長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2016-01-01から1年間の記事一覧

2-50.天空の邂逅(改訂決定稿)

夜が明ける頃まで飲んでいた。最初にウメが酔い潰れて、次にファイチ(懐機)、タケ、ウニタキ(三星大親)と酔い潰れた。サハチ(琉球中山王世子)は何とか頑張っていたが、次第に呂律(ろれつ)が回らなくなり、いつ酔い潰れたのか覚えていない。 目が覚めた…

2-49.幽玄なる天女の舞(改訂決定稿)

京の都に着いてから、早いもので十日が過ぎようとしていた。 何とかして、勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波道将)に近づこうと色々とやってはみたが、どれもうまく行かなかった。 サハチ(琉球中山王世子)たちは五組に分かれて行動していた。ジクー(慈空…

2-48.七重の塔と祇園祭り(改訂決定稿)

サハチ(琉球中山王世子)たちは憧れの京の都に来ていた。 京の都は想像を絶する都だった。明国(みんこく)の都、応天府(おうてんふ)(南京)とはまったく違った都で、考えも及ばない驚くべき都だった。 牛窓(うしまど)港の『一文字屋』の屋敷にお世話になっ…

2-47.瀬戸内の水軍(改訂決定稿)

博多に着いて七日後、サハチ(島添大里按司)たちは『一文字屋』の船に乗って京都へと向かった。 博多に滞在中、サハチたちはヤマトゥンチュ(日本人)に変装していた。琉球から来た事がわかると妙楽寺に閉じ込められてしまうからだった。サハチたち男はジク…

2-46.博多の呑碧楼(改訂決定稿)

サハチ(島添大里按司)たちを乗せた交易船(進貢船)は浮島(那覇)から順風を受けて一気に伊平屋島(いひゃじま)に向かった。伊平屋島で、馬天浜(ばてぃんはま)から来たシンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船と合流して、シンゴとマグサの船のあとを…

2-45.佐敷のお祭り(改訂決定稿)

四月二十一日、佐敷グスクでお祭り(うまちー)が行なわれた。思紹(ししょう)(中山王)が大(うふ)グスク按司から佐敷按司に任命されて、佐敷にグスクを築いてから二十九年の月日が経っていた。 サハチ(島添大里按司)が九歳の時で、村(しま)の人たちが総出で…

2-44.中山王の龍舟(改訂決定稿)

サグルー(島添大里若按司)たちの噂も落ち着いてきた閏(うるう)三月の下旬、侍女のマーミから、ウニタキ(三星大親)のビンダキ(弁ヶ岳)の拠点が完成したので、ヂャンサンフォン(張三豊)と飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)を連れて来てくれと告げられ…

2-43.表舞台に出たサグルー(改訂決定稿)

島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭り(うまちー)の五日後、中山王(ちゅうさんおう)の久高島参詣(くだかじまさんけい)が行なわれた。去年の襲撃で懲りたので、徹底的に首里(すい)から与那原(ゆなばる)への道の周辺の山や森を調べて、万全の警護のもと…

2-42.兄弟弟子(改訂決定稿)

旅から帰って来たササが、シンシン(杏杏)と一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにやって来た。ササは首から下げた赤いガーラダマ(勾玉(まがたま))を自慢そうにサハチ(島添大里按司)に見せた。綺麗に輝く明るい赤色で、二寸(約六センチ)程の大…

2-41.眠りから覚めたガーラダマ(改訂決定稿)

二月九日、三度目の首里(すい)グスクのお祭り(うまちー)が始まった。今年は楼閣の普請中で西曲輪(いりくるわ)が使えないため、北曲輪(にしくるわ)で行なわれた。西曲輪に上がれないので、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)を見る事はできないが、城…

2-40.ササの強敵(改訂決定稿)

正月の二十八日、中山王(ちゅうざんおう)の進貢船(しんくんしん)が出帆した。今回の正使はサングルミー(与座大親(ゆざうふや))、副使は中グスク大親で、サムレー大将は宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)、副大将は伊是名親方(いぢぃなうやかた)だった。 副使の…

2-39.娘からの贈り物(改訂決定稿)

マチルギと話したい事がいっぱいあったのに、サハチ(島添大里按司)は飲み過ぎてしまい、朝起きたら、マチルギは首里(すい)に行ってしまっていなかった。 ナツを呼んで、「昨夜(ゆうべ)、マチルギから旅の話を聞いたか」と聞くと、「楽しいお話を色々とお聞…

2-38.マチルギの帰還(改訂決定稿)

十二月になると冷たい北風(にしかじ)に乗ってヤマトゥ(日本)の船が次々に浮島(那覇)にやって来て、忙しい毎日が始まった。 大役(うふやく)の安謝大親(あじゃうふや)からヤマトゥの王様、北山殿(きたやまどの)(足利義満)が亡くなった事をサハチ(島添大…

2-37.初孫誕生(改訂決定稿)

台風で潰れた馬天浜(ばてぃんはま)のウミンチュ(漁師)たちの家々も何とか再建された。佐敷グスクの仮小屋で暮らしていた避難民たちもいなくなった十月の八日、ジルムイの妻、ユミが元気な男の子を産んだ。 御内原(うーちばる)の女たちに囲まれて、祝福され…

2-36.笛の調べ(改訂決定稿)

台風の復興対策に付きっきりだったサハチ(島添大里按司)が、久し振りに首里(すい)に顔を出すと、ジルムイの嫁のユミのお腹が大きくなっていた。 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにいるサグルーの嫁のマカトゥダルは、女子(いなぐ)サムレーたちと一緒に…

2-35.龍の爪(改訂決定稿)

