長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

3-13.湯湾岳のマキビタルー(第二稿)

 夜明けまで続いた神様たちとの酒盛りの後、アメキウディー(天城岳)を下りたサスカサたちはアメキヌルの屋敷に着くと疲れ果てて眠りに就いた。
 夕方に目覚めたヌルたちはサスカサたちを尊敬のまなざしで見て、改めて歓迎の宴(うたげ)を開いてくれた。今後、徳之島按司(とぅくぬしまあじ)が中山王(ちゅうざんおう)に背く事になったとしても、ヌルたちは皆、サスカサに従い、按司の離反を必ず抑えると誓ってくれた。
 サスカサは大叔母の馬天(ばてぃん)ヌルが琉球を旅して各地のヌルたちと親しくなったわけがようやく理解できた。馬天ヌルはヌルたちを一つにまとめようとしていたに違いない。ヌルたちが馬天ヌルに従えば、按司たちが中山王から離反しようと思ってもできなくなる。今帰仁(なきじん)の合戦の時、名護(なぐ)、羽地(はにじ)、国頭(くんじゃん)の按司たちが山北王(さんほくおう)を裏切ったのも馬天ヌルの活躍があったからに違いないと気づき、サスカサは奄美の島々のヌルたちを一つにまとめなければならないと強く思った。
 翌日、阿布木名(あぶきなー)ヌルに招待されたサスカサたちは『まるずや』の船に乗って阿布木名(天城町)に向かった。喜念(きゅにゅん)ヌルと目手久(みぃてぃぐ)ヌルが付いてきた。徳之島の北部を回って西海岸に出て、正午(ひる)前に阿布木名に着いた。
 大和城按司(やまとぅぐすくあじ)がいた頃はヤマトゥ(日本)から来た船で賑わっていた阿布木名泊(あぶきなーどぅまい)には玉グスクがあって、大和城按司の配下が守っていたが、今は徳之島按司のサムレーが守っているという。阿布木名泊の手前の砂浜から上陸したサスカサたちは阿布木名ヌルの屋敷に行って昼食を御馳走になった。
 阿布木名ヌルが大和城ヌルと大城(ふーぐすく)ヌルを呼んで、サスカサたちを紹介して、アメキウディーでの神様たちとの酒盛りの事を話した。二人は目を丸くして話を聞いていた。大和城ヌルは大和城按司の娘で十八歳、大城ヌルは大城按司の娘で二十八歳、二人とも八年前の戦(いくさ)の時、阿布木名ヌルに助けられていた。二人は父親の敵(かたき)の山北王を倒してくれた事をサスカサたちに感謝したが、徳之島按司がそのまま残る事には不満顔だった。
 大和城山と大城山に登り、グスク跡を見たサスカサたちは、阿布木名ヌルたちと別れてウンノー泊(面縄港)に戻った。
 サグルーたちと徳之島按司の話し合いはまだ続いていて、サスカサたちは『まるずや』を手伝った。
 六月二十二日、シラーと五十人の兵を浅間(あざま)グスクに残して、サグルーとマウシ、サスカサたちは奄美大島(あまみうふしま)に向かった。人質として徳之島按司の娘の若ヌルを預かった。同じ人質の与論(ゆんぬ)若ヌルがサスカサの弟子になっている事を知って、徳之島若ヌルもサスカサの弟子になった。『まるずや』は徳之島で商売をしなければならないので別れ、マティルマとマハマドゥ、トゥイとマアミとナーサも徳之島に残った。
 奄美按司は北部の赤木名(はっきな)にいるが、南部のユワンウディー(湯湾岳)にキキャ姫の孫のユワン姫が待っているというので湯湾(ゆわん)に向かった。与路島(ゆるじま)、加計呂麻島(かきるまじま)を右に見て、クミズネ(曽津高崎)を超えて焼内湾(やきうちわん)に入って行った。湯湾は山に囲まれた湾内の一番奥にあり、川の河口が港になっていた。中山王の三隻の船が近づいて行くと砂浜から五艘の小舟(さぶに)が近づいてきた。
 サグルーとマウシ、サスカサたちは小舟に乗って上陸し、湯湾大主(ゆわんうふぬし)と湯湾ヌルに歓迎された。二人は夫婦で、ユワン姫の子孫だという。夕方になってしまったので、ユワンウディーに登るのは明日にして、湯湾大主の屋敷に行き、お世話になる事になった。屋敷では村人たちが集まって歓迎の宴の準備をしていた。
