長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

3-08.永良部ヌルと鳥島(第二稿)

 世の主(ゆぬぬし)(永良部按司)が以前に暮らしていた玉グスクは、新しいグスクの東、半里(約二キロ)ほどの小高い丘の上にあり、浦添(うらしい)グスクを小さくしたようなグスクだった。
 高い石垣はかなり古く、英祖(えいそ)の弟が永良部按司(いらぶあじ)になった時に築いたのだろうとサグルーは思った。大御門(うふうじょう)(正門)から中に入ると厩(うまや)とサムレー屋敷がある二の曲輪(くるわ)があり、中御門を抜けると按司の屋敷があった。屋敷には侍女(じじょ)や城女(ぐすくんちゅ)がいて、サグルーたちは歓迎された。
 侍女に聞くと、中山王(ちゅうざんおう)の船が知名の浜(じんにゃぬはま)に着いたと知らせがあった時、世の主に命じられて歓迎の準備を始めて待っていたという。侍女たちはまだ世の主が自害した事を知らないようだった。
 食事の用意もしてあったが、兵たちの分まではないので、与和の浜(ゆわぬはま)にいる船から食糧を運んで炊き出しを始め、兵たちを守備の配置につけた。サグルーたちは世の主が用意してくれた料理や酒を御馳走になりながら今後の対策を相談した。
 先代按司の妻のマティルマに長男夫婦と孫が自害した事を報告しないわけにはいかないので、グスクに呼んで知らせたら唖然となって泣き崩れた。娘のマハマドゥも信じられないと言った顔で呆然としていた。トゥイとマアミとナーサも驚いていたが、マティルマとマハマドゥを慰めた。
 どうしてこんな事になってしまったのか、マティルマは自分の運命を嘆いた。浦添から遙かに遠い永良部島に嫁ぎ、島の人たちに大歓迎されて、寂しかった気持ちも吹き飛んだ。初めて見る夫の真松千代(ままちちゅー)も思っていたよりも素敵な人で、賢くて、正しいと思った事はすぐに行動に移す人だった。夫と一緒に永良部島を住みやすい平和な島にしようと一生懸命に生きて来た。子供たちにも恵まれて、島の人たちもいい人ばかりで幸せだった。
 最初の不幸は十年前、兄の武寧(ぶねい)が島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)に殺されて、生まれ育った浦添グスクが焼け落ちた事だった。同じ年に今帰仁(なきじん)のサムレーに嫁いだ次女のマナビーが二十一の若さで病死した。そして、三年前には夫が急死してしまった。まだ五十六歳だというのに突然倒れて、そのまま逝ってしまった。悲しみに打ちひしがれ、ようやく立ち直って報告のために今帰仁に行ったら、義姉のマアミと再会した。亡くなったと思っていたのに生きていて、昔の事を語り合い、島には帰らず、マアミと一緒に暮らす事にした。二年前には琉球の南部に行った三男の知名大主(じんにゃうふぬし)が戦死したと聞いて悲しんだが、妹のトゥイが今帰仁に来て再会できたのは嬉しかった。
 今年の三月、今帰仁のお祭りの翌日、中山王が攻めて来ると大騒ぎになって、その日の夜に城下が全焼した。グスク内は避難民で溢れ、義弟の屋我大主(やがうふぬし)(前与論按司)と屋我大主の息子に嫁いでいた三女のマハマドゥと一緒に名護(なぐ)に避難した。中山王の兵が攻めて来て山北王(さんほくおう)は滅び、夫の故郷もなくなった。浦添今帰仁を滅ぼした中山王を恨み、もう行く所は永良部島しかなかった。マアミと一緒に永良部島に行こうと相談していたら、中山王の船に乗ってトゥイが名護に来た。トゥイに説得されて、息子を助けるために中山王の船に乗って帰って来たのに、自害してしまうなんて、いくら泣いても泣ききれなかった。
 マハマドゥは久し振りの帰郷を楽しみにしていた。それなのにこんな事になるなんて‥‥‥悲しむ母を見ながら、マハマドゥも自分の運命を嘆いていた。隣り島の与論按司(ゆんぬあじ)の若按司に嫁ぎ、三人の子供に恵まれて幸せな日々を送っていた。突然、中山王の兵が攻めて来て捕まり、与論島は奪われなかったものの義父は与論按司を剥奪された。今帰仁に行って、義父は名誉を挽回するために鬼界島(ききゃじま)(喜界島)を攻めるが失敗して、夫は戦死してしまう。夫にはヌルになった姉と名護に嫁いだ妹がいるだけで、男の兄弟はなく、跡をつぐのはマハマドゥが産んだ息子しかいなかった。息子はまだ七歳で、一人前に育つまで今帰仁にいてくれと義父に頼まれ、永良部島に帰る事は諦めた。翌年、父が亡くなり、母が今帰仁に来た。母が島に帰らず、グスクの外曲輪(ふかくるわ)で暮らす事になったのは嬉しかった。城下が焼けてグスクに逃げ込み、母と一緒に名護に行き、中山王の船に乗って永良部島に帰ってきたのに、兄が自害してしまうなんて悪夢でも見ているようだった。
