーグスク)も、山北王の娘を嫁にもらった三男のために、山南王(さんなんおう)が築いている保栄茂(ぶいむ)グスクも書いてあった。
 南部も賑やかになったものだと思いながら、山南王のシタルーがどう出るかを考えていた。
 久高島に行ったササたちはいつものように、馬天ヌルと一緒にフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もった。いつものようにお祈りをしていると、ササは今まで聞いた事がない神様の声を聞いた。
 神様は、「舜天(しゅんてぃん)の誤解を解いて下さい」と言った。
 舜天(初代浦添按司)はヤマトゥの武将と島添大里ヌルとの間に生まれたと佐敷ヌルから聞いていた。どうして、舜天の名が出てくるのかササにはわからなかった。
「舜天が真玉添(まだんすい)や運玉森(うんたまむい)のヌルたちを滅ぼしたというのは誤解です」と神様は言った。
「あなたはどなたですか」とササは聞いた。
「舜天の母の大里(うふざとぅ)ヌルです」
「もしかして、島添大里ヌルですか」
「そうです。当時はただの大里ヌルでした。あの頃から百年くらい経ったあと糸満(いちまん)の近くに大里グスクができて、二つの大里グスクを区別するために、東(あがり)の大里を『島添大里』と呼び、西(いり)の大里を『島尻大里』と呼ぶようになったのです」
「あなたはサスカサさんなのですね?」
「そうです。御先祖様はアマン姫様です」
 ササは理解した。ササが豊玉姫とアマン姫の母子と会った事を知った舜天の母親の大里ヌルが、ササに声を掛けてきたのだった。
「舜天はそんなひどい事はしません。真玉添ヌルも運玉森ヌルもわたしの一族なのです。母親の一族を滅ぼすような事は決していたしません」
「それでは誰が、真玉添と運玉森を滅ぼしたのですか」
「ヤマトゥから来た陰陽師(おんようじ)の理有法師(りゆうほうし)です」
 聞いた事もない名前だとササは思った。
「あの年はヤマトゥからサムレーが続々とやって来ました。鎧(よろい)を着て、鋭い刀を持った恐ろしい人たちが何人もやって来て、この島は恐怖に陥りました。平和だった島に血の雨が降ったのです。最初は安須森(あしむい)でした。安須森のヌルたちがヤマトゥのサムレーたちに襲われて、逆らった者は殺され、捕まった者はさらわれました。そのサムレーたちは今帰仁にグスクを築いて、そこに落ち着き、南部にはやって来ませんでした。わたしたちはホッと胸をなで下ろしたのですが、別のヤマトゥンチュが馬天浜にやって来たのです。それが理有法師の一行で、巫女(みこ)と呼ばれる女や武器を持ったサムレーたちを従えて、総勢五十人余りがやって来ました。島添大里は大騒ぎになって、城下の者たちは皆、グスクの中に隠れました。理有法師も五十人でグスクを攻めるのは不可能と思ったのか、攻める事はなく運玉森に向かいます。そして、運玉森のヌルたちを襲ったのです。抵抗したヌルたちは殺され、捕まったヌルたちはサムレーたちの慰(なぐさ)み者になりました。勿論、男たちは戦いましたが、鋭い刀にはかないません。ほとんどの者は殺されて、捕まった者たちは理有法師の妖術に掛かって魂(まぶい)を奪われ、理有法師の意のままに動かされました」
陰陽師とは何ですか」とササは聞いた。
「マジムン(悪霊)を退治したり、先に起こる事を予言したり、雨を降らせたり、重い病に罹っている人を治したりと様々なシジ(霊力)を持っている人です。ヌルと唐(とう)の道士(どうし)とヤマトゥの山伏を併せ持ったような人で、あの頃のヤマトゥの国では高い地位を得ていたようです。理有法師は滅ぼされた平家に仕えていた陰陽師で、戦(いくさ)に敗れて、この島まで逃げて来たのです。運玉森を滅ぼした理有法師は真玉添に行って、真玉添も滅ぼしてしまいます」
「真玉添ヌルのシジも理有法師のシジにかなわなかったのですか」
「ヌルは人を殺(あや)めたりするシジは持っていません。人々を守るシジはありますが、とてもかないませんでした。理有法師は真玉添を占領して、新しい国を造ります。自ら理有王と名乗って、呪いを掛けた男たちを兵として国を守らせ、美しい女をさらって来ては妻に迎えて、好き勝手な事をしていました」
「まるで、酒呑童子だわ」とササは言ったが、神様には何の事かわからないようだった。
「その頃、わたしの息子の舜天は按司になって浦添にいました。真玉添が理有に襲撃されたと聞いて救援に行きますが、妖術を使う理有にはとてもかないませんでした。島添大里按司と協力して、挟み撃ちにしようともしましたが無駄でした。戦死者が増えるばかりで、理有に近づく事さえできません。ところが、天の助けか、ヤマトゥから朝盛法師(とももりほうし)という陰陽師がやって来たのです。朝盛法師は源氏に仕えていた陰陽師で、理有を追って、この島にやって来ました。朝盛法師は舜天と協力して、理有を倒します。激しい妖術合戦が行なわれて、まるで、台風が来たように天は荒れ狂い、大雨が降って風が吹き、稲光がして雷が落ち、見た事もない雪も降りました。朝盛法師は理有に勝って、理有は海の彼方に飛ばされました。理有法師はいなくなりましたが、真玉添も運玉森も再興される事はありませんでした。どちらも理有に殺されたヌルたちの霊がマジムンとなって現れるようになって、人々は近づくのを恐れました。朝盛法師は真玉添と運玉森のマジムンを封じ込めました。理有の事を知っているヌルたちの霊が封じ込まれてしまったため、理有の存在は消えてしまい、舜天が真玉添と運玉森を滅ぼしたという、ありもしない事実が本当の事のように語り継がれて来てしまったのです。どうか、真実を伝えて下さい」
「わかりました」とササは返事をして、「朝盛法師はその後、どうなったのですか」と聞いた。
「舜天のために仕えてくれました。島の娘と一緒になって子供も生まれ、ヤマトゥに帰る事なく、この島で亡くなりました」
「真玉添ヌルのチフィウフジン(聞得大君)が運玉森で亡くなったと聞きましたが、本当でしょうか」
「本当です。チフィウフジンはみんなを助けるために、理有に投降しましたが、理有は攻撃をやめませんでした。理有はチフィウフジンに妻になるように迫りますが、チフィウフジンはかたくなに拒みます。チフィウフジンは焼け跡になった運玉森で、小屋に閉じ込められたまま亡くなってしまいました」
「運玉森にある古いウタキはチフィウフジンのお墓だったのですね」
「そうです。理有法師が滅んだあと、わたしは亡くなった大勢のヌルたちを弔うために久高島に来て、フボーヌムイに籠もりました。わたしが初代の久高島の大里ヌルで、娘が跡を継いで、代々と続いて今に至っています」
 大里ヌルの事はフカマヌルから聞いていたが、ササはまだ会った事はなかった。
「大里ヌルはフカマヌルよりも古いのですね」
「古いのです。フカマヌルは舜天の孫の義本(ぎふん)を滅ぼした英祖(えいそ)の孫娘から始まります。申し訳ありませんが、もう一つお願いしてもよろしいでしょうか。あなたは玉依姫様を琉球にお連れした偉大なるシジを持ったヌルです。あなたならわたしの願いを叶えてくれるに違いありません」
 偉大なるシジを持ったヌルと言われて、ササは驚き、照れもした。神様からそんな風に言われたら、願いを聞くしかなかった。
「わたしにできる事でしたらお力になります」
「ありがとうございます。舜天の父親がどうなったのか調べて下さい」
「えっ!」とササは驚いた。そんな事を頼まれるなんて思ってもいなかった。
「舜天の父親はヤマトゥの武将だと聞いていますが、わたしは名前まで知りません」
「シングーの十郎と名乗っていました。クマヌ(熊野)から来たのです。その頃、大里按司はヤマトゥと交易をしていました。毎年のようにクマヌから船がやって来て、大量のヤクゲー(ヤコウガイ)やシビグァー(タカラガイ)を積んで帰って行きました。それらの貝殻は奥州(おうしゅう)の平泉(ひらいずみ)という所に運ばれるそうです。平泉という所は京都のように賑やかな都で、黄金色(くがにいる)に輝くお寺(うてぃら)があって、まるで極楽浄土のようだと自慢しておりました。ヤマトゥからは絹や甕(かーみ)、ガーラダマ(勾玉)や鷲(わし)の羽根、毛皮など高価な物がもたらされました。その船に乗って十郎様はやって来たのです。わたしは一目見て、わたしのマレビト神に違いないと思いました。わたしは十郎様と結ばれて、舜天と娘のフジが生まれました。わたしたちは幸せに暮らしておりましたが、十四年目の夏、十郎様はクマヌに帰って行かれました。また来ると約束したのですが来る事はありませんでした。ヤマトゥに帰った十郎様がどうなったのか、知りたいのです。十郎様が京都に行った事は、クマヌから来た者から聞きましたが、その後、なぜかクマヌからの船も来なくなってしまいました。あの頃、源氏と平氏は常に戦っていたそうです。十郎様がこの島に来たのも、戦に敗れて逃げて来たと言っていました。十郎様も戦に巻き込まれて亡くなってしまったのではないかと、ずっと気になっているのです」
 ササは『シングーの十郎』の事を調べると神様に約束して、フボーヌムイから出ると、馬天ヌル、シンシン、ナナに神様の話を告げて、大里ヌルに会いに向かった。
 馬天ヌルは十五年前、ウタキ巡りの旅に出た時、大里ヌルに会っていた。馬天ヌルと同じ位の年頃で、フボーヌムイにずっと籠もっていたサスカサ(運玉森ヌル)を、あなたにはやるべき事があると言って、キラマ(慶良間)の島に送り出したのが大里ヌルだった。『月の神様』に仕えていて、昼間は屋敷に籠もったまま誰とも会わず、夜になるとヌルとしてのお勤めをしていた。
「その当時は変わったヌルだと思っていたの。でも、島添大里グスクのウタキが『月の神様』を祀っていると知った今、ようやくわかったわ。大里ヌルは古くからの教えを守り続けているヌルなのよ」と馬天ヌルは言った。
 すでに日暮れ間近になっていた。フカマヌルの屋敷の西側の少し離れた所に、大里ヌルの屋敷はあった。
「まだ早いわ」と馬天ヌルが言って、暗くなるのを待ってから大里ヌルを訪ねた。
 大里ヌルは透き通るような色白で、二十代半ば頃の妖艶な女だった。先代の母親は二年前に亡くなったという。
「一生、太陽に当たらないせいか、代々、寿命が短いのです」と大里ヌルは言って、微かに笑った。
 ササは神様から言われた事を大里ヌルに話した。
「御先祖様の願いを聞いてあげて下さい。わたしにはできない事ですので、お願いいたします」
 ササはうなづいた。
「舜天のお母さんが初代の久高島大里ヌルだと聞いたけど、それからずっと、代々続いているの?」と馬天ヌルが大里ヌルに聞いた。
 大里ヌルはうなづいた。
「わたしは先代の娘で、母親は先々代の娘です。わたしはまだ出会ってはいませんが、必ずマレビト神が現れて、跡継ぎを授かるそうです」
「男の子は生まれないの?」
「男の子が生まれた時は大里家に養子に入ります。二代目が男の子を産んで、大里家ができました」
「もしかして、ここにも『ツキシルの石』があるのですか」とササは聞いた。
「はい。初代の大里ヌルが島添大里グスクのウタキから分けていただいた石が『ツキシルの石』として祀ってあります。大里ヌルは四年に一度、八月の満月の日、島添大里グスクのウタキにお参りする習わしがありました。でも、島添大里グスクが八重瀬按司に奪われて以来、お参りはできなくなってしまいました。先代が若ヌルの時にお参りをして以来、三十三年間、お参りはしておりません。できれば、お参りをしたいのですがよろしいでしょうか」
 ササは馬天ヌルを見てから、「勿論、お参りをして下さい」と言った。
「今年の八月は是非とも、島添大里グスクにいらして下さい」
 大里ヌルは首を振った。
「寅(とら)、午(うま)、戌(いぬ)の年と決まっております。今度のお参りは三年後の甲午(きのえうま)の年になります」
「わかりました。三年後の十五夜(じゅうぐや)の日、お迎えに参ります」
「ありがとうございます」とお礼を言った大里ヌルの目は涙に潤んでいた。
 大里ヌルを見ながら、ササは『ツキヨミ』の事を思い出していた。太陽の神様のアマテラスに比べて、ツキヨミの影が薄いと感じるのは、人の目に触れなかったからに違いないと思った。太陽があって月があり、昼があって夜がある。夜に活動する者たちにとっては、太陽より月が大切に違いない。大里ヌルは夜の世界を仕切っているヌルなのだろうかとササは思っていた。

 

 

 

八咫鏡(やたのかがみ)緑青風(ろくしょうふう)

2-85.五年目の春(改訂決定稿)