 その夜、サスカサたちは湯湾大主から六年前に山北王の船が奄美大島に来て、山北王に従う事になった経緯(いきさつ)を聞いた。湯湾大主は一度、今帰仁に行った事があり、あれだけ栄えていた今帰仁の城下が全焼して、難攻不落と思われた今帰仁グスクが攻め落とされて山北王が滅んだと聞いて、信じられないと驚いていた。
 サグルーとマウシは湯湾大主の娘の若ヌルと阿室(あむる)の若ヌルと楽しそうに話をしながら酒を飲んでいた。二人ともサスカサと同い年の二十四歳で従姉妹(いとこ)同士だった。でれっとした顔のサグルーを見ながら、父親に似て兄も女子(いなぐ)好きに違いないとサスカサはサグルーを睨んだ。
 翌日、湯湾ヌルの案内でサスカサたちはユワンウディーに向かった。来なくてもいいと言ったのに、湯湾若ヌルと阿室若ヌルが一緒なので、サグルーとマウシも付いて来た。
 サスカサは歩きながら湯湾ヌルからユワンウディーの事を聞いた。
「ユワンウディーはこの島で一番高いお山です。山頂近くに二つの古いウタキ(御嶽)があります。一つはわたしたちの御先祖様のユワン姫様で、もう一つはわかりませんでしたが、今年の正月に瀬織津姫(せおりつひめ)様とスサノオ様がいらしたお陰で、御先世(うさきゆ)(古代)のユワン姫様だとわかりました」
「えっ、ユワン姫様は二人いらっしゃるのですか」とサスカサは驚いて聞いた。
「そうなのです。御先世のユワン姫様は与論島(ゆんぬじま)のユン姫様の娘さんです。この島に来て一番高いお山に登って、このお山はユワンウディーと呼ばれるようになりました。島の名前も『ユワンぬ島』と呼ばれたそうです。御先世のユワン姫様の次女のカサン姫様はこの島の北部に行って、カサン姫様が登ったお山がカサンウディー(笠利岳(大刈山))と呼ばれるようになります。やがて、カサンウディーの裾野の小高い丘の上にあったカサン姫様のお屋敷跡がアマンディー(奄美岳)と呼ばれるようになって、ユワンウディーよりもカサンウディーの方が栄えるようになって、島の名前も『カサンぬ島』と呼ばれるようになったようです。キキャ姫様の娘さんがこの島に来た時は『カサンヌ島』と呼ばれていて、娘さんはカサンヌ姫を名乗ります。カサンヌ姫様の長女がユワンウディーに登って、ユワン姫を名乗ったのです」
「『ユワンヌ島』から『カサンヌ島』になって、それから『奄美大島』になるのですね」
奄美大島と呼ばれるようになったのは鬼界島(ききゃじま)に大宰府(だざいふ)の役人が来てからのようです。ヤマトゥンチュ(日本人)が付けた名前ですが、今では当たり前のようにそう呼ばれています。話を戻しますと、ユワン姫様がユワンウディーに登った時、御先世のユワン姫様の子孫のヌルは絶えてしまっていて、ユワン姫様には御先世のユワン姫様の事はわかりませんでした。今年の正月、突然、御先世のユワン姫様の声が聞こえるようになって、ユワン姫様は驚かれたそうです。わたしたちもとても驚きました」
「徳之島でトゥクカーミー(カムィ焼)を焼いていた頃、この島も賑わったのですか」とナナが湯湾ヌルに聞いた。
「もう百年余りも前の事ですが大層賑わったそうです。鬼界島と徳之島を行き来するお船の拠点となった古見(くみ)(小湊)はかなりの賑わいだったようです。港には大きなお船がいくつも泊まっていて、大きな蔵も建ち並んでいて、ヤマトゥンチュたちも暮らしていたそうです。トゥクカーミーを各地に運ぶための大きなお船を造る造船所が湯湾にできて、湯湾も賑わったのですよ。山で伐り出した太い丸太が川を下って来て、大勢の職人たちによってお船が造られ、そのお船はトゥクカーミーを積んで南の島(ふぇーぬしま)まで行っていたのです」
「湯湾に造船所があるのですか」
「今もありますが、今は大きなお船は造っていません。小舟だけです」
「湯湾の人たちも南の島まで行ったのですか」
「ヤマトゥから来たお船と一緒に南の島まで行っていたそうです」
「えっ、ミャーク(宮古島)まで行ったのですか」
「そうです。久米島(くみじま)からサシバを追ってミャークまで行って、さらに南の方(ふぇーぬかた)にある島々を巡ったようです」
 ナナは驚いた顔をしてシンシンを見た。シンシンも驚いていた。百年余りも前に、奄美大島の人たちがミャークまで行っていたなんて思いも寄らない事だった。