 マアミは幼い頃に兄の真松千代から聞いた永良部島に行くのが夢だった。真松千代は母親違いの兄で、マアミが三歳の時、永良部島から母親と一緒にやって来た。どうして、永良部島に兄がいるのかよくわからなかったが、二つ違いの兄はマアミを可愛がってくれた。十年後、真松千代は母と一緒に永良部島に帰って按司になった。真松千代と一緒に過ごした十年間はマアミの楽しい思い出だった。真松千代が去った三年後の冬、マアミは浦添に嫁いだ。夫は察度(さとぅ)の三男のフシムイで、フシムイの妹のマティルマと仲良くなった。マティルマは夏になったら真松千代に嫁ぐという。マアミはマティルマに真松千代の事を話し、いつか必ず永良部島に行くと約束した。フシムイが越来按司(ぐいくあじ)になって越来に移り、按司の奥方として頑張った。フシムイが何度も明国(みんこく)に行ったので、寂しい時もあったが、六人の子供に恵まれて幸せだった。十一年前、フシムイは何者かに殺された。その翌年、島添大里按司が攻めて来て越来グスクを奪われ、四人の息子たちは戦死した。若ヌルだったマチルーと一緒に越来を離れ、義兄の米須按司(くみしあじ)を頼って米須に行き、米須の近くの小渡(うる)(大度)で暮らした。マチルーが調べた所によると、フシムイを殺したのは島添大里按司ではなく、勝連按司(かちりんあじ)だったという。過去の事を忘れて、小渡でのんびり暮らしていたら戦が始まり、米須按司に頼まれて、マチルーと一緒に今帰仁に帰ってきた。三十八年振りの帰郷だった。真松千代が亡くなって、マティルマが今帰仁に来て一緒に暮らし、今帰仁も奪われて、ようやく永良部島に来たのに、真松千代とマティルマの長男が自害してしまうなんて慰めようもなかった。
 サグルーたちにとっても按司の自害は、まったく想定外の事だった。先に来ていたヤールーの配下が、与論按司(ゆんぬあじ)が中山王に忠誠を誓って、按司でいる事を許されたと噂を流していた。それを聞けば早まった事はしないはずだったのに、こんな事になってしまった。按司がいなくなった今、新しい按司を決めなければ、ここから先へは進めない。按司の身内に按司を継いでもらうか、さもなければ、ジルムイ、マウシ、シラーの誰かを按司の代理として残さなければならなかった。
 配下の者たちを使って永良部按司の事を調べていたヤールーから按司の身内の事を聞いた。
 先代の按司には八人の子供がいて、長男は自害した按司、次男は徳之島按司(とぅくぬしまあじ)になっている。三男は知名大主で、南部に嫁いだ山北王の娘マサキの護衛として保栄茂(ぶいむ)グスクに行ったが、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスク攻めの時に戦死していた。四男は畦布大主(あじふうふぬし)を名乗って湾門浜(わんじょはま)のグスクを守っていた。長女は永良部ヌル、次女は真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)に嫁いで十年前に亡くなっている。三女はマハマドゥで、三人の子供を連れて永良部島に帰って来ている。四女は志慶真大主(しじまうふぬし)の長男に嫁いで志慶真村にいた。
 按司の子供は五人いて、長男は自害した若按司、次男は末っ子でまだ十歳。長女は九歳で亡くなり、次女は若ヌル、三女は十三歳で、次男のマジルーと三女のマティルマは国頭(くんじゃい)ヤタルーと一緒にどこかに逃げていた。
「国頭ヤタルーというのは重臣なのか」とサグルーがヤールーに聞いた。
重臣です。永良部按司には四天王と呼ばれる四人の重臣がいます。知名の浜に来た北見国内兵衛佐(にしみくんちべーさ)と後蘭孫八(ぐらるまぐはち)、それと国頭ヤタルーと屋者(やーじゃ)マサバルーです」
 北目国内兵衛佐は瀬利覚(じっきょ)ヌルの兄で、父親はマティルマの護衛役として永良部島に来た察度の重臣の城間大親(ぐしくまうふや)だった。城間大親は瀬利覚ヌルの母と結ばれて、国内兵衛佐と瀬利覚ヌルを産んだ。城間大親の長男は父の跡を継いで浦添に残り、今は中山王の重臣になっていて、次男と三男は南風原(ふぇーばる)で戦死していた。永良部按司重臣となった父親は十四年前に亡くなり、国内兵衛佐が跡を継いでいた。