 永楽(えいらく)九年(一四一一年)の年が明けた。
 月日の経つのは速いもので、首里(すい)で迎える五回目の春だった。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は四十歳になり、長男のサグルーは二十二歳になった。サハチは二十一歳の時に佐敷按司になった。自分はどこか別の所に行って、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクはサグルーに任せた方がいいのかもしれないと思ったりもした。
 新年の儀式も無事に終わった。
 首里グスクに挨拶に来た按司たちは去年、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)が加わって、今年は兼(かに)グスク按司(ンマムイ)と米須按司(くみしあじ)と玻名(はな)グスク按司が加わった。米須按司と玻名グスク按司は明国(みんこく)に行っているので、若按司が代理として挨拶に来た。
 去年、山北王(さんほくおう)の攀安知(はんあんち)と同盟した山南王(さんなんおう)のシタルー(汪応祖)は、兼グスク按司の暗殺を失敗してからは特に動きはない。山北王は中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の交易船を狙って伊平屋島(いひゃじま)を攻めて来た。失敗に終わって腹を立てているに違いない山北王は、夏になったら伊平屋島を取り戻すために攻めて来るだろう。山北王が攻めて来る前に、島民を守るグスクを完成させなければならなかった。守備兵の大将のムジルは任せてくれと張り切っていたが、援軍を送った方がいいかもしれなかった。
 慈恩禅師(じおんぜんじ)は琉球を知るために飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)と二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)を連れて旅に出て行った。通訳としてイハチ(サハチの三男)が行き、イハチの弟のチューマチも一緒に行った。修理亮は半年間、琉球に滞在していたが、まだ島言葉は完璧ではなかった。サハチの四男のチューマチは十六歳になって、今年の夏、ヤマトゥ(日本)旅に行く予定で、その前に琉球を見て来いと送り出した。
 正月の半ば、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに帰っていたサハチは、ナツと一緒にのんびりとお茶を飲んでいた。ナツが産んだナナルーも五歳になって、兄や姉たちと一緒に元気よく遊んでいた。去年、マチルギが産んだタチはまだ首里の御内原(うーちばる)にいた。
「今年は誰がヤマトゥに行くのですか」とナツがサハチに聞いた。
「マチルギも京都に行きたいようだが、タチがいるから無理だろう。ヤグルー(平田大親)に頼むつもりだよ」
按司様(あじぬめー)はもう行かないのですか」
「行きたいが難しいだろう。伊平屋島の問題があるし、山南王も動き出しそうだしな」
「山北王と山南王を相手に戦(いくさ)をするのですか」
「山南王は首里グスクを諦めてはいないし、山北王は伊平屋島伊是名島(いぢぃなじま)を自分のものにしたいんだよ」
首里グスクを奪い取ってから、今まで戦がなくて平和だったのに、また、戦が始まるのですね」
琉球が統一されるまでは戦がなくなる事はない。統一するには敵を倒さなければならないんだ」
「五年後に山北王を倒して、その十年後に山南王を倒すのですか」
「五年後に山北王は倒すが、相手の出方次第では早まるかもしれない。山南王は、シタルーが亡くなれば妹婿の豊見(とぅゆみ)グスク按司(タルムイ)が跡を継ぐだろう。そうなれば倒さなくても済むかもしれない」
「あっ、そうですね。豊見グスク按司が山南王になれば南部は平和になるわ。山南王は今、いくつなのですか」
「俺よりも十歳年上だから、今年、五十だよ」
「あと十年は生きますね」
「いや、シタルーはしぶといから、あと二十年は生きるかもしれないよ」
「二十年ですか‥‥‥話は変わりますけど、ササが持っているガーラダマ(勾玉)は、一千年以上も前に豊玉姫(とよたまひめ)様が琉球に持って来た物らしいですよ」
「俺もササから聞いて驚いたよ。しかも、ササのだけじゃないんだ。馬天(ばてぃん)ヌルのガーラダマも佐敷ヌルのガーラダマも、サスカサのガーラダマも豊玉姫様が持って来た物だったんだ。バラバラになっていた四つのガーラダマが、みんなササの回りに集まっているんだよ」
「不思議ですね。一千年以上も前のガーラダマが四つも揃うなんて奇跡じゃないの?」
「最初は馬天ヌルのガーラダマで、親父が志喜屋の大主(しちゃぬうふぬし)の娘の志喜屋(しちゃ)ヌルからもらって来て、馬天ヌルのものとなったんだ。あの時、親父は不思議な思いがしたと言っていた。東行法師(とうぎょうほうし)になった親父は旅に出て、志喜屋の近くを通ったので、挨拶をして行こうと気楽な気持ちで志喜屋の大主を訪ねた。志喜屋の大主はすでに亡くなっていたけど、十年後に親父が訪ねて来る事を予見して、あのガーラダマを娘に預けていたんだよ」
「えっ、王様(うしゅがなしめー)が隠居して、旅に出る事を志喜屋の大主様は予見していたのですか」
「そういう事になるな。親父は目に見えない大きな力に動かされているような気がしたと言っていた」
「不思議ですねえ」
「二番目は佐敷ヌルのガーラダマだ。馬天ヌルが各地のウタキ(御嶽)を巡る旅に出て、ヤンバル(琉球北部)に行って安須森(あしむい)のウタキを巡っていた時、アフリヌルのお世話になったらしい。かなりの老婆で、昔の事を色々と話してくれたと馬天ヌルは言っていた。その老婆からもらったのが佐敷ヌルが持っているガーラダマなんだ。遙か昔、スサノオ様が琉球に来た頃、安須森にはヌルたちが暮らしていた村(しま)があったらしい。首里にあった真玉添(まだんすい)のようにヌルたちが治める村があって、そこで一番偉いヌルが『アオリヤエ』という神名(かみなー)を持った安須森ヌルだった。ヌルたちは平和に暮らしていたんだが、ある時、ヤマトゥからサムレーがやって来て滅ぼされてしまったらしい。安須森ヌルが身に付けていたガーラダマは、アフリヌルによって代々伝えられて、守られて来たようだ。そんな大切なガーラダマを、アフリヌルは馬天ヌルに贈ったんだよ。アフリヌルは馬天ヌルが来る事をかなり前から予見していて、若ヌルを育てていなかったんだ」
「えっ、本当なの?」
「本当らしい。馬天ヌルは七年後に王様の偽者を殺した奴を調べるために今帰仁(なきじん)に行った。その時、足を伸ばして安須森まで行ったらしい。二年前にアフリヌルは亡くなっていて、跡継ぎがいなかったので、アフリヌルは絶えてしまったという」
「誰も跡を継がなくて大丈夫なの?」
「アフリヌルの役目は、安須森ヌルのガーラダマを守る事だった。役目が終われば、跡を継ぐ者は必要ないのだろうと馬天ヌルは言っていた」
「安須森ヌルのガーラダマがどうして佐敷ヌルさんのものになったの?」
「馬天ヌルはガーラダマを渡された時、娘のササにあげようと思ったらしい。安須森ヌルのガーラダマを身に付けるという事は、安須森を守る事を意味している。ササならできるだろうと思ったようだ。当時、ササはまだ十歳だったけど、子供の頃からシジ(霊力)が強かったからな。ところが、旅から帰って来て、佐敷ヌルと出会って、安須森ヌルのガーラダマを渡すのは佐敷ヌルだとわかったらしい」
「どうして、わかったの?」
「馬天ヌルが言うには、ガーラダマがしゃべったという」
「そうだったのですか。あたしにはよくわからないけど、ササもガーラダマがおしゃべりするって言っていました。そうなると、佐敷ヌルさんは安須森ヌルを継ぐ事になるのですか」
「そうかもしれない。馬天ヌルは佐敷ヌルにガーラダマをあげた時、安須森ヌルの事は伝えずに、ただ古いガーラダマで、あなたによく似合うと言っただけだった。ササのお陰で、ガーラダマのいわれがわかって、馬天ヌルは佐敷ヌルに安須森ヌルの事を話したようだ。佐敷ヌルはガーラダマを見つめて、それがわたしの使命なのねと言ったらしい」
「そう。受け入れたのね。今帰仁を倒したあと、佐敷ヌルさんはヤンバルに行ってしまうのですね」
「しばらくは向こうにいるだろうな。そして、娘のマユに安須森ヌルを継がせるのだろう」
「そうか。マユちゃんが安須森ヌルになるのね」
 サハチはうなづいて、「三つめのガーラダマは、島添大里ヌルのサスカサに代々伝わってきて、今、娘のサスカサが持っている」と言った。
「島添大里ヌルも古くからあるヌルだったのですね」
「ササが豊玉姫様から聞いた話によると、スサノオ様との交易が始まった時、ヤマトゥから来る船を見つけるために、ここにグスクを築いて、身内の者を按司にしたらしい。そして、按司を守るヌルもできて、代々『サスカサ』という神名を名乗っていたようだ。四つめは、ササが読谷山(ゆんたんじゃ)で見つけたガーラダマだ。あの時、ガーラダマは十二個あった。その中から、ササは豊玉姫様が持って来たガーラダマを迷わずに選んでいる。そのガーラダマを首に下げてヤマトゥに行って、スサノオ様と巡り会ったというわけだ」
「ササがガーラダマを見つけた時、地震(ねー)が起きたわ。あの地震スサノオの神様が起こしたのかしら?」
「そうかもしれんな」
 地震だけでなく、親父が隠居して旅に出たのも、馬天ヌルがウタキ巡りの旅に出たのも、久高島(くだかじま)のフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もっていた先代のサスカサがキラマ(慶良間)の島に行ったのも、すべて、スサノオの神様のお導きのような気がしてきた。
「ササのガーラダマは運玉森(うんたまむい)ヌルが代々伝えてきたガーラダマらしい。ササはあのお気に入りのガーラダマを運玉森ヌル(先代サスカサ)に返そうとしたんだ。運玉森ヌルは受け取らず、若ヌルを育てて、そのガーラダマを渡しなさいと言ったそうだ」
「若ヌルって、与那原大親(ゆなばるうふや)の娘さん?」
「そうだ。マタルーの娘のチチーだよ。まだ九歳なんだ。その子をササが一人前のヌルに育てるというわけだ」
「ササに育てられるチチーも可哀想な気がするわ。でも、立派なヌルになるでしょうね」
 侍女が三星大親(みちぶしうふや)が来たと知らせた。と思ったら、すぐにウニタキが顔を出した。侍女と一緒に来たらしい。
「まあ、お茶でも飲め」とサハチはウニタキを迎えた。
「いらっしゃい」と言いながらナツが茶碗を取りに立った。
「何かあったのか」とサハチは聞いた。
「ちょっと、お前の耳に入れておこうと思ってな」
「シタルーが動いたのか」
「いや、シタルーは動かんが、山北王の兵が糸満(いちまん)に来た」
「山北王の兵?」
「五十人が来て、今、造っている保栄茂(ぶいむ)グスクに入った。山北王の娘夫婦を守るようだ。今は五十人だが、今後、増やすかもしれんな」
「シタルーは山北王の兵を使って戦(いくさ)をするつもりなのか」
「回りの按司たちに、山北王が付いているという事をみせたいのだろう。米須按司と玻名グスク按司が寝返ったので、真壁按司(まかびあじ)と伊敷按司(いしきあじ)も寝返る気配があるからな」
「真壁按司と伊敷按司は寝返るのは難しいだろう。李仲按司(りーぢょんあじ)が近くにいるからな」
「そこで、真壁按司も伊敷按司も新しいグスクを築いている。表向きは、米須按司と八重瀬按司(えーじあじ)に対抗するためだと言っているが、拠点を移して、寝返るかもしれない」
「どこにグスクを築いているんだ?」と言って、サハチは絵地図を広げた。
「真壁按司は束辺名(ちけーな)という所の小高い丘の上だ。タブチが今築いている海辺のグスクと米須グスクの中間当たりだ。伊敷按司は伊敷グスクの西の海の近くの丘の上だ。伊敷按司はタブチと同じように船を持ちたいようだな」
 サハチは絵地図に印を付け、「南部ではグスク造りが流行っているようだな」と笑った。
 ナツが戻って来て、ウニタキにお茶を入れて、「ごゆっくり」と言って去って行った。
 ウニタキはナツにお礼を言って、お茶を飲んだ。
「お前に知らせたかったのは、その事ではないんだ。ファイチ(懐機)の娘のファイリン(懐玲)の事なんだよ」とウニタキは言った。
「ミヨンとファイリンは本当の姉妹のように仲がいいんだ。ミヨンから聞いたんだが、ファイリンはシングルーが好きらしい」
「何だって、マサンルー(佐敷大親)の長男のシングルーか」
 サハチは驚いて、ウニタキを見た。
 ウニタキはうなづいた。
「お互いに相手が好きなようだ」
「ファイリンはいくつになったんだ?」
「十五だ。来年は嫁入りを考えてもいい年頃だよ」
「シングルーはチューマチより一つ年下だったな。奴も十五か」
「ああ、同い年だ」
「そうか。ファイリンをチューマチの嫁にもらおうと思っていたんだが、シングルーに取られたか」
「以前、お前からその話を聞いていたんで、一応、耳に入れておいた方がいいと思ったんだよ。シングルーなら身内だし、このまま見守ってやった方がいいじゃないかと思ってな」
「そうだな。お前はファイチと親戚になった。俺もファイチと親戚になりたいと思っていた。マサンルーの倅と一緒になってくれればそれでもいい。ファイチが中山王の身内になってくれれば、それでいいんだ。ファイチを手放したくはないからな」
 ウニタキは満足そうにうなづいた。
「チューマチだって、ファイリンとシングルーが仲のいいのは知っているだろう。二人の仲を裂いてまで、一緒になろうとは思うまい」とサハチは言った。
 チューマチもシングルーも共に、ソウゲン(宗玄)の屋敷に通って読み書きを習っていた。ファイリンは佐敷から通って来るシングルーと出会って仲よくなったのだろう。
 次の日、サハチはウニタキと一緒に首里グスクに行った。龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階で、思紹(ししょう)、マチルギ、馬天ヌルと一緒に今年の計画を練った。
 まずは伊平屋島の問題だった。伊平屋島から追い出された人たちの中で、ほとんどの男は帰って行ったが、女子供に年寄りはまだ首里に残っていた。夏には戦が始まるので、決着が付くまでは避難していた方がいいだろう。
「山北王も簡単には諦めんじゃろう」と思紹が絵地図を見ながら言った。
「戦が長引くと被害も増える。夏になったら、山北王は次から次へと船を送って攻めるじゃろう。伊平屋島だけでなく、伊是名島も攻め、海上での戦も起こるかもしれんのう」
「ヒューガ(日向大親)殿に頑張ってもらいましょう」とサハチは言った。
 思紹はじっと絵地図を見つめてから、「ここを攻めたらどうじゃ」と指を差した。
 思紹が指差したのは与論島(ゆんぬじま)だった。
与論島を攻めてどうするんです?」とサハチは聞いた。
「奪い取るんじゃよ」と思紹は言った。
 皆が驚いて、思紹を見た。
与論島は昔、勝連按司(かちりんあじ)が治めていたんじゃ。わしが東行法師(とうぎょうほうし)になって与論島に行った時、与論按司(ゆんぬあじ)は勝連按司の一族じゃった。ウニタキの兄貴が勝連按司だった時、山北王に奪われたんじゃよ」
「あたしが行った時は、山北王の親戚が与論按司だったわよ」と馬天ヌルが言った。
「叔母さん、与論島に行ったのですか」とサハチは驚いた。
「ヤンバルでお世話になったアフリヌルが顔が広くてね、アフリヌルの紹介でウミンチュ(漁師)に頼んで行ったのよ。綺麗な島だったわ。与論ヌルの案内でウタキ巡りもしたわ。与論ヌルは勝連按司の一族だったわよ。勝連按司の一族はみんな殺されたようだけど、与論ヌルだけは若ヌルを育てるために生き残ったみたい」
「与論ヌルとはどんな女なんだ?」と思紹が聞いた。
「奥方様(うなじゃら)と同じ位の年齢(とし)じゃないかしら。殺された与論按司の娘さんで、与論島で生まれたみたい。親兄弟が亡くなって、たった一人になってしまったけど、与論島を守らなければならないと言っていたわ。あの時、若ヌルは十七だったから、もう一人前のヌルになっているはずよ。今も無事に生きているかどうかはわからないわ」
「そのヌルの名前は、マトゥイという名ではありませんでしたか」とウニタキが身を乗り出して聞いた。
「そうよ。鳥(とぅい)のように空を飛びたいって言っていたわ。あなた、知っているの?」
「俺の従妹(いとこ)なんです。俺が十二歳だった時、マトゥイは勝連に来ました。なぜか気が合って、一緒に遊びました。半年だけだったけど楽しかった。与論島に帰ったらヌルになるための修行をすると言っていました。与論島を山北王に奪われた時、殺されてしまったと思っていました」
「あなたの従妹だったの‥‥‥」と馬天ヌルはウニタキを見つめた。
 ウニタキは笑って、「勝連での楽しい思い出は、マトゥイと一緒に遊んだ事だけでした」と言った。
「もし、そのヌルが今も生きていれば、使えそうだな」と思紹が言った。
与論島を何としてでも奪い取るんじゃ。そして、与論島を返すから、伊平屋島伊是名島から手を引けと山北王に言うんだ。いやだと言ったら、伊平屋島伊是名島の者たちを与論島に移せばいい」
「敵の目を伊平屋島に向けておいて、与論島を攻め取るんですね?」とサハチが言った。
「そうじゃ。浮島(那覇)からでなく、勝連から船を出せば、敵にはわかるまい」
 サハチはうなづいて、「与論島の兵力はわかるか」とウニタキに聞いた。
「詳しい事はわからんな」とウニタキは首を振った。
「俺が浜川大親(はまかーうふや)だった頃、与論按司は親父の従弟(いとこ)だった。何度か会った事がある。その頃の兵力は百人前後だったはずだ。今もそんなものじゃないのか」
「今の与論按司は山北王の一族なんだな?」
「山北王の叔父だ。兄貴が永良部按司(いらぶあじ)で、弟は去年、奄美大島(あまみうふしま)で戦死した本部大主(むとぅぶうふぬし)だ」
与論島の兵力、グスクの様子などを調べてくれんか」と思紹がウニタキに言った。
「わかりました」とウニタキはうなづいて、「与論島を攻めるのは五月ですね?」と聞いた。
「そうじゃのう。梅雨が明けた頃になるじゃろう。与論島に送る兵力は百人といったところじゃな。与論按司のグスクは島の南側の崖の上にある。小さなグスクだが、敵が籠城(ろうじょう)してしまうと、戦が長引いて不利になる。山北王の兵もやって来るじゃろう。敵が籠城したとしても、グスク内に潜入できるような弱点を見つけてくれ。与論ヌルが生きていれば、グスク内の様子もわかるじゃろう。奇襲を仕掛けて、そのままグスクを攻め取れるような弱点を見つけてくれ」
 ウニタキは厳しい顔付きでうなづいた。
「頼むぞ」とサハチはウニタキに言った。
「次は進貢船(しんくんしん)じゃが、今年は四回送ろうと思っているんじゃが、どうじゃろう?」と思紹は言った。
「四回ですか」とサハチは思紹を見た。
「一月と三月に送り、九月と十一月に送るんじゃ。一月に行った船は六月に戻り、三月に行った船は八月には戻るじゃろう」
「船は何とかなっても、使者が足りませんよ」とサハチは言った。
「去年、副使として行った者を正使に昇格すればいい」
「それで大丈夫でしょうか」
「やらせてみろ。器を与えれば、人はそれなりに成長するもんじゃ」
 サハチは思紹を見つめてうなづいた。
「ヤマトゥ旅と朝鮮(チョソン)旅ですが、今年は二つに分けて、朝鮮の事は勝連按司に任せようと思っています」とサハチは言った。
「サムに頼むのか」と思紹は言って、「それはいいかもしれんのう」とうなづいた。
「ヤマトゥ旅はヤグルーに頼もうと思っていますが、問題は京都の行列です。去年は今いちだったというので、今年は変えようと思っています」
「何を変えるの?」とマチルギが聞いた。
「まず、テピョンソ(チャルメラ)をやめて、三弦(サンシェン)にしようと思っています。三弦はヤマトゥにはないし、琉球らしい音楽になると思う。それと『三つ巴』の旗もやめます」
「どうして、『三つ巴』の旗をやめるの?」
「三つ巴の紋は、ヤマトゥの神社でよく見かける紋なんだよ。『三つ巴』はやめて、龍の絵を描いた旗を持たせようと思っているんだ」
「龍の旗か」と思紹は言って、「そいつはいいぞ」とうなづいた。
「わしは『浦島之子(うらしまぬしぃ)』に出てくる龍宮(りゅうぐう)は琉球の事ではないかと思っているんじゃ。琉球の東(あがり)に『ニライカナイ』があるように、唐人(とーんちゅ)たちは大陸の東に、龍が棲んでいる『龍宮』があると信じていたんじゃないかのう。龍の旗は琉球にふさわしい旗じゃよ」
「新助と栄泉坊(えいせんぼう)に頼むつもりです」とサハチは言った。
「三弦は誰が教えるの?」とマチルギがウニタキを見ながら聞いた。
「そうだ。お前が与論島に行ったら教える者がいなくなるぞ」とサハチはウニタキに言った。
「大丈夫だ」とウニタキは笑った。
「旅芸人の中に三弦が弾ける者が二人いる。それに、ミヨンもウニタルも教えられる」
「三弦はあるの?」とマチルギは聞いた。
「それは大丈夫だ」とサハチが答えた。
「中グスク大親(うふや)に頼んで、明国から五丁持って来てもらってある。あと、衣装なんだが、六月の京都は琉球よりも暑い。涼しくて、もう少し派手でもいいと思うんだ。衣装はマチルギに任せるよ」
 その後、伊平屋島に送る兵の大将と与論島に送る兵の大将を相談して、伊平屋島救援の大将は首里四番組の伊是名親方(いぢぃなうやかた)(伊是名島出身)と八番組の田名親方(だなうやかた)(伊平屋島出身)に決まり、与論島攻めの大将は島添大里一番組の苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)に決まった。