「山北王がこの島を攻めた時、山北王のお船は湯湾にも来たのですか」とサスカサは聞いた。
「七年前に最初に攻めてきた時は徳之島からまっすぐ浦上(うらがん)に向かいました。浦上には浦上殿と呼ばれるヤマトゥから来た平家の子孫のサムレーがいます。まず、浦上殿を従わせてから赤木名に行き、名和小五郎(なわくぐるー)という倭寇(わこう)を退治しました。笠利崎(かさんざき)を回って東海岸(あがりかいがん)に出て、刃向かう者たちを倒して戸口(とぅぐち)に行って、戸口殿を従わせました。戸口殿も浦上殿と同じ平家の子孫のサムレーです。戸口から南下して山間(やんま)まで平定して、その年は帰って行きました。帰る時、加計呂麻島の諸鈍(しゅどぅん)に寄って小松殿と会っています。小松殿も平家の子孫のサムレーで、古い事を色々と知っている物知りなので、この島の歴史を聞いたようです。翌年、二度目に来た時に南部の浦々を巡って、七月に湯湾に来ました。夫の湯湾大主が本部大主(むとぅぶうふぬし)というサムレー大将を歓迎して、山北王に従う事を誓いました」
「湯湾大主様は今帰仁に行ったと聞きましたが、湯湾ヌル様も今帰仁に行かれたのですか」
「わたしは行きませんが、若ヌルは阿室の若ヌルと一緒に行きました。今帰仁の城下には見た事もないほど大勢の人がいて、山北王のグスクの立派さに驚いたと言っていました。その時はわたしの息子も一緒に行っています。旅好きな息子で、山北王が攻めて来る前にも今帰仁に行っていて、首里(すい)にも行っています」
「息子さんが首里に行ったのですか」
「小舟に乗って独りで行ったのですよ。翌年の夏に無事に帰って来るまで、わたしは神様に息子の無事を祈り続けましたよ」
 サスカサが振り返るとサグルーと阿室若ヌル、マウシと湯湾若ヌルが楽しそうに話をしながら歩いていた。サスカサがサグルーを睨むとサグルーは笑って手を振った。
 険しい岩場もなく、一時(いっとき)(二時間)余りで山頂の近くにある広場に着いた。広場には丸太小屋があって、ヌルたちが集まった時に利用すると湯湾ヌルが説明していた時、森の中から笛の音(ね)が聞こえてきた。爽やかで軽やかで、気分が晴れやかになるような曲だった。
「息子がいるらしいわ」と湯湾ヌルが笑ってサスカサたちを見た。
「息子さんが吹いているのですか」とナナが聞いた。
琉球に行った時、横笛を手に入れて、それから毎日吹いていたのよ。最初の頃はうるさかったけど、最近は神様も喜んで聞いているみたいね」
「息子さんは神人(かみんちゅ)なのですか」とサスカサが聞いた。
「神様の声は聞こえないようだから、まだ神人じゃないけど、ウタキに入る事は許されているみたいね」
 広場でサグルーとマウシに待っていてもらい、サスカサたちは森の中に入って行った。細い道を進むと古いウタキがあって、大きな岩の前で、背中に弓矢を背負った男があぐらをかいて笛を吹いていた。
 サスカサたちは立ち止まって笛の調べを聴いていた。神様が喜んでいると言われるだけあって素晴らしい曲だった。目を閉じて聴いていると幼い頃の事が思い出された。サスカサは佐敷グスクにいた頃の事を、シンシンは生まれた村が山賊に襲撃される前、両親と平和に暮らしていた頃を、ナナは父の事も知らずに母と富山浦(ぷさんぽ)(釜山)で暮らしていた頃を、志慶真(しじま)ヌルは父が戦死して、再建した志慶真村で母と暮らしていた頃を思い出していた。
 曲が終わると男は立ち上がって振り返った。
「どこに行ったのかと思ったら、こんな所にいたの?」と湯湾ヌルが息子に聞いた。
「神様に呼ばれたんだ」と息子は答えた。
「何を言っているの?」
「本当なんだ。昨日の午後、突然、神様の声が聞こえたんだ。神様から言われた通りにこのお山に登って、神様と一緒にお酒を飲んだんだ。ついさっき目が覚めて、神様に頼まれて笛を吹いていたんだよ」
「神様とお酒を飲んでいたですって、ふざけないでちょうだい」
「本当だよ」と言って、息子は転がっている瓢箪(ちぶる)を拾って母に見せた。
「ここで神様とお酒を飲んでいたって言うの?」