 後蘭孫八は奄美大島(あまみうふしま)の浦上(うらがん)を領する平家の子孫、孫六の弟で、家族を連れて島に来たのは六年前だった。後蘭の地にグスクを築いて本拠地とし、後蘭孫八と呼ばれている。先代の按司に築城の腕を見込まれて、越山(くしやま)の中腹に按司のグスクも築いていた。
 屋者マサバルーは先代の按司今帰仁から帰ってきた時に後見役として島に来た山川大主(やまかーうふぬし)の息子で、この島で生まれた。自害した按司と同い年だったので十歳まで一緒に育った。十歳の時に父と一緒に今帰仁に行き、今帰仁で学問や武芸に励んでサムレーになった。仲宗根大主(なかずにうふぬし)の娘を妻に迎えて子供も生まれたが、二十一歳の時に永良部島に残っていた長兄のマタルーが病死したため、永良部島に帰って長兄の跡を継いで重臣になっていた。
 国頭ヤタルーは初代の永良部按司に従ってきたサムレーの子孫で、世の中が変わったため代々、ウミンチュ(漁師)として暮らしていた。父親が武芸の素質があり、先代の按司と同い年だったので、山川大主の推挙で十五歳だった先代の按司に仕える事になった。父親は先代の按司と一緒に武芸の修行に励み、先代の按司が一人前になってからは側近の重臣として仕えた。先代の按司が亡くなった後、父親は隠居して、ヤタルーが今の按司重臣になった。
「ヤタルーは二人の子供を連れて徳之島に行ったに違いない」とマウシが言った。
「多分な」とサグルーはうなづいた。
「徳之島から連れ戻して按司にしたらどうでしょう」とシラーが言った。
「それもいいが、次男はまだ十歳だからな。後見役が必要だ」
「畦布大主を後見役にしたらどうです?」とジルムイが言った。
「畦布大主は何歳なんだ?」とサグルーがヤールーに聞いた。
「二十五、六歳だと思います。徳之島按司になった兄が畦布大主を名乗っていて、その跡を継いで湾門浜のグスクを守っています。そのグスクですが『ヤマトゥグスク』と呼ばれていて、以前は倭寇(わこう)の拠点だったそうです。帕尼芝(はにじ)が攻めて来た時に倭寇も追い出したようです。畦布大主の奥さんは屋者マサバルーの兄のマタルーの娘です」
「マサバルーの義理の甥というわけだな。四天王が補佐すれば、畦布大主の後見役で、次男のマジルーを按司にすれば大丈夫だろう」とサグルーが言って、皆が同意した。
「永良部ヌルはどうするの?」とサスカサが聞いた。
「マジルーが按司になるんだから、姉の若ヌルがなればいいんじゃないのか」
「できれば、瀬利覚ヌルが永良部ヌルに戻ってほしいわ」
「瀬利覚ヌルが永良部ヌルに戻るには、北見国内兵衛佐が按司になる事だが、他の重臣たちが許すまい」
 翌日、後蘭孫八と瀬利覚ヌルが玉グスクに来て、世の主が自害に至った経緯を説明した。
 中山王の船が知名の浜に着いた事を知った世の主は、北見国内兵衛佐と後蘭孫八を使者として送った。いつまで経っても知らせがないので、二人は殺されたと思い、中山王の船が与和の浜に向かってくる事を知ると覚悟を決めて、先代が眠るウファチジに行って、奥方様(うなぢゃら)と若按司を道連れに自害を遂げたという。
 自害を遂げた第一の原因は湧川大主(わくがーうふぬし)に脅された事だと思われる。山北王の一族は皆、殺されると言われて、按司はそれを信じ込んでしまった。
 第二の原因は今帰仁に送った使者の報告で、今帰仁の城下が跡形もなく全焼して、グスクも悲惨な姿となり、山北王の兵たちは皆殺しにされたと聞いて、島の人たちを守るには自分が自害するしかないのかと按司は思った。
 第三の原因は父親があまりにも立派過ぎたので、何をやっても父親と比べられ、父に負けない事をしなければならないと常に思っていて、死に様だけは立派にしたいと思った事。
 第四の原因はいつまで経っても旗が揚がらず、二人の使者は殺されてしまったと思い込んだ事。
 第五の原因は中山王の船が与和の浜に向かってきて、陸からも兵が攻めて来て、いよいよ城下が焼かれると思い込んだ事。
 第六の原因は叔母の大城(ふーぐすく)ヌルから、世の主ならば自分を犠牲にしてでも島の人たちを守らなければならないと言われて覚悟を決めたと思われる。
「第四の原因の旗とは何の事です?」とサグルーは孫八に聞いた。