 

 

 

【極シリーズ】兼元盛徳作 鴨口与那型三線 本張り(大音通し胴)

2-84.豊玉姫(改訂決定稿)

 我喜屋大主(がんじゃうふぬし)と田名大主(だなうふぬし)はいなかったが、山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵もいなくなって、島人(しまんちゅ)たちは大喜びして、小舟(さぶに)に乗って、ヤマトゥ(日本)から帰って来た交易船を迎えに行った。
 交易船に乗っていた者たちが小舟に乗って次々に上陸して、出迎えの人たちの中にサハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)、サグルー(島添大里若按司)、ジルムイ(島添大里之子)、マウシ(山田之子)たちがいるのに驚いた。
按司様(あじぬめー)!」と叫んで、ササたちがやって来た。ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シズの四人は女子(いなぐ)サムレーの格好で、みんな輝いて見えた。
「お帰り」とサハチが手を上げると、
「やっと、見つかったのよ」とササは嬉しそうに言った。
「どうして、ここにいるんですか」と聞いたのはナナだった。
 シズはウニタキと一緒にいるファーを見つけて、再会を喜んでいた。
 サハチがここに来た経緯を説明しようとしたら、修理亮(しゅりのすけ)の姿が目に入った。一緒にいる僧侶は慈恩禅師(じおんぜんじ)に違いなかった。
「ササ、慈恩禅師殿が来たのか」とサハチが聞くと、
「そうなのよ。修理亮が京都まで連れて来たのよ」とササは言って振り返った。
 女子サムレーたちがぞろぞろとやって来て、イヒャカミーがいるのを見て驚き、キャーキャー言いながら再会を喜んでいた。
 我喜屋大主の屋敷で、サハチたちは旅の話を聞いて、伊平屋島(いひゃじま)で起こった事をみんなに話した。歓迎の宴(うたげ)が開かれ、島人たちはヤマトゥの酒と山盛りの料理で持て成してくれた。島の娘たちは着飾って、歌と踊りを披露してくれた。
 サハチは総責任者だったマサンルー(佐敷大親)に御苦労様とねぎらって、使者を務めたジクー(慈空)禅師と本部大親(むとぅぶうふや)にお礼を言い、クルシ(黒瀬大親)にカンスケ、通事のチョル、サムレー大将の久高親方(くだかうやかた)、女子サムレーの隊長のトゥラとみんなにお礼を言って、慈恩禅師に挨拶をした。
「ヒューガ殿の弟子のサハチと申します」
「話は修理亮から聞いております。以前、松浦党(まつらとう)の者から琉球の話は聞いておりました。一度、行ってみたいと思っていたのです。わしの弟子が二人も琉球にいたと聞いて驚きました。縁があるのでしょうなあ。わしも修理亮に連れられてやって参りました。お世話になりますよ」
「いえ、お世話になるのはこちらです。わたしどもに『念流(ねんりゅう)』の指導をお願いいたします」
 サハチは修理亮を見て、約束を守ってくれたお礼を言った。
 修理亮は一緒にいる二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)を紹介した。
「生意気な奴ですが、才能はあります。按司様も鍛えてやって下さい」と修理亮が言うと、
「成り行きで琉球まで来てしまいました。よろしくお願いします」と右馬助は頭を下げた。
「歓迎しますよ」とサハチは笑った。
 右馬助はサグルーと同じ位の年頃で、サグルーのよき競争相手になるような気がした。
 慈恩禅師はサハチが思い描いていた通りの人だった。武芸者としても禅僧としても、尊敬できる人だった。どことなく、ヂャンサンフォン(張三豊)と雰囲気が似ていて、二人は意気投合するに違いないと思った。
 次の日、交易船は浮島(那覇)に向かった。サハチたちは山北王から奪った船に乗って浮島に向かった。船乗りたちは山北王に雇われた者たちで、浮島に着いたら開放するつもりだった。捕虜となった山北王の兵たちは帆も舵もはずされた船に閉じ込められたまま、もう一隻の船に曳かれて親泊(うやどぅまい)に向かった。
 ムジルは九十人の兵と一緒に伊平屋島に残った。山の上のグスクを改築して、伊平屋島伊是名島(いぢぃなじま)を守らなければならない。夏になったら山北王が攻めて来るに違いない。二つの島はどうしても守らなければならなかった。
 浮島に帰るとヤマトゥから来た船が、すでに何隻も泊まっていた。
「例年以上に忙しくなりそうだな」とサハチはウニタキに言って、来年も明国(みんこく)に三回行って、ヤマトゥと朝鮮(チョソン)にも行かなければならないと思った。
 首里(すい)の会同館(かいどうかん)で帰国祝いの宴が開かれ、思紹(ししょう)(中山王)もマチルギも馬天(ばてぃん)ヌルも参加した。ヂャンサンフォンとヒューガ、ンマムイ(兼グスク按司)とヤタルー師匠も参加して、ヒューガとヤタルー師匠は慈恩禅師との再会を心から喜んでいた。
 慈恩禅師はヂャンサンフォンを「大師匠(おおししょう)」と呼んで、指導をお願いしていた。慈恩禅師ほどの人がまだ修行を積むというのかと、ヒューガもサタルー師匠も驚いていた。
「修行に終わりはありません。上には上がいるものです」と慈恩禅師は笑った。
 ヒューガ(三好日向)は慈恩禅師の一番弟子だった。二人が出会った時、ヒューガが十九歳、慈恩禅師が二十四歳だった。旅をしながら武芸の修行に励んだ。二年余りの月日を共に過ごして、ヒューガは故郷の阿波(あわ)の国(徳島県)に帰り、慈恩禅師は旅を続けた。ヒューガと別れてから二年後、慈恩禅師は中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)を弟子にして共に旅をした。三番目の弟子がヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)で、ヒューガとは三十五年振り、ヤタルー師匠とは二十九年振りの再会だった。三人は若かった頃を懐かしそうに語り合っていた。
 サハチはマサンルーとジクー禅師、クルシから旅の様子を詳しく聞いた。勘解由小路殿(かでのこうじどの)(斯波道将)が亡くなった事に驚き、京都での行列は大した評判にはならなかったと聞いて、がっかりした。京都に着いた途端、ササたちは将軍様足利義持)の奥方様(日野栄子)に呼ばれて、ずっと御所に滞在していて、伊勢の神宮参詣にも将軍様と一緒に行って来たと聞いて驚いた。
「ササは将軍様の奥方様に気に入られたらしい。ササがいれば、ヤマトゥとの交易はこの先もうまく行くだろう」とマサンルーは言った。
 サハチはうなづいたが、気まぐれなササの事が気になった。この先、毎年、ヤマトゥに行くとは限らない。今はスサノオの神様の事で頭がいっぱいで、スサノオの神様に会うためにヤマトゥに行っているが、その問題が解決したら、ヤマトゥ旅に興味を示さなくなるかもしれなかった。かと言って、ササの代わりが務まる者はいなかった。
「ヤマトゥと朝鮮を一隻の船で行くのは忙しすぎる」とクルシが言った。
「京都からの帰りは、各地の守護大名と交易をしなければならず、今回はわりと順調に行ったので、何とかなったが、将軍様が留守とか、台風が来るとか、何かがあって京都を発つのが遅くなると、朝鮮まで行けなくなってしまう」
「来年はヤマトゥと朝鮮は分けようと思っています。朝鮮の事は勝連按司(かちりんあじ)に任せるつもりです」とサハチは言った。
 クルシはうなづいて、「それがいいじゃろう」と笑った。
「台風に二度やられました」とマサンルーが言った。
「一度目は京都を発つ四日前でした。大きな台風で京都でもかなりの被害が出て、ササたちは残って復興の手伝いをしていました」
「なに、ササが復興の手伝いをしたのか」とサハチは驚いた。
「女子サムレーたちも一緒に残って、避難民たちを助けていました。ササたちのお陰で、琉球人(りゅうきゅうんちゅ)の人気も上がったようです」
「そうか、ササがそんな事をしてきたのか」
 スサノオの神様の事しか考えていないと思ったら、困っている人たちを助けてきたなんて大したものだった。
「二度目の台風は朝鮮を襲いました。お陰で、富山浦(プサンポ)からの出発が遅れて、道はひどい有様になっていて、何度も足止めを食らいました」
 サハチは朝鮮の道を思い出して笑った。大雨が降っただけで歩けなくなるのだから、台風が来たら、道なんかなくなってしまうだろう。
 一通り話を聞くと、サハチはササたちの所に行った。ササはマチルギと馬天ヌルに旅の話をしていた。シンシンとナナとシズは女子サムレーたちと一緒にいて、楽しそうに笑っていた。
按司様、見つけたのよ」とササはサハチの顔を見ると言った。
「念願の豊玉姫(とよたまひめ)様に会えたのか」とサハチが聞くと、
「まだ会っていないんだけど、豊玉姫様がいる場所はわかったのよ」とササは嬉しそうな顔をして言った。
「ちょっと待って」と馬天ヌルが言った。
「ちゃんと順番に話してよ。京都でスサノオ様に会って、スサノオ様は、ササのガーラダマ(勾玉)は豊玉姫様が琉球に帰る時に持って行ったガーラダマだって言ったのね」
「何だって?」とサハチは驚いた。
「すると、お前が言った通り、豊玉姫様は琉球のお姫様だったのか」
「そうだったのよ」とササは得意げに言った。
「そして、伊勢の神宮で、豊玉姫様の孫たちに会ったのね?」と馬天ヌルがササに聞いた。
豊玉姫様の娘の玉依姫(たまよりひめ)様の子供たちよ。その子供たちから玉依姫様がイトの国にいるかもしれないって聞いたのよ」
「イトの国?」とサハチが言った。
「昔、九州にあった国よ。スサノオ様はイトの国の王様の息子だったのよ。イトの国は朝鮮にあった『カヤの国』と交易をしていて、スサノオ様は対馬(つしま)に拠点を置いて、琉球とカヤの国を結ぶ交易を始めたの。ガーラダマや甕(かーみ)などを持って琉球に行って、シビグァー(タカラガイ)を手に入れて、カヤの国に行って鉄を手に入れたの。大量の鉄を手に入れたスサノオ様は博多の近くに『豊(とよ)の国』を造って、奥さんの豊玉姫様を豊の国の女王様にするのよ。そのあと、スサノオ様は九州を平定して、さらに、瀬戸内海の国々や四国の国も平定して、『ヤマトゥの国』って名付けるの。ヤマトゥの国というのはスサノオ様が造った国だったのよ。世の中が平和になったので、豊玉姫様は故郷に帰る決心をして、娘のアマン姫様を連れて琉球に帰って来るわ。その時、豊玉姫様は十個のお宝をスサノオ様からもらって帰るんだけど、その中の一つが、このガーラダマだったの。しかも、このガーラダマは玉依姫様が豊玉姫様に贈った物だったのよ。それで、スサノオ様と玉依姫様が現れてくれたのよ」
「十個のお宝って、他には何があったの?」と馬天ヌルが聞いた。
「鏡が二つと剣(つるぎ)が一つ、ガーラダマが四つとヒレと呼ばれる布が三つだって言っていたわ」
「鏡が二つと剣が一つとガーラダマが四つとヒレが三つね。ヒレというのは聞いた事があるわ。昔のヌルが肩に掛けていた長い布よ。シジ(霊力)があるっていう布なのよ。ササの持っているガーラダマの他にも三つあるはずなのね」
「きっと、お母さんのガーラダマもその一つに違いないわ」
 馬天ヌルは胸を押さえて、「そうかもしれないわね」とうなづいた。
豊玉姫様は娘のアマン姫様を連れて来たって言っていたわね。そのお姫様って、もしかしたら、アマミキヨ様の事?」
「そうなのよ。アマミキヨ様は豊玉姫様の娘で、お父さんはスサノオ様だったの。アマン姫様は従兄(いとこ)の玉グスク按司と結ばれて、子供を産むの。その子供たちがどんどん増えていって、天孫氏(てぃんすんし)と呼ばれるようになるのよ」
「なんと‥‥‥」とサハチは絶句して、マチルギを見た。マチルギも驚いた顔をしてササを見ていた。
 豊玉姫琉球生まれかもしれないというのは、サハチも薄々感じてはいたが、サハチたちの御先祖様がスサノオ豊玉姫だったなんて信じられない事だった。
「あなた、凄いわねえ」と馬天ヌルは娘のササをまぶしそうに見つめていた。
「ササ、それで、豊玉姫様はどこにいるんだ?」とサハチは聞いた。
「どこだと思う?」と言ってササは笑った。
アマミキヨ様なら『セーファウタキ(斎場御嶽)』でしょ」と馬天ヌルは言った。
「当たりよ。さっそく、明日、会いに行って来るわ。お母さんも一緒に行く?」
 馬天ヌルは少し考えてから首を振った。
「行きたいけど、この件はあなたに任せるわ」
 その後、サハチはササから将軍様と奥方様の事を聞いて、慈恩禅師の所に戻った。高橋殿の事も聞きたかったが、マチルギがいるので、あとで聞く事にした。
 ヒューガがサハチの若い頃の話をしていて、皆で笑っていた。
「師匠、何を話しているんです?」とサハチがヒューガに聞いた。
「おっ、噂をすれば本人が来たな」とヒューガは笑った。
「お前のお陰で、琉球に来てよかったと言っていたんじゃよ。船が苦手だったわしが、海賊になるなんて夢にも思っていなかったわ。今は水軍の大将を務めていて、陸にいるより海にいる方が多い。海はいい。海にいると心が洗われるような気がするんじゃよ」
「わしもこんなにも長い船旅は初めてじゃった」と慈恩禅師が言った。
「船の上から見た、あの星の美しさは忘れる事ができん。まだ、来たばかりじゃが、本当に来てよかったと思っている。小次郎(ヒューガ)と弥太郎、そして、ヂャンサンフォン殿に会えるなんて夢を見ているような気分じゃ」
 次の日、慈恩禅師は修理亮と右馬助を連れて、ヂャンサンフォンと一緒にヒューガの船に乗って、キラマ(慶良間)の島に向かった。ヒューガからキラマの島の話を聞いて、慈恩禅師もヂャンサンフォンも行ってみたいと言ったのだった。
