長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2016-01-01から1年間の記事一覧

2-80.ササと御台所様(改訂決定稿)

ヤマトゥ(日本)に行った佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)たちが京都に着いたのは六月の十八日だった。 四月二十五日に浮島(那覇)を出帆して、五月十日に薩摩の坊津(ぼうのつ)に着いた。坊津でシンゴ(早田新五郎)たちと別れて、交易船は先に博多に…

2-79.山南王と山北王の同盟(改訂決定稿)

十月二十日、糸満(いちまん)の港に今帰仁(なきじん)から『油屋』の船と『材木屋』の船がやって来た。『油屋』の船には、花嫁の山北王(さんほくおう)(攀安知)の長女、マサキとンマムイ(兼グスク按司)の妻子が乗っていて、『材木屋』の船には大量の丸太が…

2-78.イハチの縁談(改訂決定稿)

首里(すい)グスクの北、会同館(かいどうかん)の隣りに宗玄寺(そうげんじ)の普請(ふしん)が始まっていた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)はすべてを一徹平郎(いってつへいろう)に任せて、一徹平郎は立派な禅宗寺院を作ってみせると張り切っていた。サハ…

2-77.武当山の奇跡(改訂決定稿)

武当山(ウーダンシャン)の山の中で、思紹(ししょう)(中山王)とクルー(思紹の五男)、ユンロン(芸蓉)はヂャンサンフォン(張三豊)の指導のもと、武当拳(ウーダンけん)の修行に励んでいた。 琉球を船出してから、すでに三か月余りが過ぎていた。 三月十…

2-76.百浦添御殿の唐破風(改訂決定稿)

八重瀬按司(えーじあじ)のタブチが帰ったあと、側室としてのメイユー(美玉)の歓迎の宴(うたげ)が開かれた。主立った重臣たち、サグルー夫婦とサスカサ(島添大里ヌル)、女子(いなぐ)サムレーと侍女たちも呼んで、与那原(ゆなばる)にお祭りの準備に行って…

2-75.三か月の側室(改訂決定稿)

ンマムイ(兼グスク按司)たちが今帰仁(なきじん)を発って、本部(むとぅぶ)の海辺で遊んでいた頃、浮島(那覇)に三姉妹の船が今年も二隻やって来た。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は十月に明国(みんこく)に送る官生(かんしょう)(留学生)を決める会…

2-74.刺客の襲撃(改訂決定稿)

奥間(うくま)から今帰仁(なきじん)に帰って来たンマムイ(兼グスク按司)は、山北王(さんほくおう)(攀安知)に付き合って早朝の弓矢の稽古をしたり、湧川大主(わくがーうふぬし)と少林拳(シャオリンけん)の稽古をしたり、遊女屋(じゅりぬやー)に繰り出して…

2-73.奥間の出会い(改訂決定稿)

本部(むとぅぶ)から今帰仁(なきじん)に帰った二日後、ンマムイ(兼グスク按司)はヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)を連れて、アタグ(愛宕)の案内で国頭(くんじゃん)グスクに向かった。遠いので子供たちを連れて行くのは無理だった。国頭按司の妻はマハニの叔母…

2-72.ヤンバルの夏(改訂決定稿)

歓迎の宴(うたげ)で出たヤマトゥ(日本)酒はうまかった。京都の高橋殿の屋敷で飲んだ上等の酒と同じような気がするとンマムイ(兼グスク按司)は思った。酒も料理もうまかったが、緊張していたので、あまり酔う事もなかった。 なぜ、緊張していたのかわから…

2-71.ンマムイが行く(改訂決定稿)

明国(みんこく)の陶器や南蛮(なんばん)(東南アジア)の蘇木(そぼく)、朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)などを大量に積み込んだ『油屋』の船に乗って、ンマムイ(兼グスク按司)は家族を連れて今帰仁(なきじん)に向かっていた。 妻のマハニ(真羽)、十二歳の長…

2-70.二人の官生(改訂決定稿)

六月八日、思っていたよりもずっと早く、正月に出帆した進貢船(しんくんしん)が帰って来た。 正使の中グスク大親(うふや)の話によると、永楽帝(えいらくてい)はまだ順天府(じゅんてんふ)(北京)にいるが、わざわざ来なくてもいいとの事で、応天府(おうてん…

2-69.座ったままの王様(改訂決定稿)

今年の『丸太引き』のお祭り(うまちー)は華やかだった。 首里(すい)は赤(あかー)、島添大里(しましいうふざとぅ)は水色(みじいる)、佐敷は白(しるー)、久米村(くみむら)は黄色(きーるー)、若狭町(わかさまち)は黒(くるー)、今年から加わった浦添(うらしい)は…

2-68.思紹の旅立ち(改訂決定稿)

サム(マチルギの兄)の勝連按司(かちりんあじ)就任の儀式が終わったあと、ウニタキ(三星大親)は今帰仁(なきじん)に向かい、サハチ(島添大里按司)は島添大里(しましいうふざとぅ)に帰った。 次の日は島添大里グスクのお祭り(うまちー)だった。天候にも恵…

2-67.勝連の呪い(改訂決定稿)

正月の下旬、シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が馬天浜(ばてぃんはま)にやって来た。イハチ(サハチの三男)とクサンルー(浦添若按司)が無事に帰国した。 ナナが来ているので、イハチと仲よくなったミツが一緒に来るかと思ったが、来なかった。…

2-66.雲に隠れた初日の出(改訂決定稿)

新しい年が明け、永楽(えいらく)八年(一四一〇年)となった。 去年は本当に素晴らしい年だった。何もかもがうまくいった。今年もいい年であるように初日の出に祈ったが、雲に隠れて拝む事はできなかった。何となく嫌な予感がした。 馬天(ばてぃん)ヌルが、…

