2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧
念願だった島添大里(しましいうふざとぅ)グスクを手に入れたサハチは、佐敷按司から島添大里按司になった。 マチルギと一緒に豪勢な屋敷の二階から、高い石垣に囲まれたグスク内を見下ろして、その事を充分に実感していた。 島添大里グスクを攻め落としてか…
正月二十七日、東方(あがりかた)の按司たちが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの包囲を解いて引き上げてから、半時(はんとき)(一時間)ほど経った頃、東御門(あがりうじょう)が開いた。 グスクから出て来た三十人ほどの兵は、弓矢を構えて、敵が隠れてい…
半月振りに戻って来た、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの戦陣は随分と変わっていた。 ファイチ(懐機)が考えて、大(うふ)グスクで作った櫓(やぐら)と同じような櫓が五つも立っていた。誰かが、大グスクに偵察に行ったようだった。櫓と櫓をつなぐ通路は…
大(うふ)グスクの城下に住んでいた人たちの中に、マナビー(真鍋)がいた。戦死したと思っていた、大グスクヌルのマナビーが生きていた。 大グスクが落城した時、マナビーはグスクの外にあるウタキ(御嶽)でお祈りをしていて助かり、城下の人たちに匿(かく…
大(うふ)グスクに来たのは何年振りだろうか、とサハチ(佐敷按司)は閉ざされたグスクの大御門(うふうじょう)(正門)を見ながら思っていた。 大グスクが落城する前の正月、祖父(サミガー大主)と一緒に挨拶に来たのが最後だった。サハチがまだ十四歳の時だ…
八重瀬按司(えーじあじ)のタブチの行動は素早かった。 まるで、前もって父親が亡くなるのを知っていたかのように、その日の夕方には、二百人の兵を率いて島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを占領した。 タブチは父親の重臣だった者たちを集めると、父親の…
不思議な道士の『ファイチ(懐機)』は琉球を知るために、旅に出て行った。 旅に出る前に、浮島(那覇)の久米村(くみむら)から家族を連れて来た。久米村は物騒だから佐敷に置いてくれという。サハチ(佐敷按司)は喜んで引き受けた。新しい屋敷を祖父の隠居…
シンゴ(早田新五郎)の船がキラマ(慶良間)を回って浮島(那覇)に入った頃、明国(みんこく)(中国)から来た密貿易船に乗って、琉球に逃げて来た唐人(とーんちゅ)がいた。 科挙(かきょ)に合格して宮廷に仕えていた秀才だったが、洪武帝(こうぶてい)が亡く…
佐敷の東に『須久名森(すくなむい)』と呼ばれる山がある。その西側の裾野に『平田』という所があり、今、そこに小さなグスクを築いていた。 サハチ(佐敷按司)の三番目の弟、マタルーが八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)のお娘を嫁に迎えるに当たって、二人…
明国(みんこく)(中国)の皇帝(洪武帝)の死は、思っていた以上の影響があった。 明国に行った進貢船(しんくんしん)は戦乱に巻き込まれる危険があるので、応天府(おうてんふ)(南京)に行く事ができなかった。仕方なく、皇帝への貢ぎ物も泉州の商人と取り引…
年が明けて洪武(こうぶ)三十一年(一三九八年)、サハチは二十七歳になった。佐敷按司(さしきあじ)になって七年目の年が始まった。 佐敷按司になった時と比べると、周りの状況もかなり変わっていた。島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の汪英紫(おーえー…
生憎(あいにく)の空模様だった。今にも雨が降りそうだった。今年はまだ、梅雨が明けていなかった。 サハチ(佐敷按司)たちは恒例の旅に出ていた。いつもなら、梅雨が明けてから出て来るのだが、豊見(とぅゆみ)グスクで行なわれる『ハーリー』が見たくて早め…
マチルギが、妹のマカマドゥ(真竈)のお嫁入りの話をしたのは、暑い夏の盛りだった。 娘たちの剣術の稽古が終わり、水を浴びて汗を流したマチルギが、縁側でぐったり伸びていたサハチ(佐敷按司)に声を掛けて来た。「ねえ、マカマドゥだけど、もう十六なの…
二月にサハチ(佐敷按司)の四男が生まれた。 マチルギの祖父の名をもらって、『チューマチ(千代松)』と名付けられた。マチルギの祖父(二代目千代松)は今帰仁按司(なきじんあじ)だった。曽祖父(初代千代松)が亡くなったあと、羽地按司(はにじあじ)(帕…
中山王(ちゅうざんおう)の葬儀は浮島(那覇)の護国寺(ぐくくじ)で盛大に行なわれた。 跡を継いで中山王となった浦添按司(うらしいあじ)のフニムイ、フニムイの義父である山南王(さんなんおう)の汪英紫(おーえーじ)、フニムイの娘婿である山北王(さんほくお…