 慈恩禅師たちとヂャンサンフォンを見送って、島添大里(しましいうふざとぅ)に帰る前に首里グスクに顔を出したのが失敗だった。浮島が忙しいから行ってくれと思紹に言われた。交易船の荷物の運び出しと、ヤマトゥンチュ(日本人)たちの取り引きで、人出が足らないという。手の空いている者たちは皆、浮島に送ったが、お前も行けと言われ、サハチは仕方なく浮島に行って、日が暮れるまで働き詰めだった。
 ササはシンシンとナナを連れて、セーファウタキに向かった。ようやく、豊玉姫に会えるとササはウキウキしながら歩いていた。シンシンとナナは、イトの国で聞いた玉依姫の「ありがとう」を思い出して、豊玉姫の声も聞こえるかしらと楽しみにしていた。
 島添大里グスクに寄って、佐敷ヌルとユリとサスカサ(島添大里ヌル)、女子サムレーたち、ナツとサグルーの妻のマカトゥダルに帰国の挨拶をして、佐敷グスクに寄って、佐敷大親の妻のキクとクルーの妻のウミトゥク、女子サムレーたちに挨拶をして、セーファウタキに着いたのは正午(ひる)近くになっていた。
 ササはセーファウタキに来た事はなかったが、神様のお導きで迷わず行く事ができた。ウタキの入り口に泉が湧いていたので、手足を清めて、口をゆすいで、両手を合わせてからウタキに入った。
 ウタキの中は霊気がみなぎっていた。
「凄いウタキね」とナナがササを見て、「何となく怖いわ」と言った。
 シンシンも怯えたような顔をしてササを見た。
「あたしたち、入ってもいいの?」とシンシンはササに聞いた。
「大丈夫よ。男の人は入れないけど、女子(いなぐ)なら入れるのよ」
 ナナとシンシンはササにうなづいて、ササのあとに従った。
 樹木が鬱蒼(うっそう)と生い茂った森の中の細い道を登って行くと、左側にウタキがあった。ウタキの前に祭壇のような物があり、その前は広い庭になっていて、儀式をする場所のようだった。カナはここで儀式をして、浦添(うらしい)ヌルになったのだろうとササは思った。
 ササはウタキの前に座って、お祈りを捧げた。ナナとシンシンもササに従ってお祈りを捧げた。
 しばらくしてササは立ち上がって、「ここじゃないわ」と言った。
 シンシンとナナはうなづいた。二人には神様の存在は感じられたが、神様の声は聞こえなかった。
 ササは先へと進んだ。セーファウタキの中には古いウタキがいくつもあると母から聞いていた。その中のどこかに豊玉姫はいるはずだった。
 道が二つに分かれていた。ササは立ち止まった。
「どっちに行くの?」とシンシンが聞いた。
 ササは右の方を見て、左の方を見て、振り返って後ろを見てから、「こっちに行ってみましょう」と言って、左の道を選んだ。
 左側に曲がっている細い道を進むと行き止まりになっていて、左側にウタキがあった。ここのウタキにも祭壇があった。ササはお祈りをしたが、ここにも豊玉姫はいなかった。
 来た道を戻って分岐点に着くと、「こっちよ」とナナが言って、右側の道を進んで行った。
 しばらく行くと右側に大きな岩が現れた。奥の方まで行くと、右側に二つの岩がぶつかって、三角形の穴ができていた。
「ここだわ」とササは思わず言った。
 スサノオが言っていた大きな岩だった。岩の前に座ってお祈りを捧げたが、豊玉姫の声はなかった。
「おかしいわね」と首を傾げて、ササは岩でできた穴の中に入って行った。
 シンシンとナナも、「凄いわね」と言いながら、ササのあとに従った。
 穴を抜けると岩壁に囲まれた場所に出て、正面にウタキがあった。祈ってみたが、やはり、豊玉姫はいなかった。
「おかしいわ」とササは言って、大きなクバの木を見上げた。
 ここは神様が降りて来る場所に違いないのだが、その神様は豊玉姫ではないようだ。
 岩の穴を抜けて、もとの場所に戻ると、ササは周りを見回した。首を傾げながらササは来た道を戻った。豊玉姫がいるウタキを見逃してしまったようだった。
「帰るの?」とシンシンがササに聞いた。
 ササは首を振った。
 分岐点に戻るとササは右に曲がった。行き止まりの道だった。シンシンとナナは首を傾げながらササのあとを追った。
 お祈りをしたウタキに出た。ササはウタキの前に立って周りを見回した。ウタキの反対側に細い道のようなものが見えた。ササは近づいてみた。綺麗な蝶々が優雅に飛んでいた。
「この先に古いウタキがあるわ」とササは言った。
「ハブが出そうだわ」とシンシンが言った。
「大丈夫よ」と言って、ササは草が生い茂った中に入って行った。
 シンシンとナナは顔を見合わせて、うなづき合うとササのあとを追った。
 急にササが立ち止まった。
「あたし一人で行くわ」とササが言った。
 二人は驚いてササを見た。
「このガーラダマが言ったのよ。あたし、一人で行きなさいって。二人はここで待っていて」
 ササは胸から下げた赤いガーラダマを二人に見せて、一人で先へと進んで行った。
 半時(はんとき)(約一時間)ほどして、一人のヌルがやって来た。シンシンとナナが、ササが入って行った山に向かってお祈りをしているのを見て、「あなたたち、何をしているの?」と声を掛けた。
 二人とも刀は差していないが、女子サムレーの格好だった。勿論、ササも女子サムレーの格好で山に入っている。ヌルではない者がここにいる事に不審を持ったヌルは、「ここはあなたたちの来る所じゃないわ。帰りなさい」と言った。
「でも‥‥‥」と言って、シンシンが山の中を見た。
「もしかして、誰かがこの中に入って行ったの?」
 ヌルは二人の顔を見て、「大変だ」と言った。
「あなたたち、何て事をするの。ここは神聖な場所なのよ。勝手に入ったら、命を落とす事になるのよ」
「大変だ。大変だ」と言いながらヌルは山の中に入って行った。
 道とは思えない細い山道を進むと、目の前に切り立った大きな岩が現れた。ヌルは岩を見上げて、慣れた手つきで岩をよじ登って行った。三丈(じょう)(約九メートル)ほど登ると頂上に出た。頂上は平らになっていて、ササがお祈りを捧げていた。
 ササがいる岩から二丈ほど離れた所に、もう一つの切り立った岩があり、その頂上にはクバでできた小さな祠(ほこら)があって、その中には鏡が祀られてあった。ササは鏡に向かってお祈りをしていた。
「あなた、何をしているの?」とヌルはササに声を掛けた。
 ササがお祈りをやめて振り返った。
 ササの顔を見たヌルは驚いた顔をしたあと、慌ててササに頭を下げて、「お帰りなさいませ」と言った。
 ササは何の事かわからず、「あなたは誰ですか」とヌルに聞いた。
「久手堅(くでぃきん)ヌルと申します。古くから、佐宇次(さうす)ヌルと一緒にセーファウタキを守って参りました」
「あの鏡を守って来たのですね?」とササは聞いた。
 久手堅ヌルはうなづいた。
「あの鏡は豊玉姫様がヤマトゥの国から持って来た物なのですね?」
「そうです。一千年以上も前の事になります」
「一千年以上も守り通して来たのですか。凄い事ですね」
「わたしどものお勤めですから」
 そう言ってから、久手堅ヌルは、ササに何者かと尋ねた。ササが馬天の若ヌルだと答えると、馬天ヌル様の娘さんだったのねと納得したような顔付きになった。
「先程、お帰りなさいと言いましたが、どういう意味ですか」とササは久手堅ヌルに聞いた。
 久手堅ヌルはササが下げているガーラダマを見ながら、「豊玉姫様の娘さんの玉依姫様が、そのガーラダマに依って帰って来られたのです」と言った。
「何日か前、豊玉姫様から、お客様がいらっしゃると告げられました。でも、信じられませんでした。わたしが知る限り、今まで、ここにいらした者は誰もいません。選ばれた者しか、ここに来る事はできません。あなたのお母さんがセーファウタキに来られた時も、先代のサスカサ(運玉森ヌル)が若ヌルを連れて来られた時も、まだ時期が早いと言われて、ここには御案内しませんでした。誰も来ないと思っていたのに、あなたが玉依姫様をお連れになったなんて、今でも信じられない事です」
 そう言うと久手堅ヌルはササに両手を合わせた。
 久手堅ヌルが現れる前に、ササは豊玉姫から聞きたい事はすべて聞いていた。
 玉グスクヌルの娘に生まれた豊玉姫はセーファウタキで修行をして、若ヌルになる。十八歳の冬、タカラガイを求めてやって来たスサノオと出会い、恋に落ちて結ばれる。
 翌年の夏、スサノオは帰って、その年の冬にまたやって来る。豊玉姫スサノオと一緒にヤマトゥに行く決心をして、弟の豊玉彦を連れて対馬に行く。対馬で長女の玉依姫が生まれ、交易の事は豊玉彦に任せて、豊玉姫スサノオと一緒に九州に渡って、豊の国の女王になる。
 豊の国で、長男のミケヒコと次女のアマン姫が生まれる。
 玉依姫が十五歳になった時、豊玉姫は子供たちを連れて琉球に帰り、玉依姫はセーファウタキで儀式をして、一人前のヌルとなる。翌年の夏、豊玉姫は子供たちを連れてヤマトゥに戻る。アマン姫が十五歳になった時も豊玉姫は帰って来て、セーファウタキで儀式をして、アマン姫をヌルにしている。アマン姫はその後、ヤマトゥに帰る事はなく、玉グスクヌルを継いで、従兄の玉グスク按司と結ばれる。
 豊玉姫はヤマトゥに戻り、十年後に十種(とくさ)の神器(じんぎ)を持って琉球に帰って来る。そのまま、琉球に留まるつもりでいたが、スサノオが亡くなって、九州で戦が始まると、玉依姫を助けるためにヤマトゥに戻って、四年後、イトの国で亡くなる。ヤマトゥで亡くなった豊玉姫の魂はヤマトゥに留まる事なく、生まれ島に帰って来て、子孫たちを守り続けてきた。
 アマン姫は母親と一緒にセーファウタキにいた。アマン姫のウタキは二つの大きな岩がぶつかって、穴があいていたウタキだった。ササがお祈りをした時、声が出そうになったが、母親から黙っていなさいと言われていたので、必死に我慢していたと言った。
 玉依姫はササにお礼を言ったあと、母親と妹との再会を喜び、あれからどうしていたのと二人に聞いていた。三人の神様が思い出話を語り始めた時、久手堅ヌルが現れたのだった。
 あたしの仕事は終わったわねと思い、ササが挨拶をして帰ろうとしたら、「娘に会わせてくれてありがとう」と豊玉姫がお礼を言った。
「この子、可愛かったのよ。まるで、花が咲いているようだって言われて、コノハナサクヤヒメって呼ばれていたのよ。会えてよかったわ。実はね、あなたに頼みがあるんだけど、いいかしら」
「何でしょうか」とササは聞いた。
「十種の神器なんだけど、あなたに探してほしいのよ」
「えっ?」とササは驚いた。
「鏡は大きいのと小さいのと二つあって、大きいのはあそこに祀ってあるわ。もう一つの小さい鏡がどこにあるのかわからないのよ」
「神様がわからないのに、そんなの無理ですよ」とササは言った。
「わたしも十種の神器の事なんて、あまり気に掛けていなかったの。スサノオからもらった大切な物なんだけど、十種の神器というのは、スサノオの身内である事を証明するために配られた物だから、いくつもあったのよ。スサノオの子供たちは皆、持っていたし、娘の婿たちにも配られたわ。スサノオが亡くなってしまったら、単なる遺品になってしまって、わたしもどこに行ったかなんて気にも止めなかったわ。でも、十種の神器のうちの四つのガーラダマがなぜか、揃ってしまったわ。三つのヒレは無理だけど、小さい鏡と八握剣(やつかのつるぎ)が見つかれば、何かが起こりそうな気がするのよ」
「四つのガーラダマが揃ったってどういう意味ですか」
 一つはササが持っていて、もう一つは母が持っていると思うが、あと二つはどこにあるのだろう。
「あなたとあなたのお母さんの馬天ヌル、あなたの従姉(いとこ)の佐敷ヌル、そして、島添大里ヌルのサスカサの四人が持っているわ。皆、あなたの親戚でしょ」
「えっ、そんな‥‥‥」とササは驚いた。ササにはとても信じられなかった。
スサノオが亡くなった後、わたしは四つのガーラダマを四人の孫にあげたのよ。一つは島添大里ヌルに代々伝わって、今も島添大里ヌルのもとにあるわ。二つめは真玉添(まだんすい)ヌルから浦添ヌルに伝わって、今は馬天ヌルが持っている。三つめは安須森(あしむい)ヌルに伝わって、一時は行方がわからなかったけど、馬天ヌルの手に入って、今は佐敷ヌルが持っている。四つめは運玉森(うんたまむい)ヌルが代々持っていて、運玉森がよからぬ者たちに攻められた時、運玉森ヌルは真玉添に逃げたけど、真玉添も攻められて全滅してしまうわ。その時、ガーラダマは読谷山(ゆんたんじゃ)に埋められ、あなたが発見して、今、そこにあるのよ」
「これは運玉森ヌルのガーラダマだったのですか」とササは赤いガーラダマを見た。
 手放したくはないが、運玉森ヌルに返さなくてはならないと思っていた。
「四つのガーラダマがあなたの回りに集まって来ているわ。きっと、何かが起こるのよ。小さい鏡と剣も探した方がいいわ」
「小さい鏡と剣もお孫さんにあげたのですか」
「小さい鏡は真玉添ヌルにあげたわ。真玉添に祀られていたんだけど、滅ぼされた時、どこかに行ってしまったわ。剣は玉グスク按司のお宝として代々伝わっていったはずなんだけど、いつの間にかなくなっていたわ」
ヒレはどうなったのですか」とササは聞いた。
ヒレも孫たちにあげたけど、もうないでしょう。布が一千年以上ももつとは思えないわ」
「一千年ですか‥‥‥」と言ってササは赤いガーラダマを見つめた。
「日が暮れる前に下りた方がいいわ」と久手堅ヌルがササに言った。
 いつの間にか、日暮れ間近になっていた。
 ササは豊玉姫玉依姫、アマン姫に別れを告げて、久手堅ヌルと一緒に岩の上から下りた。
「あなたたちの事はわたしたちがちゃんと守ってあげるわよ」と豊玉姫は最後に言った。
 ササたちはその夜、久手堅ヌルの屋敷にお世話になって、一緒にセーファウタキを守っている佐宇次ヌルを紹介された。佐宇次ヌルは老婆だった。今、跡継ぎの若ヌルを育てているという。
 久手堅ヌルも佐宇次ヌルも尊敬の眼差しでササを見て、ササたちは神様扱いされて、丁重にもてなされた。