「サミガー親方(うやかた)の屋敷にはウミンチュたちに危険を知らせたりするために、旗を揚げる高い棹(さお)が立っています。戦が回避されるようなら白い旗を揚げろと世の主から言われていたのですが、わしら二人ともすっかり忘れてしまったのです。先代の奥方様と会えるなんて思ってもいなかったので、会えたのが嬉しくて、わしらは酒を飲み過ぎてしまったようです。湧川大主殿から奥方様は殺されただろうと言われて、皆、嘆いておりました。それなのに元気なお姿で現れたので信じられなくて、本当に嬉しかったのです」
「旗を揚げていれば世の主の自害は防げたかもしれませんね」
「わしらの失態です。悔やんでも悔やみきれません」
「原因は六つもあります。旗だけが原因ではないでしょう」とサグルーは言って、「世の主は湧川大主と親しかったのですか」と孫八に聞いた。
「湧川大主殿は鬼界島攻めの行き帰りにこの島に寄っています。世の主は湧川大主殿を歓迎して、楽しそうに酒を飲み交わしておりました。先月の半ばに来た時はこのグスクに七日間、滞在して徳之島に向かいました」
 サグルーはうなづいて、「死んでしまったものは仕方がない。今後の事を考えなくてはならないが、次の世の主は誰にしたらいいと思いますか」と聞いた。
「その事ですが、わしらの考えでは、サミガー親方がよいのではないかと思います」
 意外な答えにサグルーたちは驚いた。
「サミガー親方は世の主の身内だったのですか」とサグルーは聞いた。
「身内ではありません」と瀬利覚ヌルが言った。
「実はわたしの従兄(いとこ)なのです。帕尼芝に滅ぼされた世の主の三男の息子なのです」
「帕尼芝に滅ぼされた世の主は、今帰仁按司だった千代松(ちゅーまち)様の次男でしたよね」とサスカサが聞いた。
「そうです。世の主と長男と次男は戦死しましたが、十三歳だった三男とわたしの母は祖母に連れられて逃げました。祖母は永良部ヌルから瀬利覚ヌルになってグスクから遠ざけられましたが殺されずに済みました。三男は島から逃げたように見せかけて、ガマ(洞窟)の中に隠れていました。帕尼芝の兵が引き上げた後、ウミンチュと一緒に馬天浜(ばてぃんはま)に行ったのです」
「という事はサミガー親方は千代松様の曽孫(ひまご)という事ですね」
「そうです。山北王が滅んだ今、山北王がこの島を攻める前に戻して、千代松様の曽孫のサミガー親方が世の主になればいいと思います」
「先代のサミガー親方が生き残った三男だと帕尼芝は気づかなかったのですか」ジルムイが瀬利覚ヌルに聞いた。
「帕尼芝はこの島に来ていませんので、先代のサミガー親方には会っていません。でも、山川大主が気づいて帕尼芝に知らせたのかもしれません。先代の世の主様から聞きましたが、帕尼芝は義父だった千代松様を尊敬していたようです。千代松様が亡くなった後、跡を継いだ義兄が余りにも頼りなくて、自分が按司を継ぐべきだと思って、義兄を倒して今帰仁按司になったようです。そして、義兄だった永良部按司も倒したのです。後になって後悔して、罪滅ぼしのつもりでサミガー親方を許して、立派な屋敷も建てたのかもしれません」
「サミガー親方様が世の主を継ぐ事に、重臣の方々は賛成なのですか」とサスカサが聞いた。
「サミガー親方がわたしの従兄だという事は隠していました。知っているのはサミガー親方とわたしだけだったのです。兄の国内兵衛佐も驚いていました。マサバルー様も驚きましたが、山北王が滅んだ今、山北王の身内が継ぐより、サミガー親方が継いだ方がいいだろうと言いました。兄も孫八も賛成しました」
「サミガー親方も引き受けると言ったのですね」
「これから説得します」と瀬利覚ヌルが言った。
「千代松様の曽孫がこの島の按司になってくれれば、きっとうまくいくと思います。わたしたちの母も千代松様の曽孫なのです」
 サスカサがそう言うと、「えっ!」と瀬利覚ヌルが驚いた。
 イラフ姫からサスカサがアキシノの子孫だと聞いた時、アキシノの子孫で南部に行った人がいたのだろうと思っていた。まさか、千代松の玄孫(やしゃご)だったなんて思いもしなかった。
「わたしの母は伊波按司(いーふぁあじ)の娘なのです。伊波按司は帕尼芝に滅ぼされた千代松様の若按司の次男なのです。母は幼い頃から敵討ちをしなければならないと言って武芸の修行に励みました。そして、父と出会って馬天浜のある佐敷に嫁ぎ、娘たちを鍛えて女子(いなぐ)サムレーを作りました。母から剣術を習った娘たちは相当な数になります。ヌルたちも皆、武芸を嗜み、出掛ける時は女子サムレーの格好をしている事が多いのです。母の願いはかなって山北王は滅びました。今、母は今帰仁の城下の再建をしています。千代松様の曽孫のわたしがしなければならないと言って頑張っています。城下が再建されたら、わたしの弟のチューマチが今帰仁に行って今帰仁按司になります」