久高島(くだかじま)の旅から帰ると、サハチ(佐敷按司)は御門番(うじょうばん)から鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチの言伝(ことづて)を聞かされた。 頼まれていた短刀ができ上がったとの事だった。短刀を頼んでいたわけではなく、ただ話があるという意味だった。…
十一月に生まれた、サハチ(佐敷按司)の四番目の子供は男の子だった。祖父、サミガー大主(うふぬし)の名前をもらって、『イハチ(伊八)』と名付けられた。「この子はお爺様のように海の男になるわ。きっと、船乗りになって、ヤマトゥ(日本)や明(みん)の…
山南王(さんなんおう)となった島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)は、家臣たちを引き連れて島添大里グスクから島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに移って行った。 島添大里グスクには、大(うふ)グスク按司のヤフス(屋富祖)が入って島添大里…
洪武(こうぶ)二七年(一三九四年)は正月から大忙しだった。 正月の十日にサハチ(佐敷按司)の弟、マサンルー(真三郎)の婚礼が華やかに行なわれた。花嫁は鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチの娘、キク(菊)だった。二人の仲はサハチもまったく知らなかった。マ…
夏真っ盛りの暑い日々が続いていた。 ヒューガ(三好日向)が佐敷を去ってから二か月が過ぎ、南部の各地に山賊が出没して、食糧が奪われたとの噂が流れて来た。また、その山賊の仕業かどうかはわからないが、貧しい村に、食糧が天から降って来たという噂も流…
久高島(くだかじま)から佐敷に戻ったヒューガ(三好日向)は、サハチ(佐敷按司)にわけを話して、ヤマトゥ(日本)に帰る準備を始めた。 ヒューガの話を聞いたサハチは予想外な展開に驚いた。山賊になって、久高島の修行者たちの食糧を調達するなんて危険す…
三月にマチルギが女の子を産んだ。 三人目に、やっと女の子が生まれて、マチルギは大喜びだった。サハチ(佐敷按司)も初めての女の子の誕生は嬉しかった。母親似の可愛い女の子は、サハチの母の名前をもらって、『ミチ(満)』と名付けられた。「ミチ、『ウ…
十二月の半ば、『東行法師(とうぎょうほうし)』となって旅に出た父が、ようやく帰って来た。前回と同じように、マサンルーを佐敷グスクに帰して、『東行庵(とうぎょうあん)』にサハチ(佐敷按司)を呼んだ。「長い旅だったな」とサハチが言うと、マサンルー…
伊波(いーふぁ)、越来(ぐいく)、北谷(ちゃたん)などの中部で、高麗人(こーれーんちゅ)の山賊が村々を荒らし回っているとの噂が流れて来たのは、サハチ(佐敷按司)たちが『首里天閣(すいてぃんかく)』を見に行ってから一月ほど経った頃だった。 どうして、高…
二月になってもサンルーザ(早田三郎左衛門)は来なかった。 サハチ(佐敷按司)を送ってサイムンタルー(左衛門太郎)が来てから四年が過ぎている。今年は来るだろうと思っていたのに来なかった。高麗(こーれー)の国(朝鮮半島)に政変が起こって混乱してい…
年が明けて洪武(こうぶ)二十五年(一三九二年)正月、佐敷按司は家臣たちを前に隠居する事を宣言した。 家臣たちは突然の事に驚いて、しばし言葉が出なかった。やがて、まだ隠居する年齢(とし)ではないと言って家臣全員が猛反対した。佐敷按司は年が明けて三…
風が冷たかった。今にも雨が降りそうな空模様だ。 今帰仁合戦(なきじんかっせん)のあった年の十二月の初め、サハチ(佐敷若按司)は祖父のサミガー大主(うふぬし)に呼ばれて、仲尾(新里)にある祖父の隠居屋敷に向かっていた。雪が降って来るヤマトゥ(日本…
島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)の後始末は、さすがと言える程に素早かった。 三男の大(うふ)グスク按司、ヤフス(屋富祖)がしでかした不始末をあっという間に解決してしまった。やはり、糸数按司(いちかじあじ)と比べて島添大里按司の方が…
洪武(こうぶ)二十四年(一三九一年)四月一日、佐敷按司(さしきあじ)は五十人の兵を引き連れて出陣して行った。苗代大親(なーしるうふや)、兼久大親(かにくうふや)、クマヌ(熊野大親)、ヤシルー(八代大親)、美里之子(んざとぅぬしぃ)が、佐敷按司に従っ…
サハチ(佐敷若按司)の長男誕生を一番喜んだのは、祖父のサミガー大主(うふぬし)だった。祖父は祖母と一緒に、毎日のように東曲輪(あがりくるわ)にやって来て、曽孫(ひまご)の顔が見られるとは思ってもいなかったと言って喜び、これを機に隠居すると言い出…