 

 

 

沖縄世界遺産写真集シリーズ05 世界遺産 斎場御嶽   沖縄の聖地

2-83.伊平屋島のグスク(改訂決定稿)

 サグルー(島添大里若按司)たちが奥間(うくま)の木地屋(きじやー)の案内で、辺戸岬(ふぃるみさき)の近くにある宜名真(ぎなま)という小さなウミンチュ(漁師)の村(しま)に着いたのは、島添大里(しましいうふざとぅ)を出てから四日目の事だった。
 三日目の夜は奥間に泊まって、サグルーとジルムイ(島添大里之子)は腹違いの兄、サタルーと会っていた。
 サグルーはヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に旅をした時、サタルーと会っていて四年振りの再会だった。
 ジルムイはサグルーから話を聞いていて、会うのを楽しみにしていた。将来、奥間の長老になる人だと母は言っていた。父と母が一緒になる前、父が奥間に行った時、一夜妻(いちやづま)との間にできた子で、母親はすでにいないという。一体、どんな奴だろうと期待と不安を併せ持った気持ちのジルムイだったが、サタルーの笑顔を見た途端、素直に兄だと認めていた。武芸の腕もかなりあり、尊敬すべき兄だと感じていた。
 サタルーは弟のサグルーとジルムイを歓迎してくれた。一緒に行った男たちは皆、一夜妻を与えられて、奥間の夜を楽しんだ。勿論、サグルーもジルムイもマウシ(山田之子)も、かみさんには絶対に内緒だぞと言い合いながら、可愛い一夜妻を抱いていた。イヒャカミーとファーの二人はサタルーの妻、リイの歓迎を受けて、村の女たちと一緒にユンタク(おしゃべり)して楽しい夜を過ごした。
 宜名真に着いた日も次の日も、風が強く波も高かったので船出は見合わせた。六日目にウミンチュから借りた小舟(さぶに)二艘に乗って、伊平屋島(いひゃじま)のウミンチュの指示に従って、伊平屋島を目指した。
 北東の風を横に受けて、小舟は順調に走ったが、途中で波が荒くなって何度も冷たい波をかぶり、行き先を修正するために必死になって漕いだりして、くたくたになって着いた所は伊是名島(いぢぃなじま)だった。
 イサマに連れられて、ナビーお婆の孫の仲田大主(なかだうふぬし)とナビーお婆の娘の仲田ヌルと会った。仲田ヌルは、今、明国(みんこく)に行っている伊是名親方(いぢぃなうやかた)の姉だった。二人とも伊平屋島での出来事は知っていて、イサマが戻って来た事に驚いた。
「中山王(ちゅうさんおう)(思紹)が伊平屋島伊是名島も守ってくれます」とイサマは言って、父親を救い出すために帰って来たと二人に告げた。
 イサマがサグルーとジルムイをサミガー大主の曽孫(ひまご)だと紹介すると仲田大主は驚いて、慌てて頭を下げた。
「生前に祖母からサハチさんの事は聞いています。サハチさんの息子さんたちですか」と仲田大主は聞いた。
 サグルーとジルムイはうなづいた。二人とも、サミガー大主の妹のナビーお婆が伊是名島で鮫皮(さみがー)作りを始めたという話は聞いているが、詳しい事は知らなかった。
「そうでしたか。中山王は大切なお孫さんを送り込んでくれたのですね。伊是名島も祖母が鮫皮作りを再開してくれたお陰で、島は豊かになりました。島の者たちも決して、その恩を忘れているわけではありません。山北王(さんほくおう)(攀安知)のために鮫皮を作っているんじゃないと言って、島を出ようとした者もいました。しかし、島を守るために引き留めました。今は我慢するしかないと言って‥‥‥どうか、山北王から伊是名島伊平屋島を守って下さい」
 サグルーは力強くうなづいてから、山北王の兵の事を聞くと、伊是名島にはいないという。
 サグルーたちは次の日、苦労して伊平屋島に渡った。近くの島なのに、風に逆らって、大波に揺られ、何度も波をかぶって、ようやく伊平屋島の南端の砂浜に上陸した。
 山北王の兵に見つかると危険なので、山の中に入った。焚き火をして着物を乾かし、体を温めてから、一時(いっとき)(約二時間)近く、道のない山の中を歩くと山頂に出た。驚いた事に山頂は石垣で囲まれていた。
「百年ほど前、今帰仁(なきじん)の兵が伊平屋島に攻めて来ました。その時、ここにグスクを築いて、敵を追い返したと伝えられています」とイサマは説明した。
「百年前、今帰仁按司はどうして伊平屋島を攻めたのですか」とジルムイがイサマに聞いた。
今帰仁按司の家来(けらい)だった本部大主(むとぅぶうふぬし)という者が裏切って、按司を殺して、自ら今帰仁按司になったのです。その頃は伊平屋島にも按司がいて、先代の今帰仁按司の一族だったのです。伊平屋按司は本部大主の兵と戦って勝ち、伊平屋島を守り通します。このグスクは伊平屋按司重臣だった我喜屋大主(がんじゃうふぬし)が造ったものです。我喜屋大主が造ったグスクはもう一つあって、あの山の上にもあります」
 そう言って、イサマは小さな平野を挟んで向こう側に見える山を指さした。
「今は我喜屋(がんじゃ)の村(しま)はあの山の麓(ふもと)にありますが、以前はこの山の麓にあったのです。台風にやられて、向こう側に移ったようです。そして、さらに北(にし)の方の田名(だな)の山の上に、伊平屋按司が築いたグスクがあります」
 サグルーたちは山を北側に下りて、我喜屋村の後ろにある山の中に隠れた。女の方が怪しまれないだろうと思い、女子(いなぐ)サムレーのイヒャカミーと三星党(みちぶしとー)のファーを偵察に出した。伊平屋島生まれの二人は我喜屋大主の屋敷も、田名大主が閉じ込められた物置小屋がある役所の位置も知っていた。
 しばらくして帰って来た二人は、我喜屋大主の屋敷には敵兵はいないが、役所には四人の敵兵がいた。他にはどこにも見当たらないので、今帰仁に帰ったのだろうと言った。
 暗くなるのを待って、サグルー、ジルムイ、マウシの三人がイサマと一緒に我喜屋大主の屋敷に行った。
 我喜屋大主はイサマの出現に驚き、さらに、中山王の孫たちが一緒にいる事に言葉が出ないほどに驚いた。
 イサマが父親の田名大主の様子を聞くと、ちゃんと食事も取っているので大丈夫だと我喜屋大主は言った。
 山北王の兵の事を聞くと、田名にある田名大主の屋敷に二十人いるという。交替で四人が我喜屋にやって来て、田名大主が閉じ込められている物置小屋を見張っているらしい。
「二十人か‥‥‥」とサグルーはつぶやいた。思っていたよりも敵は多かった。
 我喜屋大主と作戦を練って、翌日の晩、田名大主を救出する事に決まった。その夜は我喜屋村のはずれにある空き家で夜を明かした。ウミンチュのヤシーの知り合いの家で、住んでいた家族は田名に移って行ったという。
 我喜屋大主が用意してくれた握り飯を食べながら、「二十人を倒すのか」とマウシがサグルーに聞いた。
「場合によってはな」とサグルーは答えた。
「二十人は厳しいな」とジルムイは言った。
「何も一遍に倒さなくてもいい。奇襲して、少しづつ倒して行くんだ」
「奇襲を掛ける前に、拠点になる場所を決めなくてはな」とマウシが言った。
「明日、探そうぜ」
 サムレーのムジルとバサー、女子サムレーのイヒャカミー、三星党のヤールーとファーは皆、キラマ(慶良間)の島の修行者だった。
 一番の先輩はムジルで、十五歳の時にキラマの島に渡って、十年間、修行を積んで、首里(すい)八番組の副大将を務めている。今回、新たに作る伊平屋島伊是名島の守備兵の大将に選ばれていた。八番組にいるジルムイの上役でもあった。
 バサーは十四歳の時にキラマの島に渡って、四年間の修行ののち、首里の九番組のサムレーになった。今回、ムジルの配下になる事が決まって、ムジルと一緒に先発隊として現地に入ったのだった。
 イヒャカミーは十三歳の時にキラマの島に渡って、五年間の修行ののち、島添大里の女子サムレーになり、四年後、首里の女子サムレーになった。マチルギと一緒にヤマトゥ(日本)にも行っていた。
 ヤールーは十三歳の時にキラマの島に渡って、八年間の修行ののち、三星党に入り、サグルーの護衛を務めている。
 ファーは十二歳の時にキラマの島に渡って、五年間の修行ののち、三星党に入り、首里の『まるずや』の売り子をしながら各地の情報を集めていた。
 五人は懐かしそうにキラマの島での思い出話を話しながら笑っていた。
 イサマは、山北王のサムレーたちは勝手にわしの屋敷に上がり込みやがってと文句を言いながら、ウミンチュの二人と酒を飲んでいた。
 翌日はいい天気だった。我喜屋村の裏山に登った。山頂には石垣が残っていた。ちょっと手直しすれば、グスクとして使えそうだった。眺めもよく、伊江島(いーじま)のタッチュー(城山)もよく見えた。ここで見張っていれば、敵の船が近づいて来るのもわかるだろう。
 ムジルはバサーを連れて、石垣の様子を丹念に調べて、「ここをわしらのグスクにしよう」と言った。
 山の中を通って田名に行き、田名グスクに登ってみた。田名グスクにも石垣は残っていたが、やはり、場所的には我喜屋の方がよかった。頂上から田名の集落を見下ろしながら、ムジルとバサーとファーは親の住む家を見ていた。田名大主を救い出すまでは、顔を出す事はできない。帰って来た事がわかれば、親たちは山北王の兵に捕まってしまうだろう。
 イサマがサグルーたちに鮫皮を作っている作業場を教えてくれた。作業場は海辺の近くにあった。
対馬(つしま)から早田(そうだ)殿が鮫皮を求めて、伊平屋島にやって来たのは、もう七十年も前の事になります」とイサマは言った。
「曽祖父のヤグルー大主は我喜屋から田名に移って鮫皮作りを始めます。その頃はもう伊平屋按司は一族を連れて今帰仁に移っていて、田名には空き家がいくつもあったようです。その空き家を作業場にして鮫皮作りを始めたのです。大伯父のサミガー大主が馬天浜(ばてぃんはま)で鮫皮作りを始めて、大伯母のナビーお婆が伊是名島で鮫皮作りを始めて、祖父がヤグルー大主の跡を継いで、ここで鮫皮を作り続けます。伊平屋島伊是名島は鮫皮作りのお陰で裕福な島になりました」
「田名大主の屋敷はどこですか」とサグルーがイサマに聞いた。
「この山の麓です。ここからは見えません」
「そこに敵兵がいるんだな」とマウシが言った。
「蔵の中には早田殿との交易で蓄えたヤマトゥの品々がしまってあります。皆、奴らに奪われたに違いありません」
 そう言ってイサマは悔しそうな顔をして、遠くを眺めた。
「必ず、取り戻しますよ」とサグルーは言った。
 サグルーたちは田名グスクから下りて、我喜屋村の空き家に戻った。
 日が暮れるのを待って、イサマと二人のウミンチュを残して、サグルーたちは田名大主が閉じ込められている物置小屋に行った。見張りの兵は誰もいなかった。我喜屋大主が兵たちに酒と料理でもてなすと言ったので、見張りも置かずに酒を飲んでいるようだ。サグルーたちは簡単に田名大主を救い出して空き家に戻った。