「弟さんのお名前はチューマチというのですか」
「そうです。千代松様の名前をもらったのです」
「チューマチ様が今帰仁按司に‥‥‥」
 そう言って瀬利覚ヌルは涙をこぼした。
 意外な展開になったが、サグルーたちもサミガー親方が永良部按司になる事に賛成した。
 瀬利覚ヌルと孫八がサミガー親方を説得に行き、サミガー親方はグスクに入って、サグルーたちが立ち合い、永良部按司に就任した。
 按司になったサミガー親方は先代の按司と奥方、若按司の葬儀を執り行ない、子供のいないサミガー親方は先代の遺児、マジルーとマティルマを養子として迎えると言って、徳之島に逃げたであろう二人をを連れ戻すように命じた。
 先代按司の弟の畦布大主は中山王に忠誠を誓って、以前のごとくヤマトゥグスクを守り、按司の自害を止められなかった永良部ヌルと大城ヌルはグスクから追放された。
 永良部ヌルは畦布ヌルとなり、若ヌルを連れて弟の所に行き、大城ヌルは御殿(うどぅん)から追い出されて北目(にしみ)に戻り、瀬利覚ヌルが永良部ヌルに復帰した。
 大城(ふーぐすく)と呼ばれている御殿は、先代の世の主の母親が永良部ヌルを娘に譲って引退した時、世の主が母親の隠居屋敷として建てた御殿だった。立派な御殿だったので、いつしか大城と呼ばれるようになり、母親が亡くなった後、娘が入って大城ヌルを名乗っていた。
 御殿に入った瀬利覚ヌルは驚いた。豪華な衣装や装飾品、銭の詰まった木箱がいくつもあった。娘の北目ヌルに聞いたら、とぼけていたが、母親が追放された事を知ると渋々白状した。
 母の代からサミガー親方が作った鮫皮(さみがー)の取り引きの仲介をしていて、上前をはねていたという。さらに、大城ヌルはサミガー親方からブラ(法螺貝)を安く仕入れて、湧川大主に高く売っていた。ブラはヤマトゥンチュも明国の海賊も欲しがっていたので高く売れる商品だが、サミガー親方はそんな事は知らなかった。この島だけでなく、琉球の島ならどこでも捕れるので、身を食べた後の貝殻を大城ヌルに安く売っていたのだった。
 大城ヌルが溜め込んだ財産は島の人たちのために使うために没収された。
 徳之島に行ったのは孫八と瀬利覚ヌル、マティルマとマハマドゥで、国頭ヤタルーを説得して、マジルーとマティルマを連れてきた。
 亡くなった按司は長女に母の名前をもらってマティルマと名付けたが、長女は九歳で亡くなってしまった。その年に三女が生まれたので、長女の生まれ変わりだと言って、マティルマと名付けたのだった。
 マジルーとマティルマは両親と長兄が亡くなった事を悲しみ、両親と長兄のいないグスクに入ろうとはしなかった。姉の若ヌルがいる畦布のグスクに行くと言って、祖母のマティルマと叔母のマハマドゥを連れて畦布のグスクに行った。
 四天王たちは考えて、マジルー姉弟と先代の奥方様のために新しいグスクを築く事に決め、孫八は張り切ってグスクを建てる場所を探し始めた。
 新しい按司も決まって一段落したので、サスカサたちは永良部ヌルになった瀬利覚ヌルの案内で越山に登った。大山と違って山頂からの眺めがよく、四方が見渡せた。
「ここには二つのウタキ(御嶽)があります」と永良部ヌルが言った。
「一つは初代永良部ヌル様のウタキで、もう一つの古いウタキは最近までわかりませんでしたが、ワー姫様のウタキだとわかりました。この山に初代永良部ヌル様のウタキがあったので、この山の中腹に世の主のグスクを築くように孫八に勧めたのです」
 サスカサたちは最初に初代永良部ヌルに挨拶をした。
「永良部ヌルが若ヌルを連れて、ここでお祈りをしていたけど、お祈りは通じなかったようね」と神様の声が聞こえた。
「アキシノ様の孫の初代永良部ヌル様ですね」とサスカサは聞いた。
「そうよ。二代目今帰仁ヌルの娘の永良部ヌルよ」
「神様にも世の主の自害は止められなかったのですか」
「それは無理よ。世の主の叔母の大城ヌルも世の主の妹の永良部ヌルもわたしの声は聞こえないもの」
「大城ヌルは神様の子孫なのに聞こえないのですか」