「そうだよ。ユワン姫様と飲んでいたら、ハッキナ姫様とカサンヌ姫様も現れて、御先世のユワン姫様も現れたんだ。みんな、凄い美人で、いくら飲んでも酔わないんだよ」
「いい加減な事を言わないで。話は後で聞くわ。中山王のヌル様たちがお祈りをするから、あなたは広場の小屋で待っていて」
「本当だってば」と母に言ってから息子はサスカサたちを見て、「あっ!」と驚いた顔をした。
「サスカサ様」と息子はサスカサを見つめた。
「知っているの?」とシンシンがサスカサに聞いた。
 サスカサは首を振った。首を振ったが息子に見つめられて胸が熱くなるのを感じていた。
「七年前の四月、首里で行なわれた丸太引きのお祭りの三日後、俺は兼(かに)グスク按司のお供をして島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに行きました。東曲輪(あがりくるわ)でサスカサ様と会って物見櫓(ものみやぐら)に登って話をしました」
 サスカサは思い出した。父がヤマトゥ旅に出る前だった。ンマムイ(兼グスク按司)が一緒に連れて行ってくれと父に頼みに来た時だった。ンマムイの供として来た息子は東曲輪でブラブラしていた。サスカサが屋敷から出て安須森(あしむい)ヌルの屋敷に行こうとした時、声を掛けられ、物見櫓に登って話をしたのを思い出していた。
「マキビタルー」とサスカサは言った。
「俺の名前を覚えていてくれたのか」とマキビタルーは嬉しそうに笑った。
 今まですっかり忘れていた名前が急に思い出されたのが不思議だった。
「あなた、サスカサ様にお会いしていたの?」と湯湾ヌルが不思議そうな顔をして息子とサスカサを見ていたが、「話は後よ」と息子を追い出した。
 サスカサに頭を下げてマキビタルーは出て行った。サスカサはマキビタルーの後ろ姿を見送りながら、胸の高鳴りを抑えようとした。
「息子が迷惑を掛けたようで、申し訳ありません」と湯湾ヌルが謝った。
 サスカサは首を振った。
「わたしたちの御先祖様のユワン姫様のウタキです」
 そう言って湯湾ヌルはウタキの前に跪(ひざまづ)いた。
 サスカサたちも跪いてお祈りを捧げた。
「待っていたのよ」と神様の声が聞こえた。
「キキャ姫様のお孫さんのユワン姫様ですね」とサスカサは聞いた。
「そうよ。今から七百年程前、ヤマトゥの国が唐(とう)の国に送った遣唐使お船がこのお山の北方(にしかた)にある大和浜(やまとぅはま)に来たのよ。そのお船に乗っていた留学生の下道真備(しもつみちのまきび)という人と湯湾ヌルが結ばれたわ。翌年、湯湾ヌルは男の子と女の子の双子を産んだのよ。女の子はヌルを継いで、男の子は湯湾大主になったわ。男の子はマキビタルーと名付けられて、湯湾大主は代々、マキビタルーを名乗っているのよ」
「七百年も前からずっと続いているのですか」
「そうよ。時には大主とヌルは結ばれて、今に至っているのよ」
「マキビタルーが神様と一緒にお酒を飲んだって言っていましたが本当なのですか」
「本当よ。あなたが来る事を知って、マキビタルーをお山に呼んだのよ。マキビタルーはあなたの事をずっと想っているけど、あなたはマキビタルーの事を忘れているかもしれない。浜辺で出会ってマキビタルーに恥をかかせたくなかったので、ここに呼んで、ここで会わせたのよ。あなたもマキビタルーの事を覚えていてくれてよかったわ」
 覚えていたわけではなかったが急に思い出したのだった。マキビタルーが奄美大島から来た事もユワンウディーの話をした事も思い出していた。心の奥底にしまっておいたのだろうかとサスカサは思った。あの時はサスカサを継いで二年目だった。先代のサスカサの指導のもと十六歳でサスカサを継いだが、まだ不安だらけだった。サスカサの名を汚(けが)すまいと必死だったので、誰かを好きになる余裕なんてなく、マレビト神の事なんて考えた事もなかった。もしかしたら、マキビタルーはわたしのマレビト神なのだろうか。
「今のマキビタルーの事を教えてください」とナナが言った。
