長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2017-01-01から1年間の記事一覧

2-137.山南志(改訂決定稿)

ウニタキ(三星大親)が今帰仁(なきじん)から帰って来たのは、年が改まる三日前だった。湧川大主(わくがーうふぬし)が鬼界島(ききゃじま)(喜界島)から帰って来たという。「今の所、戦(いくさ)の準備はしていないが、来年の正月の半ば頃には南部に兵を送る…

2-136.小渡ヌル(改訂決定稿)

シタルー(先代山南王)が亡くなってから二か月近くが経っていた。 タブチ(先々代八重瀬按司)はチヌムイを連れて琉球から去り、八重瀬(えーじ)グスクはタブチの娘婿のマタルー(中山王思紹の四男)が入って、八重瀬按司を継いだ。具志頭(ぐしちゃん)グスク…

2-135.忘れ去られた聖地(改訂決定稿)

具志頭(ぐしちゃん)グスクを出て、仕事に戻れとサタルーを追い返したあと、ササ(馬天若ヌル)たちを八重瀬(えーじ)グスクに連れて行こうかとサハチ(中山王世子、島添大里按司)が思っていたら、耳元でユンヌ姫の声が聞こえた。「面白い所に連れて行くわ」…

2-134.玻名グスク(改訂決定稿)

島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの包囲陣が壊滅したあと、戦(いくさ)は膠着(こうちゃく)状態に入っていた。他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)は島尻大里グスクを攻める事をやめて、糸満(いちまん)の港を守るために、照屋(てぃら)グスクと国吉(くに…

2-133.裏の裏(改訂決定稿)

島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクが他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵に包囲された日の翌朝、信じられない事が起きていた。 グスク内に閉じ込められているはずの按司たちが兵を率いて、昨日の早朝と同じように攻めて来たのだった。他魯毎の兵た…

2-132.二人の山南王(改訂決定稿)

八重瀬(えーじ)グスクが炎上している頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでは山南王(さんなんおう)の就任の儀式が盛大に行なわれていた。 山南王になった摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)は、シタルー(先代山南王)が冊封使(さっぷーし)から…

2-131.エータルーの決断(改訂決定稿)

サハチ(中山王世子、島添大里按司)はウニタキ(三星大親)と一緒に喜屋武(きゃん)グスク(後の具志川グスク)に行って、琉球を去るタブチ(先代八重瀬按司)たちを見送った。 喜屋武グスクは海に飛び出た岬の上にあって、思っていたよりも小さなグスクだっ…

2-130.喜屋武グスク(改訂決定稿)

タブチ(先代八重瀬按司)の豊見(とぅゆみ)グスク攻めの二日後、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにンマムイ(兼グスク按司)が訪ねて来た。一緒に連れて来たのはチヌムイと八重瀬(えーじ)若ヌルのミカだった。チヌムイもミカもウミンチュ(漁師)の格好…

2-129.タブチの反撃(改訂決定稿)

照屋大親(てぃらうふや)と糸満大親(いちまんうふや)の裏切りで、進貢船(しんくんしん)をタルムイ(豊見グスク按司)に奪われた事を知ったタブチ(先代八重瀬按司)は物凄い剣幕で腹を立てた。「なぜじゃ。なぜ、あの二人が寝返ったのじゃ?」「照屋大親も糸…

2-128.照屋大親(改訂決定稿)

長嶺按司(ながんみあじ)は長嶺グスクに閉じ込められた。 兵の半数近くが下痢に悩まされ、長嶺按司自身も悩まされていた。水のような下痢で我慢する事はできず、本陣となった屋敷に籠もって厠(かわや)通いが続いていた。こんな状態では戦(いくさ)はできん。出…

2-127.王妃の思惑(改訂決定稿)

島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに集まった東方(あがりかた)の按司たちは、今度こそ、タブチ(先代八重瀬按司)に山南王(さんなんおう)になってもらおうと声を揃えて言った。その中にンマムイ(兼グスク按司)もいた。「お前が何で、ここにいるんだ?」…

2-126.タブチとタルムイ(改訂決定稿)

長い一日が終わった翌日、戦(いくさ)が始まった。 ウニタキ(三星大親)の報告によると、タブチ(先代八重瀬按司)はシタルー(山南王)の側室や子供たちを島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクから出して、タルムイ(豊見グスク按司)に味方したい重臣たちや…

2-125.五人の御隠居(改訂決定稿)

島添大里(しましいうふざとぅ)グスクから豊見(とぅゆみ)グスクに帰ったタルムイは母親(山南王妃)が来ていたので驚いた。「母上、どうしたのです。父上が見つかったのですか」「あなたが戻るのを待っていたのですよ。島添大里グスクに何をしに行ったのです…

2-124.察度の御神刀(改訂決定稿)

夜が明ける前の早朝、華麗なお輿(こし)が島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに向かっていた。四人の男が担いでいるお輿に従っているのは、頭を丸めた貫禄のあるサムレーとヌルだけで、二人とも馬に乗っていた。「姉のために作ったお輿が、弟のために役に立…

2-123.タブチの決意(改訂決定稿)

日が暮れてからブラゲー大主(うふぬし)を連れて、八重瀬(えーじ)グスクに来たミカ(美加)とチヌムイ(角思)を見て、タブチ(八重瀬按司)は首を傾げた。 ブラゲー大主が訪ねて来るのは久し振りだった。ブラゲー大主は中山王(ちゅうさんおう)のために貝殻を…