ナツとメイユー(美玉)の試合のあと、二人は仲良しになって、メイユーは度々、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにやって来た。リェンリー(怜麗)は来なくなって、メイユーはユンロン(芸蓉)と一緒に来て、子供たちと遊んでいた。子供たちから琉球の言…

2-34.対馬の海(改訂決定稿)

博多に着いたマチルギたちは『一文字屋』のお世話になって、二十日間、博多に滞在した。梅雨も上がって、琉球ほどではないが、暑い夏になっていた。 博多に滞在中、白い袴をはいて腰に刀を差して、街中をうろうろしているマチルギたちは目立ち、街の者たちの…

2-33.女の闘い(改訂決定稿)

消えたマジムン屋敷の跡地に、サハチ(島添大里按司)は与那原(ゆなばる)グスクを築く事に決めた。運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)が守ると誓ったウタキ(御嶽)をグスクの中に取り込んで、グスク内に運玉森ヌルの屋敷も建てるつもりだった。それ…

2-32.落雷(改訂決定稿)

マチルギたちが博多に着いた頃、サハチ(島添大里按司)は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで、ウニタキ(三星大親)と一緒に明国(みんこく)のお茶を飲んでいた。 サハチがお土産に持って来たお茶は、初めの頃は誰もが変な味と言っていたが、今ではみんな…

2-31.女たちの船出(改訂決定稿)

マチルギたちを乗せたマグサ(孫三郎)の船とシンゴ(早田新五郎)の船は順風を受けて北上し、勝連(かちりん)半島と津堅島(ちきんじま)の間を抜け、美浜島(んばまじま)(浜比嘉島)、平安座島(へんざじま)、宮城島(たかはなり)、伊計島(いちはなり)を左に見…

2-30.浜辺の酒盛り(改訂決定稿)

五月十日、マチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、馬天若ヌルのササ、佐敷ヌル、久高島(くだかじま)のフカマヌル、ウニタキ(三星大親)の妻のチルー、そして、ヒューガ(日向大親)、ジクー(慈空)禅師、ヂャンサンフォン(張三豊)とシンシン(杏杏)、三星党(み…

2-29.丸太引きとハーリー(改訂決定稿)

思紹(ししょう)(中山王)は久高島参詣(くだかじまさんけい)で、十五人もの戦死者が出た事で落ち込んでいた。亡くなった十五人はキラマ(慶良間)の島で鍛えた教え子たちだった。久高島に行った女たちは喜んでくれたが、余りにも犠牲が多すぎた。 ウニタキ(…

2-28.久高島参詣(改訂決定稿)

ヤマトゥ(日本)旅が決まって以来、マチルギは忙しい身ながら、ジクー(慈空)禅師からヤマトゥ言葉を習っていた。クマヌ(中グスク按司)やヒューガ(日向大親)と付き合ってきたので、しゃべる事は何とかでき、ひらがなも読めるが、漢字はまったく駄目だ…

2-27.廃墟と化した二百年の都(改訂決定稿)

北風(にしかじ)に乗って、ヤマトゥ(日本)から続々と船が浮島(那覇)にやって来た。毎年の事だが、浮島はお祭り騒ぎで、久米村(くみむら)も首里(すい)も大忙しだった。今年は進貢船(しんくんしん)が持って来た商品だけでなく、三姉妹が持って来た南蛮(なん…

2-26.マチルギの御褒美(改訂決定稿)

三つの御婚礼(ぐくんりー)は大成功だった。 華麗な花嫁行列と荘厳(そうごん)な儀式は噂になって各地に広がり、さすが、中山王(ちゅうさんおう)の御婚礼だと賞賛された。 サグルー(佐五郎)夫婦は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの東曲輪(あがりくるわ)…

2-25.三つの御婚礼(改訂決定稿)

華やかな花嫁姿のマカトゥダル(真加戸樽)はお輿(こし)に乗って朝早く、山田グスクから首里(すい)の都を目指していた。道の両側では城下の人たちが大勢、見送ってくれた。幸せいっぱいで涙がこぼれ落ちるほど嬉しかった。 二年前の正月、マカトゥダルが十五…

2-24.山北王の祝宴(改訂決定稿)

今帰仁(なきじん)グスク内の新しくなった御内原(うーちばる)の屋敷の二階の縁側から、山北王(さんほくおう)の攀安知(はんあんち)は夕日に輝く海を眺めていた。正面に伊是名島(いぢぃなじま)と伊平屋島(いひゃじま)が見え、東の空には満月がぼんやりと浮かん…

2-23.今帰仁の天使館(改訂決定稿)

八月の初めに旅に出たヂャンサンフォン(張三豊)たちが、旅から帰って来たのは九月の半ばだった。 サハチ(島添大里按司)が首里(すい)グスクの西曲輪(いりくるわ)の物見櫓(ものみやぐら)から曲輪内を見回して、『首里天閣(すいてぃんかく)』のような楼閣を…

2-22.清(ちゅ)ら海、清ら島(改訂決定稿)

サハチ(島添大里按司)は首里(すい)グスクの西曲輪(いりくるわ)にある物見櫓(ものみやぐら)から輝く海を眺めていた。 早いもので、明国(みんこく)から帰って来て二十日が過ぎようとしていた。まったく慌ただしい二十日間だった。 明国からの船旅は、黒潮を…

2-21.西湖のほとりの幽霊屋敷(改訂決定稿)

龍虎山(ロンフーシャン)から七日を掛けて、サハチたちはやっと杭州(ハンジョウ)に到着した。梅雨に入ったのか毎日、雨が降っていて参ったが、早く三姉妹に会いたいという気持ちがはやって、雨に濡れるのも気にならなかった。 以前、三姉妹が泊まっていた宿屋…