「子供の頃は妹のニニー(湯湾若ヌル)を連れてお山の中を走り回っていたわ。小舟の漕ぎ方を覚えると毎日、海に出ていたわ。十六の時に小舟で加計呂麻島を一周して、十七の時に奄美大島を一周して、十八の時に琉球まで行ったのよ。浮島の賑わいに驚いて、若狭町(わかさまち)の宿屋で阿波根(あーぐん)グスクに武芸者が集まっていると聞いて、阿波根グスクに居候(いそうろう)していたのよ」
「マキビタルーは武芸者なのですか」とシンシンが聞いた。
「幼い頃から弓矢の稽古に励んでいて、十二の時から加計呂麻島の実久(さねぃく)に通って剣術を習っていたの。実久には源為朝(みなもとのためとも)の子孫だという実久小太郎(さねぃくくたるー)という武芸者がいるのよ。阿波根グスクに行ったマキビタルーは兼グスク按司が連れてきたヂャンサンフォン(張三豊)から武当拳(ウーダンけん)の指導も受けているのよ」
「えっ、マキビタルーはお師匠の弟子だったのですか」とシンシンが驚き、ナナも驚いていた。
 サスカサは島添大里グスクの物見櫓でマキビタルーからヂャンサンフォンの事を聞いたのを思い出した。ヂャンサンフォンは母と一緒にヤマトゥに行っていて、琉球に帰ってくるとンマムイに連れられて阿波根グスクに行ったのだった。サスカサがヂャンサンフォンから武当拳の指導を受けたのはその翌年なので、マキビタルーは兄弟子という事になる。
「ガマ(洞窟)の中で一か月間修行をしてから島添大里グスクのお祭りに行ってサスカサに一目惚れするのよ。相手は島添大里按司の娘で中山王の孫、今のままでは相手にされないと思って、もっと強くならなければならないと武芸の修行に励むわ。笛を始めたのも島添大里按司の笛を聞いて感動したからなのよ。島添大里の若按司夫婦が島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの婚礼に行く時、サスカサが女子(いなぐ)サムレーを率いて護衛したのもマキビタルーは見ていたし、サスカサが丸太引きのお祭りに出て、丸太の上を飛び跳ねていたのも見ていたわ。そして、兼グスク按司のお供をして島添大里グスクに行った時、夢がかなってサスカサと話をする事ができたの。旅から帰ってきたマキビタルーは武芸だけでなく学問も身に付けようと諸鈍に行って小松殿から学問を学んだわ。マキビタルーが琉球に行った翌年、山北王のお船が湯湾に来て、湯湾大主は山北王に従うわ。中山王と山北王が敵対している事を知っていたマキビタルーは、奄美大島が山北王の支配下になってしまった事を嘆いたわ。マキビタルーはサスカサを想いながら山頂で笛を吹いていたのよ。翌年の夏、山北王と中山王は同盟を結ぶわ。その年の冬に湯湾大主が今帰仁に行って、マキビタルーは留守番をしていて、翌年の冬、妹のニニーとナミー(阿室の若ヌル)を連れて今帰仁に行ったわ。今帰仁で新年を迎えてからマキビタルーはニニーとナミーを連れて首里に行ったのよ。首里グスクのお祭りを見て、お祭りに来ていた兼グスク按司と再会して、新しくできた兼グスクに行ったわ。ヂャンサンフォンが与那原(ゆなばる)にいると聞いて与那原グスクに行って、武当拳の修行を積んで、二月の末には島添大里グスクのお祭りにも行ってお芝居を楽しんだけど、サスカサには会えなかったみたい。マキビタルーは縁がなかったのかとがっかりして今帰仁に戻って、この島に帰ってきたのよ」
 お祭りの時のお芝居が始まってから、サスカサは衣装を担当していて、安須森ヌルの屋敷で舞台に上がる人たちの小道具の用意や着替えを手伝ったりしている事が多かった。多分、その日も安須森ヌルの屋敷から出る事なく、マキビタルーが来た事も知らなかったに違いなかった。
「マキビタルーはサスカサの事を諦めかけていたのよ。でも、ウミンチュ(漁師)たちの噂で中山王が山北王を滅ぼしたと聞いて、まだ縁があるかもしれないと思っていた所に、サスカサがやって来たのよ。二人がうまく行く事を願っているわ」
 まったく予想外の事でサスカサは戸惑っていた。今回の旅でマレビト神に会える事を願っていたが、七年前に一度会った男がマレビト神だったなんて‥‥‥いいえ、まだ、マレビト神だとは決まっていない。でも、あの胸の高鳴りはマレビト神に違いない。もう一度会って確認しなければならなかった。