「大城ヌルの母親はヌルとは名ばかりで、ろくに修行もしないで我欲の強い女だったのよ。今帰仁に行って帕尼芝を誘惑して真松千代を産んで、姉から永良部ヌルの名を奪ったけど、自分の欲を満たす事しか考えなかったわ。そんな母を見て育った大城ヌルも自分の事しか考えない女なのよ。マティルマがいた時はマティルマに従っていたけど、マティルマが今帰仁に行ってからはもうやりたい放題よ。世の主の銭を勝手に持ち出して、マティルマに島の様子を報告に行くと言って今帰仁に行き、『まるずや』で欲しい物を大量に買い込んできたわ」
「大城ヌルは『まるずや』のお得意さんだったのですか」とナナが聞いた。
「そうなのよ。本部(むとぅぶ)のテーラー奄美大島を平定して帰って来た時、お祝いのために今帰仁に行ったのが始まりよ。その年に山北王と中山王が同盟して、今帰仁に『まるずや』ができたのよ。大城ヌルは欲しい物が何でも手に入る『まるずや』が気に入って、毎年、行くようになったわ。今年は腰が痛いとか言って行かなかったけど、行っていたら今帰仁城下の火事で死んでいたかもしれないわね」
「世の主が自害する前、大城ヌルと一緒にいたようですけど、大城ヌルは自害を止める事はできなかったのですか」とサスカサは聞いた。
「止めるどころか、大城ヌルは自害する事を望んでいたのよ。何だかんだ言って、世の主を自害に追い込んだのよ。世の主が中山王に忠誠を誓って按司のままでいられたとしても、色々と調べられたら自分の悪事がばれてしまい、溜め込んだ財産を失う事を恐れたのよ」
「世の主が自害したら、自分は安全だと思ったのですか」
「悲しんだ振りをして、逃がしたマジルーを按司にして、その後見役を勤めるつもりだったのよ。中山王はこの島の事は何も知らないし、中山王のヌルがこの島の神様の声が聞こえるはずはないと思って、何とかごまかせると思っていたのよ。サスカサがサチ(瀬利覚ヌル)と会った事も知らないしね」
「調子に乗りすぎたのよ」とサチが言った。
 初代永良部ヌルは笑って、「この島で、祖母の血を引くサチとサスカサ、志慶真ヌルの三人が出会うなんて不思議ね」と言った。
「神様はアキシノ様に言われてこの島に来たのですか」とサスカサが聞いた。
「あたしは祖母から弓矢を教わったけど、あたしが九歳の時に亡くなってしまったわ。あたしは神様のお導きで、この島に来たのよ。叔父が二十五年前に来て永良部按司になっていて、もうヤマトゥから追っ手が来る心配もなかったんだけど、あたしは神様に呼ばれたのよ。あなたがやるべき事があるから待っていなさいって言われたの。何を待つのかわからなかったけど、狩りをしたり、馬を育てたりしていたら、四年後の冬にマレビト神がやって来たのよ」
「えっ、マレビト神に会うためにこの島に呼ばれたのですか」
「そうだったよ。あたしも驚いたわ。マレビト神は博多から来たタケルっていうサムレーで、宋(そう)の国から来た商人のために働いていたの。貝殻を求めて琉球に行く途中で、徳之島の山の上から西(いり)の方を見たら、煙を上げている島が見えたって言うのよ。その島に行こうとしたんだけど、徳之島にはその島に行ったウミンチュがいなくて、この島にいるらしいって聞いて、やって来たのよ。あたしたちはウミンチュを探して、その島に行ったわ。断崖に囲まれた島で、煙を上げていたのよ。物凄い臭いが漂っていて、ウミンチュは恐ろしがって島には上がらずに帰っちゃったけど、あたしたちは砂浜から上陸して岩をよじ登って、崖の上まで行ったのよ。誰も住んでいなくて、あっちこっちから煙が出ていて、凄い所だったわ。思った通り、硫黄(いおう)が採れるってタケルは大喜びしていたわ。あたしは硫黄なんて知らなかったけど、宋の国との取り引きに使えるってタケルは言っていた。海辺にお湯が沸いている所があって、お湯に浸かったら気持ちよかったわ。あたしたちはその島で結ばれたのよ」
「その島は鳥島(とぅいしま)ですね」とサスカサが聞いた。
「そうよ。タケルがあたしの名前を付けてくれたのよ」
「えっ、神様のお名前はトゥイなのですか」
「そうよ。タケルが『トゥイぬ島』って名付けて、『勝手に硫黄を取ってはいけません、永良部ヌル』っていう石碑を建ててくれたのよ。今は『ぬ』が抜けてトゥイ島って呼ばれているけど、あたしの名前なのよ。あたしたちは一旦、この島に戻って来て、島の力自慢を連れてトゥイ島に行って硫黄を採って、タケルは翌年の夏に帰って行ったわ。その年の冬、タケルは硫黄掘りの職人を連れて来て、本格的に硫黄採掘を始めて、トゥイ島に村ができたのよ。タケルは毎年、冬になるとやって来て、夏に帰って行ったわ。わたしは三人の子供を産んで、長女はトゥイ島に行ってトゥイヌルになって、あの島の人たちを守ったわ。長男はこの島で牧場をやって、次女が永良部ヌルを継いだのよ」