2-122.チヌムイ(改訂決定稿)

馬天浜(ばてぃんはま)のお祭り(うまちー)も終わって、三姉妹たちも、旧港(ジゥガン)(パレンバン)のシーハイイェン(施海燕)たちも、ジャワ(インドネシア)のスヒターたちも帰って行った。浮島(那覇)は閑散としていて、ヤマトゥ(日本)の商人たちが来…

2-121.盂蘭盆会(改訂決定稿)

湧川大主(わくがーうふぬし)が武装船に乗って鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に向かっていた七月十五日、首里(すい)の大聖寺(だいしょうじ)で『盂蘭盆会(うらぼんえ)』という法会(ほうえ)が行なわれた。 『盂蘭盆会』というのは、七月十五日に御先祖様の精霊(…

2-120.鬼界島(改訂決定稿)

明国(みんこく)の海賊、リンジョンシェン(林正賢)から手に入れた鉄炮(大砲)を積んだ武装船に乗った湧川大主(わくがーうふぬし)は、意気揚々と鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に向かっていた。 去年、前与論按司(ゆんぬあじ)の父子を鬼界按司(ききゃあじ)と…

2-119.桜井宮(改訂決定稿)

手登根(てぃりくん)グスクのお祭り(うまちー)で、佐敷ヌルの新作のお芝居『小松の中将様(くまちぬちゅうじょうさま)』が上演された。 手登根の女子(いなぐ)サムレーも旅芸人も『小松の中将様』を上演したが、台本が違っていた。 最初に演じられた女子サムレ…

2-118.マグルーの恋(改訂決定稿)

キラマ(慶良間)の島から帰って来たら梅雨に入ったようだった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はヤマトゥ(日本)に行く交易船と朝鮮(チョソン)に行く勝連船(かちりんぶに)の準備で忙しくなっていた。早いもので、今年で五度目だった。最初の年は朝鮮…

2-117.スサノオ(改訂決定稿)

佐敷ヌルたちがヤンバル(琉球北部)の旅から帰って来たのは、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭り(うまちー)の四日前だった。「いい旅だった。琉球は本当にいい所だ」とマツ(中島松太郎)は満足そうな顔をして言った。「こんな所で暮らしているな…

2-116.念仏踊り(改訂決定稿)

二月四日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が二隻の旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船を連れて出帆して行った。 正使はサングルミー(与座大親)で、従者としてクグルーと馬天浜(ばてぃんはま)のシタルー、イハチも行き、垣花(かきぬはな)からはシタルーの義…

2-115.マツとトラ(改訂決定稿)

サイムンタルー(早田左衛門太郎)は倭寇(わこう)働きをするために、去年の末、明国(みんこく)に行った。戦(いくさ)の経験のない跡継ぎの六郎次郎も連れて行き、浅海湾(あそうわん)内の浦々で暮らしている者たち一千人近くを率いて行ったという。「六郎次郎…

2-114.報恩寺(改訂決定稿)

島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの刺客(しかく)襲撃事件から二十日が過ぎた。 女子(いなぐ)サムレーたちはユーナが山南王(さんなんおう)の間者(かんじゃ)だったと知って驚いたが、自分たちを裏切らなかったので、いつの日か、また会える事を願っていた。…

2-113.親父の悪夢(改訂決定稿)

山南王(さんなんおう)のシタルーは夢を見ていた。 子供の頃、八重瀬(えーじ)グスクの庭で、兄弟が揃って遊んでいる夢だった。その年、上の姉のウシが中山王(ちゅうさんおう)の若按司(武寧)に嫁いで行った。下の姉のマチはヌルになるための修行を始めた。あ…

2-112.十五夜(改訂決定稿)

与那原(ゆなばる)が台風にやられてから半月後、与那原グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。 家や舟を失った人たちも多いので、今年のお祭りは中止しようと与那原大親(ゆなばるうふや)(マタルー)の妻、マカミーは考えたが、グスクに避難している人たちは…

2-111.寝返った海賊(改訂決定稿)

中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の使者たちが京都に着いて、ササたちが京都の街を行列していた頃、琉球では二月に行った進貢船(しんくんしん)が無事に帰国した。 正使の具志頭大親(ぐしかみうふや)、従者のクグルーと馬天浜(ばてぃんはま)のシタルー、サムレ…

2-110.鳥居禅尼(改訂決定稿)

八月の一日、ササ(馬天若ヌル)たちは熊野新宮(しんぐう)の神倉山(かみくらやま)に来ていた。 ササたちが大原から京都に戻ると、南蛮(なんばん)(東南アジア)から使者が来たとの噂で持ち切りだった。四年前に若狭(わかさ)(福井県)に来て、台風にやられた…

2-109.ヌルたちのお祈り(改訂決定稿)

六月の半ば、山南王(さんなんおう)のシタルーの娘が真壁(まかび)の若按司に嫁いで行った。先代の真壁按司が隠居して山グスク大主(うふぬし)となって、中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の船に乗って明国(みんこく)に行ったのを牽制(けんせい)するつもりだろう…

2-108.舜天(改訂決定稿)

奥間(うくま)ヌルが首里(すい)に来た。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は驚いて、焦った。一昨年(おととし)の冬、ウニタキ(三星大親)と一緒に伊平屋島(いひゃじま)に行く途中、奥間に寄って会った時、奥間ヌルは、いつか首里に行きたいと言っていた。…