長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

29.長男誕生(改訂決定稿)

久高島(くだかじま)に馬天(ばてぃん)ヌルを残して、サハチ(佐敷若按司)、マチルギ、ヒューガ(三好日向)の三人は知念(ちにん)グスクの城下を見て、垣花(かきぬはな)グスクの城下を見て、また玉グスクの城下に戻って来た。「そろそろ帰るか」とサハチがマ…

28.サスカサ(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)たちは久高島(くだかじま)に来ていた。 馬天(ばてぃん)ヌルに振り回されるような形で、久高島に渡っていた。マチルギは特に旅の目的はなく、知らない土地を見てみたいというだけだった。サハチとヒューガ(三好日向)は気分転換のために…

27.豊見グスク(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の婚礼の次の日の朝、大(うふ)グスク按司のシタルーがお祝いを言いに、佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)にやって来た。 シタルーは相変わらず佐敷按司を敵と見る事なく、隣りの家に遊びに来たような気楽な…

26.高麗の対馬奇襲(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の婚礼が行なわれていた頃、ヤマトゥ(日本)の対馬(つしま)では、とんでもない事が起こっていた。 琉球に帰ったサハチがマチルギとの再会を喜んでいた頃、高麗(こうらい)(朝鮮半島)に来た明国(みんこく)…

25.お輿入れ(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の新居は十一月の半ばに完成した。 東曲輪(あがりくるわ)ができて、佐敷グスクは以前よりもずっと立派に見えた。石垣がないのは残念だが、贅沢は言えない。村の人たちがサハチたちのために総出で築いたグス…

24.山田按司(改訂決定稿)

名護(なぐ)の山中にある木地屋(きじやー)の親方(うやかた)の屋敷を朝早く旅立ったサハチ(佐敷若按司)たちは、海岸沿いに道なき道を通って伊波(いーふぁ)へと向かった。 鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチ(弥吉)たちはどこに行ったのか、出掛ける時、姿を見せな…

23.名護の夜(改訂決定稿)

浮島(那覇)は相変わらずの賑わいだった。 この前に来た時から、一年半足らずしか経っていないのに、以前よりも、家々が大分増えているような気がした。島の外れの砂浜には造船所もできて、大きな船を造っていた。 サイムンタルー(左衛門太郎)の船は島か…

22.ウニタキ(改訂決定稿)

佐敷グスクの拡張工事が始まっていた。 サハチが嫁を迎えると今の屋敷では狭いので、新たに東側に曲輪(くるわ)を作って、そこにサハチたちの屋敷を建てる事になった。 佐敷グスクを建てた時、サハチの兄弟は五人だったのが、今では八人になり、もうすぐ、九…

21.再会(改訂決定稿)

ウニタキ(鬼武)との試合で引き分けたマチルギ(真剣)は、佐敷に戻って厳しい修行を続けていた。 ウニタキに勝つには、道場内の修行では難しいと判断した苗代之子(なーしるぬしぃ)は、かつて、自分が修行した山の中に、マチルギとサム(左衛門)を連れて行…