2-65.龍天閣(改訂決定稿)

十二月二十四日、サハチ(島添大里按司)たちは無事に琉球に帰国した。あとを付いて来た旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船も無事だった。 サハチたちは休む間もなく、旧港の人たちの接待に追われた。首里(すい)の大役(うふやく)たちに知らせて歓迎の宴(うた…

2-64.旧港から来た娘(改訂決定稿)

サハチ(琉球中山王世子)たちが家族水入らずの旅から帰って来ると、朝鮮(チョソン)に行った使者たちが博多に戻ったとの知らせが入った。 サハチはウニタキ(三星大親)とファイチ(懐機)を連れて、イトの船に乗って博多に向かった。使者たちは『妙楽寺』に…

2-63.対馬慕情(改訂決定稿)

サハチ(琉球中山王世子)たちが朝鮮(チョソン)から対馬(つしま)に戻ったのは、山々が紅葉している十月の初めだった。 九月の初めに漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に着いた琉球の使者たちは、二十一日にようやく朝鮮王(李芳遠(イバンウォン))に謁見(えっけ…

2-62.具志頭按司(改訂決定稿)

九月十日、平田グスクでお祭り(うまちー)が行なわれた。 お祭り奉行の佐敷ヌルは、ヒューガ(日向大親)の娘のユリと一緒に張り切って準備に明け暮れた。メイユー(美玉)、リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)の三人も手伝ってくれた。初めての大々的なお…

2-61.英祖の宝刀(改訂決定稿)

サハチ(島添大里按司)たちがヤマトゥ(日本)と朝鮮(チョソン)に船出した日から七日後の五月四日、豊見(とぅゆみ)グスクで毎年恒例の『ハーリー』が行なわれた。思紹(ししょう)(中山王)は王妃を連れて出掛けて行った。従ったのは馬天(ばてぃん)ヌルと五…

2-60.李芸とアガシ(改訂決定稿)

開京(ケギョン)(開城市)から漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に帰ると、サハチたちを待っている男がいた。イトから話を聞いていた李芸(イイエ)だった。ヤマトゥ(日本)言葉が話せるというので、サハチも会いたいと思い、丈太郎(じょうたろう)に頼んでいた。 …

2-59.開京の将軍(改訂決定稿)

ファイチ(懐機)は開京(ケギョン)(開城市)でヘグム(奚琴)を手に入れる事ができた。ナナだけでなく、浦瀬小次郎も一緒に来てくれた。開京には宿屋もちゃんとあって、食事も酒も提供してくれた。サハチ(琉球中山王世子)たちは宿屋に滞在しながら、五日…

2-58.サダンのヘグム(改訂決定稿)

昨日はいなかったが、ハナにはナナという姉がいた。男の格好をして刀を背負い、二十歳を過ぎていると思えるが、お嫁に行かないで、商品の護衛を務めているという。そして、ヂャンサンフォン(張三豊)を師匠と呼んで、再会を喜んでいた。「ここにも師匠の弟…

2-57.漢城府(改訂決定稿)

早田(そうだ)五郎左衛門が言っていたように、都へと続く道はひどいものだった。道幅が狭くて、でこぼこで、ほとんどが山道同然と言ってよかった。こんな道では荷車は通れなかった。サハチ(琉球中山王世子)たちは馬に乗っていたが、十日以上もこんな道を行…

2-56.渋川道鎮と宗讃岐守(改訂決定稿)

サハチ(琉球中山王世子)たちは『倭館(わかん)』に向かっていた。 早田(そうだ)五郎左衛門、早田六郎次郎、ジクー(慈空)禅師と一緒だった。遊女屋に泊まった者たちはまだ帰って来ていなかった。 五郎左衛門は朝鮮(チョソン)の官服(かんぷく)を着ていた。…

2-55.富山浦の遊女屋(改訂決定稿)

すぐにでも朝鮮(チョソン)に行きたかったが、海が荒れてきて行けなくなった。ササ(馬天若ヌル)に聞くと台風が近づいているという。「でも、対馬(つしま)は直撃しないから大丈夫。三日か四日待てば行けるわ」「琉球は大丈夫だったのか」とサハチ(琉球中山…

2-54.無人島とアワビ(改訂決定稿)

家族水入らずで過ごした次の日、サハチ(琉球中山王世子)はイトに連れられて、近くの無人島に行った。二つの島が並んでいて、一つの島に砂浜があった。サハチたちは砂浜に上陸した。すぐ目の前に島があるので、船越の方は見えなかった。「ここは船越の若者…

2-53.対馬の娘(改訂決定稿)

瀬戸内海を無事に通過して、サハチ(琉球中山王世子)たちが博多に着いたのは七月二十五日だった。 児島(こじま)の下(しも)の津で塩飽(しわく)三郎入道が待っていて、前回の約束通り、進貢船(しんくんしん)を見せるために船大工の与之助(よのすけ)を同行させ…

2-52.唐人行列(改訂決定稿)

鞍馬山(くらまやま)での三日間の修行は終わった。 サハチ(琉球中山王世子)とウニタキ(三星大親)、ササとシズは何とか、目隠しでの木の根歩きを成功させた。やはり暗闇のガマ(洞窟)歩きのお陰だろう。高橋殿はあともう少しという所でつまづいてしまい悔…

2-51.鞍馬山(改訂決定稿)

『七重の塔』で将軍様(足利義持)に会った、その夜、ヂャンサンフォン(張三豊)が高橋殿の屋敷に呼ばれた。中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)の娘の奈美も加わって宴(うたげ)が開かれた。 また夜明けまで飲むつもりかと、サハチ(琉球中山王世子)は…