「硫黄が採れる島は薩摩(さつま)(鹿児島県)の近くにもあるのに、タケルさんはどうして、トゥイ島を探したのですか」とナナが聞いた。
「薩摩の近くの硫黄島は島津氏が支配していて、タケルは入れないって言っていたわ。博多の商人たちは島津氏から硫黄を買っていたんだけど、タケルがトゥイ島を見つけたので、博多の商人たちはとても喜んだって言っていたわ。宋の国が硫黄を欲しがっていて、トゥイ島の硫黄が大量の銭や絹や壺(つぼ)などと交換されたらしいわ。長女がトゥイヌルになって六年後、浦添按司になった英祖の弟のサンルーが硫黄を求めてトゥイ島にやって来たのよ。トゥイヌルは、永良部島に行って、あたしと相談しろって言ったわ。この島に来たサンルーはトゥイ島の硫黄を譲ってくれって言ったけど、わたしは永良部按司と相談して断ったの。タケルのお船は毎年、やって来て硫黄を運んで行ったし、硫黄のお陰で、この島は豊かになったわ。タケルを裏切れないし、今帰仁按司もトゥイ島は絶対に守れって言っていたのよ。サンルーは諦めて帰って行ったけど、それで終わりにはならなかったわ。二年後、永良部按司が亡くなると、その翌年、サンルーはこの島に攻めて来て、按司を殺して永良部按司になったのよ。その時、驚いた事が起こったわ。わたしの次女のマレビト神がサンルーだったのよ。わたしは驚いて、イラフ姫様に相談したわ。そしたら、島を守るために英祖に従いなさいと言ったのよ。わたしはイラフ姫様に従って、次女とサンルーを祝福して、永良部ヌルを次女に譲ったわ。その年もタケルのお船はやって来て、サンルーは例年通りに取り引きをしたわ。翌年の夏、怒った今帰仁按司が攻めて来たけど、サンルーは追い返したわ。英祖は宋の国から来る商人と取り引きするために永良部島とトゥイ島を奪い取ったけど、七年後には宋の国は滅んでしまったの。タケルのお船も来なくなってしまって、硫黄採掘も終わってしまったわ。宋の国を滅ぼした元(げん)の国は大きな国で、国内で硫黄が採れるので硫黄を必要としなかったのよ。今帰仁按司も英祖の次男の湧川按司に倒されてしまって、永良部島は今帰仁按司支配下になったけど、トゥイ島の硫黄は必要とされなくなって島に住んでいた人たちも引き上げたわ。島を守っていたトゥイヌルは二代で絶えてしまったのよ」
「でも、トゥイ島は復活したのでしょう」とサスカサが聞いた。
「復活したのは百年近く経ってからよ。浦添按司の察度が明国に進貢(しんくん)を始めて硫黄が必要になったのよ。察度はトゥイ島に行って硫黄を採掘したわ。当時は無人島になっていたから勝手に採っていたの。それを知った今帰仁按司の帕尼芝が怒ってトゥイ島に行って、察度が送り込んだ兵たちを追い返したのよ。それで、察度は帕尼芝と同盟を結ぶ事にして、察度の娘のマティルマが永良部按司に嫁いで、帕尼芝の娘のマアミが越来按司に嫁いだのよ。その後のトゥイ島は中山王の支配下になってしまったわ」
「永良部島が今の中山王の支配下になれば、トゥイ島は永良部ヌルに返す事ができると思います」とサスカサは言った。
「そうなってくれれば、トゥイヌルも喜ぶと思うわ。トゥイ島にはトゥイヌルのウタキがあって、あの島で硫黄を掘っている人たちの神様になっているの。トゥイヌルが絶えた後、ヌルはいなかったんだけど、馬天ヌルのお陰でヌルもやって来て、島の人たちを守っているわ」
「えっ、大叔母はトゥイ島に行ったのですか」とサスカサは驚いた。
「あなたのお祖父さんが中山王になった時、ヒューガの船に乗って行ったのよ。島の悲惨な状況を見て驚いて、改善させたわ」
「そんなにひどい状況だったのですか」
「中山王にとって硫黄は必要な物だったから、察度は島の人たちのためにできるだけの事をしてやっていたけど、察度が亡くなると、跡を継いだ武寧は島の人たちのために何もやらなかったのよ。あの島は水がないし、作物も育ちにくいから、食べる物にも困るのよ。海産物は採れるけど、それだけでは体が持たないわ。飢え死にした人たちも大勢いたのよ。その時の馬天ヌルはトゥイヌルの声は聞こえなかったけど、七年後に来た時はトゥイヌルの声が聞こえるようになっていて、あの島の事を色々と聞いたみたいね。トゥイヌルのウタキを守るためにヌルを送り込んで、島の人たちを励ましているわ」