 山北王の兵は皆、田名にいるので夜が明けるまでは安全だろう。それでも交替で見張りをしながら夜が明けるのを待って、夜が明けるとすぐに山の中に入って、小舟の所に戻った。イサマと田名大主をウミンチュのヤシーに頼んで浮島(那覇)に送った。来る時は苦労したが、帰りは北風を受けて南下するので簡単だった。
 一仕事が終わったとサグルーたちが空き家に戻ると我喜屋は大騒ぎになっていた。田名大主が逃げた事を知った山北王の兵たちが、我喜屋大主の家族を全員捕まえて、無理やり島から追い出してしまったという。
 ヤールーが調べた所によると我喜屋大主と妻、長男とその妻と子供が三人、次男とその妻と子供が二人、長女の我喜屋若ヌルと十五歳の三女、妻の妹の我喜屋ヌルの十四人が島から追い出されていた。山北王の兵たちは田名大主の屋敷から我喜屋大主の屋敷に移って、酒を飲んで騒いでいるという。
「最初からこれが目的だったのかもしれんぞ」とサグルーが言った。
「我喜屋大主たちを追い出すのが目的だったのか」とマウシがサグルーに聞いた。
「そうさ。見張りが一人もいないのでおかしいと思ったんだ。我喜屋大主は山北王の役人を務めているから理由もなく追い出す事はできない。田名大主を逃がした罪で捕まえて、今帰仁に連れて行って罰を受けるか、島から出て行くかを選ばせたのだろう。中山王の親戚を全員追い出して、この島を完全に支配するつもりに違いない」
「それで、これから俺たちはどうするんだ?」とマウシが聞いた。
「山北王の兵を片付けるのさ」とサグルーが言うと、ムジルがうなづいて、皆、緊張した顔付きになった。
 三星党のヤールーとファーが偵察に出掛けた。しばらくして、ファーが戻って来て、敵兵五人が今帰仁に帰って行ったと知らせた。
「我喜屋大主を追い出した事を知らせに行ったのだろう」とジルムイが言った。
「知らせるだけではない。敵兵を呼びに行ったのだろう。邪魔者がいなくなったから、兵を入れて、中山王の交易船を待ち構えるに違いない」とムジルが言った。
「敵兵が来る前に十五人は片付けた方がいいな」とマウシは言った。
「奴らは今夜も酒を飲むだろう。今夜、決行するぞ」とサグルーは言った。
「飛び道具が欲しいですね」とバサーが言った。
「田名大主の屋敷にあるかもしれない」とジルムイが言った。
 我喜屋から田名までは一里ほどの距離なのだが山の中を通って行くと時間が掛かった。
「弓矢が欲しいが、石つぶてで我慢しよう」とムジルが言って、皆もうなづいた。
 イヒャカミーが実家に帰って、用意してもらった雑炊(じゅーしー)を食べているとファーが戻って来て、五人の兵が山に登って行ったと知らせた。
「敵もグスクを調べに行ったに違いない。グスクを再建して、ここに按司を置くつもりなのかもしれない」とムジルが言った。
 ウミンチュのカマチを空き家に残して、サグルー、マウシ、ジルムイ、ムジル、バサー、イヒャカミーの六人は山に入って敵兵を追った。
 五人の敵兵は山頂から海を眺めながら笑っていた。石垣に隠れて五人を見ていたサグルーたちは一斉に飛び出して、五人の敵兵に掛かって行った。油断していた敵兵はあっけないほど簡単に、棒で急所を突かれて倒れた。誰かが危なかったら助けようと待ち構えていたムジルの出番はなかった。
 倒れた五人から武器を奪い取って、とどめを刺し、死体は崖下に放り投げた。刀が五本と弓矢が二つ、手に入った。
 空き家に戻って休んでいると、敵兵二人が山に入ったとファーが知らせた。五人が戻って来ないので様子を見に行ったのだろうと、サグルー、マウシ、ジルムイの三人が山に入った。
 しばらくしてサグルーたちは刀を二本持って戻って来た。
「敵は八人になった」とサグルーが言った。
「人数は減ったが、山に入った奴らが戻って来ない事を知ったら警戒するぞ」とムジルは言った。
「守りを固められたらやりづらくなるな」とサグルーは言って、「今のうちに片付けるか」と皆の顔を見た。
 皆はうなづき、敵から奪った刀を腰に差して、棒を持ち、弓矢はバサーとイヒャカミーが持った。
 ファーが料理を持って来た振りをして、我喜屋大主の屋敷に入って、縁側から山北王の兵たちに声を掛けた。昼間から酒を飲んでいた兵たちはファーを見ると、ニヤニヤしながら、「上がって来い」と言った。
 兵の一人が立ち上がってファーを迎えに行こうとしたが、胸に弓矢が刺さって倒れた。
 兵たちは突然の事に何が起こったのかわからない。サグルーたちは一斉に屋敷に飛び込んで、兵たちを片付けた。隊長らしい男が刀を抜いて刃向かって来たが、他の者たちは刀を抜く間もなく殺された。隊長はマウシによって斬られた。
 サグルーたちが兵たちのとどめを刺していると、今まで自宅に隠れていた村人(しまんちゅ)たちがぞろぞろと庭に入って来た。我喜屋大主の娘婿のタラジという若者が、「義父(ちち)からあなたたちの事は聞きました」と言った。
「邪魔にならないように、村人たちには出歩かないようにと伝えました」
「そうだったのか」とサグルーはタラジにお礼を言った。
 兵たちの死体を風葬地(ふうそうち)に運んで、屋敷を綺麗に掃除をして、サグルーたちは我喜屋大主の屋敷に滞在する事にした。
 翌日、田名大主の屋敷に行ってみると、屋敷の中は綺麗に片付いていた。山北王の兵たちが出て行ったあと、村人たちが掃除をしたらしい。蔵は錠前が掛けられてあった。隊長が持っていた鍵を使って開けると、蔵の中は荒らしてはいないようだった。隊長の権限では蔵の中の物を勝手に持ち出す事はできなかったのだろう。よかったと安心して、元のように錠前を掛けた。
 我喜屋に戻って、村人たちと一緒に山の山頂に見張り小屋を建てた。そろそろ、味方の第二陣がやって来る頃だった。
 翌日、第二陣の十人がやって来た。サグルーたちと同じようにヤンバルまで陸路で行き、宜名真から小舟に乗って渡って来た。うまい具合に真っ直ぐ伊平屋島まで来られたという。山北王の領地を通って来たため庶民の格好をしていたが、刀は隠して持って来ていた。十人はムジルの配下となって、ムジルと一緒に山の上のグスク造りを始めた。
 その次の日の十二月四日、第三陣の十人がやって来て、六日に十人、七日に十人、十一日に十人、十二日に十人が来て、サグルーたちを入れて七十八人になった時、山北王の兵を乗せた船がやって来た。
 敵兵は五十人乗っていた。湧川大主(わくがーうふぬし)も来るはずだったが、ヤマトゥからの船が早々とやって来たので、来られなくなった。代わりに大将としてやって来たのは奄美按司(あまみあじ)だった。奄美大島の汚名を挽回して、中山王の交易船を奪い取って凱旋(がいせん)しようと張り切っていた。
 将軍様足利義持)が琉球と取り引きを始め、旧港(ジゥガン)(パレンバン)からの船も若狭にやって来た。京都に直接、明国の陶器や南蛮の商品が入って来たため、その需要が高まって値が上がった。京都に商品を持って行って一儲けしようと、倭寇(わこう)たちが北風が吹くのを待ってやって来たのだった。今帰仁の港の親泊(うやどぅまい)(今泊)だけでなく、浮島にも早々と倭寇たちがやって来て、若狭町(わかさまち)の者たちや首里(すい)の役人たちも大忙しになっていた。
 伊平屋島の周りはずっと珊瑚礁に囲まれていて、大型の船は近づく事ができず、沖に泊まって、小舟に乗って上陸するしかなかった。島人(しまんちゅ)たちが小舟で迎えに行って、山北王の兵たちを島に連れて来た。
 五十人の兵は我喜屋大主の屋敷に二十人、我喜屋ヌルの屋敷に二十人、我喜屋大主の次男、アタの屋敷に十人が入って、島人たちの歓迎を受け、酒と料理で持て成された。
 我喜屋大主の屋敷に入った大将の奄美按司が、先発隊の奴らはどうしたと島人に聞いた。田名大主の屋敷にいると島人は答えた。呼んで来いと奄美按司は命じた。
 日が暮れる頃、長い間、船に揺られた疲れと酒の酔いで、ほとんどの者たちが居眠りを始めた。三軒の屋敷は同時に、中山王の兵たちの攻撃を受けた。
 刃向かって来た者は殺され、眠っていた者は棒で急所を突かれて気絶させられた。五十人のうち、十四人が殺され、三十六人は武器を取り上げられて縛られた。味方の戦死者はなく、数人の負傷者は出たが重傷の者はいなかった。
 奄美按司も捕まって、敵の作戦を聞く事ができた。山北王は百五十人の兵を伊平屋島に送り込んで、ヤマトゥから帰って来る中山王の交易船を待つ。何も知らずにやって来た船をいつものように歓迎して迎え、使者たちを島に連れて来て捕まえ、使者たちを人質にして船を奪い取ると言った。
 ムジルは兵を引き連れて敵の船に行き、十数人の船乗りたちを捕まえて縛った。帆を上げるための綱をすべて切り、舵(かじ)をつないでいる綱も切って使えないようにして、船を漕ぐ櫂(かい)も海に投げ捨てた。捕虜となった敵兵三十六人を連れて来て、甲板(かんぱん)下の船倉(ふなぐら)に閉じ込めた。奄美按司も兵たちと一緒に閉じ込められた。
 翌日、中山王の十人がやって来て、その翌日、山北王の兵五十人がやって来た。前回と同じように迎え入れ、先発隊はどこに行ったと聞かれると山の上のグスクを直していると説明して、日暮れ頃に襲撃して、捕まえた兵は最初の船の船倉に押し込め、船乗りたちは乗って来た船の船倉に押し込めた。
 次の日、最後の十人がやって来た。その中にはサハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)がいた。サグルーとジルムイが驚くと、母さんが心配して、行ってこいと言われたという。
「お前たちのお陰で、奥間の孫たちに会えたぞ。ただ、小舟は辛かった。この通り、びっしょりだ」とサハチは笑った。
 サハチとウニタキが来た翌日、山北王の兵、最後の五十人がやって来た。前回と同じように始末した。
 サグルーたちが伊平屋島に来てから二十日が経って、ムジルは配下の兵たちを指揮して、グスク造りに励んでいた。サハチとウニタキが山に登った時は、兵たちが石垣を積み直していて、石垣に囲まれた山頂には小屋が三つ立っていた。
「この島にグスクがあったなんて驚いたな」とサハチが言うと、ムジルがイサマから聞いた百年前の戦(いくさ)の話を聞かせた。
「百年前と言うと、サミガー大主の親父が南部から逃げて来た頃の話だな」
「ヤグルー大主様がこの島に来たのは、戦があってから二十年くらいあとだったと言っていました」
「そうか。この島で戦があったのか」
 そう言ってサハチは海を眺めた。伊是名島が見え、その先に伊江島のタッチューと今帰仁のある本部半島が見えた。
 ヤマトゥからの交易船が帰って来たのは、それから八日後の事だった。知らせを受けて、山の上に登ったサハチは、帆に北風を受けて気持ちよさそうに走っている交易船を見ながら、伊平屋島が山北王に奪われなくて本当によかったと実感していた。