 ユワン姫はササの笛が聞きたかったけど残念だわと言っていた。ユワン姫も笛の名手で、よく山頂で笛を吹いていたという。
「サスカサ、あなたの笛を聴かせたら?」とナナが言った。
「えっ、だめですよ」とサスカサは手を振った。
 幼い頃から父の笛を聴いて育ったが自分で吹こうとは思わなかった。南の島から帰ってきたササから、笛を吹いたらスサノオ様がやって来たと聞いて、自分も吹いてみようと思いササから習ったのだった。笛の稽古を始めてからまだ一年しか経っていない。他人(ひと)に聴かせるほどの腕になっていなかった。まして、神様に聴かせるなんてとんでもない事だった。
「アメキウディーの山頂で吹いた笛はよかったわよ。サスカサらしさがよく出ていて、スサノオ様も驚いていたわ」とシンシンが言った。
「えっ、わたしが吹いたのですか」
 酔った勢いで笛を吹いたような記憶がかすかに残っていたが、やはり吹いてしまったのかとサスカサは顔を赤らめた。
スサノオ様に聴かせたのなら是非とも聴きたいわ」とユワン姫が言った。
「あたし、あの時、酔ってしまってお師匠の笛を聴いていません。是非、聴かせてください」と瀬底(しーく)若ヌルが言うと、サスカサの弟子たちが皆、お師匠の笛が聴きたいと言い出した。
 弟子たちの前で恥をかきたくはなかったが、神様の頼みを断りたくはなかった。サスカサは覚悟を決めて弟子たちにうなづくと、腰に差していた笛を袋から出して口に当てた。
「何も考えなくていいのよ。その時の気持ちを素直に表現すればいいの」とササは言った。毎日、お稽古を続けて、ようやく、自分の気持ちが表現できるようになっていた。
 サスカサは音合わせをしてから吹き始めた。
 今帰仁を出てからここに来るまでに感じた事を思い出しながら吹いた。小鳥たちが騒いだと思ったら急に静かになって、サスカサの笛の音が山の中に響き渡って行った。突然、聴いた事もない音がサスカサの笛と合奏し始めた。
「サラスワティ様だわ」とシンシンが言って空を見上げた。
「どうしてこんな所にいるのかしら?」とナナも空を見上げた。
 サスカサは不思議な音色の楽器と掛け合いをしながら気持ちよく笛を吹いていた。聴いている人たちは皆、うっとりと聴き入っていた。まるで、心地よい風に吹かれて雲の上を歩いているような気分にさせる曲だった。
 吹き終えたサスカサは放心状態になっていた。
「誰なの、笛を吹いていたのは?」とサラスワティの声が聞こえた。
「安須森ヌルの姪です。島添大里按司の娘のミチで、神名(かみなー)はサスカサです」とナナが答えた。
「サハチの娘なのね」と言ったサラスワティの声でサスカサは我に帰った。
「父を御存じなのですか」
「この前、ビンダキ(弁ヶ岳)の弁才天堂(びんざいてぃんどー)の落慶式に行ったのよ。ササはいなかったけど、サハチと会って、サハチの笛を聴いたわ。そう、サハチの娘だったの。わたしも昔は軽やかで楽しい曲を奏でていたのよ。懐かしい調べが聞こえて立ち止まったら、シンシンとナナがいたので声を掛けたのよ」
「サラスワティ様はどうして、こんな所にいるのですか」とナナが聞いた。
役小角(えんのおづぬ)(役行者)に呼ばれたのよ。天川(てんかわ)の弁才天社にね。瀬織津姫も一緒らしいから一緒にお酒を飲もうと思ってね」
「天川の弁才天社ですか。スサノオ様は御一緒じゃないのですか」
「さあ、どうかしら。わたしのヴィーナを聞いたら飛んでくるんじゃないかしら。またいつか、一緒にお酒を飲みましょう」と言ってサラスワティは去って行った。
瀬織津姫様がスサノオ様といらした時、サラスワティ様も一緒にいらして、わたしもサラスワティ様のヴィーナと一緒に笛を吹いたのよ。サラスワティ様は遠い異国からいらした神様なんでしょ」とユワン姫が聞いた。
「明国(みんこく)よりもずっと西方(いりかた)にあった国の神様です。その国はなくなってしまって、今は明国の南の方(ふぇーぬかた)にあるクメール王国にいらっしゃいます。サラスワティ様はヤマトゥでは弁才天様として祀られています」とナナが答えた。
「サラスワティ様が足を止めたのだからサスカサの笛は本物よ。もっと自信を持って吹くべきよ。わたしも感動したわ」