 馬天ヌルから鳥島の事を聞いてはいないが、鳥島まで行っていたなんて、大叔母の行動力に今さらながらも驚いた。できれば、行ってみたいとサスカサは思った。
「今もこの島から鳥島に行けるウミンチュはいますか」
「いるわ。カマンタ(エイ)を捕るために鳥島の近くまで行くウミンチュがいるわよ」
「サミガー親方の所のウミンチュですね」
「そうよ。サミガー親方も行った事があるんじゃないかしら」
 サスカサたちはお礼を言って、初代永良部ヌルと別れた。
「ねえ、サスカサ、鳥島に行く気なの?」とシンシンが聞いた。
 サスカサはうなづいた。
 シンシンは笑って、「ササに似てきたわね」と言って、ナナを見ると、「あたしも行ってみたいと思っていたの」とナナは笑って、「ヒューガさんに連れて行ってもらえばいいのよ」と言った。
「でも、今、どこにいるのかわからないわ」と志慶真ヌルが言った。
 ヒューガは永良部島の様子を調べるために武装船に乗って、島の周りを回っていた。
「サミガー親方の所のウミンチュを連れて、ウムンさんのお船で行けばいいわ」とシンシンが言った。
 それがいいとみんなで賛成して、ワー姫のウタキに向かった。
 薄暗い森の中にある古いウタキは霊気が漂い、瀬利覚ヌルが近寄りがたいと言った意味がよく理解できた。初代永良部ヌルよりも一千年以上も昔の神様だという事を改めて認識して、サスカサたちはお祈りを捧げた。
「この島にも瀬織津姫(せおりつひめ)様がスサノオと一緒に来たのよ」と神様の声が聞こえた。
「ユン姫様のお孫さんのワー姫様ですね」とサスカサが聞いた。
「そうよ。この島はワーヌ島だったのに、イラフ姫に取られてしまったわ」とワー姫は笑った。
「でも、いいのよ。和の浜(わーぬはま)として残っているし、叔母の名前も与和の浜として残っているわ。叔母がこの島に残っていたら、わたしはこの島に来なかったわね。わたしがこの島に来て十五年くらい経った頃、ヤマトゥとの交易は終わってしまって、静かな島になったのよ。平和だったけど退屈だったわ。それから四百年近く経って、スサノオ琉球に来て貝殻の交易が再開されたわ。そして、この島にイラフ姫が来たのよ。二人の娘を連れて来て、この島で三人目を産んだわ。三人のマレビト神に出会うなんて驚いたわ。行動的な娘でね、わたしもあの娘のあとを追って行って南の島(ふぇーぬしま)に行ったり、ヤマトゥの近くにある永良部島に行ったりして楽しかったのよ。どこに行ってもあの娘は歓迎されて、人気者だったわ。島に名前を残したいってみんなが思うのよ。あの娘のマレビト神がいる島はみんなイラフ島になってしまったのよ」
「ワー姫様のマレビト神はどんな人だったのですか」とサスカサが聞いた。
「わたしはたった一人よ。しかも、半年間、一緒にいただけで、その後は会えなかったのよ」
「ヤマトゥから来た人なのですね?」
「そうなのよ。会った時は知らなかったけど、一緒に垣花(かきぬはな)の都に行って、垣花姫様と一緒にお話を聞いたら、瀬織津姫様の子孫で富士山の裾野にある瀬織津姫様が作った都からやって来た事がわかったの」
「樹海の下にあった都から来たんだわ」とシンシンが言った。
「そうなのよ。アスマツヒコは四代目のアスマツ姫様の息子さんだったのよ」
「アスマツ姫?」とナナが言った。
「初代のアスマツ姫は瀬織津姫様よ。瀬織津姫様はアスマツウフカミ様として祀られていたわ。後に浅間大神(あさまぬうふかみ)様って呼ばれるけど、当時は富士山をアスムイって呼んでいて、都の名前はアスマだったのよ」
「知念姫(ちにんひめ)様の子孫と瀬織津姫様の子孫が結ばれたのですね」とサスカサが言ったら、
「あなたの両親と一緒ね」とワー姫は笑った。
「神様になってからも会っていないのですか」とナナが聞いた。
瀬織津姫様がスサノオと一緒に、この島にいらした後、わたしもヤマトゥに行けるようになって会いに行ってきたわ。富士山は本当に綺麗な山だったわ。アスマツヒコにも会えて、昔の事を懐かしく話して、その後の事も色々と聞いたわ。アスマツヒコが暮らしていた都は樹海の下に埋まってしまったけど、それは仕方のない事ね。垣花の都も森の中に埋もれてしまったものね。瀬織津姫様が帰って来たお陰で、あなたたちともお話ができるようになってよかったわ。永良部ヌルに復帰したサチも気楽に相談しに来ていいのよ」
「ありがとうございます。これからもこの島をお守り下さい」とサチは両手を合わせた。
 サスカサたちもお礼を言ってワー姫と別れ、森から出て西の方を眺めたが、鳥島はよく見えなかった。