 

 

 

伊平屋島 太もずくとあーさの佃煮 100g & ミーバイとマグロのしぐれ煮 100g 伊平屋村漁業協同組合 離島フェア2013で優良特産品優秀賞を受賞 ご飯のお供に

2-82.伊平屋島と伊是名島(改訂決定稿)

 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクで山南王(さんなんおう)(汪応祖)と山北王(さんほくおう)(攀安知)の婚礼が行なわれた五日後、思紹(ししょう)とヂャンサンフォン(張三豊)を乗せた進貢船(しんくんしん)が無事に帰って来た。迎えに行ったのはマチルギで、八人の女子(いなぐ)サムレーを連れていた。
 思紹が中山王(ちゅうさんおう)になった当初は、マチルギを見ようと多くの人たちが集まって来て大騒ぎになったが、あれから四年余りが経って、マチルギの事も世間に知れ渡っていた。マチルギが出歩いても騒ぎになる事はなく、人々は尊敬の眼差しで挨拶を交わしてくれた。
 小舟(さぶに)から降りて来た思紹、ヂャンサンフォン、クルーは女たちの出迎えに驚いた。特に思紹は目を丸くして女たちを見ていた。女子サムレーの格好をしているが、全員、思紹の側室だった。
「お帰りなさいませ」と側室たちから言われ、思紹は照れ臭そうに笑って、「ただいま」と返事を返した。
 思紹もヂャンサンフォンもクルーも道士の格好をしていて唐人(とーんちゅ)に見えた。三人は女子サムレーたちと一緒に人混みを抜けて、久米村(くみむら)に向かった。
 メイファン(美帆)の屋敷に行くと、サハチ(中山王世子、島添大里按司)、ファイチ(懐機)、ウニタキ(三星大親)が待っていた。
「どうして、あいつらが出迎えに来たんだ?」と思紹はサハチに聞いた。
「王様(うしゅがなしめー)に似てしまったのか、側室たちも出歩くのが好きになりまして、浮島(那覇)に行ってみたいと言い出したのです」
「わしの留守中、ああやって出歩いていたのか」
 思紹は苦笑して、「まあ、それもいいじゃろう」と言った。
 思紹は留守中の出来事をサハチたちから聞いた。
「とうとう山南王と山北王が同盟を結んだか。兼(かに)グスク按司(ンマムイ)が取り持ったのだな」
「そうなんですが、兼グスク按司は中山王に寝返って、今、新(あら)グスクにいます」
 サハチはその経緯を説明して、米須按司(くみしあじ)と玻名(はな)グスク按司が寝返った事も話した。
「留守の間に変わったものじゃのう。それで今は、シタルー(山南王)がどう出るかを見守っているといった状況じゃな」
 思紹はそう言って少し考えたあと、笑ってうなづくと、旅の話をサハチたちに聞かせた。サハチたちが驚く顔を見ながら、思紹たちは楽しそうに、海賊の事、武当山(ウーダンシャン)や華山(ホワシャン)での出来事、ユンロン(芸蓉)の事などを話した。その頃、思紹の側室たちはキャーキャー騒ぎながら、マチルギに連れられて久米村(くみむら)を散策していた。
 渡し舟が空くのを見計らって安里(あさとぅ)に渡り、馬に乗って首里(すい)に帰った。首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の唐破風(からはふ)を見た思紹は驚いて、「凄いのう」と言って、じっと見つめていた。
「昔、博多に行った時、太宰府(だざいふ)の天満宮に行ったんじゃが、あんな風な屋根だったような気がする。随分と立派になったもんじゃのう」
「龍に守られた御殿じゃな」とヂャンサンフォンが言って、「凄い龍ですね」とクルーは新助が彫った龍に感心していた。
 その夜、会同館(かいどうかん)で帰国祝いの宴(うたげ)が開かれ、いつものように『宇久真(うくま)』の遊女(じゅり)たちが参加した。知らせを受けて、ンマムイもやって来た。やって来たのはいいが、本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)を連れていた。
「奴が本部のテーラーだ」とウニタキが小声でサハチに知らせた。
「なに、ンマムイは山北王のサムレー大将を連れて来たのか。一体、何を考えているんだ?」
「奴は山北王の進貢船に乗って何度も明国(みんこく)に行っている。もしかしたら、ヂャン師匠の事を知っているのかもしれん。ヂャン師匠が帰って来たと聞いて、会いたくなってやって来たのだろう」
「そうか。しかし、奴はどうしてンマムイが新グスクにいる事を知っているんだ?」
「偶然、見つけたようだ。奴は南部の様子を知ろうとあちこち歩き回っていた。今日、偶然に新グスクにいるンマムイを見つけたんだ。グスクの外で遊んでいた子供たちがテーラーを見つけて駆け寄ったらしい。屋敷に上がり込んで、ンマムイ夫婦と話をしていた時に、ヂャン師匠が帰って来たという知らせが入ったんだよ」
「そうか。騒ぎは起こすまい。知らない振りをしておこう」
「そうだな」とウニタキはうなづいて、「ところで、阿波根(あーぐん)グスクにはシタルーの次男が入って、兼グスク按司を名乗ったようだぞ」
「次男というと、タルムイ(豊見グスク按司)の弟のジャナムイだな。いくつになったんだ?」
「二十二、三じゃないのか」
「ジャナムイの嫁さんは誰だったろう」
「中グスク按司の娘だ。今はもう身内は中グスクヌルしかいない。その娘が嫁いで来た日に、中グスクで中グスク按司が望月党に殺されたんだよ」
「おう、そうだったな。しかし、兼グスク按司が二人になったなんて紛らわしいな」
 ヂャンサンフォンに挨拶をしたあと、ンマムイはテーラーを連れてサハチたちに挨拶に来た。テーラーの事は武芸好きな家臣の瀬底之子(しーくぬしぃ)だと紹介した。
「ヂャン師匠の旅の話を聞いてきます」と言って、ンマムイとテーラーはヂャンサンフォンの所に戻って行った。
「まだ生きていたのね」と遊女のマユミが言った。
「ンマムイが殺されると思ったのか」とサハチはマユミに聞いた。
「だって、山南王と山北王は同盟したんでしょ。中山王は敵になったのに、のこのことこんな所に現れて、いつかは山南王に殺されるわよ」
「ンマムイは中山王に寝返ったんだよ」
「えっ、そうだったの?」
「もう山南王の所へは行かない」
「そうなんだ。でも、奥さんはどうなるの。山北王の敵になっちゃったの?」
「そういう事になるな」
「可哀想に‥‥‥それで、戦(いくさ)は起こるの?」
「山南王次第だな。山北王は今の所、中山王を攻める気はないようだ」
「俺たちもヂャン師匠の話を聞きに行こうぜ」とウニタキが言って、サハチたちもヂャンサンフォンのもとへと行った。
 宴がお開きになったあと、サハチ、ウニタキ、ファイチ、思紹、ヂャンサンフォン、ンマムイ、テーラーは『宇久真』に場所を移して飲み続けた。テーラー以外は皆、ヂャンサンフォンの弟子で、テーラーは孫弟子だった。思紹はサグルー師兄(シージォン)と呼ばれ、サハチ、ウニタキ、ファイチもンマムイから師兄と呼ばれていたので、テーラーには思紹が中山王だという事はわからなかった。勿論、マユミたちも話を合わせて、王様とは言わなかった。
 テーラーは六回も明国に行っていた。明国で、少林拳(シャオリンけん)や武当拳(ウーダンけん)も習っていた。武当拳の師匠から、ヂャンサンフォンの話は何度も聞いていて、今も生きているがどこかの山奥に籠もっているので会うのは難しいと言われた。そのヂャンサンフォンが琉球にいたなんて信じられず、本物なら是非とも会いたいとンマムイに頼み込んで連れて来てもらったのだった。
 テーラーはヂャンサンフォンに会って感激して、弟子にしてくれと頼んだ。ヂャンサンフォンは快く引き受けた。テーラーはヂャン師匠とその弟子たちに囲まれて、夢のような素晴らしい夜を過ごしていた。
 ヂャンサンフォンは運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)がいる与那原(ゆなばる)グスクに帰って、のんびり過ごしてから新グスクに行き、弟子になったテーラーの修行を始めた。新グスクの下には大きなガマ(洞窟)があって、修行はガマの中で行なわれた。ンマムイとンマムイの長女のマウミ、サスカサ(島添大里ヌル)、メイユー(美玉)の弟子になったシビー、タブチの末っ子のチヌムイ、その姉の八重瀬(えーじ)若ヌル(ミカ)、玉グスクで女子サムレーを作ったウミタル、糸数按司(いちかじあじ)の三女のカヤーも加わった。
 サスカサはササから修行の話を聞いて、ヂャンサンフォンが帰って来るのを待っていた。
 八重瀬若ヌルは佐敷ヌルに憧れていて、強くなりたいと思い、弟と一緒にヂャンサンフォンの弟子になった。シビーはメイユーが帰ったあと、佐敷ヌルの指導を受けていた。佐敷ヌルに連れられて運玉森ヌルに会いに行った時、ヂャンサンフォンと出会って弟子になった。ウミタルは兼グスク按司が新グスクに来たと聞いて、兼グスク按司が育てた女子サムレーに会いに行った。そしたら、ヂャンサンフォンが新グスクに来ていて、迷わず、弟子になった。カヤーは糸数にも女子サムレーを作りたいと思って、玉グスクまで通ってウミタルの指導を受けていた。ウミタルに誘われて、ヂャンサンフォンの弟子になった。他にも、兼グスク按司のもとに居候(いそうろう)している武芸者たちもヂャンサンフォンの弟子になって修行に励んだ。
 新グスクのガマの中でヂャンサンフォンが弟子たちの指導をしている頃、首里グスクの御内原(うーちばる)でマカマドゥが女の子を産んだ。初めての子にマウシ(山田之子)は大喜びした。長女はマウシの母親の名をもらってマミーと名付けられた。