「そうよ。とてもよかったわ」とナナがサスカサに言って、
「話は変わりますけど、湯湾の人たちが南の島に行ったと聞きましたが、イシャナギ島(石垣島)にも行ったのですか」とユワン姫に聞いた。
「行ったのよ。当時、湯湾でお船を造っていて、そのお船に乗ってミャークやイシャナギ島に行ってトゥクカーミーと貝殻の交易をしてきたのよ。徳之島で大量に焼いたカーミー(甕)を捌(さば)くのに熊野の水軍だけでは間に合わなくて、島人(しまんちゅ)たちも手伝ったのよ。あの頃はこの島も活気があったわ」
「その頃、この島にも按司がいたのですか」
「南部はヌルが治めていたけど、北部にはいたわ。赤木名ヌルの弟がグスクを築いて笠利按司(かさんあじ)を名乗ったのよ。笠利一帯を治めていて、平家が来た時は平家とうまくやっていたんだけど、トゥクカーミーの交易が終わった後、倭寇に攻められて滅ぼされてしまったわ」
「その倭寇は山北王に滅ぼされたのですね」
「そうよ。詳しい話は妹のハッキナ姫に聞くといいわ」
 サスカサたちはユワン姫にお礼を言って別れた。
 御先世のユワン姫のウタキに行くために広場に戻るとサグルーとマウシの姿がなかった。
「マキビタルーと一緒に丸太小屋にいるのでしょう」と湯湾ヌルが言った。
 御先世のユワン姫のウタキは山頂へと向かう道の途中から森の中に入った所にあった。見るからに古いウタキで、強い霊気がみなぎっていた。サスカサたちはお祈りを捧げた。
「聴いたわよ。サスカサの笛とサラスワティ様のヴィーナの合奏を」と神様の声が聞こえた。意外にも若々しい声だった。
「ユン姫様の娘さんのユワン姫様ですね」とサスカサは聞いた。
「そうよ。わたしも骨笛(ふにぶえ)を吹いた事があるけど、あんな素晴らしい調べは吹けないわ。とてもよかったわよ」
 神様に褒められてサスカサはお礼を言ったが照れくさくて、
「ユワン姫様は永良部島(いらぶじま)の神様になるはずだったのですか」と話題を変えた。
「そんな事もあったわね」とユワン姫は笑った。
「まだ永良部島とは呼ばれていなかったけど、わたしは母に言われてその島に行って、一番高いお山に登ったわ。与論島(ゆんぬじま)にはお山がなかったから眺めを楽しんでいたんだけど、北方(にしかた)にそのお山よりも高いお山が見えたのよ。それで、わたしはその島(徳之島)に行ったわ。その島はお山がいくつも連なっていて面白かったけど、さらに北方に高いお山が見えたの。わたしは行ったわ。それがこのお山なのよ。このお山よりも高いお山はないから、わたしはここに落ち着いたのよ。当時は貝殻の交易が盛んで、冬になるとヤマトゥから帰ってきたお舟が、このお山の北方にある浜辺に何艘もやって来て、一休みしていったわ。貝殻の工房もあって賑やかだったのよ」
スサノオ様も琉球に行く時に、その浜辺に寄ったのですか」とナナが聞いた。
「寄ったわよ。そして、スサノオはこのお山にも登って、南の方(ふぇーぬかた)を見て、沖の長島(沖縄)はまだ先のようだって言ったわ」
スサノオ様は沖の長島の事を誰に聞いたのですか」
「その頃のスサノオ対馬を拠点にしていたから、瀬織津姫様の孫の津島津姫(つしまつひめ)様じゃないかしら。でも、スサノオは神様の名前は知らなかったはずよ。津島津姫様の導きで沖の長島に行って豊玉姫(とよたまひめ)と出会うのよ」
豊玉姫様と出会って一緒に対馬に行ったのですね」
「その時は行っていないわ。スサノオは連れて行こうとしたけど断られたのよ。だって、豊玉姫は玉グスクヌルの跡継ぎだったのよ。当時のヌルは今の按司のように領内を統治していたので、島から出ていく事は許されなかったのよ。翌年もスサノオは来て、豊玉姫は覚悟を決めてスサノオに付いて行ったのよ。ヤマトゥに行く時、豊玉姫スサノオと一緒にこのお山に登って、ここに来てお祈りを捧げてくれたわ。娘の玉依姫(たまよりひめ)を連れて帰ってきた時も、アマン姫を連れて帰って来た時も豊玉姫はここに来たのよ。琉球からここまで来るのは大変だけど琉球のヌルたちもここに来てくれたら嬉しいわ」