 首里の御内原でマミーの誕生を祝福していた頃、奄美大島(あまみうふしま)を攻めていた山北王の兵たちが今帰仁(なきじん)に帰って来た。兵たちの顔付きは暗く、皆、疲れ切っていた。奄美按司になった羽地按司(はにじあじ)の次男から報告を受けた山北王は烈火のごとく怒った。
 去年、湧川大主(わくがーうふぬし)とテーラー奄美大島の北部を平定したので、今年は南部を平定すれば完了するはずだった。それなのに、総大将だった本部大主(むとぅぶうふぬし)は戦死して、半数余りの兵を失い、奄美按司は逃げ帰って来たのだった。
奄美大島の南部には『クユー一族』と呼ばれる手ごわい奴らがいて、皆、そいつらにやられました」と奄美按司は言った。
「馬鹿者め!」と山北王は怒鳴って、「慰労の宴は中止だ。皆に謹慎しているように伝えろ」と言って、奄美按司を追い返した。
 山北王は弟の湧川大主を呼んで相談した。
「クユー一族というのは何者なんだ。ヤマトゥンチュ(日本人)か」と山北王は湧川大主に聞いた。
「北部では聞いた事もない。南部の噂では五、六年前に、どこからかやって来て住み着いたようだ」
「言葉は通じるのか」
「訛りはあるが、通じるらしい」
「すると、先代の中山王の残党どもかもしれんな。中山王の残党なら、うまく話がつけられるはずだ」
「来年は俺が言って、何とか話をつけるよ」と湧川大主は言ったが、
「お前が行くと俺が忙しくてかなわん。テーラーに任せよう」と山北王は言った。
テーラーは今、南部にいるぞ」
「来年、帰って来たら、すぐに奄美大島に行かせよう」
「人使いが荒いな」
「しばらく休んでいたんだから、その分、働いてもらうさ。ところで、鮫皮(さみがー)は集まったのか」
「まだ足らん。伊平屋島(いひゃじま)と伊是名島(いぢぃなじま)の奴らが売ってくれんのだ。伊平屋島伊是名島は古くから対馬(つしま)の早田(そうだ)氏と鮫皮の取り引きをしている。早田氏を裏切れんと言って、高値で買うと言っても話には乗って来ないんだ」
伊平屋島伊是名島には中山王の親戚がいて、そいつらが鮫皮を作っているんだったな。中山王の親戚が目と鼻の先にいるのは目障りだ。鮫皮を奪って、奴らを島から追い出してしまえ」
「そんな事をしたら中山王を怒らせる事になるぞ。戦が始まるかもしれん」
「戦になったら、同盟を結んだ山南王と一緒に挟み撃ちにすればいい」
「まだ、時期が早いんじゃないのか。鉄炮(てっぽう)もまだ手に入っていないし」
「先の事はあとで考える。まずは鮫皮を揃える事が先決だ。鮫皮が揃えられなかったら島津氏は中山王と取り引きをすると言い出すだろう」
「わかった」と湧川大主はうなづいた。
 山北王の御殿(うどぅん)をあとにして二の曲輪(くるわ)に下りながら、兄貴の短気にも困ったものだと湧川大主は思っていた。普段は冷静な兄が、頭に血が昇ると冷静さを失って、後先も考えずに行動に移す。奄美大島の攻略に失敗して、その腹いせに、伊平屋島伊是名島にいる中山王の親戚を追い出せと言ったのに違いなかった。鮫皮を手に入れるにはそれしか方法はないが、なるべく穏便に事を処理しようと思った。


 十一月の半ば、伊平屋島から逃げて来た人たちが首里に続々とやって来た。島添大里(しましいうふざとぅ)にいたサハチが思紹に呼ばれて首里グスクに行くと、北曲輪(にしくるわ)に五十人近くの人たちが疲れた顔付きで座り込んでいた。
 思紹は龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階にいた。馬天(ばてぃん)ヌルとマチルギ、そして、知らない男と知らないヌルがいた。伊平屋島の親戚だろうが、サハチには誰だかわからなかった。
 明国から帰って来てから、思紹は龍天閣にいる事が多く、琉球の絵地図を持ち込んで睨んでいた。六年後の今帰仁攻めを本気になって考え始めたようだった。サハチの顔を見ると、思紹は絵地図から顔を上げて、「山北王が動き出したぞ」と言った。
「一体、何が起こったのです?」とサハチは聞いた。
「田名親方(だなうやかた)のお兄さんのイサマさんと妹の田名ヌルさんよ」とマチルギが知らない二人をサハチに紹介した。
 そう言われてみれば、イサマという男は顔付きが田名親方に似ているような気がした。妹の方は田名親方に似ていない。丸顔で目の小さな女だった。
「二人のお父さんの田名大主(だなうふぬし)(思紹の従弟)が捕まって、物置小屋に閉じ込められてしまったのよ」
「えっ!」とサハチは驚いてイサマを見た。
「突然、湧川大主が兵を率いてやって来て、強引に鮫皮を奪い取ったのです。逆らった父は捕まってしまいました」とイサマは悔しそうな顔をして言った。
 マチルギがイサマから聞いた話をサハチに聞かせた。
 九月に山北王の役人から鮫皮を売ってくれと言われたらしい。浮島で取り引きするよりも高い値で引き取ると言われたが、田名大主は断った。十月にも鮫皮を譲ってくれと役人から言われたが、はっきりと断った。その後、何も言って来なかったので諦めたのだろうと思っていたら、突然、湧川大主がやって来て、言う事を聞けない者は島を出て行けと言われ、鮫皮を奪われたという。
「山北王はわしらの親戚だと知って追い出しに掛かったのに違いない」と思紹は言った。
「山北王は中山王と戦をしたいのでしょうか」とサハチは聞いた。
伊平屋島伊是名島を完全に支配下に置きたいようです」とイサマが答えた。
伊平屋島の役人は代々、我喜屋大主(がんじゃうふぬし)が務めています。我喜屋大主も伊平屋島が鮫皮によって栄えた事は充分に知っていますから、無理な事は言いません。今回の湧川大主のやり方には我喜屋大主も驚いていました。山南王と同盟した山北王は、伊平屋島から中山王の親戚を追い出して、完全に支配するために、無理難題を言ってきたようです」
「我喜屋大主も親戚ではないのか」とサハチはイサマに聞いた。
「わたしどもの叔父です。先代の我喜屋大主は跡継ぎに恵まれず、娘婿の叔父が我喜屋大主を継ぎました」
「すると、我喜屋大主は山北王の味方をしているのか」
「仕方ないのです。島の者たちを守るためには山北王に従うしかないのです。百年ほど前には、伊平屋島にも伊平屋按司がいて、伊平屋島伊是名島を治めていたそうです。その頃、今帰仁で戦が起こって按司が代わって、新しい按司の一族だった伊平屋按司今帰仁に行って、重臣として今帰仁按司に仕える事になります。伊平屋島伊是名島には按司がいなくなって、我喜屋大主が今帰仁按司の役人になって伊平屋島を治める事になったのです。その後も今帰仁按司は変わりましたが、伊平屋島の事は我喜屋大主に任されていたのです。我喜屋大主は島の者たちのために、今帰仁按司と掛け合ったりして、今まで何の問題もなくやって来たのに、今度ばかりはまったく信じられません」
伊是名島の人たちも逃げて来たのですか」とサハチは誰ともなく聞いた。
伊是名島の人はいないわ」と馬天ヌルが答えた。
伊是名島の人は仕方がないと妥協したのでしょう。ナビーお婆(思紹の叔母)の子供や孫たちはいるけど、首里に逃げるよりは古くから住んでいる土地を守ろうと思ったのでしょう」
「わたしたちも守りたかったのです。でも、親父が逃げろって言って‥‥‥」とイサマは無念そうに首を振った。
「親父さんが言った事は正しい。逃げなければ被害が出ていただろう。心配するな。親父さんは必ず助け出す」と思紹は言った。
「山北王の兵は何人いるんだ?」とサハチはイサマに聞いた。
「湧川大主は三十人の兵を引き連れてやって来ました。湧川大主は引き上げたと思いますが、何人が残っているのかわかりません」
「普段は何人いるんだ?」
「普段はいません。島の事は我喜屋大主に任せています」
「田名大主を救い出すのはわけないだろう」と思紹は言った。
「問題は、まもなく、ヤマトゥ(日本)に行った交易船が帰って来る。何も知らずに伊平屋島に行ったら、交易船を奪われてしまうだろう」
「あっ!」と驚いた顔をしてサハチは思紹を見た。
「敵の狙いはそれですか」
「そうかもしれん。交易船には兵が百人乗っているが、不意打ちを食らったらやられてしまう」
「すると、山北王は少なくても百人の兵を送るつもりですね。こちらも百人の兵を送らなければなりません」
 思紹はうなづいたが、「今の時期、どうやって送り込むかが問題じゃ」と言った。
 すでに北風(にしかじ)が吹き始めていた。風に逆らって伊平屋島に行くのは無理だった。
「それは敵も同じでしょう。敵も伊平屋島に兵を送る事はできません。進貢船を奪い取られる事はないんじゃないですか」
「いや、現に湧川大主は三十人の兵を率いて行ったんじゃろう」
「どうやって行ったんだろう」とサハチは考えた。
「山北王の船は親泊(うやどぅまい)から塩屋に出て、ヤンバル(琉球北部)の山を右に見ながら北上して、辺戸岬(ふぃるみさき)の辺りから伊平屋島に渡ったのだと思います。時間はかなり掛かりますが、今の時期、伊平屋島に渡るのはその方法しかありません」とイサマが言った。
 サハチは思紹の顔を見て、うなづき合った。
「まずは先発隊を送り込んで、田名大主を救いだそう」と思紹が言った。
「敵が待ち伏せの兵を送る前に、百人の兵を送り込まなければなりません」とサハチは言った。
 思紹はうなづいて、「それと、こっちの動きを敵に悟らせてはならん。首里の兵は動かせん。敵には夏になったら伊平屋島を攻めると思わせておかなければならん」と言った。
「どこの兵を動かすのです?」
「山北王の兵を追い払ったあとも伊平屋島には守備兵を置かなくてはなるまい。新しいサムレー大将を決めて、新たに編成する。とりあえずは、各隊から数人づつ選んで、百人集めよう」
「わかりました。そうしましょう」とサハチはうなづいた。
 それから五日後、サグルー(島添大里若按司)、ジルムイ(島添大里之子)、マウシと伊平屋島出身のサムレーのムジルとバサー、三星党(みちぶしとー)のヤールーとファー、伊平屋島出身の女子サムレーのイヒャカミー、伊平屋島から逃げて来たウミンチュ(漁師)のヤシーとカマチ、そして、イサマの十一人が先発隊として伊平屋島に向かった。皆、庶民の姿に変装して、刀の代わりに棒を持ち、最北端の辺戸岬を目指した。サグルーはヂャンサンフォンと一緒に旅をした時、辺戸岬まで行った事があり、ヤンバル生まれのヤールーも行った事があった。

 

 

 

 

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