「毎年、ヤマトゥに行く交易船に首里のヌルたちが乗っています。今まではこの島に寄る事はできませんでしたが、これからはこの島に寄って、このお山に登るようにさせます」とサスカサは言った。
「ありがとう。頼むわね」
「ユワン姫様がこの島に来た時、この島はどんな様子だったのですか」
「わたしがこの島に来たのは瀬織津姫様が始めた貝殻の交易が始まってから七十年も経っていたから、ヤマトゥと琉球を行き来するお舟が泊まる浜辺が各地にあって、貝殻の工房もいくつもあったわ。工房を仕切っていたのはヌルたちで、貝殻の交易が終わってしまった後もヌルを中心に集落を作って発展してきたのよ。それから三百年余りが経って、スサノオがやって来て貝殻の交易が再開して、鬼界島からカサンヌ姫が来て、カサンヌ姫の娘のミニュがこのお山に来たのよ」
「ミニュってユワン姫様の事ですか」
「そうよ。ミニュはわたしの事を知らなかったからお山の名前を貰ってユワン姫を名乗ったのよ。その時の貝殻交易は五百年も続いたけど、役小角琉球に行ったのが最後で終わってしまったわ」
役行者(えんのぎょうじゃ)様は熊野水軍お船で来たのですか」
「そうよ。熊野はスサノオを祀っているから、熊野の水軍が琉球との交易を引き継いでいたのよ。貝殻の交易が終わって、しばらくしたら遣唐使船がこの島に来るようになったのよ。あんな大きなお船を見たのは初めてだったから皆、驚いたわ。でも、遣唐使船は数回来ただけで来なくなったわ。その後、鬼界島がヤコウガイ交易の中心になって、徳之島でトゥクカーミーが焼かれるようになって、この島もそれなりに栄えたのよ。そして、平家の残党がやって来て、浦上と戸口と諸鈍に落ち着いたわ。その三つの村(しま)は栄えたけど、平家は島を統一する事はできなかったわ。琉球の察度(さとぅ)が明国との交易を始めると、明国の商品を求めてヤマトゥから倭寇がやって来て、この島のあちこちに拠点を造ったわ。地元の者たちと争って、笠利の按司は滅ぼされてしまい、島人を守るために命を落としたヌルも多かったのよ。五年前に山北王の兵が浦々を巡って、敵対する者たちを倒して赤木名に按司を置いて、この島を支配下にしたけど、山北王は滅び去った。今度は中山王の支配下に入るわけね」
「この島は琉球とヤマトゥを結ぶ重要な拠点です。中山王としても奄美大島が栄えるように努力すると思います」
「お願いするわ。それと、この島と加計呂麻島のヌルたちを集めるから、あなたの笛を聴かせてあげてね」
「ヌルたちをここに集めるのですか」
「そうよ。妹のトゥク姫から聞いたのよ。楽しい酒盛りだったってね。集まるのはわたしの声が聞こえるミニュの子孫たちだけど、すぐには来られないから五日後でどうかしら? いえ、五日後じゃお月様がいないわね。ちょっと間が開くけど来月の十五日にしましょう」
 来月の十五日といえば半月以上先だが、まだこの島にいるだろうと思い、「かしこまりました。七月十五日にまた参ります」とサスカサは返事をして、「ユワン姫様の子孫のヌルたちはいらっしゃらないのですか」と聞いた。
「子孫は大勢いるんだけどね、ヌルは絶えてしまったのよ。唯一、トカラの宝島のヌルがわたしの子孫なのよ」
「えっ、宝島のヌルがユワン姫様の子孫だったのですか」
 サスカサとシンシンとナナは驚き、宝島のトカラヌルを思い出していた。
「わたしの孫のトカラ姫があの島に行ったのよ。『トカラぬ島』だったんだけど、いつしか『宝島』になってしまったわ」
 サスカサたちは再会の約束をして御先世のユワン姫と別れた。広場に戻るとマキビタルーとマウシが武当拳で戦っていた。マキビタルーは思っていたよりも強く、マウシは苦戦していた。
 サグルーが、「それまで!」と叫んで、二人を引き分けた。
 マキビタルーの妹の湯湾若ヌルがサスカサに試合を挑んできた。サスカサは断るつもりだったが、サグルーとマウシがやってみろと言ったので、仕方なく試合を受けた。
 湯湾若ヌルも思っていた以上に強かったが、サスカサの敵ではなかった。サスカサの弟子たちはサスカサの強さに目を見開いて見入っていた。マキビタルーも驚いた顔をしてサスカサを見つめていた。

 

 

奄美大島物語 増補版